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1972-06-06 第68回国会 衆議院 逓信委員会放送に関する小委員会 2号 公式Web版

  1. 昭和四十七年六月六日(火曜日)     午前十時四十九分開議  出席小委員    小委員長 水野  清君       内海 英男君    加藤常太郎君       羽田  孜君    古川 丈吉君       本名  武君    阿部未喜男君       中野  明君    樋上 新一君  小委員外の出席者         逓信委員長   高橋清一郎君         参  考  人         (日本テレビ放         送網株式会社放         送本部長)   松本幸輝久君         参  考  人         (株式会社日本         教育テレビ常務         取締役)    泉  毅一君         参  考  人         (株式会社毎日         放送常務取締         役)      吉村  弘君         逓信委員会調査         室長      佐々木久雄君     ――――――――――――― 六月六日  小委員樋上新一君五月十一日委員辞任につき、  その補欠として樋上新一君が委員長の指名で小  委員に選任された。     ――――――――――――― 本日の会議に付した案件  放送に関する件(放送番組に関する問題)      ――――◇―――――
  2. 水野清

    ○水野小委員長 これより逓信委員会放送に関する小委員会を開会いたします。放送に関する件、特に放送番組に関する問題について調査を進めます。  本問題につきましては、去る五月二十三日に参考人より意見を聴取いたしておりますが、本日は、放送局側から、日本テレビ放送網株式会社放送本部長松本幸輝久君、株式会社日本教育テレビ常務取締役泉毅一君及び株式会社毎日放送常務取締役吉村弘君の三君に、参考人として御出席をいただいております。  この際、参考人に一言ごあいさつ申し上げます。  本日は、御多用中のところ御出席をいただき、まことにありがとうございました。参考人の方々より、それぞれのお立場から忌憚のない御意見を賜わり、もって調査の参考にいたしたいと存じます。  なお、議事の都合上、御意見の開陳はお一人十分程度とし、その後委員からの質問にもお答え願いたいと存じます。  また御発言の順序につきましては、かってながら小委員長に御一任願いたいと存じます。  それでは、松本参考人にお願いいたします。
  3. 松本幸輝久

    松本参考人 それでは、番組全体につきまして、若干御説明をいたしたいと思います。  テレビ放送が始まりまして約二十年間を経過しておりますけれども、最初、正力松太郎氏がこれを考えましたときは、住むに家なく、食うに食なく、着るに衣がないという、そういう耐乏生活のどん底でこのテレビ放送というのが生まれてきたわけであります。したがって、与えられるものは何もない。その場合に、せめて娯楽だけでも与えられるようにする可能性があるから、娯楽をテレビで与えていこうということになりまして、テレビの番組というものが娯楽本位につくられざるを得なかったわけであります。  それから二十年間、日本はだんだん高度の経済成長をしてまいりまして、今日では食うにあり余る食があり、着るにあり余る衣がある、わずかに足りないのは住だけだというかっこうになっておりますけれども、この間に一度習性づけられましたところのこの娯楽本位の番組編成というものは、容易に改めるわけにはいかなくなっております。視聴者のほうでも、大体テレビというものは、娯楽番組であるというふうに受け取っておりますし、NHKの番組を見ても、その大部分は依然として娯楽番組であります。  しかしながら、もうあれから二十年を経過いたしまして、経済的な客観情勢が非常に変わってきている。したがいまして、テレビの番組編成に関しましても、高い見地から何らかの方向転換というものを考えなければならないという事態に来ていることは事実でありますけれども、娯楽本位で二十年近く走ってきたというこの物理的惰性を簡単に変えるということは、実際問題として非常にむずかしい問題ではないかというふうに考えております。したがいまして、こういったような番組編成というのは、少しずつ少しずつ視聴者の目にわからないような形で移っていかなければいけない。またこれは商業放送でありますから、スポンサーがなければ成り立ちません。したがって、スポンサーの要求に対しても、そう拒否反応を示されるようなことのないように、これもまたじわじわと変えていかなければいけないというのが私は実情ではないかと思っております。  世間では急にテレビ番組というものを修身の教科書のように持っていこうというような考え方がありますけれども、修身の教科書に対するところの拒否反応は、今日でも依然として社会にくすぶり続けているというふうに私は考えているわけです。そしてもう一つ、いかにいい番組でありましても、それが視聴者に見られなければ何の効果もない。視聴率ゼロでいかにりっぱな番組を提供いたしましても、視聴者に対するところの影響力もこれまたゼロであります。商業放送におきましては、視聴率ゼロというようなそういう番組にスポンサーがつくということもまた考えられない。こうなってまいりますと、テレビ局もつぶれなければならないということになりまして、当初の目的を全く逸脱してしまうのではないかというふうに私は考えているわけであります。  ただし、二十年前にスタートしました現在の番組編成というものが決してそのままであっていいというふうに考えているわけでありません。これはやはり変えていかなければいけない。ただ変える技術的な問題については非常にむずかしい問題がある。そのちょうどいまそろそろ変えなければならないという時点に立って、これをどう変えていくかということに関して苦慮しているというのがテレビ放送局であり、そしてそれを取り巻くところの視聴者であり、これを批判するところの方々の問題だろうというふうに私は考えております。  いずれにせよ、この問題はそう簡単にはけりがつかないのではないか。やはり二十年間物理的に走ってきたこの番組というものは、今後相当時間をかけて是正するのでなければ、実際問題として是正できないのではないか。番組をよくしろというお話は一応わかります。番組をよくするということは一体どういうことであるか。番組をよくするということ、いいとか悪いとかいうこと、これは主観的な価値判断であります。したがって、人によりいろいろと見方も違うでありましょう。戦前のように、人間意識国家権力によって統一されている場合には、そういったような考え方というものはユニファイできますけれども、今日のように非常に自由なものの考え方、民主主義的なものの考え方のもとにおいて教育もされ、世の中もそうだというところにおきましては、いいとか悪いとかいう価値判断、すなわち価値の尺度そのものが、すでに大きな多様性を持っているのではないか。したがって、一部の人が、これはいい番組だといって御称賛いただきましても、一部の方からは、あんなくだらない番組はないというような御批判も承るというのが私は実情だと思っております。こういう点も勘案いたしまして、これから先どう番組を編成していくかということにつき一ましては、目下非常に苦慮している、そういう状態が現状だ。そういう現状を御認識いただきまして、いろいろ御批判をいただければたいへんけっこうだと思っております。  十分でございますから、ちょうどいま八分半ぐらいでございますからこの辺でひとつ…。(拍手)
  4. 水野清

