○
岩沢政府委員 休會前に
北海道の
災害について、ごく概略のことを申し上げたのでありますが、お
手もとに差上げましたごとく、
北海道のその後の詳報がはいりましたから、
ごらんを願います。
北海道は大體旭川を
中心にした
水害でありまして、われわれが
考えてお
つたより以上の
被害をこうむ
つたような次第であります。大體金額にいたしまして五億九千
萬圓というような多額の
被害を受けておる
状態であります。これにつきましては、
北海道の
災害費はほとんど大
部分が
國費支辨に相な
つておる
關係上、
融資とかいうようなものでなく、やはり
國直轄工事と同じような取扱いに、今後も進めていきたい
考えであります。
なお
東北五縣の
水害に對しまして、
融資の問題が
休會前において起
つたのでありますが、これもやはりお
手もとにがり版をお配りいたしましたが、その點で
ごらんになります
通りに、
内務省といたしましては、全國の
水害は
——最近における
關東の
水害は除きまして、それ以前における
水害でありますから、その點を御了承願います。その場合において、全國に對して今年度
仕事をする
工事費として十四億三千
萬圓を對象にしてお
つたのであります。そして
公共事業の第二期の
融資といたしまして、全體で一億八千
萬圓というものを各
府縣に分屬をいたしまして、これは純然たる
補助費でありますから、これを
工事費に直しますと、下の欄にありますように、
地方負擔と國負擔におきまして、
工事費として全體で二億七千
萬圓という金額に相なるのであります。それからその後第三・
四半期の
融資額といたしまして、
大藏省と折衝した結果、
内務省の方では、これは
工事費でありますが、三億九千六百
萬圓というものが
大藏省で一應第三・
四半期として、さしあたりこれだけを
融資するということに相な
つたのであります。その
配分といたしましては、ここにあります
通りに、
青森に對しては二千五百
萬圓、
岩手に對しては五千
萬圓、
宮城に對しましては三千
萬圓、
秋田に對しては一億七千
萬圓、
山形に對しては六千
萬圓、そのほか各縣に相當割り振
つております。これは重
點的にや
つたことと、また
東北方面は氣象に
關係上、十二月以降はほとんど
仕事ができないという觀點から、大體
東北五縣に重
點的に
配分をいたしたのであります。但し
宮城縣におきましては多少その率が落ちておるということは、第四・
四半期の一月から三月においても、まだ
仕事ができるという
區域が相當ありますから、これは第四・
四半期において考慮をいたしたいと
考えております。そういうふうな
關係上、問題と相なりました
東北五縣の
水害に對しては、一番下の欄にありますように、大體第二・
四半期の
融資と第三・
四半期の
融資と合計いたしまして、
工事費は
青森が四千
萬圓、
岩手が七千百
萬圓、
宮城が四千五百
萬圓、
秋田が二億四千五百
萬圓、
山形が八千七百
萬圓、大體われわれが當初縣と打合わせまして
希望をとりましたときの
希望額の八割ないと七割ぐらいの
程度に止
つておるので、これをもう少し努力いたしまして、御
希望に副うようにすれば非常によろしか
つたのでありますけれども、
大藏省の方で、やはりいろいろの
關係上、われわれが望んでお
つた十四億三千
萬圓というものは認めずにお
つて、さしあたり第三・
四半期として四億近いものを
配分してくれるために、こうい
つたような結果にな
つたことは、はなはだ皆樣の御期待に副わなか
つたことをおわび申し上げる次第であります。そういうような
關係から、
東北六縣のような氣象的に、十一月以降は雪その他のために
仕事が進まないというようなことがありますけれども、何とい
つても
災害復舊は急を要する
關係上、各
方面に十分力を入れられて、そうして
仕事をやられた結果、なお金が足りないというような見透しがあれば、今後また
大藏省方面と折衝して、追加として
配分したいというように
考えております。これが
融資の問題についての大體の御
報告であります。
次にこの十三、十四、十五日における
