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公述人(土屋正三君) 只今までお述べになりましたることを重複する點もございますが、一應卑見を申上げます。今囘の
警察は
國家のための
警察から
國民のための
警察に變るのでありまして、これは
日本の國に取りましては非常な大轉向であります。
從來國家目的のために濫用と言
つても差支えない
程度までに擴大せられました
警察の
權限は、今度の
制度によりましてその本來の分野、即ち
國民の生命、身體及び
財産の保護、犯罪の搜査、被疑者の逮補、
公安の
維持というようなことに復歸するのでありますから、この
意味で法安の第
一條というものは、非常に重要な意義があると思うのであります。
併しながらいかにしてこの
法案第
一條の立法
趣旨を貫徹するかという
具體的の方策は、何らこの
法案に書いてない。
民主化せられました
警察におきましても、職權濫用の危險は決して絶無とは申上げられません。否、それが
地方自治の腐敗とか政黨の弊害と結び付きますと
國家警察の時代よりも更に一層甚だしいものがあるだらうと思うのであります。この
法案は大體においてアメリカの
制度に倣
つたように私は思いますが、アメリカの
警察に關する書物を見ましても、黨弊が
警察に侵入することをいかにして防止するか、これに隨分澤山のページを使
つて書いてあるようであります。
警察内部の經驗を持たないで、外部からの觀察だけによ
つて警察というものは實に勝手なことができるものだと思
つておる
人々が、一朝にして
警察權を掌握いたしますと、そこで警戒しなければならんのは、
警察權の濫用であります。殊に
日本人は封建制の殘存物がまだ取きれないとでも申しましようか、
警察に對する非難は盛んにいたしますが、
警察の言うことには不平でありながらも服從する傾向が強いのがありまして、何事によらず
警察をしてやらしめることが便利であると
考えられております。
從つて警察權濫用の危險は、アメリカにおけるよりも
日本の方がずつと大であると言わねばならんのであります。
明治
憲法の下におきましては、例の
憲法第八條の
警察命令で
警察法規が澤山できました。その大部分は議會の協贊を經た
法律ではございません。
命令、それも警視廳令、或いは
府縣令、
地方官の勝手に制定できるものであります。そのために
警察權が非常に濫用されました。新
憲法では、
原則として法規は
國會の制定する
法律に限られることでありますし、又
警察行政の中樞が
國家公安委員會或いは都道府
縣公安委員會に移りまして、
一般行政の責任者である内閣各省、或いは知事の直接所管からは離れるようでありますから、
從來のような行政上の便宜のためにする
警察命令の濫發による
警察權の濫用の危險は少くな
つたとは思われますが、それでも新
憲法の下におきましても、或いは
法律の委任を受け、或いは
法律の實施のために、政令その他の
命令を發する必要があろうと思われますから、今申しましたような危險が絶無であるとは申上げられません。要するに都道
府縣といわず、
市町村といわず、
警察權が濫用せられ、
法案第
一條第二項の
規定に違反して、同條第一項の
範圍を逸脱する危險は少くないと
考えられますが、これに對する防衞
方法が、この
法案では明らかにな
つておらんのであります。これを立法的に明示することが最も望ましいのでありますが、それが困難であるならば、例えば
警察法規の制定であるとか、或いは重要な政策の實施というものは、
國家公安委員會の許可又は認可を取るというような、監督
方法によ
つて、行政的にでも
警察權濫用の防止方策を構ずることが必要じやないかと思います。
この
制度は大體アメリカの
制度に倣
つたものと先刻申上げましたが、アメリカの
警察制度は權力の
地方分散、デセントラリゼエシヨンと相吾牽制、チエツク・アンド・バランスとに重きを置いております。その結果能率の發揮に十分でないという缺陷がないとは言えぬという批判があるようであります。その批判は今度の
法案についても同じようなことが言えるのではないかと
考えられます。近頃のはやり言葉で集中排除ということがあるようでありますが、今度の
法案にもやはりこの
警察力の集中排除が一つの狙いであるように見受けられます。
地方自治の
原則を推進するという前文がありますが、その
見地から申しますと、生命
財産の保護とか、公共の秩序の
維持とか、このようなことはできるだけ