    ○水野小委員長 ありがとうございました。  次に、泉参考人からお願いをいたします。
  5. 泉毅一

    ○泉参考人 NETテレビの泉でございます。担当業務は編成局と制作局であります。  本日はテレビの番組、特にいわゆる低俗といわれている番組について意見を述べよとのことでございましたが、本逓信委員会の委員長からのこのいただきました正式文書を見ますと、特定の一つの番組だけに限定して意見を求められたのではなくて、もっと広くテレビ番組一般について参考意見を開陳せよという御趣旨であると理解してまいりましたことをまず申し上げておきたいのであります。  特定のある一つの番組について、テレビ局の担当責任者がこういう形で意見を述べることを求められ、それに応じますことには、表現、報道の自由という問題に関する非常に重要なむずかしい問題を含んでいると思うからでございます。ですから特定のある一つの番組についての意見という意味ではなくて、ここで私の意見を申し上げたいというわけでございます。  と申しましても、問題の所在がどこにあるかということは承知して参っておるつもりでございます。番組向上委その他から、テレビ番組におけるいわゆる低俗あるいは俗悪の最近の具体的見本のようにいわれているのが何であるか、そのことはもちろん踏まえた上で、以下私の意見をかいつまんで申し上げたいと思います。  結論から言いますなら、率直にいってNETの番組の中に、民放連の放送基準に抵触しかねないものがなかったとは思っておりません。題名や何かについても、とにかく問題はあったと思います。これは外部からの御批判をいただくまでもなく、NETの考査部、これは御説明も要るまいかと思いますが、放送開始から終了まで、NETの全放送番組をチェックする、局の担当部署でございますが、この考査部がちゃんとチェックをして報告しております。あるいはまた、制作をやっています制作局の局長以下の幹部からも、幾つかの指摘がありました。したがいまして、番組の検討、反省は、基準抵触の事項にとどまらず、番組のでき、ふできにまで広範囲に及んでいるわけでありまして、問題のありますつど、局長以下現場の幹部は、よくないとされたことについて、プロデューサーやあるいはディレクターに厳重に注意して改めさせてまいりました。もちろん外部からの御批判がありますれば、それも謙虚に承って、正すべきは正すことにつとめてまいったつもりであります。最近いろいろいわれています番組についての処置も、全くこのようなことと同様にやってまいりまして、あるいはまだ十分ではないというおしかりはあるかもしれませんが、ある程度の具体的効果はあげていると思っています。つまり局としては、民放連としてきめた放送基準を守ることはもちろん、番組をよりよくしていく努力は絶えずやってきましたし、今後もさらに一生懸命努力していくつもりで、それなりの成果もあげていく自信もあるのでございます。  こう言いますと、たいへんりっぱな覚悟を語り、いつもきれいごとを言うが、どうして問題にされる番組がなくならないのかという反問があろうかと存じます。  私たちは、いま申し上げましたとおり、基準に抵触するような番組の根絶を期して努力はしていくつもりですが、じゃ、絶対にそういう問題番組がなくなるのかといえば、決して私は無責任に投げやりを申すのではありませんが、いろんな形での問題は今後も起こってくると思います。  これは、一つにはテレビ番組という文化財歴史がまだ短いこと、したがって、現場で実際に番組をつくっている担当者の年齢も若い。NET社員の平均年齢は三十歳ですから、人生経験でも、仕事の上でも、まだまだ未熟でございます。ですから、ユーモアやウィットで番組の味つけを豊かにしようと野心的に試みる。それはいいのですが、結果としてそれが単なるくすぐりや、安易なドタバタになってしまうこともなしとはいたしません。また味のある美しいショー番組をつくろうとするのですが、才だけが先走って、ほんとうの力量が不足しているために、密度が荒く、むき出しの露骨さだけがむやみに目立つ。また、パラドックスのおもしろさをねらっても、その洗練度が欠けると、ただの露悪趣味に堕してしまう。  私は、世間でとかくいわれておる番組の多くは、こうした番組づくりの拙劣さに一つの大きな原因があるのではないかと思うのです。もちろん、だからといってこれが言いわけになりますまい。まずいなら一日も早くじょうずにならねばならない。多くの視聴者に満足してもらえるだけの番組をつくるように努力するのがわれわれの責任だと思います。ただ、あえて言わせていただくならば、その拙劣さと若さにこそ未来があるのであって、私たちは失敗をおそれず幾多の試行錯誤をおかしつつも、新しい試みに大胆に取り組み、時勢の移り変わりとともに、新しい価値観にささえられた分野を開拓しつつ、国民大衆の暮らしを豊かにする映像文化をつくり出す努力をしなければならないと思うのであります。既存の価値観だけを尺度としていろいろにいわれることについては、やはりいろいろ問題があろうと私は思います。  次に、言うまでもないことでございますが、テレビは、不特定多数の、それこそ二、三歳の赤ん坊から八十歳の老人までを対象としております。その知的水準、教養の程度はもとより、番組に対する嗜好はさまざまだし、そもそもテレビに何を求め、何を期待しているかの姿勢は、文字どおり十人十色、千差万別といっても過言ではないのであります。浪花節からクラシックの音楽まで、といいますが、ふだんは流行歌の歌謡曲にうつつを抜かしている人でも、年の暮れにだけは、私はべートーベンの第九が、とおっしゃる向きも決して少なくないのであります。番組嗜好のアンケートをとりますと、開き直って、おれはニュースと教養番組しか見ない、と答える人が、その答えは必ずしもうそではございますまいけれども、同時に家庭テレビに費やしておられる大部分の時間を、娯楽時代劇やサスペンスのもの、あるいは気楽な寄席番組や、深夜のおとなだけのときともなれば、いろいろ問題の多いお色けムードの夜のショーでおくつろぎになっているということを省略されている場合が多いのではないでしょうか。  私は、テレビ番組に対する好みについて、開き直った場合の表向きと、実のところの本音にかなりの差のあることをあえてあげつらい、顧みて他ばかりを言うつもりではないのですけれども、ただ、これが大部分の一般視聴者の実態であり、それが並みの市井人、生活者としてあたりまえのことだろうというだけなのであります。そして民放の番組制作も編成も、そういう事実を念頭に置いて考えざるを得ないのはしごく当然だと思う次第でございまして、この点は、ただいまの松本参考人のおっしゃったことと全く同じでございます。  また、これはある大新聞のコラムニストだった私の先輩のことばでございますが、おれは肩のこるテレビ番組はまっぴらだ、うちで見ている間は、文句なしにおもしろくて、済んでしまえば何も残らない、それで一向にかまわない、少なくともテレビが娯楽であるという一面では、気楽に楽しめればそれでいいと思っているよ、というのです。このあたりにも一つの問題があると思われます。ことに夜の十一時にもなっての娯楽番組が、気楽にリラックスして見るおとなのためと考えたものであるならば、どなたかが週刊誌に書いておられるように、あんなに一生懸命に見たのに、といわれるその姿勢、そのきまじめさと初めからかみ合わないのは、しごく当然なことなのであります。しかし、娯楽は娯楽として無条件で楽しめばよろしいというのは、そんなにいけないことなのでございましょうか。常に何か目的意識を持って、何かためになるものでなければ、それを楽しむことは罪悪であるという考え方は、いまの日本価値観の中で、いまの若い世代の中で、はたして通用するのでございましょうか。  そこで、われわれはまことに雑多な、ほんとうに多種多様な視聴者大衆のピラミッドの底辺に広く受け入れられるのはどんな番組であろうかということに、骨身をけずる思いをするわけであります。そして、それがマスコミというものではないのかと考えます。しかし、だからといって、ピラミッドの底辺にいたずらに迎合するのをもって足れりとするのではありません。ただ、ピラミッドの頂上に近いごく少数のエリート教養人を目当てに、書物でいいますならば限定出版教養書や専門書のような番組ばかりでは困るのだということを申し上げたいだけでございます。  もう与えられました時間がだいぶ過ぎかけておりますので、視聴率の問題についてどう考えるか、いわゆる視聴率競争を、番組競争と番組の質の問題についてどう思っておるかなどということについても申し上げたいのでございますけれども、これは一応省きまして、最後に、私がNETの若い現場の諸君とわれわれの今後の課題とすべき大事な心がまえについて最近話し合っていることを御紹介して、私の意見開陳を終わらせていただきたいと思います。  それは、先般この席で、放送批評家の志賀信夫氏もいわれているようですけれども、イギリスのBBCの司会者ロビン・デイの、テレビは虚像しか伝えないというきわめて示唆に富んだ問題の提起についてであります。ロビン・デイの提起した問題点をここで詳しく御紹介するいとまもございませんし、またその場所でもございませんけれども、テレビ番組の送り手としてのわれわれが、ピラミッドの底辺に広く受け入れられることを第一義とする。それはよいとして、そのテレビ番組の与えているものが、はたして事柄の全面的な真実、実像であろうか。いや、ロビン.デイがいっているように、テレビはなまなましい映像によって、それゆえにこそ考え方とか知的な議論よりも、イメージや印象を伝達するのに適した媒体であって、結局一面的な虚像しか伝えないうらみがある。そして何より大事なのは、われわれがテレビ媒体のこの限界を、はっきりと自覚しているということだと思うのです。テレビの視聴者に与えるメリットとデメリットとを分別して、番組づくりにはっきりとした主体性を確立すること、このことが送り手として当面一番考えなければならないことだと思うのであります。  つまりテレビが、ときとしては客観的な現実とかなりかけ離れた虚像をブラウン管の上につくり出しているかもしれない。このメディアのそうした限界をはっきり認識していることから、送り手としてのわれわれの社会責任に対するほんとうの自覚が育っていくのだということ、そしてこういう問題を真剣に論じ合うことこそ、テレビ番組のいわば枝葉の問題である幾つかの試行錯誤に目くじらを立てることよりも一番大事なことだと信ずる次第でございます。  ロビン・デイの示唆していることから結論的に申し上げましたことは、ことばが不十分でおわかりいただけなかったかもしれませんが、要は、テレビというメディアの持つ優点と欠点をよくわきまえて、国民電波をお預りしているものの責任を十分に自覚することを大切に思っている、そういうことだけを最後に繰り返して申し上げて、私の意見の開陳を終わりたいと思います。ありがとうございました。(拍手)
  6. 水野清

    ○水野小委員長 どうもありがとうございました。  次に、吉村参考人にお願いをいたします。
  7. 吉村弘

    ○吉村参考人 吉村でございます。いま松本氏及び泉氏から、総論的と申しますか、それからテレビの番組内容についての哲学的な思考の問題についてお話がございましたが、私、私の考え、わが社の社長高橋の考え、そしてわが社のいわゆる内容の制作態度そのものについて、やや具体的な問題に触れて述べたいと思います。  具体的な問題と申しますのは、私のほうが「23時ショー」、現在NETさんがやっておられますが、そのNETさんと一緒にやっておりました「23時ショー」を去年の十二月に打ち切ったわけなんです。なぜ打ち切ったかということ、これについて当時、十二月の五日、六日、七日と新聞にいろいろと報じられましたが、その新聞の内容についても、いわゆるそこの内容にタッチしておる者でないと非常にニュアンスが間違ってとられているものがあった。これはNETさんにもそのために非常に迷惑をかけたと思いますので、この機会をかりて、その説明と同時にわが社の、また私の番組内容に対する意見を述べたいと思います。  「23時ショー」を去年の四月からネットする前に、私のほう及びNETさんもそうだったのですが、この時間はネットワークタイムではなかった。「23時ショー」をオンエアしましたときもネットワークタイムではなくて、どちらもローカル、ローカルでやっておりましたが、それまでに私どもは三十分番組を十一時台にずっと並べまして、その中には「題名のない音楽会」「百万人のつり」これはNETさん、それから「人に歴史あり」十二チャンネルさん、「ポップヤング」、これは私のほうからという、非常に私のほうとして理想的な編成をやっておりまして、こういう番組の編成をぜひ続けてくれという声が、これは関西で単独にやっておりましたから、関西地区から非常に多かった。だから私たちは、この番組をさらに続けたかった。だからNETさんのほうから、夜のワイドショーをやりたいという御希望がありましたときに、ワイドショーということになりますと、現在のこの番組は続けたい。だからワイドショーをやりたくない。しかし、ネットワークの関係だとかいろいろなことで、ワイドショーをやる場合には、現在すでに夜のワイドショーというのは二つある。だから、そこへもう一つワイドショーをやるということになりますと、非常にエスカレートするおそれがあるので、その点十分に注意してほしいということでやったわけなんですが、やはりその内容について、私たちが考えました意図とは違っておりましたので、このワイドショーを中止するということになったわけです。これも去年の十二月をもって突然一方的に通告をして中止したわけでもなしに、私たちの考え方をいろいろ述べておりまして、その内容の変更についてもいろいろとNETさんとも相談をしたのですが、しかし、これは各局のいろいろな意見がございますし、また番組の制作態度についてもいろいろ主観的な問題、それから基本的な姿勢というものもございますので、やはり相手の基本的な姿勢も尊重しなくてはならない。そうすると無理やりにそういうものを強制してまでわれわれはネットする必要がないので、中止をしまして、とりあえず洋画を流したということであります。  この番組の内容について私たちが一番考えておりましたのは、これは高橋も非常に強調しておったわけなんですけれども、番組の低俗問題ということは一応さておきます。またセックスの問題ということについても一応おきましても、しかし、番組の内容の扱い方というものについて、やはり人間の尊厳ということを頭に入れなくちゃいけない。それから番組の内容の品位ということも考えなくてはいけない。なるほどわれわれはその番組を娯楽番組として、またテレビ媒体というものは、さっきも松本さんがおっしゃったように、国民に娯楽を提供するということも非常に大きなウエートを占めております。だから、その娯楽はどの辺に求められるかということについても、われわれはよくその内容を検討して、単にむずかしい、教養的な番組ばかりで人を退屈さすようなものであってはならない。また、夜の十一時台ということになれば、やはりおのずとその内容についても一つのカテゴリーがございましょう。しかし、その内容について、やはりそこに人権の尊重ということと、それから番組の品位ということを考えなくちゃいけない。これは現在では、もうすでに私たちが中止いたしましてから六カ月以上になりますので、そういうものではございませんが、当時若干そういう点が見られましたし、また当時は、これはなまで、ライブの番組としてやっておりましたので、いっそういうハプニングが起こるかもわからない。だからワイドショーというものを、われわれは十一時台では、時間帯としてとるのはやめよう。そしてそこで一つの新しい行き方をやろうじゃないか。その新しい行き方は、十一時台で楽しんでももらうと同時に、やはり十一時台という一つの静かな時間、これは単に若者ばかりを対象にすべきではない、高年齢者の、十一時台を静かな時間として楽しみたいという人も対象にしたいということで、現在の番組を組んでおるわけなんです。  しかし、私たちがこれを大阪でやめました理由については、これは視聴者から外圧があったんじゃないかとか、それからまた他の方面から外圧があったんじゃないかとかいうような論調なり意見も出ておりますが、決してそういうことではなしに、単にわれわれはこの制作態度ということで一貫してこれをやったわけでありまして、やはり若干そこに不快な感が盛り込まれるということなれば、幾ら娯楽を提供する、またそれを楽しんでおる人があるといっても、これは茶の間に送られる映像でございますからやめたほうがいい、やめたほうが賢明である。われわれは放送に対する自主性を叫んだり、また偏向番組については、これは右寄りまたは左の偏向番組についていつも批判の目を持って、この放送内容について絶えず考えておるわけなんですが、同時にまた、放送の品性というものも、その当時の価値判断、それから良識――良識といいますと非常にばく然たる議論になるわけなんですが、やはり放送人としての良識という立場からこれを検討すればいいではないか。だからこれは、各局によっていろいろその良識の判断も違うでしょう。また各人によって良識の判断も違うでしょう。だから結局、毎日放送としての良識の判断というところで内容を変更するという自由は、われわれにあってもしかるべきである。それで、これについてはこれを継続すべきであるという意見ももちろんございました。しかし、それは私たちが、やはり放送人としてその良識に従って運営はしなくてはならない、また内容を検討していかなくてはならないという信念のもとに、そういう意見は、これは取り上げられません。  それから、セックスの問題ということにも関連いたしますが、私たちは何もセックスの問題が少しでも出たらそれは汚れた番組であると申しておるのでは決してございません。また、こういうセックスは絶対にタブーということでもなし、やはり正しい指導のもとに、正しい扱い方のもとに、テレビを通じてこれを放送していくということも一つの態度でありましょう。しかし、これに対してはたして日本社会がどこまでついていっているか、そういう現在のいわゆる社会常識というものも考慮に入れてこの問題を扱いたい。だから、私たちが現在その番組について放送を中止したということは、何も、内容にセックスが過剰であったとか何だとかというものももちろんありましょうが、やはり私がただいま申し上げましたような、そういうもろもろの意見の総合したものとして私たちはこういう態度でやりたいということで出したわけです。  私たちのこの態度について、種々の批判がございました。あるいは低俗番組と称せられる番組の中には、権力を批判する目があるんじゃないか、だからそういうものを、単に自分のところの放送局の考え方だけでこれを抑圧するのかという意見もございました。しかし私たちは、そこにもしも権力に対する批判という目が、その番組の中にあるならば、あるいはそれをリファインしてもらって、そしてその内容を継続したでありましょう。しかし、そこに権力を批判する目というものよりも、むしろそのほかの弊害が多かった場合は、これは中止したほうがやはり一般視聴者に対する影響というものを考えた場合は、これは良策であろうと信じております。  また、批判の中には、これはこの番組を、いわゆる低俗番組と称せられるもの、これは一般の番組についてでございますが、低俗番組というものに対しての批判をしているのは、あるいは戦前派の五十歳以上のお年寄りじゃないか。若い者はこれを求めている。だからそれを無視して、単にお年寄りの御意見だけでこの低俗論をやるのかという意見もございましたが、しかしこれは、われわれは単に――その低俗論という問題もテレビがやはり大衆性という宿命を持っている、それをただ単に消極的にだけとらえるのではなしに、この大衆というものを積極的な面でとらえていかないと、単に消極的な面だけでテレビの持つ宿命の大衆性をとらえていきますと、やはり低俗または低級という番組に堕するおそれがある。だからわれわれはこの番組の内容を娯楽的に扱ってはいけないとか、またテレビ教育的であるべきだとか、そういうしちむずかしいことを決して申し上げているものではなしに、テレビはやはり娯楽というものも相当のウエートを占めて、そうして健全なる娯楽を与えていかなくてはならない。健全とは何かと、これまたその当時の良識というものについて判断をしなくちゃならないので、これは非常に抽象的な問題になりますので、この論については省かしていただきますが、私たちは、単にこういう種の番組がきらいだとか好きだとかいう、単なる嗜好の問題というのじゃなしに、もう少し根源的な問題にさかのぼってこれを考えたいという意思でいまでも私たちは、――私がこういうきれいごとを並べて、私どもが出している番組がすべてこんなきれいな番組かとおっしゃられますと、それはじくじたるものがありますけれども、やはり一つの信念というものを持って進んでいきたい、こういう考え方でおります。  簡単でございますが……。(拍手)
  8. 水野清

