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1998-04-16 第142回国会 参議院 文教・科学委員会 15号 公式Web版

  1. 平成十年四月十六日(木曜日)    午前十時開会     ―――――――――――――    委員の異動  四月十六日     辞任         補欠選任      本岡 昭次君     久保  亘君      上山 和人君     瀬谷 英行君     ―――――――――――――   出席者は左のとおり。     委員長         大島 慶久君     理 事                 小野 清子君                 北岡 秀二君                 馳   浩君                 小林  元君                 松 あきら君     委 員                 井上  裕君                 世耕 政隆君                 田沢 智治君                 野沢 太三君                 長谷川道郎君                 江本 孟紀君                 萱野  茂君                 久保  亘君                 本岡 昭次君                 山本  保君                日下部禧代子君                 瀬谷 英行君                 阿部 幸代君                 扇  千景君    国務大臣        文 部 大 臣  町村 信孝君        国 務 大 臣        (科学技術庁長        官)       谷垣 禎一君    政府委員        科学技術庁長官        官房長      沖村 憲樹君        科学技術庁研究        開発局長     青江  茂君        文部大臣官房長  小野 元之君        文部大臣官房総        務審議官     高  為重君        文部省初等中等        教育局長     辻村 哲夫君        文部省教育助成        局長       御手洗 康君        文部省高等教育        局長       佐々木正峰君        文部省体育局長  工藤 智規君        文化庁次長    遠藤 昭雄君    事務局側       常任委員会専門       員         巻端 俊兒君     ―――――――――――――   本日の会議に付した案件 ○教育職員免許法の一部を改正する法律案(内閣  提出) ○宇宙開発事業団法の一部を改正する法律案(内  閣提出)     ―――――――――――――
  2. 大島慶久

    ○委員長(大島慶久君) ただいまから文教・科学委員会を開会いたします。  教育職員免許法の一部を改正する法律案を議題とし、質疑を行います。  質疑のある方は順次御発言願います。
  3. 馳浩

    ○馳浩君 おはようございます。自由民主党の馳浩です。  今回の審議は、教育職員免許法の一部改正の審議でありますが、具体的検討に入る前に、教員の定数問題について大臣に質問させていただきたいと思います。  平成五年一月発表の教職員定数の在り方に関する調査研究協力者会議報告によりますと、今後の教職員配置のあり方について、「これからの教育においては、児童生徒一人一人の可能性を伸ばすことをその根底に据え、」、いわゆる生きる力の育成を主眼に「児童生徒一人一人の自己実現に役立つよう」にすべきと提言し、この報告書のキーワードでもある「個に応じた多様な教育の展開」を説いています。そして、この個に応じた多様な教育を展開するためには、個別指導、チームティーチング等の新しい指導方法を積極的に実施できる教職員配置をする必要があるとし、三十人学級の必要性を退けつつ、一方で、現在の教職員配置では、このような指導を常態として導入することは困難であり、新たに必要な教職員が配置されなければならないとしております。  この報告を受けて、平成五年度から十年度までの第六次公立義務教育諸学校教職員配置改善計画ができております。しかし、この六次計画が御承知のように二年間延長され、平成十二年度までになりました。つまり、平成五年から九年までは平均で五千人前後教員の加配ができたのに、平成十年度では一千六十七名であり、残り二年も合計で三千七百十五人しかふえないことになっております。  そこで大臣にお伺いしたいのは、この六次計画の二年延長は、理由はどうであれ、今私が指摘いたしました平成五年の報告書の意図、すなわち個に応じた多様な教育の展開を十分満たすことにはならないと思いますが、いかがでしょうか。
  4. 町村信孝

    国務大臣町村信孝君) 今、馳委員御指摘の点でございますが、私どもといたしましては、当初、平成十年度完成ということを目指して各年それに向けて努力をしてまいったところでございます。御承知のように、昨年の十二月成立をいたしました財政構造改革法という形で、現下の極めて厳しい財政事情に対応するために政府全体でこうした財政の厳しさに対応する措置をそれぞれ講じていこうということになったのは、委員御承知のとおりでございます。  したがいまして、今御指摘のありました平成五年一月の教職員定数の在り方に関する調査研究協力者会議の最終報告を踏まえまして現在の第六次の改善計画が出されているわけでございますから、最終的には平成十二年度末でこれを完成し、個に応じた多様な教育を展開するという目標は達成できるわけでございますが、そのペースが二年間遅くなったという意味では、率直にその御指摘はそのとおりであると言わざるを得ないと思っております。いずれにいたしましても、平成十二年度末までにはしっかりとこの計画を達成していきたい、かように考えているところであります。
  5. 馳浩

    ○馳浩君 財政構造改革法の重要性は私も理解しているつもりでありますが、財政負担を減少させる効果が低く、逆にそれによって失う結果が大きければ、これは政策転換を図るべきだと私は思います。  そこで文部省にお聞きいたしますが、この配置計画を二年延長することでどのくらい国の財政負担が減少するのでしょうか。
  6. 御手洗康

    政府委員(御手洗康君) 御指摘の平成十年度の教職員配置の定数改善計画は千六十七人を予定しているところでございます。当初の六年計画では、六年計画の最終年度ということで四千七百八十一人を改善するところでございましたので、その差、三千七百十五人分が繰り延べになったということでございます。これは、現在、本年度予算の義務教育国庫負担金におきます教員一人当たりの単価ということで計算をいたしますと、およそ国庫負担金で百五十億円程度の削減効果が出たということでございます。
  7. 馳浩

    ○馳浩君 順当に平成十年度までに第六次の定数改善が済んでおれば、恐らく平成十一年度から第七次の定数改善計画を始める準備を文部省はされるだろうと私は思うわけです。その順当が、この財政構造改革法によりましてできないという。事情は事情として理解いたしますが、この百五十億円財政負担を減少させることと、教育の現場において教員が少なくとも大体三千五百名ぐらい加配されないということを、これは比べて政策評価をしなきゃいけない点であると私は思います。今回こういう結果になったことでの大臣として政策評価はどのように考えておられるのかお伺いしたいと思いますし、教育改革教育改革と叫ばれておる以上、喫緊の課題はやっぱり教員の資質向上、それから、量より質と幾ら言いましても、やっぱり量も確保するのが必要であると私は思いますが、この点も含めまして大臣としてどのように政策評価をなさいますか、お伺いしたいと思います。
  8. 町村信孝

    国務大臣町村信孝君) 先般の財政構造改革法の中で、今、委員御指摘のあった教職員定数、これは二年間繰り延べ、私学助成は前年度横ばい、経常費の方でありますが前年度横ばい、それと、国立大学校の特別会計へ一般会計から繰り入れる額を前年度横ばい、この三点が構造改革法の中で決まっているわけであります。  率直に言いまして、財政事情が許せばこういう制約はない方がいいし、一刻も早く定数改善は実現をできたであろうにと、こういう思いは率直に言ってあるわけでありますが、科学技術予算以外は基本的に対前年度横ばい、あるいはマイナスという予算を政府全体で組む中にありまして、文部省としていろいろな検討を加えた結果、この三項目でという結論に達したのであろうというふうに私は理解をしております。それをいいか悪いかと聞かれれば、それは財政制約がない状態の方がより好ましいのは当然でありますが、そうした全体の状況の中での判断としてはやむを得なかったのかなと、こう私は考えております。
  9. 馳浩

    ○馳浩君 やむを得なかったという率直な政策評価というふうに受けとめたいと思います。  そこで、東大名誉教授でありまして、現在大学審議会の委員でもある国立学校財務センター教授の天野郁夫先生が、これは週刊教育資料という資料であります。平成十年四月十三日に出ております。教育の問題は、社会の一番基礎的なインフラストラクチャー、下部構造ですから、ここの部分は公共性の問題であり、効率とか競争とかいう以前の問題であると指摘をされておりまして、本気で改革を進めたいのなら、子供の数と関係なく教員の数をキープする、新卒の人たちを一定数必ず採用することが重要とおっしゃっておられます。全くそのとおりでありまして、私も資料を見て大変びっくりいたしましたが、平成元年と比べまして、この十年で小学校教員の平均年齢が四十歳を超えている、二十代の先生が数年前よりも三%も減少している現在、早急に第七次の改善計画を策定する準備に取りかかる、これを文部省が表明することによるアナウンスメント効果も期待して、第七次の定数改善計画を立てるんだ、文部省は立てているんだと、その準備に取りかかっていただきたい。  といいますのも、これは日本教育新聞の平成十年四月四日号でありますが、これは町村文部大臣がお答えになっておられるインタビュー記事にもありますが、  教職員配置改善計画について「どうするかすぐ答えを出せる状況ではない」としながらも「同じ人件費を使うならスクールカウンセラーを全校に一人ずつ配置するとか、生徒指導や『心の教室』における方々を職員あるいは教員として配置する、あるいは三十人学級以上校から複数配置になっている養護教諭の配置基準を下げるとか、考えるべき要素はある」「差がつきやすい教科には、複数配置をどんどん進めていく方法もある」 「より良い教育条件をつくっていくことが文部省の務め」であるという力強い文部大臣のお言葉も、これはこうして新聞等々で紹介されておりますが、この第七次教職員配置改善計画、これに向けて早急に取り組むというふうなお考えは現在あるのでしょうか。ぜひこれはお願いしたいということであります。
  10. 町村信孝

    国務大臣町村信孝君) 幾つかの例示を私もそのインタビューで申し上げました。それはもうこの委員会で各委員から既にそれぞれ御指摘があり、また各界各層の方々からの御指摘もいろいろな場でいただいていた幾つかのポイントを申し上げたわけであります。  全体としてこの改善計画完成後どうするのかということについて、いついつからやりますということを申し上げるのは、率直に言って、まだいささか時期尚早かなと。平成十二年ということでありますから、当面はそれの実現に向けて最大限努力をするということが一番大きなポイントであろう、こう思っております。  ただ、いずれにいたしましても、現在の改善計画の成果というものをどういうふうに評価をするか。例えば、チームティーチングというのが本当にどうした実が上がっているかとか、カウンセラー、これは定員ではございませんけれども、実際に配置をしておおむねいい評価をいただいているようでありますが、さらにこれをどういうふうに考えていくかなどなど、現在の計画の成果というものも一定程度踏まえなければならないと思いますし、あるいは学級編制とか教職員配置に関する調査研究については、これは日常的に文部省の中でまさに仕事の一環として日々こうしたことについて検討、研究をするということは当然のことであろうと、こう思っておりますが、今直ちに完成後どういたしますということを申し上げるのにはいささか準備も足りませんし、もう少しお時間をいただきながらよく部内でも検討していきたい、こんなふうに考えております。  例えば、一学級当たりの生徒数が何人という形の姿がいいのか、あるいはそれぞれの、例えば養護とかあるいはこういう教科にはより多くの教員をとかいうような、そういう形で教員の数を考えた方がいいのか、そうした基本的な部分についてもさらに検討を要するのではないだろうか、こんなふうに考えております。
  11. 馳浩

    ○馳浩君 いささかまだ早いというのではなくて、そういう環境づくりをして早く取り組むことをしていただく方が教育関係者にとって期待の持てる、あるいは国民の皆様方、保護者の皆様方にとって期待の持てる文部省としての姿勢ではないかと申し上げたいと思います。  続きまして、法改正に直接関連する質問をさせていただきます。  今回の改正前は、教育職員免許法は一九八八年に改正され、九〇年に施行されました。つまり、最初の卒業生が九三年に出て、新しい制度になって今年でまだ六回の卒業生しか出しておりません。また、昨今の採用人数の少なさから見て、明らかに今の制度教員になった人はわずかであり、その彼らの評価、すなわち現行制度の評価などは十分できていないはずだと思います。にもかかわらず、今回再び改正する緊急性はどこにあるのでしょうか、お伺いいたします。
  12. 御手洗康

    政府委員(御手洗康君) 御指摘がございましたように、前回教員免許法の改正をいたしまして、大学におきます教員養成カリキュラム等をかなり大幅に六十三年に改正をさせていただいたわけでございます。  そのときには、当時の状況にかんがみまして、教育実習の事前・事後指導ということで一単位を教育実習に付加するということ、さらには生徒指導教育相談あるいは進路指導等に関する科目などの新設を行いまして、今回とほぼ同じような考え方で、実践的な指導力を養うという観点からの改善を行ったところでございます。  しかしながら、その後、現在まで改正後十年たっているわけでございます。また、今回法案を成立させていただきました後、平成十二年度から全面的にカリキュラムをすべての大学が改正するということになりますと、これはやはり十年というような間隔があるわけでございまして、この間、国際化や情報化等、社会の変化というのは大変著しいものがございます。さらに、学校内における対応におきましても、いじめ、あるいはそれに基づく自殺、さらには登校拒否の引き続く増加、さらには第四の青少年問題のピークということで、薬物乱用や性の逸脱行動など生徒指導等をめぐるさまざまな問題も生じているわけでございます。  そういった十年間の状況の変化に対応いたしまして、今後さらに各大学におきます抜本的なカリキュラムの改善というものをこの機会にぜひともお願いしたい、こういう観点から所要の改正をお願いしたいということでございます。
  13. 馳浩

