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公述人(松田武君) 私は
只今御紹介を頂きました松田であります。
只今から皆樣方の貴重な御時間を割いて頂きまして、私の心からの叫びを聞き、御審議の御参考にして頂く機会を得ましたことを、心より嬉しく存ずるものであります。私は
只今委員長より御紹介かありましたように、晝間働きながら夜中央大学の経済学部に学び、來年の三月卒業せんといたしておる者でありますが、過去五年間、即ち予科時代よりの苦しい夜学の
体驗から、特に私は
教育制度というものに深い関心を持
つておる者でありまして、私の
教育に対する考え方から、ここに今回の
予算案について、私見の一端を述べさして頂くことにいたします。私は御覧のように学生であり、青二才でありまして、ここにおられる御権威の方々と違いますから、どうか軽い御参考の
意味でお聞き流し下さいますことを、あらかじめお願いいたしておきます。
我が國のように國土も狭く、その上非常に八千万という大多数の人口を擁し、資源にも惠まれていない貧乏な國では、過去は勿論のこと、今後はますます働きながら学ばねばならんことは必至であり、我々、次の時代を背負う者にと
つて、多少の差こそあれ、これらの難関を乘り越えて、文化国家の大道をまつしぐらに前進しなければならないのであります。かかる
日本経済の現状、更には
文化國家建設という現在の
日本が置かれております客観的な情勢というものを思うときに、
教育の果す役割の重要であるということは、私が今更ここで言う必要はないと思います。我々は現在、時間と経済の束縛を受けながらも、鉄の如き意志と燃えるような向学心を持
つて、日夜勉励
努力しております。然るに我々の行く手には、
教育の民主化を阻む不平等が、あたかも我々の次の時代を背負う者の
努力を笑い且それを無視するかの
如く、山の
如く堆高く積んであります。即ち官私、晝夜の差別
待遇を始めとする
幾多の矛盾がそれであり、遂には働く学生に対する無理解、はては軽蔑にまでな
つておる状應であります。このために我々は、そのおかれておる自分たちの國家的な地位というものを忘れ、学生である責務まで果さず、みずからを即下しなければならないことであります。
かくの加くして行くならば、國家有爲の人材というものは、かかる不平等な
教育制度の下に埋まり、それがひいては
日本國家再建の前途を危殆に陷れんとするに至りまして、誠に國家のために歎わしき次第であります。
かかる状態において、今回百年の大計の下に、いわゆる六・三制の新学制が布かれたことは、以上の観点からみまして、誠に喜ばしきものがある次第であります。この故に六三制の完全
実施ということこそは、
教育界のみならず、大きな社会問題であり、國家問題であり、子や孫やあるいは弟や妹を持つ世の
父兄あるいは兄さん姉さんにと
つて、又軽視できない大きな問題であると思うのでありまして、これは
文化國家建設という第一歩であり、講和
会議の時期を早め、
日本の國を一日も早く一人前の國際的な國にする
一つの道であると考えております。今回のいわゆる
追加予算におきまして、この六・三制の完全
実施のために、
政府は公共事業費五十二億四千万円の中の七億円を、学校建物設備補助費として計上いたしております。これで一体何ができると
政府は考えておるのでありましようか。二三日前の朝日
新聞がその一端を報道しておるではありませんか。
文部省では、これは三十一億円
要求を出したのであります。その中で十四億が
國庫負担と決まり、今回の
追加予算に七億円が計上され、残りの七億円は
予備金や
追加予算で賄なうと言われ、
國庫負担以外は
地方債で賄なうはずであると
新聞は報じております。今回の
予算は
総額八百五十六億円でありまして、六・三制の経費七億円というものは、僅かにその〇・八%に過ぎないのでありまして、百円に対する八十銭です。私の先程申上げました
日本國家再建という
見地からみまして文化
國家再建という
見地からみまして、誠に憂慮に湛えないものがあります。僅かにこれだけの金額で、
日本の將來が、
文化國家として一人前に
再建して行くことができるでしようか。私は甚だ疑いなきを得ないのであります。憲法に謳われました武装解除の平和な
