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世耕弘一君 これは本人の手記であると同時に本人から發表の了解を得ましたことで、
委員會が必要があるときには何どきでも出頭すると申しておりまするから、そのことをお
含みおき願います。
七月二十九日夜私の所へ來訪されて話された方で、元運輸
事務官黒田五郎という人であります。「二十二年四月二十五日大阪村三島郡春日村字郡井和印刷所隱退藏の紙類(帳簿用紙、ザラ紙、模造紙その他)三千連、八千連、九千連の倉庫を
調査せり。社長松村氏は地元
警察署員へ現在まで莫大なる手當を出してあり、黒田に對しても見逃してもらいたいと申込あり、他の
摘發員が
調査に來ても大藏省財務局の委託品ということに帳簿を作成すべく、財務局員ともわたりがついていると申し述ぶ。黒田がこれを聞い流して第三の倉庫を臨檢すべく一歩を入れたるところ茨木
警察署員が(あらかじめ尾行して用意していたことが後刻判明)強制留置の手段に出で來り、經濟主任警部補監田友秋はべろべろに酔うて、「黒田貴樣がここで恥さらしの憂目を見ているのは貴樣が惡いのでなく
安本が惡いのだ、東京へ歸
つたらよく
報告しとけ、おれなんかいつ首に
なつた
つた食うにや困らぬよ」と捜査主任とも
ども罵聲をあげて部下刑事
どもに亂暴極まる身體檢査を命じ「お前を首にしてやるからそう思え」と。——東京へ歸りました結果遂に免官にされたまま經濟
安定本部からも相手にされぬ状態なり。」黒田君が出發に際して
隱退藏物資の
摘發に出かけるから
關係官廳へ十分
協力するようにということを、本省から官用電報を打
つてもら
つて出かけたとのことであります。
次にもう
一つの手記でありますが、「奈良縣櫻井
警察署管内櫻井乾繭倉庫二つに四十萬反の綿布あり。これは
終戰當時海軍黒潮
部隊が三重縣、和歌山県の沿岸に置去りにした
物資の一部で相當横流ししていたために、數多のブローカーが縣當局と氣脈を通じ、問題化し檢察當局の
調査が開始されるや、管理人の河井某は三月二十日に自殺し、檢事局方面では松井縣
會議員がもみ消し
運動をし殘品、軍衣袴十萬著、くつ、綿布、毛布等奈良縣下高田町乾繭倉庫へ移轉した。これを知
つた奥田勇なる中華人が六萬反を引出し京都方面に流しているとの
情報を得たる黒田の
情報部員が眞否を
調査したる結果、奈良縣八木町乾繭倉庫へ二十萬反隱匿せることほぼ確實となりたり。これは橿原警察前署長佐々木正三、前巡査部長筒井茂等の證言あり。なお元上海民團長であり引揚同胞援護會全國
理事長前田秀次郎及びその友人である長濱支部長田中庄次郎等の綿布買付委任状(綿布買付にかかる一切の件)等の書類を示されたことあり。」
以上が私のところへ來訪されて手記した
内容であります。なお本人は必要あれば何どきでも出頭してなお詳しい
報告を申し上げる、こういうようなことであります。
なお一言私はこの機會に皆樣にお願いいたしたいことは、私の
指令書發令の資格云々のことについて本
委員會で論議されておられるようで、まことに
適當な御處置だと思いまするが、私はできることならば現在私の
指令書に關する問題に對しては司直の手が動いてそろそろ
調査が進められておるのであります。願わくばさような面の
仕事は檢察廳にお任せを願
つて、
隱退藏物資の
實際的の
摘發に一日も早く效果あるようなお取計らいをこの
委員會でおとり願うことを特にお願いしてやまない次第であります。