○
高橋(英)
委員 小川君のただいまの御意見は、私とも
倉石、
有田、
山口の三君に對する點、すなわちこの三君に對する批判的な
言葉や、またその結論に對しては、贊成いたしませんけれども、その他のことに對しましては、双手をあげて贊成する。私が思
つてお
つてここに言おうとすることを、そのまま小川君は言
つてくれたと思う。小川君の今言われよたうな立場に、日本の
議會が置かれておる、われわれ國會
議員が置かれておるからこそ、私は一昨日からも、なぜもつと眞劔に、民主的に、新憲法の精神をくんで、この
懲罰委員會を妥當適正に運營しないかと叫んでおる。なるほど
議會内における暴力ざたの問題、これはよいことではない、決してほめたことではない。むろんこれを嚴罰にしなければならないという理由をたくさん包んでおるのでありますが、しかし私は、五十歩にして百歩を笑うものの愚をののしりたいと思うであります。さらにまた百歩にして五十歩をののしり、二百歩にして五十歩をののしるものもまた同樣に笑うべき存在と思うのであります。大體問題は二つにわかれてきますが、嚴罰にしなければならないという、そういう暴力行爲、これは
議會から絶對に排撃しなければならぬことは同憾であります。われわれは心からこれを望んでおる。われわれの控室で、今のこの
懲罰問題についてどういうことを言われておるか。今度はこの
懲罰委員會において、なるべく嚴重な刑罰に處してもらいたい。
倉石君にしても、
有田君にしても、また
山口君にしても、三君ともにもし非違があ
つたならば、それに對しては斷乎たる嚴罰に處してもらいたいということを希望しておる、一つの例をつく
つてもらいたいということを申しておるのであります。それはなぜかと言うならば、現在われわれ自由黨は、野黨であるけれども、いつまでも野黨の立場にはおらないと私どもは確信しておる。われわれ自由黨が與黨にな
つた場合に、野黨になるものはだれであるか。野黨にな
つた場合における暴力行爲に出ずるもの、すなわち野黨戰術として暴力ざたに及ぶ可能性のある政黨はどれであるか。自由黨の野黨ぶりよりも、どこの政黨の方が、どの團體の方が野黨ぶりが猛烈であるか。それを考えますときに、われわれは今囘の事件において、もし非違があるならば、この三者がもし間違
つたことをしておるならば、ぜひ嚴罰に處してもらいたい、かように望んでおる。これは過去において實例が示しますがごとく、五十歩にして百歩を笑うような
状態が續いておる。どういう場合に
懲罰が起
つても、結局そういうことにな
つておると私は思
つておる。今後においても、またこれが繰返されぬとはたれが保證することができるか。現にこの
懲罰委員會における審議ぶりを見ても、わかるのであります。小川君はりつぱにああいうことを言われたが、正式な
發言を得ておる者に對して、不正式な
發言をも
つて、いわゆる
やじをも
つて言論を
妨害せんとした者はだれであるか。またわれわれは眞實を發見するために、あらゆる許されたところの合法的な立場をとろうとすることを、頭から多數をも
つてこれを彈壓しようというような態度に出られたのはどこであるか。私は今の小川君の
言葉そのものは今諸君に返上したいと思う。この
懲罰委員會の審議ぶりをも
つてしても、將來諸君が野黨になられた場合のその野黨の猛者ぶりが、私は想見されるのであります。そのときのために
事實不法行爲に出た者、非違を犯した者は、この際嚴罰に處してもらいたい。これは嚴罰として贊成です。しかし
實際においてこの三君が非違を犯しておるかどうか。不法な行動があ
つたかどうかということは、また別個の問題とな
つてくるのであります。私は必ずしもこの三君が、今、小川君が言われたほどの重大なる不法、非違を犯しておるとは考えられないのであります。生方
代議士の事例を引用されましたが、この引例は、私は非常に誤
つておると思うのであります。この三君が擬せられておるところの罪質は、もしその
通りであ
つたら、起訴
事實の
通りであ
つたら、まことに排撃しなければならないところの行動ではありますけれども、これこそまた見方によりますならば、憂國の熱情のほとばしり、愛國の熱情のほとばしり、愛民の熱情の行き過ぎでありまするけれども、
議場内で放尿することと、愛國の熱情と、どこに
關係がありますか。手段は惡いでしよう、この行き過ぎは、暴力ざたは、手段は惡いかもわからないけれども、これみな諸君とともにわれわれが藏しているところの、も
つているところの愛國の熱情のほどばしりとも言えるのであります。放尿事件は、政治的の問題とかかわりがあるかと、かように私は思
つておる。生方
代議士は放尿されたかどうか、そんなことは私は知りません。またかりにそういうことがあ
つても、泥醉の結果そういうことをせられたところで、私はそれほど除名をしなければならないほどのことではない。人が人間である以上は、神でない以上は、ときに過ちがあるのであります。
懲罰委員會にあれがかけられても、私どもはもつと違
つた考え方をも
つている。そういうふうなことで、生方氏の問題と同一視されることは、大いに私どもは遺憾といたす次第であります。それならば、
事實関係において、この三人はどういう立場にあるかといいますると、先ほど申し上げましたごとく、
山口議員はま
つたく無罪であります、冤罪であります。なるほど
委員の中では、見たという方があり、確信があるという方もありまするけれども、これは一つの
判斷の材料としては、ここに出ていない。
判斷の材料として出てくるようなものは、すなわち
本人の辯明であり、また
證人の
證言である、その他いろいろな證據であります。その證據がここに現われていない。この證據がなくとも、刑事訴訟法のごとく、證據がなくとも判定ができるという議論のごときは、頭からフアッシヨ的であり、獨善的である。すなわちそれならば、
