○岡部常君 私は成るべく重複を避けまして異な
つた観点から数点に亙りまして総理大臣並びに大藏大臣に御
質問申上げたいと存ずるのであります。
第一に挙げたいのは終戦処理費の問題であります。これがすでに同僚諸賢よりたびたび論ぜられおりまするように、この大
予算の中で三十何パーセントという大きな部面を占めるものでございます。この大
予算に対しまして現在の
内閣はその
編成権をいかに行使しておるか。又いかにその提出権を行使しておるかという点についてお伺いいたしたいのであります。この
終戰処理費は非常に多額でもあり、廣汎に亙
つております。私不敏にいたしましてその内容をよく判断しにくいのであります。大きな
予算には、ややもするとそういう傾きが礎前にもあ
つたと存ずるのでありますが、併し大きいから分りにくいと逃げ口上を張
つてのみはおられないと存ずるのであります。この大
予算が例えて見ますれば從前の軍閥跋扈の時代における戰費にも当る程の大きな
意味を持
つたものと考えられるのでありまするが、それにつきまして回顧せられますのは、太平洋戰爭或いはそれ以前の何年かの
予算の状況であろうと思うのであります。今更死兒の齢を数えるような傾きもありまするが、あの際において、もつとこの戰費などが、或いはそれに関連する大
予算などが慎重に
編成せられ、又提出せられてお
つたならば、或いはああいうふうな悲惨な状況に立到らなか
つたのではないかとさえ考えられるのであります。私最近近衛
内閣時代の一
閣僚にお会いいたしました。その方がこういう述懐をされてお
つたのであります。私共は、やはり本当に戰争の
責任を背負
つておるということをこの頃痛感しておるのだ。それはあの弱い近衛さんに、もう一押し二押しなぜ我々は諌言をしなか
つたかということに
つて、賞賛の念に駆られておるという述懐をされてお
つたのであります。誠にまじめな考えを聞いて、私は頭の下がる思いをいたしたのでありますが、我々外から見ますれば、大きな勢いに押されてどうも何ともしようがなか
つたのではないかと思われるのでありますが、今その方の仰せらるるところを伺いまして、成る程まだ一押し二押し、或いは手を替え品を替えそれに対抗する方法があ
つたのではないか。さすがの東條
首相も、或いはその当時の大きな力を持
つてお
つた陸軍も、考えを変えるというようなこともできたのではないかというようなことも考えたのであります。私は現在の
内閣諸公におかれても十分にその点はお考えにな
つて、ただ駄目だ、ただ我々の力では及ばないのだというような諦め的なことを考えておられるとは思いませんが、ここはよくよく國家の將來、
民族の将來ということをお考えにな
つて、善処せられるように切望して止まないのであります。前の東條に対しては、それでも死を以て爭
つた一中野正剛氏があ
つたのであります。惜しい哉、その目的は達せられませんでしたけれども、そこに第二、第三、或いは第四、第五の中野正剛氏が生れたならば、或いは彼の憂國の至誠は通じたのではないかということを考えて、誠に惜しいような
気持がいたすのであります。「争臣なければ國滅ぶ」と申します。私は今この重大なる
段階に対しまして、やはり爭臣なければ國滅ぶという感じを強く持つものなのであります。尤も只今の諌められる者、諌むる者、これは昔の形とは非常に違
つたものとなりましよう。併しながら私はこの爭臣を求むる最も重大なる時であろうと考えるのであります。誰かこの新時代における爭臣となる人はないであろうかということを私は痛切に感ずるものでございます。私はここで総理に伺
つて置きたいことは、甚だ漠としたことではありまするが、
内閣諸公、この現
内閣かいかなる心持でこの終戦処理費というこの大問題にぶつか
つておられるかということに対するお
答えを得たいのであります。
次に私のお
答えを頂きたいと思うことは六・三制の問題についてでございます。
〔議長退席、副議長著席〕
只今我々
日本人、我が
祖國は、世界環視の下に立
つておるのであります。赤裸のまま世界の眞只中に置かれておる姿なのであります。而してそれに対する我々の態度は、この
