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世耕弘一君
間島君から長々と手紙のことについて
説明がありました。私がこの
機會に一言を加えることは
眞相を明らかにする意味において必要であろうと思うから、特に
委員長の
許可を得て發言するのであります。
間島君という人はそういううそを、でたらめを言う人でないと今日まで實は信じてお
つた。ところが
間島君自身の言うことは
事實の點もあるが、うその點をつき混ぜてまことしやかに言うておるのとはまことに遺憾である。
第一この
隱退藏物資を私が取扱うのは山形縣だけの問題でない。全國農業會の代表者も來ておりますし、新潟縣の者も來ております。關東十縣の支部が代表して來てお
つた。その關東十縣の支部の代表者に一言半句もなくして、問島君一人が私の惡口を言うているところにすでにおかしなところがある。山形縣だけの拂下げの問題でない。ただ山形縣が早く拂下げて欲しいということ、熱心であ
つたということです。大體私は最近においてこの拂下問題をめぐ
つて、農業會のインチキ性と申しますか、農業會の行動には多くの
疑惑をも
つております。眞面目な農業會もありますが、きわめて不良な農業會のあることを私は承知しております。ある農業會のごときは幹部が農業會に穴をあけてしま
つて、なんとかその穴埋めをせんがために拂下運動をする者がある。それがために私は非常に警戒してお
つた。たまたま山形縣の農業會の代表者である森老人は、聞けば
濱田君とはごくもとからの懇意である、こういうふうに私は聞きました。
濱田君にそれを聽いたときに、おれはごく懇意だという話から、
濱田さんと懇意であればまず間違いはなかろう、また
濱田さんは辯護士としていろいろな關係をも
つておられるから、この拂下げ問題について間違いが起るようなことはなかろうというので、私は手をつけた。しかも
間島君自身は何年もかか
つたと言うておるが、そんなものに私は半年もかか
つておりません。私のところに言
つてきたのはおそらく一箇月前後じやないかと記憶いたしております。
なお
栃木縣の問題については、關東農業會十縣のものが話をも
つてきて、ただ關東十縣だけではいかぬからというので、全國農業會の代表者にも來てもら
つた。その中には前の千石會長の息子も來てくれたはずである。そうして結局早く拂い下げてほしい。ほかの方に運動してお
つたが、うまくいかないから、私の方で仕事を進めてもらいたい、こういうような陳情であ
つたことを私は記憶いたしております。なぜ
栃木縣の方を目をつけたかというと、
檢事局の協力を得て
栃木縣の方で、私は時價三億と踏んでおりましたが、三億くらいの
物資がある。それほど農業會の人たちが必要であるというならばその方を振り向けてやりたい。その振り向けるについては、最近は押えても、すぐすつぽ抜けてしまう。現物を處理する上においては常にその効果をあげていないから、念のためにあなた方が
栃木縣に行
つて實際にその
品物があるかどうか、あれば荷主が素直に渡すかどうか、あるいは同時にまた縣廳がそれに素直に助力してくれるかどうかというようなことを考慮に入れて私はあの指令書を出した。あの指令書を出すについても、わざわざ私は大藏大臣、安本長官——これは兼任いたしておりましたが、それから農林大臣、竝びに内務大臣、
商工大臣にも
了解を得ました。關係閣僚を追いまわして、私が全部渡りをつけて、あの文書を作成した。しかも念のためにあの文書を讀んでいただけばわかりますが、あの文書の中には
栃木縣の
檢事局の
檢事の
方々に立ち會
つてもらうということをちやんと明記してあります。しかるに
栃木縣の
檢事局はでたらめだから、どうのこうのと言うことは少し愼んだらよいと思います。さようなうそは、私はむしろうそと申します。こういうわけであります。なぜ私がそれほどあわてた
處置をと
つたかと言いますと、先般申し上げましたように、
東京はすでに區によ
つては二十日以上の缺配である。政府はこれに對して強權を發動する。場合によ
つては軍隊の出動をする。軍隊を發動して不正な農家を發見次第財産を沒收するということは、
當時の
