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國務大臣(和田博雄君) 價格を
考えますときに、今の自由
経済と統制
経済の混淆しておる、而かも統制されておる物資について
考えますときに、生産者の價格と、消費者の價格とを一應まあ別にして
考えて見たいと思います。生産者が
生産意欲を持つか持たんかということは嚴密にいえば、その價格でペーできるかどうか、言う換えれば利潤なら利潤というものが生むだけのものがあるかどうか、こういうことだろうと思うのであります。そこでその限りにおいては、我々の方として原價計算主義によりまして、普通のコストというものがやはりペーをして行く。そうして特別の事業、特殊のいいものについては若干の利潤も認めて行くという方式を今採
つております。從
つて今の統制
経済の時代においてそういう方式でや
つておるわけであります。消費價格の面はどうかというと
石炭などについては生産者價格でそのまま配給をし、その他運賃を加えて、そうして全部消費者へ渡すということにな
つて來ますると、そうすると高い炭を使う。そこに
産業が出て來るわけであります。そういうものはやはり
政府としては重点的な生産操業というものを而もできるだけ價格の面において非常に高い價格にならないように、基本的な物資のそういう
石炭なんかについては、この
産業については特別な安い消費價格を出して、それは價格差補給金という形によ
つて國民全部が負担しておる、こういうふうにいたしておるわけでありまして、重点的
産業別にそこに消費者價格と生産者價格との間で差をつけておる、こういうふうにな
つておるのであります。生産者價格の場合において生産ができるかできないかという問題で、原價をペーするかどうかという問題の外に、生産條件が非常に違
つておるわけなんです。山なんかにつきましても、御承知のように非常にいい山はコストが安くて、いい炭ができる。非常に惡い山はコストが高くて、あまりいい炭も出ない。こういうふうにな
つておるのでありまして、そこで若しこういう價格の決め方をすれば、非常にコストの安いものについては、コストはコストとして、原價主義を取らず、或る一定の
平均的な高い價格をおけば、そこに利潤があり、いいものがどんどん出て來るわけであります。その代り限界價格を取らん限りは、
能率の惡いコストの高いものは滅んでしまう。赤字がしよつちゆう出るという結果になるわけであります。
政府はそこのところをそうやらずに、原價主義というものによ
つて、できるだけそういう矛盾を避けて、原價生産費は無論とりませんが、限界より少し下
つたところで実際値段を決めて行こうということにして、プールを廻しておる計算上にはな
つております。これを山別にそういうことを決めて行けば、それはそのあいだに滅ぶものもそたば、滅ばんものも出て來る、こういう結果になろうかと思うのあります。そういう方法を取ることは、今のような
状態の下においては、私はまだ妥当ではないと思いまするので、今までの原價計算主義の方式によ
つて、生産者價格を決めておる、消費者價格は
産業別に非常に重点的な
産業には安くや
つておる、こういうわけです。木炭なんかにつきまして、中間の生産市場における生産價格、その生産價格は運賃プールをします関係上高いものになるわけです。郵便を隣りに出すのも一円なら、
北海道に出すのも一円、同じようにプールをやるものですから、炭なんかについては、生産地の生産價格と消費者價格は、こんな開いて、一見不合理になるわけです。從
つて闇値段が出るし、場合によ
つては滞貨なんかできると、消費者價格より安くなる、こういうことにな
つて、矛盾ができるわけです。その点については、我々の方といたしましても、運賃プールの経費を入れますために無駄があり、一般の需給関係で下
つて來るということは、これはどうしても矛盾でありますから、今度木炭関係につきましては、その点について十五円だか二十円であ
つたか、数字は忘れましたが、その見当で地方長官においてその範図はつけてもよろしい、消費者價格を決めてよろしいという権能を委譲いたしまして処置いたさせておるわけであります。これはやはり非常にむずかしい点でありまして、どちらを取
つてもやはり一利一害であります。個別的に地域的に樂な生産條件の違
つたものを、個々別々に價格を決めて行くというふうにな
つて來ますと、煩瑣でもありまするし、又その間に非常な混乱が起り易いのでありまして、どうしてもそのいうものについては、この制度を認めて、非常に有利なものを或る程度我慢するということで、お互に歩み寄
つて、
一つの價格というものを形成して行くということが、今まで取られて來た方式でありまして、私は今まではそういうような生産物件にある、そういうことでよか
つたと思うのであります。併し價格のそういう決め方につきましては、これはいろいろ又今後の
情勢の変化によ
つて研究すべき点は多々あると思います。今まで私も長い間價格の
政策をや
つて來まして、價格の決定、殊に自由市場のない統制物資の價格の決定については、統制價格自体が
一つの
政策價格ですから、嚴密な
意味の需要供給によ
つて決定される市場價格でないのでありますから、そこらの点については統制の能力、或いは
政府の
政策の重点を置くところによ
つて、價格
政策そのものの決定というものには、やはりいろいろ研究する余地があると思うのであります。
物價廳としてもいろいろの点でそういう研究はしておるわけでありますが、
只今のところではそれを急に変えて行くというだけの何もないように
考えられる次第であります。