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淺岡信夫君 只今笹森國務相から
お話がありましたが、
笹森國務相が御覧なられました當時と、私共が最近調査いたしました
事情と
ちよつと
情勢が
變つて來たんぢやないかと思います。少し細かい點に移りますが、先ず
食糧の面で申上げますと米でございます。米が殆ど今ないような
状態で、麥と粉というようなことでこれからはや
つて行かなければならんという
状態になりつつあります。併し現在は若干の米はあるそうですけれども、もうこれは大體において毎月船が十杯歸ると二千人として二
萬人ばかりの
實情でありますが、その二
萬人もやがて米がなくなるんじやないかというような
状態でありまして、特に私共はその炊爨の
事情からどういうものを食べさせるか、私
自身も試食をいたしまして見て参りましたが、大
體歸つて來る多くの
人たちの聲を聴きますと、とにかく
自分は三年半、米を食
つたことがないとか或いはなんとかして
日本に歸
つたからには
野菜、
野菜はもう殆ど一年半食
つたことがない。
野菜を食べたい。或いは米を食べたい。もうその
念願に驅られております。その際に米がないということは非常に残念なことだと思うのであります。これは特に
復員廳總裁の方から
農林大臣に或いは
農林省當局に
一つ特にこの點御配慮をお願いしたいと思います。そこで
舞鶴港に
引揚げられて参りますのは、現在の
状態で参りますと月二萬です。
函館が三萬、
函館は私共まだ観察しておりませんが、米の
状態はそういうふうでありますが、
農林省に特にお願いして頂きたいと思います。それから
野菜鮮魚であります。この
野菜鮮魚というものは今の
豫算では到底與えることはできないという
實態で、今度は從來の
豫算よりか三倍になるということを言われておりまして、非常に喜んではおりましたが、その三倍でも尚且つ足りないのだ。それではどうしてや
つて行くのだと突込みますと、實はそこに五日間滞在することにな
つておるので、その
豫算を、三日ぐらい滞在を
願つて、そうして勿論早く郷里に歸りたいという
念願で一杯なのだから、そういうふうに早く出發して頂く。そうするとそこに二日の
餘裕ができる、その
餘裕が出たものを全部新鮮な
野菜を與えるというような
状態でや
つておるということを言われておりました。
それから衣服の類でありますが、この衣服を渡しておるのも、私共實際に見ましたし、
一つ一つ檢討いたしましたが、實は私共歸りにその二組を持
つて歸りまして、そうして
参議院の議員
諸君、或いは衆議院の議員
諸君に見て頂こうと思
つて依頼しました。やがてそれは
國會に送
つて來ると思います。それを見て頂けば分りますが、とにかく
引揚げて來る人の中には、靴を履いておる者もありますし、
自分で下駄を作
つておる人もありますし、跣足の人もあります。そういう人が
日本に
歸つて來て、ぼろぼろに
なつたやつを脱ぎ捨てて、そうして新しい衣服を身に著ける、或いは外被を身に著ける。ところが、その毛布が皆に行き渡らないのです。靴も三人に
一つくらいの割合だそうです。せめて、今海外から
歸つて來るのを假りに百萬としまして、百萬の衣料くらい、百萬の靴くらい、百萬の褌くらいは、この
日本國中に決してないとは私は言えるものではないと思います。とにかく敗戰後丸二年間海外にあ
つて苦しんで
歸つて來た
日本において、衣服はない、靴はない、靴は貰うけれども今度は外套がない。毛布は貰うけれども或るものはないというようなことでは、これは實に私は情ないことだと思うのであります。それでこの衣服をどういうものを渡しておるかということは、この次の
特別委員會に私は見本を示そうと思
つておりましたが、せめて
歸つて來る
人達に一
通りのものは渡るように
一つお願いいたしたいと思うのであります。一
通りと言いましても、毛布一、外套一、靴一、略帽一、それからテントなんかで造
つたちようどリユツサックみたいなもの、それから揮、手拭、大體渡るものはこれくらいにな
つておりますが、これも渡
つたり渡らなか
つたりでは實際可哀そうです。ですからこの點だけは
一つ特に片山
總理に特別に御留意を願いたいと思います。
それから石炭でございます。あそこに二
萬人歸つて來る。その二
萬人の
人達の炊爨、それから消毒液の中に先ず身體を五分間浸ける。それから入浴をする。こうしたものに冬季は四百トン、夏季でも三百トンの石炭が毎月必要なのですが、ところが割當てておる石炭というものは僅かに四、五十トンです。
あとはあそこの
林次長以下皆が東奔西走して集めておるような
實態でありますが、これも大したものじやないのですから、この程度の石炭ならば、どこを削
つても、先ず
舞鶴港、或いは
函館、宇品、佐世保くらいには心配をさせずに
一つや
つて頂きたいということを私は特に
念願いたします。
それから映畫でございますが、
歸つて來て
日本の土を踏んで、新聞も
日本の新聞は見たことがない。ソ聯にいる間は、向うで出ております「新生
日本」とか、或いは「
日本」とか、向うで印刷された新聞を見ております。その新聞につきましても、あそこで古いやつを五百部、新しいやつを五百部程入れておりますけれども、でき得れば東北或いは關西地方を人間天皇が行幸されたというような姿、或いは曲がりなりにもとにかく
日本の動きつつあるニュース、そういうようなものを先ず映畫によ
つて見せるというようなことも非常に望ましいことじやないかと思うのであります。
それからもう
一つどうしても必要なことは、あすこへ
歸つて來まして、
自分の郷里、
自分の親許に電報を打つのです。ところが
歸つて來た
人達は二百五十圓か三百圓の金しか貰わない。ですから、少し長い電報を打つとすぐ三十圓、四十圓、或いは五十圓、六十圓取られる。とにかく二年も三年も苦しんで
歸つて來て、或いは六年も七年も苦しんで
歸つて來て、二日後、三日後にはここを発
つていつ頃歸るという電報を打つ、その電報賃に四十圓、五十圓取られたのでは、これは實際お氣の毒だと思うのです。せめて歸りの列車を鐵道省がとにかく歸る期間というものは只で乗せてやるように、勿論後で、それは
政府が清算するのだそうでありますが、せめて
歸つて來た人間は、一音信六十字とか、或いは八十字とか、百字とか決めて、その範囲においでは、親許なり、或いは細君なりの所に自由にお打ちなさいという温かい心持があ
つてもよいのじやないかと、私は非常に先ずこれを思
つたのであります。
大體もつと申上げることもありまするけれども、今千田君が
政府に
質問され、
笹森國務相から
お答え願
つた點を私は折返して
質問申上げたり、お願いしたい、或いは御了承願うような點を二三御
報告申上げた次第でありますから、どうか私のお願いしました點につきまして
政府の方でも一層の御勘考を願いたいと思います。