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武永證人 これはおそらく神聖なる
國會に來てそうでしたと言えないでしよう。私は
當時目白署の署員である巡査部長の矢野君と、
警視廳の生活
物資係の阿部巡査、目白署の同じ
生活課の巡査と四人で岩崎の
工場へ出向きました。それで一應
岩崎新一郎君と會見して事情を聽取しました。私は
警察官ではないから別段その權限はないから、矢野部長及び
警視廳の阿部君がこれを
質問いたしました。そして
質問をしたあとで一應
倉庫を見ようというので
倉庫へはい
つて行きました。第一囘、
倉庫へはい
つたところが一萬九千八百カンでしたか、九百カンでしたか、數量は一年前ですから記憶いたしませんがはい
つておりました。それから第二の
倉庫に何千カンかのあめがはい
つてお
つた。第三の
倉庫にはぎつしりはい
つておりました。大麥、あわというものが全部で七、八十俵か百俵くらいあ
つたと思いますが、長いことですから多少數字の點では間違
つておるかもしれません。それだけのものを見て、私も實際酒で醉うという話は聽いておりましたが餘り多くてあめで醉いました。それから事務所へ引上げて來て、帳簿を見せてくださいということで帳簿を披見した。一應は合法的に何本がどこの委託品であるとか、過剩澱粉とか、配給を受けた澱粉でつく
つたものであるとかということで、一應筋道だけは通るような通らぬような話でありました。そういう事情があ
つてとにかくいろいろと辯明釋明に努めておりました。その
當時自分たちは月に何百本かのあめがどうしてもなければいけないのだ。どういう理由か、ここに
岩崎新一郎君が來ておりますから、私がうそを言うか言わないか、新一郎君を前において言うのですから、決して私はうそを言わない。天地神明に誓うて申しますよ。本田警察署にもあめを數十本や
つた。
警視廳にも數百本のあめをや
つておるのだ。最近は坂本警察署にも三百本とられた。こういうことを
言つておりました。毎月相當の數字のあめが消える理由は、
警視廳にいくものもあるし、隣組にも配給してある。日通にもあめをやらないと動いてくれないのだ。そういう理由で、毎月數百本のあめが消えるのだというような話をしておりました。それでとにかく
當時行きました矢野部長と
警視廳の阿部と苦笑しておりました。私もはなはだおもしろいことを聞くものだというふうに
考えておりました。一應とにかく
岩崎新一郎君を退席させて、矢野君と阿部君とが相談をいたしました。これはどうもすこぶる臭い。記載も帳簿の上においてはどうもごまかしてあるのだ。突つけば必らずほこりが出るのだから、一應今日は引上げようぢやないか。どうも隣組に何十本のあめを配給する。本田署へや
つた、
警視廳へや
つた。同時に坂本署にとられたという餘分のあめがあるならば、この際子供に配給したらどうかというので、矢野君と阿部君と相談して、一應三百本供出させよう、そうして一應引上げようという相談をした。私は民間人だから、介在する權利も資格もないので默
つて聞いておりました。相談が一決したものだから
岩崎新一郎君を呼んで、とにかくいろいろと話をして、結局それだけの餘分のものがあるならば、この際三百本だけ供出したらどうか。いや、三百本は多いからもう
ちよつと減して百本にしてくれ。結局二百本にしてくれと、とにかく話合がきま
つて、淺草の五百十四番でありましたか、
岩崎新一郎君宅の電話ですが、そこへ電話で打合わせて、
岩崎新太郎氏の了解を得た上で、しからば三百本供出しましようという確言を得たのであります。
警視廳の阿部君と矢野君ととにかく一應引上げよう。それから
岩崎新一郎君は、はなはだ相濟まないけれ
ども、お茶
菓子の代りだと、ここにありますこれくらいのカンがあります。このカンを二カン、この中にあめがはい
つております。このあめをお茶
菓子代りとして二カンずつおみやげとして持
つて歸りました。私は民間人で大抵
關係ないのですから、私はいさぎよく持
つて歸りましたがね。そういうことで一應引上げたのであります。そうしてとにかく正式に供出
手續をするように目白署へ
出頭してくれ。必らずたれか責任者が來なければだめだよと、
岩崎新太郎氏に
出頭を求めたわけであります。しかるにその後目白警察署に現われましたのは、第一陣のもみけし運動が始ま
つたのであります。これはたれが來たかというと、とにかく彼等一味でこさえておる
國民生活連盟の幹部で、前の内務省の
調査局長であります大島弘夫君が第一陣に目白署へ現われて、
岩崎新一郎氏は實に人格者である。決してそういう不正なことをすることはないと言
つたということであります。それ以上のことを
當時の有田署長に言
つたということでありますが、これは證據がありませんから申し上げられません。その後岩崎の使用人某が供出
手續のことで現われた。その時私は目白警察署に
行つておりました。そこへ正式に承諾書に印鑑を押しに來たのであります。ところがどういうわけか供出せんでもよいということで、その使用人は歸
つたわけであります。これは私は
當時見たことをここで申し上げるわけであります。