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宮城タマヨ君
兒童福祉法案について、先に
厚生大臣から御懇切な
立案の
趣旨も伺いましたし、それから
條文も私は暗記するくらいたびたび読んで見まして、そうしてこの
兒童福祉法案が
兒童福祉法として、非常に
廣範囲に亙ります
子供の
福祉についての随分至れり
盡せりの行き届いた
法律となりまして、これがいよいよ出ました曉に、そうしてこの
最下部の方の機構にまで本当の運営がされましたら、私は今まで困
つておりました
母親なり
沢山の氣の毒だ
つた子供達が、どんなに仕合せになるかということを思いますときに私共としてこの
法案を立派なものにして纒め上げたいという私なりの
希望を持
つております。一昨日の晩私は夢に見まして、どうも言いたいけれども、言われないで汗じつくりになりまして目が覚めましたような次第で、私は
母親の
立場としてとにかく微力ながら一生懸命にやりたいと
思つております。
それで
いろいろ沢山の
質問を持
つておりますが、
皆さんの御迷惑にならないように小出しに少しずついたしたいと思います。今日第一点だけの
質問をいたしたいと思いますがこの
兒童福祉法案の
兒童という
言葉でございますがこれは
立案者の方で何か法的の
根拠があ
つてお
使いに
なつたかということでございます。
兒童ということは常識的に
考えますと、
子供と私共はすぐ
考えますけれども、この
條文の第四條の三項に、
小学校の就学の初から満十八歳に達するまでの者という
年齢の制限がいたしてございますが、この十八歳までの者を
兒童という中に入れることが適当かどうか、これについて
立案なさいました方でいろいろ御
研究があ
つただろうと思いますので、伺いたいのでございます。
一体兒童という
言葉は、私共今まで常識的に使
つておりましたのは、
小学校の
学齢の
子供にたいしては
兒童という
言葉を使
つておりました。それから
中等学校、
女学校になりますと、
女学校の
兒童、
中学校の
兒童と言わないで
生徒と言います。
生徒という
言葉は
中学校から
専門学校の者にたいして
生徒という
言葉を
使い、大学に参りますように
なつたら
学生という
言葉を使
つております。このことについてもう少し法的のものがあるか調べたいと思いましたが、まだ今日その準備ができておりませんけれども、とにかく普通に言われております
兒童とは、
子供という
意味に使われておりますので、この
法案の
表面と、それから内部、
つまり十八歳の者までを
兒童の中に入れるということに、私は非常に齟齬があるように
思つております。今度の
改正されます民法によりますと
結婚年齢は男は十八歳で女は十六歳ということにな
つておりまりますが、まあ十八歳や十六歳が
結婚年齢とされておりますときに、この
兒童という中に含めて宜いかというこの問題でございます。私は
兒童という以上は、法の
内容においても、まあ少くとも
小学校の
学齢兒童までに止めて頂いたらどんなものか。満十四歳まで、そうすると今までの
教護法によります
少年というもの、
教護法の第一條にその
年齢が決めてございますが、これは十四歳
未満の者ということにな
つております。それが十八歳までに上げなければならないというその十八歳までを
兒童としなければならないという必要がどこにおありになりますかということ。
年齢のことで申しますと、この
兒童福祉法の第四十二條に、「
教護院は、
不良行為をなし、又はなす虞のある
兒童を入院させて、これを教護することを目的とする
施設」と書いてございますが、そうするというと、やはり今までの
教護院法によりますと、十四歳までございましたが、それが十八歳まで今度のこの
法律では延びておりますことになります。そうするというと、
少年法の第四條かと思いますけれども、それによりますというと、
少年法でも
少年法で申します
年齢も十八歳
未満ということにな
つておりますが、この
少年法を今度の
福祉法との
関係が、又どういうことになるか。これは
年齢においてでございますが。でここに
不良行為をなし、又はなす虞のある
兒童と書いてございますが、
少年法の方には、この
少年法の四條に一
刑罰法令に触れる
行為をなし、又はなす虞ある
少年とございます。一方では
不良行為をなし、又はなす虞のある者、一方では
刑罰法令に触れる
行爲をなし、又はなす虞のある者というように、
教護院と
少年法との間の
法律の
関係でございますが、今まで十四歳
未満の者でございましたら、なにも抵触することはないのでございますけれども、
年齢から申しますというと十四歳までの
子供はこれは
子供という、
言葉を使うそれこそ
兒童でございまして、普通の
教育の
対象といたしましても、平たく申しますというと、これは母に撫でられて育つ
年齢でございます。それから十四歳以上になりますというと、
普通教育におきましても、
普通教育殊に
家庭教育においても、それ以上の者はやはりただ母の愛、母の手に撫でられるだけということでなくて、そこに父性の嚴、
つまり父の
教育というものを加えなければならない年にな
つて、この十四歳という時が私は
教育の段階をなすものじやないかというふうに
考えるのでございます。極く卑近なことを申しますというと、
子供の着て寢まず
蒲團なんかでも、十四歳以上になりますと、
教育の中で一番
違つて來ることは、
セツクスに対する
教育でございますが、一枚の
蒲團を
母親が
考えるときでも、それまでは柔らかい
蒲團でよいけれども、もう十四歳以上
中等学校程度になりますというと、
蒲團の側も木綿で固いもので綿も固い
蒲團を
作つて著せなければならんということで、一番そこに
教育の
やり方も違う。いろいろ扱い方も違う。それが普通の
子供でもそうでございますが、今度は不
良行爲をなし、それから
犯罪行爲をなしますというような
子供に対しての
取扱というものは、これは又
普通教育以上に格段とそこに違
つたものがなければならないことで、それを
教護法によ
つて、十四歳から十八歳までの者を
一緒に
教護院に入れてしまう。昔の感化院に入れて、そこで
教育をして行こうという
立案をなさいましたところには、何かそこに
根拠がございますか、私はできるなら十四歳
未満の者についての
取扱とそれ以上の者についての
取扱と、どうしてもここに
区切りを立てなければ、殊に不良の
行爲をなす者、或いはなす虞のある者というものについて、同じ所に
收容するというようなことは、これは余程
考え物じやないかと思います。だからむしろこの十四歳という、十四歳までの者にしておけば、この
法律の
年齢、
つまり兒童福祉という、この
兒童ということと、それから
内容とが私は
一緒になるかと
思つております。
私はこの
少年法、
つまり少年審判所なんかの仕事についても三十
年來私の持論としているところは、どうしてもあすこに女の
審判官を置きたい、女の
審判官を置きたいという
一つのその狙いどころは、十四歳
未満の者、
つまり今までで言いますというと、
地方長官から送致されます。
つまり小さい
子供が入りましたような場合には、どうしても女の人が
母親の
立場で
審判をします方が効力があるだろうということを常に
考えております。それで婦人の
審判官を置きたいというのが私の
年來の
希望であります。そういうところから
考えましても、やはり私は十四歳
未満と、十四歳以上というものとの区別を立てていただきたい。だからこの
年齢を第四條でございましたが、満十八歳とするということについて、もう一遍お
考えを願いたい
希望でございますけれども、十八歳となりましたその点について、
立案者の御意見が伺いたいと思います。