内閣成立の際に片山総理から宣言せられましたように、民主主義の完全なる実施、高度民主主義制の確立である。高度文化國家の建設である。道義國家の建設であるこいうことを力強く宣言せられました。その線に沿
つておることを私は
確信するものであります。而してこれは
國民の喜びであるだけでなく、世界の共に喜ぶところであろうと考えるのであります。その方法としていろいろありましようが、そのうちで私は根本的なものとして、この教育制度の確立と教育尊重ということを挙げることができると考えるのであります。(
拍手)それに対しましては、すでに
政府におかれましても機会あるごとに宣言せられておることと私は受け取
つておるのであります。総理が曾て六・三制の完全実施に関しては種々の困難はあるが、その実現のため許す限りの努力を盡すということを声明せられておるのであります。(
拍手)私はこのお言葉というものは実に尊いものである。現下の
日本の國際情勢などに照し合せまして、実に力強きものであると心強く感じておる次第であります。この教育振興と民主主義制度の確立、或いは文化國家の建設ということは、実に靈犀相通ずるものがあると思うのであります。正にそれらの基盤となるものはこの教育振興というところに存することを声明されたものであると存ずるのでありま了。而してそれによりまして今回の
予算というものが計画せられた筈なのであります。それに関しましては、文部管におきましては前後二回に亙
つて各地方廳に内牒をもすでに発するというようなことにな
つておることは皆さん御承知の
通りであります。この三十一億余の新教育制度に対する
予算というものは世の中にすでに分けに発表せられたところであります。それが
予算の技術上十四億余の内示というものが先程申しました文部省によ
つて発せられておるのでありますが、この内示というもの、又遡
つて六・三制を実施する。あらゆる困難をも切り抜けてこれを実施すると
公約せられたことは、この
國会においてお約束にな
つたのみならず、そのことはすでに
國民に対してなされたのは勿論のことであります。而して私の申したいことは、このことは單に
國会に対し、或いは
國民諸君に対して
公約せられたのみならず、現在の
日本の立場から、これは従前の声明とは違いまして、余程大きな價値を持つものであるということを私は申したいのであります。國の内外に対しまする
公約の実現なくして何の民主主義体制ぞや、何の高度文化国家の建設ぞやと私は絶叫いたしたいのであります。(
拍手)
かくしてポツダム宣言の実行が望めるでありましようか。まして差迫
つておりますところの講和会議に我々は臨むことができるでありましようか。中外に対する
公約に反するようなことがありましたならば、何のかんばせを以て講和條約場に臨むことができるかと私は申したいのであります。而して我々が望んでおりまするところの講和條件が達せられるかどうか。甚だ私は危ぶむものであります。私はキリスト教的
社会主義、或いは
社会主義の右か左かということは存じません。併しながら
片山首相が
社会主義陣営の統領であるということ、殊に
片山首相は尊敬に値する人格者であるということは知
つております。私はそれを今でも信じております。世人の大多数の人も、又たとい片山さんの政敵でさえもが片山は信頼するに足る人である、片山氏の人格を信頼しておると私は思うのであります。たまたま罷免権などという滅多に使
つてはならない博家の宝刀ならぬ新刀の試し斬りをなさ
つたというようなことは別といたしましても、(
拍手)私は決して片山さんは嘘を絶対に言わない。決して嘘を言わない人であるということを信じておるのであります。而してこのことは社会全体、世間が又固く信じておるところでありまするが、若しその
内閣におきまして、片山さんを首班とする
内閣におきまして、中外に向
つて宣明したところの
公約が反故のごとくに捨てられるといたしましたならば、嘘は言わなか
つたかも知れないが、少くとも不信である、片山の言うことは当てにならんのだという文句が出ても、これは申訳はない、申開きの途はないのではないかと私は恐れるものでございます。三十一億と振出されてお
つた六・三制の
予算が、これは
予算編成上の技術からいたしまして、十四億円を國庫支弁にして、十七億は地方費支弁とするものというふうに
