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岡本愛祐君 議長から指名を受けまして、司法
委員三名、治安及び
地方制度委員三名、それは濱田寅蔵君、中井光次君、
岡本愛祐、この三名であります。それが靜岡市に出張いたしまして靜岡
地方檢察廳、靜岡刑務所、靜岡
縣廳等につきまして視察をいたし、
調査をいたしました結果を御
報告いたします。九月二十一日、日曜日に東京を出発いたしまして、二十二日の午前中は靜岡檢察廳を訪問し、檢事正から事の成り行をいろいろ伺いました。午後は靜岡刑務所を視察いたしまして、当時の刑務所の
責任者である元の所長野村氏から
説明を聽きました。翌日二十三日は、午前中靜岡
縣廳へ参りまして、
縣知事、縣警察部長、それから縣の刑事課長、これらから治安上に関する
見地からの
意見をいろいろ聽きました。二十三日の午後は又靜岡刑務所に参りまして、いろいろ疑問といたしましたところ、それにつきまして、今度は囚人の中から
事件に
関係の薄いものを選びまして、三人について、いろいろ
調査をいたしました。その結果を総合いたしまして御
報告いたしたいと思います。
主として司法
委員会に
関係することでありますが、治安上も亦非常に
関係いたしますので、三十分程時間を頂きます。この靜岡の刑務所における囚人の暴動
事件及び集團逃走
事件、これは二つにな
つておりますが、これが相
関連いたしておりまして
一つの繋がりを持
つております。九月の六日に暴動
事件が起りました。それは靜岡刑務所に收監されております戰時窃盗罪、詐欺罪等で懲役五年を言い渡され、昭和二十年三月六日から服役中の前科八犯池谷八十吉というものがあります。当年三十五才、これは本籍は靜岡市の用宗ここの者であります。これはあとで
関係がありますから申上げておきます。滿期は二十五年の三月六日でありますこれがこの
事件の中心
人物、これは班長と申しまして、靜岡刑務所のみならず、今の刑務所では、こういう囚人の少し顔利きに対しまして、班長という役目を與えまして、そうして刑務の補助に使
つており、又その班々の者を統轄をさしておるのであります。これが一番腕つ節が強くて、相撲も一番強いで、前科八犯であり、非常に幅を利かしてお
つた。これが成績がいいというので、九月六日にこの服役者の或部分が仮出獄を許されました。これはいろいろな規定がありまして、それによ
つて仮出獄が許されたのです。その仮出獄のときに、
自分も入
つておる。こういうふうに、まあ大体の樣子から思
つてお
つたのです。そこでこの刑務所のこれは職員ですが、文書係の看守の増井安春、これは二十五才で、昨年の七月に任官いたしております。これに尋ねたのです。そうすると増井という看守は、まああなたも入
つておるだろうというような、そうはつきり申したかどうかよく分かりませんが、本人ははつきりそう言わない。九月六日仮出獄する者があるという
意味を話したので、あなたが入
つておるとはつきり言わなか
つたと本人は申しておるよしでありますけれども、ともかくこの池谷にと
つては、
自分も入
つているという印象を與えるような言葉で返答した。そこで池谷は大いに喜びまして、これは親分でありますから、刑務所内の
自分の班、これは第一班でありますが、第一班で、あすこの
相当大きな、民間ならば資本金百万円ぐらいの工場に当るような工場を本人が親玉でや
つている。そこの第一班の一同、又他の班長連に今日仮出獄になりますという挨拶をいたした。この点について疑問があります。これは後で申します。そういうふうに私共は聞きました。当日今日仮出獄になるという挨拶廻りをした。ところが本人は実は九月六日に仮出獄になる中には入
つていない。それは十月何日でしたか。十七日でございましたかその日に入
つておるのであ
つて、九月六日には入
つていない。そこで他の者は出て行くのに、本人は残されたという結果に
なつた。そこでその子分共が騒ぎ出した。六日の午後三時頃に、他の班長に第一班の中の副班長宮原直樹これは逃亡した一人でありますが、この間千葉の柏附近で捕ま
つたあれであります。副班長の宮原直樹、それから小俣博、こういう者が十二三名戒護課長と申しまして、主としてそういう囚人の戒護の方のことをや
つておる課長吉林という課長に面会を求めまして、何か詰問をしておる樣子なのです。そこで所長の野村瀧雄は、これは現在所長を罷めまして、今は刑務所附にな
