○田邊
公述人 私は
人間が生れながらにして平等であるという
憲法の思想、それから
婚姻自由の
原則から
家督相續の
廢止に
贊成でございます。特権をもつ
戸主とそれからその
地位を承け繼ぐ
家督相續人、こういう二人の特權者の存在は家というものを命令と服從との
關係に結合いたします。しかもこの特權者が代々
男子によ
つて受け繼がれていくということ、それは
家庭内における男性に對する
女性の隷属とな
つて現れたのでございます。この
家庭内における
男女の不平等の存在を消滅せしめて、隷属から
女性を解放せしめますためには、どうしてもこの
家督相續制度を
廢止することが必要であると存じます。しかしこの
制度の廃止によ
つて根本的な
男女不平等の根源は除去されましても、ほかのいろいろな部面で法律に女子の
地位が弱くな
つていて、あるいは不平等を起しやすいような
制度がある。それを同時にきれいにと
つてしまわなければ相變らず新
憲法ができ、新しき
民法が
改正されても
女性は隷属していることが續いていく、そう思います。それで私は次の四つの點につきまして、この際ぜひご
考慮を煩わして、何とか變えていただきたい、女子の
立場から特に切望する次第でございます。第一は慣習による系譜、祭具の相續というあの條項についてでございます。第二は届出を
婚姻の
要件としておりますあの
制度、第三は
婚姻中の妻の
財産の問題、第四は
離婚制度の問題でございます。
簡單に説明させていただきます。
第一番目の
祖先の禮拝、まつりごと、それは今までの家の觀念の
ほんとうに本質、骨子とでも言うべき
精神でございまして、このことについて慣習によるといたしますと、末子相續
制度が徳川時代あるいは明治初年にはございましたが、法律というものが現實とずいぶん變りまして、今
日本全國ほとんどは長
男子相續
制度にな
つておりますから、長
男子相續
制度というものが現實において依然として温存されている。そういたしますと、やはり
女性が男性に對して隷属するという
關係は、その
まま持續されるのでございます。それは私が最近どういう點に
男女不平等が行われているかということを、いろいろな生徒さん
たちを使
つて囘答を求めて實態調査をいたしております。それに現われておりますいろいろの
男女不平等を取上げてみますと、たとえば男の子には家計を傾けても大學までも勉強さすが、女の子はさせないということは、突き詰めますと、やはり男の子は家名をあげてもらわなければならないからであり、女の子はどうせ他家にやるものだからであります。結局
家督相續とかこの家の權念に突きあたるのでございます。ですからせつかく家を廃しても、この
中心的なことによ
つて、家の存續がその
まま續けられるというこの條項は、どうか
女性の
立場からと
つていただきたい。またこういう信仰的なことを法律で扱いますのはどうも私の研究の經驗からいたしますと、今から二、三千年昔の古代法に見られることでございまして、文化國家の
日本にこういうことがあるのは法律の逆行かと思います。
第二は
婚姻の届出の問題についてでございます。これはせんだ
つて私が放送局で
離婚の相談を扱いましたときに、放送局の方から十通ほどのお手紙をいただいて開けてみますと、九通までが届出のときに難癖をつけて離縁されておる人の相談でございます。これは厳密に申しますと、厳密には法律の
離婚ではございません。田舎に一、二日泊りがけで参りましても、きつと子供ができるまでは届出をしない風習、あるいは家風に染むか染まないかを試すまでは届出をしないというあの惡習慣のために、届出でないでその間に何か難癖をつけて歸らされておるかわいそうな妹をもつ兄さんや娘さんをもつお父さん、あるいは本
人たちが、いろいろな相談に見えます。着物をとりに行きたいが、とりに行けば歸る意思になるしとか、いろいろなかわいそうな話があるのでございます。私は今度
民法が
改正されますときには、この點に
ほんとうに大きな
改正が加えられることを期待しておりましたが、相變らずの條文のようでございますから、どうかこの點に救助の途を
考えていただきたい。もとより
社會秩序維持の上から、届出の必要なことは當然でございますが、もし萬が一にも届出がなかつたような場合でも、十分に
婚姻の存在が認められるときは、どうか
裁判所も法律上その
婚姻を認めていただきたい。それは
