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証人(
井出正孝君) 御指名に預かりました
井出でございます。私の
立場はどつちかと申しますと、
生産者の
立場が相当強いと思うのであります。又同時に
東京都の最近の魚の入荷
状況等に鑑みまして、極く僅少な部分でありますが、
東京都にこのいわゆる遠洋底曳網漁業の魚獲物を特に余計に持
つて來たいという
生産者團体の念願から、引受機関を
東京でいたしております
関係から、同時に
配給の部門も多少受持
つておるような
立場でありますので、それらの点から通じました見方、並びに多少從來から
水産に
関係しておりました者としての観察を加えまして、本日主題にな
つておりまする
水産物、殊に
鮮魚介の
集荷配給の
機構につきまして、意見或いは見ておりまする
実情を申述べたいわけであります。現在の
鮮魚介の
集荷配給機構が樹立せられまして、まだ間もないのでありまするが、戰後一時自由になりまして、更にそれが戰後の
生産の未だ囘復をしない当時の
事情、実は順次急速度で
生産部門が囘復しつつありましたのでありますが、その時に当
つて、從來の戰時中の
統制を外しました
関係から、非常に一時魚の
價格が騰貴するというような現象を呈しましたのであります。ただ半面において、相当に大
消費地方面には入荷が当時あ
つたわけでありまするが、とにかく一般の勤労大衆としましては、当時の物價の
事情、賃金の
事情から見れば、なかなかあの
價格で魚はこれを購入し難いというような
事情等から、もう一遍更に
統制の枠を順次入れて参りまして、本年更に現在のような強化された
集荷配給の
機構ができて、それが実施せられるということにな
つて、今日に及んでおるのだろうと思うのでありますが、私共当時からこの強化される
機構ができまする際に、これはもう少し考えて行くべき点があるのではなかろうか。この点
集荷配給の
統制機構は、これは
價格も同様の問題でありまするが、必ずこれは失敗に帰する。恐らくこれを希望される大きな原因は、
消費者の部面にあ
つたものであろうと思うのであります。又現に本日この
証人でここにおいでになりましたお
方々の、その方面等のお話を承
つても、そういう点に十分な期待を持
つておられたように思うのであります。併しながら私共の見るところによりますれば、
鮮魚介と申しますような品物、それは非常な貯藏力のない特殊な物であり、又
生産の大部分という
ものが、非常に多数の
地方にばら撒かれて
生産せられ時期も非常にまちまちである。又その漁業の相当部分も、農業その他の如くに天候に支配されるが故に、収獲量の増減が、必ずしも直ちに前から予想されるわけに行かないというような
生産部門が相当に占めておるというような
もの、かような
ものを果して全國の重要な場所に指定の陸揚げ地を設け、そこでそこに
出荷させて、それを一定の方策の下に正直に、大体
消費者の多い
地方に、その
消費者の分量に應じて
計画的に、それを指図して
配給させて参る。
出荷させて参る。そうすると
出荷した物は、更に
消費地において幾つかの
荷受機関がそれを引いて参
つて、更に一纏めにして地域
配給の、末端
配給へや
つて参るというような、これはなかなかその作文上においては結構な、大層立派にできておる。それがその
通りに
実行されるならば、誠に
消費者はこれに結構な
ものであるという期待を持つのでありますが、これは一面において
生産事情にマツチしない即應しない、誠に
生産者にと
つては、
生産が今後伸びて行くということを相当抑えることになるという傾向になる一面においては枠であり、又
消費地にこれを持
つて参る中間の各種の
配給業者に取りましては、これ又
價格その他の
統制から、誠に仕事がしにくいというような事柄からも、正直にその
通りにや
つて参ることが、必ずしもできないというような
実情があり、又末端
配給においても同様なことであるというふうなこと、及び先程來いろいろお話のありましたように、魚の非常に腐敗の甚だしいというふうな特質から見ますれば、これの
鮮度を保持して、できるだけ新鮮な物を限られた輸送力によ
つて、
