○深川タマヱ君 婦人と
失業救濟の問題についてちよつと
お尋ねいたします。今度料飲業が閉鎖されまして、芸妓が澤山
失業しておりますが、新らたに貸座敷業というものが再開されまして、お座敷で料理もないのに、きれいな著物を著飾
つて、前でお客さんをあおぐような(笑聲起る)
仕事をしておるようでございますが、どうも敗戰後
勞働を輸出する外に餘り
資材がございませんので、こういう
人たちももつと働いて貰わなければなりませんが、先程局長さんがおつしやいましたように、新らたに外國から
資材を輸入して貰
つて、家庭
勞働、家内工業によ
つて、こういう
人たちを救
つて頂きたいと存じております。そうしてその料飲業は貸座敷業に轉用なさらないで、用談は喫茶店で十分間に合うのであれますから、あすこは
工場の
人たちの、さつぱりした男子の方ばかりの共同寄宿舎なんかになさいますと、民家の二階借りをしているような人も、住宅が緩和されて行くのじやないかと思います。
それから闇の女、これも關聯がございますが、今闇の女が澤山出ておりますけれども、
國家はあの人達をトラツクに乘せて病気の檢査だけして、病気のない人は又街に出すようでありますが、あれでは病氣のない者の密淫賣を公認しているような恰好になります。
日本では公娼は廢止になりましたが、その
原因をなす貧乏というものは絶滅されず、今日はむしろ貧乏は餘計蔓
つておるのでありますが、あの
人たちに職を與える
方法を
考えて頂かなければならんと存じますけれども、あの女の中にはいろいろ種類がございまして、その中には貞操を
資本にして、男の方が
企業をして金儲けをしようとしておる人がありますが、有樂町の闇の女の一番腕の利く人は、一晩に一萬圓も稼ぐような人もあるそうであります。そんな女もおりますが、中には家族が病人や
子供や老人ばかりで働き手がない、娘一人の收入では到底家族を養い切れない今日の
實情におきまして、家族全部を飢え死さすか、
自分の貞操を犠牲にするか、二つのうちの
一つを選ばなければならないような、せつぱ詰
つた立場におる婦人もあるようであります。これに對して對症療法を講じますために、さつき申しましたように、貞操を
資本に金儲けしようとするずるい人々に對しては、何遍忠告しても直らない人數、強制的に紡績
工場のような所に監禁して
勞働の習慣をつけ、その間によく教育をする
方法がいいように思います。それからさつき申しました家族の
生活のために泣く泣くや
つているような人々に對しては、その娘の收入の途を拓くと同時に、家族に對しては病む人を國立病院か何處かに入れてくれる、それから
生活保護法をなんとか融通を利かして貰はなければならんので、娘の貞操を賣らなくても家族が暮して行けるように、娘の立場を保護して頂かなければならん。
それからもう
一つ國立結婚媒介所、これは私の專賣特許なんでございますが、婦人は家庭に還れという
言葉がございまして、婦人はやはり家庭に還るのが自然でございます。婦人が結婚するということは男子の一生涯の事業にも匹適する程の大事業でございますので、できるならば婦人は家庭に還
つた方がいいのでございますけれども、戰爭が長引きまして、男子の方も女子の方も、お互いに結婚適齢期を逸しておるのでありますが、一方において就職難、又は住宅難も伴いまして、又この頃は就職しましても
給料が少く、なかなか結婚できない事情もあります。そればかりではなく、都會の
生活などでは隣りの隅つこにはどういう人が住んでおるか分らない。田舎に行きますと、村の隅つこに住んでおる人はどういう人がいるか大體分りますが、都會で結婚しようということになりますと、あすこに娘があるがと思
つても、どういうことを希望しておるかさつぱり分らないので、
將來の
日本の
國民の優生の
方面から
考えてみても、結婚は
國民自身の重大なる問題であ
つて、例えば役場の戸籍係は適齢の人を、徴兵檢査をしたときのように、やはり男は二十五六歳、女が二十くらいに