つております。所長は高知の刑務所から轉任して來た人が新たな所長にな
つておる。その野村瀧雄は
会議室に参りまして、そうしてその戒護課長、庶務課長立会の上で、これらの連中に会
つたのであります。ところがその班長連は池谷の面子を立てて今日出してくれということを迫
つたのであります。所長は、増井看守…、この問題の増井看守を呼んで、そういうことをお前言
つたかどうかということを、囚人の迫
つて來ている中で問い質すということは、所長としてまずいことであ
つたと私は思います。とにかくそれを呼びまして聽取をした。そうしたら暗にそういうことを傳えたというようなことをまあ白状と申しますか。申述べたわけであります。そこで所長は、そうじやないのだ。今日はお前が出る番にな
つていないと縷縷
説明いたしましたけれどもなかなか肯きません。それで所長は、この仮出獄の
権限は刑務所長の
権限にないのだ。大臣に許可を得なければならんというので
相当頑張りましたが、どうしても承知いたしません。もうそろそろ不穩な形勢が出て來まして、その外にも外の囚人がなんだなんだというわけで出て参りまして取り囲むというような
状況にな
つて來ました。それで所長は、池谷は十月十七日に仮釈放をするようにという指令が來ておるということをこの時漏らしまして、指令が來ておるから、まあ九月八日まで二日間待て、その間に本省指令を受けて早く出してやることができるからということを申したのであります。班長はその保証を求めました。それをあなたは保証してくれるか、必ず九月八日に仮出獄さしてくれるかという保証を求めました。所長は絶対の保証はできないからまあ委せろと言いました。そこで怒りまして、二、三の者が興奮して、そこにあ
つた椅子を振り上げて増井という看守を殴
つたのであります。これは
相当頭部に負傷をいたしまして倒れました。これは囚人が外へ運んでしま
つた。所長も、もういよいよ混乱にな
つて來ましてそこらのものを打つ壊したりなんか乱暴をしますから外に飛び出した。まあ逃げたわけであります。で受刑者はそこらの面会室その他所長の部屋などを破壊をいたしまして、手に角棒を持
つて、あそこの刑務所は燒けたものですから、今建直しをしようというので、いろいろ材木が轉が
つております。これも非常に危險で、その棒を持ちまして所長の制止するのも聽かず暴行を働いてガラスや戸なんかを手当り次第壊し始めた。これの人数は第一工場第一班の者を主体として六十名くらいの者が暴れ出した。所長は方々逃げて廻
つた。或受刑者は所長に出刄庖丁を持
つて迫
つて行つた。もう拾收できないことにな
つてしま
つた。そこで所長もその時頭を殴られまして、そうして六日乃至十日の傷を負
つた。胸には拳大の打撲傷、左の足の内側にも打撲傷を負
つた。こういうようなわけで、これは仕方がないと所長は思いまして、池谷をそれじや仮釈放にすれば鎭圧することができる。こう観念しまして、それじや出すことにするということを声明しました。そこで一應鎭ま
つたわけであります。そうごたごたしておりますうちに、刑務所の職員が靜岡の警察の方に電話で
連絡しまして、警察官が自動車に乗
つて應援に來た。そのとき丁度一應鎭ま
つておりましたから、所内に警察官を入れますと又暴動が起ると、こういうふうに見ましてまあ遠慮して貰いたいというので署長外一名を
事務所内に入れただけで、あとは門外で待
つて貰
つた。署長なんかが入
つて來たのを見て又受刑者は興奮をいたしまして危なくな
つて参りまして署長達も所外に出て貰
つたというわけであります。それでまあ所長の申しますには、池谷を仮釈放にすることを独断でしたのは非常手段で止むを得ない。非合法なことであるけれでも、あとで本省の方で追認をして貰えば合法になるだろう。こう思
つたと
言つております。そこでその
事件は一應治ま
つたのであります。ところが今度は池谷が、
自分のために暴力行爲に出たのであるから、どうか
一つ自分の顔を立てて、暴力行爲に出た者は処分しないようにして欲しいということを申しまして所長に文書にしてくれ、一札入れてくれということを迫
つたのでありますところが所長はこれを諾かないと又暴れられるという臆病風に誘われて仕方がありませんから九月六日の
事件は円満に解決し、一切水に流す。所長野村某、池谷八十吉殿という認印を押した一札を入れたのであります。それで囚人共も手を取合