消費者へこれを到達せしめるという操作をしまするに当りましては、現在の如き公定価格並びに
配給の枠の範囲においていたしまする場合においては、勢い正常の
配給の過程に乘ります魚は、なんと申しても最も悪い物、言い換えれば非常に取れて、その
地方地方においてあま
つた魚を、どうしても大部分その
ルートへ乘せて参るということにこれはどうも個々の産業が一面において自由にやるべき
立場にある以上、これは無意識な間にそういうことになるわけであります。從いまして魚の
鮮度保持というが如きことをいたします
見地から見れば、逆なことに遺憾ながらならざるを得ないのであります。
生産者方面におきましても、この魚がこれだけの手を掛けて、良心的に処理をいたして参るならば、その結果はこういうことになるということが、直ちに報いられるが如きそれぞれの仕組にな
つておりまするならば、從業者或いは漁業者相共に
鮮度保持ということは勿論これは良心的にやるわけであります。殊にそれが
消費者方面から、或いは中間の取扱業者方面からの刺戟、制裁が自由な時代においては、十分にありまするが故に、結局そうすることが最も
生産者にと
つて利益であるということになりますが故に、
鮮度保持を十分にやるわけであります。ところが現在の如き
制度におきましては、どこへやるということも指図せられ、而もその先も、同じ目方の物であれば、新しい物であ
つても古い物であ
つても同じである。よく水洗いをして送
つた物、或いは増し氷をして送
つた物であ
つても、それが比較的そうでなくて送
つた物でも、十貫目はやはり十貫目に仕切られるということになりますれば、それだけの操作をこれに加えるということは余程特殊な良心的にやる、極く僅かな
生産者以外に望むということはできないわけであります。さような点から考えて見まして、現在の
鮮魚介の
配給の
機構の下におきまして、
消費者に対して先程來もいろいろお話し、又御期待もありますが如き、優良な魚をできるだけ低廉な
價格において供給をするというような趣旨に基くこの
制度が、この本旨
通りに行い得ない。むしろ逆な
効果を來すということは、どうもこれはこの
制度の運命的な止むを得ない点ではなかろうかと思うのであります。でそれをしまして、いろいろな
方法で是正して参れば、できるではないかというふうな議論から又この
制度が是認せられ、今日も十分に各方面から努力されて、支持をされておるのかとも思うのでありますが、その
一つは、恐らく監督を嚴重に十分や
つて置くということであろうかと思います。先程來もさようなこの種の仕事をやる以上は、全部監督
取締りを徹底的にや
つて貰わなければならんという話があります。考え方としては、そうなのかも知れませんが、恐らく
生産の、非常な廣汎に互る、又取捌き方の一刻、一瞬を要しまする如き、かような何と申しますか、貨物の取引、取扱いに対して、日本全國の津々浦々から中央に至るまでの
官憲を同じ心で果して抜け目なく監督ができるか。又これを
政府の機関と相俟
つていろいろ世話をする
立場にあるそれぞれの機関も一体にな
つて、これに協力するというふうなことが果してできるかどうか。その点は非常に私は率直に申せば、その事柄自体が
人間の大体情状に反する要求であろうと思うのでありまして、到底これを
國民全体から支持を受けて、さような嚴格な監督を実現するということは、遺憾ながら私はできないのじやないか。これが実際に問題じやないか。そういたしますれば、一体この問題は、もい少し元へ立ち帰
つて考えて見なければならないのじやないか。唯一の期待でありまする
消費者の方に対して、この
制度をどう運用して見ましても、
消費者の希望に叶う。殊に大
消費地、人口の多い場所におきまする勤労大衆の少い
收入の中から購買力を出しまして、買取る大衆の重要な食糧として、今のような從來期待されておる如き結果は、これによ
つて到底望まれない。しますればこれをもう一遍根本から考え直して、要はさような
消費者大衆に、
生産せられた、日本全國で
生産せられる相当分量の
水産物が供給せられればよいということに、これは
消費者側としてはなる
ものだと思います。私共都会の勤労者の一人として、
