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市川公述人 ただいま御紹介にあずかりました
貝島大之浦
炭鉱仕操夫の
市川三郎でございます。毎日
地下千尺の坑内で及ばずながら
石炭の
増産にいそしんでいる一介の
炭鉱夫であります。
現場のわれわれ
労働者が考えている
石炭の緊急
増産には、われわれの考えておりますような國管
法案が実現されてこそ、初めて所期の
目的が
達成され、
石炭の
増産ができることを確信しておる次第であります。
発言中失礼な言葉があるかも存じませんが、何分にも
労働者のことであります。
労働者の眞摯な叫びである点を御了承願いまして、本論にはいらしていただきたいと存じます。
敗戰このかたすでに二年、わが國の
経済はまことに重大な危機に直面しております。依然として続く深刻な食糧不安と、いよいよテンポの度を加えております物價騰貴と、通貨膨張と、さらに縮小再
生産に二重の苦悶を主軸としまして、今やわが國は
経済の解体破局さえ予想される重大段階にな
つておることは、今さら皆様の前で申し上げるまでもないことと存じます。すなわち戰前に比べて物價は二百二倍、通貨は六十倍、これに反しまして、工業
生産は二割七分、
労働賃金は六十倍、
労働者の生計費は約四十五倍、從
つて実質賃金は四割以下という実にみじめな
現状であります。この深刻な危機を眼の前にして、
國民は一向にその眞実を見極めようとしません。いたずらに右往左往して、未だになすことを知らない状態にあるように見受けられるのであります。
政府はここにおいて、八
項目の
経済緊急対策を発表され、さらに
経済実相報告書を公にされまして、
政府財政と
國民の家計の不可分な
赤字の増大、
企業の縮小再
生産の実態を世に訴え、さらに
國会においても
経済緊急対策の中心が、実に
生産増強にあることを強調されたように承
つておるのであります。それならば
生産の基礎はと申しますれば、きわめて脆弱なるものであります。まさに命数は盡きようとしてゐる老朽設備、故障の続出と、復旧補修
資材の徹底的な不足と、稼働率と
生産諸効率の低下と、
資金難のその上に、
石炭電力の消費規正強化等々、累積されてきた惡
條件が相互に作用し合
つて、ここに
企業の
経営は極度に窮迫せざるを得ない
実情に至つたことを考えられるのであります。こうした状態から
資本家の正常
経営からやみ
経営への轉落が始まつたと私には感ぜられるのであります。一路
経済破壞へのコースを落下しております今日の危機を救ふものは、このやみ
経営を正常
経営に引もどすことであります。しかしやみ
経営の事源は、一部独占
資本家の私的独占利潤追求に基く稼働率の低位性と、
資材の非適正配給等に集結されると存じます。最低稼働率を
確保するそのためには、配給の絶対量を増加しなければならないことは申し上げるまでもありません。この根本的解決を目標とした集中的表現が今回発表され、今皆様が審議しておられます
石炭緊急
増産対策としての
臨時石炭鉱業管理法案であると存じます。
日本の
石炭業は、昭和十五年を境としまして、
出炭量は漸減、労働
生産性は激減の頽廃過程に陷つたのであります。この頽廃化は、
資材消費実績指数を見れば一目瞭然となると存じます。十五年以降の
鋼材使用量の著減と、それに加えまして爆藥使用量の漸増の鋭角的な対坑
関係を注目して見ますれば、ここに機械化の退歩と、惜しみない労働力の濫費の
日本炭鉱資本の眞髄が判然としてくると存じます。数字をあげて申し上げれば、昭和六年に
労務者一人当りの月間
出炭量は一五・一トンであります。これを一〇〇といたしますれば、昭和十年に至
つては、一人一ヶ月十八トン、指数は一一九、昭和十五年になりますれば一四・二トン、九四、最高能率をあげましたのが昭和十年であります。十五年以降は漸減してまいりまして、昭和十九年には九・九トン、指数にいたしまして六六というような、みじめな漸減の状態を來しておるのであります。しからば消費
資材の実績指数はと申しますれば、昭和五年を一〇〇といたしますれば、昭和十年には
