○
加藤(靜)
委員 私は靜岡縣
燒津漁港築
設促進の
請願の
紹介議員を代表いたしまして、御
紹介申し上げたいと思います。
本
請願は港のないかつお、まぐろ
漁業基地燒津が、港のないことによ
つて發奮し、陸上交通の利便と水産加工の能力と漁場餌場の
關係によ
つて、かつお、まぐろ
漁業基地として最先進の發達をとげた所でありますが、
漁業の科學化、スピード化に伴う必需性は、
燒津漁港構築を絶対的に要請せられ來
つたのであります。戰前、
農林省竝びに靜岡縣縣當局においても、國家的見地において、その建設の必要性を認めて、すでに
昭和十四年以降七箇年計畫によ
つて著工したのでありましたが、戰爭のため中絶のやむなきに至
つたのであります。
終戰後わが國の水産業、殊にかつお、まぐろ
漁業の重要性はようやく重視せられ、ここに
燒津漁港の建設が大なる問題として取り上げられ、再び靜岡縣縣當局、
農林省においてその計畫を付議せられんとしておるのでありますが、私
どもは三つの
理由において、國家が
從來の形式にとらわれることなく、眞實に觸れて正しき、強き、産業施策としての燒津港構築を計畫していただきたいのであります。すなわち第一、多年の縣案である
燒津漁港は
日本漁業再建の上にも最も必要なる水産施策であること、第二、燒津海岸の地形、地質上、最も急速、短時日に基礎的工事の完成をはかるべきこと、第三、
漁業竝びに漁港に對する國家的見地において、燒津の過去における業績、
竝びに戰災の犠牲を伴う
現状より見て、工事費の全額を國庫負擔によ
つて、國家がこれを建設することの三點を切に念願しました
請願でありまして、ここに
説明書
竝びに各資料は
請願第七五二號に詳細を添付してありますが、本
請願が燒津町民はもちろんのこと、隣接小
川村、東益津村兩村民を打
つて一丸とした、まことに血の叫びの
請願でありまして、
請願者代表一同は、こもごも衆議院、参議院への
請願は言うまでもなく、
農林省を初め、
關係當局へ寝食を忘れて陳情に陳情を重ねております次第で、地元町民一同は去る八月十日、十一日にわた
つて、衆議院水産常任
委員代表各位が
政府委員とつぶさに現地状況を視察くださいましたこと、さらに本
日本請願が
審議の運びに
なつたこと、また先般参議院の常任
委員會において
審議採擇されましたことを心から涙して感謝感激いたしておりますとともに、この
委員會におきまして、
委員各位の御理解、御同情ある御審査の上、全員御一同御採擇くださいまして、これが實現に御盡力あらんことを、それこそ神佛かけて、切に祈願、念願しておる次第であります。私は
紹介議員とはいえ、この船の家ともいうべき港のない燒津の港の近くに生れて、燒津に育
つてまいりました者で、燒津町を初め、小
川村、東益津の兩隣村が
議會解説以來初めて
議員を
國會へ選び出してよこしましたのも、そして私が
議員としてここにこうした立
つたのも、ただひたむきに本
請願の
燒津漁港の急速築設實現の一途にほかならないのであります。以下本
請願の概要を御
説明申し上げます。
四面環海のわが國において水産業が發達し、各種
漁業活動が國家經濟に貢獻したることは、言をまたないところでありますが、特に明治末期以來發動機漁船による太平洋かつお、まぐろ
漁業の發展が國家に寄與したるところはまことに大なるものであります。燒津がか
つて資本力をもたず、沿岸
漁業に惠まれず、
漁港はおろか、稀にみる荒濱僻村たる等の悪條件下に置かれてあ
つたのにもかかわらず、先輩の苦心努力は幾多の人的物的の犠牲に屈せず、ついに結ばれて、
日本のかつお、まぐろ
漁業の先進地、大
漁業基地を築き上げたのであります。燒津の漁民が沖合へ沖合へと進取勇敢に躍動したる根源には、之らの悪條件すなわち惠まれない環境が漁民の發奮の動機と