兩親がたとえば不時のことで死んでしまつたというような場合に、私生兒が大きくな
つて婚姻の存在を證明したような場合でも、
家事審判所などが眞實に耳を傾けて、
實際の
婚姻とそれを認めて、その人を嫡出子としていただく。また
父母に寄せられた
結婚の手紙の一束でもよいではないか。私は法律はあくまでも眞實を眞實としてみていただく。この點を切望いたします。一體
婚姻というのは
事實でございまして、紙の上の記載ではございません。出生、死亡と同じように、それは
事實の届出でなければならないと思います。たとえば一月一日に
結婚をして今日届け出ましても、紙の上ではやはり一月一日に
婚姻したと記載さるべきが眞實ではないかと思います。それに、きようの日附になる。それは法律が、國家が公文書に公然と虚偽の記載をせしめて、今までだれも怪しまなかつた。そういう虚偽の
制度を、この際どうか深く掘り下げて
考えて、眞實の届出となるようにしていただきたいと思います。またはつきり兩性の合意のみで成立すると
憲法が申しておりますのに、届出がなければ全然
結婚と扱わないとこの
民法が定めるということは、違憲立法でございます。私はどうか
事實のあるときに證明が立てば認めていただく。その代り偽證の責任は
本人の側にありますが、届け出でないことは非常な不利益であります。ラヂオのニュースの
あとにでも、いろいろな
社會教育機關を使
つてでも、どうかこの際届出をしましようという啓蒙宣傳も、この
改正にあた
つてどしどしや
つていただきたい。それはまた政府や國會のもつべき
一つの
義務であると思います。こういうふうに
事實を
事實をして認めます實益は、届け出ない前に追い返しておるような
人たちも
離婚と認めて當然
離婚の
財産の分與の請求ができる。あるいは多分に内縁及び私生兒の問題を
解決する。また
女性がこのような不安の
地位から開放されるというようなことでございます。
第三番目に
婚姻中の妻の
財産でございます。
婚姻は
精神の結合ではございますが、同時に經濟上の結合でもございます。この經濟的な構成が
男女平等な仕組にな
つていない限りは、
女性はいくら經
つても、やはり
家督相續制度がたとえなくな
つても隷属から解放されないと思うのであります。物質というものは、人の
地位というものに相當大きな力をも
つておるということは、今日いなめないのでございます。ところが七百六十二條には、「
婚姻中自己の名で得た
財産は、その特有
財産とする。」と定めてありますが、この名というような形式で人の
所有權を定める基準にすることはやめたいと思います。
事實上その収入を得るためにはたれの勞力が加えられたか、たれが協力したかということが
考えられるべき根據ではないでしようか。農家の主婦、それは農業勞働としては夫とまつたく同等で、それにプラス育兒と
家庭の雑事一般がある。そうして積み上げたその収穫は、夫の名のもとに夫のものである。それは正しうございましようか。また夫が仕入れに歩き、妻はお店を一生懸命にして、そこに出てきた収入、それは夫の名の營業であるから夫の名のものであるということは正しうございましようか。また私のような
社會的に何も
職業をもたない、
一つの収入もないような妻でも、夫が外からあげてくる収入に何の協力もしていないでしようか。夫は一般的に
考えまして、
婚姻生活に必要な物資を得るために、貨幣を得ることに一生懸命に働いておるというのが普通の固いの
實情でありますが、妻はその留守を守
つて夫の得た貨幣で、たとえば、食糧を買い、それを血となり肉となるようにりつぱなお料理にして、
家庭のものの
生活を楽しませ慰める。あるいは衣類を縫い、その他夫が外で働けるあらゆる内助と申しますか協力をしております。一生懸命に營んでおりますこの
男女の間の營み、それは夫の方のことも、妻の方のことも、兩方とも非常に大切な反面を受持
つておりますので、どうかこの協力して營んでおります妻に、名というような形式で
所有權を定めずに、現在の収入に對して妻の
所有權を認めていただきたいと思います。人は夫が死亡すれば、今度は相續權が得られるからよいではないか、あるいは
離婚するときはその協力が算定されるからよいではないかなどと私に申されます。しかし現在あるのと、そういうときにあるのとはわけが違うのでございます。先だ
つて私が山形に参
