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森戸國務大臣 ただいま
松原委員からの御
質問の
中心點は、
宗教教育と
教育會の問題であると思います。
宗教教育の問題は、さらに
もつと根本的な問題としては、
平和主義の
教育と言う點から出發していると思います。御指摘のように
日本の國は民主的、平和的な
文化國家を目ざすということにな
つておるのでありまして、民主主義の
教育という點では、
相當に公私ともに力が入れらてるいるのであります。しかし
平和主義の
教育ということはそれほど徹底していないかの感じがするので、殊に敗戦後の戰禍の後に起ち上る
日本、なお今日私
どもの當面しております國際情勢等を考慮に入れますと、さらにまた、やがて平和會議に臨まなければならぬ
日本の身構えといたしまして、
平和主義教育というものが非常な重要性をも
つているということは疑いないのであります。反
軍國主義ということについては、
相當に強く
考えられているのでありますけれ
ども、
軍國主義反對ということは、必ずしも
平和主義を積極的に
支持するということには、すぐにはならないのでありまして、私
どもはわらに
軍國主義反對ということが、積極的
平和主義への
國民の確信にならなければならず、これにふさわしい
平和主義教育というものが、國で取上げられ、
國民各層に浸透しなければならぬと存じております。この
平和主義の
教育について、
松原委員が、特に
宗教に重點をおかれたということは、きわめて
理由のあることと存じまするが、
平和主義は、もちろん
宗教面においても強く提唱されておりますけれ
ども、
宗教と離れた人道主義、また
社會運動、婦人運動の
方面からも強く主張されているという
事實も、私
どもは看過してはならぬので、
平和主義の
教育は、
宗教はもちろんその重要な一翼でありますけれ
ども、他のいろいろな側面から
平和主義への気與という面も看過してはならぬという點を私は申し上げたいと思うのであります。しかしこれらの中で、また
宗教というものが古來
平和主義に對して重要な地位を占めてきたということも、まことにお説の通りでありまして、私
どもこの點では、殊に諸種の
宗教がこの點を重視して、
平和主義のほうへその積極的な力を働かしていただきたいと存じております。ただ
宗教すべてが
平和主義にそのまま推進力となるということの保證はないのでありまして、これは戦争
時代における
日本の
宗教の風潮を
考えますならば、私
どもは多くの反省を要するところがあるけれ
ども、しかし
宗教の根本的なところが
世界平和を目ざすことであり、殊に新しい
日本において
國民の
支持を受ける
宗教が、さような
平和主義に向うものであるということについては、まことにお説の通りであります。
それでは、
學校教育は
平和主義を重視しなければならぬ、
宗教が
平和主義についての重要な力であるとすれば、
學校教育に
宗教を
もつと積極的に認めたらよいではないかという
お話でありますけれ
ども、これは他の側面から言えば、民主主義の立場から、一宗一派の
宗教でなく、國立、公立の学校においては、これを教えてはならぬという
建前をと
つておりますので、政治
宗教との分離ということの立場から、國立、公立、の學校において
宗教を教えるということは、それがいかに
平和主義の強い力でありましようとも慎まなければならぬことと存じております。しかし特殊の一宗一派の
宗教でなく、
宗教的の情操というものが、
學校教育において無視されるべきであるとは
考えておりません。
日本の憲法はそうは
規定してしてありませんので、むしろ
宗教的な情操というものが児童の中に育成せられるように、または寛容の精神が
子供たちの間に伸びていくように、また
宗教について、
宗教の本質、あるいは
宗教の現在の
状態、または教祖の傳記その他について學校で教えられるということは、公平な立場から否定するべきものではないのでありますけれ
ども、
宗教が公立學校の教壇から教えられるということは、新しい
教育制度の上から望ましきことでなく、禁ぜられておるものであることを率直に申し上げたいと思います。
それに、かような應じた、眞實に
平和主義を確信した
教育者が
養成されなければならぬという御説も至極その通りであります。
教育者殊に児童の
教育—ただ知識を傳えるということではなく、人間的な指導ということが非常な重要性をもちますので知識を空覺えをしたのではなく、確信をも
つた人でなければならぬと思
つております。そういう意味におきまして、新しい
教育制度は、ただ設備を整え、制度を完備するということでは足らないで、これにあります教える者と教えられる者との人間的なものが重視されなければならぬということは、
教育の本旨から
考えても明らかなことと存じておりまして、
教員養成という點にも、その點に私どは重點がおかれなければならぬと存じております。ただ
文部大臣がそういう
教員はできるか、できぬか、できるという自信をも
つておるかと言う
お話でございますが、これはむしろ
文部大臣がどう
考えるということよりは、
國民全體そういう氣にな
つて、そういうふうに
教育者を育てていくという氣持になることが必要なのであ
つて、民主主義政治のもとにおいては、そのことが最も大事なのかと、私は
考えておるのであります。
第二には
教育會に關する問題でありまして、
教育會に關しましては、
教員組合との間に先ごろからいろいろ紛争のあ
つたことを、私
ども承知いたしておるのでありますが、最近に共同聲明が出されまして、「この最後の決定は會員個々の自由なる意思によ
つてなさるべきである。
日本教育會及び
日本教職員組合は右討議が何ものにも拘束されない自由な立場において民主的になさるべきであることを確信し、一切の不必要な抗争を排除し、平和裏に各人がそれぞれの意を儘し、早急に右の意思の決定がなされるよう希望する。」というような共同聲明がなされておりまして、私