説明もいたしておられるようでありますが、これは世間的には余りにも三十一億という
数字が響き過ぎておるのであります。然るにその
予算が蓋をあけて見ると、浦島の歎きを再びするのではありませんが、た
つたその四分の一の七億にしか過ぎないというのでは、あいた口が塞がらない。こういうふうに評せられるのも無理でないと私は考えるのであります。この七億という
予算を繞
つて考えまするに、文部省の内示に従
つて、眞面目にせつせと苦しい中を工夫いたしまして、それぞれ準備に著手してありまするところの全國の市町村、さてはその期待に勇躍して新らしき教育の念慮に燃えてお
つたところの五十万の全國の教職員
諸君、又何百万に余るところの若き学徒、並びにその父兄の感想如何ということを私は深く憂うるのであります。中外に対しまする
公約が今博えらるるごとく、
かくもたやすく破らるるというようなことは、私は根本的に考えまして、世道人心にいかなる影響を與うるかということも実は考えて見たいと存ずるのであります。道義頽廃の淵源を
政府が作るというようなことになりましたならば、どうでありましようか、私はこの点大いに憂うるものであります。世間ではこの頃密かに労働攻勢というような噂もいたしておるのであります。
インフレの波の高まる勢いを見ますると、やはりそういうことを考えなければならんかと思いますが、
政府の御努力によりまして、そういうことのないことを私は念願いたすものでありますが、更に巷間傳えられるように、教育攻勢などというようなことがこの際できて來たならば、一体どうなさるつもりであるか、私は教育者というような立場から見まして、教育者の自粛自戒を私は要望いたしまして、そういうようなことのないことを私は信じたいのでありますが、若し万一そういうようなことが出て参りましたなら、どうなりましよう。私はこの点を深く憂うるものであります。この点に関しまして、中外に宣明せられたる教育振興の約束に対して
首相は現在どういうお考えをお持ちであるか、又今回の
予算はとも
かくとして、將來どういうようにするのか、世界に対する信用はこういうようにして
自分は維持し、又回復すのだというようなお考えを承わりたいと考えるのであります。
次に私の伺いたいことは、これは大藏大臣に伺いたいのでありますが、財源の点でございます。
健全財政の保持を主張しておられる大蔵当局に向
つて、
一つ二つ申して見たいと存ずるのであります。
健全財政ということも大きく唱えておられます。又
大衆課税は避けるということを公言せられておりまする口の下から、酒、
煙草のごとき
大衆に対する影響の大きい税の税率を高めておられるのであります。酒はとも
かくといたしまして
煙草はどうでありましようか、同僚諸賢がすでに述べられたことでありますから、私はその点深く申しませんが、こういうような矛盾が生じておることは疑いもない点でありまするが、私はこの頃街頭にも見られまする富籤のことに関しまして、財源としての富籤について伺
つて置きたいのであります。本來
國民道徳の点から申しますれば、富籤の発行というようなことは望ましきことでないことは、私が申すまでもないところでありますが、國家の止むを得ざる事情のためにこれを認めることにな
つております。從
つてそこにはおのずから必然的に限度というものがあるべき筈だと存ずるのであります。若しこの処理方法、扱い方が惡くて当を得ませんければ、浮動資金の吸収ということが却
つて反対効果を産まないとは申せないのであります。流通の悪循環を來しまして、それが又
インフレの傾向を助長するということは、これは疑いもないところなのであります。最近の街頭におきまする三角籤の賣り場風景というようなものは、我々として大いに考えしむるところがあるのであります。現にこの六日の毎日新聞におきまして、「現代街頭縮図」という
一つの記事がございまして、これは大蔵大臣も御覧にな
つておりましよう、その外のお方も御覧にな
つておりましようが、「一等千円をねらう給料生活者から買出し帰りのおつさん、ソツト一枚、手提かばんを開ける先生もいる、それに当籤
煙草や毛糸を買うヤミ屋もいて、おれの
