○只野
委員 私は宮城縣の者で、
水害の中心地の提防の決壊した村の出身者であります。それで私の申し上げたいことは、村の故老がどういうふうにこの
水害に對して
考えておるか、それから
政府に對してどういう感情をも
つておるか、またどういう期待をも
つておるか、そういうことを申し上げて、それに關連していろいろ御
質問したいと思います。もちろんこれは宮城縣の一部の問題だけを申し上げるのでありません。その一部を申し上げればそれが全體とほとんど同じようになると思います。その意味で一つの例として申し上げます。たとえば今度の宮城縣の一部の
水害は江合川の氾濫というものが大きな原因をなしております。ところがその江合川の氾濫は避けることができないかどうかというと、これは避けることができる。どうすれば避けることができるか、それは川の水の氾濫しない大きな川の方へその氾濫する水のはけ口をつく
つてやればそれで
水害が避けられる。今度の
災害の大きな原因は江合川が氾濫してその氾濫した水が北上川の方へ合流して、しかも北上川の方の水が氾濫してお
つて、それがさらに逆流をして、そこで直接提防を決壊しない場所も冠水する。こういうふうに
なつた。ところがこの問題は今からすでに三十年前に
考えられてお
つた。ちようど明治四十三年の
水害、大正二年、大正六年の
水害、こういうような
水害のためにその當時の為政者たちがこれは河川の合流をしなければいかぬ。河川合流によ
つてその危險分散の方式をとらなければうまくいかないということを
考えたのです。そして江合、鳴瀬の河川合流問題が起
つた。ところがこれはもちろん一利一害があります。たとえば、鳴瀬川の方に水がよけい出た場合には江合川の上に流れる危險もあるだろうし、また江合川の水が鳴瀬川の方へ相加わることによ
つて鳴瀬川の沿岸が危險になるというふうなこともあり得るけれ
ども、その間の
事情を言えば、人為的に、機械的にたとえば鳴瀬川の水が少いときには江合川の水を思い切
つて入れる、そうなれば江合川の下流は水も停滯しませんから、結局ある一地區の冠水
状態はなくなる。こういうことが實は三十年前に
考えられた。そうして内務省の事業として、それがある
程度續いてお
つた。ところが戰爭その他の
關係でその事業がまだ未完了にな
つているままのところに、今度の山の濫伐から來る大洪水、こう
なつた。ところがこれに對して村の故老は、
政府ぐらいあてにならぬものはない、結局こういう結論をも
つてくる。これは
政府としてもそう言われてはお困りだろうと思いますが、
國民はそのときそのときでそういうふうに思うのです。ですから私はこうい
つた事情が今度の
東北五縣の
水害に相當あ
つたろうと思う。たとえば、どつかの川の河川改修とい
つたようなものが、
政府のいろいろの
事情、あるいは怠慢というような
關係で、仕事がはかどらないでお
つたために、避け得べき
災害をとうとう避け得ないでしま
つた。こういう
實情が
東北五縣の中にも、宮城縣だけでなくあるんじやないかということを
考えた場合に、私は少くとも今度の
災害に關しては、
從來なすべきはずであ
つた仕事をやめてお
つたために、ある
程度の
災害を不可避にしてしま
つたとすれば、優先的にその事業は急速にやらなければならぬということを私は思うのです。それでこの問題に關しましては
政府、特に内務省の河川
關係の方々におかれまして十分御調査の上、急速にやらなければ民心の安定がないと思います。つまり二十年も三十年も以前からほ
つたらかしてお
つたための
災害であ
つた。そうして今度はそれに對する
復舊工事とか、その繼續事業の促進とかいうことを熱心にやらなければ
政府というものは信頼することはできないものだ、こういう觀念を
國民に與えたならば、これはたいへんなことになると思います。できないことはできないのだが、やるべきことに對する熱意は示してもらわなければ相ならぬ、そういうふうに思います。それで私の
質問いたしたいのは
東北六縣でやるべきはずのものが、未完成に
なつたために
災害を避けることができなか
つたというような個所がどのくらいあるか、またそれを今後ただちに急速に實行されるかどうか、そういうことについてのお答えをお願いしたいのであります。
それからもう一つ、これは
農林關係になると思いますか、治山が治水であることは言うまでもないことであります。徳川時代には山を保護するということが名君のわざであ
つた。ところが明治時代にはいりましてから、いわゆる都市文明が發達して、人口も殖え、建築もやらねばならぬとい
つたような
關係が伴うで、山を愛するということが非常に少くな
つてきた。特に今度の戰爭においてはいろいろの
關係上山の木を伐
つた。ところがその
あとの問題が大きい。戰爭前に伐
