○小林英三君 本日
國民の最も関心を持
つておりまする食料の問題、特に生鮮食料の
集荷配給改善につきまして討議が行われますることは、誠に意義のあろことでありまして、この國会法に定めてありまするところの
自由討議は、この眞の目的は
議員をして國政の重要案件のつき自由なる討議をなさしめ、國政の改善に資するがためであります。決して我々
議員同士の討論会でないと私は考えております。從いまして、
議員の討論及び全体の討議の推移というものにつきましては、常に國政の上にこれが十分に反映して行くのでなければなりませんと考えております。私は本日大臣席を見ましても、誰一人出席しておりません。私は今日こおの変轉極まりない時代におきましてこの國内情勢を察知いたしますには、大臣があとで我々が討議した速記録を読んで初めて國政にその我々の
意見を容れるようなことでは、すでに遅いと思う。(
拍手)私は今後いずれの場合におきましても、いずれの我々の
自由討議の機会におきましても、総理大臣以下
関係大臣は出席の義務ありと考える。又國会は
議長を通じまして努めて出席方を要求する権利があると私は信じております。(
拍手)
さて私は本問題即ち生鮮食料の
集荷配給の改善に対しましては、速やかに
統制を廃しまして、而して
自由販賣に移し、玄人の
集荷機関並びに小賣業者に当らしむべきものと確信いたすのであります。勿論
物資の極めて欠乏しております現在におきましては、一部重要
物資の
統制は、ときに又止むを得ないのでありますが、生鮮食料のごとき特異性あるものにつきましては、
統制はむしろ有害無益でありまして、決して
効果が挙がらざるものなりと断ずる次第でございます。(
拍手)只今からその理由につきまして説明をいたしたいと存じます。
第一に生鮮食料の
統制は、私がこれから述べんといたしまする左の特異性によりまして、実行不可能に近いことを述べて見たいと存じます。魚について申しまするならば、これを
統制するには、その
生産高の算定が必要でありまするが、これは何によ
つて決定するか。全國の海岸に無数にございますところのトロール船であるとか、或いは「かつお」船とか、或いは建網定置
漁業等の魚獲高は、これはやや算定できるといたしましても、全國無数の小舟の魚獲高はわからない。而も天候や季節の制限を受けて、獲
つて見ないければわからない。あの海の中に泳いでいる魚、この魚の数字によりまして
統制の計画や機構を作ることは、私はそこに非常に無理があると思う。次に千差万別の形や、又いろいろの大きさを有する数千の魚につきまして、一定の
價格を附けることは又無理があるのでありまして、即ち石鹸でありますとか、蝋燭でありますとかいうふうな、一定の形を持つたものでありますならば、何千万ございましても、一箇何十銭、或いは一人何箇というように、簡單に
配給ができるのでありまするが、
一つの魚でありましても、厚みについて言
つても、三分のものもある。或いは一寸の厚みのものもある。長さにつきまして申しましても、三寸の小さいものもあるし、或いは二尺、一間という大きな魚があ
つて、それぞれ味が皆違うわけである。從いまして例えば「かれい」というような魚一種類を考えて見ましても、
一つの
價格では無理がある。況んや何千の魚においておやであります。次に
統制というものは品質や味というものを度外視しておるのであります。
野菜でありましても、魚でありましても、季節によりまして品質や味に非常な差異があり、又同じ「まぐる」で申上げましても、六月末の「こんにやくまぐろ」でありますとか、或いは二月頃の「寒まぐろ」は、同じ形、同じ種類の魚でありましても、品種や味に非常な相違がある。すべての魚もこれと同様でありまするが、これを二三の
値段の格差によりまして
マル公を決定するということは、私はそこに非常な
統制の無理があると存ずるのであります。
次に生鮮食料は保存が困難でありまして、そうして傷みや腐敗ができまするから、季節によりましてその取扱い方にも差があるのであります。
統制はこれを同じに取り扱おうとしておる。ここに私は
統制の大きな無理がある。例えて申上げますならば、魚は寒中は四五日経ちましても保つのであります。夏場は寸刻も爭うてこれを処理しなければ鮮度が落ちる。
野菜でも大根や「ごぼう」や「にんじん」のような保つものはよいが、菜つ葉のごときものにつきましては夏場は一日で腐
つてしまう。私は
統制が極めて滑稽だと思いますことは、遠方から氷で十分に手当てをして送
