○
花村委員 私は
佐瀬君の
修正の動機に
賛成をいたす一人でございます。
修正の
理由については、
佐瀬君がことこまかに論じられましたので、これを大體私の
趣旨辯明採用をいたしてよいと思うのでありますが、一言だけ私の
意見を申し上げておきたいと思うのであります。
本案は、
國民の
權利をいやが上にも拡大強化いたしました新
憲法、その新
憲法の第十七條によ
つて提案をいたしました
法律であるのでございますが、これは今日のわが國の世相に鑑み、
當然こうあるべきであろうと存ずるのであります。諸
外國の
立法制におきましても、すべてとは申しませんけれ
ども、米國においても、
フランスにおいても、あるいはまたドイツにおいても、ソヴイエトにおいても、この種の
規定を設けておるものでありまして、むしろわが國は遅きに失するの感があるのでございます。しかしてこの種
請求權を
國民に認めました以上は、その
請求權の
行使を容易ならしむるということを
考えることが、すなわち
立法をする人の大きな
責任であると、私は申し上げてよろしいと思う。今日までの
國民のも
つておる
請求權の中でも、ややともすれば與えられてありますところの
請求權の
行使が困難である
がために、その成果があがらぬ事例が多いのであります。この新
憲法のもとにおいて與えられたこの
請求權こそは、その
行使についても容易であり、しかもその與えられた成果を
國民が教授するということであらなければ、この
立法の
精神、
憲法のそうした
精神を貫くことができないであろうと思うのであります。ここにおいてか、この點を私
どもが
考えまする場合において、
當然出てくる結論は、この第
一條と三條において、かく
修正せんければならぬということである。いずれもこの
請求權の
行使を容易ならしめる、そうして
國民の
損害を
賠償することに何らの支障なからしむるという、この
精神に立脚して、二點の
修正をなさんとするものでございます。
第
一條の
修正は、先ほ
ども佐瀬君がことこまかに述べられたとおりでありますが、この
公務員の
故意過失に關しまする立證、すなわち
國家、
公共團體の方面において、その
公權力を
行使するところの
公務員の
職務執行の上において
故意過失がなかりしことを立證することは、よほどこれは困難であるという
政府委員の御
説明であ
つたのであります。私
どももこれに對しては同感の意を表するものであります。けれ
どもしかし飜
つて静かに
考えてみます場合において、その
公務員によ
つて損害を受けましたところの
國民、すなわち
被害者の方面において、
加害者の
故意、
過失があ
つたということを立證することは、より以上の困難が伴うということも、ほとんど異論のないところであろうと思うのであります。もしそれこのもつとも困難でありますところの
過失責任を、
被害者の側に科するということでありますならば、おそらく
請求權は與えられたが、その
請求權を遺憾なく
行使することができないというような窮地に陥ることの多いことを、私は過去の長い間の尊き禮験によ
つて斷ずることができると信ずる。もしかくのごとき困難なる
立證責任を課するということでありまするならば、
憲法に基いて
せつかくこういう書期的な
國民救済の
法律をつく
つたのでありますけれ
ども、そういうりつばな
損害補償の
請求權は與えられたのでありますけれ
ども、これはおそらく有名無實に終る憾みなきを得ないのでございます。かような見地から
考えましても、その與えた
請求權を何らかの支障なきようにそれを
行使していくことができ、しかもそれの成果を得るという點に
考え及びまするならば、これはやはり
佐瀬君の言うがごとく
修正するのは
當然であろうと私は信ずるのでございます。殊にそれのみならず、この
損害を
賠償すべき主禮が
國家公共團體であります。今日までわが國は官尊民卑の弊があり、
國家、
公共團體あるいは
公務員等に對しては、
國民は一歩も二歩も譲
つてお
つた。いなむしろ多くの事例は泣き寝入りにな
つてお
つたという
事實ほとんど大部分でありましよう。それを今囘の新
憲法の改正によ
つて、その舊來の悪習が打破せられ、ここに明朗にしかも
妥當性をも
つた國民救済の
法案が提案せらるるに至
つたのでございますけれ
ども、その主禮が
國家公共團體であるということ、しかもその
加害者がただに
公務員というばかりではございません、
公權力をも
つた公務員の
行為に對して、その
損害を受けたものが
賠償の
請求をするというようなことに相な
つておりまするがゆえに、これはなかなか今日までわが國の舊來の
事情等に鑑み、あるいはその
請求を受くる主禮が
國家公共團體であるという
意味において、裁判官が今日まで扱
つてお
つたこうした
事件の取扱い等の
事實に鑑み、また新
憲法は施行せられたとはいいながら、あるいは
公務員法がいずれ制定せらるる運に相なるでありましようけれ
ども、しかしそれが必ずしもすべて裁判官の頭を、また
國民の頭をただちにも
つてかえるということはとうていこれは望み得ないことであるのであります。こういう見地から
考えましても、やはりこの
請求權の
行使を最も容易ならしめてやるという親心をも
つて考えまする場合においては、かく
修正することが最も
妥當であると信ずるのであります。
さらに第三條の點でありまするが、これも第
一條とやはり同一の論據をも
つて論じ得ると思うのでありまするけれ
ども、この第三條は、要するに
費用負
擔者のみにその
責任を負わせるという
規定に相な
つているのであります。従いまして
國家公共團體に對しまする
請求權が阻害される結果になるのでございます。しかしながら、
費用負
擔者なりやいなやというその
事實關係を立證いたしますることも、これまた
公務員の
故意過失の立證と同様にむずかしいものであると申さねばならぬ。むずかしくないにしても、相當の煩雑性を加えるものであることが明瞭であります。かくのごとく、一面において
請求權を與えておきながら、その
請求權の
行使を困難ならしめるということは、この
法律を制定する
精神に相反するものあると極論して私は決して間違いでなかろうと思うのであります。これもやはり
費用負
擔者、あるいはまた
國家、
公共團體のそのいずれにも
請求できるという二つの道を開いてやるということが、むしろ親切なる
立法であると申してもよかろうと私は思うのであります。ただ
政府委員が言うがごとく、
國家、
公共團體でも
費用負
擔者に對する
求償權の
行使がむずかしいというような、
損害を
賠償すべき被
請求權者の方面における都合によ
つて、あるいは便、不便によ
つて、この
請求權者の
請求權の
行使をして困難ならしむるというがごときは、私は斷じて承服ができぬのであります。従いまして、私の言うがごとく、かような
權利を認め、両者に
請求する
權利を認めたからというて、ここに何らかの不条理を生ずるものではない。その
損害の拝承を
國家、
公共團體から受けるか、あるいは
費用負
擔者のそのいずれかから受けまするならば、その
目的は達せられるのでありまするから、従つ被
請求者の方面における内輪の關係は内輪で片づくべきものである。内輪の事柄を
請求權者に
責任を
轉嫁するがごときは、斷じて私のとらざるところでございます。かような
意味合において、第二條の
修正、すなわち
國家、
公共團體、もしくはこの
費用負
擔者のいずれにも
請求できるという
修正動議は、正當なるものであるを斷ぜざるを得ないのであります。かような
理由によりまして、私は
佐瀬君の
修正動議に
賛成の意を表するものでございます。