どもといたしましては
教員を基礎としておりますこの
二つの
團體が、不必要な抗争はこれを避けて、自由なる討議により、しかもその基盤をなしております
教員の自由なる意思によ
つて平和のうちに一定の結論に達せられることを、心から希望している次第であります。
教育會につきましては、
從來いろいろ問題があ
つたのでありますが、
文部省との關連においては、
教育會が
文部省の
外郭團體であるがごとき感を深くし、しかも在來の
文部省の政策がそれを通して浸透するようなことにな
つてお
つたというようなことから、
教育會の民主化ということが
考えられ、そして、
文部省の補助はもちろんいろいろな指導干渉というものも一切なくして、自主的なものとしてや
つて怒れるという
建前にな
つたのであります。そして民主主義的な機構の上からは私はこれはまことに適當なことと存じておりまして、爾來
文部省は
教育會に對して、
從來のごとき
關係はと
つておらないのであります。さようなわけでありまして、
教育會に對して
文部省がどういうことを希望するというようなこともないのでありまして、私
どもはこれらの自主的な
團體が、その基盤である
教職員の方々の自由な意思によ
つて、適當な結論に到達されることを望んでいるのであります。ただ同じ
教員を基盤としておるのでありますが、教職としての機能と違
つた昨日をも
つておりますので、同じ
教員の基盤から、そういうそれぞれの機能を代表するような
組織が成り立つということも、きわめて
考え得べきものであります。それは名前はどうであれ、在來の
教員組合と
教育會というような形になり、あるいは
教員組合が一本の上に、その
組織をその
組織の
二つのものとしてそれが成り立つか。これはその
組織をしております母體の
考え方によ
つてきまるのでありましようが、そういう
二つの別々の機能をも
つたものとして伸びることが、
日本の
教育を健全に伸ばしていく上に適當であろうとかんがえられるのであります。
なおそれに關連して
ユネスコの
お話も出ましたが、
ユネスコの問題は、ご案内状を差上げたのは、
文部大臣としてではなく、私の
關係しております民主外交協會の
理事長としてでありましたが、私
どもは
ユネスコの發足
言葉にも、戦争は人間の心の中で防備されなければならぬという
建前から、
教育、
科學、
文化における國際的な諸民族の間における自由な交流と、また強力とによ
つて戦争が防備されなければならぬということには、全幅的にわれわれとしては贊成をいたしておりまして、
日本の國が國際連合の一員となりますれば、進んで
ユネスコに參加すべきであると存じておりまするし、また國際平和會議が開かれる前にも、
ユネスコに參加する準備は準じなさるべできめると存じます。それが
ためには、
教育、
科學、
文化に關する緒
團體、竝びにそれらに
關係している方々の
意見が十分に交換されて、それにふさわしい
日本の準備態勢ができることが、きわめて望ましいのではないか。それはおそらく民主主義の
時代では、民間におけるそういう
一つ一つのよい行き方であろうと存じております。これに關連いたしまして、在來の
教育界に
關係してる方々が、そういう
方面に積極的に御協力を願うことは、私
どもとしては、きわめて望ましいことと存じております。ただ當面しております
教育界の問題とは、それは別のものでありまして、當面の問題は、先ほど申したような形で、自主的に
解決されることが望ましいのであります。そしてそれが
解決の後に組合
團體あるいはそれよりは廣い
團體が、さらに民主的自發的な
團體として
社會教育の全面に活動され、また
ユネスコのひ
とつの有力な傘下
團體になられるということもきわめて必要なことであるのであります。
最後に組合運動に關する御
意見があり、私がこれに對してどういうふうに
考えておるかということであります。私は
日本再建の上に、堅實な勞働階級が積極的にこれに贊加し、その推進の力となることが非常に大切なことであり、
教育の面におきましても、
教育刷新の線におきまして、
教員組合が重要な力とな
つていただくことが望ましいことであると存じております。組合は、さしあたり經済生活權の擁護という側面に力をいれております。これは至極
もつともなことでありますが、同時に、私は
教職員といたしましては、
教職員としての
職能についても、だんだんと考慮をしていくようにな
つてまいらなければならないと存じておりまして、そういう點で一方では働く者として生活を擁護するとともに、他面では
教育者として
日本再建の
ための
一つの推進力となることが、きわめて望ましいと存じておるのであります。
勞働組合一般に對しても、今日最も大きな
要求は、ただ賃金の
要求、勞働
條件の改善という
要求だけでなく、生産という點に、殊に
日本の危機において、勞働者は十分な關心を持たなければならぬということが、これは公平な立場をと
つております
日本の勞働運動の指導者も、また連合軍の人々も、同様な
見解をも
つておるのでありまして、
世界各國の勞働運動も、その線を現在においては保
つておると私は思います。
教員について、生産といえば
教育であります。私は
教員の団体におきましても、生活權を用語していくとともに、そのも
つております
教育の機能というものは、
教育が
ほんとうに正しく、新しい
日本の
建設の線に沿
つて進まれるように力を入れていただきたいと思
つております。これは忘れられておるわけではないのでありますが、生活の面で困窮の
ために、ついあとにな
つておると思いますけれ
ども、今日の
日本の危機ということは、単に生産上の危機のみならず、
教育上また
文化上の危機であるのでありまして、他の勞働者において生産の闘争が展開されると同じように、
教育者においてもかような側面における組合運動の線に沿いながら、健全な
日本再建の力に、また新しい
教育を再建する力になるのではないかと存じておるのでございます。はなはだ不十分でありますが、お答え申し上げます。