○
村瀬宣親君
ただいま、
臨時農業生産調整法に対する
平野農林大臣からの
提案理由の
説明を承りますると、
農業生産と
供出とを
計画的に連繋せしめ、も
つて主要食糧の
供出制度を改善するために立案されたというのでありまするが、本
法案は一言にしてこれを評するならば、孟子のいわゆる「民を罔する」の方策にひとしいと断ぜざるを得ないのであります。(「その
通り」
拍手)何となれば、
産業全般にわたる総合的、有機的な
計画をもたずして、單に
農業生産及び
供出に関してのみこれを
法律化し、これをも
つて農民を律せんとするがごときは、まさに陷し穴を設けて
農民を陷しこまんとするものであります。(
拍手)
私は、
供出の
事前割当に対しましては賛成をするものでありまするけれども、まず、この二十九條よりなる本
法案の各
條項を檢討するに先だち、かかる
法律をつく
つて耕作農民を律せんとする
根本理念につき、深く掘り下げて檢討する必要をまず痛感いたすのであります。
本
法案の底を流れる
農民観ともいうべき
思想を檢討するに最もよき事例は、最近の
米價決定に対して
とつた当局の
態度であります。
政府は、
農民團体の
意見にさらに耳をかさざりしのみならず、
國会の
意見をも徴することなく、パリテイ・システムを
金科玉條として千七百円を決定いたしました。これに対し去る二十三日、
農林常任委員会において、
和田経済安定本部長官と各
委員との間に次のごとき
質疑應答が交されたのであります。
すなわち、今回
政府が決定した六十二倍半という指数をかりに承認するとしても、
農民は年に
ただ一度の米の販賣によ
つて翌年度の米の再
生産と生計を営んでいかねばならないのであるが、もし來年の十一月までに
物價が
上つて農業再
生産が困難に
なつたとき、
政府は
農民に對しいかなる償いをなさんとするのであるかとの質問に對し、和田長官は、米の
供出は一年間ずるずる続くものではなく、二月までに全部完了してもらうことにな
つているから、その後は
政府が買い入れた米を消費者價格で売
つていくだけである、すべて
物價は過去にさかのぼ
つてひつくり返していくことは、どんな場合にもできないと、きわめて冷淡な答弁をしているのであります。
しかしながらわが國の
農民は、昔から二月までに米を全部賣らねばならぬというおきては未だか
つてなか
つたのであります。事実健全なる
農民は、久しきにわた
つて米の平均賣をしてきたのであります。しかるに和田長官は、
農民は一年中ずるずる
供出するのではなくて、二月までに
供出は全部終るのであるから、その後
農業用必需物資が値上りしても、過去にさかのぼ
つて價格を改訂することはできないと、うそぶいているのでありますが、一年中ずるずる
供出して差支えないものならば、
百姓はそうするのであります。みずから強権を振りかざして、二月までに米を
農民の手から取り上げておきながら、それを盾にと
つて、
供出完了以後のことは知らないと放言してはばからぬ和田長官の心中には、今なお
農民を農奴のごとく考えているとしか思えないのであります。
かくのごとき
農民観を有する和田博雄君が経済安定本部に蟠居する限り、
本法の実施はいたずらに無慈悲なる苛斂誅求と搾取とに法的根拠を與え、善良なる
農民は格子なき牢獄につながるることと相なるのであります。
片山総理
大臣は、二十三日の新聞紙上において、新米價の決定にあたり
政府が特に苦心した点は、
農業経営に必要な物資の價格の値上りと同じ比率の値上りを新米價に見込むとともに、
農業の再
生産に必要な費用を
確保するに努めたと声明しておりますが、少くとも片山首相のこの言葉が誤りでないためには、來年の米をつくり上げてしまうまで、パリテイ計算の
基礎と
なつた諸物資は、その計算に用いた價格で必要数量が適当なる時期に
農民の手にはいることを前提としなければなりません。
すなわち、タバコはきんし十本二円五十銭、醤油は一升十九円三十銭、作業服三百三十九円、地下たび六十九円五十銭、煮干百匁二十一円八十三銭というような数字の
基礎に立
つて今回のパリテイ計算がなされたのでありまするから、今後一年間、
農民はこの價格で少くとも七十一品目は所要量を入手できる場合に限り千七百円という米價は承認せられるのであります。しかしながら、たとえばタバコでも、煮干でも、この價格ではやがて入手できなくなることは、諸君御承知の
通りであります。
政府の採用したパリテイ算定についての矛盾は、なおいろいろ指摘することができます。たとえば今春の麦・馬鈴薯の價格決定の際には、
