○片岡
委員 提案
理由には私は當初から賛意を表するものであります。そういう前提のもとに二、三お伺いをしたいと思います。政務次官の今の御
答弁の中にあ
つたのですが、問題が問題であるから、よく調査して、その上で
決定したいとこういうお考であります。もちろんこれは相當に大きな問題に発展するのでありまして、われわれもそうなければならぬと
考えております。
政府委員の御
説明の
撤廃せざる
理由、これも御
説明によ
つて大體了承し得られます。しかし
繊維製品の
需給関係は今非常に窮屈である、これは
國民全體がわかることであ
つて、そういう観点から
中古品の
公定価格を
撤廃することは困る、新
製品の
横流れ、あるいは新
製品の
価格を吊上げる
一つの動機をつくる、こういうことも肯かれるのでありますが、この
中古品ばかりではありませず、すべての
マル公、物品の
公定価格というものはどうしてできたかということをまず
考えた場合において、これは戦争の
ためにできたものであります。戦争前にはこういうものはなか
つた。そこからよくひとつ問題を考究しなければならぬ。この
一つの
マル公をつくるのには、たくさんな時間と、たくさんな人員と、たくさんな資材と、莫大な経費とを要することは、私が申し上げるまでもないことであります。
一つの
マル公という
公定価格を
決定するには、おそらく六箇月くらいの時間を要する。そこで
一つの
公定価格をつく
つたとして、これが實際に施行されるときには、現在のようなインフレ時代には、一切の
価格というものはどんどんこれに先行してしまう。そこでせつかくの骨を折
つてつく
つた公定価格というものは
實情に副わない
価格がここに生まれてくる。それを強要するから
先ほど来
お話があ
つたような違反が出る。せつかく
需給関係を整へようとした
ために
価格をつくるとおつしやられても、かえ
つてこれが防遏をする
目的に副わないというような結果が
価格の面において現われてくるのであります。これは戦争中から今日に至るまで全部が全部そうだと言
つても私は差支えないと思います。そこでこの
撤廃せざる
一つの
理由が非常に薄弱になるのではなかろうかと
考えられます。それから
大衆的の
中古品は、ぜひともこれは
需給関係で、安い
価格で配給したい。これはごもつともでありますが、大體この
古着というものは千差萬別で、それは都道府県の
価格検査
委員会でエキスパートがそれぞれ担任している。それは御説の
通りであります。しかしながら
種類が非常に多く、
わくの定め方もなかなかそうこまかく定められない。そこで適正なる
価格を見出すことは、どなたがおやりにな
つてもでき得ないのであります。われわれは
戦時中から今日に至るまでその方面に實際に
関係してきた一人であります。私の甥は千葉県の
委員長を今日までや
つているし、われわれも
関係して見ておりますが、實際のところはできません。まあいい加減なところできめていくということになる。そのきめた
価格は、
先ほど申し上げた
通り時代遅れの
価格が生まれてくる。そこに
価格の上において大きな狂いが出てくる。その狂いがどこへ発展しているかというと、不正なやみ行為とな
つて現われてくる。これは
中古品ばかりでありません。すべての
公定価格というものの欠落はそこに破綻があるわけでありますが、別してこの
中古衣類に対してはそれがはなはだしく行われると思うのであります。それから繊維品の
需給関係を幾分でもこれで補うという御意思は背かれるのでありますが、そういう
価格そのものが矛盾する
関係上、たとえば私が
一つたけのこ生活をするという場合において、ゆかたの古を売りに行
つて、その
価格が今申した實際に即せない時代遅れの
価格であ
つた場合においてこれを五百円に売りたいと思
つたが
公定価格の示すところにおいては百五十円、そこに三百五十円の距りがある。その低い
価格でそれを売
つて物に換える場合においては、
生活上にまた非常な破綻を来す。こういう悪い面も起
つてくる。
從つてこれを
古着屋に売らないで、直接自分の欲しいところの米なり、その他の必需物資の物交の手段に出なければならぬ。こういう手段が選ばれるわけであります。そうしますと
政府委員のおつしやられた繊維品の需給を、
中古品によ
つて補うということも非常に阻害される結果に相なろうと思われます。どだい
中古品というようなものは、これは
