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加藤説明員 ただいまお尋ねになりました第一の問題、
地方警察と
國家警察の問題でありますが、その前の訴願法にありました
地方警察は、私思いますのに、明治二十二年の市町村制の中には、市町村が
警察をやるというように書いてあ
つたのであります。結局これは實現しませんで終りましたけれ
ども、それが當時訴願法の方にそれと對應して書かれたものであ
つたのであろうと想像しております。實際行われました
日本の
警察制度というものは、全部今までは内務
大臣の指令のもとに、全國津々浦々まで動いてお
つたのでありまして、これは
國家警察であ
つた。あの
意味の
地方警察というものは、市町村制の方で規定しましたものに對應して書かれましたけれ
ども、實際には行われなか
つたと
考えるのであります。われわれの
考えておりますのは、今後ほんとうに
地方自治體の
警察をつくり出そうというのでありますから、今までとは變
つたものだというふうに
考えたい。
國家警察は、現在の體制は
國家警察でありますが、これは組織を變えまして、今までの
制度を殘したいということを
考えておるのであります。
地方警察は
地方自治體の
警察を新しくつくり出す。
國家警察は今のものを形を變えて
殘す。こういうふうに
考えております。
それから
鐵道警察、森林
警察などの問題でありますが、私はほんとうに今後國民の信頼にこたえ得る
警察官は教養ある者であり、相當専門の
仕事について知識をも
つておるでなければならないと思います。鑛山でありますとか、森林でありますとか、そういうふうな特殊なものの
警察事務につきましては、一般の
警察官にこれを負擔させますと、あるいは荷が重くなるのではないかと
考えるのでありまして、そこのところは、
警察の最高首腦部の方でお
考えになりまして、これは特殊の
警察をおいた方がよいと思うものは、やはり今後とも殘していかなければならないと
考えます。しかしこれも通常の一般の
警察と緊密なる
連絡をもたなければならないことは當然であると思います。
それから
國家警察隊の装備の問題についてお尋ねがありましたが、これはまことにご
もつともな御心配でありまして、われわれも一番心配しております。少なくとも今後できまする
國家警察には、許されますならば、銃、機關銃くらいの装備は持たしたい。しかしこれはまだわれわれの腹づもりでありまして、正式にはもち出してはおりません。しかし少くともそれくらいのものは持たすことを認めていただきたいと
考えます。
教養の問題は御心配の點はご
もつともでありまして、われわれといたしましても、たとえ
地方自治體の
警察を認めました場合におきましても、教養は全國的に今のような
制度でや
つていきたい。これは
警察の權力
權限のことに關連するものではありませんので可能であろう。
國家警察と
地方警察の區別を超越して、權威あるものを創設していくことは可能であろうと
考えております。
次に一番重要な問題は、
司法警察と
行政警察の問題についての
内務省側の
考えをお尋ねにな
つたことであると思います。
行政警察と
司法警察との區別ということは、われわれが
關係の方々と寄
つてお話をしてみますと、どうもこの観念に食違いがある場合もたまにあるのであります。それはどういうところからくるかと申しますと、廣い
意味での
行政警察と申しますと、これは
警察の一切の
活動のうちから、
司法警察と稱せられておりまする
犯罪の
捜査、犯人の逮捕を除きました一切の
警察活動であります。ところがこの
警察活動の中で、さらに學者によりますと保安
警察と
行政警察にわけまして、お手もとに差上げてあると思いますが、他の
行政と關連なく獨立に行われるかどうかということで、保安
警察と
行政警察とにわかち、そして純粹の
意味での
治安維持の保安
警察の中で、産業上交通上等のことを主管する廣い
意味での
警察、
生命財産の保護、
治安を
維持するという廣い
意味での
警察が
行政警察であるとい
つているのであります。問題になりますのは、もとよりこの廣い
意味の
行政警察と