日本が果してできるか、疑問に思います。物事はすべて初めが大切なのでありまして、スタートでつまずいては駄目であります。以上のように考えまして、私は以下二、三の点につきまして、愼重なる御審議の程をお願いしたいと思うのであります。
先ず第一に、七億円についてすら相当議論があつたということを聞いております。六・三制の延期論さえあつたということが
新聞にも出ておりました。これは先程申上げました理由から当然
実施すべきでありまして、目先の
日本経済の
再建とか、
國民生活の向上とかいうこととも勿論大切であります。併しながら國家百年の大計ということは、それ以上に大切でないかと考えるのであります。高い所から長い目をも
つて大局を見、必ず強行して戴きたいと念願するものであります。六・三制の新制中学校はその後のカレツジ、ユニバーシテー、パート、タイム制、夜間
教育、通信
教育という
教育大改革の第一歩でありまして、これら全体を含めましたいわゆる新学制こそは、
日本再建の第一歩であると考えるのであります。この故に新制中学校こそは、第一歩の中の又第一歩であるという
意味で、是非とも
実施して戴きたいと存ずるものであります。
第二に、十四億の
國庫負担の中の今回計上されません後の七億円というものが一体どうなるのか私は心配を持
つておるのであります。十一月七日に片山首相は衆議院の本
会議で
財源を考慮して追加したいと答えておられます。ところが最近の
新聞によりますと、更に
追加予算というものが組まれるように聞いております。一体具体的にこの残つた七億円というものはどういうふうにな
つておるのでありましようか。この点は、私は疑問に思
つておる次第であります。更に
國庫負担以外の
地方債で賄うと言われております金額は、同じ十一月七日森戸文部大臣は衆議院の本
会議で、
地方に
負担を掛ける積りはないと答えておられます、それでは一体どうする積りでありましようか。やはり新しく
追加予算に入れる積りなのでありましようか。それならば今度の
追加予算に入れたらいいではありませんか。今年初めの
予算である千百四十五億は、
追加予算の必要はないように、
予備金なども増額して組んだ筈であります。それなのにここで
追加予算を組まねばならないことはおかしな話であります。どうしても
追加予算が必要であるならば、この上に煩瑣な手続と計算を必要とする更に新しい追加豫算を組む必要のないようにすべきでありまして、更に新しい追加豫算を組めば、益々
日本経済を混乱に導くものではないかと心配しております。初めから足りないことが分
つておるならば、当然今回の追加豫算の中に組むべきでありまして、私がちよつと單純に考えますのに、追加豫算というものは、國家豫算の中で足りないものを追加補正するものであると思います。若しそういう
性質のものでありますならば、足りないことの分
つておる部分を追加豫算に組まれずに、近い將來に更に追加豫算を出すということは、追加豫算がなんら追加豫算の
意味をなさなくなるのではないかと思うのであります。全体としてこの六・三制につきましての豫算案は実に不明確なぼやけた
性質のものでありまして、
政府の
実施に対する誠意を疑う。
私は以上綜合いたしまして、ここに結論として六・三制の
費用でありますところの
文部省の
要求しておる最小限の三上一億円こそ、金額
國庫負担をお願いたしたいと思うのみならず、否、私は更に少くとも、五十億円というものはどうしても必要であると思います。五十億円というのは、今度の豫算七億円の七倍ではないか。そんな大きな額が、そんな大きな額がとお考えになるでございましようが、御尤もであります。併しここで考えて戴きたいのであります。もう少し、この
数字を分析して戴きたいのであります。一体五億円額と言いますのはそんなに考える程大きな額でありましようか、二十年も三十年も前の豫算ならばいざ知らす、現在では少くとも私の見解では決して大きな額でないと思うのであります。今底計上されました、本豫算の八百五十六億に対しまして、この五十億円と言いますものは、僅かに五八%しか当
つておりません。又本豫算、今度の追加豫算を合しまして二千六十六億円に対しましては僅に二・四%にしか当らないのであります。かかる比率を國家
財政の点から見まして、決して大きな額ではないと思います。又たかだか五十億円そこらの金で、
インフレというものがより一層促進し、
