○吉川末次郎君 微恙で少し発熱いたしておりますので、お聞き苦しい点があると思いますが、どうぞ同情を以て御寛容が願いたいのであります。私は、昨日
片山首相が本議場においてなされましたる
施政方針演説を中心といたしまして、二三の質疑を
参議院の
社会党議員団を代表いたしましていたしたいと考えておるものであります。尚、専ぱら
経済、
財政の諸問題に関しましては、後刻我が党より木村禧八郎君が同様に質疑をいたすことにな
つておりますので、そうした問題は多くこれを除きまして、それ以外の問題についてお尋ね申上げたいと思うのであります。先ず私がお尋ねしたいと思
つておりますることは、
参議院の政治的職能について現
内閣はどのようにお考えにな
つておるかということをば、この機会に御開陳が願いたいと思うのであります。
参議院の政治的機能は、もとより新しい憲法が規定いたしておる
ところによ
つて、法規的には十分明白であると考えるのであります。我々はこのように考えておるのであります。
参議院は
衆議院が行き過ぎた言動をしたり、誤まつた議決をしたような場合において、その誤りを正し、又その行き過ぎを是正し、或るときはブレーキの役割を勤め、或るときは又これを拍車づける
ところの政治的行動をするということが、
二院制度の則る
ところの我が
参議院の主要なる政治的な特異的機能でなければならない。このように考えるのであります。右の見地に基きまして、私たちは平素の行動におきまして一切のことを決定いたしておるのでありするが、
総理大臣片山哲君に対しましても、私は同様の見地からいたしまして三つの政治的人格を想定いたすのであります。その一つは、
片山総理が日本
社会党の党首であるということであります。我々は
社会党の党員なのでありまするから、党首の有する
ところの組織的な
統制力に服従するということは、我々党員の義務であります。第二の政治的人格は、
片山首相が新憲法に規定する
ところの最高の國権の機関である
ところの我が國会に分立する
ところの
行政の首長である。執行機関の首長いられるという、政治的な性格でありまして、それに対しましては、我々は國会
議員の
立場からいたしまして巌正なる批判的な
立場を持たなければならない。このように考えておるのであります。第三番目には、
片山首相は國会における
ところの二院の一つである
衆議院議員でいられるということであります。その政治的性格に対しましては、我々は又さつき申しました
ところの
参議院の政治的職能を理解いたしておりまする私たちの観念よりいたしまして、同様に批判的でなければならない。このように考えております。そうした一切の考え方の上に立ちまして、今私は私の政治的の質問を試み、又すべての我々の行動というものをば律して行きたいと、このように考えておるのでありまするが、以上申しましたような私の
言葉の内容する
ところに対しまして、
片山首相はどのようにお考えにな
つておるかということをお答えが願いたいと存ずるのであります。
第二番目に私がお尋ねしたいと思いますることは、現下最も重要なる
ところの
國民大衆の問題であります
食糧問題についてであります。それにつきましては、昨日
首相はその
施政方針演説の中において、若干の意見をお漏らしに
なつたのであります。又その担当
大臣である平野農相からは、新聞紙を通じまして、又その他の機関を通じまして、弁解的な現下の食料危機に対する御意見をも我々は拝承いたしておるのであります。殊に昨日御発表になりました
ところの
食糧危機突破対策につきましては、本日の新聞紙を通じて大体了承いたしておる次第であります。併しながらこの食うということの問題、既に全國に亘
つて遅配欠配は数十日に及んでいるのであります。北海道の如きは、新聞紙の傳う
ところによりますれば百日にもなんなんとする
ところの遅配欠配が続行せられておるということであります。これは実に厳粛なる
ところの、
國民大衆の切実な問題であるということを考えなければならん。この切実なる食うということの問題は、一切の理論や、一切の弁解を超越しておる
ところの、厳然たる