    ○水野小委員長 どうもありがとうございました。  以上で参考人各位の御意見の開陳は終わりました。     ―――――――――――――
  9. 水野清

    ○水野小委員長 質疑の申し出がございますので、順次これを許します。阿部未喜男君。
  10. 阿部未喜男

    ○阿部(未)小委員 参考人の皆さん、御多用のところたいへん恐縮でございます。しかも、意見の開陳をしていただく時間が比較的短くて、意を尽くさなかったのではないかという気もするのでございますけれども、そういうことを十分に理解をしながら二、三点質問をさしていただきたいと思います。  まず、日本テレビ松本さんにお伺いしたいのですけれども、番組のよしあしということを判断するのは非常にむずかしい、とりわけ価値判断というものは何を基準にするのか、きわめて困難な問題であるという御意見でございましたし、私どもも全くそのとおりだろうと思います。ただ、映画の場合にも映倫がございます。したがって、テレビの場合にも、民放の場合にこういう民放連の放送基準というものが設けられておりますが、きわめて困難な価値判断の中、あるいはよしあしを判断をする基準としてこの放送基準というものが設けられておる。まず、この放送基準に抵触をするのかしないのかという判断は一体だれがどこでやるのか、この点をひとつお伺いしたいのでございます。
  11. 松本幸輝久

    松本参考人 われわれの側といたしましては、われわれのほうで番組審議会というような組織を持っておりまして、ここでいろいろ御意見をお伺いいたしましていたします。そのほかに、外部に番組向上委員会というような組織がございまして、ここでいろいろと論議されまして、その結論は一応自主的規制の基準になるというふうに考えております。
  12. 阿部未喜男

    ○阿部(未)小委員 そこで、自主規制が受け入れらるれば、少なくともこの放送基準に違反すると申しましょうか、放送基準をはみ出すような番組は、大体なくなっていかなければならないのではないかという気がいたします。しかし、むしろ逆に、最近の傾向は、放送基準に抵触をするもののほうがふえてきつつあるから、国民の間で、そのことのよしあしは別にして、いろいろな意見が出てくるのではなかろうか。その点で先ほど、従来二十年間のいわゆる娯楽本位としての番組の物理的な経過がある、そういうようなお話がございましたけれども、この二十年の間に、何がいいか何が悪いかは別にして、少なくともいま設けられておる放送基準には抵触をしないような番組になっていくことが常識的な期待ではなかろうか。しかし、逆にこの二十年の間に、娯楽本位の番組がだんだん低俗になって、この基準にさえ触れるように落ち込んできたのではなかろうか、そういう気もするのですが、その点はどうでございましょうか。
  13. 松本幸輝久

    松本参考人 放送基準というものがきわめて私はあいまいだと思うのです。ものをはかるのにはメートル、それから価格をはかるのには円というような、ちゃんした共通の尺度を持っておりますけれども、われわれの放送番組がいいとか悪いとかいうことを判断するところの放送基準というものは、はっきり申しまして、そういったような客観的な妥当性に欠ける面があるのではないか。客観的妥当性に欠けないようにするためには、きわめてあいまいな表現にやっぱりならざるを得ないのじゃないか。そういうところから、共通の尺度を持っていない。その尺度ではかることができないから、私はいろいろ問題が起きてくるのではないかというふうに考えるわけでございます。いい番組、悪い番組と、こう簡単にいいますけれども、それは客観的な価値判断じゃなくて、全く主観的な価値判断でありますから、たいへん問題はむずかしいと思いますけれども、それでもなおかつ、常識ということばで悪ければ、普遍化された知識でものをはかることができるといいのでありますけれども、いまの時世はたいへん複雑多岐にわたっていまして、そういったような常識、普遍化された知識というものが、必ずしもほんとうに普遍化されているのかどうかということもわからないような状態である。明治時代の人、大正時代の人、昭和時代の人、こういうふうに三つに区分されます、こういうふうな人口配分になっておりまして、どの年代の人がどういうものを喜び、どういうものをいいものだというか、他の年代の人がまたそれをどういうふうに考えるかということの中にも非常に大きな食い違いがあるのではないか、ここに一つ大きな問題があるのではないかというふうに私は考えるわけであります。  民放連の放送基準にいたしましても、前には裸体は一切いけないし、そのシルエットもいけないというふうな規定になっておりました。こうなってまいりますと、美術館にありますところの裸体画も映し出すようなことができない。それから週刊雑誌その他で美として取り上げているようなものも取り上げることができない。そういうことに対するところのいろいろ社会的批判がありまして、現在では原則としてというふうな表現にそれが変わっている。それは時代の要請によってやっぱり変わっていく。ちょうど、長さをはかるメートルなどというものは、不変なものでありますけれども、価格をはかるところの貨幣というものは、そのときどきによって変わっていくし、また修正もしなければいけない、と同じように、われわれの放送番組基準についても、やはりそういう点を十分考えて、直すものはほんとうは直していかなければならないのではないか。しかし、直すにしても、なかなかその間に共通の尺度というものがないので直しづらい。しいて言わしていただければ、日本の教育というものが非常に複雑になっている。そのために、そういったような統一概念を生み出すことが、非常にむずかしいというような状況もあるのではないかというふうに考えております。しかしながら、放送基準がちゃんとあるのでありますから、できるだけそれに沿うようにいけるものならばいきたいというふうに考えております。
  14. 阿部未喜男

    ○阿部(未)小委員 大体お考えはわかりました。ただ、そうなってきますと、民放連の放送基準というものも、その意味では私はあまり効果のあるものではないような気がいたします。番組向上委員会にしてみましても、そういうものはあるのはあるけれども、それでは一体番組向上委員会が何をいいものとし、何を悪いものとするかという判断は、いわばないことになってきます。一般的な尺度というものがない限り、それはないということになってくると思います。そうなりますと、あとは一体何を期待したらいいのだろうかという問題が起こってきますし、確かに教養の違い、年代の違い、その他の違いは多々あると思いますけれども、茶の間に飛び込んでくる画像が、少なくとも何%、何十%かの人に嫌悪感を持たせるとか、そういうようなものについてはやっぱり配慮をしなければならないのではないか。ただ私はお話を聞きながら、いい悪いの尺度がわからない、わからなくて一体いい番組というものが考えられるのだろうかという気がします。  そこで、二点目に泉さんにお願いしたいのですけれども、番組をよりよくするように努力をしたいし、正すべきは正していきたい、そういう御意見のように承ったのです。同時にまた、嗜好はさまざまであり、製作にあたっての若干の試行錯誤があってもそれはやむを得ないではないか、そういうようなお話も出てきたのです。ただ、そこでお伺いしたい第一点は、テレビ映画と違って、映画は自分が見たいものを嗜好に応じて見に行けばいいわけです。テレビの場合には、いやでも応でも、そこでチャンネルをひねれば見なければならないという、いわば押しつけられたというと語弊があるかもわかりませんけれども、目の中に飛び込んでくるという仕組みになっております。そうなりますと、押しつけられる番組であるだけに、いま申し上げた嫌悪感を持つようなものが茶の間に飛び込んでくることについては、放送を行なうほうの事業者としては、十分に注意をしなければならないのではないかと考えます。泉さんの御意見では、よくするというお考えではあるようでございますけれども、しかし同時に、何がいいか何が悪いかはわからぬではないかという御意見もあったように承ったのです。そこで泉さんのお考えの中で、番組をよくするという、そのよいとは一体どういうことをお考えになっておられるのか、この点をお伺いしたいわけです。
  15. 泉毅一