關東地方の
水害についてのあらましを御
報告申し上げます。これは
御存じの
通りに、
關東地方を
襲つた第一囘の
颱風でありまして、今度の
颱風の特徴といたしましては、
進行度が非常に遲くて、
従つてその
颱風から出た不
連續線というものが
關東の
山岳地帶の方に伸びてお
つたというふうに、
颱風の
中心が太平洋に沿うて進むのにかかわらず、
山岳地帶すなわち
水源地帶に非常に
多量の雨を降らせた。これが非常に著しい現象であります。例をと
つて申し上げますと、
秩父方面においては六百十一ミリというように、
觀測所にレコードされております。それから
本庄邊では四百三十ミリ、
熊谷では三百四十ミリというように、山に近づくほど
雨量が多くにな
つております。さいわいなことに、
平原地帶には、相當雨が降
つたようでありますけれども、
東京附近では大
體百ミリぐらいの雨しかありませんから、
昭和十三年あるいは十六年のように、平地の内水というものが
割合に少くな
つたのでありますけれども、何とい
つても
山岳地帶の五百ミリ、あるいは六百ミリというように一時に雨が降
つて、しかも大體二畫夜にこれだけの大量の雨が降
つたのと、それから
山林地帶が相當荒らされておるために、その大
部分の水が非常に早く
出水が出たので、大體ああい
つたような
利根川とか、あるいは北上川とか、また淀川というような大
河川になりますと、日本の在來のレコードから申しますと、一時間に、
水位の上るのが、二十五センチとか、三十センチとかが普通の
上り方なんですが、しかるに今度の水の
上り方は、一時間に一メートルも突破しておる。こういうような
状態でありまして、非常な急速な
上り方をしておるのであります。そうして
上り方というのが、大體明治四十三年のいわゆる
關東大水害のときの
水位が
栗橋におきまして六メートル四でありました。それから最近における最も激しい
水位は
昭和十六年でありましたが、この場合は八メートル二六、それから今囘は大體八メートル九九
——九メートルの
水位を呈してお
つたのでありまして、われわれが
利根川を計畫しておる、いわゆろ計
畫洪水水位というものは七メートル五五に押えております。その七メートル五五に押えて、その上に
餘盛を見て、多少の
水位が増しても耐え得という斷面を
考えてお
つたのでありますけれども、この計
畫洪水よりも二メートルも
餘盛をするということはほとんど技術上
考えておりませんから、大體せいぜい一メートルないし、一メートル五〇ぐらいのものでありましたために、このたびのこの
大水位の
高昇のために、
提防の溢水した
箇所が相當できたような
状態であります。その結果遂に
栗橋から
上流五キロの
箇所において
最高水位の直後の破壞して、そうして昔の古
利根あるいは中
川筋に押し寄せてきたような
状態で、現在において、やはり
東京の
葛飾方面に徐々に水が來ておるような次第であります。この圖面で
ごらんになります
通り、
利根川の
水流は前橋からずつと來ておるのと、それからこれの大きな
支流は、桐生、
足利方面に通ずる
渡良瀬川それから
栃木の宇都宮から出る
巴波川、それから鬼怒川、
栃木縣のやはり山奥の
日光方面から出ます黒川、それから
茨城の
平坦地を流れておる小貝川、こういう大きな
河川が合流して、霞ケ浦を遊水地といたしまして、銚子に出ております。ところがさつき申し上げました
通り、今度の
水位というものは、非常に計畫以上に突破したために、遂にオーヴアーフローしてい
つた。そのオーヴアー・フローして破壞した
箇所は、ここの書いてある
通り、
利根川本川においては二
箇所、
渡良瀬川のところで二
箇所、それから
荒川方面におきましてもやはり
熊谷の
上流と
下流において各一
箇所、
入間川の
上流において一
箇所、こうい
つたような都合七
箇所の破堤を見るに
至つたのであります。しかしながらいわゆる
埼玉縣の
穀倉地帶に
影響を與えるものは、この
利根川の
栗橋から
上流五キロのところの破堤が最もはなはだしいのでありまして、それに次ぐものは
熊谷の