    ○馳浩君 要は、こういう社会状況であるからこそ法改正をしなければと結びつけるのか現行制度のより充実を目指すのかという論点が二つ出てくるわけでありまして、文部省としては前者の方をとられたということだと私は思いますが、改めてもうちょっと深く追及していきたいと思います。  今回の法改正のきっかけづくりをした教育職員養成審議会、教養審と呼びますが、この委員の選定について問題にしたいと思います。  中教審は、平成八年七月十九日に出しました第一次答申におきまして、  教員の養成、採用、研修の各段階を通じ、より円滑かつ効果的に教員の資質・能力の向上を図るためには、大学の教員養成関係者と教育委員会等の採用・研修関係者との間の一層の連携・協力が不可欠である。 と述べております。この観点からいいますならば、私立大学の教員養成関係者も当然含まれると思います。  なぜなら、平成八年の教員免許状取得者は大学全部で十四万六千人おりますが、うち私立大学出身者は八万七千人ということで、約六割になります。高等学校の場合には六万七千人中四万四千人ですから、もう八割近いわけです。また、短大、大学院等を含めても四割を超えるという実績があるからであります。  しかし、教職課程を設置している私立大学三百六校のうち八八%の二百六十八校が加盟している全国私立大学教職課程研究連絡協議会、これは全仏教協と言うらしいですけれども、この代表者が教養審の委員には入っていないということであります。しかも、一九九三年までは委員になっていたにもかかわらずということであります。これはどうしてでしょうか。  また、関連して、今回の答申をまとめる際に行われたヒアリングにさえ全仏教協は呼ばれていないということであります。私も私立大学で教職課程をとり教員になった人間として、この点ちょっとなぜなのかなという疑問がありますので、この委員選定について何か政治的なお考えがあるのか、あるいはもちろん思惑があるのでしょうけれども、お答えいただきたいと思います。
  14. 御手洗康

    ○政府委員(御手洗康君) 御指摘がございました教育職員養成審議会は、今回のように教員の免許制度の改善等に係る問題を審議すると同時に、御指摘ございましたように、各大学が教員養成を実施するために課程認定という手続を踏んでおりますが、その課程認定をするために必ず教員養成審議会の審議を受けなければならない、そういったことに基づくものでございます。  現在、構成員は二十七名であるわけでございますけれども、御指摘のように、その構成員は国公立の大学の関係者並びに小中学校等の現場の関係者、さらには一般学識経験者等から構成されております。純粋に私学の出身、私立の大学に所属している方々は、短期大学も含めまして、第一次答申を受けました際には二十七人中九人であったわけでございます。先生御指摘のように、全国私立大学教職課程研究連絡協議会という私学の教員養成課程の先生方で構成する団体がございますけれども、平成八年七月時点では、そのメンバーに直接加盟しておられた大学の先生がおられたということは事実でございますけれども、私ども必ずしもそういった所属団体に応じて大学の先生方を選んでいるということではございませんで、たまたま任期が参りまして差しかえた際にその方が委員でなくなったということでございます。  したがいまして、この第一次答申をいただくに際しまして、これらの私学関係者の意見はいろいろな形で出されておりますし、教職重視の方向につきましては私立大学の立場からもっと慎重にすべきだというような御意見も出されたわけでございますけれども、全体としての審議をまとめる際にはおおむね現在の答申で御賛成をいただいているわけでございます。また、途中段階で中間報告をいたしまして、この答申の原案となるべきものを前提に各関係者等からも意見の陳述等をいただいたわけでございます。その際には、私立大学関係者の団体からも書面で御意見をいただくと同時に直接御意見もいただきまして、その御意見も踏まえて最終答申にまとめさせていただくというような手順も踏んでございます。
  15. 馳浩

    ○馳浩君 私が指摘させていただきました全国私立大学教職課程研究連絡協議会、たまたま入っていないということでありますが、このメンバーを入れないとしても、教養審の現在の委員は全部で四十名、うち純粋の私学出身者が十名、うち私立の学長が七人もおりまして、専門に教職課程をやっている先生が一人しかいない。これは公平な人選とは言いがたいと思いますが、いかがでしょうか。
  16. 御手洗康

    ○政府委員(御手洗康君) 先ほども申し上げましたように、教養審は課程認定と、こういった免許制度あるいは養成制度に関する基本的な事項を審議していただくという大きな二つの任務を持っているわけでございます。そういった意味で、私ども、広く学識経験者も含めまして大学関係者、現場関係者を中心に選んでいるということでございますので、個々の団体からどうだということではございません。教育に関する現場あるいは養成大学の方々の意見ができる限り幅広い形で、なおかつ経営的な立場の理事者あるいは学長という方々、それから現場で実際に現在も教職課程等を担当している先生方というようなことも含めながら、客観・公平な立場から選任をしているつもりでございますので、ひとつ御理解をいただきたいと存じます。
  17. 馳浩

    ○馳浩君 今後はそういう意味では、例えば私が指摘したような団体、またここで団体を特定して私が発言すると政治的な圧力のように聞こえますが、そういうのはよくないのでありますが、やっぱり実際に専門に教職課程をやっている先生方もこの四十人の教養審の中に入れていただきたいということでありますので、これは検討の材料としてやっていただきたいということであります。  次に、具体的な改正の中身について質問させていただきます。  まず、中学校の一種免許状を例にとるならば、今回の改正で教科に関する科目が四十から二十単位に、教職に関する科目が十九から三十一単位になり、新設予定の教科又は教職に関する科目が八単位になります。非常に教職科目の重視の姿勢が見られます。しかし、一般大学の場合、教職科目は卒業単位に組み込まれないのが通常であり、今回三十一単位となれば、ほぼ一回生分の負担増であり、教員を目指す一般大学生にとって多大な負担であり、このままでは一般学生で中学教師を目指す人は激減してしまうのは火を見るより明らかであると思います。つまり、戦後、一般大学、教員養成大学の区別なく教員免許状を付与し続けた開放制を実質上制限することになると考えます。  そこで、教職三十一単位を卒業単位に含める自由を一般大学側に、これは学部側も含めますけれども、与えることでこの問題をクリアしようと文部省は考えておられますが、この卒業単位化の実現可能性が果たしてあるのか大いに疑問であります。例えば法学部を例にしても、法律と無関係な教職科目を履修したにもかかわらず法学の学士称号を法学部が付与するとは考えられません。付与すれば、逆にその大学の権威の失墜につながりかねないと思います。  そこで、文部省は教職科目の卒業単位化は実現可能と見ているのでしょうか。もし見ているのなら、どういう理由でそう見ているのでしょうか。関連して、教職科目の一部卒業単位化は認める方針かも教えていただきたいと思います。
  18. 御手洗康

    ○政府委員(御手洗康君) 御指摘のように、今回教職科目が、とりわけ中学校並びに高等学校の免許状取得者につきまして、現行の例えば中学校の場合十九単位から三十一単位、それから高等学校の場合十九単位から二十三単位ということでふえることになるわけでございます。したがいまして、この点につきましては審議委員の中からも、あるいは私学の関係団体などからも、教育学部以外の一般の大学・学部の学生が教職単位を取得する際にかなり基準が高くなるという御指摘がございました。しかしながら、内容的には、いずれも現下の学校現場の現状にこたえるためにそういった基準を引き上げるということにつきましてはおおむねの御了解をいただいた上で、この教職単位の基準の引き上げがそのまま学生の負担にはね返ることがないように何らかの軽減措置をという御意見が私学関係団体を中心に出てまいったことは事実でございます。  最終答申におきましてはそのことを踏まえまして、一般大学・学部の卒業要件百二十四単位の中に、現在はこの教職科目十九単位を算入しないようにという文部省は指導をいたしているわけでございますけれども、この指導を改めまして、各大学・学部の判断によりまして、それぞれの学部に応じた、場合によっては専門科目ということもございましょうし、あるいは一般的には教育原理や教育心理というようないわゆる一般教育科目というようなこともあろうかと思いますけれども、それぞれの大学・学部の判断によりまして、この教職科目について、大学の学部卒業の要件でございます百二十四単位の中にこれを取り込んで卒業の認定をしてもいいと、前より弾力的な措置を図るようにという答申をいただいているところでございまして、その旨、私学関係者にも御理解をいただいているところでございますので、法律改正をいただきました暁には、そのような形での取り扱いを適切に進めてまいりたいと考えておるところでございます。
  19. 馳浩

    ○馳浩君 いや、それは不親切じゃないかなと私は指摘しておるわけでありまして、三十一単位にふえた、学生の負担がふえるだろうから、じゃ卒業単位化を認めるのは各大学・学部で御判断くださいと。一種のこれは規制緩和になるのかもしれませんけれども、むしろ、文部省が今回の改正がどうしても必要だというのであるならば、三十一単位ぐらいふえて何だ、教員になりたいんだったらしっかり勉強しろというぐらいの姿勢を示してもいいわけであって、なおここら辺がちょっとあいまいな政策的な判断ではないかなというのが私の率直な感想であります。  それはさておいても、こういうふうに卒業単位化を認める方向として打ち出すのであるならば、各大学・学部側が導入しやすいような、指導と言うとまたあれなんでしょうけれども、これは文部省としても知恵を絞るべきではないかなと私は思うんですね。  基本的な考え方としては、私も、三十一単位ふえようが五十単位ふえようが、本当に教員になりたいんだったらしっかり勉強しろという姿勢を貫いてほしいというのはありますけれども、ただし、今回こういうふうなことで文部省側も各大学・学部に対して、卒業単位化を認める方向で皆さんで判断してくださいよ、場合によってはどうぞというのは非常に矛盾する考えだと思うのですが、ただ、そうするならするで、もうちょっと文部省として知恵を絞るべきなんじゃないかなと私は思いますが、いかがでしょうか。
  20. 御手洗康

    ○政府委員(御手洗康君) 御指摘のとおり、現在この教職科目を百二十四単位の外で純粋に取るようにという文部省の考え方は、文部省の局長通知の中でそういったことをしないようにということを指導しているわけでございます。したがいまして、大学の卒業要件に各学部の目的等に照らしましてどういう形でカリキュラムを組み、単位修得を必修科目あるいは選択科目等として認めていくかということは、これはあくまでもそれぞれ大学の自治あるいは学部本来の目的に従って決められるところでございますので、私どもとして、この単位はこういった教養科目に、あるいはこの科目はこの学部の専門科目にというようなことは申し上げられないわけでございますけれども、従来の取り扱いをそういった形で各大学の御判断で卒業の単位の中に入れることができるんだということにつきましては、通知等で明確にお示しをしてそれぞれの各大学の御判断でやっていただくというふうなことで、取り扱いを明確にしていくということにつきましては、御指摘を承りまして、しかと措置をしてまいりたいと考えております。
  21. 馳浩

    ○馳浩君 この教職科目重視の内容を別の角度から質問させていただきます。  すなわち、現在、中学校一種の免許の教職科目は十九単位でありますが、この科目は丸々卒業単位を得ることとは別に履修しなければならず、その負担の重さから、一般学生には単位を取るだけのための形式的な勉強態度しか見受けられない場合もあると報告を受けております。今回三十一単位となれば、なおさらこの現象が顕著になるはずであると思います。  さらには、本当に教師になる資質があり、やる気がある一般学生までもだめにしてしまう危険性すらあると思います。三十一単位となることで、その負担の重さから一般学生が教職課程を敬遠し、さらに、資質もやる気もあることから当初教職課程をとった一般学生でも、三十一単位の重さから、ただ単位を取るだけのために授業を受けることになる危険性を大いに含んでいると言いたいです。  教職科目をふやしてもその効果が期待できないのではないか、むしろマイナスの効果の方が大きいのではないかという指摘に対しましてどうお答えになりますか。
  22. 御手洗康

    ○政府委員(御手洗康君) 御指摘のように確かに、教職を志願する学生諸君が現在十九単位の教職専門科目をとるということは、中学校で三十一単位、特に教育実習も二週間から四週間にふえるというようなことで、かなりハードになるということは御指摘のとおりでございます。  また、これによりまして、従来は教職免許を取ろうかという考え方を持っていた学生が初めから教職科目を敬遠する、あるいは教育実習の段階になりましてそれをあきらめるというようなことは、今回の改善の一つの効果として影響が出てくるということは私どもも避けられないものと思っております。  しかしながら、現在の教員の採用の状況と。それから大学におきまして教員免許状を取って卒業する学生の状況等を見ますと、多少免許状を取得する学生が減るというようなことがございましても、直ちにそれが全体としての教員の需給関係に大きな変化を及ぼすということはまた考えにくいわけでございますし、多少量が減るということはあろうかと存じますけれども、実質的にはこの三十一単位、さらにはまた、教科又は教職に関する科目ということで今回新たに設けました自分の専門分野を生かすための単位を修得するというようなことによりまして、それぞれ自分の得意分野を持ち、個性を生かすことのできるようなそういった質の高い教員志願者を養成していくというような効果もございますので、ぜひその点は御理解をいただきたいと存じます。
  23. 馳浩

