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青木委員長 次に第一九、第二〇、第二五、第二六、第二七、この五件を一括して上程いたします。いずれも各位の御了解によりまして、本籍より私が御
紹介申し上げたいと存じます。
まず第一九、
和田漁港修築の
請願、
青木清左ヱ門君
紹介、
文書表第八九五號の御
紹介を申し上げます。若狹灣一帶は
日本海方面における優秀なる
漁場でありまして越前若狹丹後の各
沿岸漁民の渇望する
漁場として出漁するのでありますが、各
沿岸には完全なる避難港の
施設なく、不安が多いため、自然出漁囘數も少なく、なり勝ちでありまして
増産に影響するところはなはだしく、
漁業振興上これが
施設を
要望すること切なるものがあります。よ
つて時の福井縣知事白男川譲介氏は、縣下にわたり避難港と
漁港の適地に關し、調査を進められました結果、小濱灣の西方和田港は
大島半島に圍まれ、風波の恐れ少く、加うるに半島の根基にありまして、内海と外海との距離わずかに二百八十間に過ぎず、この地を開發するときは、東方は小濱灣口より西方は和田外海よりするいわゆる東西兩面に入り口を有することとなり、
漁船の避難には最好適と相なるのでありまして、内海面には岸壁近く小濱線が走
つており、停車場もあり、
漁獲物の集荷發送に便利でありますので、この地を縣下第一の候補地と定められ、大正十三年より翌十四年に至る約二箇年を費して、海浪の抵抗力竝びに内外海の水位の落差等細密なる調査を進められました結果、外海には、防波堤、防砂提を築き、
水深七尺、幅員二十間、長さ二百八十間を切割れば、それより生ずる土で一萬六百四十坪の土地を得られますから、これによ
つて陸上の重要
施設用地も得られるのであります。また内海、外海の水位落差は約一尺でございますが、長さ二百八十間に對する一尺は何ら
漁船の通路に支障を來さないのであります。すなわちこれが
實現化は
沿岸漁民の福利増進を計るゆえんでありますから、遂に内務省の指定
港灣に編入を見たのでありましたが、世上
漁業に對する認識淺きため、今日に至るも
實現を見ざる
現状にありますことは、はなはだ遺憾であります。然るに
食糧不足に惱む今日やうやく水産の
必要性を認めらるるに至り、國會においては水産常任
委員會を設けられ、
漁港の築設についても鋭意調査を進めらるると聞きます。まことにわれら
漁民の喜びにたえないところでありまして、この福音を聞いて改めて本問題が再燃致し、最近本縣土木課の手により、再調査を進められ、昨今ようやく調査の完了をみたのでありますが、願わくば初頭に述べたごとく、この切割による
漁民の利は、ひとり和田村のみでなく、若越丹を通じての
漁民の福利増進をはかる途でありますから、水産常任
委員會においても、何とぞ御採擇の上、全額
國費をも
つて實現さるるよう、格別の御配慮に預りたいと存ずる次第であります。
これが福井縣大飯郡和田村村長一瀬滿近君、及び和田村
漁業會會長
理事瀧甚左ェ門君から提出された
請願の要旨でございます。
次に第二〇號、
鷹巣漁港修築の
請願、
青木清左ヱ門君
紹介、
文書表第八九六號の御
説明をいたします。
鷹巣村は越前沖最大の
漁場である玄達瀬に最も近い
關係上、徳川時代においては越前における
沿岸漁業の根幹をなしてきたところでありましたところでありましたが、
發動機船漁業の興隆とともに、
漁港施設を有しておらなかつたために、一時沈着いたしまして、出稼漁村に化したのでありましたが、
昭和七年以來
漁民の熱誠が報いられまして、
船溜の完成を見ましたので、漁村の復舊がようやく進み、昔日の面影を示すに至
つておるのであります。
現在における
漁船數は動力付七十隻、無動力百三十隻でありまして、
漁業の主なるものは、底引網
漁業十隻、そのうち七隻は
船溜の
關係で三箇港を根據として出稼ぎしておるのであります。また夏季におけるぶり大謀網
漁業一統、柔漁、さば、あじ、たら、ぶり等のはえなわまたは一本つり