收入かい、まあ少く見て一万円位だなとうそぶいている、五日午さがり新橋駅北口に見る現代世相の縮図」、こういうふうな記事が出ておるのであります。それに引換えまして写真の片一方は、職業紹介所、求職相談所が非常にさびれておるということと対照して記事を取
つてありまするが、このことなどは大いに考えさせられる問題だと存ずるのであります。あの籤のきれつぱしが秋の街頭に散らか
つておりまする姿、正に百円札がばらまかれて世の中に混乱を捲き起しておる姿を如実に示すようなあの状況、これは大いに為政者として考えなければならない問題だと存ずるのであります。併し今までのどころはまだ私共寡聞にしてよく存じませんが、大した弊害もないかと考えられまするが、これは先程申しましたように、そこにおのずから限度があるのでありますが、いずれの点にその限度を見付けられるか、巷間傭えられるところによりますれば、近く百万円籤が出るだろうというような新聞記事さえあ
つたのでありますが、これは単なる道聴途説に過ぎざるや否や、私はこの限度については慎重に考える必要があろうかと存ずるのであります。この点につきまして今までの成績です。富籤の成績、それが國庫にいかなる影響を與えておるか、並びにこれからどういうところにまで押し拡げて行かれるか、百万円説の眞否ということを私はお尋ねいたしたいのであります。これに関しましては、曾て馬券問題のかまびすしか
つた昔に、土方寧老博士が貴族院の壇上におきまして、人尊きか、馬尊きかということを絶叫せられたことを回顧いたしまして感慨深きものがあるのであります。やはり爲政者といたしましては、この老博士のあのお言葉を一度二度噛み分けて將來の対策を立てられる必要がありと私は信ずるものであります。
次に、財源といたしまして、今回の
予算書に出ておりまするが、刑務所製作
收入の点につきましてお考えを頂きたい。これは大藏大臣並びに総理大臣にお伺いいたしたいのであります。私は予てから刑務所の力と申しますとおかしうございますが、刑務所にも力がありますが、刑務所の
生産力のことにつきまして、五万の埋没せる都市だということを私は譬えておるのであります。五万の
生産都市が埋没せられておるというふうにお聞きにな
つたならば、定めしびつくりなさるでありましようが、現在までの刑務所に対する世の中の見方、又
政府の扱い方は正に五万の
生産都市を埋没せしめてあると申しても差支えないと思う。少くとも忘れておられるように考えるのであります。誠に惜しいことです。現在のような世の中においては、特にその点が痛切に感ぜられるのであります。刑務所は誠に眠れる労働力を多分に持
つておるのでありますから、この大事な世の中に、私はこの眠れる力を
生産陣営の中に奮い起たせて貰いたい、かように考えるのであります。刑務所の問題は、從前ややもすれば
政治の面から忘れられ、顧みられなか
つたのでありますが、この頃不幸にしていろいろな問題が続出いたしますると、段々
政治の面に取入れられておるのであります。誠に今までのいろいろな世の中の移り変わを見まして、刑務所の問題というものが重要であるということをお感じにな
つたことと思うのでありますが、刑務所の問題は正に先般の洪水における櫻堤であります。又人間の身体に譬えればアキレス腱であるのじやないかと私は考えるのでありますが、この重要な問題を何とかして有用に取上げて頂きたい。これは
一つは、中に入
つておる者を改善する方法としての作用を兼ねるものであります。一方において誤まれる人を匡して有用な人にすると同時に、国家の
生産力としてこれを取上げるということは、誠に重要なことであろうと思うのでありますが、この
経営方法などは、ややもすると昔ながらの方法に随して一向改善の途が講ぜられないのでありますが、私はこういう國家重要な際には、どうぞこの点について、
政府の深甚なる御考慮を煩わしたいと考えるのであります。特別会計に移すという方法も考えられます。自給自足の責を負わせるという建前において考えられないことはないと思うのであります。若し又この特別会計というものが困難でありまするならば、私はアメリカにおいてすでに長く実施せられておりますところの官公廳用の物を專ら作らせる、ステーツ・ユーズ・システムと申しておりますが、官用主義というものを採用する。その中には公共の土木事業のパブリツク・ワークス、そういう方に向けて民間の人の敢えて手を染めたくないような仕事に彼らの力を振り向けるというようなことによ