ところの事実であります。私は一切の理窟、一切の理論、そういうものを去
つて、市井の一般の大衆、裏店のおかみさんや家庭の子供たちが成る程と納得するに足る
ところの何ものかを、私はその農政の担当者である
ところの平野農相より、この壇上において聞かしてもらうのではなくして、私は生々しき事実として、我々の前にお
示しを願いたいということをば要求いたす
ところのものであります。(
拍手)。遅配欠配のない明るい
生活、それは我々が
社会党の國会
議員の候補者といたしまして、去る四月の
選挙に我々の
選挙演説会に掲げた
ところのスローガンであります。
片山首相も平野農相も、恐らく私同様にその
選挙演説会にこのスローガンを掲げて
おいでに
なつたことであると私は想像いたすのであります。そのスローガンの示す
ところの
意味を
選挙民が信頼し、賛成いたしまして、私は
議員として当選し(「そうだ」と呼ぶ者あり)今日この壇上にあるわけであります。又
片山首相は、正直者が馬鹿を見るような政治を排斥する。正直者が馬鹿を見ない
ところの政治を実現しなければならんということをば、
國民に約束せられておるのであります。一面において又現
内閣は、
國民に対して新日本建設のための
精神運動を起こさんとしておられるのであります。正直者は
配給食糧のみによ
つて生きて行かなければならんのであります。併しながら既に遅配が数十日に及んでおります
ところの現在において、正直者は既に死んでおる筈であります。(「
異議なし」と呼ぶ者あり)片山
内閣は亡霊に対して
政策を説いておるというようなことも言えないことはないと私は思うのであります。(
拍手)。又この食うという切実なる問題の前に、どうにかしてくれ。なんとかしてくれと、こういう素朴なる
ところの民衆の声こそは、即ち言われる
ところの民の声は神の声であるということであります。どうぞこの問題に対して、先般申しましたように十分にすべての人たちが納得するに足る
ところの事実を我々の眼前にお
示し願いたいということをば、再び要求いたすものであります。
第三に私はお尋ね申したいことは、婦人の政治的運動に対する
ところの
首相のお考えをお尋ねしたいと思うのであります。
片山首相は、
内閣の施政の基本的な方針が新憲法の
精神を実行するということである。そうしてその新憲法の基本的な
精神は民主主義であり、平和主義であるということをばお言いに
なつたのであります。全く我々の賛成する
ところであります。民主主義とは何であるかということにつきましては、色々の考え方があるのでありましよう。
片山首相も昨日の御
演説におきまして、政治的民主主義、
産業的民主主義、そういうようなこともお話になりました。併しながら民主主義は倫理的に考えまするならば、お互いに人間というものが人間の人格を尊敬し合うということが、基本的な観念でなければならないと思うのであります。そうした倫理的な民主主義的観念は一切のものに表現せられて、我々の日常の
生活の態様とそれがなるのでなければならないものであると、このように私は考えるのであります。
片山首相は先般ラジオを通じて全國の婦人に呼び掛けられて、婦人の政治的自覚を促されたのであります。結構であります。併しながら同時にそういうことは、男子に対しまして婦人を人格的に尊敬するということを教えるということを相伴わなければならないものであると考えておるのであります。先の四月の
選挙に際しまして、我が日本
社会党は婦人
政策といたしまして、このようなことを全國の
選挙民に呼び掛けたのである。一つは男女の社会的地位の平等化、二は婦人に対する政治教育の普及徹底、三は新設
労働省内に婦人局を設置せよ、四は婦人に対する職業的技術技能養成機関を設置せよ、五は社会施設の増設、家庭
生活の科学化、六は民主的家事審判所の設置、七は婦人
官吏の登用、八は婦人外交官の育成であります。これらの
國民に対する
社会党の婦人対策というものは、今日
連立内閣であるということによ
つて多少の拘束を受けられておることであると思うのでありまするけれども、恐らくは今後漸次片山
内閣が実現せられることであると私は推察いたすのであります。唯併しながら今度の片山