つた木と、戰爭後に伐
つた木とその量が一體どういうふうにな
つておるか、どうもわれわれの
考えでは戰爭前と戰爭後と、伐
つた木の量から見ると、戰爭後に伐
つた木の方が多いように思う。これは村人はそう
考えております。どうも山をも
つておる地主の間には木を植えてお
つては損だ、木を伐れ、こういう空氣がみなぎ
つている。この空氣をわれわれはどう見ればよいのか。これはいわゆる山を愛するとか、植林とかいうような單純な問題ではないと思う。これは
國家的な大きな問題なりと思います。山を愛する問題は決して單なる一片の理論ではできてくるものではないと思います。たとえば、山を愛する道義を高めねばならぬとか、あるいは山を愛する思想を涵養しなければならぬとかい
つたようなことだけでは處理ができません。山に木を植えた方が得だという感じをもたせるような政策が樹立されなければ、山に木は生えては來ないのであります。これを忘れては植林事業はできないのではないか。私は植林に關してもこうい
つた問題に關してもま
つたく素人でありますが、結局農民は山に木を植えた方が得だという觀念をもたせるような政治をとれば、山には自然木が生える、山に木を植えれば損だということになれば默
つていても山の木はなくな
つてしまうということを言
つております。それで私はこの問題については
農林大臣のお
考えを承りたいと思いますが、まずも
つて御
質問したいことは、山の木を濫伐する根本の原因をどうごらんにな
つておるか、それから今後山に木を植えることについてどういう御施策をも
つておられるか。山に木を植えさえすれば、川はひとりでに深くなります。古老は言
つております。われわれの村の中を流れている川は今から五十年前は帆掛舟が、米を積んで通
つたのだ。川の底がずつと深か
つたと言
つております、ところが現在は川底が地面よりも高くな
つている。山に木がないために土砂が崩壊して流れて川を埋めている。山に木があれば一石の木が一石の水をたたえると言われております。
從つて山に木があればその水が自然に流れて、川の底を掘
つてい
つて、砂を海の底に押し出してしまう。そうすればおのずから川は深くなる。堤防は小さな堤防でも間に合うということになるのであります。そういう意味から
考えましても、山を愛するということ、山に木を植えるという問題は非常に大きいのでありますが、この問題に關しての根本的な政策の樹立がなければこれはできないと思いますので、
農林大臣からこのことについての御
説明を承りたいと思います。
なおもう一つ、これは先ほど來
石田君その他の方々からいろいろ御
質問がありまして、ほとんど言い盡されておりますが、私が今申し上げるのは私の村の古老の言
つておる心配をそのままお傳えする、そういう意味で申し上げますので、あるいは重複するかもしれませんが、まず一番心配しているのは堤防が決壊した先に住んでいる住民であります。この住民が何を心配するかというと、今年は雨が多い、九月にはまた暴風雨が來るぞ、九月の暴風雨をどう處理するか、決壊した堤防があけつぱなしで水がまたどんどんはい
つてくるようなことがあ
つたならば、
あとからまた何かとろうとする後作がどういうことになるか、こういうことを心配しております。つまり決壊した堤防に對する大きい
處置はもちろんのこと、何とかしてこれを食い止める
方法はないものか。それからその次には家が流され、ほとんど床に浸水して
食糧などを失
つた者などの生活、それも直接
被害者としての援護をしなければなりませんが、さらにもう一つは、登米郡の石越村というのはあの邊の
災害の中心地ですが、その中心地にまいりましたときに、村の長老が言
つていたが、今の村の青年たちはこの村の姿を見て出かせぎしなければならぬのではないかということを心配しております。もう食生活に困る。これをどうすればよいか。結局は救濟事業を積極的に起して、そうしてお金をもらいたい。それによ
つて來年まで生きていきたい、こういう
要求が濃厚なのです。これは命がけの
要求なのです。私は
政府のお困りのことも、日本の國が困
つていることもよくわか
つております。わか
つておりますが、今現に餓死する場所に直面している哀れなる農民は救わねばならぬ。今死にかか
つている者は何をおいても助けねばならぬのである。そのことについて
政府は思い切
つて積極的な手を打
つていただきたい。これをお願いしたいのです。從いましていろいろ具體的な
數字をあげられておりますけれ
ども、先ほど
石田委員の申された
通り、燒石に水の感がありますので、やはり最善をつくして
東北の民を救
つていただきたい。われわれはそのことのために全力を注がねばならぬということを感じております。まとまりませんでしたが、以上三つのことについてお
考えを伺いたいと思います。