下流の久下という所ですが、これから出ます
荒川の水が
影響を及ぼしたのであります。それでこれが破堤するとどこまで水が來るかと申しますと、結局これが元の古
利根という
河川ですが、いわゆる中
川筋、古
利根がこういううふうに來てお
つたのですが、これを遮斷して、この中
川筋が古
利根に全部集ま
つて、漸次南下して、
東京の
放水路の
向う葛飾、小岩、
新小岩方面に全部流れてくる。こういうような情勢にな
つておるのであります。それから
荒川方面の水はどう行くかと申しますと、もともと
荒川は昔はこうい
つたような形で
利根川の一つの
支流であ
つた。それが
徳川時代においてこの區間を開鑿して、この
利根川と分離したのが今日の
荒川であります。それが今度の
水害におきまして、
元荒川と言
つておりますが、
元荒川の線に沿うて全部斷流した。こうい
つたような
状態です。そこでここに赤で書いてあります
通り、この
區域が
侵水區域にな
つておりますが、
荒川の方は非常に水が出が早いと同時に、引くのも早か
つた。現在においては全部これが干上りまして、ここから水ははいりません。ただあの一昨日と昨日の午前中に大體水が流れて、赤のところがここに來て
越ケ谷邊で
利根川から來る水と合流しておる。ですからこつ
ちの方は汽車も道路の方も交通が全部開通しておるという
状態です。しかるに
利根川の東側の山の水というものは、やはり
決壞口が當初において二百五十メートルの
決壞をしたのでありますが、あの水勢で漸次擴大して、現在においては四百五十メートルの口をあけております。しかし大體において
水位が下りまして、私は
現場を見ませんが、豫測すると、
水流の六割、それからこちらの方の四割ぐらいの水が流れてきておるのではないかと
考えております。しかるにこつ
ちの方はだんだん
水位が下るために供給する量が少くなるのでありますから、しかもこちらになればなるほど擴大する面積が多くな
つたので、この
下流に來ると
速度も非常にゆるくはな
つております。大體今日までの
状態を見ますと一時間に一キロぐらいの早さでずつと
下流にや
つてきます。なお
下流の方にいきますと、いろいろ
横斷的な施設があります。たとえば
常磐線の
鐵道とか、あるいは
房總線の
鐵道線路とか、大宮と
船橋を結んだような
電車線路とかいうような
構造物が相當ありますから、相當水の流れを阻害しておりますから、われわれが豫想したものよりも
割合いに浸水の
速度は緩んでおるのであります。今日午前十時までの水先は、
ちようど東京都と
埼玉縣との
境邊までや
つてきております。でき得れば、この線に沿うて
大場川という川がありまして、その川が
江戸川に
水門をも
つてはかすのと、
中川に
水門をや
つてはかすということにな
つておりますから、この
大場川で食い止めて
中川と
江戸川にはければ、一番の濕地帶である
東京の
江東方面は
水害を免れるんじやないかという
希望をも
つておりますけれども、どういうようになりますか、この半日くらいの
状況によ
つて大體それがきまるんじやないかと思います。大體われわれが計畫をする場合においては、
支流から來る水が
本川に合流する場合において、時間的な
差違を
考えて計畫をするので、いわゆる算術的にこの線から一升の水が出る、これから三升の水が出る、これから五升の水が出る、これを全部合せたのが計
畫洪水量であるというような計算はしないので、この川の水が出た後にこの川の水が追つかけていくというので、量においてはだんだん少くなるというような計畫のもとにや
つておるのであります。これは大體地形その他の
原因からそういうことは起り得るのでありますが、これがまた豫想以上の狂うということが起り得るので、
實際今度の問題にいたしましても、
渡良瀬川は相
當急流河川でありますから、
利根の
本川に出る水よりも
渡良瀬川の
河川の水は一應先に
本川の
下流の方に流れるという想定のもとにや
つておる。そうしてその
あとから
利根の
本川の水が出てきて、前の
渡良瀬の水がこの邊にまだある場合においては一應赤麻の
