○
公述人(松波治郎君) 松波治郎、東京、四十八歳、小説家であります。著述業。
今まで本問題に対しまして討論会などで論議されたところを見ますと、
姦通罪の
廃止を否とする人は、
女性の味方として論じておられるようでありますが、私は同じく
女性の味方として政府
原案の
姦通罪廃止に却
つて賛成する者であることを申述べたいのであります。
そもそも
姦通という、いまわしい問題につきましては、諸賢のごとき紳士淑女、教養、徳性ある人が常識を以て想像し、判断することは不適当でありまして、
姦通は
人間心理の葛藤によ
つて生じ、これを概念的に考えることは極めて危險であり、事実に遠いことを、私は永年の小説家としての研究、作家として直面したる事実によ
つて証明することができるのであります。それは勿論、
姦通には淫奔、悖徳という場合のあることは、そのいまわしさにおいて当然でありますが、併し
姦通が止むなき悲痛な
愛情若しくは
事情によ
つて社会的の
欠陷により生ずる場合の多いことを考慮せねばならないのであります。
姦通せる
男女に多くの共通点は、男性の頑迷不戻によるもの、
女性の始末におえん分らずや、タイラントによるもの、言い換れば
愛情の如何を知らず、
女性に理解を欠く男性に堪えられん
女性、じやじや馬ならしをしようにも、どうにも手につけられん
女性に対し、男性の僅かに吐息するところに発生し勝ちなことであります。又
姦通せる事実はなくとも、これに近い心理の
存在するが故に、
姦通罪の
告訴を以て
男女の交際を脅やかされた事例は殊に多いのであります。私は端的にまず
姦通の事実について語りたいと思います。
これは関西
方面にあ
つた実話でありますが、相当な
地位にあ
つた人が、事業の蹉趺から半ば自暴自棄となりまして、藝者と
関係し、殆んど家を明け、遂には六、七年も
夫婦関係を絶つに到
つたばかりか、ときにはその藝者を家に連れ込みまして、正妻を眞正面から侮辱した行動があ
つたのであります。併しその正妻はよく隱忍しまして、やがて夫の覚醒する時期を待
つたのでありますが、もはやその望みなしとみて止むなく涙をふる
つて夫に離別を求めたのであります。夫は勿論承諾しました。よ
つてその
婦人は今後の生涯のために家を出て、自分が信じてお
つた東京の人に頼
つたのであります。そうしてその頼
つた人によ
つて新
生活を孜々として経営しようとしました頃に、夫なるものは上京いたしまして、その
婦人並びに
婦人に頼られた男性に向
つて姦通罪で
告訴すると脅迫し出したのであります。
婦人は勿論
姦通の事実なきを証言しました。更に正式に
離婚届に捺印してくれるように嘆願したのであります。然るに、夫は前言をひるがえして、頑として應じない。ここに私は言いたいのであります。
男女間の問題は、と
かく去る者は追わずとは行かないのであります。居れば相手としませんくせに、去るとなると追つかける、これが人情の機微であります。自分が怪しからん
行爲を六、七年間も続けながら、さてそのために去
つて新生涯に雄々しく出発した
婦人を見ると、今度は胴慾にも、それが惜しく
なつた。そしてその
婦人に
離婚を與えるどころか
婦人が新
生活のために努力するあらゆる面の男性に向
つて、
姦通罪の
告訴を以て脅かし、逐にその
婦人に男性封鎖をするに至
つた。ここにおいて
婦人は全く行動の自由を失い、了解者、援護者も求められず、逐に望みを失
つて悲惨なる末路を辿
つたという事実があるのであります。かかる場合、それは夫が悔悟したのであるから、昔
通りに
なつたらよかろうといえばよろしいようなものでありまするが、これは暴戻なる夫の眞の悔悟ではありません。又
人間の心理として、一端冷えた
愛情が戻るものではなく、その不都合なる夫も又それを欲せず、ただ自分の納得する者の手に行けばよろしい、さもなくば
姦通で訴えると言い続けていたことは
姦通罪の
存在するのをよいことにしてこれを以て善良なる
婦人を束縛し、嗜虐性……虐待するのを好む熟語でありますが、嗜虐性を満足させ、その全生涯を埋沒させることであります。
姦通罪なかりせば
婦人の正当なる自由は保障され、かかる脅迫と束縛を受けなか
つたのであります。その他、事実上の
離婚をなし、別居しておる
女性が、