    ○馳浩君 いわば、現在の教員の採用状況から見ましても、よりハードルを高くして、学生さんしっかり勉強してくださいという方向性だと思いますが、ならば、現行の十九単位の内容を充実するという手も私はあると思うわけですよね。何で三十一単位じゃなきゃいけないのかという、ここなんですね。  学生を教える先生方の充実とかいう点からも、私は、この十九単位をより充実させていくということに視点を置いてよかったのではないかと思うんですが、三十一単位がどうしても必要であるというふうな点、しつこいようでありますが、説明していただきたいと思います。  詰め込み教育の弊害が学校教育の現場で指摘されて久しいのでありますが、その犠牲になったと言われている現在の学生に対して同じように教員養成課程においても詰め込み教育を受けさせる、これは学生の本質を抜きにした議論としか思えない。とりわけ一般大学の学生に対する配慮が乏しいのではないかというこういう御指摘もあるわけであります。  正直言って私は、本当に教員になりたいやつだったらしっかり勉強しろ、寝ないで勉強しろという本音はあるんですが、ただ、そういう本音はありながらも、現行の十九単位の中身を拡充して充実させる、それでもよかったのではないかなという気持ちもあるわけでありまして、質問しながら私自身の心の中には矛盾を抱えているわけでありますが、こういう御指摘もある中でなぜ三十一単位にしなきゃいけないのかという御説明をお願いします。
  24. 御手洗康

    ○政府委員(御手洗康君) 御指摘のとおり、前回六十三年の改正の際に、教職に関する科目を先ほども申し上げましたように生徒指導等を中心に引き上げたということもあるわけでございます。  それでもなおかつ足りないのかという御意見でございますけれども、審議に際しまして、採用の立場にあります各都道府県教育委員会等のアンケート調査等も実施をいたしました。やはり現下の子供たちをどう指導していくかという観点から、子供の立場を十分理解し、そして、それぞれの子供の状況に応じて具体的に指導できるような実践的な指導力あるいは子供を理解する能力、そういったものについて初任者研修等を通じてやはりなかなか不足しているということで、少なくとも大学におきましては、そういった初任者研修等あるいは採用後の現場のトレーニング等で身につけさせるべき必要な資質の基礎的な部分をもっと充実してほしいという声が大変強かったわけでございます。  したがいまして、従来の十九単位につきましては、基本的には今後とも履修していただくことにいたしまして、特に今回、教師としての使命感、そういったものをもう少し教員を志向する段階で系統的、体系的に大学の方できちっと自覚を芽生えさせるような科目を新設すること。それから、総合演習というような形で、現在我が国社会が抱えておりますさまざまな問題、例えば家庭の問題や少子・高齢化社会への対応、あるいは環境問題、こういったものにつきまして、教科・科目の枠を超えまして横断的に、具体的なフィールドワークや施設等の体験も含めながら演習形式で、ディスカッション等を中心にして、あるいは子供たちを指導する教材づくりというようなことも踏まえた科目を新設していく。さらには、生徒指導にカウンセリングを、基本的な要素を加えて単位を増加していく。特に、中学校におきましては教育実習を現在の二週間から四週間ということで、小学校教員と合わせていくというようなことを中心にして今回の大学におけるカリキュラムの改善を図っていただきたい。  こういう趣旨でそういったものを盛り込みますと、現在の総枠としての教員免許状取得のための枠の中で教科専門科目を減少させて、その分、教職専門科目を令言ったようなものを中心に実施していただくためには、どうしても十九単位の枠の中ではたえなかったということでふやさせていただくということでございます。  したがいまして、今回新設の科目、従来からある科目等も含めまして、各大学におきます教員養成の体系的なカリキュラムづくり、現場のニーズにいかに適応するかということを踏まえた全体的なカリキュラムづくり、各教科科目の指導計画あるいは指導内容等につきまして、これを一つの契機といたしまして大学・学部等で積極的に研究開発をしていただくということは大変重要な要素になっておるわけでございます。  文部省といたしましても、本年度予算におきまして各大学等にそういった研究開発を委託いたします予算を大幅にふやしまして、それぞれの各大学・学部あるいは教職課程を担当する教師等の自由な発想に基づいて積極的にその経費を使っていただいて新しいものを生み出していただく、そういった施策もあわせて推進させていただきたいと思っているところでございます。
  25. 馳浩

    ○馳浩君 要は、教員養成系の大学・学部と一般大学で教職につこうとして免許を取ろうとする学生と、異なる目的の大学・学部、これを一つの土俵で論じようとしているのが今回の改正のマイナス点じゃないかなと思うわけです。  私の希望としては、教員養成大学・学部は、その目的に合った教員養成課程のカリキュラムをつくる。一般大学を出て教員になりたいという人にとっては、その一般大学・学部に合った教員養成課程カリキュラムをつくる。つまり、教員養成カリキュラムの二元化を私はむしろはっきりとすべきなのではないかなと思うんです。  なぜならば、私も現場に配置されたときに、現場の教員同士でいろんな話をするんですが、私の勤めていた高等学校は全部成績順によってクラスがえをしているわけなんです、はっきりしているんです。進学のクラスは、私たち教員の仲間でもたれが見てもエースと思われるような、そういう資質・能力を持った先生が担当するわけです。新任の元気のいい馳浩のような教員は、申しわけないけれども、私もはっきり最初は言われなかったので後でわかったんですが、私が担当しているクラスは統一テストをやったら大体びりか、びりから二番目ぐらいなんです、一年目も二年目もそうでした。だれも何を言わないけれども、結果が出てくるからわかるんですよ。  ただし、私が担当しているクラスというのは、確かに成績は余りよくはないけれども大変元気があり、あるいはスポーツ、文化活動に参加している割合からいえば七割、八割方、そういう日々の活動、授業とは関係ない活動についている生徒が多いわけなんです。  私はよく校長先生に呼ばれて、馳君、あなたはまだ大学を出たばかりでそんなに教え方もうまくない、だけれどもあなたには情熱がある、声も大きいし、はっきりと物も言うし、礼儀正しいし、そういう先生も我が星稜高校には必要なんですと。  ということは、いろんなタイプの先生をいろんな大学で養成して、教育委員会あるいは私学の場合には人事担当者が採用するわけでありますけれども、判断によっていろんなタイプの先生を集め、初任者研修あるいは五年、十年ごとの研修によってどんどんもんでいって、その学校に合った校風、それを実践できる先生が配置されればそれで最終的にはいいわけであります。  そういうことも考えれば、今回の改正の議論になっております教員養成課程カリキュラムは、教職員養成専門の大学・学部と、私は専修大学を出たんですけれども、一般大学で教員になりたいといって教職課程をとっている大学と二元的に養成して、それから教員の資質向上に当たっては採用のときや研修のときにまた配慮すべきであって、私はそういう役割分担がなされるのが本当のこの免許法の改正趣旨なのじゃないかなと思うのです。  この二元化論も含めまして、私は現場を体験したという一つの観点から申し上げたんですが、見解をいただきたいと思います。
  26. 御手洗康

    ○政府委員(御手洗康君) 御指摘のように、いろんな経験を持った教員、あるいはそれぞれ個性と得意分野を発揮し得るような多様な教員構成による学校経営ということは、一つの理想として私ども条件の許す限り追求しなければならないことであろう、こう思っております。  しかしながら、教員免許法に定めております免許の取得要件としての基準は、それらを通じまして大学の教員養成課程におきまして最低限必要となる教員の資質を担保するという観点から設けられているわけでございます。戦前の師範学校制度から、戦後、開放制の教員養成の理念に基づきまして、教員養成専門の大学・学部とそれから一般の大学・学部のいかんを問わず共通な基準として一貫して運用されてきているわけでございまして、こういった教員免許の基準の性格というものからいたしまして、先生の御指摘のようなこれを二つに分けるということは、免許基準上は私どもなかなか理論的にも実際的にもとることはできないだろうと思っております。  しかしながら、教員養成大学・学部を卒業してくる学生と、それから一般大学・学部を卒業して主として中高等学校の免許状を取ってくる学生と、実際に大学におきまして教員免許状を取るまでにどのような教育を受けてくるか、おのずから差があるわけでございます。したがいまして、この最低基準の中で教員養成大学・学部におきましてはさらに教育実習等をふんだんにやっていくとか、さらに教職科目が専門科目でございますからふえていくということは当然のことでございます。  それに対しまして一般大学・学部におきましては、先ほど申し上げましたように、現行で申しますと、百二十四単位というそれぞれの大学・学部固有の目的を達成するための専門科目あるいは一般教育科目を取得した上に十九単位の教職専門科目を取得するということでございますので、実際にそれぞれ出てきました教員の資質というのは、それだけでも随分違っているということは申せようかと思います。  ちなみに、現実の採用状況を見ましても、年次で見ますと、中学校の採用者につきましては教員養成大学・学部が四五・七%、平成八年度でございますけれども、それに対して一般大学・学部が四一・五%、大学院が九・三%というような状況になってございますし、特に高等学校になりますと教員養成大学・学部は一四・二%、それに対しまして一般大学・学部が六六・一%、大学院が一九・二%という、それぞれの中学校、高等学校で採用された全教員の中でのその年の比率といいますとそういうことになってございまして、現実の大学におきます養成の実態というものは、先生の御指摘のような多様なルートから現在も供給されておりますし、今後とも私どもはこういった実態というものはやはり続いていくんだろうと、こう考えているところでございます。
  27. 馳浩

    ○馳浩君 最後に大臣にお伺いいたしますけれども、今回の改正の趣旨の根本のところは、学校という現場、これはやっぱり組織と考えた方がいいんですね。多様な教員が採用され、そして研修によって能力をつけていき、そして学校の現場が活性化されていく、それは日本の国の将来を担う子供たちの教育のためには本当に必要なことであるということであります。ただし、そうなった場合に、教員を実際に養成するのは、免許を与えるために養成するのは大学でありますから、大学の現場が大変混乱することのないような措置をとっていただきたいというのが私の要望であります。  私、本当に教員を一生懸命やろうという人間は、これは三十一単位ぐらいハードルが高くてもしっかりやるというぐらい信念を持ってやってほしいわけですよ。ですから、そういう点においてはこの改正は賛成なんでありますが、ただ、現場の方々、大学として学生を教える先生方を手配もしなきゃいけない、十分手配できなければ非常勤講師でも引っ張ってこなきゃいけないわけですよね。そういう意味でのやっぱり混乱が生じているわけでありまして、その点を踏まえて私はきょう質問させていただいたわけでありますが、実際にこの法改正の趣旨には大賛成でありますし、学生諸君には気概を持って、日本の国の将来を担う子供たちをしっかり支えていく、育てるためにも教員を目指して勉強するんだという気持ちを持って勉強していただきたい。  先ほど、自分の教員体験等も含めながら、私も教員一年目、二年目は先輩の先生に慰められながら、おれもやっぱり進学クラスを教えたいなとか思ったりしながらも、自分が担当しているクラス、チャイムが鳴って座らせる、話を聞かせるのも半年がかりでしたね。私の性格を知ってもらって、そして授業にやっと入ってもらうと。ただ、そういうクラスであっても、やっぱり子供たちにとっては馳みたいな先生も必要だよというふうに先生や校長から慰めてもらいながら私は勤めさせてもらったと思っておりますので、いろんな先生方が現場に入って、そして子供たちと切磋琢磨しながらよりよい教育が現場でなされることを願っておりますので、最後に、大臣の私の質問をお聞きになっての御感想でもいいですから、今回の法改正に取り組む決意も伺って私の質問を終わらせていただきます。
  28. 町村信孝

    ○国務大臣(町村信孝君) 馳委員から、体験に基づきます大変貴重な数々の御意見、御提言をいただきましたことをありがたく思っております。  私も、教員に今なる、ある意味では覚悟が要るんだろうと思います。これだけいろいろな荒れた学校等々の報道が過去からもあるわけであります。それにもかかわらず、やはり使命感を持って教員になろうというのは、それ相当のやる気というか、覚悟といいましょうか、情熱がなければこの教職にはつかないんだろうなと思います。  したがいまして、私は、少し最近は大学入試の段階からややもすると易しく易しくということで子供たちに優しくし過ぎている面があるんじゃないか。小中高は少しく易しくてもいいのかと思うんですが、やっぱり大学以上は、本当にこれは必死になって学ぶ場であり研さんをする場であろうと、こう思います。四年間いれば自動的に卒業ができるといったような安直な単位の認定でありますとか、あるいは卒業単位の認定でありますとかいうのはいささか私は今の大学は甘過ぎると。特に諸外国と比べてもこんなに、ずさんなと言っては言い過ぎかもしれませんが、安易に卒業証書を手にできるところは世界でも珍しいんじゃないのかなと、こう思っております。  それだけに私は、特に教員という大変重要な職業ということを考えたときに、委員が先ほど言われたような多少ハードルの高さがあってもむしろ当然なのではないのかなとさえ思っております。ただ、余り過重になってはということで、先ほど局長が申し上げたような各大学の判断で若干の緩和措置はいいですよということになっておりますが、基本は、私はむしろ厳しさを大学生には求めるということを追求すべきではないだろうかと、こう思っております。  もっとも、教員免許を実際取っても教員に採用される率が非常に低くなってきております。大変高い競争率だということでございます。その結果としてむしろ心配なのは、点数がいい先生が採用されてしまうということになっては本末転倒といいましょうか、望ましいことではない。ただ単にペーパーテストの点数がいいという以上に多様な教員が採用される、そう言ってはなんですが、馳先生のように優秀でありかつ元気のいい先生も、声の大きな先生も必要とか、今いろんな意味でバラエティーに富んだ先生方がそれぞれの教育委員会あるいはそれぞれの私立の学校で採用されることが私は本当に必要なんだろうと。  余りワンパターン化された先生ではいけないという意味で、先ほどこれも委員言われたように、多様な教員の存在がその学校を生き生きとしたものにするという意見には全く賛成でありまして、これは今それぞれ教育委員会でも、ただ単にペーパーテストの点数だけではなくて、面接を重視したり、あるいは面接担当者に民間人を起用したり、そうしたいろいろな工夫、努力がなされているというふうに聞いております。もちろん採用された後の現職の研修というのも大変重要でありまして、初任者研修に始まりまして、十年とか二十年とか、あるいは校長、教頭の研修でありますとかあるいは生徒指導の担当の研修、さまざまな職種なり経験年数に応じての研修も年々整備をされていると、こう思っております。  したがいまして、採用後の研修もまた重要でありますので、養成段階、採用段階そして研修段階、それぞれの段階を通じてバラエティーに富んだ、そして情熱のある先生が現場に立てるように文部省としても今後最大限の努力をしてまいりたいと考えているところであります。
  29. 馳浩

