○池田恒雄君
只今私が非常にきつい言葉で申したのでありますが、禁止令の
違反にな
つておらなくても、禁止令と姉妹關係にある各種法令があるとすれば、そうするとそれによ
つて違反行爲であると私は考えております。禁止令の
違反でなくても他の法令の
違反ではないかと思います。且つこの問題の
取締りをやる場合に、政令だけによ
つて取締りをや
つて行つて効果を發するとは思わないのであります。やはり一つの法令が重點的に動く場合、他の關連法令がすべて動員されて行かなければ効果は擧
つて來ないと思うのであります。一方で拔け穴ができては
いかんと思うのであります。ですから私はああいう街頭で賣られておる高級食糧品というものが、恐らく何らかの法令に觸れていないものはないと思うのであります。それを總合的に考えて行かなければ禁止令の目的というものは達し得られない、こういう
意味で私は法令の
中心には現在の期間においては、禁止令中にあるから禁止令という言葉を使
つたのであろうと思います。
それからもう一つ、
料理屋なんかが氣の毒である、もう一つ利用者が不便だから……。だがあそこで取引された實際の物の量というものは少かろうということは私も認めておるのであります。というのは當て雜炊食堂をや
つたときに、あれは家庭
配給にしたがいいかどうとかいうことを言うた人もあ
つたが、警視廳はずつとあれを雜炊食堂で續けて呉れた。あれを家庭
配給しましても、家庭へ
配給されて助かる量にはならない、そうすると雜炊食堂をやられても一向差支えないという警視廳側の言い方が正しか
つた。今日もそうい
つた意味で、
料理屋の物資と家庭
配給に廻したからとい
つて、家庭
配給の助かるような量にはなりません。私はここで考えなければならないと思うのは、そういう物の量がどうとか算盤の問題ではない。もう一つ單なる外國に對して工合が惡いとかいう、そういう精神上の問題ではない。もつと問題があると思います。というのはあれは一つの統制を攪亂する穴になると思います。いろいろな食糧品の統制をや
つておりますね。その統制を攪亂する穴になる。それがいかに微量なものであ
つても、その穴が大きくなれば、今度の利根川の大洪水のように、どえらい事態をつぎつぎに發生する。こういうように考えます。だから
政府としてあれを精神的なものと考えて、
料理屋で酒を飮ませないようにというように考えてはいけないのじやないか。少くとも一定の期間を
限つて、そういう穴を堰止めて置いて、そうして流通秩序というかなんかそれを懸命に
確立するために、
政府自身が努力して、その流通秩序を
確立させた曉において、皆さんどうぞ自由におやりなさいという工合にして行かなければならん。だから消極的にあれを止めさせることによ
つて物資が助かるだろうという
意味でなくて、これを止めて置いて積極的に地面の工作をやらなければならん。そういう
意味で
料理屋で飮食させることが惡いのではなくて、それは本當に體栽的の問題で、積極的の
意味は、今の
配給市場で攪亂するところの行爲、これは一切一定の期間内は嚴重に取締
つて、そうしてその取締
つておる間に、一應水を堰止めて置いて、一方その水によ
つて侵されない地區を
確立しなければならん。そうい
つた意味から言うと、たがが緩み過ぎておると思う。そうでなければ禁止したという積極的の
意味はなくな
つておる。依然として街頭で「うどん」なんかが賣られておるということにな
つて來ると、列車に警乘巡査なんかが乘り込んで、米の買出しなどを取締
つてもどうにならない。一生懸命に米や芋の買出しを取締
つておりましても、併し一方でそういうものが公然と賣られておることになると、これは
國民の常識にな
つて、農民が賣出しに來るということは惡いことと思わない。そうした精神的の影響もある。そういうように物が流れて來る。野菜なんか街頭で販賣することが許されれば、當然正當のルートに、いわゆる集團的な
集荷配給ということは不可能である。やはり街頭に流れる。集團的なルートを
確立するために、一時堰止めなければならんということだけは私は正しいと思う。そういうような觀點から、どうしても今のあの
状態においては折角禁止した、あれだけ利用者に對して犠牲を拂わせて置いて、利用者でも實に不自由をしております。それから
業者でもみんな困
つておりますが、それだけの犠牲を
國民に拂わせたならば、それだけの効果を擧げなければならんと思う。決してこの問題は外國に對するゼスチユアやなんかじやないと思います。