離婚届の提出が済まないのをよいことにした先夫から、その勤め先、その交際先の悉くへ、「あれは俺の女房だ」と出現して、暗に
姦通罪告訴をほのめかせて、前途を暗黒にし、生きるに道なき痛苦を味わされたことは甚だ多いのであります。
世に卑怯なる男性は、己れが不当なる
行爲を続けておるのを
承知して、妻にいつでも
離婚を與えると口では称しながら、いざその時となると、正式の
離婚はせず、口頭で與えられた
離婚を眞の
離婚と解して、新
生活に踏み出そうとする
女性に対し、脅かし、その自由を峻拒し、冷酷なる鉄鎖として利用するのが
姦通罪の
存在であります。かかる
姦通の実相は枚挙に暇がないところでありまして、而も
姦通罪の
存在はときに幾多の惡の温床となります。脅迫、監禁、婦女虐待、つつもたせ、このような
犯罪が背後に
姦通罪の武器を持
つて迫
つたことは、諸賢の周知される
通りであります。
かかる
刑罰の存続は、今や
結婚の自由、
離婚の自由が保障されようとし、
男女平等の
時代は來り、
民主主義政治の徹底を期せねばならん今日におきまして、許さるべくもないと考えるのであります。又、現下
敗戰日本にその例の少くない生きたる英霊の悲劇、即ち戰死の公報によ
つて、夫は死せるものと思い、その近親と生きんがために再婚した
婦人が、たまたま戰死したと思
つた先夫が生きて復員した場合において、その不幸なる
女性を悉く
姦通罪で処罰することなどあ
つては、事甚だ重大であります。
姦通罪の在続を希望さるる諸君は、「妾を蓄うる男性」、「二号を持つ男」を懲罰し、これをなくすることを目標とされておるようでありますが、これは思わざるも甚だしく、やぶ睨みの議論でありまして、これを制するには他の適切なる方法がある筈であります。若しそれ、かかる目標を以て
姦通罪を在続させれば、これ即ちひいきの引き倒しとなり、前に述べたように、却
つて悲痛なる
愛情或いは
事情により発生した
女性の愛恋を踏みにじり、却
つて女性の多くを泣かしむる惡法となるのであります。若しそれ淫奔悖徳の場合は、これを離縁することによ
つて、その懲罰の目的は達せられます。
男女同罪の
姦通罪の
存在によ
つて告訴した
当事者が、
告訴された者から
愛情の還元を求め、
事情の復帰を願うこときは、木により魚を求むるよりも難事であります。
而も
姦通罪あることによ
つて、
愛情の問題は所有の
観念に混同され、
婦人は却
つて所有物視せられるのは疑われないのであります。
かくては
婦人の解放でなく、
婦人の束縛であります。
姦通罪の
存在することによ
つて、
個人の束縛と脅迫と心理的監禁は続けられ、
人間の自由と
愛情の発展と
道徳的相互の了解による平和の
解決は至難となります。私はむしろ
婦人の味方として
姦通罪の
廃止に賛成する者であります。
姦通の絶滅を期するは、ただ教養と認識と
道徳と
社会人としての自覚を高め、
愛情の
責任を感ぜしめる以外に途はないのであります。それは情感の正しさ、美しさ、潔らかさを教うることによ
つて防ぐことができるのであります。不純なる動機による
姦通も、
姦通された男、或いは女の
愛情の絶縁、或いは
離婚によ
つて、それが向上された
社会通念、
道徳上の糺彈とな
つて、十分に
制裁を加えられ、
道徳的にも
人間性本來の痛恨を喫することは、疑いを容れんと思います。
從つて姦通惡を懲罰すべき有効適切なる道は、
刑法上の処置以外にあると私は思います。
法の
精神たるや、弱き者をして哀れに泣かしむるにあらず、弱き者の正しきを助くべきであります。若し本法ありとせば、その申告は弱き
女性に多からずして、不当なる男性の利用惡用となる。
姦通罪の
存在は弱き者に不当なる迫害を、苦難の
愛情或いは
事情の上に二重に加え、而もかかる事態を生ぜしめた者に復仇的嗜虐性を満足させる暴君の鞭とな
つて及び、悖徳漢の好奇冒險の好餌となり、惡の華の刺戟となるに役立つのみでありまして、倫理上
道徳上、愛恋上の正当なる発達匡正に実効なきのみか、弊害多いと考えます。
故に、私は私が小説家たる
立場におきまして、小説に現われたることを、抽象的に、概念的に考えるものでなく、政府案の
姦通罪の
廃止ということに私は賛成いたすものであります。失礼いたしました。(
拍手)