○原口忠次郎君 私ちよつと自分の
考えをこの際述べさして頂きたいと思います。先程來各委員からいろいろ
河川の
洪水問題についてお話がありました。結局伺
つておりますと、皆さんの仰しやることを虚心担懷に聽いておりますと、結局
洪水は簡單に申上げますと、
砂防工事をやれば除かれるのではないか、こういうふうな感じが非常にするのです。私は
砂防工事が皆さんが仰しやる
通りに非常に大事であるということは、これはもう一つもそれに意見を差挾む余地はないことは勿論でございます。日本のような土砂の崩壞する土地で
砂防工事が非常に大事であるということは、非常に私も同感でありますけれども、日本における
洪水が山の
砂防工事をやつたなら除かれるのじやないか、こういうふうにお
考えにな
つておる感じが非常にするのであります。これは私どもの今までの経驗、又私共の知
つておる範囲から行きますと
砂防工事をどんなに沢山やりましても、私は
洪水を除くことはなかなかむずかしい、こういう感じがいたします。少し言い過ぎかも知れませんけれども日本で今まで
砂防工事じやありませんが、水力発電の堰堤を
相当にや
つております。これは私この間も黒部川に參りまして堰堤を視て來たのでありますが、黒部川上流のような土砂崩壞しない堰堤ですら土砂が埋ま
つております。それの殆んど甚はだしいものは八〇%それから少いものでも六〇%くらいは埋ま
つております。一番埋ま
つております堰堤のごときは、まだ造りましてから僅かに十年に足りない内に、殆んど埋ま
つてしまつたというような堰堤が沢山水力電氣にはございます。この水力電氣は水を溜めるのが目的なんですけれども、土砂が溜ま
つてしまう。それがために初め
予定した発電はできない。今後水力発電についてダムをどうするかということが、この水力発電のダムの非常な悩みにな
つております。それと同じように、砂防堰堤を造りますと当然そこに土砂は溜まりますけれども或る一定量が溜まりましたならば、その堰堤でその堰堤の上流の土砂をそつくり取れるかということが、これは非常にむずかしい問題であります。そうして例えば群馬縣の山間地帶の崩壞が、その土砂が栗橋とか、或いは取手とか、そういう方面のところまでの
洪水を防ぐことができるかどうかということは殆んどむずかしいことではないかというふうに
考えます。水流の中に入
つておる土砂の量を幾らかでも少くする、非常に
下流方面における水の中の土砂の量を少くするということはできますけれども、
洪水流量を絶対に堰堤で防ぐということは、日本においては殆んど私は不可能のことだと思います。でありますから、上流の
砂防工事を強化することは勿論でありますけれども、今日日本には沢山な
下流の
河川がございます。その
河川は戰爭中の物價騰貴或いは予算の減額、そういうことのために今日すべてが殆んど病膏肓に入
つて放
つて置けばどこに大きな
水害が來るか分らん。或いは來年にも或いは今年にも、もう今年は殆んど
水害はないと思いますけれども、惡くいたしますと、十一月の初くらいまでに
水害があつた年がございます。そういうふうに各
河川の
堤防が、いろいろその
堤防の築造について先程來御意見もありますけれども、結局私はこの土木事業は
洪水を、氾濫するのを防ぐという
河川工事を勿論第一義にしておりますけれども、いわゆる経済價値が伴うような
河川工事をや
つて行きたいと思います。ただ
堤防を岩石で造り、コンクリートで造り、そうして何十里もそういう
堤防を造るとか或いは川幅を廣くさえすればいい。無茶苦茶に廣くさえすればいいということは、耕地を少くする。いわゆる経済價値に伴うような
河川工事を今までや
つて來たのでありますから、そういうことを
考えますと、やはり
河川工事も、今病膏肓に入りつつある
河川工事もできるだけ早く急速に補修をする。そうして今までに
考えなかつたこと、例えて申上げますと、私は今囘の
利根川の
洪水で私特に
考えておりますことは、
河川流量が先程局長から少なかつたというようなお話なんですが、私は
利根川の
改修工事は
河川流量が少なか
つたのは、四十三年頃は当然そのくらいで宜かつたんじやないかという感じが非常にするのであります。それと申しますのは、何しろ四十三年頃は、今から四十年前でありますから、恐らく人口も二千万くらい日本の今日の人口より少い。
從つて山嶽地帶の耕地が今日と比較にならないほど少いそういたしますと、降つた雨が出て参りますその流速というものは非常にのろい。それが今日は四十三年から見ますと、二千万人以上の人口の増加のために、到る所に部落を作り到る所に耕地を
作つておる。そういうふうなために降つた雨が非常に早く出て來る。これは今日日本が八千万の人口を擁する國にな