    ○馳浩君 ありがとうございました。
  30. 北岡秀二

    ○北岡秀二君 今回の法改正は、一連の教育改革の流れの中で教員の質を変えていこうというようなことで、教科科目から教職科目をさらに重視していこうというようなことで、そういう面での大幅な改革に対して私は基本的には大いに賛同させていただくわけでございます。  そしてまた、教員の質をより高めていく、そしてまた、質を変えていこうというその前提の中には、最近特に文部大臣を初め文部省で一連の心の教育ということをおっしゃっておられるわけでございますが、当然、心の教育に対応できる教師もどんどんつくっていこうということも前提にあろうかと思う次第でございます。  心の教育に関連しましては、もう既に文部大臣初め文部省ではいろんな角度からそのあたりの分析や検証というのはやっておられるだろうと思うわけでございますが、心の教育というのは、私は前回の委員会でもお話をさせていただきましたが、非常に幅が広い、そしてまたなおかつ、見方によったらとらえどころがないものですから、一般的に言われております福祉教育とか環境教育によって思いやりの心やたくましい生きる力を身につけようというようなったい文句があるわけでございますが、ともすると形式だけに走る可能性もある。  私は、心というのはどういう形で育成されるかあるいは本当の意味での心の教育というのは、青少年の個人個人の心の中にどういう状況が起これば初めて心の教育ができるかということを考えてみましたときに、要は、いろんな社会現象、そしてまたいろんな出来事に対して自分自身真正面からぶつかっていく、そしてまた自分の問題としていろんな事象をとらえていく、そういう状況の中に初めて人の温かみとか、あるいは自分自身のいろいろな気づきによって、思いやりの心とかたくましい生きていかなければならないというような力強い気づきというのがあるような感じがするわけでございます。  特に私は、前段に申し上げましたとおり、心の教育というのは漠然としてつかみどころがないだけに、これからいろんな施策が打たれるだろうと思うんですが、形式だけに走ってその実態というのがピントがずれてくるということを危惧する。  そういう観点から申し上げますと、そのあたりの旗振り役をやっていく文部省並びに文部大臣自身が、心の教育という問題に関して何を重視すべきか、そのあたりのしっかりとした基軸というのを持っていなければ、全国津々浦々これからいろんな策をとっていくにつれて形式的なものに陥りがちであるというような観点から、心の教育ということに関してどういうことを重視すべきであるかというようなお考えがございましたら、大臣にお伺いしたいと思います。
  31. 町村信孝

    ○国務大臣(町村信孝君) 確かに委員御指摘のとおり、心の教育というとその言葉自体の響きはとてもいいのでありますし、何となくみんなそうだなと思っていただけるのですが、さらに突っ込んで考えたり議論してみると、さまざまなイメージなり考え方が実際存在するということもまた事実であろうし、また、それぞれ言っておられることが決して間違ってはいないんだろうと思うんです。  例えば、規範意識が最近の子供たちは低下したとか、これは大人も含めてかもしれませんが、あるいは忍耐心やセルフコントロールの能力とかたくましさが欠けているとか、あるいは非常に自己中心的で責任感が乏しいとか、例えば今そう言われているような子供たちの幾つかの特徴が過去と比べてある。それは確かにあるんだろうと思います。それらをどういうふうによりよい方向に進めていくことができるか、それを多分総称して心の教育、こう言っているんだろうと私は思います。  したがいまして、この中身しか含まれないとかいうことでは確かにないんだろう、そういう意味でちょっと漠としていると思うのであります。  ただ、今共通的に言われているような今の子供たちの問題点がそうしたことであるとすれば、やっぱりそれに対応したことを体系的に考えなきゃならない。その一つの答えが、去る三月三十一日、中央教育審議会中間報告で出されました、幼児期からの心の教育の充実という中に一つの体系として中間報告をおまとめいただいたんだ、私はこう思っております。  家庭の重要性あるいは地域社会での教育の重要性、あるいは学校の場での心を育てる重要性ということで、特に学校について言うならば、例えば道徳教育の充実でありますとかよりカウンセリングマインドを先生方みんなが持ってもらうこととかあるいは問題行動への毅然とした対応等々ということで、学校の教育現場の中でより心を育てるということで直接的にはそういうのが出てまいります。  しかし、もうちょっと広く言うと、より忍耐心を増すような子供をどういうふうに育てていくか、例えば体育の時間とかそういう時間だってあるでしょうし、すべての教科でそういうことは努力してもらいたいし、規範意識をより高めるためというと、それは何も道徳の時間ばかりじゃなくて、これもまたすべての時間でそういうことをそれぞれの先生方が心がけていただくということが必要なんだろうなと、そういうふうに思うわけであります。  そういう中で、やはり先生方の役割、現場の第一線で教壇に立つ教員の重要性というのは非常に今まで以上に大きくなる。もとより大きいのでありますが、さらに大きくなるという際に、今回の養成カリキュラムというものを一層改善して、生徒に対する指導力をより高めるということがすべての教員に求められる。それは豊かな心をはぐくむための指導力というふうに置きかえてもいいんだろうと思います、ある面から見れば。  今回の教職員免許法の改正案は、そういう形で心の教育の一環として私どもは位置づけているわけであります。
  32. 北岡秀二

    ○北岡秀二君 本当に心の問題というのは教えられるものじゃなくて、皆さんどなたもそうだろうと思うんですが、自分で感じるもの、そしてまた自分で気づくものだろうと思うんです。ですから、最近特に切れるとかそういうのは、自分で認知している領域が非常に狭いものですから、狭い領域にしか心が反応しない。自分の許容範囲外のものが出てくると全く混乱してしまって突拍子もないような行動を起こす。  そういう面から申し上げると、本当に世の中というのはいいことも悪いことも含めていろんな現象があって、大変なこともたくさんある。自分自身がそういう状況の中で逃げずにどれだけ真正面からぶつかっていって、そしてまた本当にすばらしいことを経験することも含めての自己葛藤を継続しながら自分自身が気づいていくところに本当の心の教育というのがあるんだろうと私は思うんです。  ですから、大臣おっしゃられたとおり、それを指導するサイドの学校の先生方も、基本的には学問でそういう部分を勉強するというんじゃなくて、少なくともある程度の最低限の心の要素というのも自分自身でみずから身につけなければならないものだろうと思いますし、そういう部分というのは、今後推進をしていただく過程の中でぜひとも十分にお考えをいただきたいと思う次第でございます。  最近話題になっております所沢高校の卒業式、入学式の一連の問題に関連してお伺いしたいわけでございますが、私、前回の委員会でも、先ほど大臣もおっしゃっておられましたが、学校の教育現場、あるいは社会全体がそうなんですが、最近、規範意識が相当狂っているんじゃないか。自由とか権利とか平等とか、あるいは人権とか個性とか、これはともすると、国の憲法というんじゃなくて近代社会の憲法的なベースになる言葉の認識というのがかなり狂っているんじゃなかろうか。そのあたりを今の日本の教育ということを考えてみますときに、正常な状態に戻すというのも今の教育の中での大きな課題でなかろうかというようなお話をさせていただいたわけでございます。  私が一連の所沢高校のてんまつというのを仄聞させていただいておりますときに、大臣も事あるたびごとにおっしゃっておられるようでございますが、民主主義の履き違え、さらには自由という部分の取り違えをされておるんじゃなかろうかと。まさに私もそのあたり全く同感でございまして、あそこの生徒の行動というのは純粋な部分もあるだろうとは思うんですが、あくまで青少年ということで、習得すべき社会規範、自由というのはあくまで何でもありの自由ではないんですよ、世の中で守っていかなければならないルールがあって、そのルールを守った上での自由ですよということあたりもかなり欠けておるような感じがするようなところもございますし、その話を間接的にお伺いしましても、多少のずれがあるんじゃなかろうかというような認識で私どもあのあたりのニュースを聞かせていただいておるわけでございます。  この所沢高校の一連のてんまつに関連して、文部省はどのような形で現状を掌握されていらっしゃるのか、まず最初にお伺い申し上げたいと思います。
  33. 辻村哲夫

    ○政府委員(辻村哲夫君) この件につきましては私ども埼玉県の教育委員会の方から報告を受けているわけでございますけれども、卒業式、入学式を通しまして学校行事、これは学校長の権限と責任のもとにおいて計画され、そして実施されるべき重要な学校行事であるわけでございますけれども、その学校行事に対しまして一部教師あるいはPTAあるいは生徒会等の反対によって、生徒たちがこぞって参加して行われるべき入学式、卒業式等が円滑に実施されなかった、そういう事例というふうに承知いたしております。  若干具体的に申し上げますと、卒業式につきましては、生徒の側で卒業式にかえて卒業記念祭というものを生徒会主催で行いたいというような申し出が校長にあったと聞いております。校長はそれに対しまして、学校行事としての卒業式をきちっと行った後に卒業記念祭という形で行われるべきものであって、それ自体は否定しないけれども、卒業式は卒業式としてきちっと行うべきであるということであったわけでございますけれども、残念ながら、卒業式への参加者が二十名にとどまったという事例でございます。  それから入学式につきましては、校長は、卒業式のそういった経緯にかんがみまして、あらかじめ新入生あるいは保護者全員に対しまして入学式に出席するように文書でもって通知をし、この適切な実施を期したわけでございます。その結果、新入生三百九十八名中約二百五十名の参加を得て入学式は学校の計画したとおり行われたわけでございますけれども、なお残りの四割程度の入学生は、入学式には参加せず、入学を祝う会という会にのみ出席したと、こういう事例であるというふうに承知をいたしております。
  34. 北岡秀二

    ○北岡秀二君 いろいろマスコミの報道によりますと、このあたりの一連の流れの中で、職員会議の決定がどうだこうだというような報道もあるわけでございます。そしてまたなおかつ、そのあたりの生徒の行動に対して、学校の先生方あるいはPTAも含めて賛同をされていらっしゃるというような報道もあるわけでございます。  私は、先ほどの話ではございませんが、あくまで青少年というのは、これからいろんな意味で社会の中で生きていく上に当たっていろんなことを習得しなければならない、そしてまた、学校の場で先生と生徒という関係を通じながら学ぶべき点は学んでいかなければならないということから申し上げますと、過去何年間がこういう一つの伝統というのは続けられておられたそうでございますが、意図した一つの先生方の誘導というのがあるんじゃなかろうかなというような感じがするわけでございますが、このあたりについてはどういうふうに認識をされていらっしゃいますでしょうか。
  35. 辻村哲夫

    ○政府委員(辻村哲夫君) この件につきましても埼玉県教育委員会の方に確認をいたしておりますが、ただいま先生御指摘のとおり、以前より職員会議において校長の方針に反対をする、あるいは今回の入学式、卒業式の実施に際しても反対をする、その他学校運営におきまして必ずしも適正でない事態が従来からあったということはそのとおりでございます。そして、PTAの中にもそれと同じような考えを持っておられる方がいるということ世承知いたしております。  そういう教師あるいはPTAといったものの雰囲気の中で、生徒の意識がこうした雰囲気の影響を受けていないかどうかということ、その点については影響を受けているんではないかということが推測されないわけではないわけでございますけれども、しかし、今回の卒業式、入学式につきまして埼玉県教育委員会に確認いたしましたところでは、生徒の行動を教師たちがいわゆる誘導するといいましょうか、そういった具体的な事実関係は確認ができていないというふうに報告を受けております。
  36. 北岡秀二

    ○北岡秀二君 今の状況の中で、いろいろ本当に校内でも問題を抱えておるようでございますし、さらに県の教育委員会としても今後の対応策というのは非常に大きな問題だろうと思うんです。  今の状況で文部省が掌握している中で、埼玉県の県教委としては今後どういうふうな形で所沢高校の一連の流れに対して対処しようとしておるのか、そしてまたそういう状況に関連して文部省自身が今後どういうふうな形でそのあたりに絡んでいき、指導をされていくつもりなのか、そのあたりの状況をちょっとお伺い申し上げます。
  37. 辻村哲夫