    ○泉参考人 いいとか悪いとかいうことを言いますと、いまのように、何がいいか何が悪いかということになると思います。もう少しテレビの編成という点から、具体的に、いまの御質問にお答えになるかどうかわかりませんが、たとえば茶の間にテレビが飛び込んでくるといいます。それから嫌悪感を催させてはいけないということをいいます。たとえば夜の十一時に家族そろって見てだれも嫌悪感を覚えないということが、非常にそれによって影響を受ける子供が、夜の十一時に起きておるということ自体がやはり一つ問題ではないだろうか。だから夜の十一時に、三十歳を中心とするおとなが、一日の勤務を終わって、あしたの仕事を前にして、ではこれから寝ようかというときに、ゆっくりリラックスをして楽しむのには適当であって、別に嫌悪感も及ぼさない。たまたま偶然のことに、そこに小便で起きてきた子供、小学生がおって一緒に見ておって、それが非常にぐあいが悪い、だから子供の手前親は嫌悪感を覚えた、それがいかぬのかというふうな問題になりますので、やはりテレビの編成を考えます場合に、国民の生活時間との相関性において――この問題は、放送基準解釈でもいろいろあろうかと思います。いま松本参考人が言われましたように、前の放送基準よりも現在のところでは、たとえばセックスに関する問題という、放送基準をここに持っておりますが、視聴者に困惑、嫌悪の感じを抱かせないように注意するということでございます。そうすると、やはりいま申しましたように、夜の十一時におとな向けに送るものを、たまたま子供が見ておって嫌悪感を催させたからそれは悪い、それから、その時間に飛び込んでくるものであるから無理無理見せることになるではないか。そこで私はそういうときには、たまたまそういうことがあるならば、親の良識で、子供家庭教育で、スイッチをお切りになったらいいではないか。ある人は、スイッチを切ればいいじゃないかというのは非常に無責任ないい方だといわれますけれども、見るのも自由、見ないのも自由でありまして、そこまでわれわれは強制できないわけでございます。  ただわれわれがいいとか悪いとかいう問題を考えます場合に、その時間帯と国民の生活時間というものをにらみ合わせて、最大限に効果的に――効果という意味は、いい効果という意味でございます、また好ましい効果というものでございますが、そういうものを考えて番組のよしあしを考えるというふうに思います。  それから先ほどの御質問にも関連するのでちょっと申し上げますと、番組のよしあしというか、番組を最終的にきめるのはだれがきめるのかといいますと、これはやはりその局の編成権が――編成権がという言い方驚かしいのですが、編成権というのは会社の経営権の一部であろうと思いますが、最終的にはその会社の社長がきめることであろうと私は思っております。その決定を委託されておるのが編成局長であり、あるいは製作局長であり、それぞれの担当者でございますけれども、もちろんその場合に、番組審議会というものの御意見を伺うし、あるいは番組向上委その他各言論機関その他の批判というものについても、先ほど申し上げましたようにわれわれは謙虚に耳を傾けながら、最終的には自分のところの責任においてきめるというのがほんとうだろうと思います。もちろんその場合にも、放送基準というものはわれわれ自身できめた問題でございますから、われわれがきめたものは守るべきであるというのが私の考えでございます。
  16. 阿部未喜男

    ○阿部(未)小委員 まずその第一点目の、見る見ないはかってじゃないか、チャンネルを消せばいいじゃないかというお話がありましたけれども、これは繰り返しになりますが、日本家族構成、家庭の構成等を考えてみますと、いま大体夜の十一時などというのは、中学校、高校というような子供が一番夜の勉強しておる時間です。ちょっと疲れたからといっておりてきて、親が見ているテレビの前にすわる。これはきわめて常識的でございましょう。その場合に、いまからピンクの映画が、ここに画像が映し出されるということが予測できるならば、チャンネルを消すこともきわめて簡単でございますけれども、だれも、いまからどういう画像が出るのか予測し得ないわけです。だから私は押しつけられるということばを使ったのですけれども、したがって、いやならチャンネルを切りなさいというのは、私はやはりそれは、その意味ではちょっと無責任な気がいたします。それもテレビが五台も六台もあって、それぞれの子供が自分の部屋で好き好きなチャンネルを見られる状況ならば別ですけれども、いまの日本家庭の構造、家族の構成等を考えてみると、それは少しやはり無責任な話になるのではないか、こういう気がするわけですけれども、その点、第一点、どうでしょうか。  それから二点目。この放送基準なり番組向上委員会で、――そこまでおっしゃれば私もお伺いしたいんですけれども、こういうものがあってもなくても意味がないじゃないかという気がするわけです。何がいいか、何が悪いかという価値判断の基準がないのに、何でこの放送基準とか、番組向上とか、何を向上、どういうものが高くなって向上していくのか、どういうものが低俗になっていくのかという基準もなければ価値判断もばらばらである中でこういうものをつくってみても、向上委員会も、審議会も、あるいは放送基準も、一向意味のないものになってくるのではないか、そういう気もするのですが、どうでしょうか。
  17. 泉毅一

    ○泉参考人 第一点の、チャンネル切ればいいじゃないかという、チャンネル切るのはかってじゃないかということばが、非常に私のことばが足りないと思いますけれども、切ればいいじゃないかということを言っているのではなくて、たまたまそういうことがあるときには、その家庭としてのしつけもありましょうし、考え方もありましょうし、その親の考え方で、そういうものを平気で子供と一緒に見るという家庭もないことはないと思います。  これはまあ私のことを、個人のことを申し上げて非常に恐縮でございますけれども、私にも娘がおりまして、その娘が高校生のころに、やはりちょうどよろめきドラマというものが非常にはやった時分でございましたが、その時分に私は平気で娘と一緒に見ておりました。やはりよろめきドラマの非常なベッドシーンがありますと、私はやはり娘の手前、ちょっとてれくさい感じがいたしたことは事実でございました。しかし、まあ私はあえて切らずに娘と一緒に見ておったのでございますが、娘はいち早くおやじのそういう気配を察して、おやじは何だ、てれておるじゃないかといって、私をからかいました。その娘がもう大学を出まして、もう結婚もして、この問二番目の子供を産みまして、きわめて健全な普通の主婦に育っております。私は、それを娘と一緒に見たから、娘がそのために非常に悪くなったとは思いませんし、私は、そのときに娘と、それをきっかけにしてセックスの話もいたしました。これは、決して私個人のことを誘らしげに申すわけではございませんけれども、そう心配したことではないじゃないかというように私は思っております。その意味で、しかしそれはやはり考え方でございますから、そういうものを子供に見せてはいかぬと思ったその瞬間にはお切りになって、そして子供と、これはこういうわけだからおまえは見ないでおこうということも一つの家庭教育ではないかというふうに思います。だから私は、無責任に、切ればいいじゃないかといういい方をしておるのではなくて、その判断は家庭教育の一つとしてお考えになられて、むしろそれを逆に御利用されたらいかがであろうかという意味で申し上げているのでございまして、決して、切ればいいじゃないかということを無責任にいっているわけではございません。  それから第二点の、基準がどうでも、あってもなくてもいいじゃないかということを私は決して申し上げているのではございませんので、先ほどから、最初の意見の開陳のときも、放送基準というものを自分たちできめた以上それを守っていくつもりだし、それに抵触するようなことのないようにしようと思っているし、たまたま誤ってそういう抵触しかねないものがあった場合には、そのつど厳格にたしなめておるということを申し上げたつもりでございますが、ただ、まあ放送基準解釈の問題でそれはいろいろ違うと思います。だから、午後の七時台に出しては困る問題でも、十一時台ならよかろうではないかというふうな、時間帯と生活時間の関連において解釈のしかたは違うものがあり得るということを申し上げるので、基準なんかあってもなくてもいいなどということは毛頭私は考えておりません。むしろ自分たちできめたものは自分たちで守るのがわれわれの態度である。ただし、その基準そのものも時代とともに、時勢とともに変わっていくので、その変わっていくものに対してわれわれはやはり常に敏感でなければならないし、それからある意味では先取りをする冒険もあえてしてみなければならぬのじゃないか。しかしそれが行き過ぎて、いろいろな御批判があり、あるいは局自体でよろしくないと考えた場合には、そのつどそれを正していかなければならない。放送基準の常識的な線に戻らなければならないというふうに思っております。  ついででございますが、昨年の暮れであったと思いますが、民放連の放送基準審議会とそれから番組向上委員会と、性の取り扱いについての懇談をしたことがございました。そのときの結論として、私の記憶している限りにおいて――これは松本さんも御一緒でございましたので覚えていらっしゃると思いますが、そのときの結論としては、性をどういうふうに扱うかという問題について、どこででも通用する基準をつくることは非常にむずかしい、たとえば裸はここまではいいけれどもここまではいかぬとか、それからこういう姿勢はいいけれどもこういうのはいかぬとか、そういうふうに非常にこまかく規定をすることは非常にむずかしいし、事実問題として不可能であろう。ただ、だからといってそのままでいいというわけじゃなくて、ある一つの番組が出てきて、それが問題があるならば、具体的な問題についてそのつどお互いに隔意なく話し合いをしようではないか。そこからおのずから常識的な、いまの時点ではこの辺までで、これ以上はやはり慎まなければいかぬというふうな常識的な結論が出るではないかということになりまして、じゃあ、今後もひとつ向上委員会と民放連の放送基準審議会とはできるだけたびたび会って、そういう問題をお互いに論じ合って、よりいいものにしていく努力をしようという申し合わせをしたことがございます。ただそういう意味で、決して私は、基準はないし何でもいいんだ、あってもなくても同じなどということは毛頭考えておらないということを、ここで重ねて申し上げておきたいと思います。
  18. 阿部未喜男

    ○阿部(未)小委員 私も論争する気はありませんけれども、ただよしあしの判断がつかないのに、これがよい、これが悪いという基準を設けてみたり、あるいは何がいいかわからないのに向上させるといってみても、何が向上か、その目標がないのじゃなかろうか、そういうふうな気がしたわけで、よしあしの判断がつかないものに基準を設けてみたり、向上の目標を設けてみてもどうもしようがないじゃないか、少し暴論になるかもわかりませんけれども、非常にむずかしい問題だと思いますが……。  最後に、毎日の吉村さんにお伺いしますけれども、先ほど松本さんから御意見が出ましたいわゆる視聴率の問題です。いわゆる資本の論理と申しますか、どうしても視聴率の多いものを放送したいという民放の場合には、当然そういうあれがあるわけでございますけれども、十一時なら十一時という時間帯をとって考えてみました場合に、この放送があるからそれを見ようというような人たちと、その十一時という時間が手持ちぶさたな時間であるから何かテレビを見よう、したがって、おもしろい番組――おもしろいといいましょうかね、その時間にこの放送を見たいという人たちと、あるいはその時間があいておって、何でもいい、テレビを見てみようかという人たち、これは一体統計の上からどういう形になってあらわれているものでしょうか。
  19. 吉村弘

