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安東外務委員長 今度の
刑法の
改正に關しまする第九十條と九十
一條の削除につきまして、
將來の
日本の國法に關係する問題でありまするので、
外務委員會におきましても、この問題を中心といたしまして、
政府委員の御説明を煩わし、また
意見を交換した次第であります。本日私はこの問題を中心といたしまして、私の所見を皆樣の御參考のために申し述べたいと思いまするが、過日の
委員會におきまして、
政府當局より承りましたことは、縷々申し述べられたのでありまするけれ
ども、どうも未だ遺憾ながら納得しかねるのであります。その
理由を今明らかにいたしたいと思うのであります。
この
刑法の一部を
改正する
法律案におきまして、
外國の元首、使節に對する暴行脅迫侮辱の特別罪の
規定を削除したのは、
天皇または皇族に對する危害及び
不敬罪等の
規定を除去して、個人平等の思想を徹底したのに伴うものであるというのが、説明でありました。ところが
刑法が
外國の元首及び使節に對する特別罪の
規定を設けておる趣旨は、
外國の元首なり使節なりが單に特別な個人であるという
勸念に基いたものではないのでありまして、元首なり使節なりの代表する
國家に對する侮辱を加うることを取締る趣旨であるのであります。
從つて自國の元首に對する特別
規定とは全然
立法趣旨を異にするものであります。この點に關しまして、
政府御當局の御説明はいやしくも個人である以上、外交官といえ
ども、あるいはさらに元首といえ
ども、これを
保護するゆえんのものは、その個人的危害に對して
保護することが趣旨であ
つて、これに
國際法的觀念を加味して特別罪としたに過ぎないのであるという御説明でありましたが、これに對しても私はどうも納得しかねるのできります。この點につきまして、すでに今度の
改正案には一つの
矛盾がございます。それは何かともうしますると、この
改正案中におきましては、九十二條の國旗の
規定というのは削除してないのであります。すなわち現行法に自國の國旗に對する侮辱の罪は特別に
規定してはないのでありまするが、
外國の國旗その他國章に對する侮辱については特別の
規定がある。これは
外國使節に對する特別罪とともに國交に關する罪の一章に一括されておるのであります。ところがこれは今度は削除してありません、この點から
考えましても、ここに思想的な
矛盾があるということを
考えざるを得ないのであります。この特別罪の
規定は、元來が
國際法に準據してできた
規定であります。
國際法は、一國は自國に滯在する
外國の元首もしくは
外國使節に對し特別の
保護を加うる義務があるとしてある。
從つてこれに危害を加うる者に對しては特に嚴重なる處罰をなす義務があるとしておるのであります。
現行刑法の
規定は、この
國際法上の
國家の義務に基いたものであります。この
規定を廢止せんとする
改正案は、新
憲法第九十八條第二項の「確立された
國際法規は、これを誠實に遵守することを必要とする。」というこの
規定から見ましても、
憲法違反、少くとも
憲法の
精神に反し、
改正案の効力の有無の問題をさえ生ずるおそれがあると思うのであります。現に各國の
刑法の
立法例を見ますと、ほとんど全部の國が何らかの形で
外國の元首及び使節に對する特別罪の
規定を設けております。その國を今列擧いたしますると、アルゼンチン、オーストリヤ、ボリヴイア、ベルギー、ブラジル、英國、ブルガリア、チリー、キユーバ、デンマーク、フランス、フインランド、ドイツ、グアテマラ、イタリー、ハンガリア、ラトヴイア、メキシコ、オランダ、パナマ、パラグアイ、ノルウエー、ペルー、ポーランド、ポルトガル、サルヴァドル、シヤム、スペイン、スウエーデン、スイス、トルコ、米國、ウルグワイ、ヴエネズエラ等でありまして、文明の諸國にしてこの
規定を缺いておるものはほとんど見當らないのであります。「ソ」聯邦はこの點について明白な
規定を缺いておりまするけれ
ども、外交使節は一國の刑事裁判權の管轄外にある
原則をはつきり
認めておるのであります。米國のごときは、自國大統領に對しては何ら特別罪を設けていないのでありまするが、