消費者としてもそう思うのであります。としますれば、この問題は、全体をもう一遍振り返
つて考え直して見て参る必要がある点が多いのではなかろうか。こう考えるのであります。それは一面において、
生産方面をもう一遍能く振り返
つて見る必要があるのではなかろうかと思うのであります。戰後一時
水産の
生産という
ものは非常に減退しおりましたが、最近はそれが囘復をして、
生産力は非常に増大はしております。固より戰前の非常に
水産物の供給の多か
つた時代に比較すれば、まだ足りないことと思うのでありますが、先ず國内の
消費地に充て得る分量としますれば可なり殖えておる部分があるのではなかろうかと思います。又現在の
統制の桎梏の下にあるが故に、伸ぶべき
生産が伸びずにおるというふうな方面が、この
生産のかような
制度の是正ということによ
つて更に一段と
生産も上るというような勘定をも入れつつ
計画を立
つて参るということになりまするならば、一面において、
生産を飽くまで増加して参るということと、それから要は
消費者方面に十分に
配給して参るという
方法を講ずるということになるのではなかろうかと思うのであります。或程度
生産が上
つて参
つており、又今後殖えつつあるという点から見ますれば、これらの
ものは、大体原則として早く、成るべく早い時期に
價格並びに
集荷、
配給の
機構をむしろ思い切
つて撤廃するということが、結果においてよろしいのではなかろうかと私は思うのであります。大体
水産物の如き
ものは、やはり各人のそれぞれの
生産者から
配給に至るまでのそれぞれの
立場の
ものが、それぞれの力を持
つて最も購買力の多い方面へ、自然にこれは供給せられて参るということになるのでありまして、その自然の原理を飽くまで建前のして参
つて、この勤労大衆の購買力の、比較的他よりも弱い部面がありますればその点についての何等かの調節を加えて、その方面には、特にこれを十分に流して参るというような操作をその部面だけについてや
つて参るというような考え方をいたして参
つたならば如何かと思うのであります。
大体そういうことを……、更に具体的に考えますれば、勤労大衆の購買力の比較的詰
つておるところへ、とにかく重要なる蛋白食糧としての魚を或相当な條件の下に
配給して参るという操作をいたしまするのでありまするから大体放
つて置きましても、人口の多いところという
ものは、大雑把に言えばやはり需要の多いところであります。從いまして相当に
生産が上
つておりまする
現状でありまするならば、各種の
配給に当る
もの或いは
生産者が、
配給をやる
ものという
ものは、大体そういうところへ向
つて総ての魚の供給のサービスをやる
ものと見ていいのではなかろうか。そういう点から見ますれば大体論としてはそうなるのじやなかろうかと思うのでありますが、特にこの経過的な考え方としましては、漁業の中でも、先程全般的に相当部門の漁業は
生産的に見ますというと、非常にこれを
計画的に進めて行くことはむずかしい種類の漁業が大部分であると申したのでありますが、しかし一面において、又極めてこれに資材、その他を重点的に
政府において見てやりまするならば、その部面の漁業という
ものは、要するにそれだけの働く資材という
ものを綜合的に國家が世話して参るならば、兎に角漁業をや
つて相当の漁獲を上げて参る、引上げて参る、漁獲物という
ものは、非常に一遍に多量の
ものをそれぞれ一定の漁業の根拠地を持
つて参り、その持
つて参
つた漁獲物は結局これは
生産者の側としましても、必ずそれをいずれ
かに賣らなければならん。現在の如き
制度の下におきましても、それらの漁業という
ものは、恐らく殆ど百%或いは百%に近い漁獲物の全量をよかれ、あしかれ現在の公定
價格で現在の指定せられた
配給機関に渡しておるのであります。これらの種類の漁業という
ものは、大体これは営業性の漁業であります。これらの漁業という
ものに対しまして、現在油とかいうような
ものの面等リンク制で見ておりまするが、あんな程度でなしに、各種の不足資材があるわけでありますからそれらをいずれ闇で可なり調達しておりまする経営状態ですから、大体必要な分量を大体公定
價格というような合理的な
價格によ
つて、特に重点的にその方面に