新聞で御承知の通りである。私はこれを憂えた。なるほど強權の發動をすれば確かに米はでるでしよう。出たあとの農村はどうなるか、私がおそれたのはそこです。憂國の至情が私はそこから湧いた。だから農林大臣に待
つていただきたいと
言つたのです。閣議でそういうような決定は待
つていただきたいと
言つた。その代りにぼくの方にはこういう手があるからそれでや
つてみたい。そういう手があるのならばそれでやりたまえ。そういうわけでみんなに
了解を得てあの手續をした。私はその點について何ら私心がありません。しかもその私心のなか
つたことはあとでまた附け加えて申し上げますが、栃木に調べに行
つたところが殘念ながらそこには
品物はなか
つた。移動されてしま
つた。この移動の状況もやがてここ數週間を出でずして確實な證據が出てまいりましよう。また
栃木縣に
特殊物件が何ほどあ
つたかという證據もおそらく近いうちに皆さんの手もとに出しましよう。私が空虚なでたらめな、農業會の連中をあやまらせるためにや
つたのじやないという證據を近く提出いたします。さような次第で、私は實は
栃木縣になくちやならぬと思う、そのなくちやならぬ物がなくな
つていた。この點は申譯ないと思う。そこで第二段の策としてどうしようかと
言つたら、私の友人が、實は
名古屋に任意供出の形でキヤラコが一萬反ある、かようなことを言
つてきた。それは確實かと
言つたら、確實だと言う。
商工省のわくがもらえるかと
言つたら、石井
商工大臣は、農村の供出のためにその
品物が任意供出で得られるというなら承諾しよう。これはこの
議會の議場で私は承諾を得た。よろしい。その承諾を得たならば、これだけでも農業會の連中を喜ばしてやろうというので、夜私は電話をかけた。ところが後で聞いてみたところが、その任意供出を言うてきた人はむしろブローカーであ
つて、正式のものではなか
つたという。そこで私はこれはいかぬというので、即座に解消したことは、これはあなたの言う通り、
ほんとうのことです。それから、さてどういうことにしようかと言うたところが、京都に
隱退藏物資を押えたのが、特に
隱匿物資という
檢事局からの
報告が來てお
つたから、これはまさか間違うことはあるまい。これを
一つやろう。しかし全部やるわけにいかないから、一部分でも一應顏を立てるようにしよう。それではどういうふうにしようかということにな
つたが、實は
隱匿物資である以上、しかもこれがまた途中で官憲の干渉を受けて輸送が困難になるということだとせつかくの供米の約束がむだになるから、これは
一つこの際司令部の協力をまつより仕方がないじやないか、かように私は各農業會の人たちと協議いたしまして英文に打
つた。そうしてそれに理由書をくつつけて、まずこれは横濱の第八軍の軍政部の
了解を得ることが必要だろうというので、私は軍政部に一日潰して行
つたのであります。ところが軍政部の方では、第一供出を完了したところに報奬
物資をやらないで、供出未完了、しかも五〇%、六〇%を出ない山形、新潟——新潟はそのときはもつと出ていたと思いますが、山形方面などにやるのは不都合だということを、まず最初に非難を受けました。それは私はもつともだと思う。しかし私はそれに對して、お説はごもつともでありますけれ
ども、現在米がないのだ。三月危機が叫ばれ、日本はどうなるかわからぬのだ。せめて出さない農業會に報奬
物資を先にや
つて米を出させておいて、あとで一一〇%出している農業會にもつとよい條件で出すというようにしていただいたらどうでしようかということを私は隊長に話した。それはグデルという大佐であります。それならひとつ
考えておこう、それでは明日來てくれ、こう言われたから、翌日、農業會の
本部の連中、全國農業會の代表者、山形縣、新潟縣その他の關係者かれこれ七、八人と思いますが、それに私の知
つている通譯を一人連れまして、十人ばかりの者が横濱にまいりまして、陳情書を出したのであります。ところが殘念ながらその日なぜ解決できなか
つたかというと、アメリカの記念日で、グデル大佐は來ておられたけれ
ども、實は部下が來ていない
ほんとうの係りの者が來ていないから、きようはこの問題について
囘答できない。日を改めて來てくれという話だ
つた。それが、あるいは六日であ
つたか、多分七日と私は記憶いたしております。午前中に行きました。そこで……。