司法警察との區分であります。これは二十數年來の懸案でありまして、これを主張されます根據というものは多々ございます。まずわれわれの
承知しております
範圍におきましては、現在の法制の建前においては、公訴の提起と
犯罪の
捜査は檢事の職制にな
つている。しかるに檢事が指揮して使う
警察官というものは、
内務省の
警察官である。そこで檢事の方に直局の
犯罪捜査、犯人逮捕専門の
警察官をおかなければ
捜査かうまくいかぬということが第一であります。
第二は營業の許可認可等のごとき、いわゆる
行政警察事務をや
つているものが、同時に
犯罪の
捜査をやりますと、業者との間に特別の
結びつきができているので、
司法警察事務の執行の公正を期しがたいということもいわれております。
さらに第三には、
警察官には檢事ほどの強い
身分保障がない。
從つて政黨の影響を受けやすい。殊に
警察が
地方分權化されまして、知事や副知事のもとにくつつくことになりますと、一體選擧の取締などは公正にできるかどうかという問題があります。
第四は
警察官の素養が低いので、
捜査や取締に無理をしたり、人權蹂躙問題を起こしやすいから、これは檢事の方にくつつけた方がよいということもいわれるのであります。
第五は、
行政警察と一緒にやりますと、
行政執行法の檢束の規定を濫用しやすい。
從つて人權の保護に十分でないということもいわれています。それからさたに實際的の見地からの話といたしましては、
司法警察をや
つている
警察官の異動がきわめて頻繁であ
つて、實力と經驗に富む者が落ちついて
司法警察の
仕事に専念しがたい。
從つて能率があがらないということがこの
論據であります。これに對してわれわれの
考えているところは、
警察官の異動の問題は、なるほど
從來はその弊害あるいはあ
つたかと思うのでありますが、
將來は刑事
關係の
警察官は別の形なり何なりをつくるようにしてでも、落ちついて刑事
警察に専念し得るような
制度を
考えでみたいと思
つております。
それから
行政執行法を濫用するというようなことは、これは
日本國憲法が
實施されました以上、とうてい行われないことでありまして、現在におきましてはこれは議論の餘地はないのであります。しかしこの點につきましても、最初に
お話し申し上げました
通り、われわれは正當なる
警察官の
犯罪の
捜査、犯人の逮捕に關する
權限を、法律をも
つて明確にきめていただきたいと思
つておるのでありまして、これは現在われわれのうちうちでも研究をしているところであります。
それから
警察官の素養が低いというようなことは、これは一般的な問題でありまして、もし
司法警察官を獨立させましても、現在の檢事の定員は六百人か七百人でありましようが、この六百人か七百人の者は大學を出た相當教養のある者をとれましようが、しかし八萬、九萬というふうな多人數になりますと、これは檢事ほどのレベルの
警察官を
司法警察官としてつくりました場合においても、とり得るかどうか疑問だろうと思います。これは今の
警察官の素養を
向上することによ
つて、この問題の解決はできるのではないかと
考えます。
身分保障の問題につきましては、われわれも同感でありまして、これは
先ほども申し上げました
通り、われわれの方でも
委員會の督勵によ
つて、適切なる
身分保障の
制度を樹立することに努力したいとかんがえております。
許可、認可等の
仕事は逐次整理してまい
つておりまして、現在
警察に殘
つておりますものはほんのわずかであります。質屋・古物商の許可でありますとか、あるいは特殊飲食店の許可でありますとか、
治安維持の上から特に犯人がまぎれこんだり、あるいは盗品がそこに流れこんだり、どうしても刑事
警察上密接な
關係をも
つていなければならないようなものに限り現在殘
つておるような
状況であります。この點につきましては、
從前のような廣い
行政權限をも
つてお
つた時代ならばいざ知らず、現在はあまり問題はないのではないか、こう思うのであります。最後の、
捜査の
權限を
もつ者が指揮しなければうまくいかぬという點は、これはわれわれから言いますと水かけ論になるのでありまして、われわれも見るところによりますと、