    ○政府委員(辻村哲夫君) 埼玉県の教育委員会におきましては、今回の卒業式、入学式に関連いたしましても校長の判断を是とし、その判断に従った行事が実施されるべきであるということで学校長をバックアップしてきたわけでございますし、単に入学式、卒業式という学校行事にとどまらず、今後の学校運営の適正な実施ということで教育委員会としては学校長を全面的にバックアップしていくというふうに聞いております。  文部省といたしましても、今回の一連の卒業式。入学式に関係いたしましても県の教育委員会あるいは校長の努力を支援してきたところであるわけでございますけれども、今後も同様の姿勢で支援をしていきたいというふうに考えております。
  38. 北岡秀二

    ○北岡秀二君 卒業式あるいは入学式の実態、そしてまた結果的に参加された生徒、そしてまたなおかつ職員全体の一つのムード、あるいは生徒主催の卒業式、入学式に参加された数等々を考えてみますときに、そのあたりを是正していこうということの前提に立って考えてみますときに、これは非常に大きな問題を抱えております。なおかつ、私は前段に申し上げましたとおり、最近特にいろんな意味での社会的な規範の解釈の非常に大きな狂いというのが教育の現場にも出てきておるという、本当に根の深い、ある意味でいうとこれはもう今の教育現場の抱える縮図の一つであろうと思うんです。  そういう観点から申し上げますと、先ほどから申し上げておりますとおり、文部省としては教育改革に非常に大きく取り組んでおる、さらには心の教育等々を中心にこれから大きく手をつけていこうとされておる状況の中で、私は、この問題というのは一地方の一つの高校の問題であるというようなとらえ方もできようかとは思いますが、教育界全般からとらえてみますときに、これは非常に大きな問題だろうと思うんです。  ですから、基本的には私は、大臣も毅然たる態度で対応していただいておるようでございますが、文部省全体としては毅然たる態度で、そしてまた是正すべき点はこれから本当に本格的に是正するんだという気持ちの中で、これはもう所沢高校だけの問題じゃなくて全国的な、五十歩百歩で多かれ少なかれそういう現象というのはたくさんございますので、しっかりとした腹をくくった対応というのをぜひともよろしくお願い申し上げたいと思う次第でございます。  文部大臣、今までいろんなところで所沢高校の一連の流れについてのインタビュー等がございましたので話をよくされただろうと思うんですが、このあたりのトータルの今後の対応も含めて御見解をお伺い申し上げたいと思います。
  39. 町村信孝

    ○国務大臣(町村信孝君) 私は、個別の学校の個別の事例について文部省、文部大臣が一々のことを言うのは本当は余りいいことだとは思っておりません。思ってはおりませんが、本件はたまたまいろんな意味で話題にもなりましたし、私どもとしては、一つの意味から今委員おっしゃった重要な意味を持っているのかなと、全国的な意味合いで。  一つは、今、文部省といたしましては、地方教育行政のあり方ということで中教審で去る三月二十七日にも中間報告を出していただきましたが、地方分権という大きな流れがあります。そして、より文部省の役割を限定し、そして都道府県、市町村の教育委員会にいろいろな決定権を移し、さらには学校現場中心の、校長先生中心の学校運営、そして特色ある学校をつくってもらいたい、こういう一つの大きな流れを今私どもは進めようとしております。  そのときに当たって、本当に学校現場にいろいろな決定権を移すことがいいんだろうかという、ある意味では慎重論とか心配の向きの声が相当私のところへ実は来ております。そして、今回の事件を見て、ほれ見てごらん、こういう学校現場に物事を全部ゆだねていいんだろうかという改めての疑問が出されてきております。  でありますから、私は、それぞれの学校現場の皆さん方がお考えいただきたいのは、国民が安心して、学校現場でいろいろなことを決めてもいいんだよという、そういう理解を得られるベースをそれぞれの学校で努力してつくっていただきたい。今回のように、校長さんは頑張ったけれども、周りのそれを本来支えるべき人たちが逆の方向を向いた、こういう事態が続くようであれば、今私どもが全体として進めようとしておりますこうした地方分権のような動きがスムーズにいかなくなります。そして、そのことは長い目で見ると決して日本の学校教育を活性化することにとってプラスではないと思います。  でありますから、私は、学校現場の皆さん方に考えていただきたいのは、こうした所沢のような一つの典型的な例でありますが、こんな問題が頻発するようでは、学校現場の皆さんが期待するような、学校現場で物事を決めるというそうした流れがとまってしまいますよということの注意を喚起したかったというのが一つあります。  それからもう一つは、今、委員まさに御指摘のように、広い言葉で言えば社会規範あるいは民主主義というものの考え方、こうしたものが非常に何でもありといったような、まさに委員が言われたような雰囲気がこれ以上学校現場でも、あるいは社会全体でもそうですが、広まるということでは、やはり健全な社会というものが私は維持できないだろう。  そういう意味で、一つのこれは典型的な例として、やはり学校現場では学校の校長先生の判断と責任で物事が最終的には決められ運営していくんだというそのルールを、最低限のルールだと思いますが、それをしっかりとそれぞれの現場で守っていただきたい、それをないがしろにしてはいけませんよということを特に学校の皆さん方に判断をしてもらいたいな、理解をしてもらいたいなという二つの意味から、今回の所沢高校に対する一連の文部省のリアクションというのは、そういう基本的な二つの考え方に立って私どもの発言なり指導、助言なりを行ってきたということで御理解をいただければと思っております。
  40. 北岡秀二

    ○北岡秀二君 今の大臣の答弁の中で学校現場の話がございましたが、今回の法改正も教員養成を改善していこうというようなことでもございますし、これからの教育改革等々に向けて求められる教員像というのは基本的にはどういう姿を描かれておるのか、お伺いを申し上げたいと思います。
  41. 町村信孝

    ○国務大臣(町村信孝君) これは若干受け売りでありますけれども、あるときに、いい先生というのはどういう先生だろうかということで、まずきちんとした知識をうまく教えられる先生と、いろいろな段階があるというんですね。それで、一番いい先生というのは、要は子供の意欲、やる気をうまく引き出す先生、多少個々の科目の教え方が下手でも、それよりは子供たちの持っている潜在能力を引き出すとでもいいましょうか、やる気を引き出すといいましょうか、そういうことができる先生が多分、多分としか言いようがありませんが、一番いい先生なんだろうと。私も個人的にはそんなふうな受けとめ方をしております。  ただ、昨今の学校現場を見ると、ただ単にそうとだけも言っていられない、いじめでありますとかいろいろな問題もあります。だから、ある意味では子供の立場から見ても悩みが多い時代になっているのかもしれない。子供が理解できる以上のいろんな情報が入ってきたり、いろいろ昔とは違っております。だから、そうした子供の悩みというものをしっかりと正面切って受けとめる、そして話ができる、理解をする、そしてできるだけの手助けをし適切な指導ができる、今の教員に特にそういう資質・能力が必要とされているのではないか。  そんなこともございまして、昨年七月の教育職員養成審議会で、いつの時代にも教員に求められる資質・能力と、それから今後特に求められる資質・能力というのを、もちろんダブる面はありますが、若干分けてそうした報告も出されております。いつの時代にも求められる能力というのは、教育者としての使命感でありますとか深い愛情、理解があることとかあるいは教科に関する専門的な知識が必要であるとかいうことは、これはいつの時代にも必要だろう。さらに、今後求められる資質・能力としては、例えば地球的視野に立って行動するための資質・能力でありますとか、変化の時代を生きる社会人に求められる資質・能力、こうしたものが今後特に求められますよといった整理、報告もいただいておりまして、そういうことも確かに必要なんだろうと、こう私は考えております。
  42. 北岡秀二

    ○北岡秀二君 そういうことでの今回の法改正ということでございますので、今回の教職員免許法の改正というのは、先ほどからいろいろお話しされました部分のその教師像をこれからつくっていくんだ、あるいは最近のいじめや登校拒否などの学校をめぐる諸課題への対応というのが十分にできるような教員養成をしていこうということを目的とした法改正だろうと思うわけでございますが、そのあたりの今回の教職員免許法の改正の趣旨並びにその概要、トータルでちょっと御説明をいただきたいと思うわけです。
  43. 御手洗康

    ○政府委員(御手洗康君) 御指摘ございましたように、今回の教育職員免許法の改正につきましては、現在学校現場が抱えております、とりわけ校内暴力、いじめ、登校拒否などの生徒指導上の極めて困難な課題に適切にこたえるために、何よりも教職に対する使命感を持ち、子供の悩みを受けとめて適切に指導できる、そういった実践的な指導力を教員養成課程におきまして基礎的な力を身につけていただくという観点から、大学におきます教員の養成のカリキュラムを改善するということ。それからもう一つは、学校をより開かれたものとして外部の方々を積極的に学校教育に受け入れて子供たちの指導に当たっていただくための道を拡大する。大きくこの二つの目的を持って改正をお願いしているところでございます。  具体的には、このために、大学の教員養成のカリキュラムにつきましては、新たに生徒指導であるとか教育実習であるとかそういった教職科目を重視するための改正、あわせて、教科または教職ということで、得意分野をつくるためにみずからの発意によりまして弾力的な大学のカリキュラムを用意した上で、選択的な履修ができるようにカリキュラムの構造を弾力化していく、こういうものが一つでございます。  また、社会人の学校教育への活用促進のためには、昭和六十三年に道が開かれました特別免許状や特別非常勤講師制度、小学校から盲・聾・養護学校、すべての学校段階ですべての教科に拡大するとともに、手続を緩和していくということでございます。  また、あわせまして、養護教諭の専門的な識見というものをより教育活動に積極的に活用していくということから、養護教諭に保健の授業を担当することを可能にする道を開くこと。その他、現場の要請にこたえまして、例えば短期大学の卒業生が学位授与機構の認定を受けました短大の専攻科等におきまして一種免許状を取得できる道を開くというような、現場の実践によりました幾つかの弾力措置をこの際あわせて図りたいというようなものを主な内容としているところでございます。
  44. 北岡秀二

    ○北岡秀二君 私は、このたびの法改正で一つだけ心配するのは、教員養成をしていく過程の中での大学の受け皿の問題。これは一般的な申し上げ方でございますが、ともすると大学の体制というのは非常に保守的である。そしてまたそのあたりの改革というのはなかなか難しいという、これはあくまで一般論でございますが、そういう話がよくございます。  このたびこういうような形で教員養成課程の中で教科科目から教職科目をかなりふやしていく、そしてまたなおかつ、先ほどからの話の心の教育に対応できるような先生づくりをしていくということの関連で申し上げますと、その体制をつくり上げていく過程の中で大学のサイドも相当な意識改革をやっていかなければその趣旨が十分に徹底できないのではなかろうか。これはもう物理的な時間的な問題とか、あるいはこういう科目をセットしますよという問題以前の問題として、受け皿の大学サイドの先生方も含めての意識改革等々の課題というのがたくさんあるだろうと思うんですが、このあたりの御指導は文部省としてどういうふうにされていかれるおつもりなのか、お伺いをいたします。
  45. 御手洗康

    ○政府委員(御手洗康君) 御指摘ございましたように、免許法の基準を改正いたしましても、これを具体的にどう有効にカリキュラムに組んでいくか、あるいは個々の学生に効果的な履修方法をどのように指導していくかといったような大学の体制が整わなければその効果を上げないということは御指摘のとおりでございます。  そういった意味では、それぞれの各大学のカリキュラムにつきましては、基本的にはこの教員養成の免許状の基準は最低水準でございますので、これをクリアしていればそれぞれの各大学の創意工夫に任せられるという部分ではございますけれども、私どもは今回特に大学のカリキュラムにおきまして子供たちとの触れ合いや体験的な学習の場面というものをぜひふやしてほしいということを一つのねらいにしておりますし、また先ほど申し上げましたように、一定の単位数の中で教科または教職ということで、学生の志望や興味、関心に応じた得意分野をつくるための弾力的なカリキュラム編成をしていただきたい、こういうようなことをお願いしているわけでございます。  そのために、特に大学の指導体制が大変大きな課題であるわけでございますけれども、これにつきましてはこの答申を受けました後、今後の免許法の改正の方向等につきまして何度も大学関係者にお集まりいただきましてさまざまな形で趣旨徹底もしております。先ほども少し申し上げましたけれども、とりわけ平成十年度におきましては、教職課程におきます教育内容、方法の開発研究の経費というものを、平成九年度は六百万円ほどでございましたけれども、これを五千六百万円ほどに大幅に拡充をいたしまして、この経費を使っていただきまして、大学におきます体系的なカリキュラム編成のあり方、あるいは具体的に新しく設けます教職との一体感に関する新しい科目、あるいは総合演習の内容、そういったものにつきます授業の内容や指導方法、形態等を大学・学部の先生方に先行的に研究開発をお願いするというようなことも含めまして、教員養成に当たります各大学が全体として今回の改善の趣旨を受けとめていただきまして有効なカリキュラムの抜本的な改善に取り組んでいただくよう、文部省としてもできる限りの努力をさせていただきたいと思っております。
  46. 北岡秀二