漁業、たこ空つり
漁業、うに、わかめ、てんぐさ等の磯物
漁業でありまして、年
漁獲高十五萬貫、五百
萬圓に上
つておるのであります。
本村海産物中、うには古來越前の名産として世に定評がございます。またかにも越前の名産として賞美せられ一般に知られておることでありますが、この越前のずはいかには舊幕時代
本村漁業家によりまして發見せられたものでありまして、
本村の誇りとするところであります。
本村は上述いたしましたごとく、漁村の懇望に答へて
昭和七年に至り、ようやく時局匡救
事業として、
船溜の設置を見るに至りました。縣直營として、
工事費十
萬圓を投じ、岩盤地三千坪を大汐干潮面下二メートルを掘鑿し、
海岸に防波堤を築き、理想的
船溜となつたのであります。さらに本
船溜を
中心として、
昭和十年には燭光燈の新設、十一年には專用道路の開設、十二年には集荷場の新設、電話の架設等、漸を追うて漁村
設備の充實をはかりましたため、次第に機船の増加をきたし、
漁業の成績も向上するに
至つたのであります。なお越前
海岸には、三國港より敦賀港に至る間に適當なる避難港を有しない上に、なお三國港は川口の
出入が困難でありますため、丹羽郡四ヶ浦、越の、國見、坂井郡三國、雄島等の
漁船がしけに際しまして、本
船溜に避難した例もはなはだ多いのであります。
日本海におけるしけは尖鋭でありまして、破壞力が強いために、本
船溜の防波堤もしけごとに多少の
被害がございまして、
昭和十三年及び十六年と二囘にも大
災害を受け、復舊
工事を
施行いたしましたが、戰時中から資材勞力の不足のために小
被害の看過を餘儀なくせられたるところ、二十年二十一年の兩度の大しけによ
つて、全防波堤及び、周圍道路までも破壞せられるにいたりまして、砂利の浸入をきたし、全然
漁船の
出入はできず、
船溜としての機能が消滅した
状態に及んでおるのであります。縣の理解によりまして、防波堤復舊費として
昭和二十二年度において十
萬圓を計上せられましたけれども、物價の激騰によりまして問題とならず、さらに
農林省及び縣に陳情いたしまして、三十
萬圓に増額計上をお願いをし、本復舊
工事を
本村内鹽田
工事施行中の飛鳥組に對し、縣の設計による見積りを徴しましたが、最初の豫定額をはるかに超過いたしまして、七十五
萬圓を要すとのことでありますので、やむを得ず一部設計を變更いたしまして、五十
萬圓の
事業として請負わしめ、かねて
工事を續行しておつたのであります。ところが今秋東北地方及び關東地方の水害と同じ時期に北陸地方を見舞いました大風水害によりまして、
工事の築堤が全部波浪のために洗い流されてしま
つて、今まで投じました全經費を空ならしめたのであります。
地元といたしましては、これが
災害の復舊はもとより、本
工事全般にわた
つて速急に完成いたしたい熱望に燃えておるのであります。
これが福井縣坂井郡鷹巣村
漁業會長の成瀬忠君から
請願された要旨でございます。
次に第二五號、
城崎村厨に
船溜及び
船揚場擴張工事施行の
請願、
青木清左ヱ門君
紹介、
文書表第九八九號の御
説明を申し上げます。
水産資源の開發は、日本經濟の緊急にして一瞬たりともゆるがせにすることのできないものだということは論をまたないことであります。このときにおきましてすべての
漁船を動員し、この獲得に萬進することは、漁村、
漁民の最大責務でありまして、その成否が民主再建に大なる影響を與うるものと存ずる次第であります。さいわいにして、
本村は無盡藏なる
日本海の寶庫に面し、飛躍
増産に精勵いたしておるのであります。しかしながら
本村厨における既設
船溜船揚場は、すでに狹隘でありまして、わずか十有餘隻の船腹を収める程度に過ぎないのであります。動、無動力船合わせて九十隻餘を有するこの厨の
漁民は、
日本海にしけの日が續き腕を撫し出漁でき得ないことが多々あるのであります。なかんずく晩秋から雪融けの期にありましては、獲物を前に切齒扼腕する
漁民の姿、ただただ
