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辻寛一君 ただいま
議長から御
報告に相なりました
通り、本
院議員服部崎市君は、去る六月二日、郷里において永眠いたされました。私
どもの期待も遂に空しく、この悲報に接しますことは、まことに痛恨の極みであります。
御
承知のごとく、
服部君は名古屋市の御出身であります。若冠にして市会及び縣会に議席を有し、
地方公共のために盡瘁されたこと多年、郷土を愛する君の至情には、直に敬服すべきものがございました。資性明朗にして濶達、わが
國水泳界に重きをなし、スポーツ・マンにふさわしく、
青年服部の
面目躍如として、常に各方面から好意をも
つて迎えられたのは、ゆえなきにあらずと存ずるのでございます。(
拍手)
郷党の信望を負うて本
院議員に当選すること前後三回、在職六箇年有余に及び、その間
議事進行係として令名をはせ、
議会運営に多大の貢献をいたされましたことは、知る人の記憶に新たなるところでございます。殊に今春行われました総
選挙に際しましては、新しき
國会を目前にして、君の決意もまた定めし新しきものがあ
つたことと存じます。すなわち
病床から起き上
つて決然として立ち上り、なみなみならぬ病苦を押して、
最後まであの激しい
選挙場裡に闘い続けられました。そうして
みごと最高点をも
つて当選の栄を担われたのでありますが、いかんせん、つのる
病魔のために起つこと能わず、病と闘いながら、空しく
登院の日を待
つておられました君の心事をお察し申し上げますときは、哀心から御同情の念にたえない次第であります。(
拍手)
君の病篤しと聞き、私が病院にかけつけましたのは、丁度
國会召集の前日でありました。もとより面会は固くとめられてお
つたのでありまするが、私が
参つたと家人が告げまするや、ぜひ会いたいと君は言う。
病床に進めば、君はやせ衰えたその手を差伸べて、私の手をしつかと握り、なんのこれくらいの
病氣で倒れるものか、必ずこの
病氣を克服して見せるんだ、しかし
召集にも間に合わぬ、おそらく
開会式にも間に合うまい、これが残念である、しかしおつつけ出かけるから、どうか
諸君によろしく傳えてくれ。その
氣魄たるや、とても重態の病人とは思われぬものがありました。主治医も、ようこの
からだで
選挙を
最後まで闘
つてきたものだ、
氣力旺盛なること、こんな人を見たことは初めてであると、その壯んなる
精神力に舌を巻いておりました。この
氣力、しかしこの
からだである。この
病氣である。しかしこれだけの
氣力があれば、必ずこの病を組み伏せ得られるのではなかろうかと、私はかつ案じ、かつ一棲の望みを嘱して、君の回復を希
つて別れたのでありまするが、それから十日、日に日につのる
病魔の攻勢に、さすが氣丈の君も、遂に抗する能わずして、刀折れ、矢盡きたのであります。
奥さんは申されました。主人はよく
最後まで病のために闘
つてくれました。しかしいよいよ所詮かなわぬ運命と観念いたしまするや、有権者の
各位に申訳がない、一度も
國会に臨まずして去らねばならぬことは、
國民諸君に対してまことに申訳がない。しかし自分は闘えるだけ闘
つてきたのである。この
眞情を認めてくれ、どうかよろしくおわびをしてくれ、御厚誼をいただいた
各位にもよろしく傳えてくれと、從容として逝きました。大往生をいたしましたのを、せめてもと存じておりますと語られました。病中の君を目のあたりに見、今また夫人の
言葉によりまして、君の最期の姿を思い浮べまして、大丈夫たる者まさに
かくのごときかと、君をしのぶの情ひとしお切なるものがございます。(
拍手)
未だ五十才にも満たず、この少壯有爲の君を今にして失うということは、ただに私の情を越えて、返す返すも
國家のために残念に存じます。しかしひとたび去
つた君はもう帰りません。思うに、今後私
どもの協力によりまして、この新しき
國会の使命を十二分に果すことこそ、まさに第一回
國会の人柱ともいうべき、この君の霊を慰め得る
唯一の途であると信じ、ここにこれを誓う次第であります。
ここに謹んで故
衆議院議員服部崎市君の御冥福を心からお祈りいたしまして、追悼の
言葉といたす次第であります。(
拍手)
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