つて泣いて喜んだ。こういうことでありますところがまだ後があります。班長連は池谷が仮釈放になるということに
なつたものですからそれを見送らしてくれということを戒護課長の古林を通じて申込んで來たのであります。一應所長が断りました。然るになかなか班長連が肯かない。仕方がないから代表一名に見送らせようということを考えた。ところがやはり肯きません。もうそのときは午後九時頃となりまして、又暴動が再燃しそうにな
つて來た。仕方がないから、それじやトラツクで送らせようということにしたのであります。先程申しましたように、池谷の家は靜岡市内の、少し離れておりますが、市内の用宗という所にある。そこまで送るのだというふうに思
つておりました。ところがこのトラツクには看守長が二名、副看守長が一名看守が一名つきまして、運轉手は丁度正規の運轉手がいないので囚人の運轉のできます者に運轉をさせまして送らしたのでありますが、用宗へ送らないで、ずつと数十里離れました袋井という所、掛川の西、そこまで送
つたのであります。池谷の姉の家であります。翌日午前七時頃無事に帰
つて來た。これも段々調べて見ますと、池谷の姉の家では、帰
つて來たというので、受刑者なんかに酒を出しておる。ついて
行つた看守なんかも飮まないと又暴れられるというような心配から一緒に酒を飮んだ。こういうことにな
つております。これは刑務所で所長が話しておる。これらの変なことの続出は暴動を何とかして防止したいというので止むにやまれず非常手段としてや
つたのだというふうに弁護しております。そこでその暴動
事件は大体そんなことで治ま
つた。ところがこれは檢察廳にも勿論直ぐ
報告をいたしております。檢察廳の方では本省と打合わせなければなりませんから、檢事正も本省に参りますし、それから刑務所長も本省に参りまして司法省の指揮を受けたのであります。ところが司法省においてはこれを強硬に
一つ処罰しなければいかんという方針になりまして、集團暴動に対して徹底的に糺明することにしまして、それで警備を整えなければなりませんから申落しましたが、靜岡の刑務所は大体定員三百名の所に六百十九名入
つておる。その警備に当たりまして看守が五十五名、一人当りの受持数が十一人以上にな
つておる。で、非常に手薄でありますから、東京から應援にや
つたのです。その應援は十日に、逃亡日の前に着いておるのです。逃亡した前日に所長はもう帰
つておりまして、徹底的に糺明することになりましたので、班長級を集めまして、いよいよ明十日は檢察廳の取調があるから多少の犠牲は出ると思うが、まあ一札入れたけれどもこういうことになりや仕方がないからおとなしくするようにという訓戒を與えましたところが、話が違うというので大分ごてた者もありましたけれどもまあ仕方がないというので、そのところはおとなしくしておるのだろうと、こういうふうに見えた樣子をしておりました。併しそこで逃亡しなければならないという決意を抱かせたということになるのであります。で、どうして逃亡したかと申しますとその小俣というのが逃亡の
方法として戒護課長の部屋にあります鍵箱の中から鍵を盜み出しまして、そうして門を開けようという計画を立てたのであります。そこでその六日の乱暴で鍵箱なんか壊れてしまいまして、鍵は別のところへしま
つたわけでありまして、外部と通ずる門の鍵は、戒護課長の抽出しの中にしま
つてあ
つた。で、そこには当直の部長がおりますから、なかなか盜めない。そこで前申しました東京から應援が参りましたから、その夜具を出さなければならん。その夜具を囚人が出すのですが、出すから部長さん
一つ立会
つて呉れとい
つて部長を連れ出しまして、その留守に机の中から盜んでおります何故その鍵がそこに入
つておるか分
つたかと言えば、それは流石囚人であ
つてそういうことは直ぐ分る。どこに隱してあるということは直ぐ分る。そのために盜んだその鍵で西門を開けて、そうして十日の午前二時三十分頃に集團逃亡をしたのであります。それじや東京から應援に來た者はどうしてお
つたかということであります。これも生ぬるい
お話ですが、まだ不穩な
状況も見えるし、まあ明日
一つよく言い聽かしてから配備をして貰おうというようなことで、当日は中に配備をしないで所長の部屋に待機をしてお
つた。又いろいろ相談をしてお
つた。その中に逃にげられてしま