本人の辯明を初めから許さなくてもよろしい、
證人を喚ばなくてもよろしい、證據も出さなくてもよろしいということにな
つてくるのであります。いやしくも
本人の辯明を許す制度があり、
證人が
出頭して
證言する制度がある以上は、すなわちそういう
客觀的な嚴たる
事實、そういう材料によ
つてその判定の資料として、この
判斷が下されるということにな
つてくる。はたしてしからば、
山口議員の行動は、少しも證據が
上つていない。
客觀的な材料はないのでありまするから、無罪がほんとうであると私は思う。
それから
倉石君の場合はどうかということになりまするが、これは新聞なんかにも現われているようでありまして、あるいは一部誤解を受けるような行動があ
つたかもしれないと思うのであります。
本人は毆打の意思はなか
つたが、突いたところが、手が滑
つたというふうなことにな
つておる。見ようによ
つては、これも常套的な辯解の辭のようにも思われまするけれども、しかしあの興奮した際、あの混亂のときにおいて、往々にしてそういう誤りがないということも保しがたいのであります。さらにその
動機に至
つては、決して不法行爲をするがために、非違を斷行するがために、ああいう行動に出たのではなく、坂本
衞視長のからだにさわ
つたということではないのであります。
山口六郎次君が衛視から毆れらた、暴行を受けたというようなことに義憤を發し、すなわち
代議士がその尊嚴を冒された、
代議士が
衞視連中に暴行を受けたということに義憤を發して、それに對する偶發的な一つの行動であ
つたのであ
つて、議事の
妨害に出るとか、
速記の
妨害に出るとか、その他
議場内において不法、非違の
目的をも
つて、
倉石君がその行動に出たものではないということは、これはもう疑いのない
事實であります。古島
議員の
言葉を借りていいますならば、氣
違いでもなければ、そう理由もないのに、突然人を毆
つたりすることはないという、その
言葉が證明して
おりますがごとく、すなわち
山口君が暴行を
衞視連中から受けたというそういう誤解を抱かなか
つたならば、この事件は起
つていない。
從つて衞視連中から
山口君が暴行を受けたかどうかということは、これは
事實においてあ
つたかなか
つたかは、わからないのであります。あ
つたかもしれないし、なか
つたかもしれない、これは事件をしげくいたしまするから、私はここで
はつきりは申し上げませんけれども、先ほど
鈴木君が申し上げましたところの
事實、
鈴木君に對して松岡
議長がどういう
言葉を發せられたか、松岡
議長が公然とああいう
言葉を發せられる以上、その裏においてどういう申合せがあ
つたか、どういうふうなことが相談されてお
つたかということは、これはとうてい私どもが想定する限りではありません。臆測になるかもしれませんけれども、よほど重大なる決意のもとに、ある種の協議が行われてお
つたということは、
衞視と衝突いたしましたところの各
關係者の
言葉を總合しますと、およそその一班がわかるというような
状態である。
從つてそういうふうな
状態でありまするから、
倉石君が、
山口君が暴行を受けたと誤解いたしましたといたしましても、そう認定したといたしましても、決してこれはそう眞實に遠いものではないのであります。そういうふうな意味におきまして、
動機にいたしましても、また
事實上
倉石君がやりましたところの行爲にいたし しても、そう重大なる過ちではないと私は思うのであります。そういう意味において、
倉石君に對して、極刑の除名處分という小川君の御意見は、非常に偏
つており、そこに冷靜なる理性的なる
判斷が除外されているのではないかと思われるのであります。私ども、先ほど
山口君が言われましたように、
議會に初めて去年入りましてから、今日
議會こそはまさに理性の府ではなくして、感情の府である、單に強硬論を唱える者ばかりが相當たくさんいるような所であ
つて、
愼重に、理性的にものを
判斷するのに適していないところの
空氣をはらんでいる、そういう
空氣の所であるというふうに考えて
おりますけれども、小川君の意見が、もしこの理性の府であるべき國會の意見として、それに反する分子が少しでも含まれているとしましたならば、これはどうぞ御反省を願いたいと思うのでありきす。公平に言
つて、はたしてこれが除名に値するものであるかどうか、これは言わずして明らかであると思うのであります。
それから今の
有田君の問題に至
つては、これは私、
山口君同樣に、無罪論を主張したいと思うのであります。あまり長くやるなというふうな御注意でありますから、結論だけ申し上げます。
私が説明しなくてもおわかりのように、決して
有田君は平素からそういう
妨害行爲に出るような人物ではない、また
速記者の
速記を
妨害するような
状態にな
つていない。たびたびの應答によ
つて、この
委員會で明らかにな
つておりますように、
當時は
議場騒然として、
速記することが不可能な
状態にな
つてお
つたのでありますから、何を苦しんでか、
有田君がことらさに
速記の
妨害をする必要があろうか、
速記の
妨害をしたというふうな積極的な
言動も、また動作もなか
つたようであります。鉛筆が飛んだとか、紙が飛んだとかいうことで、
有田君を誹謗して
おりますが、かりに
事實がそういうことであ
つたといたしましても、それは
妨害のために故意に鉛筆を飛ばしたものではない。すなはち
議長に對する行動の飛ばつちりが、そういうふうなことにな
つたのであ
つて、それはあたかも
有田君が歸りに
速記者と衝突して
奧野速記者がよろめいたことが、
有田君の暴行行爲でないということと同じことであると思います。すなわち故意がない、
妨害の意思がないと思うのでありますから、その點から、
有田君は私は絶對的に無罪だというふうに思
つておるものであります。