警察官はむしろ積極的に檢事の方に
連絡をと
つておる。なぜかと申しますと、
警察で檢學をいたしましても、檢事の方で起訴してくれませんければ
警察官の黒星になるのでありますから、檢事の命令はもちろん嚴格に執行しておると思います。しかしこの點につきまして、新しい
制度の
根本について御研究を煩わしたいことがあるのであります。何かと申しますと、現在アメリカ及びイギリスにおきましては、
日本もそうでございますが、檢事は裁判所に公訴を提起いたしまして、法廷において公訴を
維持するということが主たる任務でありまして、
犯罪の
捜査はその公訴を
維持し、提起する便宜からもともと認められたものでございます。アメリカにおきましては、
犯罪の
捜査權は
原則として檢事はも
つておりません。初めから情報を集めてから豫防し、豫防の
措置が成功いたしませんで
犯罪が起こ
つた場合檢擧するというところまでは、もともと
警察の固有の職務でございます。そしてそれを檢事に送る。檢事が公訴を提起する。こういうことにな
つておるのであります。これは向うの人の
説明を聽きますと、このことが人權の擁護の上にいいのだ。もしも檢事なり
警察官なり、いずれにいたしましても、一人が
犯罪の
捜査權をもち、公訴の提起權をも
つておると、どんなことでもできる。これはと思うと
權限をも
つて引張
つてくる。公訴を提起することは可能ではないか。これは人權の擁護に十分でない。むしろアメリカの
制度のように、
犯罪の
捜査は
警察が保有し、公訴提起は檢事に保有させると、お互いの間にチェつク・アンド・バランスが行われ、
警察官においては、むりなことをすると檢事が受付けてくれないということになり、檢事の方は公訴の提起權をも
つておりますが、みすから提起できない、
捜査は
警察の方に頼んでやらなければならないという點においても無理ができない。これは人權の擁護の上にいいのだ、こういうことをいうております。これが一點。
第二點といたしまして、
日本帝
國憲法におきましては、人身の保護に關する司法官憲の
權限が嚴格に規定されましたことは、御
承知の
通りでありまして、今まで檢事が判事と
警察官との中間に立ちましても
つておりましたような
權限は、刑事訴訟法の應急
措置法の制定によりまして重要なるものはなくな
つておるのであります。たとえば刑事訴訟法百二十三條によりますと、
從來急を要します
事件については、檢事が判事の承諾を得ずして勾引状を發することができてお
つたのであります。また刑事訴訟法百二十九條でも、檢事が
自分の
權限をも
つて發することができてお
つたのであります。これは
警察官にはなか
つたのであります。しかし今囘は應急
措置法によりまして、かような檢事の
權限は制限されたのであります。
從つて檢事は公訴の提起以後の場面におきましては、もとより廣い
權限はも
つておりますけれ
ども、
犯罪の
捜査に關する限りは
警察官と似たりよ
つたりのような
状況に近くな
つておりまして、ますますこの傾向は今後促進されていかれるのではないかと思うのであります。もともと檢事というものは法律家でありまして、
犯罪の
捜査の専門家ではないと私は思うのであります。檢事が
犯罪の
捜査上
警察官を指揮しなければならないという
理由は、理論上からはあまりないのではないか。ただおそれられますところは、檢事が指揮をするならば、
警察官のいわゆる人權蹂躙のような無理なことが行われなくて濟むのではないかという、
一つの實際上の
理由であろうと思います。しかしこれはすでに
日本國憲法の制定によりまして、その根源を斷たれたと思います。また今後
警察官の
捜査態度に對する正當なる
權限を法律をも
つて規定していただきますれば、檢事の指揮によろうとよるまいと、この點については心配のないものになるのでしようし、またしなければならないと思うのであります。結局私は、
司法警察、
行政警察の區別は古くフランスの
制度に淵源するのでありますから、今日におきましては再檢討を煩わしたい。
犯罪の
捜査、豫防は、
警察固有の
權限として、區別することなく一括して
警察官に認めていただきたい、かように
考えておるのでございます。