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公述人(安平政吉君) 予め一言お断りして置きますが、私は只今檢察陣営の一人に加わ
つております。これから申述べますことは全くそれとは
関係ないのでありまして、私一個の人間としてこれから
意見を申述べることにさして頂きます。
今日の檢察の方は相当に常識が発達しておりまして、
姦通というような行動を罰すべきであるかどうかというようなことにつきましては、我々の仲間は必ずしもこれをどこまでも
処罰すべきであるというような、そういう観念は必ずしも皆が皆持
つておりません。現に檢事総長のごときは、この間ラジオで放送になりましたが、これはあつさりと道徳その他に讓る、こういう御
意見であります。そういうような
意見を持
つておる同僚が相当に多いのでございますが、私は併しながらこれに
反対であります。問題の所在は要するに
姦通というような事柄に関しては、これを罰するところの
規定を設けるということが、
刑罰なら
刑罰の
立法をする場合によいか、或いはそれは
刑罰の
立法の上に置かない方がよいか、即ち
刑罰立法上の問題として
処罰法規を置くことがよいか惡いかということに問題は引掛
つておるように思うのであります。これは現実に
姦通という行爲があまりした場合に、これを実際として
刑罰を科して罰するがよいかどうかという、この現実
姦通行爲に対する
処罰問題とは聊か趣を異にする。成る程現実にそういうような行爲が起りました時には、これを
処罰するということになりますというと、いろいろ
考えさせられることがありましよう。その点につきましてやはり最も辛辣に、現実に
姦通を
処罰する場合には、こういう不都合を生ずるというようなことにつきまして、やはり我々の胸を突いて來る思想を展開をしておられますのは、最近には、先程御報告になりました三宅正太郎先生の御
意見であります。繰返すようでありまするが、この御
意見が非常に我々の胸を突いて参りますから一應指摘しますが、三宅氏の御
意見によりますというと、
離婚とそれから
姦通ということについては、何も
刑罰で以てえげつなく
処罰しなくても、すでに
離婚という
一つの制裁法があるのではないか。それから又最近の民事その他の
立法によれば民事賠償というような制裁もあるではないか、即ち妻を許し得ん場合でも、そこに
離婚という途があり、損害の賠償ということも求められる。
姦通の殆んどすべてはかく解決されておるのである。それで又宜いのである。然るにそれにも慊らずして夫が妻を脅迫して牢獄に投じなければ慊らないという心の怨みは瞋恚ばかりでなく、妻の過ちに乘じて、これが脅かして何かしようというえげつない。貧欲根性が現われておる。これは
日本の恥辱ではないかというような、誠に傾聽すべき思想が展開されております。併し私の
考えから申しますれば、これは先程指摘しましたごとく、現実に
姦通行爲があ
つた場合に、これを
処罰すべきかどうかという実証的、具体的事実に当面した場合の問題でありますがこれは勿論
立法の予想する事柄でありますから、無論これを予想せんければならんのでありますけれども、
刑罰立法という問題は聊かこれと趣きを異にするのである。私はどこまでもこれを一國の取締りの法規として
刑罰を
立法する場合に、これを
処罰規定を置くことがよいか、或いは置かないことがよいか、この当面の問題として今日は
意見を少し申上げて見たいと思います。
結論から申しますと、私は必ずしも
姦通というような観念を使用しなくてもよいのでありますが、要するに配隅者の一方が婚姻を破る、婚姻の
目的を破局に導く、そういうような行動がありました場合に、これを配隅者の一方が訴え出まして、そうして結婚が解消しました曉におきましては、場合によ
つては
処罰を求める
意思があれば、例えば一年以下の
懲役或いは
罰金……相願わくば
罰金で済ましたいのでありますが、それでは威嚇の力が少いということでありますれば、或いは一年或いは二年以下の制裁と
罰金と二つを認めて、一應
刑罰立法の建前といたしましては、そういう可能性があるぞよ、だから我々は普段から注意せんければならんという
一つの
刑罰警報、先程どなたかおつしやいました赤信号、それを示す
意味におきまして
刑罰立法の建前としては、やはり罰則を置くがよい、こういう考を持
つておるのであります。その
理由でありまするが、午前中にもいろいろ先生方が諸國の
立法例について御報告になりました。現在諸國の
立法法制を仔細に檢討いたしますというとこの
姦通罪について
処罰規定を
法律の上におきまして一應
規定しておりますのは
ロシアであります。
ロシアにおいてなぜこれを
規定するに至
つたかということは一々ここで申上げる遑もありませんが、問題になりますのは
英國、或いは北米合衆國、成る程