つて、初めてそういうことが私は分ると思います。そういうふうにあらゆる土木事業がその当時の経済價値から、現われておりますから昔
利根川が或る
程度の流量が少い計算をしてお
つても、これは当時としては勿論差支ないことじやないか。例えば港湾にいたしましても、初めから大きな港湾を
計画するわけでありませんので、その当時の國の力により、港湾なり、道路なり
河川なり、あらゆるものは
計画されると思います。國家百年の大計と申しますけれども、今我々が日本の國家百年の先を見透すということは非常にむずかしい。我々技術に
関係する者だけじやないと思います。甚はだしいのは政治家もとにかく日本が負けるということはちつとも
考えなかつた。それが敗戰國にな
つたのであります。こういうふうに我々が
考えておりますことは、一年先は分らないというような事実が非常に多いのでありまして、ただ
河川の破堤するということが、
砂防工事がなかつたから破堤したんだ、こういうふうに私は断定することについては異議があるのであります。でありますから
砂防工事は勿論大事でありますけれども、その下につながるところの、例えば
利根川にいたしますと、何十里という砂防を如何に強化し、如何に最小限度に
災害をなくするかということに、私共は全力を注がなければならない。ただ
利根川の今後の
洪水を防ぐために、群馬縣の
砂防工事のみをや
つて宜いということは、私は絶対にないと思います。どうかこういう点は皆さんもう少しお
考えを頂きまして、
砂防工事は勿論必要でありまするが、日本には大きな平野を控えておる
堤防が沢山ございます。その
堤防が先程からお話がある
通り川底が上り、或いは
堤防が沈下する。それからなぜ
堤防を土で
作つておるかというようなお話もありますけれども、経済を
考えなければどんな
堤防でもできます。併し日本の國力とやはり
河川改修工事というものが並行して行くものだということを
考えますときに、何十里に亙る
堤防を水が越しましても壞れないような
堤防は到底造れないのであります。もう少し詳しく申上げますと、私どもが造ります構造物は全部安全率というのがあります。橋にいたしましても家にいたしましてもすべて安全率が……。安全率といいますのは、壞れるまでには三倍とか五倍とかいう安全率を取
つております。併し
堤防の安全率というものは一つもございません。一でございます。あれは水が越せばすぐ壞れる。なぜそんな
堤防を造るかと申しますと、それは國費の問題であります。國費さへ沢山出して貰えればどんな
堤防でもできますけれども、なかなかこれはむずかしい。でありまするから、
河川に対する土木事業は上流
下流を全部通じて眞に檢討して頂く。ただ上流に
砂防工事や
つて、そうして下の方は
洪水が止まるというふうに若しお
考えりなりますると、それは大変な間違いじやないかと、そういうふうに感ずるのであります。降りました雨はどうしても、どんな
砂防工事がありましても必らず流れて参ります。日本には降つた雨を溜めるような貯水池を作る場所がありません。でありますからどうか一つの所に偏することなく、やはり並行的に、そうして今もあります
河川が、本当に
洪水が出ましても最小限度に被害を止め得るように、先程局長がお話になりましたように、
河川の
附近の、例えば水防組合を作るとかいうようなことが、私は非常に今日の日本としては大事じやないかというふうに
考えております。よく
河川協会というのがありまして、そこで水防演習をやりますけれども、沿岸の人達が水防演習をやることに賛成しない所が非常に多いのであります。聞きますると、今年
利根川の沿岸で
河川協会が水防演習をやろうとしたところが、沿岸の人達がそんなことは要らないと言つたようなことを聞いております。それで
河川協会は大阪の淀川の沿岸に行
つて水防訓練をや
つておるのであります。今年は
利根川の沿岸では水防訓練はできなかつたというような話を聞いております。いわゆる
附近の住民の方が非常に
堤防を愛護する。この観念が私は非常に少ないのじやないか、
堤防の維持は僅かばかりの維持費は取
つておりますけれども、なかなか大きな長い区域にして維持をやることは困難だと思います。これは皆
附近の住民が、やはり
堤防を愛護する愛護的の観念を非常に植えつける。各
府縣ではよく道路愛護週間とか、道路に対しては愛護運動をや
つておりますけれども、
河川に対する愛護運動が非常に少ない。だから各
府縣におきましても、
河川の愛護運動を是非強力にやるように局長は御指導をして頂きたい、こういうふうに思
つております。ちよつと私感じましたことを述べさして頂きました。