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政府委員(
磯野勇三君)
引揚の問題につきましては、すでに
皆様方十分にいろいろの
方面からあらゆる
機會に資料をお取りにな
つていらつしやることと存じまするが、概括的に極めて
簡單に全體の
状況を申上げさせて頂きたいと思います。
一言申上げますならば、
引揚は順調に進んで來ている、或る一
地域を除いては極めて順調に進みまして、當初
豫定せられておりましたよりも遥かに速やかに凡そ完了いたしておりますし、僅かに殘りました
南方もこの十月の中旬頃には完了するということになりまして、その點は
司令部當局及び關係の諸國の努力に大いに感謝しなければなならないと思うのであります。
殘る
地域は
ソ聯地域及びその
占領地域などでありまして、これから先の問題は專らその
地域からの
引揚げということになると思います。そういうふうに各
地域の
引揚が完了いたしまして、もう何處にも殘
つておらないかといいますと、必ずしもそうではありませんで、例えば
南方の
諾地域におきましても二、三百名の
戰犯関係者その他が殘
つておられます。
支那大陸におきましては華中、嘩北に二千名乃至三
千々名という
収容者がおりまするし、
滿洲、これはすでに百十萬ほどの
引揚げを完了いたしまして、大部分は勿論濟んだ
地域にな
つておりまするが、まだ
中央軍の
治下に三萬乃至三萬五千、この六月頃に推定せられた人が殘
つておるわけであります。それから
滿洲のうち
中共地區にも、
中共軍に留用せられた形にな
つておるものがあります。これは男のみならず女の人も非常に多いようでありまするが、これが大凡三萬から三萬五千、これは勿論的確な數は分りませんが、これくらいの
人數が残
つておるという
實情のようであります。
然らば
ソ聯領域においてはどういう
状況かと申上げますと、
樺太の方に大
體二十萬弱、これは少し外輪に見ての推定でございますが、二十
萬弱殘つており、
シベリヤに七十
萬弱、これも極めて漠然とした
數字でございますが、
人數が残
つておる筈であります。
そこで
只今申上げようとして忘れましたが、
中央軍の
治下におります満洲の
留用者は、去る七月から八月に掛けまして一萬八千數百名が歸還いたしております。これは長く
希望せられてお
つたところでございますが、やつと
實現いたしまして、この八月迄に一萬八千歸り、更に九月の中に一萬九百名程歸る
豫定で
配船の
手配を進めてございます。
合計三萬の
留用者が歸るということにな
つて參りまするので、大體において
中央軍治下の
日本人の
留用者も、少數を殘しては
引揚げを完了するという
状況にな
つております。
まあこれが最近の
引揚げについての極めて特異な例でございまして、その外中支その他の
留用者も、これは大量ではありませんが、ときどき或いは百二十名とか三百名とかいうような數で
随時便がございますので、ときどき
歸つて來ておる
状況でございます。
問題は
ソ聯地區でございますが、その他の、
樺太につきましても殘留者がどれ程あるかということは、はつきりいたしませんことは、それは
ソ聯に占領せられた後で
樺太から他所へ持
つて行かれたということもありまするし、その他いろいろの事情ではつきりした
數字がないのでございます。その
引揚げは一體どういうことにな
つておるかと申しますると、外の
地域が大凡終りました昨年の暮、我々の方では
ソ聯領域からの
引揚けが一日も早く開始されることを非常に切望したのでありまするけれども、昨年の暮に至るまでは遂にその
實現を見ることなく、やつと十一月二十九日という
目附で
司令部と
ソ聯側との間に假りの
協定ができまして、それによ
つて北鮮の二ヶ所、
咸興及び元山、それから大連、
ナホトカとか
眞岡から各五千ずつ、
合計二萬五千を歸すという
協定ができまして、それによ
つて歸つて參りましたのが、第一囘の
ソ聯領域からの
引揚げでございまして、それを追
つて十二月十九日に
司令部と
ソ聯側との間に改めて本
協定ができました。つまり毎月五萬の
割合で
日本人の
軍人及び
一般在留民を歸すという
協定ができて、それが今日に及んでおるわけでございます。何分にも外の
地域が大
凡引揚げを完了しました時期に、やつと
引揚げを開始した、而もその
地域におる
日本人が非常に多いという
關係で、歸りが遅か
つたがために、それが先ず第一の
原因で、遅くまで掛らざるを得ないという
實情でありまするが、
人數がまた極めて少ないのでございまして、この五萬という
数字は我我といたしましては勿論非常に物足りないのでございまするけれども、この
協定ができました
當時は兎に角、今までどうにもならなか
つたソ聯領域からやつと五萬の
割合で
歸つて來るということで、その
當時は先ずほつとしたのでありますけれども、我々は
司令部に對しましても勿論ごの
