○
説明員(舟橋聖一君)
只今御紹介に預かりました
日本文藝家協会書記局長の舟橋でございます。今日は御
説明がありましたように、偶然に上りましたのですが、過日九月の十九日に私共の協会で理事会をいたしまして、その時の
意見で、是非協会の
意見を
文化委員長の方にお傳えしたいという希望が理事諸君にありましたものですから、その時の
意見書を印刷いたしまして、そうして本日こちらへ伺つたわけであります。その
意見書は山本勇造氏宛に書きましたのでございますが、丁度今日の
委員会がこういう
意見をお扱いに
なつておると伺いまして、非常に好い機会だからというので出席したのでありますが、併しその
意見書は極めて要約的でございまして、当時の理事会のニユアンスを必ずしも表現して余すところがないというところまでは行
つておりませんので、やはりここでできればそういうニユアンスに関しましても、お傳えできればいいのじやな、かというふうにも
考えるのであります。これは実は協会としましては、山本勇造氏に理事会に出席して頂いて、そうして審かに協会
委員の各
方面の
意見を聽いて頂きまして、当
委員会に諮
つて頂くということを最も適切と思いましたのですが、山本
委員長はいろいろ御多忙でございまして、当日御出席がなかつたものですから、そこで当日の理事会の動きを大体私が綜合いたしまして申上げたい。但し私は、又この協会自体もそうでございますが、大体作家の集りでございまして、作家というものは余り、何と申しますか、具体的なことばかりしか申しませんので、理論的な綜合的な
意見に欠けるところがございますが、
從つて私の御
説明も非常に一般的なことを申上げて、或いは余り具体的な言い方で
お話するかも知れないが、それはこういう場合に不慣れでございますし、いろいろな点で御了解願いたいと思うのであります。要するに率直に腹藝なく各
方面の
意見を取纒めて
お話したいと思います。
大体こういう問題が起りましたのは、漱石の商標問題が社会問題になりましたのが、切つ掛けでございますが、併し元々作家たちが
著作権の擁護に関して切実な要求を持
つておりましたことは、すでは長い昔からでございます。丁度同席せられる山本
委員長は無論のことですが、金子さんにしても文藝家協会の理事をしばしばや
つておられまして、過去の協会におきまして、
著作権のためには非常に働いて頂いた我々の先輩なんでありますが、併し戰爭中に
著作権問題は非常に等閑に附せられまして、殊に
日本文学報國会というような
團体ができまして、これが文士、作家の統制
團体として発足しましてからというものは、
著作権擁護のような問題は、全く放置せられたのでございまして、そういうことを口にすることさえもが、何か惡いことのように
考えられたというような
実情がございます。要するに
著作権の問題は約ここ十年ばかりブランクに
なつていたわけであります。折角曾て
著作権擁護のために闘かつた仕事は、そのまま中途で燃え残りに
なつてしまつたという感じがしておるのであります。戰後におきまして、
從つて当然そういうものの、今まで長い間等閑に附せられておつた
著作権問題が当然問題になるのでありまして、
從つて日本文藝家協会はやはり当面の問題として
著作権擁護の問題に乘出して來たのは無理からんことだと思うのであります。そういう時にたまたま漱石問題が起りまして漱石問題に関しましては協会よりも先に手を付けましたのが著作家組合というふうなところでございまして、著作家組合と
出版協会とであの問題をいろいろ問題にして來たのでありますが、本來から言いますると、
日本文藝家協会は文藝家の立場でありまして、著作家組合と違います点は、こちらは作家、評論家と言いますか、文藝家だけの会であります。著作家組合はより廣い範囲の全著作を網羅しておりますから、スケールは非常に大きいのでありますが、漱石問題につきましては協会の方が或る意味において篏まり役であつたかも知れないと思う節がございますが、併し一般的には協会は
あとから……出足が少し遅れた形に
なつております。そうして私が
出版協会の
委員会に招聘されまして行きました時は、すでに
結論に近い状態でございまして、もうすでにいろいろと討議された
あとでございます。
從つて私としては
あとから出しやば
つて行くような形に