なつたことも考えられるのでありますが、また一面かつお、まぐろ遠洋
漁業基地として、燒津の具備する幾多の適合條件も忘れてはならないところであります。すなわち燒津は東海の地駿河灣に面し、東海道線の沿線にありまして、東は東京、横濱、西は名古屋及び京阪神等の六大都市の
中間に位して、
漁業先覺者とともに水産加工の發達に努力した先輩の功績は、かつお節、なまり節、塩さば等の加工能力と、冷凍、カン詰等近代化學加工の設備に及びまして、これらの力によ
つて、陸上の基地としての好條件を備え、さらに太平洋の各海域漁場にわたり、地位的にも最も利便なるのみならず、それに必要とする餌場の
關係においても、まことに好適なる位置を占めておるものであります。しかるところ、斯業の實情は年とともに科学的に發達し、スピード化し、基地に港をもたぬ燒津の漁船が、わずかの暴風雨にも清水港に避難し、漁獲物の水揚げにも、岸壁をもたぬ哀れさに、はしけに頼
つて長時間の陸揚げ操作をなし、出漁所要物資の積込みにも同様不便をきわめて、時間、勞力を空費する結果、莫大なる經濟的損失をもたらし、無より有を生じたる榮ある傳統と、幾多の基地としての好條件と實力を有しながら、ただ一つ港なき水産燒津の現實は、ひいて將來に及んで絶滅的不安を
感じ來つたものであります。
昭和十四年
農林省、靜岡縣及び燒津町の輿論は、ついに
燒津漁港の建設の絶対必要性を認め、調査の結果、七箇年計畫によ
つてこれを完成せんとし、著手したのでありますが、あたかも今次戰爭に際會し、中止するのやむなきに至
つたのであります。今や平和は再び訪れ、しかも水産業の再建、特にかつお、まぐろ
漁業の重要性はまことに大なるものであります。ここに
燒津漁港構築の問題が特に重大性を帶びてきたのであります。
今般靜岡縣當局において、改めて
燒津漁港建設の議を
農林省當局の計畫において、五箇年完了の豫定のもとに企圖せられましたが、燒津海岸の地質的條件は、これを長年の計畫によ
つて行うことは、自然力の妨害によ
つてとうてい所期の進行不可能と見られ、
從つて經濟的に大なるむだを費やすことと思惟されるのであります。
請願書添付の資料によ
つて、同一額工費をも
つて起工するならば、努めて短日時に、すなわち五箇年のものは二ヶ年に、あるいは、さらに短縮して一箇年に、これの完成を期することが
もつとも當を得たる策なりと考うるものであります。
次に
燒津漁港建設省についての問題であります。將來の國庫が半額を負擔し、縣
竝びに地元において殘りの半額を負擔する方式は、當時の常識としてあるいは妥當のものであるとも言い得られるものでありましようが、今日あるいは今後の統制經濟の建前より見るならば、産業はすべて、國家あるいは
政府の支配におかれ、殊に
漁業において
漁港の利用の事實を見るときに、國家的度合が非常に強いのでありまして、
燒津漁港の建設においても、水産業統制を行う限り、國家がこれの建設者となることが
當然であり、
從つてその工費は全額國庫負擔によるべきであると思考するものであります。加うるに燒津のかつお、まぐろ
漁業發達史上における功績は、決して輕々に見るべきものでなく、しかも今次戰爭によ
つて徴用せられ、遂に歸らざる漁船の數は實に五十餘隻に上り、その物的損害は、時價に見積るならば、三億圓以上とも推算せられ、これらはまつたくかの、補償打切りによ
つて一顧だも與へられないのであります。すなわち燒津のかつお、まぐろ
漁業に貢獻したるその功績に報ゆるに、戰爭による徴用、徴發の犠牲しかなか
つたのであります。今や燒津の
漁業再建には、漁船の建造を初めといたしまして、高騰せる書資材物價に惱みながら、莫大なる負債をもととして起上りつつある
現状で、事實上現在
漁港建設工費を負擔する能力はあり得ないのであります。しかも
燒津漁港の必要性は、この
漁業經濟上の觀點より至極急を求めておるのであ