つて國家の財用を節減する、又それと同時に彼らを改善の遂に向わしめるという一石二鳥の方法を考えて頂きたいと考えるのであります。この点に関しまして、特別会計に移すことはどうであるかという点は大藏大臣に、第二の公用主義、官用主義については
首相のお考えを承わりたいのであります。この点わざと私は司法大臣にお伺いすることを避けまして
蔵相並びに
首相にお伺いいたしまするのは、すでにこの問題は司法省の一部局に限られない大きな
政治問題として取上げる時期であろうと信じまして、
かくのごとく申した次第であります。
最後に私は裁判所
予算に関しまして、三権分立のことをお伺いいたしたいのであります。先程申しましたように、我々は世界環視の下に立
つております。我々の一挙手一投足は世界の環視の下に立たされておるのであります。それにも増して世界の注目を引いておりまするのは、恐らく新憲法下に展開せらるべきところの新
日本の新たなる三権分立の態様であろうと考えるのであります。これは
政治学上、
政治史上、重大なる問題であろうと考えるのであります。我々は現にそれを我々の
関係において
政治史を描きつつあるのだ、記しつつあるのだということを知らなければならないのであります。かのモンテスキユーの唱えた純粋三権分立論ということ、これは今更論ずるまでもございませんが、國と時代に適合する三権分立ということが、実際問題としては取上げらるべき問題だと思うのであります。我々は明治憲法に別れまして、明治憲法独得の三権分立から今度新たなる新憲法下における三権分立に入らなければならないのであります。新たなる
政治運動は開始せられたばかりなのであります。我々はその三権分立、新たなる三権分立を作る
責任者として今その歩を進めつつあるのであります。極めて大切な時であると私は考えるのであります。憲法上の独立は司法権において今回新たに認められました。これはただ法典の上ばかりではいけないのでありまして、これをいかにして運用するかというのが大切な問題なのであります。今や論説の時期でなくして、國情に應じ、時代に適するものでなければならんのでありますが、三権おのおの相干犯せざるものということが唯一の目安であろうと思うのであります。おのおの調和を保つことが最も必要なことでありまして、若しそれ三権のおのおのが独自の牙城に立て籠
つて自己を主張するようなことがあ
つたならば、それは大変なことになるのであります。現在の
日本の状況を見ますると、司法権と行政権、
内閣、而して又
予算審議権、立法権というものの
関係がどういうふうにな
つておるか。憲法の番人というふうに言われておりまするが、裁判所自身は立法をいたしません。
予算審議の権限もありません。徒らに
國会に依存しておるだけであります。これでよろしいのでありましようか。裁判所法はできておるが、裁判所はその制定に、而して今後の法律の改正というものに何ら
関係しない。或いは
活動力の源泉であるところの
予算も亦
政府の、而して
國会のお仕着せでよろしいのであるかということは、重大なる問題であろうと思うのでありますが、この点に関しまして、
國会と
内閣との連絡方法をいかにしてお取りになるつもりであるか。又
政府委員の役目を勤めるところの人間を裁判所から出さないでよろしいかどうか。従前の司法省に代る組織はどういうふうにするかということのお考えを伺いたいのであります。私は時間がありませんからもうこれで打切りますが、私の憂えまするところは、この点を余程しつかりして置きませんと、司法官というものは昔、化石したという非難を受けたことがあるのでありますが、又新たに化石した司法官を迎えるというようなことになりましたならば、大きな理想を以て裁判所を立派にしようという声明をせられておる総理大臣の意図にも反することになるのではないかと考えるのであります。而してその一番被害を蒙むるものは
國民自身である。裁判所だけではなしに八千万の
國民が困るということが、一番憂えられる点なのであります。私の意見はこれで終ります。(
拍手)
〔
國務大臣片山哲君
登壇〕