内閣の組閣に際しまして、そうした婦人を政治的に、社会的に、
経済的に、男女同権の
立場からこれを尊敬し、これを重要とする所の観念が、この組閣の問題については少しも現われておらないと思いますることを私は深く遺憾といたすのであります。
社会党の婦人部からは、婦人の閣僚を出せというような強い要求があつたということを聞いておるのですありまするが、
首相は如何なる
理由においてそれを退けられたのであるか。若し口に民主主義を唱えながら、先に申しましたように、政治上の民主主義、
経済上の民主主義というようなことを言いながら、本当に民主主義の倫理的な意義というものを未だ味得するに至らずして、その一切の
生活の上にそれが具現化されておらない。封建的な、相変わらず封建的な男子中心的な観念から、そういう適任者はおらないと、こういうように簡單に、無礙に退けられたのではなかつたかというようにも考えるのであります。(「うまいぞ」と呼ぶ者あり)どうぞそれについての
首相の御見解をこの機会に承りたいと考えるものであります。
第四番目に御意見を承りたいと思いますることは六三制の実施の問題についてであります。昨日
首相の
演説の中に若干それに対する所の御意見の御開陳がありました。日本が今後文化
國家として世界に立
つて行くという所の
立場の上からも、又教育の民衆化という見地よりいたしましても、六三制の実施ということは誠に私は喜ぶべきものであると考えるのであります。併しながらその実施に際して十分なる所の準備が整
つていなかつた時には、私は教育界に幾多の紛乱を起す所の憂いがあると考えるのであります。そこで現在正にそうした紛乱の
状態であるということができるかと思うのであります。先に文部省は財務当局に対しまして六三制実施に対する所の経費の要求をいたしましたのが、その六分の一、七分の一に査定削減せられましたがために、地方費の負担がその結果極めて多いものとなりました。而も地方の市町村はこれを賄う所の十分なる所の財源を持
つておらないがために、止むを得ず父兄に寄附を要求いたしておりまするのが各地方における所の現態であります。これは先に申しました我が國が文化
國家として教育の振興を図らなければならんという見地よりいたしまして、かくの如き地方々々によ
つて、又学校々々によ
つてその額は相当多額にいずれも及んでおるのでありまするが、父兄のそうした寄附による負担というようなものをば止めさすようにして、そうしてこれを綜合的な、
國家的な一つの
計画に基づいて調整せられる
ところの必要があるのではないかと思うのでありますが、
内閣の御意見はどうでありますか。全体的に考えまして、私はそれに関連して教育に関する六三制の問題について多少この機会に申述べて見たいと思うのであります。今まで一部におきましては、教育費である、或は文化費であるというようなものに金を支出するということは不
生産的なことである。こういうような見解が相当に廣く普及いたしておつたかと考えるのであります。併しながらそうした考えは私は再検討されなければならないと思います。我々は今や武器を放棄する
ところの平和
國家、文化
國家となり、又敗戦の結果、我々の領土はせばめられ、日本の有する
ところの
経済的資源というものは極めて貧弱なるものであ
つて、我々の
経済的な
生活の方途というものは、誠に暗澹たるものを感ぜざるを得ないのであります。この貧しい
経済的資源の上において我々は
経済的な
生活の打開を図り、前途に光明を見出して行くためには、幾多の方法が考えられるのでありましようが、その最も主要なる
ところの一つの考えは、学問の力に頼るということであります。科学の力によ
つて、我々の
経済生活を打開して行く
ところの方途を案出するということであります。我々はこの乏しい
経済資源の上に立つ
ところの
生活からいたしまして、無い
ところから物を作
つて行くようなことを、日本
國民はこれから考えて行かなければならない。無い
ところから物を作
つて行くと申しまするのは、例えばこの空氣中の窒素を固定化して人造肥料、化学肥料を作る。今まで余り顧みられなかつた