出炭量は一二〇、
鋼材の使用量は一五〇、爆藥の使用量は一七八、かような指数が出てまいります。十五年には
出炭一七八に対する
鋼材一四〇、爆藥二二五、昭和二十
年度になりますれば、
出炭わずかに七五に対して
鋼材三〇、爆藥は一四三というような大きな数字を示してきております。これが
日本炭鉱の
経営の実相であります。それは機械の故障の飛躍的増加と殉職者の増勢に最も端的に表現されておるのであります。機械の故障回数でありますが、これは昭和十五年に実数二千六百三十一回、これの指数を一〇〇とみますれば、昭和十九年には驚くなかれ指数において六〇八、回数におきまして一万五千九百八十九という數字を示しておるのであります。これは私三菱鉱業のデーターを拾つたのであります。それから十万トン当りの殉職者の数を調べたのでありますが、これが昭和十五年に百四十八人、それが十九年には二百十人、昭和二十年には二百七十人の大勢のわれわれ兄弟は殉職しておるのであります。これは前申し上げましたような設備の荒廃、これが
一つの大きな原因と、私的
経営に基く保安施設の怠慢によるのであります。
このような直接
生産過程、労働過程の頽廃化は、流通過程、総過程にいかに影響しているか、
生産費騰貴よりも補給金の増勢の方がはるかに大きいことを見逃してはなりません。たとえば昭和十五年の下期におきまして、トン当り
生産費は十五円七十八銭と発表されております。これに対する補給金はトン一円四十銭、これが昭和二十一年になりますれば、トン当りの
生産費三百六十八円六十一銭に対して、補給金は驚くなかれ二百六十円の高額を示しておるのであります。この
石炭價格差補給金が開始されたのが、
石炭が
減産への経路にすべりこみ始めた昭和十五年下半期であ
つて、眞にこの價格差補償制こそは、インフレ下においては再
生産過程に投入せられる代りに、流通面を循環して投機的役割を果し、または併業兼営部門へ流入するその
危險を藏し、またこの制度が
運営上損失の事後補償と
なつたため、
増産の刺戟となるよりも、
生産費引下合理化を鈍化させ、その
経営を放漫に流れしめたのであります。ここに独占
資本と
國家財政の抱合をまのあたりに見ることができるではありませんか。昭和六年の
出炭は二千七百九十八万七千トンであります。これが指数を一〇〇といたしますれば、昭和十年には三千七百六万二千トン、一三五%、昭和十五年におきましては、五千七百三十万九千トン、二〇五という指数であります。昭和十六年が五千五百六十万二千トン、指数は一九九とな
つておりまして、昭和十五年が最高であります。
一体補給金の行方はどこへ行つたか、私は
國民の一人として、これの行方に大きな関心をも
つているのであります。聞くところによりますれば、本年一月以降七月までに、
炭鉱に対する
政府の放出金はすでに八十億円になんなんとする巨額であると聞いております。
國民はよろしくかかる巨額のものが
國家から
炭鉱資本家へ流されてゐる事実に注目すべきであります。
炭鉱資本は問屋的性格をもち、
生産の合理化のために坑内を整備したり、
生産施設を強化するよりも、絶対主義
政府の庇護のもとで、
政府の補助を一切の超過利潤の源泉を求めてきたのであります。そして彼等は
石炭の流通面における利益を忘れられないのであります。
石炭以外の兼業に
炭鉱から得た利益を横流ししたり、今日未だあとを断たないバーター
炭鉱財閥は、
資金勘定の五〇%以上をも、副業面の投資勘定として、
炭鉱利益を他へまわし、
炭鉱投資を控えております。このために
炭鉱はやせ細
つていきますが、
炭鉱資本家の懷ろ勘定は、太る一方であります。その反面に
赤字補償を支出する
國家財政は、いやが上にも大きくなり、これが惡循環の源泉とな
つてインフレは高進され、一般
國民は大衆課税に悩まされるその上に、自殺一歩前の家計から、玉葱生活を余儀なくされる
実情を、
國民は何にも知らされていない。これでまつたく封建暗黒時代の知らしむべからず思想の相変らずの仮面をかぶつた
資本家のために、一般
國民は
犠牲に供せられていることを、私はここで声を大にして訴えたいと思います。つまり
