○林(敬)
政府委員 ただいまの
酒井さんの
お話の御
趣旨はよくわかるのであります。ただ教育の
方針ということになりますと、これは私から申すのも少し僭越かも存じませんが、いわゆる
地方行政を擔當いたしておりまする者としての氣持を申しますと、お氣持はよくわかりますが、教育は
國家的な色彩というものも相當になければならないと思います。しかしながら私は、初等教育あるいは中等
程度の教育、その
程度までは
地方自治の面からいえば、
地方自治でできればやることが最も望ましいことではないかというふうにも
考えられるのであります。自治行政というものについてはいろいろあると思いますが、その中にやはり教育の
事業というものは大切な自治行政ではないか、
法律概念から申しますれば、さつき申し上げた
通りでありますが、非常に大切な一つの
地方自治の大きな範疇の中にはいるところの行政の分野を占めるものではないか、こう
考えられるのであります。かりに
法律概念はどういうふうにいたしましても、
運用としては、少くも非常に
地方自治的に、今後の初等教育といいますか、基本教育というものは、行われるべきことではなかろうかと
考えられるのであります。大きな大學教育や専門教育になれば、
國家がじきじきでや
つてもよいと思いますが、中學校以下のようなものは、
府縣とか市町村でそれぞれの工夫をこらして、それぞれその
地方化、あるいは郷土に即した教育をするということが、むしろ今後の理想としてはよいのではないか。またかりに、その性質は國の行政であるといたしましても、それだからとい
つて、國の機関が、
地方の
實情もほとんどすべてわからないといいますか、非常に遊離した
國家機関が
地方に全部できて、それがいろいろの學校の教育を掌
つて、全國あまりにも基本教育が画一的にわた
つていくということよりは、むしろ大きな
方針、大きな
やり方、大きなところは國でも
つてやりましても、それを
實際に
運用するときは、
府縣市町村を通じて、あるいは
府縣市町村の機関を通じて行われる。そしてそれが
府縣市町村會のそれぞれ批判も受け、是正も受け、あるいは協力もうけながら、一方その
地方の
實情に合つたように行われていく。一つの光線でも、プリズムを通して、最後に人々の教育のところに進んでいく。こういう方が
實際には圓滑に、より
地方に即した教育が行われるのではないかと
考えるのであります。ただしかし、そういう今申しましたような教育も、一つの理想とすれば、そういう理想のために、
お話のように、今度は經費の負擔がでてきてしま
つて、そしてその経費がもてるところと、もてないところがでてくる、そして非常に無理をする、そういう
弊害を伴うほどの無理を強制するような結果にな
つてくる。あるいは貧乏な村に生れた者は非常に不完全な教育を受け、裕福な都市に生れて教育を受ける者は、非常に恵まれた教育を受けるというアンバランスにな
つてはいけない。この點は大いに氣をつけていかなければならず、また現在その傾向もあるわけであります。これは極力是正をしていかなければならない。しかし教育の
運営というものは、全部國で画一的にやらずに、むしろ私は
地方團體なり、
地方機関を通じて最後の末端において行われるときは、
地方に即應して、大きな國の
方針のレールに乗りながらも、
運用は
地方に即應してやらせるのが、むしろ適切ではないかと
考えておるわけでございます。しかしながら費用の問題でありますが、これは經費の面を
地方に負擔させていくというだけには現在の
制度を
考えておらないのでありまして、今私が申しましたような理想を教育當局で
考えてそういうことにな
つていると思うのであります。
それから經費の問題でありますが、これにつきましては、窮迫し、かつ困
つていることは、今お述べになりました
通りでありますので、この點については是正すべきものは是正し、健全化するところは健全化してや
つてまいらなければならないと思うのであります。設備の負擔というようなことになりましては、私は
國家的色彩も大いにあり、
國家の要請によ
つて動くところも大いにあるのですから、これは少くとも半額
程度は國庫でもち、あとの半額は
地方でもつ、こういうくらいの形で、中央と
地方とが相協力した形で基本教育というものが行われるのが、一番よい形ではないかと思
つておるのであります。それで御承知のように教員の
俸給にいたしましても、半額は
地方費、半額は國庫補助ということにな
つております。
また六・三制の問題につきましては、いろいろの現在の
國家の窮乏の
状態と、六・三制の理想というものとの間に、なかなか合わないところがありますために、結局においては
地方團體にいろいろな御迷惑をかけておることをたいへん憂うるのであります。御承知のごとく、目下均衡中のいろいろの豫算では、この前一時きまりましたところでは、いわゆる三十一億の設備費を計画して、そのうち約半額の十四億餘は
國家でこれを補助する、あとの半額は
地方の
起債で賄う、その
起債については全部現金化できるだけの裏づけを銀行當局と約束しておる
状態でございます。それであとの半額についても、しかし新たに
起債によるとしましても、その他によるとしましても、
地方の負擔はいろいろ増すわけでありますが、その點につきましては税制等とにらみ合わせまして、全國を通算してみれば賄い得るという形にと
つておるのであります。また、
地方團體ごとの
財政負擔力の不均衡の點は、分
與税で
財政調整的な役割を果させて、極力その間の不均衡のないように
考えておる次第であります。
たいへんくどくどしく申しましたが、全部國の手で、國庫負擔でやることは、基本教育についてはかえ
つて適切でないのではないか。やはり基本教育はむしろ
地方分權化すべきではないか。但しその經費は相當
程度は
國家でこれを補助し、あとの分は
地方で賄う。しかしながら
地方で賄い得るように、
起債なり、税なりの方で、これを親切にめんどうをみていく。親切と申しましても、
實際にはなかなか行われませんが、
國家の力の許す限り、またわれわれ當局者の力の及ぶ限りの親切を盡して、その間に美しい調和をと
つて行われるのがいいと
考えております。