英國、或いは北米合衆國におきましては、こうした問題は
コンモン・ロー、普通法の上におきましては、これを罰することにいたしていないかも知れませんが、併しそれでは
法律的、或いは社会的の制裁がないかというと、実はそうではないのであります。これはもともと婚姻は神これを結び給うが故に、これを破棄するものは神これに制裁が加える、人事の問題ではないというような見地から、宗教
裁判若しくは宗教上の制裁に委せておるやに承わるのであります。即ち制裁法規を認めておりません英米法などにおきましても、これは宗教上の制裁に委せておるのであります。そこで
日本におきまして、今度の
立法に全然
姦通罪について取締罰則を抹殺してしまうということになりますと、果して事なきを得ましようか、殊にクリスト教その他の宗教的信念が遺憾ながらまだ十分に確立して居りません現在の
日本の文化、或いは
一般大衆の文化、若しくは
道義観念ということを前堤といたしまして、私はこれは甚だ申しにくいのでありますけれども、果して罰則というものを全面的に省きまして、事なきを得るや否や、聊さか疑問に思います。これは只今我々の
経驗というと語弊がありますが、成る程理想といたしましては、こういう
姦通というような忌まはしいことにつきましては罰則を設けずに、全く
道義観念その他の社会の制裁に委せればいいのでありますけれども、併し
日本の
秩序を全般的に維持するという
立場から申しましては、必ずしもそうは行かない。日常
生活殊に大衆、ここに見えております皆様の前にはそういうことを申す必要は全然ないと思いますが、併し廣く世の中の
一般の社会
生活を見渡しますと、
姦通というようなことは何と申しましても性慾
関係の問題でありますから、智者も愚者も、場合によ
つては邪心が起るかも知れないのであります。併し万一一時の本能その他情慾に支配されて、そういう行動に移るならば、若しそれが公沙汰に
なつた場合
刑法というものがあ
つて罰せられるとなると、
自分には
子供がある、兄弟もある、親もある、こういうようなことで社会上の問題に取上げられるならば面目が立たんというので、必ずしも
刑罰を恐れるという
意味ではありませんが、
刑法に対して敬意を表する。そのことがきつかけとなりまして、折角邪惡の心を起しましても、それを差控える場合が果してないでありましようか。私は
刑罰法というものの効力は二つの方面から効力を認めております。それは
一つは現実に犯罪行爲が発生しました場合に、
刑法の約束いたしました
刑罰を科して、これに制裁を加える。これが実際的方面、併しその他に
刑罰即ち罰則と申しますものは、犯罪の起らない以前に犯罪に傾いて來た人間を
刑罰で恐れしむることによ
つて、犯罪から遠ざからしめて行くというところの、つまり罰せずして
刑法を恐れしめるという
一つの
考え方があるわけであります。学者はこれを称して
一般的警戒と申しております。その最も
代表的な理論を展開いたしておりますのは
ドイツの
刑法学の先祖と称せられるアンセルム・フオン・フオイエルバツハというものがこの
代表的のものであります。これは永久に捨て難いところの
一つの大原則を示しておるのであります。それはどういう点であるかと申しますと、一々
國家が
刑罰を設けるということは、現実に犯罪があ
つた場合それを取つ捕えて
処罰するかというとそれは必ずしもそうでなく、否な実を言えば、そういう現実に
刑罰を科するということは、実は嫌うにも拘わらず
國家が
刑法を設けるのは、それは即ち犯罪というような事柄が起らない以前に、お前さんたちこういうことをするならば社会の人々はこういう制裁を加えるのだ、だから愼しまなければならないと
言つて、犯罪行爲に傾いた場合に、それに対して赤信号を與え、よ
つて以て犯罪から遠ざからしめて行くところに、罰則即ち
立法の本來の使命がある。これを称して心理強制説、即ち
一般予防の
刑法理論の中の
一般予防
主義の理論、
一つの赤信号を示すことによ
つて犯罪の起らない以前に、犯罪から遠ざからしめて行くというのが
刑罰立法の本來の任務である。人呼んでこれを
一般警戒心の
刑法理論と称しておるのであります。私は
姦通罪処罰ということにつきましては、特にこのフオイエルバツハの
一般予防の理論、即ち心理強制説の理論というものを眞先に頭に想起せざるを得ないのであります。そういうふうな眼を以て諸國の
立法例を参照して見ますると、この点について最も我々に良い参考を與えてくれますのは、世界で今一番新らしき
刑法と称せられておりますスイスの、一九四二年七月からでありましたか、実施されておりますスイスの
刑法における
姦通罪処罰の
規定であります。御
承知のごとく
ドイツでは
姦通という言葉は避けまして、
姦通のことを婚姻破り、エーエ・ブルツフ、婚姻破棄と称しております。即ちこの婚姻放棄、エーエ・ブルツフ、婚姻破棄の