つて来た鮮度の極めて高い魚も、又そんなことをちつともかまわずに送
つて来て腐りかけているような魚でも、これは
統制の上におきましては同じ
値段でこれを律しようとしている。こういうことに大きな無理があると思う。尚この外に
統制の困難なことは、生鮮食料の目切れであります。即ち目方の減ることであります。机の上で計算をいたしまして、一貫目十円の元値のものを、二割儲けて
販賣しろ。こう言いましても、一貫目のものが二百目の目切れができましては、二割儲けましても結局計算すると九円六十銭で、四十銭の損になる。この目切れや腐敗で損をせぬためには、闇をやるか或いは腐つたものを消費者に賣るか、二通りしかない。夏は氷を使わなければ腐敗が来るし、鮮度が落ちる。併し今の高い氷を使用してどうして
公定價格が守れるか。ここに私は非常に
統制の無理があると考えるのであります。次に
統制には
取締というものが附きものである。
マル公を作りましたのは農林省の役人でありましよう。机の上ででつち上げたものでありましようが、
取締を励行しておりますところの末端の役人或いは経済防犯の官吏が、かような無理な
統制法規を以
つて善良なる
國民大衆にいかような
取締をや
つているかということを考えますと、私は内心非常に恐ろしく感ずるのであります。
第二に、生鮮食料の
統制は
生産や入荷を阻害いたしまして、そうして闇屋を製造することに相成るから、私はこの
統制には絶対に反対する。今日はできるだけ
物資をたくさん出廻らすということが酸欠問題である。然るに
統制は必らずこれを妨害することに相成
つておる、漁師の仕事は諸君も御
承知のごとく、板子一枚下は地獄の諺の通り誠に荒仕事である。自由経済のときにおきましては、時代が続いて漁のないときには魚は高い、これは当然だ。晴天が続きまして大漁のときには魚は安くなる。安くな
つても
生産者は尚儲か
つている。これは自然の定法であると思う。
統制は大漁でありましても不漁でありましても同じ
値段でこれを律するが、さりとて不漁の時の相場で
マル公が決められていない。ただ奨励法といたしまして私共聞くところによりますると、漁獲高に看貫によ
つて米や油の
配給があるぐらいのものであります。昔から漁師は働くときは一升飯を食うということを言
つております。或いは、網元の氣持で申上げますならば、うつかり出漁しても不漁のときはどうなるか。高い油やカーバイトや網を買い、或いは高い食料を使
つて、そうして船頭多く連れて行
つても、若し不漁のときは網元は損をする。
政治は私はそういうところも考えなければならんと思う。今日の
漁業家は馬鹿々々しいから、よほどの自信の持てるときでなければ出漁もしない。即ち常に消極的態度でありますから、
生産の挙がる道理がないのであります。又
生産地は大漁で魚がだぶついておりましたときでも、
統制が強化せられたり或いは
値段が不均衡の場合におきましては、横の方に消えてしまうとか或いは魚が農家の肥料として買われたりする結果になる。これが関の山である。二三日前の新聞に、どこかの水上警察署が重
機関銃を備えまして、産地の船が
東京に入
つて来るのを警戒しておるというような記事が出ておりました。が、こういうようなことではなかなか
品物は
東京に入
つて来ないと私は思う。だから生鮮食料の
統制には私は絶対に反対であります。
第三に私がその理由として申上げたいと思いますことは、生鮮食料として最も肝要なる新鮮度いわゆる鮮度につきましても、
統制に私は絶対反対したいと思う。鮮度は生鮮食料の命でありまして、私はこの鮮度を離れては生鮮食料を論ずる資格はないと思う。一体
野菜にいたしましても或いは魚にいたしましても、生きた物、生ま物であります。日柄が経つたり又ころの取扱いが惡いときには、どんどん鮮度が下
つて来る。特に夏場は一刻を争うものでありますから、
統制にために詰まらん手続をやつたり或いは
間隙をそこに置いていたのでは鮮度はどんどん下ります。殊に敗戰
日本の今日の
現状におきましては、各
地方とも冷蔵装置も完備しておらず、又氷も不十分でありまするから、
配給品の鮮度も低いし、又腐敗も早いと思います。最近の都会の事情を見ましても、
野菜でも魚でも極めて鮮度の低い
配給品ばかりが家庭の主婦を悩ましている
状態であります。最近の新聞紙上に、魚の中毒で人命云々の記事を私はしばしば散見いたしておりますが、殆んどこれは
配給品ばかりであります。これらは皆今の無理な
統制による大きな犠牲であると言わなくちやならぬと考えます。私は鮮度の問題について、ここに