個人と社會の責任の自覺を通じて、市民各自の手で共同にや
つて行くということが本旨であるとも言えましようし、又英米等におきまする
警察發生の歴史を見ましても、それが
事實でありますから、
從來のような
國家機關の手による
警察權の濫用を防止する
趣旨からいたしましても、
警察行政における
地方分權ということに對しては、本質的に何ら反對すべきではございません。ただ
警察は
地方分散しても、
警察取締の對象である例えば犯罪のごときは、全國的、少くとも數
府縣に亙
つて行われるものがますます増加する傾向にありますから、分散いたしました各地の
警察の働きが相互に十分
連絡協力して行われるのでなれけば到底
目的を達することはできはせん。先程
戸倉さんから
お話がございましたが、檢察の
方面では古くから
檢事同一體の
原則とあうものが確立しておるようであります。
警察におきましてもそれは同樣でなければならんと思うのでありますが、然るにこの
法案によりますと、
國家地方警察に關する限りは、少くともその行政管理、この
法律は行政管理と
運營管理に分けておりますが、行政管理の
方面ではこれは
國家公安委員會から、
國家地方警察本部、
警察管區本部、都道
府縣國家地方警察本部、
警察署の一貫した系統において
指揮監督が行われておるのでありますからよろしうございますが、
警察の機能に關する
運營管理につきましては、これは都道府
縣公安委員會が獨自の
見地でこれを行うのであります。
警察管區本部長及び都道府
縣公安委員會は緊密な
連絡を保ち、
適當に協力しろというような
規定はございますが、それだけでは全國若しくは
警察管區に亙り、又は少くも數
府縣に亙る一貫したる
指揮命令下における犯罪搜査のごときは行いがたいと思われます。况んや
市町村警察になりまするというと、これは
國家地方警察の
運營管理、又は行政管理に服することはありません。兩者の
關係は單なる協力又は緊密なる
連絡の
範圍に止まるのでありますから、
市町村警察相互間、
竝びに國家地方警察と
市町村警察とを一貫したる組織的、系統的なる
警察の
運營管理はあり得ないのであります。
國家地方警察及び
市町村警察は犯罪の搜査については、隣接地五百メートルまでは他の
警察の管内でも仕事ができるということが書いてありますが、その半面五百メートルを超えました所に行きますと仕事ができない。どこが縣界から五百メートルかということは一々分かるものではありません。從いまして折角被疑者を追い込んで行きましてもみすみす見逃すというようなことがあると思います。かくては例えば京阪神の
地方であるとか或いは
東京を中心といたしましては、近縣
地方との相互
關係の所では、犯罪の捜査檢擧だけ取
つて考えて見ましても、能率の減退は著しいものがあるだろうと氣遣われるのであります。全面的な
警察運営管理の統制は、
警察地方分權の
精神に牴觸するかも知れませんが、第五十四條から五十六條の
規定を更に再檢討いたしまして、場合を限りまして、
警察の運営管理に或る
程度の統制を加え、これを
國家地方警察と
市町村警察とを通じて認めることが必要である。そうでないというと、
警察がばらばらにな
つて成績が上らない危險が少ないと思うのであります。これに關聯いたしまして、例えば
東京でありますとか或いは大阪等の大都會を中心として、周圍の
市町村警察や
國家地方警察を統合するいわゆる
大都市警察、メトロポリタン・ポリス、或いはレジヨナル・ポリスというような問題も
考えられますが、これにつきましては、第五十
一條、五十二條ですか、これに特例がありまして、特別區の存存する區域に關する特例が認められてあるのみであります。これによりますと現在の警視廳の管轄區域は三つに分れる。即ち特別區の
公安委員會による特別區が聯合してその責に任ずる特別區
警察と、その他の
市町村の
自治體警察と、それからその他の地域における
國家地方警察の三つにな
つております。現在一つの警視廳でさえなかなかうまく行かないのに、三つにな
つておる。かくのごとき
思想は只今申上げましたメトロポリタン・ポリスの
思想とは全然相反する
思想であると私は思います。
運營委員會の問題でありますが、今囘の
改正の眼目は
國家公安委員會、都道府
縣公安委員會、
市町村公安委員會だろうと思われます。
警察行政の中樞機關として
委員會制度を採るということは我が國では初めてであります。併しこの問題はアメリカではすでに試驗濟みのようであります。その結果は私の手許にあります材料は極めて古いのでありまして、甚だ恐縮でありますが、