配給して参るというようなことをいたしまして、それによ
つて生産された魚は殆どこれを全部一定の
價格水準の下に、一定の
ルートを通して大
消費地に持
つて参る
計画に持
つて行くということにして、それを勤労大衆に
配給せられる魚の
一つの中心にして放出して参るということにいたしますれば、その他の魚、沿岸性の非常に多数の分量に上りまする魚は又おのずからそれについて、それぞれの市場へ相当集ま
つて参りますれば、おのずからかような
ものは特殊な財力のある者が買溜めをするということによ
つて、需給
関係の自然な状態を狂わせるようなことは殆んどないのでありますが故に、おのずからそれに合せて、それとの間に適当なる魚の自然の効用價値において
價格が決まり、又それが消費部面に
配給せられて参るというふうなことに相成るのではなかろうかと思うのであります。そういうふうに魚の需給
関係をおのずからの経済操作によ
つて一つの落ちつくところに落ちつくように、この体制を建て直して参るということが一番いいのではなかろうかと思うのであります。そこに至りますまでの間一時或いは現在の
マル公よりも特殊な魚につきましては、
價格が上りますことが出るかも知れませんが、又同時に現在の最近決められました
マル公によ
つて指定せられた如き
價格では、自由な
配給になりますれば、或時期を経ますれば、あの
價格では到底
消費者がこれを相手にしない。仮に相手にするにしましても、もつと効用價値のよい、
鮮度のいい
ものでなければ相手にされないというようなことに大体な
つて参り、おのずから全体の物價水準に合せたいいところに魚として参り得るのではなかろうか。固より全体の物價体制が非常に不安定で、不幸にしてインフレの如きことになりますれば、その全体に應じて魚の場合でも
價格の水準は上らざるを得ないのでありますけれども、さような点が今後どうなりまするか、仮に
一つの常に落ちつきを見せ得る
ものであるといたしますならば、その範囲において魚の占むべき地位という
ものが
生産事情並びに大衆
消費者の購買力という
ものから、おのずからそこに
一つのバランスがとり得る。尚それに多少購買力の弱い点は今申した如き、特殊な
ものは國家が世話をして
計画生産をし、
計画に供出せしめ得る相当
数量の漁獲物を大量的にさような
消費地に持
つて参
つて、これを放出して参るというような考え方を合せて補正的にと
つて参るならば、先ず現在の殆ど無意味と申しに近い
配給統制機構を
撤廃いたしましても、その副作用たる非常に物が高くなるというような面、或いは金のある者だけに魚が参
つて、勤労大衆には手がつかんというような、曾て一度試みた際の如き危險は先ず起らずにその操作を
割合に樂にや
つて参り得る点があるのではなかろうかと思うのです。ただここに幾つか問題になりますのは、今申しましたような重要な、相当
計画生産をなさしめ得る如き漁業に対しまして、その漁獲を全能力を発揮せしめるに足るだけの、各種の資材を
政府においてこれを後見をし得るかどうかという点が非常に懸念であります。併し一面業者はなんとかして現在でも不足ながら、それらの資材を諸方から掻き集めて仕事をしておる
実情から見まして、
政府といたしましてここに御決心がつき得るならば、相当な資材を重点的にそういう方面に廻し得る操作も必ずしも不可能でない。私共から見ますれば、やればできることではなかろうか。それができまするならばこれらの漁業は相当な
計画生産を上げその上げられた漁獲物はこれを挙げて一定の
計画配給へ廻し得るのじやなかろうかと思うのであります。
これを要しまするに、大体これらの
統制の枠を外して、今申した如き本当に重点的に資材の世話を徹底的になし得て、漁業
生産を
計画的に上げしめ、それを全部挙げて一定の
配給ルートに流さしむる如き漁業にのみ或種の
統制をや
つて参る。
報奬的にや
つて参るというようなことを残して、その魚を以て、操作的な魚として市場を一時調整して参
つたならば如何かと、かように思うのであります。それと同時に消費部面におきましても、
消費者はなんとしてでもよいから自分の方に魚が來ればよいのだ。これが
