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酒井俊雄君 わが國におきましては、長い
封建的官僚的統治の
傳統の結果、わが
國民は治められることを知
つて治めることを知らないという言葉すらあるほどであります。前の九十二
議会におきまして、
地方自治法が新しく
制定をいたされましたが、
由來中央の権力が
地方へはなはだ力強く及んでおります。これは單なる偶然な事実ではないのでありまして、
中央政府が常に官僚的、
特権的政治を行う手段として、
地方制度をこれに包合せしめたからであると思います。
この前の
政府の
提出原案を見ましても、
知事は
官吏であるという案を出しておりましたし、
府縣の
官吏の
人事権は
中央においてこれを掌握するという、はなはだ意の強い案が出ておりました。なお
知事の
原案執行権を存続せしめようという意思も盛りこまれておりました。
由來保守的政党の内閣におきまして、この
自治制度の
運営というものは、はなはだしく阻害されてまい
つたのであります。
さいわいにして、これらの点は
委員会の
活動によりまして民主的に
改正をいたされ、決議をいたされたのはまことに結構でありまするが、
地方自治法はできましたけれ
ども、これをも
つて私
どもは完璧というわけにはまいらないと思うのであります。なお
將來に多くの問題を残しておると思います。
第一番に、
地方團体の最も大きなものでありまする
府縣についてどう
考えたらいいか、どう進んだらいいかという問題があります。この
府縣区域の問題は、
從來よりたびたび論ぜられた問題でありまして、今新しくこれが再檢討されるというわけのものではありませんけれ
ども、その
地方制度が非常に強く
自主的に変革されました今日、新しいまなこをも
つてこの
府縣区域を
考えてみなければならないと思います。
今の
府縣区域は、御
承知の
通り明治四年
廃藩置縣の際定められたまま、七十
有余年の間そのまま据え置かれておるのであります。しかも、その
区域の定められる基礎は、
行政区画として定められたものでありまして、
自主的なる
地方自治ということの
基準は、この中にはほとんど含まれていなか
つたのであります。かりに
行政区画として定められたその
基準を踏襲いたすといたしましても、
産業、
交通、
文化、その他
社会万般の
発達によりまして、非常に
地方の状態はその実質を異にしておるのであります。
從つて、これらの
産業、
交通、
文化、その他
社会万般の
発達に即するようにこの
府縣の地域が改められる必要があると思うのでありまするが、なお特に
府縣というものが
自治團体として
区別される
意味が非常に大きくなりました。
府縣の
区別は、ほとんど
自治團体の
対象としての
区別、こういう
意味に塗りかえられました今日におきましては、この
自治に適するように、
自主に適するように、
地方自治ということを
主眼として、この
府縣の
区域が改編される必要があると思うのであります。この点につきまして、現在
政府におかれまして何らか御
考慮があるかどうかということを私は承りたいと思います。
なお、前から問題にな
つておりました道州という問題がございますが、この道州の問題は、
官治行政の
一つの駒といたしまして、
官治行政の目的のもとに各縣の
行政を統一するために連絡するために道州が必要じやないかということが、
從來しばしば論ぜられてまいりましたが、私はそういう
意味でなしに、各
府縣というものがほんとうに
自治的に
自主的に出発をいたしました今日におきましては、
お互い近隣自治團体が相連繋し、連絡し、その間の
行政の調和をはかるというような
意味におきまして、下からつくり上げられるところの
自主的なものがブロックの形をとる必要があると思うのであります。その名前を道州とつけるかどうかは別でありますが、とにかくこのような
連絡機関、
調査機関というものがぜひとも必要じやないかと
考えております。
次に、
特別團体のことについて少しく申したいのでありますが、
自治團体と申しますれば、
皆さん御存じの
通り府縣、
市町村、ただちにこれを思い出すのでありますが、このほかに
特別團体たる
自治團体があるということすら、私
どもは今日まで
考えなか
つたのでありますが、事実
地方の
政治が
自主的に
自治的に行われますに連れましては、各
團体々々の
特色を生かしまして、相通ずる
特色をも
つている
團体を
自治團体の
対象としてつく
つていく必要があると思うのであります。今まで
自治團体が
府縣、
市町村というようなものに限られておりましたのは、ほとんどその
自治ということに
政治の
主眼をおかずに、
中央集権、
官僚政治上の方から圧迫的にくる
政治が
政治の全部であるとまで
考えられたこの
官僚政治、
中央集権政治を行うためには、命令を一樣に画一的に出す必要がありますので、その
自治團体たる
対象の
團体も、
府縣、
市町村というような画一的な
團体のみをつく
つておいたのでありまして、特殊な
團体をこれに認めなか
つた。そこに原因があると私は思うのでありますが、今こそ
政治の
中心が
自主、
地方自治、ここへ移行いたしました今日、特に各種
特色ある
團体のその存在を大きく認めなければならぬと思います。
例を取上げて申しますならば、たとえば
遊覧都市は、他の
府縣、それらと別な
自治團体として、それに即する
自治政治を行う必要があるでありましようし、そのほか
商業都市、
工業都市、おのおの
特色があれば、それを
一つの
自治團体といたしまして、それに適する
政治を行うことは、
地方自治制度の当然なる帰結だと思うのであります。こういう
意味におきまして、今問題にな
つておりまする五
大都市の
特別市制を認めるかどうかという問題、それもこういう