委員會というものは
警察權執行の中樞機關としては不
適當であるという結諭にな
つております。大變古い材料でありますが、一九一五年の國勢調査によ
つて。
人口十萬以上のアメリカの
都市、六十三あるそうでありますが、その中で
委員會制度を持
つておるものは十七に過ぎない。それから
人口十萬以上の
都市で
委員會制度を曾て持
つたことのある五十二の
都市の中、一九一七年當時に
委員會制度を持ち續けておるものは十四市に過ぎないのであります。アメリカの學者が
警察委員會制度の弱點として擧げておりますところは、第一が
警察の仕事は素人の副業的片手間的の仕事ではない。パートタイム・ウオークではない。第二は
委員會の内部がややもすれば不統一になり易い。第三は
委員會は社會の各
方面の
意見を代表するので、法規とか方針とか手續とかの決定とか、或いは
一般的監督とかい
つたような愼重審議には
委員會は
適當であるけれども、法令や政策を特定の事件について實施するには、これは單獨の責任者の方がより
適當である。第四は
委員の人選が不
適當であり、政黨の弊害や市政腐敗の犠牲となり易いというような點を擧げまして、これに反對をいたしております。要するにこの
警察權の行使、この
法案で申しますと、
警察の
運營管理は、これは
委員會の特色である。
委員會制度の特色である愼重審議に求めるところが少いのであ
つて、反對に或る
程度の獨創力、決斷力と勇氣が必要であるから、これは
委員會では駄目だ、單獨の首腦者でなければならんというのが、これがアメリカの
委員會制度に對する學者の
意見でございますが、
日本の
警察についても同様のことが云えると思います。犯罪の捜査であるとか、被疑者の逮捕であるとか、生命
財産の保護であるとかいうような、いわゆる
運營管理の問題を、三人の
委員の合議體である都道府
縣公安委員會や
市町村公安委員會にやらせるということには、私はどうしても
贊成できない。
警察の仕事は多數の人間を手足のごとく使用して、敏速果斷にやらないとうまく行かんのでありますから、部下の信頼を博し得る、いわゆる責任ある指導者レスポンシヴイル・リーダーがなければなかなかや
つて行けるものではありません。アメリカの例を見ても優秀な
警察はいずれも優秀な指導者の名前によ
つて傳えられております。在來の
日本の
警察のように、官制によ
つてちよつと決ま
つておる全國的の
國家施設でありますならば、
制度組織の力が物を云うので、首腦者の構成は比較的重要でないかも知れんが、今囘の
制度のように
國家の統制と離れて、都道
府縣や
市町村の
公安委員會が自主的に
警察の
運營管理を行う場合には、首腦者の構成は
警察の成績に多大の影響を有すると思われます。かような
運營管理に
委員會制度を採ることは私は
贊成できないが、行政管理の方ならばこれは
委員會の本質上何ら差支ないと思います。
從つて「
國民に屬する民主的權威の組織を確立する」ということが前文に書いてありますが、そういうために
委員會制度が必要ならば、
國家公安委員會と同様に、都道
府縣や
市町村の
公安委員會も行政管理だけをやるがよろしいと思う。この場合注意すべきは、
公安委員會自體の構成が公平に行われ、
委員の人選にその人を得ることと、
警察の人事行政に政黨その他の不當な干渉があ
つてはならんことであります。
委員會の人選については詳細な
規定があるようであります。いわゆるチエツク・アンド・バランスについては十分注意がしてあるようでありますが、その半面にはこれでは
委員會の
意見が不統一なる危險が多いだろう。そこでこの點から見ても先程申上げましたように、急速な處置を必要とする
警察の
運營管理には、どうも
委員會は
適當でないと思います。これは先刻も
お話がありましたが、私が了解できないのは何故に
警察職員又は
官公廳における
職業的公務員の前歴を有する者を、全面的に
公安委員會から排除したか。これでは今後或る都道
府縣或いは
市町村におきまして優秀な
警察職員であ
つた者でさえも、これをその都道
府縣又は
市町村の
公安委員に選任することはできない。官僚的色彩が濃厚であるのは民主的
警察の本旨に反するというならば、五人乃至三人のうち
職業的公務員の前歴者は一人に限る、或いは二人を超えてはいかんというように制限する
方法でも足りると思うのであります。
それから
