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勝部賢志君 今日は
資料を配らせていただきました。時間が非常に
タイトになってきましたので、恐縮ですが、ちょっと
資料を見ていただきたいと思うんですけれ
ども、
外交青書、御
案内のとおりで、一
ページ目は二〇一六年の
記載であります。
緑色で線引いてありますが、
北方四島は
日本に
帰属するという、
日本の
立場であるという
基本姿勢をまず書いて、その下に、ちょっと線引いていませんが、「
北方四島の
帰属の問題を
解決して
平和条約を締結するとの一貫した
方針の下、」という
記載があります。これが
外交青書、
基本的な
我が国の
立場だと
思いますが、これは二〇一六年から二〇一八年までこれ一貫して同じ
冒頭にこの
記載があるんです。ちょっと一七年、一八年抜けちゃっていますが、これ同じものであります。
ところが、二〇一九年を見ていただきたいと
思いますが、次の
ページです、
北方領土と
平和条約締結交渉と。ここのところにはそういった
記載、全くありません。
そして、次の
ページ。これは二〇二〇年の
外交青書ですが、ここは多少
表現が戻って、
北方領土は
我が国が
主権を有する
島々であると。先ほど
主権という
言葉がよく出てきましたけれど、そう書いてあり、後半は、「
北方四島の
帰属の問題を
解決して」と書いてある。これはまた元のとおりに文章戻っています。
二〇一九年だけこういうふうに
表現ちょっと違うんですね。このことは恐らく、私、この
委員会今日
質疑させていただくの初めてですけれ
ども、この
委員会でも取り上げられてきたのではないかと。つまり、しっかりとした
基本姿勢が揺らいできているんじゃないでしょうかと、弱腰の
外交ではないかというふうに
指摘をされてきたことだと
思います。
それと併せて、次の
ページは、
歴代外務大臣の二月七日、
北方領土の
全国大会での
挨拶なんです。これは公的に発表されている
挨拶文でありますけれ
ども、
平成二十九年の、これは
岸田外務大臣ですね。黄色い線引いてありますが、
北方領土は
我が国固有の
領土であると
定型句のようにこうやって
言葉が入っています。次の
ページは、
河野外務大臣です、
平成三十年。これも、
北方領土は
我が国固有の
領土ですと途中で入っています。
そして、
最後の
ページが今年の二月七日、まだ
コロナがそれほど
感染がなかったので
全国大会あったんですね。そこで
大臣からの御
挨拶がありました。私、
中身を見させていただいて、実は、大変ある
意味心のこもった御
挨拶だなというふうに思っています。入場するときに元
島民の方に頑張ってほしいという
言葉をいただいて、その
言葉をいただいて頑張るんだということも言っていただいたり、決められた、ある
程度、原稿を読むような
挨拶よりは私は大変いい
挨拶だというふうに思っています。ところが、
中身ずっと見ていくと、やはりその
基本姿勢というのが明確に示されていないんですね。それが非常に私は残念でなりません。
そして、なぜそういうことを言うかというと、ここに
参加をしていた
北海道から来た
運動をする
方々あるいは元
島民の
皆さんから、同じような、先ほど言ったような
外交青書の
表現と同じように、やっぱりこれ、何か
ロシアに対して遠慮しているのではないだろうかと、
我が国の
領土であるということを
主張すると何か
交渉に
影響あるんでしょうかというような声を聞きました。
決してそういうことはないと
思いますし、私は、むしろしっかりとそういうことは、先ほど
大臣、
内外にしっかりとそれは表明していく必要があると。先ほど申し上げた
教科書にも、
子供のうちからしっかりとそのことは
歴史的な事実として教えていくことが必要だという話もさせていただいたところであります。
ちょっと時間が来ましたので、
一つは
大臣に、まあ
挨拶ですからその時々それぞれ言い方というのもあるのかもしれませんけれ
ども、私は、いろんな場面で今言ったような
基本姿勢を
是非前面に出して、長々と語る必要はありませんけれ
ども、一言でも、やはり
一緒に頑張っているみんなが勇気付けられるような
言葉が必要ではないかと
思いますので、
茂木大臣にそのことと、それから
衛藤大臣には、やはり
運動がだんだん衰退しているのではないかという懸念がありますので、そういう
意味で、
運動が更に高まる
意味でも、
基本姿勢などに含めて
是非私はそういう発言していただきたいと
思いますが、
見解を
伺います。