生産過程の頽廃化は、総過程並びに流通過程に於けるより一層の頽廃化から免れることはできないのであります。
日本の
石炭業の非近代的性格は、
炭鉱資本の問屋的寄生的性格によ
つて規定されております。私はここにおいて、國有化前のイギリス
石炭業の
生産力の発展を阻止した
生産関係、資源開発の
現実的
資本的限界を見ないわけにいきません。
この嚴粛な事実を否定するためには、われわれは、精神の眼を盲目にしなければならないでしようか。しかし今日のわれわれは、單に
炭鉱労働者だけではなく、全
國民がおそらくこの事実を知ることによ
つて、今度のこの
管理法案に対し、
國会がいかなる採決をするか、おそらく重大な関心をも
つてその成行を注視し、
炭鉱現場に働く
労働者が、
現実に即して最も妥当と考える國管案のこれが実現を阻む者に対して、いかなる審判を下すかは、やがて來るべき日に
はつきり
現実の事態とな
つて現われるでありましよう。かかる
事情からして、
炭鉱の
経営は急速に社会化されなければならない
現状にあります。
終戰後
企業の
民主化運動は、いろいろな形態と
内容をも
つて展開せられましたが、最も消極的には、封建的色彩を
企業から拂拭する
運動として現われました。かかる
民主化は、同時に合理化それ
自体を意味するのであります。なぜならば封建的なものは、最も非合理的なものであるからにほかなりません。さらに
民主化は私的
企業の自由な競爭
関係を保持させるために、
企業の私的独占を否定せんとする
方式が現われてきたことは、これまた見逃すことのできない嚴然たる事実であります。独占禁止、財閥解体、株式分散化、あるいは重役兼任の禁止等は、この意味の
民主化であるのではなかろうかと存ずるのであります。また直接
企業の配分
関係の
民主化を目指す
方式として、從業員持株制、顧客持株制、利潤分配制というようなものがあり、
労働組合の育成助長も、これまた從業員の生活的なレクリエーシヨン、配分の公正擁護が主眼であ
つて、
経営協
議会としても、
経営参加を期待するとしても、本來的には、
経営生産自主体の機能的
組織の一齣を形成する機関としてでなく、
労働者の生活的
立場を強調するためのものにほかならないと断言せざるを得ない現在の段階であります。これが
炭鉱における
経営協
議会の実際であります。すなわち一般的には
民主化運動として展開せられているものは、
生産活動に直接関與し貢献しないものか、それとも無
関係のものであることを、
はつきり皆様に御
承知を願いたいと存ずるのであります。換言いたしますれば、從來一般に考えられているものだけが
民主化の
方策であるとすれば、それは
生産面における
経営合理化
運動とは、
内容的に結び得ないものか、それとも消極的にしか関與しないものであつたのであります。
企業の
民主化は、今日すでに好むと好まざるとにかかわらず、民主
日本建設にと
つては不可欠のものであり、それは
労働者の積極的な
経営参加にまつ以外に方法はないと私は確信しております。
ではどうして
労働者の積極的な
経営参加を求めるか。從來の
経営協
議会なるものは、前述しました
通り、何ら
生産に寄與することのできないものであつたのであります。これはなぜかと申しますれば、何ら法的な性格をもちませんで、ただ
企業家が
労働者を欺瞞する
一つの機関として、その存在を認めているのにすぎないことをこれまた大声を大にして指摘しなければならないのであります。
労働者の
経営参加によ
つて、
生産自主体の機能を十分発揮させるためには、
生産手段が
資本家の個人的な所有に属し、働く者がこれらの手段から解放されている限り、その社会化というものは、一方の隅に富の蓄積を、他の方の隅に貧困の蓄積を呼び起し、それをみずからの生活の中で和解させることが不可能のような矛盾を統一するために、
生産手段を個人的所有から社会的所有に移し、各人が平等に労働義務を担当して、その
生産手段を共同で運轉し、それによ
つてつくり出される
生産物の一定部分を公平に分配するよりほかに方法はないと思います。このような方法、すなわち