なつたのであります。併しそのときの私の率直な、直観的なこれも把握でありますが、直観的に申上げますと、漱石一家が非常にああいうことをやつたことを非難するというか、漱石遺族の彈劾というふうな空氣の方が濃厚でございまして、そうしてそういう漱石遺族が或る一部から言えば甚だ文士の遺族らしからん振舞があつた。藝術を、作品を商品化するようなものがあつた。その点我々のセンチメントには適さないというような
意見から、これを彈劾するという空氣がございましたにしても、私の
意見では、それは併し、漱石遺族としても苦しい手であつた。苦しまぎれの手を打たせたものはなんであろうか、そういうところに触れないで、ただ現下の当面だけを、表面化したところだけを取出して、あつちが殴つたから……併し殴るにはいろいろの
事情があつたのではないか、そこらは等閑に付しておるという感じが否めなかつた。そこで私としては協会の立場におきまして、その
意見書にとにかく現行
著作権法が不備だということを認識して貰いたい。それの認識がなくて、ただ漱石一家が商標権を持ち出したというだけを問題にして、そうしてそれによ
つて作家を擁護するのは卑しいというふうな
考え方に出るのはまずいのではないかというふうな私の
考えを申上げたのでありますが、幸いにそれは賛成を得まして、この間の
出版協会特別
委員会の
意見書の昌頭には、我々は先ず何よりも先に現行
著作権法の不備を認識するということを掲げたのであります。併しそれは
あとから私がそういうふうに
ちよつと曲げただけでありまして、大勢は何と
言つても漱石問題については、
著作権法の不備よりも何よりも、とにかく漱石の遺族がああいうことをして本屋を泣かせたという点、それが大体の輿論でありまして、殊に小宮豐隆氏や安倍能成氏の
意見のごときは、全く間接に
出版協会の独占的利益を擁護するというふうな言い方で來られておるので、協会としてはこれに対しては非常に反対なり、不賛成なりの
考え方を持
つておるのであります。これにつきまして理事が集まりまして、そうしてとにかく先ず現行
著作権法の
改正ということを是非強力にお願いしたい。併し何分作家達でございまして、作家は鷹揚を以て美徳とするというような
意見も片方にあるくらいでございまして、余り作家がこせこせと飯のことや何かのことを言うのは文人らしからんというセンチメンタリズムに禍いされまして、そうして
法律上の知識がございませことも禍いいたしまして、そのために我々としてだけの
意見を纒めたところで、それが何らかの強力な政治的な行動に移らない。それではやり切れない、これは是非國会の
文化委員会に陳情して、そうして國会の政治力を背景にいたしまして、我々著作家の立場を擁護して頂きたいというようなことになりまして先ず現行
著作権法の
改正に関しまして、強力な何か公的な特別
委員会を設置して頂きたい。そういう場合はそのメムバーに我我が入るということに関しては、絶対的に御協力を申上げる準備があるというふうに先ず
考えたのであります。それから
著作権法
改正に関しまして、いろいろの説がございますが、実はこれはまだ協会自体といたしましても、何年くらいがいいだろうというような年限に関しましては、実は完全に一致は見ておりません。これは一致を見るのはなかなか困難でありまして、理事会で決めましても、実はどうかと思う点がございますから、成るベく廣く各作家の
意見を聽きたいというので、それらを集めておりますのですが、つきましては、大体二十五年説と三十年説と五十年説と三説がございまして、これに対しては、これからも檢討を続けて行きたいと思いますし、各
方面の
意見を徴したい。そうして最も公平な、妥当な
結論に達したいということを我々は切望しておりますのですが、ただこの間におきまして、さつきも申しましたような、一部の極く道学者的なセンチメンタリズムが
文化財というものに一種のヴエールを掛けまして、リアリスチツクな
考え方を阻んで行くという、そのために本質を履き違えてしまうという、これは大体
日本の一部の姿だとも思うのでありますが、こういう傾向もなきにしもあらずで、事実小宮豐隆氏や安倍能成氏の
意見も殆んどそういう点ではセンチメンタルそのものであるというふうに
考えられますので、その点を警戒して行きたい。結局は
出版業著の利益を擁護することになるばかりである。そういう言論はたといそれが
相当有名な著作家から出たにしても、そこに我々が十分警戒を必要とするのではないか、又
出版協会というようなものの動きは、やはり
出版協会自体
日本の
文化團体である、再建
日本の
文化團体である、従
つて倫理要綱を以て