つて、燒津の經濟負擔力の囘復ある日を待つの餘裕はありません。ここにおいて
燒津漁港の建設を最も意義あらしめるものは、全額國庫負擔をも
つて國家がこれを負擔し、これを燒津の地に貸與もしくは管理せしめることが、すべての面より見て最も妥當適切な方策と思考するものであります。なお年間生産高からいたしまして、北海道、長崎に次ぎ、水産靜岡縣は第二位を占め、燒津はその壓倒的最優位を占めておるものでありまして、
昭和六年ないし
昭和十五年に至る十箇年間の平均年間水産物の取扱実績を見まするならば、鮮魚が大體において三千六百五十トン、なまり節が五千三百トン、かつお節が千九百トン、かまぼこが千六百トン、鹽辛が百七十トン、塩さばが千七百トン、合計いたしまして約一萬六千トンの實績をあげておるのであります。
なおこの發送先を大體申し上げますと、京都方面になまり節が三百六十トン、塩さばが二百五十トン、大阪方面になまり節が千六百トン、塩さばが七百トン、東京方面になまり節約千トン、塩さばは少くて約五トンであります。名古屋方面になまり節六百トン、塩さばが百五十トン、神戸方面になまり節五十トン、塩さば百十トン、その他になまり節が百七十トン、塩さばが約六百トン、こういう実績にあります。
なお輸出冷凍まぐ類ろの年別の取扱高を申し上げますと、
昭和九年ないし
昭和十五年、これは冬期のものは含まないで、おおむね五月、六月、七月中のものを申し上げますと、最高九百十トンを輸出しておる状況であります。なおカン詰の輸出生産高を見ますと、
昭和十二年ないし
昭和十六年の間に、原料生魚の重量で申し上げますならば、大體において年間平均三千五百トン近くのものを扱
つております。現在の日産能力を申し上げますと、約三十五トンの能力をも
つておるのであります。なお陸上施設でありますが、冷藏製氷能力におきましては、現在燒津冷凍を初めといたしまして、七つの冷藏製氷設備を有しまして日産製氷能率におきましては八十トン、冷凍能力におきましては約四千トンの能力を有しております。
なお造船機能力におきましては、燒津造船所を初め
昭和造船所、赤坂鐵工所あるいは三和鐵工所、燒津内燃機東亞製作所等におきまして、木船月産百五十トン、デイーゼル、燒玉を合わせまして月産約五百トンの能力を有しておるのであります。
昭和二十二年六月一日現在における漁船を申し上げますと、木船が六十五隻これが二一四八・七〇トン、鋼鐵船十二隻一七八七・〇二トン、ディーゼル
機關三十三隻三二六六・六五トン、燒玉
機關四十四隻六六九・〇七トン、こういう状況にありまして、一五〇トン以上八隻百トンから一五〇トンまで八隻、二五トンから一〇〇トンが十四隻、不登簿船が四十七隻、大體において總計七十七隻からの漁船が、かつおまぐろの
漁業に從事しておる状態であります。
なお陸上施設は、水産學校を初めといたしまして、これも間もなく高等專門學校に昇格いたすはずに
なつておりますし、甲種無線電信の設備を初め、各水産會社、冷凍製氷、カン詰、その他加工生産施設はおそらく全國第一を占むる施設があるとあえて私は申し上げたいと思います。このようにいたしまして燒津の港が完備した曉におきましては、他府縣の漁船も蝟集してまいり、太平洋のかつお、まぐろは戰前に比して數倍の陸揚を可能とし、
日本人のための強力な蛋白資源となり、併せて米國初め諸外國に對しても、同様に榮養源を提供することができると確信する次第であります。現在小川の
船溜を南港といたしまして、燒津を北港とし、この兩方を一擧に實現いたしまして、その間を流れる黒石川の自然を利用して運河をここに設け、
燒津漁港の一日も速やかに實現されんことを切に念願してこの
請願に及んだ次第であります。どうか皆様におかれましては本
委員會において御
審議の上、御採擇あらんことを切にお願いする次第であります。