産業の社会化の完成によ
つて、初めてその
目的は
達成されると存ずるのであります。
しかし私は今ここで完全な社会化を現在のわが國の現段階において、その
目的の彼岸に一挙に達せんとすることの
現実的困難は、一應率直にこれを認めるのにやぶさかではありません。だがしかし、少くとも今日
石炭の
生産復興を願い、目前の
計画出炭を完遂いたしまして、急速に祖國
日本を再建するためには、
企業活動における
資本面と
経営面と、それを関連づけております支配の問題面は、その意味において早急に
はつきりと解決されなければならないと存ずるのであります。この
観点から、
資本的支配から
経営を分離いたしまして、その
経営が
資本支配から離れて、強力に
労働者の参画した
経営の自治体をつく
つて、その
経営体による支配人と発展し、支配なき支配の成立、支配があ
つてもそれ
自体の
責任と権威によ
つて活動し、
経営構成全員が、責務と創意を自覚したものを確立することが
実施されてこそ、
産業復興の熱意に燃えている
労働者の
生産と勤労に対する
意欲はいやが上にも高揚されて、そこに労働
生産性は急激に上昇し、初めて
生産増強の実績があがり、かつまた
生産復興をすることができるようになることを確信しているものであります。
石炭を
増産することは
敗戰日本を再建させる土台であります。しかしこの
石炭産業を
官僚統制と
資本の利己性をほしいままにしておいては、とうてい
増産は望み得ないことであります。
資本の利己性と
官僚統制を排除しなければ、
石炭は絶対
増産はできません。これが山元におきまする全國四十二万
炭鉱労働者の一致した
意見であることを、皆様方はとくと御銘記を願いたいのであります。それには
炭鉱を社会化したところの
國家管理によらなければなりません。しかしその
國家管理も、今日の
政府案では、所期の成果はあげ得べきもなく、四十二万
炭鉱労働者は、
政府案をかく修正されなければならないことをあえてこの席をかりて要求いたすのであります。
それは
國民生活の一切を
犠牲にして
炭鉱経営を
國家の費用で補償する以上は、これが管理は
政府でなく、当然
國家が管理すべきものと信じます。すなわちよ
つて第
一條の
政府が管理するとあるところを
國家が管理すると修正を願いたいのであります。なぜならば、これは
官僚統制の根本精神を徹底的に排撃いたしまして、人民のため、人民による人民のといういわゆる民主的な新しい
國家によ
つてこれを管理する。かように御訂正を願いたいと存ずるのであります。
もう
一つ、
資本と
経営の分離によ
つてのみ初めて
企業が私的独占から社会公共的のものとなります。もうかれば掘り、もうからなければ
生産をサボるような
資本家的
生産方法によ
つて、
國家の存亡や、
國民生活の危機を招くようなことはなくな
つてまいります。そのためには、まず
現場と
本社を分離すること、二つ目には、
生産協議会を、名実ともに民主的決議機関といたしまして、これを
経営生産の
責任主体としまして、その構成は少なくとも最低限
労働者四、技術者一、事務者一、
経営者一と、社会党原案がありました最低限のこれを要求したいと思います。
もう
一つ全管、地管、これも
生産協議会と同様、民主的な決議機関とすることを切望するのであります。
さらに管理業務
運営を監査するため、中央、地方に名実ともに民主的な監査
委員会を
組織すること。これは堕落した從來の
官僚によるような監査は、貴重な國費を補償する以上不適格であると断言せざるを得ないからであります。
以上のほか、まだいろいろと逐條的には全面的に修正の
意見をも
つておりますが、われわれはすでに
各位も御
承知の
通り、
炭鉱労働組合全國協
議会が作成しましたいわゆる
炭鉱國家管理案要綱を発表してありますので、しかも皆様方の各党にお伺いいたしまして、われわれの
意見は再三十二分にお話申し上げ、われわれの希望するところの國管を通過させていただくために、おじやまをいたしておりますので、根本的な問題の二、三を特にあげて、時間の節約をはかりたいと存ずるのであります。