肥料としての石灰の基準價格はトン当り十九円九十五銭とな
つておりまするが、今回の
米價決定の際には、これを二十三円七十八銭としているのであります。いずれも
昭和九年、十年、十一年の平均價格でありながら、
かくも金額の異なるのは、米と麦と二つのうち、いずれかは誤
つた基礎の上に計算せられたこととなるのであります。またウエートのとり方についても、麦と米の場合において、一定の根拠が定ま
つていないのであります。殊に麦・馬鈴薯の場合は、パリテイ計算の指数を四十八倍と決定し、これによ
つてすでに代金も決済済みでありまするが、來年の麦・馬鈴薯は、現在六十二倍半に騰貴した諸材料を使
つてこれから
生産しなければならないのであります。少くとも麦・馬鈴薯の價格は、今とな
つては、片山首相の言明された再
生産に必要な費用を
確保したことにはならなか
つたのであります。これは來年の米を
生産するにも再びこれと同じ結果にならないと、だれが保証できましようか。
政府は
農民に対し、口を開けば公價配給を呼号し、あたかも特殊の慈悲や恩恵を
農民に施すがごとき口吻をも
つて、配給を盾に
供出の完遂を強要するのでありまするが、元來全
國民の生命をつなぐ
主要食糧の
生産には、國をあげて所要物資のすべてを注ぎこまねばならぬことは当然であります。しかるに、
政府の
農民に対する配給物資の取扱いぶりを見ますると、ちようど昔支那の書物に、猿の群に栗の実を與えんとして、朝に三箇、夕に四箇やろうと言うと、猿公は騒然として騒ぎ立てたが、それでは朝に四箇、夕に三箇やろうと言うと、猿公は喜々として承服した、これを朝三暮四と言うとありますが、まさに
政府の
農民に約束せんとする配給物資は、この朝三暮四と一脈相通ずるものがあると存ずるのであります。現代の政治家が、今日の
農民を御するの途は、いまなお支那の猿公を懐柔するがごときものと考えているならば、やがて
農民の恨みを買うに至るのみならず、政治と
國民とはここより遊離し、
農村民主化の不幸これより大なるはなしと存ずるのであります。
およそ
農業は、天を相手とし、悠久なる天地の間にわれを沒入して行うものであります。農
作物を見ることわが子を育てるがごとく、労働基準法の実施にもかかわりなく、朝露をかきわけて草を刈り、星をい
ただいて家に帰り、
ただ勤労を生涯の使命として死ぬるまで働き続けるのであります。これは工場内の機械工業や都市商業形態とは根本的に趣きを異にするのであります。土地と家と
農民との融合によ
つて独特の
農業形態を形づく
つてきたわが國では、ソ連式
農村監督
制度やドイツ式官僚
統制組織で
農民を制御せんとすれば、
農民の生命とする自由と自尊心を奪い去ることとなり、自由の田園は束縛と荒廃の中に枯れ果ててしまうでありましよう。もし
臨時農業生産調整法がこのまま実施せられるといたしまするならば、ようやく地主から解放せられた
農民の前に、突如として官僚という恐ろしい地主が立ち現われ、七公三民のおきてに苦しんだ徳川時代の
農民が再び現出するでありましよう。生きた
農民の
國家管理案ともいうべきこの
法案には、
農民の名において反対せざるを得ないのであります。(
拍手)
さてしからば、
農業生産を増強し、
供出制度を改善するには、いかにすればよいかと言いますれば、まず
本法実施の場合に要する経費と言われておりまする十億円のうち、五億円をも
つて廣く
農業技術員を優遇向上せしめ、残りの五億円をも
つて法律によらざる民主的
事前割当を行うことであります。但し
事前割当は、徳川時代からの古き歴史を有する
日本の田畑のいわゆる年貢米の高を超えてはならないと存ずるのであります。
以上をも
つて、
自由討議としての私の所論を終わりますが、
最後に強く論じておきたいことは、およそ四百六十余名のわれわれ議員を納得せしめ得ずして、いかでか四千万耕作
農民を納得せしめることができましようか。(
拍手)われわれは、國力充実の一日も早からんことを念願するのあまり、今年の米の
供出もまた速やかに完了してもらうよう全國
農民に呼びかけたいと思うのでありまするが、それにつけても、
米價決定の
基礎と経過とは
農民の前に最も明確にしなければなりません。このゆえに、
さき私が指摘いたしましたパリテイ計算に対する疑義と、この計算の
基礎と
なつた諸物資の騰貴のため及び必需物資が需要量に足らないために
農業再
生産に支障を來すに至
つた場合
農民に対し
政府のとらんとする施策を明確にせられるよう、なるべく早き機会に
和田経済安定本部長官、片山内閣総理
大臣その他関係当局の御所見を承りたいと存ずるのであります。(
拍手)