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門司委員 はなはだ
失禮ですが、
五大都市の
特別市制の問題は、本日お
手もとに差上げました參考書を御覧を願いますことによ
つて、大體
沿革その他はおわかりだろうと思います。この問題がわが國に起りましたのは、この
沿革の中にはまだ明記してございませんが、大
體大正年代からと書いてあります。これは私どもの
調査によりますと、大正十三年の三月九日だと記憶しておりますが、大阪において
諸般の會合がありましたときに、そういう問題が出てまいりました。それからいろいろ議論が行われまして、二十數年間かか
つておりまして、その間
昭和四年の一月の
議會に
政府案として提出されましてから、今日まで五囘にわた
つて政府案として提出を見ておるのであります。そうしてその五囘にわた
つております間、
衆議院は通過いたしておるのでございますが、當時の
貴族院において、
審議未了あるいは否決の運命に遭
つておりまして、今日まで相當長く論議いたされておる問題でございます。さらに最近におきましては、九十
議會において
大村内務大臣が特別
五大都市の——その間に東京都の一應の獨立をみたのでありますが、その際にも
大村内務大臣は、
五大都市の
特別市制ということは十分考慮する、考えなければならないという御
意見がありまして、越えて前
議會におきましては、
地方自治制が改正いたされまするときに、その
附帶決議といたしまして、
五大都市を特別市に指定する
法律案を次の
議會に提出することという、
衆議院の
附帶決議がなされておるのであります。その際の
植原内務大臣の
意見等におきましても、
當然特別市制として施行すべきであるという御
意見が織込まれておるのでございますが、それらにつきましては後ほど本日お
手もとに差上げました
參考資料によ
つて、よく御
調査を願いたいと思うのであります。さらに先ほど
委員長さんからお話がありました通り、
殘存地域に對しまする
人口あるいは面積、財政というような
諸般の問題に對しましては、これもまたこの書類の中に明記しております。ただ
人口の點は最近における
政府の發表せる數字であります、從いまして
昭和二十一年の二月二十三日の
國勢調査による表でありますので、現在とは相當大きな開きをも
つていると思いますが、さよう御
承知おきを願いたいと考えている次第でございます。以上申し上げまして、大體この問題の
沿革だけを、はなはだ僭越ではございましたが申し上げておきたいと思う次第でございます。