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國務大臣(
鈴木義男君)
只今鬼丸委員並に
松村委員から非常に熱心にして有益なる御
質問がありまして、幾多の点において私といたしましては
共鳴をし、敬意を表するのであります。
先ず第一に、今日
司法官の
待遇が甚だ
菲薄であるということは、
鬼丸委員のお
言葉の
通りでありまして、恐らく
明治以來ずつと
司法官が、……
檢察官をも含めまして申すのでありますが、
菲薄なる
待遇を受けてお
つたということは否定できない事実であるのであります。これは要するに、我が國の
文化の
程度が低くして、物を作る、直ちに右から左に儲かるというような
仕事に
関係しておる者は物質的に優遇されてもよろしい。併し
裁判とか
檢察とかいうようなものは余り必要なものでない少くとも
社会の生産に貢献するところがないというような、極めて浅薄な
考え方が
國民の間に存在いたしまして、
立法議会等におきましても、常にその
待遇改善等を叫び、或いは
人員の
増加等を要求いたしましても、できるだけこれを圧縮して、その要求を通さないようにしてお
つたということも、否定し難い事実であるのであります。いわば一種の
厄介者扱いをされてお
つたというような形を取
つておるのでありまして、私は偏えにこれは我が
國民の
文化の
程度の低さを表明する以外の何ものでもないとにがにがしく
感じてお
つたのです。幸い
文化の向上がやや見るべきものがありまして、
司法又は
檢察に対して、有識者の
認識というものは非常に高ま
つたのであります。近來これらの人々を優遇するということに対して昔日のような傾向が少くな
つたことは、我れ
人共に喜ばなければならんことに存ずるのであります。併し
待遇が依然として
行政官なみであります。
行政官の中でも高い者と必ずしも歩調を一にしておらないことは事実でありまして、今日の
日本のこの
インフレ状況下におきまして、何ら他に副
收入のない、又先程
鬼丸委員か仰せられまするように、できるだけ廉潔を持し誤解を避けて、清廉潔白な
生活態度を執らなければならない
司法官、
檢察官といたしましては、殆ど言うに忍びざる
生活状態にあることは公然の祕密であると申して差支えないのでありまして私は乏しきにこの任を受けて畫夜そのことを
考慮いたしておるのであります。
生活上の
脅威を取除かずして、決して公正なる
司法権の行使或いは円滑なる
檢察の実績を挙げることのできないことは申すまでもないことであります。最近最も憂うべき現象は、
生活難に堪え兼ねて続々辞表を
提出する
判檢事が多いということでありまして、これは他の
職業者と異なりまして一朝一夕に獲得することのできない知識と
経驗とを必要とする
仕事であるだけに、非常に憂うべきことでありまして、その点におきましても、
鬼丸委員の御
指摘は極めて適切であります。私は
司法大臣として深憂に堪えないのであります。これは
一つこの
委員会における皆樣の御
協力、お智慧も拜借いたしまして
是非打開して行きたい、こう希うのであります。
從來司法の
予算につきましてそれぞれの
大臣が迫力が弱か
つたために、十分に獲得することができなか
つたという御
指摘があ
つたのでございますが、その点も無論若干の眞理を含んでおると思いまするが、これもやはり先程
申上げた
日本國民全体の
司法というものに対する
認識の低調さから來てお
つたことでありまして、この際私共は
最高裁判所の設立を契機といたしまして、あらゆる
方面から、
司法権がいかに
國家機構のうちで尊い機能を営んでおるものであるかということを、廣く
國民に
認識せしめ、又この
予算審議権をお持ちにな
つておりまする
議会の御
理解と御協賛とを得て、
是非一つこの正当なる
予算を頂戴することができるように御
協力を願いたいと思うのであります。私としては固より死力を盡して十分に頂戴いたすべき
予算は頂戴いたすという
決意を固めておるのであります。
司法官は
國家官吏として他の
行政官吏以上に優遇することができないということは、少しも私は
考えておらないのでありまして、その
職務の
性質上極度に信用を重んじ、同時に
見識を尊び、超然として時流の外に在
つて、独自の
見識で働かなければならない、いわば聖なる
仕事、聖職であるのでありまするから、これは
行政官よりも一層優遇せらるべきものであると信ずるのであります。
行政官が
最高なるものが
幾らであるから、それ以上に
裁判官をすることはできないという
考え方は、根本的に
間違つていると存ずるのてありまして、
松村委員が適切に御
指摘になりましたように、
イギリスのごときは
最高法官は
総理大臣よりも数倍の俸給を貰
つているのであります。而も忙しき
仕事をするわけではないのであります。悠々自適本当に國家の大切なる問題が起りましたときに、その積年の蘊蓄を發動するだけの
仕事を持
つているだけで、それだけの優遇を國家から受けているのであります。それで初めて私は良い
裁判官ができると思うのでありまして、
憲法を
