○奧野
政府委員 一應成立と效力發生要件と違うという
建前で
考えられないこともないというふうに、實は思
つたのでありますが、しかしよくよく
考えると、やはり成立はしているが、婚姻の效力がない。その間はどういうことになるか。あるいは第三者には對抗ができないのだというふうなことでは、やはり婚姻という身分
關係について、對内
關係、對外
關係にわけるとか、あるいは成立と效力發生の時期とわけるということは、どうしてもおもしろくないのではないか。それから婚姻が兩性の合意のみによ
つて成立するとあるのでその成立をかりに效力が生ずるのと同じことを
意味しているというふうに解釋すると、合意だけで效力が發生するので、さらに屆出というふうな形式を必要とすることは、
憲法違反ではないかという御
議論が起
つてくると思うのであります。しかし婚姻ということは、人生の重大な身分上の行為でありまして、これはやはりその時期が明確でなければならない。たとえば戀人同士が散歩の途中夫婦約束をするというような行為をしたからとい
つて、そのときに婚姻ができたということはどうも
適當ではない。
法律上の效力としては、どうも
適當ではない。そうなると、たとえば他の國の立法例でもありますように、夫婦が教會あるいは登録をする官吏の前で二人とも婚姻の意思があるということをそこで告げて、それをレジスターして、婚姻の效力を生ぜしめるというようなことが、最も
適當ではないか。言いかえれば、時期を明確にするということが
適當ではないか。しかしながら、わが國の今までの慣例としまして、夫婦になるものが揃
つて戸籍吏の前に
行つてお互いに婚姻するという意思を表示するということも實は煩わしいのではないか。やはり從來のごとく、屆出という形式によ
つて、兩性の合意を表現すれば、それで自由なる兩性の合意ということにな
つて婚姻が成立する。すなわち效力を生ずるというふうに見ていいのではないか。要するに
憲法の二十四條の趣旨は、婚姻當事者二人の意思以外に、父母あるいは戸主というようなものの意思が加わることを要件とするのではいけない。そういう他人の意思の干渉を排除するという趣旨にほかならないので、その兩性の自由なる意思の表現の方法を屆出という形式でやらしめるということは、必ずしも
憲法二十四條には背馳せざるものであるという
考えから、從來
通りの屆出主義をと
つたのであります。もちろんこのほかに事實婚、結婚式を慣習に基いてあげた場合に、そこに婚姻の成立あるいは效力の發生を認めるべきかどうかということは、これは非常に重大な問題でありまして、もしこれを認めると、いろいろな
關係において、たとえば戸籍法その他の
關係におきまして、いろいろな法文の手當をいたさなければならないので、事實婚につきましては、從來法制審
議會等でも十數年來にわた
つて研究されておる問題でありますが、なおこれについては、解決點に至
つておりません。それでただいまこの
憲法の要請に基いて民法を改正する際に、ただちにその事實婚の問題を取上げて、ここに規定するだけの解決點に到達いたしておりませんので、そういう
意味で、今囘は從來
通りの形式婚をと
つたのでありまして、將來さらに再檢討のときに、事實婚の問題を、さらに取上げて研究いたさなければならないというふうに
考えております。ただだんだんわが國が
法律的に文化が向上しておる際でありますから、できるだけ今屆出によ
つて明確な婚姻という線を引きたい。ずるずるべ
つたりの事實婚より、むしろ
法律で認めてい
つて、いろいろそれに應ずる法制をつくるというよりも、むしろ人々を
法律實踐の方に向けてもらいたい。何となれば、やはり屆出というふうな明確な標準で婚姻と婚姻でないという線を畫するのが一番明確でないかという
意味で、今囘はこの屆出主義を踏襲したわけであります。