    ○吉村参考人 統計的に、私、いますぐにお答えすることはできないのですが、ある時間、いま具体的におっしゃったように、夜の十一時にこの番組を見たいという態度は、私、さっきちょっと最初に申し上げました、私のほうが「23時ショー」をやる前に、これはNETさんのほうも同じ番組編成だと思いますが、三十分番組でこれは週一回の番組だったのですが、たとえば、これは現在もやっておりますが、「題名のない音楽会」だとか、それから「百万人のつり」だとか、いま十二チャンネルさんでもやはりやっていらっしゃいますが、私のほうはもうそれでネットは中止しましたが、「人に歴史あり」だとか、または若者向けの「ポップヤング」だとか、こういう番組になりますと、私はやはりこの番組が好きだから見たい、だから「ポップヤング」だったら、これは視聴率データで、はかってみますと、ほとんどが青少年、若年層で、もう四十歳以上の方はほとんどございません。また、たとえば「題名のない音楽会」ということになると、これはわりあいに青年層から老年層までまんべんなく見られております。視聴率は決して高いとは申しませんが、しかし、こういう番組はやはり嗜好して見られる。だから、われわれとしてはやはり十一時台にはこういう嗜好して見られるような番組がほしいということで、抵抗があったわけなんですが、しかしいまさら、もう一年前にやめたやつを、また再び同じような番組編成――やはりさっきもいろいろと話が出ましたように、人間の嗜好、テレビの傾向というものは日々変わっております。もう半年もたてば、また一年もたてば、そういうものをまた懐古的にやるというんじゃなしに、われわれはもう少し前進していかなくちゃならない。その意味で、現在やはり一応その番組として、ただひまだから見ようというんじゃなしに、洋画のいいのを並べたい。これは、ゴールデンにもたくさん洋画劇場がございます。御承知のように、日曜日に洋画がありますし、土曜日にもございますし、木曜、金曜、このごろほとんど洋画をやっておられるわけでありますが、これは、ゴールデンアワーでやっておられます。ただし、夜の十一時――ゴールデンアワーで見られない人がたくさんある。そのために――やはり映画ということになると、題名で判断して見られる。それともう一つは、ただこれだけではやはり単なる洋画ファンだけの嗜好にとどまるだろうということで、今度金曜日から、ドキュメンタリーとトークを一緒にしたような、いわゆるトーク番組をやっておりますが、これははっきり申しますと、視聴率は大阪で三%か、東京では一・一%のような番組ですが、しかし、これでもやはりこういう嗜好的な番組だと、たとえ一でも、たとえ二でも、これはやはりその番組として価値があると思います。だから、ただひまだから見ようという番組が視聴率が高いよりも、はっきりと嗜好した番組で、そしてこれは視聴率が高いに越したことはございませんが、しかし、それがたとえば非常に低いという場合、〇・幾らだとか非常に低いという場合は、さっきも松本氏から話がありましたように、じゃあ、だれも見ておらない番組を、幾ら局がひとりよがりで出したって、これは意味がないんじゃないかという議論になりますので、やはりそれに対して見させるくふうは必要でしょう。だから、やはりたとえ十一時台といえども、一応番組について嗜好されるような番組を出して、しかもこれは局のもうけ主義以外に、やはり見てもらうということも頭に置いて、その中の内容を改善して、むずかしい番組であろうと、やはりそれをやさしくするというような努力はこれからしていかなくちゃならない。私たちがいま出している番組についても、これはまだまだ努力の必要があるので、まだ放送して端緒についたばかりで、まだ未熟なことは認めておりますが、それについてなるべく努力をしたい、こういうように思っております。だから、統計的に申しましてどうかということは、ちょっといま私答えられません。
  20. 阿部未喜男

    ○阿部(未)小委員 最後にお伺いしておきたいのですけれども、私の質問も悪かったのですが、たとえばそれじゃ十一時に「23時ショー」なかりせば、チャンネルを切るだろうか。端的に申し上げますが、私は幾つかの放送の中で、たまたま「23時ショー」があるから、それをおもしろいだろうというので見るからそこに視聴率が高くなるのであって、それがなくなったとしてもほかのチャンネルで、やはりほかの放送を時間があいておれば見るのではなかろうか。そうしますと、一つの社にとって視聴率が高い低いは問題があったとしても、全体的に見るならば、視聴率そのものはそう変わっていないのではなかろうか、そういうような気がしたのでお伺いしたわけでございますが、もしわかっておればお答え願いたいと思います。
  21. 吉村弘

    ○吉村参考人 それの判断をしますのは、「23時ショー」をやめてあとの番組を出したらどうであったかという答えになると思うのですが、私たちが「23時ショー」をやっておりましたときと比べまして、現在洋画のほうは――いま金曜日にやっております報道番組のほうは、これはまだ出したばかりで、さっき申しましたように三%、非常に低くなっておりますが、洋画の番組は、出しましても、そんなに視聴率は変わっておりません。それは若干下がっております。それは、一〇%も一二%もあったものが、いま七%ないし六%。しかし、十一時台でこれだけの視聴率をとれば、われわれとしては、やはりわれわれが出している価値がある、この番組についてのファンもついておるし、やはりわれわれとしてもこれを変更してまでやった値打ちがあったということを思っております。
  22. 阿部未喜男

    ○阿部(未)小委員 終わります。
  23. 水野清

    ○水野小委員長 次に、中野明君。
  24. 中野明

    ○中野(明)小委員 参考人の皆さん、どうもごくろうでございます。いま阿部委員からいろいろお話がありましたが、私、二、三点にわたりまして御意見をお伺いしたいと存じます。  いまさら私が申し上げるまでもなく、放送、これは限られた電波を割り当てを受けられまして、それによって事業を行なっておられますので、それについての一つの責任と申しますか、大きなワクの中で、お仕事をなさっておるその中で、非常に数々御苦心をなさっておることは私もよく感じる一人でございます。  ただいま当小委員会でも、過日来いろいろと議論をしておりますいわゆる視聴率の問題、これが民間放送にとりましては非常に重要な一つの事業経営のきめ手になっておる関係から、やはり先ほど松本参考人が申されたように、相手が見てくれなければ何にもならぬのだと、こういう考え方は当然出てくると思いますけれども、私が最近感じておりますのは、夜の番組もさることでございますが、朝九時ごろからやっておりますワイドショーといいますか、ああいう番組の中でも、――きょうお三方にお聞きしたいのは、娯楽というものに対する考え方でございますが、娯楽というのは確かに楽しめばよろしい、そういうことには違いないのでしょうけれども、視聴率というものがその背後にある関係で、どうしても興味本位になって、最近のテレビ、どのテレビも一様の傾向に見えますけれども、のぞき見主義と申しますか、いわゆる人がいままであまり他人に向かっていわなかったこと、そういうことを無理にいわせるというのですか、表現をさして、また選ばれてきた人も、そういうことを平気で人の前でいえるような人が当然希望して出てきていると思うのですが、大多数の人から見ればそういう一つの――どう表現したらよろしいですか、そういうことの特に好きな人というのですか、興味を持っておる人、そういう人たちが選ばれてきて、そして画像の中から茶の間へそういう人とのやりとりが飛び込んでくるというところ辺に、私は将来のことを非常に心配しているわけであります。この放送基準にもプライバシーを侵すようなことはしないというふうに一章の人権のところで書かれてあります。ところが、プライバシーを侵すことに娯楽の意味を見つけるというのですか、侵されることに本人も、それを優越感を持っているというのですか、そういう人が出てきてやりとりをされているような番組が非常にふえてきているような気がしてならぬわけであります。これはやはり視聴者に困惑なり嫌悪の感を抱かせることは確かにあるのじゃなかろうか、私はそういう心配をしておるわけでありますが、皆さん方それぞれ自社の番組については、忙しい時間の中からでもごらんになっているとは私も思うわけでありますが、案外自社の番組を、十二分に朝から晩まで見るということはとうてい不可能なことでありますので、問題になった番組だけはごらんになると思いますが、将来にわたりまして、娯楽に対する考え方ですね、楽しませさえしたら何でもいいんだ、こういうお考えは毛頭ないと思いますけれども、視聴率の関係からだんだんエスカレートしてきているのではないか。そうして当然一般常識として、プライバシーの問題にもなりますけれども、本人が、それがプライバシーを侵されたと思わなければそれでかまわぬのだ、そういうふうな見解に立てばこれは話は別でございますけれども、一般の常識から考えまして、当然それはプライバシーを侵しているというふうな質問をあえてして、またそれにあえて答えさして――まあ答えさすというよりも本人が喜んで答えている。そういう人たちが集まって番組の中でいろいろのやりとりをしている。まあ非常に抽象的な話で恐縮なのですが、そういう点について、もしもそういう番組をごらんになったことがおありでしたら、そういういま私が申し上げましたような点に関しまして、娯楽のこれから将来にわたっての考え方、こういう点についての御意見をお持ちでしたらお聞かせいただければと思って申し上げているわけであります。お三方どなたでもけっこうでございます。
  25. 松本幸輝久

    松本参考人 プライバシーを侵すようなあれがあるというようなお話でありましたが、もしそういうことがあるとしたらこれはたいへん申しわけないと思います。プライバシーを侵すようなことのないように十分努力しておるつもりでございますけれども、とにかく相当長時間、しかも毎日流しておりますので、あるいはそういうこともあったのかもしれないと思いますけれども、御注意をいただきましたら、そういうことについては厳に戒めるつもりでおります。ただ新聞、ニュースの場合にこれはいわれていることでございますけれども、犬が人間をかんだのではニュースにならないけれども、人間が犬をかんだらニュースになるというのは、これはボガードの、有名な新聞学上でいつも引用されることばでありますけれども、そういったような面もぼくはやはりあると思います。  それから、いま視聴率の話が出ましたが、私は視聴率万能だと思っておりません。なぜかといいますと、現在日本にはニールセンというアメリカ系の調査機関と、ビデオ・リサーチという純粋に日本機関と二つございます。   〔小委員長退席、内海(英)小委員長代理着席〕  その視聴率が、たとえば一七.八%のところで六%くらい違っていることが間々あるわけなんです。そうすると、視聴率そのものをどこまで信用していいかという問題があるわけでありまして、私は視聴率そのものを絶対的なものとは考えておりませんけれども、やはり電波国民のものであるという以上、国民の嗜好というものを度外視して番組編成することは、これは視聴者に対しても私は忠実でないゆえんではないか。しかもまた、これ商業放送でありますから、視聴率の上がらない番組をつくるということはスポンサーもつきづらいというようなことからも、やはり視聴率というものをどうしても意識しないわけにはいかないというかっこうになっている。しかしながら、われわれの番組というのは、一方において売れて多くの人に見られなければいけないとともに、これはテレビの持っている社会的使命がありまして、不特定多数人に見せるために非常に影響が大きい。そういうことで、われわれは倫理的な問題に関しても考えなければいけない。要するに商業性ということと、視聴者の興味に訴えていくということと、それからそれが社会的にどういう影響を持つかという倫理性の問題というものの接点を求めながら番組編成をしていかなければならないというのが私は現状だと思います。そういう点で非常にいろいろ問題も出てくるのではないか。  それから、先ほど議員さんからお話がありましたように、番組向上委員会とか、そういうものがあっても、価値の尺度を持ってない者がどうのこうのいってもだめではないかというお話がありました。これはまことにそのとおりでありますけれども、われわれはやはり番組審議会とか番組向上委員会というようなところで、何人かの人に、あれは困るではないかということになれば、私ども帰って、いや今度はえらくおこられたから少しは気をつけろというようなことを申しまして、それが自主的な一つの規制になっている。ああいったような審議会なり委員会なりというものは、自主的規制に役立てばそれでいいのではないか。きょうここへ呼ばれまして、まあ少しおこられたようなかっこうになっておりまするが、帰りまして、きょう国会でおこられたぞということになれば、まあ一週間や十日ぐらいは、そこをいかにうまくおこられないような方法で考えていこうではないかという努力が払わられるだろう。それだけでもかなりの影響が実際面では出てくるのではないか。法律によってはっきり客観的な尺度があって、それはいかぬとかいいとかいうことがきめられる問題ならともかくといたしまして、きめられない問題であるとすれば、これはどうしても自主規制でいくよりしかたがないのだ。自主規制でいくということになれば、私どもが国会へ呼ばれて、小さくなって議員さんのお話を拝聴しているのも、番組向上委員会で、あの番組はひどいじゃないかと言っておこられるのも、それはそれぞれの役目を十二分果たしているのではないか、私はこれでいいのではないかという気がするわけです。  裏番組についていろいろ御意見がありましたが、わいせつであるとかないとかいうのは主観的な価値判断の問題でありますけれども、私は表文化に対して裏文化があるという考え方を持っているわけです。裏文化は、まあどっちかといえば、それを見ることによって――相当批判力のある方に見ていただくべきものだ。したがって、これはあまり早い時間にはやってはいけないんだ。しかしながら、裏文化というものを全然見せないということは社会の実情から目をおおわせるものだ。これは私はあまりやるべきことではない。しかしながら、それは影響するところも大きい、子供が見ても困るというのならば、できるだけおそい時間にやって、やはり裏文化も見せていこう、そうして国民に正しい判断ができるような基盤を、おもしろく見せながら与えていくということも私どもの使命ではないか。「11PM」がいろいろ問題になっていた点がありますけれども、ある部分を見た場合には確かに問題になるでありましょうけれども、全体を通してみましたときには、それは社会のルポルタージュであり、それに対する見方、批判というようなものがその中に私は必ず入っていたと思うのです。だからこそ、ああいう番組であってもギャラクシー賞をいただいているのだ。しかし、確かに部分だけ見ればいろいろな問題があると思いますから、そういう点につきましては、今後できるだけ皆さまの御期待にこたえ得るように、いろいろ措置はとりたいと思っておりますけれども、そうだからといいまして、決してポルノをあしたからやめるということではありません。私は、裏文化には裏文化の意義があり、裏文化にはやはり文化的な美がある。それをやはり強調していくような方法でやって、それでなおかつ皆さんの御満足が得られるなら、これが一番大事なことではないか。そういうことに向かって今後努力を続けていきたい、こういうふうに考えております。
  26. 泉毅一

