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河野正夫君 今
文部當局の方の羽仁さんに對するお答えなど承
つてみますと、どこか少し私に疑義が出て來るのであります。
勤勞青年に對する
教育ということを羽仁さんの言われるように、やはり
勤勞青年という特殊の事情から考慮した
高等學校でなければならないのでありますが、在來の
青年學校が興味を持たれなか
つた。現在尚開店休業の
青年學校が殘存しておるということの理由を
考えてみますると、戰時中のあの兵營の延長のような
教育ということが禍はしていましようけれども、それ以上に二つの點があるのぢやないかと思うのであります。一つい
青年學校が普通の中學のような
教科課程を持
つていない。教える人も不熱心な人が多い、というと
青年學校の教員諸君に怒られるかも知れませんけれども、
青年の
希望にマツチするような制度にもな
つておらなければ實際の運營もできなか
つたという點が一つだと思うのであります。そういう
意味におきましては新しい
定時制の
高等學校が全日制の
高等學校と
教科課程を同じうするということは一つの
意味がありましようけれども、なぜそれならば工場や
職場の
青年學校が繁昌するかというと、そこではそういうような
意味の
教育が用意されておるからじやないのであります。むしろその
職場において
教育を受けると、その
職場における働く位置が上進するとか、或いはその知識技能がそこにおいて一層向上するとか、こういう
意味の
勤勞教育というものがそこに行われるからであります。ところが今の
文部省の方の御
説明によりますと、
教科内容は同一にしてや
つて行く。それだけでは今言
つたように
勤勞者のための勤勞の
教育という
意味がどこか抜けておる。かとい
つてそれならば單に
職業教育ということになると、これは勿論
高等學校の實業科的の
中心のこともありましようけれども、不十分である。更に羽仁さんの言われるように、
青年の向上心というものが、大學まで行きたいという氣持のある
青年たちを吸收する上においても不十分でありますから、そこは十分考慮しなければなりませんが、
教科課程が全く同一である。同一でなければ
高等學校の
資格を與えないという
考え方には私は
贊成できない。それは
教科課程が
違つてもよい。さつき羽仁さんの方からスカラーシップの話がありましたが、
課程が
違つてもとにかく或る
意味の
條件が、上級
學校へ行きたい子供についていえば、
資格を
認めてやる。それから先きは本人が入
つて伸びて行くだけの實力さえあればいいわけであります。そこに特殊の
考え方を要する。そういう
意味において上級に進ませる場合にも、或いはそれで終らせる場合にも、
勤勞教育としての特段の考慮が要る。そういう考慮の上において
定時制の
高等學校というものを建設するのでなければ
意味はなさんと私はそう思うのであります。それはまあこの
請願の件に關聯したことでありますが、もう一つ一體
勤勞者の
教育という
意味でいうならば、勞資
關係調整法というようなことに關連いたしますが、
勤勞者に本當に勉強するだけの餘裕を與えられる情勢を作
つてやらなればいけないわけであります。これを
夜間課程についていうならば、例えば午後五時から始まるとすると、必ず午後五時から暇を與えてやるのでなければならない。
定時制であるならば、一定の地域に
高等學校の
授業が始ま
つておるときには、それだけの便宜を與えてやるのでなければならない。こういう
方面の顧慮をどうするか。勿倫羽仁君のようにして、
委員會においてそれらの
意見を決定し、いろいろな
方法でこれを
實現するということもありましようけれども、行政當局としても、この點をお
考えにな
つて、單に
青年學校の昇格とか、或いは新らしい
學校を設立するとい
つても、そういう
方面のことを何ら
考えないということになると、不深切も甚だしいと私は思うのであります。特に先程の御
説明は、現在の暫定
方法としては名案の一つと思うのでありますが、來年度ですか將來今の中學が昇格したとか、或いは新らしき
高等學校に
なつたとして、その全日制の完備した
高等學校を
中心に、
定時制の
高等學校を行い、分校を作
つて行くという
方針は、暫定的には非常に結構ですが、それは當然全日制の高校の教員の勤勞過剰、勞務過剰ということを招來するに違いない。非常に負擔が重くなる。分校にも出張する。本校においてもいろいろやる。それでなくてさえ今のように教員の不足のときであります。ところがその教員の養成は、
青年學校の教員は少しばかりなんと言いますか講習をや
つただけでできるものでもないと思います。特に
勤勞者教育というものの
趣旨を徹底させた
意味の教員を養成するということになると、なかなか困難じやないか。そこらの配慮をしなければならんのじやないか。現在まで暫定のままでやるための一つの切拔け策としては了承いたしますけれども、それにしてもそこらの用意がやはり必要であるとこう私は思うのであります。