出版界を粛清しようというような点に関しましては、
相当公平な、つまり必ずしも
出版業者ばかりの肩を持たない立場に立
つておる筈でありますけれども、併し事
著作権というような問題になりますと、何と申しましても、
日本の今の
出版業者においては作者から印税をごまかすということばかりに汲々としておるというような長い歴史がありますから、その欲望から脱し切れないために、やはり
出版協会の動向というものは、どう
考えましても、必ずしも
文化的な点だけではなく、これは併し
出版協会の当事者が
相当文化人として優れた方であるということをなにも誹謗するのではないのでありますが、併し各
出版業というものの現実的な立場から
言つて、やはり業者の利益を、代表する形にある。そういう点から今度の漱石問題などでも実にはつきりしておるように、やはり常に
出版者側にのみ
意見が概ね傾いて行くというような傾向を見るにつけまして、この点を警戒したい。そうしてこの二十五年説、三十年説、五十年説というのは、これは私個人の
意見ではございませんで、各作家の
意見を代表して言いますと、二十五年説というのは、これは二十五年間は印税は二割でも三割でも、つまり本屋と作者との間で契約をしたその印税の率を本屋から支拂
つて貰う。併し二十五年後にこれを一般的な取決め、即ちその時の法定的な取決め、例へば一割二分とか一割とかいうふうに、大体國会なりがその
著作権法を決めまして、その
著作権法によりまて、二十五年以後二十五年間はこれを一割なら一割、一割二分なら一割二分というものだけを支拂う。作家との直接取り引きではなくなるというのが二十五年説の
考え方であります。三十年説は現行
通りを行うという
考えであります。それから五十年説はこれは一部
相当強い
意見でございますから、特に今日申上げて御参考に供しないと思うのでありますが、これはつまりすでに漱石が三十年経
つても賣れておるではないか、そしてこれから先谷崎潤一郎、里見淳というような作家がどんどん出て来た場合、三十年後においても
著作権問題は
相当紛糾する可能性がある。これは現行の
出版部数と漱石生存中
出版した部数その他から
考えまして、漱石だから三十年後も賣れるが、もうそんな作家はそんなに出ないのだということは言い切れないのでありまして、むしろ今日の
出版部数を
考えますと、今日の作品が三十年後においてもまだ十分に販路を持
つておる、その場合にどうするか、三十年打切り説といたしますと、これはどうしてもその後は賣れるものを本屋だけが儲けて、遺族の方へは廻らないという形になるに違いないのでありまして、その場合は本屋だけが印税を確実に読者の方へ拂い戻してくれれば、遺族としてまあ何ともないにしても、実際問題として本屋はその印税を定價の方に拂い戻しをするかどうかというようなことは、そういう細かい勘定ずくの話になりますと、大体
日本の官僚的な
役所ではそういうことの見当などはできる筈はないのでありまして、長いものに巻かれろでありまして、大体本屋の親父の言う
通りが正しいということに、これはなるのであります。
從つて定價を附ける場合に、本屋の方の定價の付け方は、二割儲かるとか三割儲かるとか、天引き頭で定價を附けて行きますので、印税のごときは、殆んどこれはまあ大体今では製本屋の製本代より少し高いというような印税でありまして、そういうものをまあ拂えばそれでよいということに大体
なつております。その
関係から言いますと三十年後において本がどんどん賣れる場合に競
つて本屋はそういうものを出して行くに違いない。それは儲かればそういうものを必ず出すに違いないのでありますから、そこに三十年説がすでに実際問題としてはこれから先き紛糾を見るに違いないという感じと、それから三十年説の根柢は、死んだときに一歳だつた者が三十年経てば三十歳だから、もう独立できるという
考え方ですが、遺族を保護するかどうかという問題よりも、むしろ
一つの著作がどれだけの権利を持
つてよいかということに
觀点が置かれるべきではないか。遺族の窮情を救うとか救わないとかいうことは、やはりこれは曖昧でございまして、果して本当にどこまでが窮情と言うべきであるか。窮情らしい窮情もあろうし、いろいろ窮情にもありまして、一方的な
申出では必ずしも窮情と認定できない。となりますと結局窮情と決めるということにも、今のセンチメンタリズムが入
つて來る惧れが十分ありますので、そういうことをどこで決めるかという点にも疑義があると思います。それから子供もそうですが、配偶者の