    ○泉参考人 ただいまの御質問でございますが、まず視聴率のことはほんとうはこれは申しますと非常に長くなりますが、ただ視聴率をどう考えるかということについては、実は私も松本さんと同じで、視聴率というものは、ほんとうに一体どこまで信用していいのかということについては非常に疑問がございます。またその調査の方法についてもいろいろ問題があるとは思っております。ただ、これだけはいえることは、これが視聴者の番組に対する好みの大勢を知ることの一つの尺度になる、その限りにおいては役に立つものであるというふうには考えております。だから、視聴率を追うあまり、何でもかんでもそれにさえ上がればいいということにはつながっていかないので、私らとしては視聴者の嗜好というもの、視聴者大衆の嗜好の大勢を知るための一つの尺度という程度には評価をしておりますし、その意味では尊重もしておりますし、大事にもしております。だからといってこれに振り回されることは慎んでいかなければならないというふうに思っております。  それから二番目のプライバシーの問題でございますが、これは私のところの番組にもそういう身の上相談のようなものがございます。こういう席で申し上げるのもどうかと思いますが、全く私個人の好みからいわしていただくならば、決して好きではございません。しかし、それと番組としてこれを取り上げる問題とはおのずから別でございまして、その場合に、まずやはり大事なことは、いまおっしゃいましたように、プライバシーというものは絶対にこれは侵すことのないように気を使わなければならない。あくまでその点は厳格にやらしておるつもりでございます。またやっておるつもりでございます。ただそのことが、ほかの同じような境遇の人たちのために、何らかの意味で役に立つといういい役割りを果たすならば、その意味で続けることに対して私は反対はしておらぬわけです。それは個人の好みの問題と、それとはちょっと違いますが、ただ御質問プライバシーの侵害に対する危惧の問題だけは、これはわれわれは絶対に守らなければならないという基本原則ははずさないつもりでございます。  三番目の、娯楽というものは何と考えておるのかという御質問は、これは非常に答えにくうございまして、御質問も抽象的でございますが、答えるのも結局非常に抽象的なことになります。ただ御趣旨は、娯楽で楽しめればいいからといって、何でもかんでも楽しむのがいいのかという意味で御質問だと思いますので、私は、それはやっぱりいかぬと思います。たとえば非常に異常な興味を持ったのを喜ぶものがいいかといえば、それは決してよくないと思います。だから、そういうことをいいますと、なかなか一言にして定義することはできないのでございますが、ただこれだけはいえると思います。一人一人の生活を豊かにし、それからあすへの生活の活力あるいは人間としての生活力の再生産に役立つようなものが娯楽であろうというふうに、一般的にいえばいえるわけでございます。ただそこで一つだけ注意をしなければならぬことは、これも非常に抽象的ないい方にはなりますけれども、人間性といいますか、ヒューマニティーにマイナスになるような娯楽はいけない、そこに限界があるんではないか。何らかの意味で人間性にプラスになるもの、人々の心を豊かにし多様にしていって、翌日への活力を与えるのに役立つもの、そういうものが娯楽であろうか。答え方としてはこういう非常に抽象的な答え方しかできないわけでございますが、私はそういうふうに考えております。
  27. 吉村弘

    ○吉村参考人 視聴率の問題と、それから娯楽の問題と並列で並べられましたことについては、視聴率に対する意見については、いま御両人がおっしゃったと私全く同意見でございまして、これは全面的に信用すべきものではない。しかしわれわれとして、これは放送局内で制作の一つの尺度にはなる、尺度としてこれを考える面においては弊害はないと思っております。ただ、いまおっしゃったように、考楽とは何か。娯楽がのぞき趣味になる。視聴率を高めることが娯楽番組とくっついて、それが結局内容低下になっていくじゃないか。それから放送会社のほうは、営業主義に左右されて視聴率を高めることに熱中するというような御意見になったかと思いますが、もちろん視聴率を高めるために内容を低下していくということについては、全く私もそういうことはあってはならない。健全なる娯楽といわれますが、健全なとはどんなものだということになりますし、また私もさっきから再三申し上げておりますように、テレビ国民に対して娯楽を与えるということもまた一つの重要な使命だと思っております。だから、むずかしい番組ばかりを並べるのではなしに、そこに放送のバランスをとるためには娯楽番組も必要である。しかし、結局それが視聴率を高めるための内容低下になってはいけない。だから、私、一番最初の発言のときに申しましたように、これは人間の尊厳の問題といいますか、結局は憲法十二条にうたわれている公共の福祉というもの――公共の福祉というと、これも一応抽象的な問題になりますけれども、やはりそのとき、その時期に応じて判断され、そしてそのときの一般の発展段階に照らし合わせた公共の福祉というものが、これはおのずから出てくる問題でありますから、そういうことを一つの基本的なものに置いて、それに一つ一つ具体的なものを当てはめていって、われわれとしては視聴率に左右されて番組の内容が低下しないように努力していきたいと思うのです。   〔内海(英)小委員長代理退席、小委員長着席〕 いま大体内容、たとえばのぞき趣味についての、いわゆる個人プライバシーの問題についての発言もございました。それについても私は同意見がございますが、しかし、それが放送を見ている人に対して参考にはなるといいましても、そこについておのずから限界点はわれわれは十分にこれを考えて個人プライバシーの番組を出していかないと、視聴者全部の参考のために個人を犠牲にしてはいけない。だから、そこの点もわれわれは十分に考えながら、たとえば事プライバシーに関する問題番組については考慮していかなくちゃならないと思います。
  28. 中野明

    ○中野(明)小委員 ただいまお三方からいろいろ御意見を伺いまして、一応放送の番組を流しておられる局側としてそれなりに努力をなさり、そしてまた検討を加えておられる、そういうことにお聞きしまして、一応私なりに評価をするものでございますけれども、常々問題になっておりますように、やはり他の新聞とかあるいは雑誌とか映画とかと違って、いきなり茶の間に飛び込んでくる関係で、それなりに御苦労も多いと私も想像いたします。  それでもう一点だけお尋ねをしたいのですが、これはテレビではなくしてラジオでございますが、ラジオに深夜放送というのが流されております。これはちょうど高校生が受験勉強をしている時間に当たるわけですが、案外深夜放送でたいへんショッキングな放送が流れているということを私どももたびたび聞くわけであります。この点につきまして、もしお三方の中で深夜放送をお聞きになった方がございましたら、御意見をお述べいただければと思います。
  29. 吉村弘

    ○吉村参考人 ラジオを兼営しておりますのは私の局だけでございますので、私から述べさせていただきます。  私も残念ながらそう深夜放送というものを再々聞いたことはございませんが、大学子供、高校生の子供がございますので、その子供につられて耳にしたことはございます。それから現在、いまおっしゃっておりますように、テレビの番組についての批判から今度はラジオの番組についての批判に移りつつある。しかもそれが深夜放送について相当の程度のものがあるんではなかろうかということから、現在問題になっておるこどは確かでございます。ただラジオというものがテレビと違いますのは、現在ラジオというものは、もう大きな音を鳴らしてみんなが聞くものではなしに、ほとんどパーソナルのラジオで、個人個人の嗜好のもとに、個人が静かにイヤホーンを耳にさして聞いているということで、いわゆるかけっぱなし、鳴りっぱなしということが、テレビのようなことと視聴態度がだいぶ違ってきておりますので、その点いままでは問題にならなかったのであろうかと思うのです。しかし、それに甘えて、ただ個人を対象にといっても、では一体だれが聞いているかという問題になりますから、この点についても、やはり今後ラジオの深夜番組についての問題点も慎重にわれわれとしては考えていかなくちゃならないということで、目下それについての検討をいたしております。
  30. 中野明

    ○中野(明)小委員 きょうも新聞に載っておりましたように、最近は特にショッキングな事件が続発いたしておりまして、けさも何か十歳の子供が二歳の子供を殺してしまったとか、こういうことはわれわれいままで聞いたことも見たこともなかったわけであります。こういう事件も出てきているようなことで、私たちも社会教育といいますか、幼児教育といいますか、そういう面についても非常に先を憂えるわけであります。また今度のイスラエルのような問題にいたしましてもそのとおりでありまして、世の中がまさに殺伐としてきているような感じもいたしますので、そういう意味からいきまして、テレビの果たす役割りというのは、これまたますます重要性を帯びてくるように考える一人であります。きょうお忙しいところをおいでいただきまして貴重な御意見をお述べいただいたわけでありますが、御意見の中にもございましたように、テレビの持っている社会的な使命、そしてまた裏文化ということについてのお考え、これも私は賛成する一人でございます。ただ申し上げましたように、いわゆる茶の間にいきなり飛び込んでくるというところからいろいろと批判が出ている面は確かにございますので、その辺をよりよく御検討されまして、本来の使命に邁進されることを特にお願いいたしまして、私の質問を終わりたいと思います。たいへん御苦労さまでございました。
  31. 水野清