改正いたしまする際に、私はその理想を実現したく存じたのでありまするが、
立法、
司法、
行政の三権を分立せしめて、対等に扱うという原則を立てました以上は、参衆兩院議長、
総理大臣よりも遙かに上の物質的
待遇を
最高裁判所長官にだけ求めるということも、やや無理がありましたが故に、同格で我慢をするということにいたしたのであります。併しこれは或る
意味において、物質的
待遇は別として
精神的尊敬という点においては、
最高の尊敬を克ち得べきものでなければならんと
考えておるのであります。それで初めて國家が安泰を得るのであります。
最高裁判所が独立をいたしましていよいよ発足をいたしたのでありまして、これは私共
國務大臣として生みの親としての役割を勤めさせて頂いたのでありまして、深く光栄とするところでありまするが、でき上
つた以上は、これに全権を委ねて、敢てその権限を干犯しないことを私は
決意いたしておるのであります。それで
裁判権の尊ぶべきことを
認識することにおいて何人にも劣らないつもりでありまして、私は
最高裁判所長官、判事各位が親任式並びに認証式を終
つて、役所に帰られますや、第一に私はお伺いをいたして、
司法大臣として敬意を表し、御祝辞を呈したのでありまして、それからただ
精神的な尊敬だけでは、生きている人間でありまするから、十分にその任務を盡して頂くことができないと
考えまして、私共が助力すべき権限を持
つておりまする間におきまして、できるだけ俸給のごときは、
内閣総理大臣並びに
國務大臣と同格にすることは勿論といたしまして、進んで今のインフレ
時代に、貸幣において僅かの優遇をいたしましたところで、実際には非常な苦しい
生活をやらなければならんことは、申すまでもないのでありまするから、せめて住宅に対する煩いを除去して、殊に他の
方面から御來任になりまするお方には、特に官邸を差上げることにし、又乘物の
ために、交通の
ために非常な不便をされますることは、
仕事の能率を著しく下げることでありまするから自動車等もできるだけ速かに各
裁判官に配置させるというようなことをいたしまして、実質俸給を非常に高くすることに努力いたしたのも、甚だ恐縮でありまするが、私の発案に属するのであります。こういうふうにして、
裁判官の
最高峯におります各位が優遇されるということは、やがて後に來らんとする若き
裁判官、
檢察官等の、或いは
在野法曹の人々をして、將來大いに志を伸べようという奮発心と向上心を起させる所以であると存じましたるが故に、私は今の事情において許される限りの優遇を、
最高裁判所の長官、判事各位にいたしたつもりであるのであります。これを以ても、私が
鬼丸委員の御心配になりまするようなことについて、相当に
考慮いたしておるということを
一つ御了解を願いたいのであります。
尚、
裁判官が、身を持するに謹嚴ということを努力する余り、だんだんと世間から遠ざか
つて行
つて、
化石化する虞れがないという御心配に対しましては、遺憾ながらそういう心配があるということを
申上げなければならんのであります。私は、
在野法曹として幾多の
檢察官、或いは
裁判官の諸君と交わりを持
つておるのでありまするが、確かに我が國の
司法官は、必要以上に
國民と接触することを警戒している、甚だしきは恐怖心を持
つているのではないかと思われるくらいに遠慮されるということを、目のあたり見ておるのであります。これは、
司法官の人々が憶病であるということも否定できませんが、又
國民の側にも、私は大いに反省すべき欠点があると思うのでありまして、公私というものをはつきり区別することを
日本國民がよく知らない、で最初はわだかまりなく交際をいたしておりまして、飮食を共にする、結構なことでありますが、何か機会があると公務に関する請託のようなものを持出す、そういう虞れがありますが
ために君子危うきに近寄らずということで、腫れ物にさわるというような
態度をとられることになるのでありまして、私
自身は野にありまするとき、未だ曾て公私を混淆しなか
つたつもりでありまして、高等学校から大学まで、同じ教室で学んで來た同窓の友人の
檢察官でありましても、
裁判官でありましても、役所以外の場所において、
事件に関する話をし、或いはお願いをすべき問題を話題に上せたことはないつもりであります。常に、若し正式に
弁護士として
職務上頼むべきことがあるならば、いかに親しい中でも、役所以外においてはこれを語らず、役所に参
つて言葉を改めてお願いをする、こういうふうにいたして來てお
つたのであります。從
つて、飮食を共にする、共に遊ぶということがありましても、全然公けのことに
関係なく、やすい心地を持
つて御交際願えるように仕向けてお
つたつもりでありまするが、それは私の方の氣持がそうでありましても、必ずしもすべての人々がそうである。というわけにいかん
ために、やはりその周囲の環境の中にありました
ために、警戒をされて、甚だ不愉快なる思いをしなければならんことがたびたびあるのでありまして、それがだんだん
司法官を固くしいわゆる
社会から遠ざか
つて、世間知らず、ドイツの諺にいうウエルトフレムドという現象を呈することになると思ふのでありまして確かに長い間