最後に申し上げたいことは、
資本家まかせでは絶対
増産はでき得ません。今後の
増産は、現在の
資本家的
経営では、絶対に望み得ません。七月からの救國
増産運動をごらんください。
労働者に無慈悲な労働強化を強いて得た結果はどうでしようか。それは事実が
はつきりと証明しております。
資本家的
企業の力では、荒れはてた
炭鉱の復興は不可能です。
労働者の
経営参加によ
つて、労働力を向上しない限りは、眞の
勤労意欲のあがらない何よりの証拠です。われわれが願う強力なる
國家管理こそ、
炭鉱の復興と
増産のただ
一つの
條件であり、
経営の社会化からまた
生産手段の公有化へまつしぐらに進む
日本再建の唯一の途でありまして、これはまた世界の歴史的必然であります。
炭鉱資本家は、國管になれば逆に
減産になる。國管は亡國だと盛に宣傳しております。
炭鉱労働者の賃金も、定日に支拂えないのにもかかわらず、アメリカの新聞へも掲載されたと傳えられてゐる情報は、御
承知の
通り数千万円の金を醵出して、あくどい國管
反対運動を続けていますが、先にも申し上げました
通り、直接
現場に働くわれわれ四十二万の
炭鉱労働者は、強力な國管になればなるほど、
増産できると確信しております。彼らが血みどろの
反対を続ける
理由は、いまさら申上げるまでもありませんが、それは國管になれば、それが強力であればあるほどに、その眞意は
労働者の
経営参加がいやなのです。
労働者の
経営参加によ
つて経営内容を知られ、利益の独占が不可能にな
つてくる。またそれを分配したり、
経営や
経理を
國家から監査監督されることが、彼らにと
つて死ぬより苦しいことだというのが、偽らない彼らの氣持であろうと察するのであります。眞に
赤字経営なら、何故血みどろにな
つて働いてゐるわれわれ
労働者に、
経理の
実情を打ちあけ、
経営に参加させ、
増産のためには、何故率直な
國家の
経営への参画が求められないでしようか。かかる事実が利潤追求の秘密がここに明らかに温存されてゐると見受けられます。こんなことでは
労働者の協力は絶対に得られません。
最後にわれわれが希望する
國家管理法案が通つた場合には、
労働者が積極的に、
経営に参加することになります。その場合、
労働者の
勤労意欲を高めることによ
つて増産目的が
達成されます。なぜ
増産されるかといえば、
一、
労働者の主体とな
つて生産生協
議会ができ
て、すべての
計画がそこで取りきめられるこ
と。
二、
現場管理者が天降りでなく、
労働者が同意
した人でなければ選べないことにな
つて、お
互いに腹を割
つて話し合える人が選ばれます
。
三、大きい
計画が、中央と地方に管理
委員会が
できて、これも
労働者の
意見をとり入れられ
て決定されることになります。
四、
石炭局長や局員に
炭鉱関係労働者が相当数
はいることができます。從
つて過去における
官僚統制の弊害がなくなり、われわれ
労働者
のためになります。
五、このように
労働者はいろいろな機関に多数
参加するから、
現場管理者も、
本社も、官廳
も、勝手なことができなくなります。
六、だから
炭鉱が
民主化され
労働者を主体とし
た明るい
炭鉱になります。
七、爭議権は否定されないで、労働
條件の改善
は、
労働者の代表が参加した機関によ
つて保
障されます。
八、
資材資金の横流しができないから、設備の改善が
早くできることを期待されます。
九、
労働者の生活がだんだん安定するから、從
つて増産に挺身ができます。
十、輸送、土木建築、機械の修理、
生産資材等
の
炭鉱の必要なものが、
國家の力で強力に動
員されます。
十一、
増産された
石炭は、やみに横流しされな
いから、最も必要な所へ完全に配給されます
。
十二、
増産により、祖國
日本は再建され、待遇
は一そう改善されます。
以上はもちろんわれわれにと
つて完全なものではありませんが、
実施される國管法が強力であればあるほど、われわれの労働
條件は改善され、從
つて勤労意欲は高められて、
國家の要請量の充足が得られることを申し上げて、私の
意見を終りたいと存じます。