日本経済が破壞するとは私は到底考えられません。私も聊か経済学を噛
つておりまして、この豫算が
インフレ豫算であり、健全豫算でないということは分
つております。これは他の方々がこり
公聽会で指摘されたことでありましようが、
インフレであることの要素は外にあるはずであります。決して六・三制の豫算を五十億円に増額したからと言
つて、
インフレというものがより促進されるということは考えられません。私は七億円の原案を一躍七倍の五十億円にして欲しいとお願いするのでありますが、私はそれをどこから引出して來たのか、どこから五十億円という
数字を出して來たのか、その根拠につきまして簡單に申上げることにいたします。この五十億円の計算は枢く大雜把な算術でありまして、私の設げました假定というものが間違
つておるならば、話は別であります。新制中学に入ります年齢の子供は数え年で十四歳と十三歳の子供でありま千。十三歳と十四歳とで年齢構成別の人口というものを見ますと、十四歳の方が少いのであります。一應新制中学に人。ます子供の年齢というものを十四歳と抑えまして、それの人口を調べて見ますと、昨年の人口調査の結果では、男女合せまして百七十万六千七百八十九人あるのであります。ところがこの百七十万人の中、全部が新制中学に進学するのではありません。旧制度の中学に行く子供もありまして、差当
つては來
年度は約六十八万人たけを收容できる学校なり、教室なりがあればいいということにな
つております。この六十八万人を收容すべき新設教室数は約二方でありまして、建物に直しますと五十万坪であります。ところが坪当りいくらくらいで建設されるかということが問題になりますが、
文部省あたりでは五千円乃至六千円くらいと抑えておるのでありましようが、
インフレによる
物價の騰貴ということなども考えますと、実際には約一万円くらいかかると言われております。一万円とするならば五十五坪は五十億円になるのであります。
文部省でさえも三十一億円という
数字を言
つておるのでありまして、決して私の言
つております五十億というものがでたらめな、お座なりな、思い附きの
数字ではないのでございます。今までの経驗から見ましても、豫算
通り賄つたのでは、破れガラスであり、雨の漏る天井であり、青空教室であります。それのみならず
父兄への寄附の強要ということになり、子供の思想の惡化ということも起り、道義の頽廃ということも起り、由々しき社会問題と
なつた実情であるということを考えるときに、ここではやはり多少の裕りを以て大きな額を計上して置かねばならないと私は考えるわけであります。私の言います五十億円と言いますものが、決してでたらめな大きな額でないことは以上で大体お分りであると思います。ここでは極く大雜把な計算しかしてありませんが、それでも尚最小限度五十億円必要であるという結果なのでおります。その結果
政府原案の七億円に対しまして増加される四十三億円の分は、仮に今後十二月から三月までの四ケ月間で全部消化するものと考えますと、月当り約十一億円になるのであります。これをやはり昨年の人口調査の結果でありますところの総人口七千三百十一万四千百三十六人で割りますというと、一人一月当り、約十五円になるのであります。今年の人口調査の結果は先日の
新聞にも出ておりましたように七千三百万より殖えておりますので、これで割ればもつと少い結果が出るのであります。又同じ昨年の調査のとき世帶数一千四百七十八万六千三百七世帶で割りますれば、一世帶あたり、一月約七十五円でありまして、僅かに街で賣
つております「新生」二十本にも満たない程でありまして、可愛い子供や、可愛い孫や、弟や妹のために、以上の経費を仮に
大衆に
負担させるという、最も
惡い形をとつたといたしましても、決して大きい額ではないと思います。
國民一人か月に映画を観る回数を一回減らすとか、或いは
一つの世帶で「新生」二十本を煙にしなければ、それたけの耐乏
生活で、たつたそれだけで將來の
日本を背負
つて立つ子供達が喜んで学校に行き、寒空に破れガラスの教室で震えながら勉強しないでも済むのです。
財源を最も
惡い大衆課税に求めてもこの結果であります。況や
政府及び議会の人々の人格、手腕、力量を尊重いたしまするが故に、他に
財源がないとは私はどうしても考えられないことだと思うのであります。どうしてもこの行詰りました國家