司法官の
生活をしておられますと、他から見ると余程浮世離れをしておられて、あれではちよつと名判官にはなれんぞという印象を與える人も少くないのであります。いかなる
時代においても、民事でも、刑事でも、
行政事でも、本当の
裁判は
法律を
理解する事実を
認識すること以外に、ここに
一つの勘というものが働くことは否定できないのでありまして、酸いも辛いも噛み分けた苦労人が、よく
法律に照し合わせると共に、
生活の実態を掴んで、当事者の思想感情、いろいろなものを間違いなく把握して、そうして裁断を下すということが、
裁判の眞髓であることに変りはないのでありまして、大岡越前守は理想化された人間でありまして、事実どれだけの名判官であ
つたかということについては尚十分の考証を必要といたしましようが、少くとも
裁判官の理想が大岡越前守でなければならんということも否定できないのであります。それにはどうしても、
裁判官なり
檢察官なりの人々がもつと豊かな氣持をも
つて、
國民と共に
生活をし、どんなことでも
國民がやるだけのことは
自分もや
つて、そうしてよく
生活感情、
生活体驗を共通にするという心懸けと実績が必要であると思うのであります。そういう
意味においてますます
裁判官を優待しなければ、そういうことをやろうとい
つたところでできない。芝居を一度も見たことがない、この頃声の出る活動写眞があるそうだということを、今から五、六年前ではありますが、珍らしいことのように語
つたという
裁判官の話を聞いたのでありますが、そういうことではどうもちと酸いも辛いも噛み分けた
裁判というものを期待できるか知らんと、不安の念を持つわけでありまして、
是非ともそういう見地から、
司法官の優遇論というものが大切な
意味を持つと思うのであります。そこで私は一閣僚としては閣議においてあらゆる努力を傾けて、
司法省の
ためにも、
裁判所に対しましては直接権限を持ちませんが、助言者として努力いたすつもりでありますが、これは
議会の方に
裁判所の
予算を御編成になりまする権限があるのでありますから、これは逆に私の方からこの
司法委員会に特にその点には御努力を願いたいということをお願い
申上げる立場にあるのであります。やるつもりであるということを
申上げておきます。
尚、
司法省廃止論というような問題について、
司法省は
裁判所ではない、お
言葉のその
通りでありまして、
司法権は完全に独立をいたしまして
司法省から離れたのであります。そのことはよく存じているのでありまして、
司法省という
言葉がしばしば誤解を起しますから、
裁判権が独立した後は、或いはこれを別の名前で呼んだ方がよいのではないかということも
考えているわけであります。併し
檢察だけを掌る所でないのでありまして、行刑、保護法案の立案等についてもや
つておりまするわけで、今俄かにこれを廃止することが妥当なりや否やということについては、前囘お答えいたしましたように、十分更に
愼重に
考慮する必要がある、無論
檢察廳を独立させ、その他の局も独立させますれば、
司法省というものはなくな
つてもよい、
國家機構の上からこれらの機構、職能がなくなるということは予想できないことであります。どつかでやらなければならん、そこで
行政簡素化の建前からなくする方がいいか、やはり依然として存置せしめて、できるだけこれを集約的にや
つて行く方がよろしいかということは
一つの研究題目であると
考えておるのであります。
法律は
議会で作るべきものであ
つて、
司法省や
司法大臣が
民法を出したり、
刑法を出したりすることは、余り褒めたことでないということは、これ亦御説の
通りであります。私は誰よりも強く
國会の
立法権というものを尊重すると共に、
確立する日の一日も早からんことを希望しておる一人でありまして、
議会が立派な調査機関をお持ちになり、
議会が独立の
法制局をお持ちになりまして、そうしてそこで立案に從事し、同時にこれを審議し
立法化する、こういうことに相成りますれば、我々の
仕事はずつと少くて済むわけであります。但し
民法、
刑法のごときものが、
司法に関する
法律であるから、
最高裁判所、又は
裁判所が作るべきものであるということについては、強い反対の見解が存するのでありまして、
裁判所は飽くまで法を適用する場所であり、法を適用するものが法を作るということは、
一つの権力分立の紛淆を來すことであ
つて正しくない。法を作るものは飽くまで
國会であり、これを適用するものは
裁判所である、この建前は何処までも堅持しなければならない、而して
國会にその準備をなして
提出するものは、
國会自身がやる場合と、
内閣における各省がそれぞれの調査機関を持ちまして立案の準備をいたす、これは
行政でありまするからして当然各省が分担すべきことに属するのではないか、こんなふうに
只今のところ
考えておるわけであります。いずれにいたしましても、
國会が名実共に
立法の府として立案準備からお始め下さるときが、早く参ることを希望するということは
申上げるまでもないのであります。それらの点を
申上げましてお答えといたしたいと存じます。