実情であり、又心情でありますが、ただそれだけのことでなしに、さような体制を受けて、古くから申されておることでありますが、できるだけ
生産者から
消費者に直結するという
消費者としての集團的な受入れ態勢を
一つの生活協同の意識の下にや
つて参る。それにこういう特殊な魚の如き
ものを取扱う技術という
ものを十分にみずから利用して参る心構え、態勢をと
つて参るということにいたして参
つたならば、この中間におきまする各種の思わない方へ反れるという問題、或いは
生産者と
消費者との間の
價格の非常な距離のある問題等がそこに非常にきり縮ま
つて参り得る可能性があるということ、並びにそういうことをすることによ
つて、同時に商業的に魚の
配給のサービスをいたしまする諸機関のサービスを十分に改善せしめ、刺戟して参り得るということに役立つわけでありますので、その点を同時に
消費者方面としてはもつと具体的に考えて見る必要があるのじやなかろうかと思うのであります。これは私の方の
水産組合が本年の一月、二月以來長崎とか下関、福岡方面のいわゆる大型底曳網の魚をできるだけ
東京に持
つて参りたいということで
計画いたしました際に、これらの魚をできるだけ
消費者に直結したいという念願で、いろいろ生活協同組合、或いは消費組合という
ものともう少しこれが結び付き得ないかということを具体的にも御相談をしたのでありますが、
東京都の消費組合、生活協同組合においても可なり御苦心にな
つておりますが、遺憾ながら魚の取扱については、極めて幼稚と思われるのであります。私共のように
生産者から荷をお預りして
東京へ持
つて來て賣捌くという
見地から見て、果してああいう
方々にこれをお任せしてどういうことになるか。一方において命をかけて荒海から取
つて來た魚の
配給賣捌きを委託されておる者としてああいうどうも、私共も素人でありますが、私共よりももつと素人つぽいお
方々が大部分である
方々に、これをお願いしてよろしいかどうかという点に率直に申せば非常に危惧の念を抱いたというような感もあ
つたのであります。その後それ等は非常に日進月歩で御訂正にな
つた点もあろうかと思いますが、当時はそんな
実情があ
つたのであります。さような点を、これは
東京都あたりにおきまする消費大衆としては、もう少しこれは地に即して、本当に
鮮魚を扱
つてお
つた、何と申しますか、技術方面の充実というふうなこともやりつつ、
消費者としての要求を余程御期待なさらなければいけない点があるのじやなかろうかというふうに私共実は考えておる点もあります。これを要しまするに、私といたしましてはどうも現在の
價格を含めました、全面的の
鮮魚介の
配給統制機構という
ものに対しては、非常な疑義を持
つております。これが到底満足に所期の目的を達し得る
ものだとは思わないのであります。更にこれを強めて申しますれば
生産方面においては、伸ぶべき
生産をこれによ
つて可なり阻害されておる部面があるのじやなかろうかと私は
思つております。
固より
生産が現在阻害されておる原因は、
價格は勿論でありますが、資材の不足等もありまするが、公定
價格並びに
配給統制という
制度に非常に阻害されておる点があるのじやなかろうかと思います。正直にこの
配給機関に出します
ものは非常な
生産上の赤字になり、不正直に出します
ものは、これは闇で行いまする
関係で、大規模の再
生産を考えて参るということなどは及びもつかない
ものであろうと思うのであります。これはその日暮しの漁業
生産がこの
制度によ
つて継続されて、むしろ
ルートに乘らない魚の
生産者方面は恐らく一種の縮小再
生産の過程の入りつつあるのじやなかろうかと私は遺憾ながら思うておるのであります。かような状態に一方
生産をして置きながら
消費者に対する不満足な
配給しかできないという面を考えますと、又
消費者に対しては、殊に
鮮度の落ちた肥料にも近い、結局
生産地方面において、食い残り、使い残
つたものが相当参るというような誠に情ない結果にな
つておるということは、今後その弊害の方面のみが助長して参
つて、期待されたよき面という
ものが果して期待し得るかどうか、私としましては率直に申せば非常に疑問に思うのであります。簡単でありますが、私の意見はこれで終ります。