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庄司一郎君 本
請願は宮城縣柴田郡富岡村村長、同郡川崎村村長ほか三百七十五名の連署連名によるところの
請願でございます。宮城縣柴田郡川崎村及び富岡村の二村を挟んでその中央を流れる北川という小さな川と前川というささやかな小川がございます。この二つの川が約三里の
下流において合流をして名取川となりまして、太平洋の閖上港というところに注ぎます。ところが昭和十九年の太平洋戰争の最中においてこの川崎村と川崎村のうち小野及び小澤という大きな二つの部落、富岡村のうち小澤という部落、この二村三部落の農民の所有いたしております田畑、川崎村においては約二百二十三町歩、富岡村においては約四十町歩、戸數においては川崎村
關係の二百十六戸、その總人口が一千五百名でございます。富岡村小澤においては五十六戸その人口が四百六十名ございます。この
關係の三部落民が多年父祖傳來の
開墾をして
耕作してまいりましたところの合計二百七十町歩餘の田地、田畑を犠牲にしてダムをつくることを、ときの
内務省仙台土木出張所長の金森博士が草案をされました。當時その目的は名取川の
下流に位しております仙台市の郊外長町という附近一帯に陸海軍の重工業の約二十いくつかの工場があ
つたのであります。それらの陸海軍の軍需工場にダムをつく
つて大発電所を起し、相當量の電力を供給することを主たる目的としてダムの計畫をなされました。川崎村竝びに富岡村両村の農民は、簡単にこれには應じなか
つたのであります。数囘にわた
つて農民大會あるいは村民大會を開いて、この
内務省の仙台出張所の御計畫に對してその意思を飜えさす
ために地方の大きな社會問題化したのであります。しかるに時の東條
政府は、あるいは憲兵隊を特派し、あるいは仙台、あるいは柴田郡にある大河原警察署の警察官数百名を特派いたしまして、戰争遂行の
ため反戰的な行動なりとして、農民を弾壓あるは壓迫いたしました。戰争のさなかであ
つた關係上、素朴なる地方の農民も、戰争に勝たんが
ための発電所をつくる前提としてのダムなりというような意味において、心ならずも壓迫をされ、また戰争に對する理解の上からも、涙をのんで両村の
關係農民はダムつくりに餘儀なく賛成せざるを得なか
つたのであります。あたかも往年の大河原村におけるような悲劇がこの二つの村に発生してまいりました。しかるにその後幸か不幸か——私は幸か不幸という言葉をも
つて内務省に訴える、幸か不幸か
豫算の壓縮の
ためか、あるいは御計畫の変更であ
つたかわかりませんが、小さなバラック一つ建て、多少の
工事上の便宜の
ための
道路を二、三本つく
つた程度で、合計二百数十町歩の田地田畑は、いまだいわゆるダム
工事の工程が進捗してまいらなか
つたのであり、ほとんど中止状態に相な
つてまいりました。そこで川崎、富岡という両村は奥羽分水嶺の山麓にあ
つて、海抜の非常に高い所で、田畑はきわめい少いのであり、おもに木炭を生産しており、宮城縣全體の木炭
生産量の約三分の一はこの両村において生産しておるのでありまして、米麦を生産する田畑はきわめて少いのであります。よ
つて終戰にもな
つたし、
内務省はダムの
豫定計畫の
工事を中止同様の状態にあることを看取いたしまして、両村の農民はこの村を離村し自分たちの村が湖底に沈みいくことをがえんせず、ここに両村の村長及び村會議員等が、大挙して
内務省及びその他の
關係各省に陳情に参りました。ただいま本員が御
紹介申し上げるこの
請願書は、今申し上げるような農民諸君の眞の叫びの願いでございます。今日當初の目的であ
つたところの発電所をつく
つて軍需工場を創建するということは、すでに解消されて、名取川の
河川改修の
ためにはあながちこのダムは絶對に必要性はありません。かような意味において、これら両村の農民の
請願を、とくと
委員各位におかれては御理解と御同情を賜わりまして、本
委員會においては
請願者の
請願に正當の理由ありとし、この
請願の趣旨を御採澤あらんことをお願い申し上げる次第であります。