関係もございますし、要するにこれはいろいろの説がありましたのですが、とんでもない遺族が出て來て貰う場合も起る可能性がある。そんな者に馬鹿々々しいじやないかという説もございました。要するにこれはそういう遺族の状況とか何とかいうことで立法せらるべきではなくして、著作の権利として、その作者の死後五十年くらいがよいじやないかというふうに
考えられるという点が、五十年説の根柢であつたようなわけであります。例えば、たとい著作家の遺族がどんな強慾無道な男であ
つても、権利は権利でないだろうか、強慾無道であるから権利を失うべきであるか。そういう問題に立入りますと、我々は
法律のことは分りませんが、
法律というものはそういうもんじやないかというふうにも
考えますので、五十年説というものを主張する側の方からは、
相当強くこれが持出されて來ておるのであります。その点を著作家組合の方では殆んど三十年説で決定いたしまして、その後三十年間を特別
委員会か何か拵えまして、そこでその印税を貰
つて、それを適当な
文化事業に分けようというようなお考であるようにこの間拝見したのでありますが、併しその場合は今申しましたように、窮情というような問題についてもはつきりしないという点がございまして、多少の疑義は残
つておりますので、まあ文藝家協会としてはこの点は纒めておりませんが、併し
相当有力な説として今の五十年説、或いはそれに代るべきものとして二十五年・二十五年説というような、二つの
意見が流れております。外にも無論三十年説そのまま
通りという説も流れております。これらを
一つ綜合いたしまして、そうして適当な
結論に行きたいということを我々としては尚感ずる次第でございます。
尚その
著作権法が
改正されるまでの間、尚これからもすでに三十年の期限の切れて來る作家もございますし、旁旁著作家と
出版業者との間におきまして紛爭が
相当頻発するものと
考えられますので、その間過渡的にでも
著作権調停
委員会というようなものを國会の
責任において設置して頂いて、そうしてそこにはできるだけ各
方面の知識階級、知識経驗者をお願いいたしまして、そうしてそういういろいろな紛爭の解決に具体的に当
つて頂きたい。今囘の漱石問題のような問題が今後も起る可能性がございますので、その場合にはそこへ持
つて行
つて諮る。そういう場合に著作家側の
意見も
一つ是非反映して頂きたいというのが我々の希望でございます。
話は少し違いますが、
目下この外にも例えば
著作権侵害は隨所に起
つておりまして、映画
関係でございますが、映画の方で現代の作家の作品が、細かに調べれば恐らく十本くらい、大まかに言いましてもはつきり出て來るのが五、六本は直ぐ頭に浮ぶ程度に
著作権の侵害を受けておるのであります。これにつきましては文藝協会としては映画連合会の方へ嚴しい要求書を差向けたのでございますが、
著作権法が実際はあ
つても、実に簡單に蹂躙されておるという事実、これは映画界その他におきまして顯著に最近現われて來ておりまして、大体物を書かせるということにつきましては、著作者もなにもないという頭から、つまり書かしておいて、それはどう使おうと、使う方は何遍使
つても同じだ、書きさえすればいいのだ、書く時間は同じだ、一度書いてしまつたら、それが当
つても当らなくてもいいのだというような
考え方から何囘でも何囘でも映画を撮し直しまして、そうして只で上映しておるというような傾向は、映画界に非常に頻発しておるのであります。
從つてこういうふうな民主的な世の中になりまして、段々民主的な圧力で不良
出版社というものが実際に消えてなく
なつて行くだろうという希望的観測は、我々も持
つておりますが、併し顧みまして
実情としましてく、今言つたような
著作権が頻々として侵害されておる、それが特に官僚的な
團体である放送協会等において最も簡單に蹂躙されるという数々の事績がありますので、そういう点からいいましても、これは
一つ十分に著作者側の立場を諒として頂きたい。そうしてこれ程
著作権が侵害されておる我々であるから、
從つて今度の
改正さるべき
著作権法におきましては、十分に権作家側の立場、長い間我々が
出版者側から搾取されて來た長い間の歴史を参照をせられまして、作家に有利な
著作権法を作
つて頂きたいというのが我々の陳情したい眼目であるかと思うのであります。甚だ不備な言い方でございましたが、大体の
意見を申上げた次第でございます。