平野農林大臣があられませんようではありますが、片山内閣の大臣各位に聞いて貰いたいと思います。片山内閣の経済緊急
対策第一号の中には、はつきりこういうことが述べてあります。
主食の中心が当分米意外のものになることは避け難い。從
つて食生活の改善に主力を注ぎ、特に蛋白資源の確保に重点を置き、そうして
鮮魚介の
統制を確実にする。こういうことが書いてありますあ。この確実にするということは私はどういう意味だかわかりませんけれども、とにかく昔から
日本人の栄養は多く
魚類による蛋白資源であることは事実であります。併しそれには生きのよい、鮮度の高い魚を迅速に処理して、
生産者から時を移さず消費者の食膳に載せるのでなければ栄養にはなりません。私の或る知人は、
配給の魚は買わないことに主婦は厳命しておりと言
つておる。これは贅沢から来ているのじやない。万一の場合の医者や藥というものがありましても、中毒による犠牲の大きさを考えて見なければならん。こういうことを言
つております。片山内閣の発表いたしました経済白書によりますと、
國民の体位の低下につきまして、國内の学童の体位が
昭和十二年と二十一年の九年間におきまして、六年生の体位が九年前の五年生の体位まで下
つておるということが報告されております。ところが今
主食が
不足いたしておりまして、遅配だ欠配だと
國民が栄養素に極端に欠乏しておるときに、無理な
統制をこの上に続けている。只今も社会党の
議員の方がおつしやつたが、
統制を極力強化する、この上に続けていくということは、私はその結果として鮮度の低いものや又腐敗したものを
國民に強うることである。経済白書におきましては体位の減退を憂えるということを謳
つておる片山内閣が、結果において
國民の体位向上に少しも協力していないということを言えはしないかと思います。甚だ遺憾に思う。(
拍手)
私は第四番目におきまして、
自由販賣にすれば何故によいかということをはつきり申上げて見たいと思います。その
一つは、やさいでも魚でも
生産が増加致しますから
値段が安くなります。即ち
統制の枠を外すならば、
漁業家は必ず有らゆる困難を克服いたしまして、雨の日も槍の日も積極的に
漁業に乗出しまして、全國の農家も
野菜の
生産に朗らかに乗り出して参ると考えます。
生産が上れば早晩に
値段も安定することは確実である。その二は鮮度の高い
品物が八百屋や魚屋の努力によりまして、勢いよく
集荷されまして家庭に入ることであります。その三は、
自由販賣になれば
品物は貨車によ
つて運ばれる。闇でなく堂々と運ばれる。ただ闇屋の
品物のごとく、二貫や三貫の
品物が汽車賃や宿賃や危險率や手間を加算したああいう高いものには絶対にならんと思います。その四は、
自由販賣になりますれば、消費者の選択制になりますから、
品物の調節を図れる利益がある。業者は
品物と
値段の競争になるし、又需要家は先程奥
議員がおつしやつたように、
生産者みずからが大いに自粛いたします。そうして高ければ買わない。買
つても良い鮮度の物を少量に買うことになりますから、
品物の調節がここにできて来る。こういう利益がある。その五は、詰まらん罪人の製造がなくなる。今は罪人の製造をいたしております。でありますが、罪人の製造がなくなる。又
國民は極めて明朗になります。そうしてその
取締に使
つておる役人を他の方面に活用することができりと私は考えます。
最後に、一部の
統制論者は、生鮮食料が
自由販賣になればその
價格は昂騰する。急に上るだろう。べらぼうに上るだろうということを心配しております。又一部の富裕階級のみによ
つて買占められる心配があるということを言
つておると思います。(「そうだそうだ」と呼ぶ者あり)これに対しまして私は、從来よりもせいさんが上
つて、需要者は選択の自由を有することであるから、
價格は必ず安定すると考えますと同時に、生鮮食料の貯蔵不可能なりという特異性を通じて、特定階級による買占めは絶対に不可能なりということを申上げたいのであります。
私は
結論といたしまして、生鮮食料の
集荷配給の改善策としては、速やかにこれを
自由販賣に移すべきである。而も私は、かくすることが今日の。
國民大衆の声なりと確信いたしまするが故に、若し
政府がこれを断行することを躊躇するならば、私はここに片山内閣に対しまして、生鮮食料の
自由販賣の是非を
國民投票によ
つて決せられんことを希望いたしまして、私の討議を終ります。(
拍手)