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石坂豊一君 それに關聯して
文部大臣に伺いたいのでありまするが、六・三制六・三制と盛んにどうも非常に飛び付くようなことを皆仰せられるけれども、私はこれは肚の中では皆非常に反對しておると思う。成る程、
國民の教養を高めるに何人も異論のないことでありますけれども、實際がなかなかやりにくい。私は現に昨年の今頃は市長をしておりましたが、曾てそういう六・三制というものは目の行に下
つておるようなことを誰も言
つておる者はなか
つた。若しあれば、我々もそのつもりで學校舍を復舊するのであ
つたが、私の所管内の學校は全部空襲でやられた。十二の學級を一學にして私は作りました。六・三制などというものはないから、そのつもりをしらおらない。そうして一生懸命にな
つて平均に同一規格によ
つて十二學級の學校を建ててしま
つた。年内に冬を迎えておりますから、北國でありますから、夜を日に次いで私共監督者にな
つてや
つた。建ててしま
つて見ると、又更に六・三制ということにな
つて非常に面食
つておる。この非歸
つて見るというと、あなた方は六・三制を
實施しておるように思
つておられるけれども、これは名ばかりである、小學校の玄關口やら兒童の出入口を直して、そこに子弟を竝べてごまかしの教育をしておる。それで全く私の目に映するところは人の子を毒しておる。こういうようなことならば、むしろ戰災に遭
つたところの學校のできない所はこれを延ばしてやる。決してこれを止めるのじやありません。できる所とできない所と、これを區別して實際的になさ
つた方がどうだろうか。私はこれに反對しておるのではない。苛くも學校教育という銘を打つ以上は、學校を持たずに、どうして教育ができますか。昔、萩の郊外にあ
つたところの松下村塾のごときは、吉田松蔭は野天で教育しておるように思うけれども、そうではない。世田ケ谷の松蔭神社に行
つて御覽になれば分る。塾生の子女を教えるに最もふさわしいような塾において、落著いて教育をしておる。決して校舍がなくて兒童を教育できるものではありません。況んやこれから先の烈風の中で、野天で子供を教えるなんということは思いも寄らん話である。そういう中で、六・三制を強要する。これは急がば廻れで、やはり相當の年限、猶豫を與えて、できる所は直ちにやらせる。校舍でも何でも持
つておるものは、何學級でも收容して、
一つの校舍を何囘でも使
つてやるということは別に異論はないけれども、手の出しようのない所へ、今七億や八億、十億や
つたところで、金を山と積んで、木材を切
つてや
つても、石材でや
つても、建築というものは、相當
期間がなければできるものではない。それにも拘わらず、學校教育を強いて行なおうとする、これ程滑稽なことはない。それを
文部大臣は、これは
是非實行すると言うて、なんぼおつしや
つても、できないものはできない。できない相談というものは世の中に幾らでもある。どんなよいことでも、できないことは時を待たなくてはいけない。私はこれをやることに異論はないが、ただ人の子を毒するようなことはしたくない。子供には力を付けてやりたい。六・三制なら六・三制で、受持
つておる教員に聞いて見ると、今日は子供が少くてできなか
つた、今日も教具が揃わないでできなか
つた。そうしてそう言う教員がどういうことをや
つておるかというと、研究に沒頭しておる。今の六・制の生徒は、教員の試驗臺にな
つておる。こういうことをよく徹底してお調べにならんというと、ただ口先だけで六・三制をや
つておるのだということを仰せられても、
國民の教養は決して高まるものではない。却
つてそのために多くの高學年の生徒が寄
つて來るから、小學校の生徒はそれに混
つて煙草を喫むことを覺える。尋常小學校の三年生から煙草を喫みます。私は驚いた。男子の生徒だけかと思うと、女の子まで、尋常小學校の三年生から煙草を喫む。この頃電車に乘
つて見ますと、幸いに我々は進駐軍の列車に乘ることもできますが、乘
つて見ると、駐屯兵は、遠慮なく煙草を喫
つております。
日本の男子にして、その中にあ
つて煙草をくすべらしておる紳士も偶には見受けるけれども、多くは女の子が、遠慮なしに、丁年末滿の女の子が煙草をくすべておる。こういうように煙草をくすべるということは、
一つのこれは道義の廢頽の原因をなす。私は煙草を喫まんから言うのではないが、一たびこの廢がついたならば止めることができない。どんなに高くしても、ピースを一本五圓で賣
つても、これはやはり買
つて行きましよう。そういうことが道義が段々廢頽して行くところの原因をなしておる。煙草を喫んで、又酒を飲むことになる。酒を飲めば又餘計な金を必要とする。警視廳に行くと、二十歳から二十五歳までの犯罪者が四割を占めておる。警視廳の犯罪者は、全國の犯罪者の二割を占めておる。その大部分は丁年にな
つたかならないかの若い者が罪を犯しておる。この道義の昂揚ということについては、いずれあなたに同僚から
質問をするでありましようが、苟くも校舍を持たないで人を教育するなんということは、大それた話である。二官尊徳が薪を
背負つて本を讀んだと言う人があるかも知れないが、二宮尊徳だ
つてやはり氣候の良いところの小田原の在において、太平洋の温波を受け、春は緑の木の下で、秋は紅葉の下で、落ち著いて
自分の仕事の餘暇に本を讀んでおる。北陸などにおいて、決して薪を
背負つて本などは讀まない。雨が降れば、笠を冠らなければならない。これは所による。環境を作
つてやらないで教育というものはあるものではありません。そういう場合において、ただ六・三制六・三制、三十億出せ、四十億出せ、これは滑稽な話である。勿論これは財力に
從つて、適當に
國家が負擔してやる。論より證據、六・三制の
費用を全部國庫で持てという説が一番多い。私は材料として事務當局にお願いしてお
つたのだが、義務教育を
國家がや
つておる國が世界にどれ程あるかということの材料を要求しておる。まだ持
つて參りません。義務教育費を地方團體に分けておるが、全部
國家に寄り掛かる。
國家はどうです。破滅しておるのではないか。
自分で校舍を建ててくれ、教員の俸給も出してくれ、椅子、テーブルを作れ、そんな義務教育を強いられるものではありません。これはやはりならん中から、地方團體においてこれを負擔し、
國家も相當に負擔してやるということでなか
つたら、本當に實の入
つた教育というものはできるものではないと私は信じておる。私はこの六・三制がわけなく實行できればこれに越したことはないと思う。新憲法において、
國民の教養を高め、而して
國民が教育の機會均等を得るということは當然のことでありますけれども、ものには
程度がある。實行の方法も
考えなくては
政治にならない。この點について、文教の府において非常に御熱心に計畫をせられておる
文部大臣は、私の説に對していかにお
考えにな
つておるか。私はこれはできる所とできん所ということを振分けて、相當の年限を以て實行して行くという方が一番賢明ではないかと、かように
考える。一本にして全國に押し付けるということは、企てても及ばんと思う。若し私の
考えが間違
つておるならば、
一つその蒙を啓いて頂きたい。