    ○北岡秀二君 私は前回の委員会でも、先ほどから話に出ております社会規範の問題、非常に狂っておるという状況の中で、社会規範が指導できるような先生方を、ぜひとも大学の教員養成課程の中にもしっかりとそのあたりを取り込んでいただけるようにお願い申し上げるというような質問もさせていただいたわけでございますが、まさにこのたびの法改正によって受け入れサイドの大学の方でもこれからいろんな問題が発生してくるだろうし、当然実際に実習をしていく過程の中でいろいろな課題も出てくるだろうと思います。  このたびの一連の教育改革ということの基本の基本の部分というのを文部省も十分に御了解をされた上で、これはもう大変大きな改革をやっていくわけでございますので、大学の指導等々を含めて非常に強力な体制でぜひとも臨んでいただきたいと思う次第でございます。  時間が参りましたので、これで質問を終わらせていただきます。
  47. 萱野茂

    ○萱野茂君 民主党の萱野茂です。  教育改革ですとか教育の規制緩和という観点からしまして、法案が目指している方向につきましては、既に参考人質疑も終えておりますから異論を申し上げるつもりはありません。私は、より充実した教育課程の編成という観点からきょうはお伺いしたいと思います。  私たちアイヌ民族が長いこと求めてきました北海道旧土人保護法の廃止と、それにかわります新たな法律の制定、これが国会で成立しましてからこの五月八日で一年になりますことは、北海道を選挙区にする町村文部大臣はよく御存じのことと思います。そして、文部省は北海道開発庁とともに、この新法制定に伴い主務省となっていろいろ御努力をいただいております。  そこで、若干この法律の成立の過程をたどりながら、文部大臣に確認を求めたいと思います。  いわゆるアイヌ新法は、アイヌ文化の振興並びにアイヌの伝統等に関する知識の普及及び啓発に関する法律といういささか長い名称ですので、一般的にはアイヌ文化法とかアイヌ文化振興法とも呼ばれています。この法律の目的とするところは、同法の第一条によって、私たちアイヌの民族としての誇りが尊重される社会を実現することとされております。そして、この目的を達成するために、アイヌ文化の振興であるとかアイヌの伝統の普及を進めようとしています。  そこで、この法律の目的でうたっておりますアイヌでありますが、かつて明治のころ北海道に戸籍法が施行されたころは戸籍に旧土人と記され、萱野茂、私自身の戸籍もそのようなものでありました。アイヌを旧土人とする旧土人保護法は、一年前のアイヌ新法の成立によって、九十八年目にしてようやく廃止となったばかりであります。  さて、それではアイヌ新法で私たちアイヌのことをどのように定義しているかといいますと、法律の第二条でアイヌ文化の定義はありますが、法律の主体者であるアイヌ民族の定義は全く見当たりません。法制に当たって、受益者を特定しないとはいいながら、法律の主体者についてはもう少し明確にしていただくことが必要かと思うのであります。  このアイヌ新法の制定に当たって、政府の設置したウタリ対策有識者懇談会の報告では、「少なくとも中世末期以降の歴史の中でみると、学問的にみても、アイヌの人々は当時の「和人」との関係において日本列島北部周辺、とりわけ我が国固有の領土である北海道に先住していたことは否定できない」としています。この「我が国固有の領土である」という言葉についてアイヌ民族としてはいささか疑問を感じるわけでありますけれども、ここで確認しておきますが、文部大臣の認識もこのようなものでよいのか。また同時に、ここで言われていることは、いわゆる先住民族との解釈でよろしいのかどうか、その辺をまず伺っておきたいと思います。
  48. 町村信孝

    ○国務大臣(町村信孝君) 萱野議員、国会に議席を得る以前からこのアイヌ問題に大変熱心に取り組んでこられたこと、また御当選後も国会の中で大変すばらしい活動をされてこられたことに心からまず敬意をあらわさせていただきます。  今委員御指摘の、アイヌ民族の先住民族としての位置づけという御質問でございました。先ほど委員御指摘のありましたウタリ対策のあり方に関する有識者懇談会の報告書にございます、今まさに委員が御指摘になった「学問的にみても、アイヌの人々は当時の「和人」との関係において日本列島北部周辺、とりわけ」「北海道に先住していたことは否定できない」と記述をされているわけでございますし、また、同じように昨年九月、アイヌ文化の振興並びにアイヌの伝統文化等に関する国民に対する知識の普及及び啓発を図るための施策に関する基本方針というものが出されたわけですが、この中でも同様の考え方が示されているところでございます。  私自身もなかなか難しい問題があるなと思っておりますが、基本的にはこうした考え方と同じ認識を持っているわけでございまして、先住民族というこの言葉の定義がなかなか率直に言って難しゅうございますし、国際的にもこれという一義的な定義というのはなかなかないようでございますし、また、特に先住権の問題と絡んでさまざまな議論がなされているのはもう委員先刻御承知のとおりでございます。したがいまして、アイヌが先住民族であるかどうかということにつきましては、国際的な議論との関係において今後さらに引き続き慎重に検討する必要があるのであろう、かように理解をいたしております。
  49. 萱野茂

    ○萱野茂君 先住民族というこの言葉についてはいろんな場面でやりとりがあるんですけれども、なかなか国の方は認めようとしてくれないわけであります。それについては、いわゆる先住民族として認めたとするならば、先住権ということに事が及ぶことを国は案じているというか、そういうことなのかもしれません。この点ではまた後ほど何かの機会に改めて質問したいと思います。  次に、アイヌ民族は北海道はもちろん、かつて樺太や千島列島などにも住んでおりました。樺太、千島のアイヌは、日露戦争や第二次世界大戦によるたび重なる日ロの国境変更によって移住を強要され、翻弄され続けてきました。北海道内には、この人たちも含め三万とも五万とも言われるアイヌが住んでいます。  また、この北海道のアイヌの子弟が道外に住んでおりますが、その多くは関東や関西に職を求めて、あるいはアイヌ差別から逃れてきた者であります。東京都が平成元年に行った東京在住ウタリ実態調査では、在京のアイヌは二千七百人と推計されておりますから、首都圏全域では相当数に及ぶものと思われます。  このように、北海道のアイヌに出自のある北海道外に住むアイヌ民族についても、歴史的には先住民族と認識されておられますか。その辺一言お伺いしておきたいと思います。
  50. 町村信孝

    ○国務大臣(町村信孝君) 今委員御指摘のように、アイヌの方々が北海道以外の地域にも居住をされているということは承知をしておりまして、今御指摘のように、東京都で当時の推定で二千七百名というような数字もあったようでございます。  先ほど申し上げましたけれども、アイヌの皆様方が日本列島北部周辺、とりわけ北海道に先住していたということを先ほど申し上げましたわけでありますので、このことは、現在アイヌの方々がどこに居住しておられるのかということは直接関係のないことであろう、どこに住んでおられてもアイヌの方々はあくまでもアイヌであるという理解でいるわけであります。
  51. 萱野茂

    ○萱野茂君 東京都を中心に関東におるアイヌについてということを伺ったのは、いろんな意味で北海道でいるアイヌと違って、北海道でおるときであればそれぞれのある意味での必要な恩恵といいましょうか、そういうのがあるんですが、今のところ東京都におるアイヌたちにはそれがないのです。そういう意味で伺ったわけでありますので、この込もう一言だけ、東京在住のアイヌについてを伺っておきたいと思います、認めてくださるとまでいかないまでも。
  52. 町村信孝

    ○国務大臣(町村信孝君) いろいろな施策が確かにありますし、特に文部省は文化の振興ということでいろいろな対応、対策を講じさせていただいているわけでございますので、そういう意味で、アイヌの皆さん方がどこに住んでおられてもそうしたもろもろの施策というものが、居住地とかかわりなく施策が適用されるというのは、これは当然のことだと私は理解します。
  53. 萱野茂

    ○萱野茂君 次に、最近私に長野県の中学生のお母さんから手紙が来ました。それは、中学の英語の教科書でアイヌの歴史を学んだ子供の反応に困惑したというものであります。この教科書には次のようなことが書かれております。「本州の人々は、江戸時代の終りに北海道に侵入していきました。彼らは、アイヌの生活様式を変えてしまいました。これらの変化は、明治時代に公式なものになりました。多くのアイヌの慣習は違法となりました」とあります。本文は英語ですので、今申し上げたのは出版社が言います直訳であります。  そこで、問題ですが、時の政府によって名前も言葉も、宗教も風習も、文化のすべてを否定され、それを侵せば非合法であり、罪人とされました。この場合は非は明らかに本土の法律を押しつけた為政者の側にあるのですが、しかし、この非合法の意味をそのまま素直に読み取った中学生は、違法をアイヌの犯罪行為と理解し、その結果、アイヌに対して嫌悪感を抱くようになったということであります。  このことは、他人を差別したり、べっ視したり、他人を粗末に扱う心の発端はいともたやすいことであり、ゆえに人権などへの配慮の教育が大切であることを教示しています。教育課程の編成がえを機に、またアイヌ新法の成立を踏まえて、アイヌ民族の歴史や人権、アイヌ語など文化についての正しい知識が教育の現場において徹底されることを強く望みたいと思います。  特に、高学年に至るほど希薄になっているという北海道教育委員会のアンケートもありますので、高校、大学での徹底は当然でありますし、また、教職課程にあっては北海道外での大学においても徹底をいただきたいと思いますが、その辺を伺っておきたいと思います。
  54. 辻村哲夫

    ○政府委員(辻村哲夫君) まず、学校教育での現状につきまして簡単に触れさせていただきたいと思います。  先生ただいま、アイヌ民族の歴史、人権、あるいは文化等について十分な学習が行われていないという御指摘でございました。この点につきましては、全国の子供たちが小学校、中学校、高等学校を通じて、歴史あるいは人権、アイヌの文化等について正しい知識を持つということは大変重要な課題であるという認識のもとに、小学校では社会科、中学校でも社会科でございますけれども、歴史的分野とか地理的な分野、あるいは高等学校では日本史とか現代社会というところでそれぞれに扱われでございます。近年、教科書の記述等を見ますとこうした記述は充実をしている、こういう方向にございます。  したがいまして、私どもは、そうした教科書を十分に活用しながら、先生たちの研修についても十分意を用いて、こうした面での指導がさらに充実されるように努力をしていきたいというふうに思っております。そういう意味では、その指導に当たる先生方というのが正しい知識、理解を持つということは大変大切でございますので、その点の研修につきましても今後は充実されるべきものである、こんなふうに考えております。
  55. 萱野茂

    ○萱野茂君 この英語の本の五十五ページに萱野茂がアイヌ語教室で教えている写真が載っているわけであります。そして、この本には平成八年二月二十九日文部省検定済みというふうになっておりますが、アイヌ側から見てこういうのはいかがなものかと思うものに対して、本を使うのをやめろとかそうは言いませんが、一行か二行書きかえるとか、そういう指導を出版社に言う気持ちはおありでしょうか。その辺ちょっと伺っておきたい。
  56. 辻村哲夫

    政府委員(辻村哲夫君) 検定につきましては、教科用図書検定調査審議会という場で専門家の御判断を得ていただくわけでございます。  ただ、先生御指摘の点の内容でございますけれども、その点が事実に反する、あるいは誤った、特定の事項に偏り過ぎているとかというような是正を指示するに合致するようなものでありますれば、それはそういった手続がとられるようになるだろうと思います。もし先生の御指摘が、先ほどの非合法というところでございますけれども、ということでありますとしますと、これは必ずしも誤っているということにはならないのではないかというふうに我々は思っております。  と申しますのは、この英語の中でアイヌの民族の歴史が書かれているわけでございますけれども、その歴史の記述の中で、政府ルールをつくった、そのルールがその当時のアイヌの人たちの慣習とか生活とは異なったものを強制するようなものであったということでございまして、当時のそのルールアイヌの人たちのそうしたものを非合法化したという歴史的な事実を述べたわけでございます。  したがいまして、この文章全体を読みますと、アイヌの人たちがずっとそれぞれの地域の中で歴史や伝統を大切にしながら生き継いできて、そして、そのときにその政府の側がそういう立法措置を講じたことによってそれが非合法になったということでございまして、その後の文章等を見ますとアイヌの人々の尊厳を傷つけるものではないというふうに思っておりますので、その点、私は、この記述自体をもって誤りということではないのではないかというふうに思っております。
  57. 萱野茂

    ○萱野茂君 少なくとも、その教科書で学んだ子供がどうしてだろうという、困惑するというそのことについては、後ほど改めてひとつ考えてほしいと思います。  次に、教育課程の再編に当たって、現職教職員への再研修は極めて大切なことであることはさきの質問でも十分御理解いただけたかと思っております。  この教員の再研修については、昨年の五月七日の衆議院内閣委員会において文部省は次のように答えています。「文部省といたしましては、今後とも引き続き、教員の研修などを通じましてアイヌの歴史に関する教育の一層の充実が図られるように指導してまいりたい、」と。  私も、道外の多くの高校、大学で講演をしたり、北海道教育大学などで非常勤の講師も務めさせていただきました。また、地元にも本州から修学旅行生がたくさん訪れできます。このように、アイヌ民族についての歴史や文化についての教育北海道に限ったことではありませんので、これらの研修がその後どのように行われているのか、その辺を伺っておきます。  また、国連の人権教育の十年でもありますので、この十年のプログラムが教育現場でどのように徹底されているのか、あわせて伺っておきたいと思います。
  58. 御手洗康