警察人事については、
國家地方警察にあ
つてはすべて
國家公務員法の
規定に基きまして
任命することにな
つておりますから、これは外からの不當な干渉はないだろうと思います。この點はいわゆる責任指導制を採
つたものと思われまして、大變結構と思いますが、
市町村警察におきましては
市町村公安委員會が人事權を持
つております。これは
當然でありましよう。この場合におきましても
市町村條例で任免等につきましては決めるようにな
つておりますが、その場合に少くも幹部につきましては、或る
程度の任用の
資格制限を付けることが
適當ではないかと思われます。只今申上げましたように、
運營管理につきまして
委員會制度を採ることは私は
贊成しませんが、單獨制の
公安委員というものを
警察長の上に置くということは結構であると思うのであります。今後の
警察長は
從來の
地方官のようにあちらこちらを廻
つて歩くとか、或いは縣廳の各部局において經驗のある人間は少くなり、大體その土地の
警察官の累進した者が多くなると思わなければなりません。この種の人物は見識も十分でなく、清新な建設的な
意見の持主は比較的少くなるだろうと、私は大變失禮でありますが、そう思うのであります。それで
警察長の上に
公安委員のような
制度を設けることは、この缺點を補正することにな
つて大變結構だと思いますが、ただこの場合におきましても、先刻繰返して申上げましたように、合議體ではいかん、單獨性であることが必要であると思うのであります。それから「都道
府縣警察長は、都道府
縣公安委員會の
運營管理に服し、
警察管區の行政管理に服するものとする」と書いてあるのであります。そうしますと、人事とか豫算とかいうものは
管區本部長が持
つてお
つて、その
地方公安委員會の方はその方に全然
關係なく、人事權を持
つておらない
公安委員會の
指揮命令によ
つて果して
警察署が動くであろうかどうか。これは先程安井知事からも
お話があ
つたのでありますが、私本同感であります。この點は相當問題ではないかと思うのであります。
財政問題につきましてはしばしばお述べになりましたから詳しいことは申上げませんが、只今問題にな
つております六・三・三の問題と同じように、
人口五千
程度の小さい町村で一つの
警察を
維持して行くということは容易ならん問題だろうと思います。當分のうちは
國家都道
府縣で持つからよろしうございますが、
地方財政確立の後といたしましても、やはり或る
程度の
國庫補助を
警察に對してやる必要がある。
警察は全國的に
連絡がとれておりませんと仕事ができないのでありますが、金のある
市町村では十分に設備ができる、金のない
市町村ではそれができないというと、非常に均齊や調整がとれなくなる。この點から申しましても、
地方自治財政確立の後と雖も或る
程度の
國庫補助は必要と思います。これにつきましてイギリスのや
つております
制度が大變面白いと思いますからちよつと申上げますが、その
方法を假りに
日本で採用いたしますと、
國家公安委員會に監察員を置きまして、この監察員が全國の
警察を廻るのであります。そうして或る
地方では金が足らないから金をやろう。或る
地方では非常に成績がいいから褒める
意味でやろう。或る
地方ではこういう設備が必要だからそれをやらせる
意味で金をやろうというような、監察の結果を斟酌して
國庫補助金を分けるというような
方法をイギリスは採
つておりますが、これを
日本でやりますると、
自治體警
警察の民主的權威を傷付けることなく、
國家の過度の干渉を生ぜしめない
範圍において、
國家と
自治體警察との繋りを保つという妙味があるだろうと思うのであります。
それからもう一つ申上げて見たいのは、今度の
改正で
警察は悉く
地方警察にない、
國家地方警察でありましても、それから
自治體警察でありましても、全部
地方警察になるのであります。併しながら
國家みずからが犯罪の豫防、鎭壓、犯罪の捜査及び被疑者の逮捕、又は生命及び
財産の保護や
公安秩序の
維持に乘出す必要を生ずることがありはせんか。
國家地方警察に對しまして、
國家中央
警察とでもい
つたようなものは必要ではないだろうかということを私は
考えて見たい。これはイギリスでは御
承知のように、ロンドン
警察廳が、必要によ
つては全國に仕事ができるようにな
つております。ロンドン警視廳はイギリスにおける唯一の
國家警察であり、他は全部
地方警察であります。ロンドンだけは