外國使節に對する特別罪の
規定は設けております。これに關連いたしまして、アメリカの根本的建前を察知する一つのよい
資料があるのでありますが、これについて一言申し上げたいと思います。それはち
ようど一九一二年にキユーバのある新聞報道員が、ハヴアナで米國の特派大使のヒユージ・ギプソンという者を襲
つた事件があります。
犯人は捕らえられましたけれ
ども、判事は彼を釋放して次のごとく述べたのであります。
被害者がアメリカの公使であ
つても、キユーバの最低一階級に屬する市民であろうと、侵害者にと
つては同じことであると、個人平等の思想をここに取上げて釋放したのであります。ところがアメリカ合衆國
政府は、かかる
國際法の
解釋に強硬に抗議いたしまして、滿足なる解決を要求いたしました。その結果報道員はついに再び監禁せられまして、二年半の懲役に、處せられたのであります。それはアメリカの外交關係、一九一二年版に載
つておる事實であります。
日本の元首、在外使節は、
外國においては以上のごとき
立法例のもとに、特別の
保護を受けることは明らかであります。しかるに、これにかかわらず、
日本では
外國の元首または使節に何ら特別の
保護を與えないということは、まことに不條理でおもしろくないのであります。またこの各
立法例の中には相互主義をと
つておる國があります。その一例はイタリーであります。イタリーにおいては、もし
日本において何ら特別の
規定を設けないということになるならば、イタリー自體において、
日本の元首もしくは外交使節に對しては特別の
保護を加えないという
結論になることは
當然であります。これをも
つても、すでにそこに不合理が存在するだろうと思うのであります。
日本人の今後の世界における
地位を
考えますれば、
日本として國交をますます重んじなければならないことは明らかであります。萬一
外國の元首及び使節に對する暴行脅迫、侮辱等の事件が起きまして、
外國から
犯人の嚴罰を要求せられました場合に、
刑法に特別の
規定がない。そうして裁判官の自由裁量によ
つてこれをやる。わが罪
刑法定主義の見地から、嚴重に處罰することができないということになると、必ず不合理な問題、解決を非常に困難とする
ような問題が起
つてくるだろうと思います。
刑法の一部を
改正する
法律案の起草者は
一般人に對する暴行脅迫、名
譽毀損等の罪を加重しておるからして、十分處罰をなし得る、これをも
つて賄えるという見解をと
つておられるのでありますが、
國際法上は、
被害者の本國は加害者の
政府に對し特に重く罰することを要求する權利がありまして、その場合特に重く罰する義務がその國にあるのであります。なお
從來第九十條第二項及び第九十
一條第二項に、
外國の元首、使節に對する侮辱の罰に對しては、
外國政府または
被害者の請求を待
つてその罪を論ずるという
規定があるのでありますが、これは
外國といたしまして、外交機關を通じて處罰を要求するに足るという趣旨でございます。ところが今次
改正案におきましては、これを
外國の元首に代り
外國使節が、また
外國使節に對する侮辱の場合は使節自身が、裁判所所定の
手續によ
つて告訴をしなければならないことにな
つておるのであります。この種の事件が發生しました、場合に、
國際間の慣例といたしましては、外交手段で處罰を要求するのはほとんどあたりまえであります。外交使節に對し、
日本法の
手續によ
つて裁判所に
告訴しなければ處罰できないという
ようなことは、すこぶる不
適當に思えるのであります。これを要するに第九十條及び第九十
一條を廢止せんとする案は、
外國の元首及び使節に對する罪が、あたかも個人の特別の身分、
地位に基くものであるかの
ような料簡に出發しておりまして、この種權利に基く
國際法上の義務というものを閑却しておるものでありまして、
日本の外交の見地から見ても、政治的に不
適當であるばかりでなく、
憲法第九十八條の違反として
刑法改正案の効力の問題をも生ずるおそれがあるものと私は信ずるのであります。
以上が私の見解であります。皆樣におきましても、とくに御考慮の上、
愼重に御審議されたいと思います。