    政府委員(御手洗康君) まず、教員の研修の実態についてお答えをさせていただきたいと思います。  各都道府県におきましては、初任者研修を初めといたしまして、経験五年目あるいは十年目等のいわゆる教職経験者研修ということで、該当する全教職員が一斉に研修する機会を設けているわけでございますけれども、初任者研修等を初めといたしますそれぞれのプログラムにおきましては、特に人権に関する研修プログラムというのを各都道府県ともきちっと取り入れているところでございまして、そういった一般的な人権に関する基本的な学習等の中でアイヌあるいは民族問題等にも触れられることがあろうかと存じております。  特に北海道におきましては、アイヌ等少数民族の歴史と文化というような具体的なテーマを取り上げまして、初任者研修あるいは経験者研修等で実施をいたしているところでございます。  なお、教育課程の再編に伴っての研修をどうするかというようなことでございましたけれども、教育課程の新たな改定が行われますと、それに伴いまして各教科等の内容につきまして文部省あるいは各都道府県教育委員会におきましてその趣旨徹底のための講習会等が予定されているところでございますので、そういったところにおきましても新しい学習指導要領の内容等に即しました研修が全教職員に対して行われるというような状況も今後出てまいろうかと存じております。
  59. 萱野茂

    ○萱野茂君 国連の人権教育の十年、そのことについてはどのようなあれがありましょうか。
  60. 辻村哲夫

    政府委員(辻村哲夫君) 人権教育のための国連十年に関する国内行動計画というものにつきましては、昨年の七月五日付をもちまして各都道府県の教育委員会等に通知を発しましてその趣旨の周知徹底を図っているところでございます。これにあわせまして、この内容についての趣旨徹底を図るということでの研究議会の場、あるいは教育委員会指導事務主管課長会議等の場での趣旨の徹底等、さまざまな機会を通しましてこの国内行動計画の内容についての徹底を図っているところでございます。  それ以外にも、個別の学校に何枚かお願いをいたしまして人権教育についての研究指定校というような制度を設けましたり、あるいは教育総合推進地域事業というようなものを行ったりいたしまして、各学校での学校教育におきます。そういった面での教育の充実ということにつきまして努力を払っているところでございます。
  61. 萱野茂

    ○萱野茂君 おしまいに、今、学校現場でのいろんな課題に対応するために教員養成を含むさまざまな試みがなされていることは意味のあることだと思っております。ただ、今大きく取り上げられていますいじめとか登校拒否の問題、このようなことは今急に始まった問題ではないと思われます。  例えばアイヌの子弟に対する差別、これは直接的にはいじめでありますが、これが最も多いのは学校の中においてであります。全体の半分近くが学校で差別された、いじめられたという統計があります。そして、このような現象は子供に責任や問題があるのではなく、正しい知識や人権への倫理観が培われていないことに原因があるのだと思います。  最近、北海道内の教育大学でのアンケートで実に三割を超える学生が、アイヌは昔ながらの生活、クマをとって、シカをとって昔ながらの家に暮らしている、そういう答えが出ているわけであります。このような認識に私は大変驚いています。  実は、私の住む平取町は北海道の目高管内ですが、アイヌの世帯率が高いところであります。町では、アイヌの世帯が多いことによって学校で起きるいろいろなことに対応するため、町内の三校だけですが、アイヌ地区に対する教員の特枠配置の制度が昭和四十五年から設けられております。この制度で、教育の効果を上げるだけでなく、アイヌの歴史や文化にかかわる教育の内容ですとか指導方法などいろいろな試みがなされており、私は先進的な教育改革であると大変誇りに思っております。  北海道教育委員会が始めたことでありますが、このような制度をさらに広げるお考えはおありでしょうか、その辺お伺いしたいと思います。
  62. 御手洗康

    ○政府委員(御手洗康君) 御指摘のように、現在、北海道教育委員会におきまして独自の施策といたしまして、昭和四十五年度から、ウタリ子女が比較的多く通学している学校における生徒指導等の充実を図るという観点から、現在三校三人の教職員が配置されていることは承知いたしているところであります。  これを道内でどのような形で施策を展開していくかということは北海道教育委員会において御判断されることであろうかと思いますけれども、文部省におきましてもしこれを直ちに国庫負担上の措置をするか否かというような問題につきましては、現在大変厳しい財政事情の中でございますので慎重に検討させていただかざるを得ないわけでございますけれども、今後、北海道教育委員会がどのような施策を展開していくかということを見守りながら私どもとしても研究させていただきたいと考えております。
  63. 萱野茂

    ○萱野茂君 検討させていただくという言葉を大事に受けとめておきたいと思います。ぜひひとついい意味で検討してくださることをお願いして、質問を終わります。  ありがとうございました。
  64. 大島慶久

    ○委員長(大島慶久君) 午前の質疑はこの程度とし、午後一時五分まで休憩いたします。    午後零時五分休憩      ―――――・―――――    午後一時六分開会
  65. 大島慶久

    ○委員長(大島慶久君) ただいまから文教・科学委員会を再開いたします。  まず、委員の異動について御報告いたします。  本日、上山和人君が委員を辞任され、その補欠として瀬谷英行君が選任されました。     ―――――――――――――
  66. 大島慶久

    ○委員長(大島慶久君) 休憩前に引き続き、教育職員免許法の一部を改正する法律案を議題とし、質疑を行います。  質疑のある方は順次御発言願います。
  67. 本岡昭次

    ○本岡昭次君 きょうは主として免許法附則十八項の問題について質問いたします。  免許法附則十八項は次のように書かれてあります。   養護教諭の免許状を有する者(三年以上養護教諭として勤務したことがある者に限る。)で養護教諭として勤務しているものは、当分の間、第三条の規定にかかわらず、その勤務する学校(幼稚園を除く。)において、保健の教科の領域に係る事項(小学校又は盲学校、聾学校若しくは養護学校の小学部にあっては、体育の教科の領域の一部に係る事項で文部省令で定めるもの)の教授を担任する教諭又は講師となることができる。 というふうにありますが、これはどういうことですか。わかりやすく説明してください。
  68. 御手洗康

    ○政府委員(御手洗康君) 今回の免許法の改正に係ります附則第十八項の規定につきましては今御指摘があったとおりでございます。  具体的には、当該学校におきまして三年以上の養護教諭として勤務した実績がある者につきまして、小学校等につきましては体育という教科の保健の領域の部分、それから中学校につきましては保健体育の保健の領域に係る部分、それから高等学校につきましては保健の教科の領域に係る事項、これについて教諭または講師というような形で兼職をさせて、養護教諭が責任を持ってその部分の児童生徒の教育を担当することができる、そういう制度的な道を開くものでございます。
  69. 本岡昭次

    ○本岡昭次君 それでは改めてお聞きしますが、養護教諭の本務とは何ですか。
  70. 御手洗康

    ○政府委員(御手洗康君) 養護教諭は、学校教育法第二十八条におきまして、児童の養護をつかさどるということでございまして、中学校、高等学校につきましては生徒の養護をつかさどるということになろうかと思います。  具体的には、養護教諭の職務の日常の実態を見ますと、学校の保健に関する情報の把握、例えば子供の体格や体力等の栄養状態等をきちっと健康診断の結果等をもとに整理しておく、あるいは子供たち一人一人の不安や悩みとか心の健康状態、そういったものを記録にとどめておく、そういったこと。さらには保健指導ということで、学校におきます学級活動やホームルーム活動等におきまして、教科とは別途の形で保健の指導をしていく。あるいは場合によっては救急処置等に携わる。あるいは定期的な児童生徒の学校健康診断の準備をいたしまして、学校医や学校歯科医等の職務が円滑に遂行できるようにする。もろもろございますけれども、そういうような具体的な職務とあわせまして、学校におきます保健に関するさまざまな指導計画あるいは活動、そういったもの等へも積極的に参画したり、場合によっては保健主事等といたしまして全体の計画をつかさどるというような職務もあろうかと存じます。
  71. 本岡昭次

    ○本岡昭次君 先ほど説明の中で既にお話があったのかもしれません、私が聞き漏らしたのであれば再度お願いします。  それは、「文部省令で定めるもの」というのが保健の教科の領域に係る事項の括弧の中にありますね。この「文部省令で定めるもの」というのは一体何ですか。
  72. 御手洗康

    ○政府委員(御手洗康君) 小学校あるいは盲・聾・養護学校等の小学部にありましては、教科は体育という形で学習指導要領が定められておりまして、その体育の中に児童生徒の健康にかかわります保健という部分が指導内容として含まれておりますので、「文部省令で定めるもの」というのはその保健の部分を明確にするという意味で、法文上「文部省令で定めるもの」という書き方をしているところでございます。
  73. 本岡昭次

    ○本岡昭次君 それでは、「教授を担任する教諭又は講師となることができる。」というふうに書いてありますが、教諭と講師は身分上も違います。そして、先ほど兼職させるという言葉がありました。学校において養護教諭に教授を担任させるというんですか授業を担任させるというんですかその場合に養護教諭に、教諭もしくは講師の兼務というのは、兼務辞令とか併任辞令とかいうようなものを具体的に出させてやるんですか。
  74. 御手洗康

    ○政府委員(御手洗康君) 御指摘のように、養護教諭の職務は、先ほど申し上げましたように養護をつかさどるということでございますので、保健の教科内容の指導でございます教諭の職務、教育をつかさどるという部分とは本来的に違うわけでございます。したがいまして、法文上、養護教諭に保健の教科に係る部分あるいは保健の指導内容に係る部分を児童生徒に直接責任を持って指導させるためには、教育をつかさどるという教諭の職務を兼ねさせるというような行為が現行の法体系の中で必要になるものと考えているわけでございます。  したがいまして、具体的に教諭として兼ねる場合は、養護教諭であれば教諭という形で兼ねさせるということになりましょうし、場合によって期限つきの講師等が産休代替で発令されているといったような場合には、本来の養護教諭が講師という形で発令されることになろうかと思いますが、正規に採用されている職員ということでございますので、一般的には教諭であれば教諭、助教諭の場合は講師という形の発令になろうかと存じます。
  75. 本岡昭次

    ○本岡昭次君 養護教諭だからという話がありましたけれども、養護教諭の場合に、保健も入っているからということで特別な対応をせずに、校長が、あんた授業受け持ちなさいと言ってやらせることができるんですか。  他の教科の場合は附則二項によって免許外教科担任として許可するとあり、私どもはそれは無免許運転だと、そういうのは。免許状のない者に、数学の教諭に体育を担当させるとか、数学を教える教員がいないから数学の免許状をこの附則二項によって国語の教諭に与えるとか、文字どおり無免許運転を緊急事態のような状況の中で数多くやらせているんですよね、今。  それだって教諭でしょう。教諭がそういう他のもの、保健の問題であれば、養護教諭が教諭だから、そういう附則二項にするような形にしなくともやれるというのか、やはりそれと同等のことをしなければできないとするのか、そこのところはどうお考えなんですか。
  76. 御手洗康

    ○政府委員(御手洗康君) 御指摘の、本来国語なら国語の免許を所有している者が当該中学校等に合いないといったような場合に、他の社会科等の免許を有する当該学校の教員について、免許外教員の許可という形で都道府県教育委員会の許可を受けまして、一年間という期間をもって免許外教科を担任するという制度が免許法附則二項にあるわけでございます。  養護教諭につきましては、教諭の職務とは異なる養護をつかさどるということでございますので、この附則二項の適用は、養護教諭が今回のように保健の教科の領域を指導するというような場合には発動できない規定でございますので、今回、養護教諭が実際に持っております専門的な能力、識見、あるいは実際に保健室で児童生徒を扱っていくそういった経験というものに着目いたしまして、その専門的能力を広く教科の指導領域まで活用する道を開くためには新しく今回のような規定が必要となるということでございます。
  77. 本岡昭次

    ○本岡昭次君 それはおかしいと私は思うんですね、養護教諭としての本務、それだけでも大変であるのに、さらに状況によっては授業を担任させることができるというのは。それを特別の免許状を出してやらせる、それは私も反対なんですけれども、そういうことをせずに恣意的に学校の校長が、あんた兼務しなさいというふうな、そういうことは私はあってはならないことだと思いますよ。  しかも教授を担任するんでしょう、教えるんでしょう。教えると評価をするんでしょう。教授する限りは評価をし、そしてそのことを結果として子供に何らかの形で知らせるとか、そして後々教授したことに対する責任というものが教員にあるわけでして、授業指導もずっとしていかなければならないだろうし、保健室以外の事柄に関して今の養護教諭にどれだけのことができるのか、何をやらそうとしているのかということについて私は全く不可解なんですよ。  だから、教えたことに対して評価をしなくてもいいんですか、評定はしないんですか。そこのところをはっきりさせてください。
  78. 御手洗康