意味から発足をしてまいると思うのであります。
私、この特別都制には特に皆樣の御批判を仰ぎたいと思う一事があるのは、
農村と違いました
特色をもつこの
大都市を、
農村と一樣に
政治をせられること、これが
矛盾であるということを私は認めるのであります。ただ、この五
大都市特別市制の問題につきましては、時期の
考慮が非常に必要だと
考えるのであります。
産業にいたしましても、教育にいたしましても、その他の種々なる設備施設、これらにつきまして戰災をこうむりました今日の
大都市は、昔の形そのままで
考えることができないのでありまして、実質上に大きな変革を來しておるこの
都市の
現状におきましては、十分その時期を
考慮する必要があると思うのであります。
私は愛知縣から出ておる者でありまして、名古屋市
方面については、いささか具体的なる事実を
承知しておるものでありまするが、たとえば過去におきましては、縣の財政、縣の税金、こういうものは、
都市がその大部分と申しまするか、六割も、七割も、八割も税金で出しまして、郡部の方えこれを補助してお
つたというような姿でありましたけれ
ども、現在の名古屋市などにおきまする実例では、名古屋市からあがりまする收入は、名古屋市の支出を償
つて一ぱい一ぱいという形にな
つておる。
産業はどうであるかと申しますれば、愛知縣の非常にたくさんの分量の
産業が戰災以前の名古屋市で行われておりましたが、現在におきましては、群部に一歩を讓らなければならないような状態にな
つておる。
で私
どもは、かかる
大都市の特殊性は認めまするけれ
ども、現在これを
特別市制といたしまして、郡部から
独立して、
一つの縣のごとく、
一つの
自治團体の主体としてこれを
実施するということになりますと、
産業の
方面、あるいは衛生
関係の
方面、あるいは教育
関係の
方面、わけても
食糧、薪炭の
方面などにつきまして、その操作が非常に困難なるものが生じてくると思うのであります。主食の配給などは、皆樣御存じの
通り國家が統一的になされておるのでありますから、表面から見れば、五
大都市が
独立しても別に
食糧配給は困らないという声がありまするが、事実はいかがでありましようか。事実は郡部と
都市との間に非常な苦心をして、縣当局は
食糧・薪炭その他のものの操作をして、辛うじて命をつないでおる状態であります。今この際かかる操作の綱を断ち切
つたならば、
都市の
食糧事情、薪炭事情はどうなるか、かかる大きな問題も生じてまいります。その他いろいろな施設の点につきましても、有機的、一体的にできておりまして、これを
独立し、あるいは合して使うというような手段、いろいろあるでありましようが、今は時期にあらずと私
どもは
考えております。
次に、國内
行政機構の
改革問題について少し申し述べてみたいと思います。
法案は、
地方の
自治を非常に尊重し、これを盛り上げてつくられました。しかしながら実質におきましては、なお
中央集権的、官僚的なる
政治が
地方自治の
方面の浸透しておるのでありまして、一例をあげてみますれば、この間からも討論にもたくさん出ました出先官憲の問題であります。ますますこの出先官憲はその数を殖やし、その実権を拡げていくかの感があるのであります。
由來
地方政治の
内容には、皆樣御存じの
通り地方自治権固有なるものと、國家
行政を
地方自治團体が委任を受けてなしてお
つた二つの部面があるのであります。それも事実公正に國家
行政を全部委任の形で
地方團体になさしめ、
地方自治本來の
権限を有するものは本來の
権限なりとして
政治がなされてお
つたのならば
異議はないのでありまするが、皆樣御存じの
通り、むしろ本來
地方自治に属する
権限、
地方團体の
権限であるべき本質をも
つておるものが、國家の
行政権、國家の
権利の中に含まれまして、そうしてこれが委任の形で行われておりました。今日この多くの出先官権の問題—詳らかにこれを檢討いたしまするならば、國家の権力に属すべきものでなくして、
地方團体の
権限に本質的に属すべきものが、國家の
権限なりとして國家の出先官憲によ
つて地方政治の中に浸透されておる。
官僚政治、
中央集権的な
権利がこれに入りこんでおるということは、いなめないと思うのであります。
この際この限界をはつきりいたしまして、あくまで
地方自治本來の
権限に属するものは全部
地方自治團体に移す。國家の元來なすべき権能、すなわち全般的計画を樹立するに必要なる
政治政策、あるいは全國的基礎の上に立つ全國的統一ある政策、あるいはその他の施設、かかる目的を有する
政治、その他
地方團体からの連絡調整に関するような
政治、こういうものは、國家の
政治力として、國家の権力として
政治を行わるべきものと思うのでありまするが、
地方そのもので本質的になさるべきものは、全部
地方團体にその
権限を委讓すべきものだと
考えています。
なお
最後に、
地方行政の任に当りまする吏員のことについて一言申し述べたいと思いまするが、
知事は公吏となり、その他の縣廳のお役人も公吏となりましたものは随分あります。形の上では
官吏が公吏となり、
地方團体の役員とな
つたという形式はと
つておりまするが、公正に冷靜に
考えてみまして、はたして実質の上にかかる変革があ
つたかどうかという問題であります。実質の点に至りましては、ま
つたくあの
官僚政治そのままの
政治が
地方に行われておるのであります。この点におきまして、大いにこの吏員
制度というものが修正を見られねばならないし、本質的に吏員そのものの心からの改造が必要であろうと思うのであります。理窟といたしましては、
地方吏員は
地方住民の公僕であると口に唱えておりますが、その実は、頭から
地方住民に対して権力をも
つて臨むというような形で
政治を行
つておる事実はいなめないのであります。この人事の……