遊水池を利用して、そうして一時貯溜するという計畫のもとに計畫を進めてお
つたのであります。ところが今度の
水害によりますと、
渡良瀬の
出水時間と
利根の
出水時間が
栗橋でも
つて合致したというような
關係上、非常にこの
附近の
水位が一時に上昇したというのが
原因なのであります。
そのほか
利根川の
改修といたしましては、先ほども申し上げました
通りに、
從來四十三年の
水害を基準にして一應
改修は四十三年から
昭和二年までに完成はいたしたのでありますけれども、
昭和十年の水によ
つてもう一度檢討するというので、計
畫洪水量を前に二十
萬石であ
つたが二十六
萬石に増石して、そうしてそれに合うように十五箇年計畫を
昭和十二年から著手して、第一期
工事といたしましては五千
萬圓を計上して
仕事をやりつつあ
つたのであります。そうしてまず第一著手といたしましては、
利根川の取手から
船橋を拔ける
放水路をつくるとか、あるいはまた現在の
堤防を
笠上げをするというような
仕事に取りかか
つたのであります。そうしてまず一番弱いような所の
堤防を今日まで
笠上げしてお
つたのであります。
從つてこの
昭和十年の水よりも高い
昭和十六年の水でも一應は破堤をせずにようやく保
つたのでありますけれども、このたびの
水位というものは
昭和十六年を凌駕したために、遂にこの數
箇所によ
つて破堤をした、こういうような
状態であります。
そこでわれわれとして何としても
東京に押寄せる水から、しかも
埼玉縣の
穀倉地帶を一日も早く救わなければならぬ。そのためにはこの
箇所の
締切りというものが一番重大でありますので、大體現在までに手に入りました
資材は、くいが二千本、
空俵二
萬俵というものがようやく手に入りまして、今現に
現場の方に向
つて輸送を開始しております。そうしてもつと
水位が下りました後において
仕事を始めたい。大體豫想としましては
資材が順調にいきまして、また
天氣がよければ二十日頃から
締切工事にかかりまして、まずでき得れば十日間以内で一應の目安をつけて
締切つていこう。こういうように
考えております。そのほかのところは
割合被害の
影響するところは少いのでありますから、これは徐々に
仕事をや
つていきたい、こういうふうに
考えております。
それから
荒川の方は今申し上げました
通り全然水は出ませんから、これは
簡單に
締切ることができると思いますこの斷面圖で御覽になります
通り、青いものが計
畫洪水でありますが、二番目のものが
昭和十年のものであります。今囘の水は計畫
堤防の
實際の高きより
もちようど三十センチだけ多くオーヴアー・フローしておるから、乘越して全部これから壞れてい
つた。この高さが大體地盤から十メートルの高さの
堤防なんです。相
當大きい堤防ではありますが、い
づれにしてもみなほとんど堤防の高さ、あるいは計
畫洪水以上の
水位にな
つて破堤をしておるような
状態であります。その他
渡良瀬とかあるいは
入間川の
直轄河川に
關係したのがありますけれども、これほど大きな
被害はありませんので、大
體今後應急的にやる經費としては二億圓くらいの金が應急費として
直轄としては要るのではないかと
考えております。なお今囘の
水害におきまして大體範圍は
靜岡、山梨、神奈川、
埼玉、
群馬、
栃木、
茨城、新潟で、長野も多少
被害をこうむ
つておるような樣子でありますが、まだこれをとりまとめて皆樣方に
報告するまでの域に達しておりません。いずれ急速にこれをとりまとめて皆樣に御
報告いたしたいと
考えております。
なおこの
颱風はずつと北上いたしまして、
宮城縣、
岩手縣の方も相當荒したようにも電報ではい
つておるのでありますが、その後の詳しい
報告はありませんので、これは前の七月頃の
水害に倍加したというようなことも聞いておりまして、特に
岩手縣のごときは
從來の
水害よりもより以上一層大きいというような
報告も受けておるのでありますが、その詳しいこともいずれまとま
つてから御
報告申し上げたいと思います。以上
簡單でありますが大體の
報告を終ります。