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穗積眞六郎君 一番初めにお伺いいたしたいと存じますのは、
在外公館の
借入金、それから
在外同胞の
救援金、これを何とかして早く返して頂きたいということでございます。この
在外公館の
借入金、
在外同胞の
救済金がどういう
性質のものであるかというようなことにつきましては、度重ねて
お話がしてありますので、今ここで繰返して申上げることはいたしません。ただこれに対しましては、
國会の最初に私が
質問をいたしましたのに対しまして、
芦田外務大臣が
総理の
代理として御答弁の中に、これは当然返すべき金である、ただいろいろな
事情で直ぐに返すことができないが、当然返すべき金であるということは
言つておられます。又その後においても、この
特別委員会の小
委員会等において、
外務省の方でも、これは
行政費に属すべきものであ
つて、返すべきものであるという
根本には少しも
疑いのないものと思うということを伺
つておるのであります。勿論そうであろうと存じますが、この点につきまして
大藏省からも
根本の
性質に対してのお
考えを承りたいと存じます。続いてこの返すべきで金あるという
根本が決まりましても、我々といたしましては、是非このできますならば全部、それでなくても一部でも早く返して頂かなければ、この金を用達てました
人々として今日の
生活にも困るという
状況がございますが、その点を少し長くなりますが、具体的に
お話して見たいと存ずるのでございます。
お話は極く一
地方の話になりますが、併しこれは殆んど全体に及ぼし得るというものなので、一應
お話して見たいと存じます。私は
京城におりました
関係から
朝鮮の
状態を極く簡單に
お話して見ようと存じます。
終戰後御承知の
通り、
朝鮮は三十八度線によりまして、ソ連の
占領地区と
米軍の
占領地区とに分れたのでございますが 三十八度線以内・
米國の
占領区におきましても、
占領と同時に
地方との
連絡は全く断絶されまして、
日本人は十キロ以上の旅行をする場合には
許可を得なければならんということになりまして、その
許可も殆んど與えられないという
状況でございましたので、各
都市がみんなばらばらな
状況にな
つたのでございます。そうでございますが、結局が
京城を
中心といたしまして、そうしてこの
連絡の取りにくい中でもできるだけの
連絡を取りまして、南の方の
引揚げに
努力いたしますと同時に、
京城を
中心として
北の方から
脱出して参ります
人たちの
救済に当
つたのでございます。この経費が
京城におきましては、初め総督府その他の
寄附金によりまして千八百万円くらい集
つておりましたので、その年の十二月までは先ずこれで以て凌いで來たのでございます。十二月に入りまして、まだ千百万円ばかり余
つておりました金が
米軍に凍結されましてから、どうしても
北の方からずんずん逃げて参ります人を
京城に収容いたしましてこれを南の方に送り出すというために非常に多額の金が要りましたので、そのために
借入金ということが生じたのでございます。そのときに
内地と折合せまして、
外務省から金を送
つて頂くということを祕かに申送
つたのでございますが、併し金を送ることはできないが、併しお前の方で借入れた金はこちらに
帰つたらば直ちに返してやるという御誓約を二度まで頂きまして、先ずそうなるものとして
人々から金を集めて参
つたのでございます。併し一昨年の暮になりまして、
南鮮におきましては殆ど金持は帰
つてしまいました。金を集めると申しましても殆ど残
つておる人の
差当りにも要るような金を集めて使
つたような
状況でございます。その上に
北の方におきましては、みんな
財産は没収されます。その残
つたものの賣食いで皆が命を繋いでおるような
状況なので、
北の方の
都市並びに村落におきましては実に皆血の出るような金を集めてその土地々々の
救済に当
つていたのでございます。こういうふうにしておりますうちに、去年の四月頃になりまして北三十八度
線以北からの
脱出をどうしてもしなければもう生命に危險を及ぼすというような
程度になりましたので、北からの
脱出というものが非常に殖えました。これが殆んど
京城に集ま
つて、釜山を通
つて帰るというような
状況にな
つたのでございます。北におりましても
傳染病ははやります、非常な死人を出します。南に逃げて來ましても、これらの予防の見地から、
京城の街には入れられません。
城外の二三ヶ所に
テント生活を送らなければいけないというような
状況でございます。それに対する
食事等も非常にひどい
状況でありましたので、どうしてもこれを支えるためには多額な金が要るのでございます。併しそれを集めますのに、もう
纒まつた金を持
つておる人はないのであります。先に北から着のみ着のままで逃げて参りました
人たちの帶の間、髪の中に隠して置いた金を集めて、そうしてこの
救済費に充てる。こういうような
状況にまでなりました。やつと昨年の十二月で大体の送還が
終つたというような結末にな
つたのであります。
從つて金を借りました額は七千何百万円でございますが、借りました人員においては四万八千人に達しております。これはこちらの
内地の御
希望としては成るべく纏めて借りてくれという御
希望でありました。御尤もな次第でございますが、
現地の
状況は決して大きな金を纏めて借りるようなことはできませんので、そういう
最後の金まで借り上げて、そうしてやつと、この
仕事を
終つたというような
状況なのでございます。そのときに借ります
人々も貸します
人たちも、これは
帰つたならば必らずこちらで直ぐ返して頂けるという氣持でこういうことをしたのでございますが、帰りましてもこのことが今日まででは
政府の御
事情で一円も返して頂けないという
状況でございますので裸で
帰つて着、そうして
最後の金を
同胞救援のために途中に置いて参りました
人たちといたしましては、何とも法が付かないのでございます。法が付かなければ借りました
人々に対して是非非常に早く返してくれと
言つて迫るのは当り前のことでございます。私はこれは
政府の
責任だとは思いますけれども併しそれを
政府の
責任であると
言つて抛
つて置くことはできないのでございます。そこで同志が相寄りまして、こちらで商賣をしましたり、又願いまして
慈善興行をさして頂いたりして、その
一部分を返すということに計ら
つたのでございますが、我々の
仕事というものはそう大きな
程度にできるわけのものでございません。約百何十万円をそういう
方法で集めて返したことでもうとてもいけなく
なつた、こういう実情にあるのであります。
朝鮮もこうでございますが、満
洲あたりにおきましても初めまだ自由な時代にお役所の方も皆集ま
つて御相談の上で計画を立てられまして、そうして、すべてが
承知の上で
寄附金を集められたのだそうでございますが、併しそれも初めは一万円というようなことを目途としておられましたのが、そういうわけには行かなくなり、千円になり、二百円になり、小さな金まで集めてこの事業に当るというような
状況にな
つておるのでございます。こういう
問題に関しまして、いつまでもこれに対する返済ということにつきまして、
根本は決まらないでも、何とか工夫して一部の実行でもして頂きません場合には、これらの
人々の頭の上には、この点に関しては、
日本の國というものがあるのだかないのだかという
疑いを持つのは、私は無理のないことだと
思つております。こういう
事情でございますので、この
在外公館の
借入金は勿論、
一般の
借入金につきましても、随分いろいろな御
事情はございましようが、そこを何とか工夫されて、一部でも早く返すということに御
努力あることが、私は
政府の絶対の御
責任だと
思つております。この点につきましてお
考えを伺いたいと存じます。