つた。こういうことになるのであります。そこで例の餅の話であります。これは前日の午前九時頃に炊事場の者を強要しまして、この班長連が暴動のありました夜から警備の補助に就いておるのでありますが、これは班長の方から要求しまして警備の補助に就かしめました。そうして夜警をや
つておるから、そこでその間食に餅を搗けということで餅を搗かした。それで逃亡には
関係がないのだというのが檢察廳の調でありましたけれども私共が囚人なんかに聽きましたところでは、そうでなくてやはり持
つて逃げる積りであ
つたらしい。ところが、まあ他のいろいろな荷物を持
つて逃げるので、邪魔になるというので、置いて
行つたということが正しいのじやないかと思
つております。餅を搗きました所も見て参りましたが、立派な石臼で、立派な蒸籠でふかしまして、これがどうしてそういうことをしておることが看守に分からなか
つたかと疑いたいのであります。これは氣が附かなか
つたのだと
言つておりますが、まあ氣が附かなか
つたのでなくてまさか逃げる準備とは思いませんから見逃してお
つたのじやなかろうかと思います。その糯米なんかも倉庫から盜んだものであります。そこで門を…、これは推定ですが二時半頃に開けて逃げた。その門は内側からだけしか鍵がかからないので逃げたあとで締められなか
つた。それでそのあとを見廻りの看守がそれを発見しまして、どうして開いておるのだという疑を持
つたのです。併しまあ逃げた事実がはつきりしないからというので、直ぐ靜岡警察署の方に逮捕を要求しなか
つたのであります。これも手落があ
つたと思います。一時間二十分程遅れて靜岡警察署に通知が
行つた。警察の方としては手配が遅れた。それで逃げられてしま
つた。こういうことになります。これが大体逃亡の筋であります。そこで靜岡縣の方で三名捕われまして、それからあと二名が又捕われまして、今四名程まだ捕まりませんこの
事件に関しまして、靜岡
縣廳、
縣知事、それから警察部長、刑事課長につきまして、治安上の
立場から
意見を聽いて見た。こういうように申しております。率直に言えば、刑務所側は九月六日の暴動後囚人が何をやるか知れないというので、一同非常に心配をしまして、班長連に警備の補助をやらしたことがある。これが最も惡か
つた。これは囚人なんかを警備の補助に使うことはなるだけや
つてはいけないということにな
つておる。それをやらした。これは暴動後嚴重にそういう者は監房に入れるべきであ
つた。それから餅を搗くのに
相当時間がかか
つた筈だ。看守の知らない筈はない。何のために餅を搗くか。それを看守が
調査もしないで上司にも
報告しなか
つた。これは恐らく後難を恐れて、看守よりか班長とか殊に池谷なんかの方が勢力が強いのですから、後難を恐れて默
つていたのだこれは規律の紊れてお
つた証拠だ。それで逃亡の事実が門が開いておることによ
つて、はつきりしないでも先ず逃げて、おると思わなければならんのに、門の開いておるのを知りながら、非常通報を警察によこさない。それで時間が非常に遅れた。そこで即刻知らしてくれたら捕えることができたろう。こう
言つております。尚警察署の
立場として、靜岡の刑務所は靜岡市の中心の元の城跡、あの中にある。で町の中心部、目拔の所にある。これはぜひ市外に移轉して貰いたい。町の風教上から
言つても、治安上から
言つても非常に害がある。今幸いにまだあすこの刑務所の監房は復興の途上にあるのだから、何とかして外へ出て貰いたい。これは非常に尤もだと思います。
それからこの刑務所の職員が六百名の囚人に対して非常に少い。これを是非増員をして貰わなければ、しよつちゆうこういう逃亡
事件が起きる。是非増員をして貰いたい。それから刑務所の職員の囚人に対する取扱が非常に寛に流れ過ぎておる。行き過ぎである。それで囚人達の言うこと、殊に腕つ節の強い囚人達の言うことは殆んど何でも諾く重労働をや
つておる囚人には六合の配給、それからそうでないものも四合の配給というようなことをや
つておる。監房の中でラジオも聽いておる歌もうた
つておる。新聞も自由に読める。これはもう自由主義、民主主義の行き過ぎである。こういうふうに
言つております。中の規律も少し紊れておる。職員の何か惡い欠点を囚人の主だ
つた奴に握られておるのじやないかというように新聞記事が出てお
つたが、何か似通えることがありはしないかと思われますと、こういうふうに申しております。
そこで大分時間が経ちましたから、又御
質問があればお答えすることにいたしまして、私のこの
調査に基きましての感想を述べたいと思います。