規定を見まするに、男女両方共これを
処罰するのでありますが、その
規定は一應
姦通という事実がありました場合に
離婚の手続をします。そうして
離婚が解消した後に、若しむごたらしいところの婚姻破棄であ
つて、それに堪えないという場合には
裁判所に
告訴する、即ち訴えて然る後に
処罰するという
規定にな
つております。これは甚だ迂遠な、一度
離婚ということまでしてしまう。その後に尚
刑法上の訴追を求めるというのは、先程の
議論の方がいげつないやり方だ、これは甚だ残酷であるというようなふうに初め読んだのでありますが、これは読み違いで、そうじやないのであります。スイス
刑法の狙いはやはり婚姻破り、即ち
姦通、婚姻破棄に対してはあくまでも
刑罰は科したくない、科したくはないのでありますが、先程まで數々申上げておりまする
通り、一應
刑法の罰則というものを置いておかなければ、犯罪のある以前に
國民に対する赤信号を示すことができないのであります。そこに赤信号を示す
方法といたしまして、そういうような実際として
処罰に困難なような、
離婚を先ずさして、然る後に
処罰の
意思を求めるというような
親告罪の二種の
方法を認めておるのであります。同樣な
規定が
ドイツ、それからポーランド、それからお隣りの中華民國、あの國は御
承知の
通りなかなか妾を置くことが相当にあるのであります。その中華民國のこの度の
刑法におきましても、これは無條件に男女の両方を
姦通罪として
処罰することにな
つております。お隣りの中華民國でもあれ程蓄妾なんかが流行りますけれども、
刑法の上ではやはり男女同樣に、平等にこれに対して制裁を加えるという、一應そういう形式にな
つておる。私は台湾に長い間おりました。前後十数年かかりまして、三百いくつの高砂族の
刑罰制裁を取調べたことがある。蕃界におきましてもやはり
姦通については三
通りありました。男のみを罰しておる場合と、それから全部
処罰を放棄しておる場合と、それから男女双方を平等に
処罰しておるのがあるのでありますが、その結果ははつきりとはいたしませんですが、成る程実際問題といたしましては、これを双方とも罰しましても、或いは個罰といたしましても、或いは大差はないのであるかも知れません。併しながら苟くもこと
刑罰立法の
議論といたしまして、事前的にそういう取締法規を設けることがいいか、或いはそれは不必要である、或いは有害であるという問題になりますと、私はやはり先頃から申します
通り、これは一應罰則を設けて、そうして事前に赤信号を示して置くということが本格的じやないか、又常識的ではないか。現に諸國を見ましても、
ロシアその他
英國をのけましては、概ね諸國は何らかの形式において
姦通行爲を
刑罰法規の上において取締
つておるのであります。但し先程から申しますごとく、この
姦通罪の取締りは、実際問題としては先程三宅先生もおつしや
つた通り厄介な、且つ又弊害も多いのでありますから、実際に
処罰するということは、或いは親告制を持たす、
告訴を持たすということや、或いは事実におきまして
子供があ
つたり、家内があ
つたりして困るときには檢事というものがおりまして、起訴猶予、又そのほかのいろいろな便宜
方法を講ずるのでありますから、必ずしも罰則を設けたから常に必然的にそういう行動があ
つたときに、これは
処罰せんけりやならん、こういう
結論は生じては來ないのであります。
以上甚だ簡單でありますが、要するに事前におけるところの非行その他を取締り、
刑罰を必ずしも予期しない、
刑罰を使わないところの
刑罰法規というものを設けて置くことも、これは一策である。
反対論から申しますと、使わないところの
刑罰法規は直ぐ止めてしまえ、初めから拵えないという理論も成り立つのでありますが、早い話が今日の統制経済法なんかを見ますると
國民は沢山に経済取締法規を拵えておりますが、これは事実行われておりませんことは皆樣御
承知の
通り、世の中はそういう取締法規にお構いなしに、実際に闇相場或いは闇取引というものが行われておることは皆さん御
承知の
通りであります。それが事実その取締り法規が行われていず、
從つて世の中はぐんぐん或る
一つの方向に向いて行くから、初めからそれじや
刑罰法規を置かないではどうかという
議論も起りますけれども、併しそれは不可でいけない。やはり事実行われなくても、或る程度において罰則を置いておくということは、やはり時代に対して
一つの社会規範というものを示して、お前さんたちはそういうふうにや
つているけれども、それは必ずしも良くないというような、いろいろなことの
國家的社会規範というものを掲げて置く。これは何かの
一つの安全弁的方式をなすのである、こういうふうに私は思うのであります。甚だ
議論は少し乱暴であるかも知れませんけれども、率直に私の
意見を申述べました。