なつたら、一遍時期を決めて呼んで、相手にはどういうことを希望するか、財産
状態や健康
状態、知識の
程度などいろいろ調査して、結婚の臺帳を作
つておきまして、結婚したい人は其處へ
行つて、
自分の望む者を探す便宜があるようにして欲しいと思います。このくらいのことはして貰
つてもよいと思います。
それからその次に、食
生活研究所というものが、今度
勞働省設置の曉にできるそうであります。
日本の國の食
生活は原始的未開の
状態にあるのではないかと存じます。今日極めて少ない分量の食糧を
配給しておりますけれども、果して家庭の婦人があの食糧を榮養的に生かして利用して治るかどうか、それだけの頭を持
つた婦人が
日本にどれ程おるか、極めて心細いことだと思うのであります。米の中に何を含んでおるか、麦の中に何を含んでおるか、豆の中に入るものは何か、人參の中のビタミン、大根の中のビタミンはどういうことになるのでありましようか、こういうことに
なつたら尚更のこと、農家に至
つては食糧は量本位であるから、「ごぼう」と「こんにやく」芋と「たけのこ」なんかを、ただ量を餘計作
つて平気でおる、
國家もまたこれを黙認している。こういう狭い國土において
國民の榮養を支えなければならないようなときにおいては、計畫的に同じ面積でも榮養分の餘計とれるものに切換えなければならんと思
つておりますけれども、尚家庭においても今申したように「ごぼう」と「こんにやく」と「たけのこ」を煮て平氣でおる。それはおいしいけれども、何の榮養にもならないことをして平気でいる。こういうことをしないで、やはり同じ分量の品物を同じ値段で
配給してくれておるのだから、できるだけこの榮養の點を
考えて頂きたいと思います。殊にこの冬は電力の危機でもあるのだから、臺所なんかでもできるだけこれを共同臺所というようなものにして、榮養の專門家の献立表に基いて、できるだけ榮養分を生かすように調理して頂きたい。これで
配給は三輪車ででもよい配
つて來る、それができなければ、そこに食べに
行つてもいいのです。そうすると家庭の婦人が暇ができるのでありまするから、その暇を利用して輸出向の家庭工業でもして下さるならば、それによ
つて食糧初めいろいろな見返り物資になるのであります。
日本は敗戰國で重工業は全然見込はありませんけれども、手の先でするこういう家庭工業は前途有望であります。こういう
方面にこの暇を使いたいと思います。
日本の過去の婦人は棉を作
つて、糸を紡いで、家族の著物まで作
つて著せておりますし、又味噌も醤油も自家醸造を以て作
つておりますので、この頃の婦人は大分暇ができておる筈であるけれども、その暇を有効に使うことはしておりません。
資本主義の發達の例を
考えてみましても、分業ということによ
つて生産が擧が
つております。こういう分業にしてその暇を利用して家庭工業でもして行く、こういうようにしたいと思います。
最後に
一つ、國立病院というものができるそうでありますが、この國立病院……
日本の家庭では病めば治るとさえ言うのであります。貧乏人は病氣を背負
つては大變なことであります。これに對してはすでに疾病保険というものがありますし、近くは
生活協同組合というものがあ
つて、病気の問題を取扱うようであります。このいづれも個人の財政
状態には何のお構いもなく、一口何ぼということにな
つておりますが、私はこんなのでなく、
國民が早晩遭遇しなければならんような不幸に弱しては、豫めその人の財政
状態に應じて、税金を取
つて、病氣などしたら誰でも彼でも病気がなおるまで只で診て貰えるような
設備にしたい。それから尚病氣したから医者に行くというのでなく、一年に一回か二回は巡回病院へお医者さんが廻
つて行つて、餘り病氣の昂じないうちになおして貰えるような
對策をして頂きたいと思います。
それらについて御
意見を伺いたいと思います。