財政の上に
財源というものが求められないならば、次の時代の
日本を背負
つて立つところの子供連のために、我々
國民は喜んで耐乏
生活をしようではありませんか。かかる困難の道の中にこそ、
日本再建の道というものが拓かれ、
文化國家への大道があるのだと私は思うのであります。更にこの増加分四十三億円が現在増加しつつある日銀券の発行高より見ましても、決して大きなものではございません。十一月一日より十五日までの増加額は実に十一日間で三十一億二千八百万円でありまして、年末になるにつれ更に
インフレの進行と共に、段々増加額が大きくな
つて行くであろうことは容易に想像されるところでありますが、今のところ一日平均二億八千四百万円の増加でありまして、四十三億という
数字はその十五日分にしか当
つておらないのであります。以上ほんの一例でありますが、いろいろな点から学力拙ない私が一生懸命持
つている限りのデーターで一應檢討した結果、五十億円という
数字は決して大きくなく、又
インフレを更に促進するものでもなく、況や
財源がないとは考えられない或
程度の妥当性を持つた
数字ではないかと考えたのであります。私は私なりに、この五十億円というものに確信を持つたのでありまして、本日皆樣に御報告いたす次第であります。私は自分の言う五十億の
数字といいますものがその根拠が絶対的に正しいものである、普遍妥当的なものであるとは思
つておりません。正確な沢山のデーターをお持ちである筈の皆々樣におかれましても、どうかもう一度この
政府のいいますところの七億円なり、私の言います五十億円なりに対しまして、十分の御檢討と御
批判をお願いいたしたいのであります。
以上のような
意味から今度の
予算案に対しまして、納得が行かず、ここに以上の、五十億円というように
修正されんことを希望するのであります。併しながら私と雖も、國家
財政が未曾有の困難というものに当面し、
予算に見合う物資において不十分な計画しかなく、そのためにこの
予算が現実に行い得る
予算であるかどうかという点に対しましては、勿論疑問を持
つております。併しながら仮令物資が十分あつたといたしましても、
予算が少くては何にもなりません。物の面も大切ではありますか、あるだけの物を十二分に活かして使うためには、先ず
予算というものが大切であると思うのでありまして、その
意味からやはりその第一歩に
予算というものを考えたのであります。
予算削減で
地方では建ちつつある学校の工事が中止にな
つているとさえ、或いは一世帶に四千円、五千円もの寄附が來ておるということが
新聞は出ておりますが、
日本の
國民に愛と誠意と良心とがあるならば、私は可愛い子供連のために黙視できない
一つの大きな問題であるということを確信しております。現在私のように夜学に学んでおります者が、東京都下の大学、高專以上で約三十校、恐らく五万人ぐらいおるのではないかと思います。又夜間の中等学校はその数において勿論これ以上であることは容易に想像が附くのでありまして、六・三制によ
つて今まで経済的に惠まれず、上級学校へ行かれない人々が、
義務教育年限延長によ
つて、更に專門学校以上のパートタイム制、夜間授業、通信授業によ
つて教育を受けられる機会を得られたことに対しまして、これが夜間の中等学校並びに大学專門学校におる我々兄としての、或いは先輩としての
立場と経驗から深い関心を持
つておるのでありまして、その第一歩でありますところの新生中等学校がそのスタートにおいて躓き、不十分でありましたならば、國家の前途を憂うるは勿論、自分達の苦難の途を弟や妹、或いは後輩に歩ませたくないという人情のみからしても、一体夜学の学生というものがどんな氣持を持つでありましようか。私が甚だ勝手なことを申し、上げましたのは、國家の前途を憂うる、
日本國をより立派な國にしたいという氣持からでありまして、セクト的な夜学生という根情からではないのであります。どうか私の氣持を十分にお酌み取り下され、
日本再建のために、党派を超え利害を捨てて愼重なる御審議をされ、十分なる経費を新
予算に盛られ、次の時代を背負うべき若人の
努力と熱意とに対して裏附けされんことを切望いたします。この青二才の無礼な言辞、態度にも拘らず、最後までお聽き下さいましたことを厚く感謝いたす次第であります。終り。