船溜、
船揚場の新設を絶叫しておるのであります。このために
漁民一同協議をいたしまして、
總工費七百
萬圓程度の豫算をも
つて、
昭和二十三年度から
漁民渇望の的である海上、陸上
設備の兼備した
船溜、
船揚場を建設したいと念願し、計畫を進めておる次第なのでありまして、ぜひ水産
委員會におきましても、
政府當局におきましても、この點
漁民の熱望を容れられまして、速やかにこの
船溜及び
船揚場の完成に向いますよう、御決議願いたいのであります。ちなみに最近二、三箇年の
漁獲高を申し上げますれば、
昭和十九年度は二十九萬五千百九十三圓、
昭和二十年度は百八十二萬一千三百圓、
昭和二十一年度は二百四十三萬四千四百十七圓、
昭和二十二年度は八月末現在で四百三十一萬五千九百十三圓と相な
つておりますし、
漁業勞務者は約四百名を算えております。これが福井縣丹生郡
城崎村厨
漁業會長上田千代三郎君ほか二名よりの
請願の趣旨であります。
次に
日程二六、
城崎村米ノに
船溜及び
船揚場の第二
工事施行の
請願、
青木清左ヱ門紹介、
文書表第九九〇號の御
説明を申し上げます。
日本海における無盡藏なる水産資源の獲得は、越前
海岸を
中心としてなされつつあるのは周知の
事實であります。なかんずくその主要なるものは、
本村の米ノ浦の
漁港を基點として十分
漁民の活躍を期待することができるのであります。しかも比較的少額の
工事費を投ずれば、完全なる天惠の
漁港に適するような
地の利を占めておるのでありまして、
昭和二十一年度には
農林省の認むるところとなり、
工事費四十五
萬圓をも
つて第一期
工事を
施行し、目下
船揚場及び
船溜防波堤の築造
工事中なのであります。しかしながら
日本海の
冬季間における暴風激浪を防ぐに完璧を期せんがために、さらに一層完全なる
船溜、堅固なる防波堤築造をすることが緊要なのでありまして、ここに總額約壹千壹百
萬圓程度の豫算をもちまして、
昭和二十三年度において充實した
漁港を築造し、
漁業戸數約五百戸、從業員三千五百人の
漁民をして、安んじて生業につかしめ、
水産物の
増産をはかるとともに、本縣敦賀、三國兩港の要點に位する本
漁港として價値ある
良港たらしめ、これが完成の曉には、海上交通に資するはもちろん、越前
海岸全
漁業者の福利に寄與すること大なるは言をまたないところであります。これが、福井縣丹生郡
城崎村米ノ
漁業會長吉田廣治君ほか二名よりの
請願の趣旨なのであります。
次に第二七、
蒲生船溜工事に
國庫補助増額の
請願、
青木清左ヱ門紹介、
文書表第九九四號の御
説明を申し上げます。福井縣丹生郡越逎村蒲生におきましては、
昭和二十一年度において、
船溜工事の
設備を行うことを計畫いたしまして、工費二十
萬圓のうち十
萬圓を國庫補助に仰ぎ、他は
地元負擔をも
つて工事を
施行してきたのでありますが、日を逐
つて物價の高騰に伴い、資材の入手難勞働賃金の増騰その他諸般の
事情がインフレの高進とともに、
工事の完成につき支障をきたすのでありますが、
部落民一同全力を傾注しまして、これが
工事の完成を期したのであります。しかしながらわずかにこの程度の經費をも
つて、完全なる
船溜の築設等は望むべくもないのでありまして、特に相當の經費をも
つて理想的なものに完成することを、
地元民は特に
要望しておるのであります。殊に今秋襲
つてきました風水害等によりまして、この小
規模の
船溜も波浪の洗うところとなり、多大の
被害を生じておるのでありまして、
被害の修復竝びに新しき計畫等の完成のためには、約五十
萬圓程度の追加補助を受けなければ、理想の一端をも
實現することができない
状態であるのでありますが、どうか
委員會におきましても、また
政府當局におきましても、この點十分御留意の上、本
船溜の完成に向
つて御助力を願いたいのであります。これが福井縣丹生郡越逎村
漁業會長新谷末吉氏らの
請願の趣旨でございます。
以上五件に對し
政府の
意見を求めます。