    ○水野小委員長 樋上新一君。
  32. 樋上新一

    ○樋上小委員 参考人の方々、たいへん御苦労さんでございます。長時間ありがとうございます。私も二問ほど質問をいたしたいと思うのでございますが、前お二人の方々から、理論的また基本的な問題についていろいろなお話がありましたので、重複を避けまして、私は特に週刊誌などで問題になっている点を取り上げまして、それに対する御感想をどなたでもけっこうでございますので、ひとつお願いいたしたい、こう思うのでございます。  最近の番組につきましては、いろいろな点において考えられておりますし、また視聴率という点も相当考えておられるのです。いまは情報化時代の最も重要な時期でございます。したがいまして、新しい番組がいろいろ出ておる中で、ある週刊誌に取り上げました一の問題につきまして、私もこれはどうかなと考えましたものです。  「“バッタ屋”になりさがった?テレビ局」という見出しで、「この苦しまぎれの“テレビ離れ”対策」、こういうのが出ておったのですが、これは「フジテレビが「リビング番組」を始めて以来、民放各局はこの種の“商品安売り”番組を、四月の新編成で一斉に取入れ、目下はテレビバーゲン合戦といったところ。この新しい傾向の番組を「生活情報番組」、あるいは「テレショップ」とか申します。」こういうのですが、ずっと一わたり見ますと、「四月十九日午前十一時の第七スタジオ。四十五分間のナマ番組「リビング11――暮らしを豊かに」の本番である。まずは、”大評判”テレショップの店開き。本日のお買得品は、クリスタルガラスパンチボール、オンザロック・セット。それにソーダサイホン。スタジオの一角に、ホームバーが作られていて、商品リポーターが司会者に使用法や効能を説明する。サイホンでいれたコーヒーを飲みながら、「ホームパーティーには欠かせない品ばっかりですね」とのたまう。グラスを片手にカメラに向ってニッコリ。「さあ、申込みのお電話をお待ちしています。」こういったテレビショップというような問題は、はたしていいか悪いか、どういう構想でこれが考え出されたのかということに、どなたでもけっこうでございますからひとつ御回答願いたいと思います。
  33. 松本幸輝久

    松本参考人 その番組は私どもの番組でございませんので責任もってお答えするわけにいきませんが、大体こういったような番組が出てまいりましたということは、この情報化時代に、その情報化をひとつ家庭の中にまで持ち込んでみよう、そうすることがこの情報化に非常に対応するゆえんであるということが一点。  もう一つは、物価が上昇し続けているおりから、できるだけ安いものを視聴者に提供できるようなことを考えよう、そうすることによって、一般の上がっていくところの物価を、若干でも押えることができればたいへんお役に立つのではないか、こういうねらいからこの種の番組が発想されたと思っております。私どもでも若干ないわけではございませんけれども、もしもそういったような役割りが一応果たせた暁には、当然この番組は消えていっていいものではないかというふうに私は考えております。  蛇足でありますけれども、経済成長率、実質で年率五ないし六%で走るようになれば物価はおのずから安定するというのが通説でありましたが、必ずしも現在ではそうなっておりませんので、ある時期まで、そういった意味でもやはりこの番組はあったほうがいいのではないかというふうに考えております。要するに、過渡的な段階におけるところの過渡的な番組だというふうに私は解釈をいたしております。
  34. 樋上新一

    ○樋上小委員 ある人は、これは「なんのことはない。総CM番組ではないか」「これじゃ、まるで安売りの“バッタ屋”だ。公器としてのテレビはどこへ行った」かというぐあいの批判もありますし、また一方、民放でただ一局、全国ネットを使って生活情報番組と取り組んでいるNETの編成部長は、「うちでは、午前八時半からの「奈良モーニングショー」で、週一回、金曜日にバーゲンをやってます。私どもの方針は、物価値上げ反対のキャンペーンだけでなく、流通機構も打破していきたいと考えているんです」と非常に鼻息が荒いのです。この問題についていろいろ言い分もあるでしょうけれども、評論家は、「いま放映しているテレビバーゲンは、正しい生活情報番組とはいえませんね。次元の低い流通機構に目をつけたのが、そもそもの誤りだ。報道という基本姿勢は、絶対にくずしてはいけません」といっていますし、一方郵政省電波監理局は「法には触れませんしね、地域へのサービスという趣旨は評価できます。だが、電波の正しい使い方かどうかは、疑問ですね」、こう述べておりますが、この点についての御見解はどうでしょう。
  35. 泉毅一

    ○泉参考人 先ほどの御質問のテレショップ番組といわれるのは、松本さんがおっしゃいましたように、これはフジテレビさんがやっていらっしゃる番組でございますので、この問題について、私はフジテレビの番組をとやかく言う資格もありませんし、知りもいたしませんけれども、ただ、そういう種類の番組一般についてどう考えるかという問題が一つあろうかと思います。  それから第二段目にいわれました全国ネットでそういう種類の番組を流しているのが一つだけあって、その編成部長が非常に鼻息が荒いというのは、あれは私のところの編成部長の話でございますが、あの週刊誌に出ました話は、ああいう趣旨でいっているのではないのだそうでございます。だけれども、いまさらここでそういうことをいわなかった、いったといってみたって、それは水かけ論みたいなものでございますが、だから、この二つの点について申し上げますと、最初に私のところの番組である「奈良モーニングショー」でやっています週一回の週末バーゲンセールというのは、商品を自分のほうが売るわけではなくて、こういう便利な品物があって、こういうふうに安く売るといっておりますので、御希望の方はどうぞということで、これは私はある種の生活情報番組の一つの形であろうと思います。それは別にその商品の宣伝を意識的にしているわけではなくて、むしろ重点は、新しい製品あるいは便利のいい製品を広く見つけ出してそれを紹介をして、なるべく安く手に入る仲立ちをしてやる、そういう意味においては生活に役に立つ性質のものであろうというふうに思うわけでございます。ですから私は、「奈良モーニングショー」でやっております週末バーゲンセールというのは、そういう意味で、電波の使い方としても、決して間違った使い方ではないというふうに思っております。ただ、それがエスカレートしていって、単なる商品の宣伝のための宣伝というような形、宣伝のために売るというようなことに、かりに、もしなったとすれば、それはやはりその時点では問題があろうかと思います。私たちが品物を選ぶのは、あくまで視聴者に便利な、しかも安いものを自分たちで見つけてやって、こういうものがありますが、いかがですかということだというふうに解釈をいたします。  それから、話は前後いたしましたが、第一点のいわゆるテレショップ番組ということでございますが、これについてはまだ民放連でもいろいろ議論しておりますが、統一された結論は出しておりません。ですから、これがいいとか悪いとかということをここで私は申し上げるわけにはいきませんけれども、これまた私個人の考えを御参考までに述べさしていただきますならば、やはり最初に考えられたのは、テレビというメディアを使って生活に必要な品物を見つけ出してこれを知らせてやろうというところに問題の発想があったと思います。つまり、あくまで生活情報番組であろうと思います。  たとえば、ゴールデンウィークやお休みが続きますときに、レジャー情報というのを流します。たとえば日光なら日光といたしましょうか。日光には宿屋はこれぐらいあいておりますとか、それに行くにはこの道とこの道があって、ここで昼めしを食うと都合がいいですとか、まあかりにレジャーに役立つような情報を流すといたします。それはコマーシャルなのかどうなのかという、ここにまた一つ問題があると思います。  それから、たとえばこれはラジオでございますが、最近あるラジオ局でそういう意味の生活情報番組というようなのを、始めたか、始めるということでございますが、たとえば、横浜の伊勢佐木町の何とかいうてんぷら屋は、こういうところが非常にお得意で、非常にうまい、価格も安い、だから今度ついでがあったらぜひ行って食べてごらんなさいというかりに情報を流したといたします、その番組の中で。そういうことを考えておるようでございます。やったかどうか、私は知りませんけれども、そういう計画だという話です。そのときに議論になりましたのは、それは一体コマーシャルなのかどうなのか。そういうことはやらぬと思いますが、かりにNHKがそれをやりましたら、横浜市、ぐらいはいうかもわかりませんけれども、伊勢佐木町の、ましてや何という店なんというのは、絶対にいわぬと思います。しかし、生活情報番組に必要なのは、伊勢佐木町のどこどこへ行って、何というてんぷら屋で食えば、ここは安くて、こういうところに主人のお得意があって、非常にうまいんです、いつごろ行けばすいておるんです、――これはやはり、行っててんぷらでも食おうかなと思う人には役に立つわけですよ。そこで問題になるのは、じゃ、おまえさんとこのてんぷら屋を紹介してやるから、おまえ、そのために銭を出せといって対価をとった場合に、これがコマーシャルになるか、どうなのか。じゃ、対価をとらないけれども、生活に必要なる情報であるから、具体的な名前を述べてやってやろう。それは局がこれは必要であると判断をした場合ですね、番組の内容として。つまり、視聴者にとって役に立つと判断をした場合に、それが結果としてコマーシャルになるにしても、ならないにしても、局が判断をした場合にはそれは一体どうなのか。私は、テレショップ番組といわれるものの中にもこういう要素があると思います。  ただ、ここで考えなければならぬ問題は、たとえば百貨店法との関係がどうなるのだとか、あるいは、テレビという強力なメディアを使って流通機構に混乱を招来するのではないか、あるいはテレビ局が、ある意味においては日本の流通機構の上に経済的基盤を置いておる民放局が、その流通機構をかき乱すようなことをやったら、自分で自分の墓穴を掘ることになるじゃないかという議論もございます。それから、放送法の上ではどうなるかという問題もございましょう。それから、定価はこうだけれども、これだけ安く売りますということは、これは独禁法の問題公取の問題にもあるいはなろうかと思います。  これはいろいろなことで問題はあるわけでございますが、ただわれわれとしては、つまりテレビの関係者として考えなければならぬ問題は、いま御指摘がございましたように、オールコマーシャル番組というものはどうなんだということは、これは放送法との関連において、われわれははっきりした見解を持っていなければならない。そうしますと、コマーシャルとは何であるかということになりますと、もともとテレビラジオは、民放が始まりました当初は、コマーシャルというのは不必要なもの、いやなもの、これはできるだけ拒否したいものだけれども、しょうがない、銭を出すからコマーシャルを入れよう、こういう思想でいまのコマーシャル時間に対する規制というものが始まったと思います。しかし、二十年たちまして、コマーシャルというものが国民の生活の中にいまのような形で浸透してきた場合に、はたして当初に考えたように、コマーシャルというものを機械的に、必要悪として、拒否すべきものとして一がいに考えてしまっていいんだろうかどうか。これはやはり先ほどてんぷら屋の例で申しましたように、情報化社会における生活に必要な情報であって、それが具体的な名前とその特徴を言わなければ意味のない情報であった場合に、それはコマーシャルかどうかという問題が出てくると思います。その辺は、決して民放連としてもあるいはNETとしても、統一見解を出したり結論を出したわけではございませんで、まだその問題についてはいろいろと検討しておる最中でございますが、そういうふうな民放が始まって二十年のいろいろな意味での現実的なものに対する考え方の変化を踏まえて、そして国民の生活に役に立つものをどういう形で流してやるか、それに少しでもテレビメディアあるいは電波メディアが役に立つことは、これは決して一がいに排撃をすべきことではないのではないか。それにはしかし、ある種の制約もあるだろうし、ここまではいいけれども、ここから先になるとひどいじゃないかということもあり得るだろうし、それはやはり制約がなければならぬ。野放しでいいとは言えませんけれども、ただ、考え方としては、そういう意味で、フジテレビさんが初めてお始めになった問題は、テレビメディアが今日に至りましたことの一つの新しい試みである。そこからもし弊害が出るならば、弊害をためながら役に立つものに育てていくようにわれわれは考えるべきではないか。これはあくまで私個人の考えでございますが、私はそういうふうに思っております。
  36. 樋上新一