ところの海洋、海の資源を科学的に利用して、そうしてこれを一つの
経済的価値のあるものに作
つて行くとか、或いは又山林における
ところの材木も鋸屑を、ここにバクテリヤ、酵素を作用せしむるならば、パンができるというようなこともいわれております。又私は専門の科学者から、水力や火力によらずして、風の力を利用して豊富なる電氣を発生せしむることができるということも聞いているのであります。かくの如き発明発見の奨励、農村においては農村の機械化を図り、一切の
産業の上において技術の高度化を図
つて行くということは、我々はこれは教育の普及と学問の力によるの外はないのである。我々はそうした科学力によ
つてこの貧しき日本の
國民の
経済生活を豊かにして行くの途を考えて行かなければならん。又最近言われている
ところによれば、原子核の破壊による
ところの力を利用いたしまして
経済生活の一つの革命化が考えられる。例えばコップ一杯の水銀の原子核の破壊力というものは、ニューヨークからサンフランシスコまで、アメリカ大陸の東部海岸から西部海岸まで列車を数十回往復さすことができる
ところの力を持
つているということも、外國の雑誌が書いているのを私は見たのであります。若しこのようなことができまするならば、
水谷君が非常に苦労しておられる、褌一つにな
つて、(
笑声)炭坑の中で奨励しておられる
ところの容易に解決することができるということも考えられるのであります。(
拍手)。このように考えて参りまするならば、教育費に金を出すということは決して不
生産的な
事業に金を出すのではないということを、私は片山
内閣の当局が十分に御理解が願いたいのであります。(
拍手)。それで
差当り右のような
立場から、六三制の実施の
財政については総合的な何か
國家的な
計画を
政府でお立てに
なつたらどうか。私の思いつきでありますが、例えば地方税として教育税のようなものを創設するというようなことも私は考えられるのではないかと思うのでありまするが、以上申しました六三制実施に対しまして、私は文相の御意見を聴きたいと思
つておつたのでありますが、御欠席のようでありますから、昨日御意見をお述べになりました
片山首相或いは適当なる外の閣僚がおられまするならば、御意見をこの機会にお漏らし願いたい。又私が併せて申しました科学教育の奨励、殊に
経済振興との関連性に対する私の意見に対する
内閣の御意見、これを
首相から併せて御披露が願いたいと思うのであります。
最後に私は
片山首相に御希望もいたし、又御
答弁を願いたいことがあります。
首相は平和主義を昨日の
演説において高調せられたのであります。私が全く賛成であることは既に申上げた
通りであります。併しながら率直に私は
首相に私の意見を開陳することをお許し願いますならば、
片山首相の説かれます
ところの平和主義は空想的な平和主義であると私は断定いたすものであります。(
拍手)。(「本当か」と呼ぶ者あり)
一体片山首相は
社会主義をお説きになる場合において、先程板谷君から
社会主義のお話がありましたが、あれは板谷君の
社会主義に対する
ところの無智を証明いたしている
ところのものであります。(
拍手)。
社会主義にはいろいろな
社会主義があるということを御
承知にならなければならないのであります。片山君の説かれる
ところの
社会主義は、板谷君が
意味されたような
唯物史観に立つ
ところのマルクス主義の
社会主義ではない。必ずしも私の
言葉が当
つておるかとも、おらないかとも思うのでありますが、曾て私はイギリスの
労働党が何かの文書の中において、我々イギリスの
労働党は唯物論の上に立つマルクス主義を信ずる
ところのものではない。我々は英國の
社会主義の始祖である
ところのロバート・オーエンの理想主義に立つものであるということを書いておつたのを記憶いたしているのでありますが、ユートピアン・ソシアリズムと申しますと失礼でありまするけれども、片山君の
社会主義は、そうした理想主義的な面を非常に持
つておるということは、先般の御
答弁によりましても十分に伺われると思うのであります。