數字は問題にならなく小さいのであるから、できるだけ
氣候の良くなると同時に、これを増大して貰いたいということを常に申しておりましたし、
司令部の係官の方におきましても勿論それと同じ
氣持で、この
協定ができ上りました
當時すら、この
協定は極めて
滿足とすることはできないということを申してお
つたくらいでございます。
そこで然らば、毎月五萬ずつの
引揚げの
豫定がどういうふうに實際に行われておるかと申しますと、これは何處の港から何人ということは
協定にはございませんで、
ソ聯領域を
引括めまして、そのすべての
地域から日本に對して月に五萬の
割合で歸すということが
協定の本文にあるのでございまして、その
方法も詳しく書いてございます。
その
方法を御參考までに申上げて見ますと、先ず
配船の手順が非常に外の
地域と比べまして、變
つておるのでございます。大
體ソ聯が月五萬の
割合で歸すということにいたしましてから、
一定の
地域に
引揚げるべき
日本人を集結せしめる數が
ソ聯側の負う義務でありまして、その
一定の集結ができますと、その都度
ソ聯側から
司令部の
最高司令官に對して、何處其處の港に何月何日何人の
日本人が向か
つたから、何處に何日までに船をよこせという
配船の要請が來るのでございます。これが十二月十九日の
協定の附屬書第一節の二項に書いてございます。その要請を受取りますと、
司令部の方からその都度出發いたしまする船の名前と、何處の港を何日に出る、その船はどういう形であ
つて、大體指定された場所に何日頃到著する、船長の名前は誰であるというような細かいことまで
ソ聯側に通報いたしまして、その第定に従
つて行動するということにな
つております。これがその附属書の第一節の三項に明白に書いてございます。そうしてそういうふうにして出掛ける船は、
ソ聯側から
司令部に對して通告があ
つた日から二週間以内に指定の場所に到著することが必要である、そうでなければ
引揚者を乗せてやらんということにな
つております。これが
協定本文の第三節の三項に書いてございます。そうしてその指定せられた通りの時期にこちらから船を持
つて参りますると、そこに豫て通知せられました通りの
人數が集めてありまして、その時に
引揚げさせられる
日本人の名簿がロシア語で作
つてある、それを船長に渡す手續というようなものまでが附屬書の第三節の四項に書いてあります。凡そ
只今申上げましたように、細かいところまでも指定されまして、
ソ聯側から通知がなければこちらから船をやることができないということにな
つておるのであります。
そこで而もこの月五萬の
割合で歸すということ、その月五
萬人歸すということは、
協定の本文の第二節の第二項に明白に書いてございますが、この文句の中にも、若し豫見せられざる
状況が發生した場合には、この港こしても變更することがあるかも知れないし、その
人數にしても變更されることがあるかも知れたいし、中止することもあるかも知れないというような留保が書いてあります。これは
協定本文の第二節四項にありまするが、そういう文句までも入
つておるのであります。然らぱ實際にこういうことが起きたことがあるかと申上けますると、大體この
協定ができましてからは、
ソ聯領域全體といたしましては、本年の六月までは極めて
滿足な
状況で進んで来ておりました。ということは全體といたしましては五萬を超える
數字が
引揚げておるのでありますけれども、八月當初は北鮮大連からの
引揚げが非常に澤山ありまして、大連
地域は殆ど完了いたしましたが、殘るところは
樺太とシベリアのみということになるのでありまして、それがこの四月でございますが、四月以來は五萬の
數字が、
樺太から三萬とシベリアから二萬というふうに、これは
協定にはございませんが實際上決められまして、
配船の
手配もその通りにな
つてお
つたのでございまするが、従來
樺太から三萬、或いは三萬百名とか三萬二百名とかい
つたように
ちよつと三萬を上廻るような
數字で歸
つておりましたのが、八月に至
つて樺太から
函館への
引揚げが、先程
お話しがありましたように、一萬三百なにがしというふうに減少いたしました。又九月の當初はもつと數が少いというふうに報ぜられてお
つたのでありますけれども、結局本月は大體一萬五千
歸つて來るという
豫定にな
つております。これは
配船の
關係方面から申しますと、今まで大體三萬歸る
豫定で船を廻しておりましたところが、八月以來
ちよつと待
つてくれ、
引揚者の集結
状況が悪いから、改めてこちらから言うまでは従來通りに船をよこして貰
つては困るということで、今まで月に十囘行
つておりました船が、四囘周になり三囘になるということで、船が出ることかできなくな
つてしま
つたのであります。
そこで、何故にこういうふうに
樺太からの
引揚げ人數が減
つたのかということに非常に我々は憂慮を持
つておるのでありますが、
ちよつと
速記を……。