    ○樋上小委員 いまお話が出ましたてんぷら屋がどこにどうあって、そこは安いのでいいんだというのも私は見ました。これは電話番号から全部出ておりますので、CMかなと思っておったら、あとで、私の家はこういう名物をこういうぐあいに料理をしておりますというお方がありましたら、どんどん放送局のほうへ申し込んでくださいというアナウンスがつくので、これは自分の自慢の商品をこうやっているんだということを局へ申し込めば、局側がそれを選定するときにどうするか、こういう問題ですね。それが同じフグの料理ならフグの料理がたくさん出てきた、また焼き鳥なら焼き鳥がたくさん出てきた中で、どの業種を選ぶかというところに、局とその商売人との何かそこにCM的なものが働きかけがあって、金銭的に多くそれを出したところが選ばれるのじゃないか、こういうような心配が私は一つあるのです。そういう場合はよほど公正にそれを取り上げていかなければならないと思います。もちろんCMでないのですから、そういう名物を紹介するという点から、これを選ぶのには相当局も厳格さをもっていかなければならないと私は思うのでございます。  これは私の意見でございますが、いま申されました、より物価がこういう様相をしておるときに、いろいろな問題でこういうバーゲン的なことをやる、情報社会におけるところの新しい試みであって、奥さん方に対する親切という点もあるのですけれども、それじゃ、それを全部喜んでおるかといいますと、またその反面、日本消費者連盟には、不良品を売られて、その買ったものを、手でさわってみるのじゃありませんから、テレビテレビ局を信用してその商品を買った。ところが、その商品は非常に不良であった。それを今度は電話で局側へ申し入れても、ナシのつぶてで返事がない。いわゆる局を信用し、商品を信用したんだけれども、実際手にさわってみることができなかったという一つのうらみがあるという点もまた語られておりますし、また三十万円もの宝石やそういうものを、電話一本でぽんぽん買いつけていく人もある、局側においてはウーマンリブの時世だなあと中年ディレクターが言っておったというようなこともありますので、こういった点を考えますと、あながち――それが世の奥さん方のためにという局側の見方が、逆にこういった不足があって、ナシのつぶてであって、局の信用を落としてしまうことになりはしないだろうか、こういう点、いかがでございましょう。
  37. 松本幸輝久

    松本参考人 現在まだ寡聞にして、そういう非難を直接私聞いておらないのです。それから放送局そのものがその品物を売るということは、私どもではやっておりません。私どもでは、直接の売り買いはその先でやっていただく、番組で物を見せて紹介するという限度にとどめるというやり方をやっているわけでございます。したがいまして、一々私どもでそれを商売するということになれば、現物を見せてということになりますけれども、それではもう放送局の役割りではない。要するに、品物を紹介する、それが非常に安いということで、直接お申し込みになって買っていただく、テレビでそのあっせんの労をとる、それも具体的なあっせんではなくて、ある意味では非常に客観的なあっせんにとどまっている、それが情報化社会におけるところの一つの家庭サービスというふうなものだというふうな受け取り方をいたしております。現在のところでは、直接そういうことを私聞いておりません。あるいはディレクターあたりのところへ入ってきているかもしれません。それは追って調べてみますけれども、いまのところ私の知っている限りではそれは入っておりません。
  38. 樋上新一

    ○樋上委員 もう一問お伺いして終わりたいと思うのです。  これも私、この番組を見のがしたので、たいがいよく見ているのですけれども、午前九時半から十一時までですから一番私たちの忙しいときだから、晩でしたら見ているのですけれども、午前九時半から十一時の中の六分間であったという番組でございます。これはお三人さん方もごらんになっておられるかごらんにならないかは存じませんけれども、ちょっと私も見ておりませんので、これを読ましていただきます。  「夫に妻のレズを見せたハレンチ番組」という見出しがございます。「素人の奥さんのレズ・シーンが、朝のテレビに映り、好奇心の強い奥様までもドキットさせられた番組があった。五月十日、NTVの「あなたのワイドショー」(九時半-十一時)は、六分間ではあったが、からみ合う二人の女体を丹念に映し出した。これだけなら「朝っぱらからなんです!」ですむが、そのために一人の男が、天下に恥をさらしてしまった。台本により順を追って説明すると、「女に妻を奪われた男」というタイトルで、まず画面は、サラシをほど男装の麗人に「女」を大うつし」にし、そして、「男の坐っているところへ、司会のはかま満緒氏、徳光アナが入り、タイトル、男の正面アップ。徳光アナが、指定どおり極めて事務的に、氏名、年齢、現住所職業をたずね、「きょう、ここへ来たわけ」を聞く。「妻が家出して帰らないから、みなさんの力を借りたい」と秋山氏が答えると、「男の悩みを分かちあえる相談役」のはかま氏が、親切そうに質問する。そして、秋山夫人がある女性と同居していることがつかめると、「じつは、私どもは、奥様のお住まいをたずね、現在の生活をフィルムに撮らせていただきました」」と徳光アナが言い、問題のレズ・シーンが映る。「まさか妻のレズ・シーンを見せつけられるとは思いもよらない秋山氏はギヨッとして、ハラハラと涙をこぼし、堪え切れぬように席を立ったが、これは台本になかったので、スタッフ一同大慌てだった。」局へはどんどん電話がかかって、「秋山氏が、自殺したらどうするといった批判の電話が四、五十本あった」と担当の横江川欣也氏はいう。「だが、テレビ局のいい分によると「彼(秋山氏)に離婚のきっかけをつくり、新しい生き方をしてもらおうと企画したのです」所詮は、他人の秘密を覗いた番組ではありませんか。」こういうぐあいに結論をされておるのですが、もしこういうテレビを皆さん方がごらんになったときに、自分の妻が、私たちもこういうテレビを見たときに、ほんとうにどういう気持ちになるか、はたしてこういうものを見せてどれだけの効果があったか。世の中によくいわれておりますように、悪貨は良貨を駆逐するというぐあいにいわれておりますが、私は聴視率が高いから、それに甘えていってはならないと思うのです。やがてこういうものは追放されて、よき番組が悪貨を駆逐する時代が早晩来るのではなかろうか。局側としては視聴率が高いからそういった番組をやるというように甘えているのではなかろうかという気持ちもするのですが、皆さま方この問題についてお一人ずつ簡単に御感想をお聞かせいただきたいと思います。
  39. 松本幸輝久

    松本参考人 いま聞いておりますと、私どもの番組のようでございますが、私も議員同様見ておりません。ビデオどりしてあるのかどうかわかりませんので、もしビデオどりしてあれば見てみたいと思います。ただ、週刊誌にそういうふうに出ていたというだけではちょっとごあいさつのいたし方がないので、役人ではございませんけれども、十分慎重に調査いたしまして、また機会があったらあらためてお答えをさしていただきたいと思います。
  40. 泉毅一

    ○泉参考人 当の局の担当責任者がわからないので、私も見ておりませんし、いま話も初めて伺いまして、とっさにどう思うかと言われましても答えようもありませんし、批評のしようもございませんから、何も申し上げることはできないということしかございませんが、ただ、もしもお話しのとおりでありますれば、すでに先ほどから、私はそういう問題に対する私の意見あるいはNETの意見というものは申し上げたつもりでございますので、それでひとつ御了承をいただきたいと思います。
  41. 吉村弘

    ○吉村参考人 いまおっしゃったあれは、週刊誌で私も見ましたが、実際に私はその番組を見ておりませんので、はたして週刊誌で書いておることがどこまで真実であるかどうかということは存じませんが、もしそういうような番組でありましたら、私も最初から申し上げましたように、やはり人間の尊厳というもの、それから公共の福祉というものから見て、そういう番組についてはやはりこれは局側が自粛しなくてはならない、これは当然と思います。
  42. 水野清

    ○水野小委員長 この際、参考人各位に一言お礼を申し上げます。  本日は、長時間にわたりまして貴重な御意見を承り、まことにありがとうございました。本問題調査の参考に資するところ大なるものがあったと存じます。委員会代表いたしまして厚くお礼を申し上げます。  ところで、私、小委員長でございますが、先ほど来お三方の御意見その他を承っておりましたが、私から小委員会代表してということで少し考え方を申し上げさしていただきます。  これは、概念的なことでございますが、戦後われわれの持ったテレビ文化、映像文化というものは、当初テレビの始まったころ考えていたものよりきわめて大きな社会的な影響を持っているということは、お三方もお話の中でお認めになっていらっしゃることでございます。むしろ、私どもの世代からいいますと、新聞や本を読んでそこからものを摂取してきた、いわゆる読む文化から、現在は安全に見るほうの文化に押し流されてしまったというのが私は現状であろうと思うのであります。テレビジョンというものは、最初はきわめて便利な娯楽、教養のメディアであったのでございますが、だんだんと現代の文明を振り回しておりまして、俗なことばでいうと、怪獣のように大きくふくれ上がって、あらゆる社会現象を振り回しているのじゃないかというふうに感じることが非常に多いのでございます。たとえば最近の若い人たちの犯罪を見ておりますと、何かテレビのアクションものを思わせるような傾向が出てまいります。これがテレビだけの責任とは申し上げられませんが、そういう気がするのでございます。最近のイスラエル空港事件にしましても、先ほど中野委員のお話にありましたように、十歳の子供が二歳の子供を殺したとかこの前も新聞に伝えられおりましたが、子供同士の何か殺し合いのときの事件というのもございましたが、こういうものを見ていても、何かテレビの残酷な番組の反映じゃないかという気がするわけでございます。あるいは最近の若い人たちがおかしな流行語を使っております。われわれにもわからないようなことばがこつ然とはやってまいりますが、テレビを見ていると、テレビの司会者とか俳優たちがこれを使っております。この点についても、美しい日本語がおかしな流行語で破壊されていくのを見るのは私は非常に残念でございます。私どもは、今日ともすれば振り回されかねない映像文化というものを、決してこれはテレビ局だけに申し上げるわけじゃございませんので、郵政省も、国会も、むしろテレビを見る国民全体がひとつ原点に立ち戻って考え直さなけばばならないときがきているのじゃないか、こう思っているわけでございます。  当委員会は、こういう意味で低俗番組というものを――低俗番組は決して風俗的なものだけじゃございませんので、たとえば「トリスを飲んでハワイへ行こう」という式の射幸心をあおるような番組もそうでございます。暴力番組もそうでございますが、こういうものを取り上げまして各方面に考えていただく、決して編成権に介入してどうのこうのということじゃなくて、積極的に考えていただいて、でき得れば放送界の中でみずから、現在も放送基準というものを持っていらっしゃいますが、さらに先ほど来お話もございましたが、もう少し明確なみずからの歯どめをつくっていただいて、正しい――何が正しいかということも非常にむずかしいことでございますが、映像文化というものを打ち立てていただきたいということをお願いしたいわけでございます。  たいへん口幅ったいことを申し上げましたが、本日お忙しいところを長時間、こうしてわれわれのために時間をさいていただきましてまことにありがとうございました。心からお礼を申し上げます。  本日はこれにて散会いたします。    午後零時五十三分散会