つて温泉宿の女中さん
たちの話を聞いておりますと、姑さんの言うのには、どんなにつらいことがあ
つても、今にお前の身上になるのだから辛抱しなさいと言
つて、いろいろ嫁に教えこんでおるということであります。またこの間朝日新聞の小説で、ある
長男のお嫁さんが、今度は
民法が
改正されて、平等分割に
財産がなるそうだ、ほんとにそんなことはつまらない。私が今まで非常に舅姑に仕えて苦勞してきたのは、結局この身上が
自分のものになるからだと思
つたのだ、と言
つておる會話が出ておりまして、非常に興味深く讀みました。現實は
ほんとうにこういうふうにして、一切の人々はもう
夫婦の
財産は、妻も同時にも
つておると
考えておるのでございますが、どうか共有
財産の性質を認めるなり、あるいはまたその他非常にいい
考えがございましたら、その方法によ
つてでも、この妻の協力を
財産の上に表わしていただきたい。それが私のお願いでございます。もし今の
ままでまいりますと、夫は妻子を養
つておるものであり、妻は養われておるものである。永遠に妻の夫に對する隷属が解放されないのでございまして、
男女平等の
原則は、こういう經濟的な不平等から、やはり確立されないで續いていくのではないかと案じられるのであります。
次に
離婚についてでございますが、
離婚については、不公平を招きやすい
制度や追出しが容易になされるような
制度はやはりやめていただきたい。こういう
立場から私は
裁判離婚における
裁判官の自由裁量權、あの
あとに附いております條文はと
つていただきたいと思います。と申しますのは、先だ
つても今も效力のございます
民法應急措置法の中で配偶者の不貞というのに一言附加えられて、配偶者の著しき不貞とな
つております。その著しきという字が司法省で附けられたのであるか、あるいは政府筋で附けられたのであるかわかりませんが、一般にそういう氣風の行われておるところ、あるいはそういう
人たちが
裁判を行うといたしますと、いくら平等な
離婚原因が稱えられておりましても、そこには不當な却下がたびたびなされるのではないか。それを私は心配する次第であります。
次に
協議離婚についてでございますが、これは私はぜひ
家事審判所のお世話になりたいということを
考えております。その理由といたしましては、第一は
男女一緒にくるめて、
夫婦喧嘩というようなものはどうも失業とか、あるいは貧困に陥るとか、いろいろ
社會の荒波にもまれてお互いにいらいらして神經がとが
つて思わない方に發展するというようなこともございます。そういうときにおいそれと署名捺印して届ければ
離婚ができるというのであれば、やはり壊さなくてもよい
結婚が壊れる。そこを
家事審判所にいくということになれば、反省の
機會を與えてくれる。もつと何か助言を得られればその
家庭の建直しがきつとできるに違いないという
意味からでございます。
第二番目には、
事實上
社會のことも知らない
女性、
事實上意思の強制を受け壓迫をされておる
女性に、十分に自由意思の主張の
機會を與えるということは何も
憲法の
離婚の自由を汚すものではない、かえ
つて離婚の自由を全うするものではないか、そう思うのでございます。人事調停その他の
實際を伺いますと、
夫婦ともわかれたいと思
つておる
離婚は非常に少くて、どちらかが意思の強制を受けておることが大部分であるそうであります。こういうときに、女でも男でもそこでお話してよく主張すべきことは主張できる
機會が與えられたいのでございます。
第三番目に
財産の分與がなされる點でありますが、夫は一體他に愛人でもできて妻を追出そうとしておるときならば決して妻にはやりたくないのであります。そうでなくともまづ十分に與えるとは想像できません。糟糠の妻その他の妻でも、ひどい計算で追出されるようなことがあ
つてはならない。きつと
財産の分與については、公正な第三者が入
つてやらなければならないのではないかと思うような、理由で私は
家事審判所のお世話に
協議の
離婚のときはなりたいと思います。
以上私は
家督相續廢止に全部
贊成なのでございまして、その
精神を十分に活かすには、以上申し上げましたように、四點は非常に
女性に不利な點と
考えますから、その條項の削除あるいはまたはその修正について十分ご
考慮をしていただきたいと、この
機會にお願いをする次第でございます。