政府にもいろいろ
理由がありましようが、一々御干渉くださ
つて、手ひまをかけて、
實情に合わない
公定価格までおつくりにな
つて、
統制の
わくの中に入れてやる性質のものではないと思う。
消費者國民は好んで
衣類を売るのではないのであります。およそ戦前におきましては、日本人は自分の
衣類は嗜好品であり、貯蔵品であ
つた。それが古来からの長年のしきたりでまた各家庭、別して日本婦人にはこれが身だしなみであ
つたのであります。その着物を人に手離すということは容易ならざる場合でなければいたさなか
つたのであります。それが今日のような
實情に追詰められて、食うに食なく、働くに職がないというような苦境に追詰められたから、余儀なくその着物を手離さなければならなくな
つたので、それを手離す場合は自分がそれらを何かに換えようという
目的の
ためにやむなく離す、言い換えれば自分の欲する物と換えたいという、やむにやまれぬ結果、それを手離すことに相なるのであります。そこで婦人の
實情に即さないところの
価格によ
つて一方的に
決定づけられてしもう。婦人にしては命よりある場合には大事だと思われるその實が、その
価格に限定される。かような悪結果を招来するのであります。そこで戦前までは
古着屋さんという商人があ
つて中間に立
つて、それぞれ適切な
価格ができ上
つてお
つた。そこに
需給関係等が自然的に何の矛盾もなくでき上
つてたのであります。それを戦争が終
つた今日も、いろいろの
理由も多少はありましようが、あくまでもこれを
統制の
わく内に入れて、手ひまをかけて不合理な
公定価格で律して、これを押し進めようということは、私ははなはだ
國民の意思に副わない政策ではなかろうかと
考える一人であります。
きようはここに
業者の方がたくさん見えますが、
先ほども
委員の中かな御意見が出たのでありますが、おそらく以上述べたような観点から見まして、せつかく定められたこの
公定価格が
事實に行われるか否やということは、多分の疑問がもたれるのであります。そこで弊害として
公定価格が制定されていることを條件として、この商品が
公定価格で買取られた。それがはたして販売
公定価格で需要者にいくかということは、なかなか私は行われないと思います。行われないばかりでなく、ここに
一つの悪い結果が起り得ると思う。
公定価格という指金があるばかりに、
消費者が
たけのこ生活をしてまでもこれを手離す場合において安く買取られてしまう。自分の欲する
価格以下、實際の
価格より以下に買取られまして、不當の利得を与えるというような場合も起り得る。
先ほど来
お話があ
つた通り、そこにむりに犯罪を構成するというような場合も起り得る、こういうことは相當に考慮されなけれければならんと思うのであります。こういう点を
考えてみましても、まだその他
理由はたくさんあります、
先ほど来御
説明がありましたが、
中古品の
公定価格をつくらなければ新製繊維品が
横流れするというような御
説明がありまして、それが
中古品の
公定価格をつくる
一つの
基礎のごとく御
説明がありましたが、私はこれはあたらないと思います。
繊維製品の新制品を
横流れさすとかさせないとかということは、これは
當局において取締まればいいのであ
つて、
横流れをするから、その危険を防止する
ために
中古品の
公定価格をつくるということは、私は大変的をはずれているではなかろうかと思う。重ねて
政府委員の御所見をただしてみたいと思います。私も
繊維製品を長年扱
つております。
統制を今日や
つております。この方の取締りはまたおのずと別な意味合いにおいて取締ればいいのであ
つて、新
製品が
中古品の蔭に隠れて
横流れするから、かるが故に
中古品の
公定価格をつくるということは私はあたらぬと思います。
政府當局としても御検討をお願いしたいと思う。もしそういう場合があ
つたならば、それは別途の
方法において取締ればよい。かるが故に、
中古品の
公定価格をつくるということはあた
つていないと思う。なおまだたくさんお聞きしたいことがありますが、以上に止めておきまして、そういう観点から見ましてもよくこの問題を研究して、そうしてわれわれはそういう
考えの下に
中古品の丸公は
撤廃する方が妥當と
考えているのでありますが、
政府のお
考えがそれでもなおあくまでもこの
価格を存続するかということをお伺いして、私の
質問をやめます。