○
荒尾政府委員 この問題につきましては、
一つは
終戰の
状況を知らずして、なお各地にこもりまして戰闘を繼續しておるというような
お話が前からありましたので、そういう
情報のありました際には、
連合軍の關係の筋によく
説明をいたしまして、なおできるならばその當時の
部隊長なり參謀で歸つておる者を派遣いたしまして、速やかに
終戰の
手續をとらせまして、
復員をするようにお願いをした次第でありますが、この前御
説明いたしましたように、全
軍地域に對しましては、
アメリカ軍みずから當時殘つておりました
日本の將兵を使いまして、これが
終戰諸手續を完了するように
盡力をしてくれております。
新聞に出ておりますペリリユウ島、その他にヒリツピンの小
地域において、そういう事例は二、三あるのでありますが、滿州におきまする問題は、實は
終戰當時相當うわさがあ
つたのでありますが、先般申し上げました
中共地域に殘つておる者がいくばくあるかという問題について、その後だんだん調べてみますると、次のような二つの
状況があります。
一つは
終戰直後においては、たまたまその附近に
部隊がおりました關係上、
集まつてお
つた、あるいは
集まつてお
つたようなかつこうをしてお
つた。しかしこれは逐次下山をし解散をし、
復員をしつつあるというのと、ある種の
情報に惑わされまして、そういうことろに
集まつていたという
情報もありますが、今のところが私が聞いておる
復員の諸
情報におきましては、そう大きな
部隊が
集まつておるという
情報ほないのであります。ただこの前申し上げましたように、この
中共地域の中には、まだいくばくかはわかりませんが、中
國側の
新聞の發表によりますれば五萬でありますけれども、その他の
情報によりますとなお相當數の者が、あるいは
中共軍に、あるいは
中共軍地區に殘つておるということは
事實でありまして、これが引出しの問題は、各般の御
盡力をお願いしなければならぬと思つておる次第であります。