國家警察であります。アメリカのF・B・Iは專ら合衆國の
法律の執行に當る機關でありまして、
日本は國柄が違いますからアメリカの
制度をそのまま採ることはできませんが、例えば通貨偽造の罪でありますとか、外國人に對する犯罪でありますとか、この
法律でも、
日本國
憲法又はその下に成立した
政府を暴力で破壞せんとする計畫とか、そういうものに至りましては、これが捜査や鎭壓を。
地方警察、
自治體警察に一任するだけではどうかと思われる。
國家地方警察と
自治體警察との間、並びにそのおのおのの相互間に系統的な
連絡協力が必要であることは。最初に申上げた
通りでありますが、この
連絡協力の中核體としても、或る
程度の
警察として持つことが必要じやないか。軍備の完全に撤廢されました我が國において、進駐軍が引揚げた後における國内
治安の
維持は、
國民の最も關心を寄するところでありますが、内閣總理大臣が一時的に全
警察を統制する
國家非常事態の特別措置のごときは、眞に止むを得ない場合の外は濫りに發動すべきではないのであります。この
意味におきまして私は
國家中央
警察とでも稱すべき若干の精鋭なる
警察官を各
警察管區に所属せしめまして、
警察管區本部の
運營管理の下に、或いは特殊犯罪の捜査及び豫防鎭壓に當らしめ、或いは管下
國家地方警察及び
自治體警察の
連絡協調の中核體たらしめ、一たびその管内で一
警察單位の手におえないような重大な
事態が起きました場合には、隨時隨所に出動して、
國家地方警察なり
市町村警察なりと協力して公共の秩序の
維持に當らしむるようにありたいと
考えるのであります。これはやり方によりましては、非民主的となり、又
從來の
警察國家再發の温床となるかも知れませんから、從いましてこの
運營につきましては十分に注意をすることは勿論でありますが、軍備のない
日本の
治安維持は、
地方警察のみに一任するだけではどうも不十分と思われますから、そこでこの
國家地方警察定員の三
萬人の幾分を割きまして、
警察管區本部長に直属させまして、只今申上げましたような
方法を採ることが
適當ではないかと思います。
警察はこの
法律の執行をするということが書いてありますが、もともと
市町村警察がその執行の責任に任ずる
法律は
國家の制定に係るものでありますから、國内で齊一に執行せらるべきものであります。
國民の生命、身體、
財産の保護や公共の秩序の
維持は
國家自身の責任でもありますから、或る場合においては
國家みずからが
警察の
運營管理を行い、或る場合においては
市町村の
運營管理を
國家がコントロールをする、こういうことにいたしましても、その
方法さえ間違わなければ、必ずしも
國民に属する民主的權威を傷付けるということになるまいと私は
考えるのであります。
最後に申上げたいことは、これはしばしば只今までの
方々のお述べになりましたところでありますが、今囘の
制度を見ますと、
警察が弱體になる。全國が
國家地方警察と
自治體警察とに分れ、その間には何ら有機的の
連絡がありません。仕事の性質上
警察事故の發生の可能性の最も多い市街地は、
自治體警察の所管でありまして、
國家はその
運營管理につきましては何らの
權限を持たない、どうもこれでは
警察は弱體にな
つて非常に不安ではないか、軍備の全然ない、道義の頽廢の甚だしい今日の
日本の
治安をどうして
維持するか、
警察の
民主化は、決してその弱
體化を
意味するものであ
つてはなりません。強盜殺人が横行し、交通事故が多いということは、決して
警察の
民主化ではないと思います。そこで然らばいかにして
警察のこの
制度を施行した曉において
警察の弱體にならんようにするか、その一つの
方法としては、先程どなたかの御
意見にもございましたように、
國民の協力ということが非常に必要でありまして、この
國民の協力は結局これは
國民の理解がなければや
つて行けないことでありますから、この際
警察は、この前文にも書いてありますように、人間の尊嚴を最高度に確保し、
個人の權利と自由を保護する
國民自身の組織でありまして、これらの仕事は
從來のごとく、
國家又は
警察官のみに一任すべきものではなく、
國民みずからこれを處理する責任を有するものであるということをよく社會に普及させることが必要であります。まあ
警察社會教育、とい
つては言葉が
適當でないかも知れませんが、こういうことをいたしますことが、この
法案の
目的を逹成するのに是非必要じやないかと私は
考える次第であります。