○佐瀬委員 ただいまの點でありますが、私も
民法第
一條の
改正案については疑問を
もつものであります。どうも第
一條の「私
權ハ總テ公共ノ
福祉ノ為
メニ存ス」という
規定のしかたは、私權というものの本質を逸脱した、あるいは論理的に
權利の私權の概念に反する
規定のしかた、立言のように思われるのであります。その思想的根據というようなものを探究してみますと、そこに國家と
個人に關する
關係をどう見るかということに對する
見解の相違がここに反映しておるのではないかと私は
考えるのであります。あまり多く言う必要がありませんが、全體主義的な國家觀からすると、全體あるいは國家が目的で、
個人は手段である。
從つて國家の名において、あるいは全體の名において、あるいは公益優先主義の名において、
個人、
從つて個人の
權利というものは、すべて從屬的にこれが扱われるということにな
つてきたのであります。しかしながら、健全な民主主義國家
觀念から言いますと、
個人が目的であ
つて、國家全體はその主段であるという觀點に立たなければならぬのであります。
從つて國家と
個人の
關係もまた
個人の
權利の性格もそこから
規定づけられいかなければならぬのであります。いうまでもなく、新
憲法は民主主義
憲法であります。主權は
國民に在りとして、
國民が、
個人が目的である。國家政治組織はその手段であり、行使者であるという觀點にな
つておるのであります。
從つて憲法十二條が
個人に附與した自由、
權利は、すべて
公共の
福祉のためにこれを利用する。また十三條において
國民の
權利は
公共の
福祉に反しない限り尊重をされるというようなことは、やはり今申しましたあとの立場から
規定されたものであ
つて、
權利が
個人に附與され、その
權利の行使をするにあた
つて、
個人も
公共の
福祉を念頭において、なるべくそれを利用する。あるいはそれに反しないようにしていくということが、この
憲法第十二條及び第十三條の前提でなければならぬと
考えるのであります。依然として私權そのものは
個人の
利益のために與えられた
法律上の力である。ただそれを行使することは、單に利巳主義的なことばかりにはし
つてはならぬ。
公共の
福祉を尊重しつつやるということが正しいのだという一つの附隨的な性格をここに
規定しておるのだ。こう見るのが、私は新たな民主主義國家觀に立つたところの
權利思想でなければならぬと
考えるのであります。従
つてこの
改正民法草案第
一條の第一項を
考えてみますと、どうもこれは私權の本質をそういう
意味から
規定せられるものにまつたく相反して、これは
行き過ぎた、國家全體主義的な思想に基いた成文化のように思われるのであります。そこで私は「
公共ノ
福祉ノ為
メニ存ス」とい
つて、私權の内容、性格を
規定するということは
行き過ぎではないか。極端な
言葉で言うならば、民主主義
憲法の
精神に反するような結果になるのではないかということを憂うるのであります。第二項の「
權利ノ行使及ヒ
義務ノ
履行ハ信義ニ從ヒ
誠實ニ之ヲ為スコトヲ要ス」という
程度のことが、實は必要にしてかつ十分である。しかもその内容はここに、今の委員からも指摘されましたように、
公共の
福祉のためにとか、公序良俗のためにとか、いろいろ他にも
具體的な標識として適切な
言葉はあるでありましようが、そういう標識のもとにその私權を行使するというふうに
規定することによ
つて、この民主主義
民法というものもまた體をなすのではなかろうか、この
考えるのであります。第
一條の二の「
個人ノ尊嚴ト
兩性ノ本質的平等トヲ旨トシテ」
民法を
解釋すべしとい
つて、一つの
法律上の價値判斷の基準をここに出したことは、私はやはりそういう
意味において初めてこれがいわゆる立法的
解釋、有權的
解釋を附與したものとしての意義がある、こう
考えるのであります。
權利の
濫用とか、あるいは
權利の相對性とか、
權利すなわち
義務なりといつたような新しい法理論も、これはひつきよう社會本位的自由主義思想のもとに生れた
法律思想でありますが、これを私はここに取り入れようとするならば、やはり根本においては、先ほど申しましたように、國家と
個人の
關係を嚴格にして、しかして民主々義
憲法及びそれを反映する民主主義
民法としての性格を把握して、その基盤の上にかような
規定を按配するということでなければ、まつたく全體主義思想や公益優先主義のもとに專斷的な公統制をしたような時代と何ら選ぶところのないような結果に陷りはしないかということを懸念するものであります。先の
民法改正では、
民法な
つて忠孝滅ぶといわれた
言葉があるようでありますが、かようなことをここに比喩として申し上げるならば、あるいはこの
民法改正な
つて民主主義滅ぶといつたような、極端な
言葉も言い得るのではなかろうかということを懸念するがゆえに、私はこの第
一條と第
一條の二の
改正については、
政府の意の存するところは、先ほど來の
説明でわかつたのであります。けれども、それをせつかく健全に忠實に表わすためには、せう少し成文化する上において、ねる必要があるのではなかろうかと
考えるのであります。しかし私の
考え方が間違いであるならば、この際
政府の所見をなおお伺いいたしまして、參考といたしたいのであります。