    ○政府委員(御手洗康君) 今回の法改正はあくまでも制度として、養護教諭に直接保健の領域の児童生徒の指導を行うことができるという制度上の道を開いたものでございます。これにつきましては、先生の御指摘ではございますけれども、現場の養護教諭の多くの方々あるいは学校管理運営に責任を有します校長会等の御意見でも、ぜひ養護教諭の実態あるいは各学校の実態に応じてそういう制度をつくってほしいという希望が強くあったわけでございまして、そういう実態あるいは現場の実情を踏まえて改正したものでございます。  したがいまして、各学校におきまして養護教諭が実際に保健の授業を行う場合に、年間を通じてどの程度行うか、あるいはある部分を行うかといったようなことにつきましては、各学校の実情に即しまして、関係教職員の理解も得ながら校長の責任のもとに行われるということでございますけれども、養護教諭が保健のかなりの部分をまとまってやるというふうなことは余りないかと思いますけれども、もし仮に担当するというようなことがあったとすれば、そういった部分の評価については、それなりに本来の保健の担当の教諭に各児童生徒に対する評価の資料というものを引き継ぐあるいは手渡していく、そこで本来の保健体育の教科の教諭が全体としてそれを評価していくというふうなことは教育活動に伴って当然必要なのかと思いますけれども、現実に先生御指摘のように複数配置の養護教員というのは非常に少のうございますし、五百人とか六百人という児童生徒を抱えた学校におきまして、かなりの期間継続して養護教諭がやっていくというふうなケースはそんなに多くはないかなと思っておりますけれども、そういった単発的にやっていくといったような場合には、それ自身が全体の評価の中でどういうぐあいに位置づけられるかという問題がございますけれども、ほんのわずかの部分であれば、それ自身を必ずしも形式的に評価資料をつくって引き継ぐというふうなことをしなくても、教科全体の評価は本来の担当すべき体育なり保健の教科の先生が責任を持って行えるということになろうかと思います。  いずれにしても、実態に即して考えていただきたいと思っております。
  79. 本岡昭次

    ○本岡昭次君 実態に即するならば、何も免許法にこういう書き方をしなくても、学校の教職員は子供たちの成長、発達のために必要なことは皆力を合わせてやるのが当たり前でして、殊さら免許法のこんなところにこういうことを書き上げて教授を担任することができるということを書けば、それは明らかに教える者と教えられる者という立場に立って評価しなければ、教授を担任するというふうなことにはならないと思うんです。仮にとかいうふうな、そういうあるかないかわからぬというふうな意味のことを法律まで変えてやるべきことかと思うんです。  多くの要望があったと言いましたけれども、私もかなりいろんな教職現場の人とつき合うんだけれども、そんな声は余り聞いたことがないですよ、養護教諭にも子供を教えさせろなんというふうな話は。養護教諭としての専門姓をもっと発揮できるように仕事の内容を改善してくれという要望はたくさんあります。どうもこれはおかしいんですね。運用を間違うと私は大変なことになるんじゃないかと思いますよ、今あなたの話を聞いておっても。教育現場の要求がかなりたくさんあればこんなに素直に聞き入れられますか、あなた方は。何かおかしなところだけ聞き入れてこういう何かわけのわからぬことをしておる。  だから私は、こういうふうに免許法上の項目を変えなければならないというのは、それは現にそういうことをやっている学校、また管理職として校長なんかはやってもらっている学校、また体育の教師が頼むからやってくれと言っている状況を法律的に裏打ちするためにこういうことをやったのかなとも思います。しかし、これはやはり問題解決の本筋ではないと思います。本筋でないものをこういう法律の中に書き込むことについては私は賛成できません。  それで、先ほどもちらっとお話がありましたが、養護教諭というものがどういう形で学校に配置されているのかということとも深くかかわりがあると思うんです。現状はどういう規模の学校にどのような形で配置されているんですか。
  80. 御手洗康

    ○政府委員(御手洗康君) 現在の改善計画の最終目標といたしましては、三学級以上の学校に養護教諭を必ず一人配置するという計画でございます。また、あわせまして、三十学級以上の学校につきましてもう一人、複数配置をするという計画にいたしているわけでございます。この二つの改善計画をあわせまして、第六次の計画の中では、出発点のときから考えまして全体として千百八十四人の定数改善を予定いたしておるところでございます。
  81. 本岡昭次

    ○本岡昭次君 私は、この第十八項に書いてあるようなことを、学校の実態の中で、学校の教職員が子供を育てていくことについてお互いに協力し合っていこうということの中で皆で話し合って自発的に行っていくということであれば、その学校の教職員の問題として、してはいけないとかいう事柄にあえてする必要もないと私は思っているのであります。  だけれども、こういうものを法律に書くと、これはもう完全に教える教えられるという立場に立つわけでありまして、それは単に協力するとかいうことじゃないと思うんです。中学校の子供の生理の問題はよう教えんという若い体育の先生が、養護教諭の先生ちょっと来て助けてくれ、協力してくれと。そうですかと言って、補助的に養護教諭の方がその先生と一緒になってこうこうこうですよと言ってやっていくというふうなことは、私はあってもいいと思うんです。だから、学級担任であっても、片方のクラスの子を自習させておいて、複数の教員でもってその学級の何か新しい教え方をやったって、それは学校の教職員の教育を推進していく協力体制の問題だから、法律に触れることをやったらだめだろうけれども、それはいいと思う。そういう範囲のことであるならば私も許容できるが、法律に書くともうそうでなくなる。だから、その場合は、先生が一人で子供と相対峙して教える教えられるの関係になるか、必ず評価をしなければいけないということに当然なるわけで、そういうことをするというふうなことが養護教諭の本務なのかどうなのかということについてはやはり大きな問題があると私は思います。だから、評価をさせてはならないというふうに思うんです。  それは、基本的な問題と同時に、現状、子供たちが養護教諭のいる保健室に皆駆け込んで、保健室登校というふうなものが非常に多いというふうに聞いています。また、そういう実態も見ました。しかし、それはなぜそういう状況になるのかというと、それは養護教諭が子供を評価する、評定するという立場にないということで、子供は文字どおり身も心も養護教諭に開放して、悩みを打ち明けたり自分の弱点もさらけ出して助けを求めたりするんであって、その養護教諭が教える立場に立って自分を評定するんだということになれば、子供は恐らく胸を開いて心のうちを教諭に打ち明けて、何とか助けてくれというふうなことにならなくなってしまう、私はこう思うんです。  だからといって、保健室登校が正常な状態だとは思っておりません。そんなもの本来あってはならぬと思います。だけれども、現状そういうものがあるということを踏まえた上で、さらに養護教諭にそうした負担をさせる。そのことすら養護教諭にとっては大変な負担ですよ。そうでしょう。それは本務といえば本務かもしれないけれども、朝から子供は保健室に登校してくる。その子供の悩みを聞いてやり、どこまで指導していいのか、私はちょっと難しいと思う。それでも、一生懸命養護教諭の皆さんは自分の本務だと、こう考えてやっているのが現状なんです。そのことをどう解決するのかということを抜きにして、私はこんなことをやるべきではないと思います。  もしこういうことを考えていくならば、今複数配置の問題が出ましたけれども、仮にその人が学校の協力体制の必要上そういう協力をするというと、保健室を一定時間あけるというときに、だれか保健室にきちっといなけりゃいかぬでしょう。養護教諭としての本務を放棄することになるじゃありませんか。その人は子供を教えていることで仮に養護教諭としての本務の一端を果たしているとしても、学校そのものが養護教諭の本来いなければならない保健室にいないということを容認することになります。  だから、もしこういう議論をしていくならば、その前提として養護教諭の複数配置を今のように三十学級規模のところが精いっぱいでありますというふうなことを言うと、三十学級規模というと、中学であれば一学年十学級ですね。これは大変なマンモスなんですよ、もう既にそのことで。それ以下のところは養護教諭一人しかおらへんでしょう。だから、少なくとも私は、司書教諭を配置する基準というのが十二学級規模以下は小規模として、それ以上のところに配置をしていこうじゃないかという、その配置も併任、兼任いろんなことを含めながらあるわけで、とすれば、養護教諭も最低まずそういうところまでは複数配置をしていく。そして複数配置をした条件の整ったところはこういうことを検討してもいいというふうなことにしなければ、そういう条件整備をしないでこんなことだけを持ち込むというのは私はとても無謀だと思うんですよ。  町村文部大臣、どうですか。このためにというのじゃなくて、基本的に養護教諭そのものの複数配置というのは三十学級規模というところで精いっぱいということであってはならぬわけなんですよ。だから、そういう意味で複数配置の基準をやはり思い切ってずっと下げて、そして心の教育であるとか保健やそういう面について従来以上に多く配慮しなければならない学校教諭の中にあって、養護教諭の果たす任務、本務、それは非常に広くなっている、多様なものになっている。だからということがなければ、この免許法のこういうところだけさわるということは私はいけないと思うんですが、そうした問題に本気になって取り組まれる決意があってこういうものが出てきているのかどうか、そこはひとつ文部大臣にお聞きしたいと思います。
  82. 町村信孝

    ○国務大臣(町村信孝君) 伝統的なといいましょうか、昔から養護の先生と、保健室の先生と僕らは言っていたと思いますが、ちょっとけがをしたら応急処置をするとか、先ほど本務はとおっしゃったけれども、それは確かにありますよね。それに加えて、今、本岡委員御指摘のような新しい事態、保健室登校等々、あるいは性のいろんな逸脱行動への対応とか、確かに新しいそういう仕事が加わってきて、私はそれもまた本来業務だと実は思うんです。常に時代が変わったことに応じて新しい仕事をやっていくということは、私はある意味では養護教諭の重要性というものの再認識といったことも含めて大変意義あることではないかなと。  ただ、その中で、やたら忙しいというまた御指摘もあります。実は先月、三月末に全国の養護教諭を代表するお立場の方々十名ほどと懇談をする時間をいただきました。いろいろなお話を率直にそのとき聞いたのでありますが、今回のこの法律改正、要するに自分たちも保健の授業に場合によったら立てるということは、大変生きがいがあるというふうに皆さん異口同音に実は言っておられました。そして、確かに保健室登校でもうてんてこ舞いのときもあります。しかし、それもまた我々の非常に重要な仕事だと思って今一生懸命やりますと。しかし、特に今委員御指摘のように、非常に規模の大きな学校で一日に三十人も四十人も保健室に来ると、正直言って対応し切れないケースも、あるいは本当に一人当たり二、三分で対応しなきゃならないような事態もあって、なかなかその辺は大変なんですという率直な悩みも聞きました。  したがいまして、これまた先般委員から御指摘のあった今の定数の問題がございますけれども、仮にその後の問題を考えるときには、これは一つの大きな私は考慮すべき要素であろうなと。今、一つの学校に三十学級以上という配置の基準が局長申し上げたようにあるわけでありますが、そこはやっぱり先々は引き下げる方向で考えていくということは現下の保健室の実情を見ると当然考えられてしかるべき一つの要素ではあるなと、私はそのように思っております。
  83. 本岡昭次

    ○本岡昭次君 いや、一つの要素というのでは、お願いしますいうわけにいかないわけでして、もう少し文部省も体系的にその問題の解決をするということをやっていただかなければいかぬのじゃないかと思います。これは免許法だからあそこの分野だと。しかし、それは免許法だけにかかわらずすべての問題にかかわってくるわけで、だから、養護教諭がそういうふうに学校の保健計画に参画し、自分たちの立てた計画に対して子供たちがどうかかわるのか、できれば教えてみたい、また教えたいという願いがあっても、頭からそれはしてはならないんだということもまた極めて難しい問題だと思います。だからといって、現状のような状況の中で免許法の分野だけをこういうふうに変えていって、そして本来基本的に解決すべき問題が先送りされていくということはまずいし、やってはならないと思うんです。  だから、養護教諭の定数改善問題ですね、全校複数配置というふうなことは今言っても絵にかいたもちというようなことかと思うので、少なくとも私は、小学校は十九学級規模以上を複数配置に、中学校、高校は十六学級規模以上を複数配置というふうなところまで複数配置を持ってくると、学校における養護の問題、また児童生徒の保健体育にかかわる問題、また心の教育にかかわるさまざまなそうした新しい問題に関してかなりの対応ができるんではないかと思いますので、来るべき養護教諭の定数改善は、今私の言ったようなことぐらいは最低のところに押さえて次の計画を立てるというぐらいのことを文部省として決意を持っていただきたいと思うんですが、いかがですか。
  84. 町村信孝

    ○国務大臣(町村信孝君) 重要な御指摘として受けとめさせていただきます。
  85. 本岡昭次

    ○本岡昭次君 この法案、全体苗にもろ手を挙げて賛成という気持ちにはなれないんですが、さりとて反対してという気持ちにもなれず、この辺で手を挙げようかなと思っておるんですが、ちょっと幾つか関連しながら改善する問題が議論できたらと思ってやっているんですよ。  それで、問題は、先ほども言ったように保健室の機能そのものがかなり従来とは変わってきた。今、大臣もおっしゃったように、手に傷をつけたから赤チンをちょっとつけるとか、熱があるから体温計ではかるとか、しばらくそこのベッドで寝ていらっしゃいとかいう、そういうふうな応急的な介護とか看護とか手当てとかいったことじゃなくて、いわゆる子供の心の問題、ストレスの問題を唯一解消する場である、子供が元気を回復してあしたからまた学校へ出てくるわというふうなことを支援する場になるというふうなことに、悲しいかな、なっているんです。  そういう状況で、私は現場の養護教諭の皆さんに、今何が欲しいかい皆さんがそういう大変な仕事にかかわってもらうについて何か一つといったら何かというようなことをよく聞くんですよ。いろんなことをおっしゃいます。その中で、これは文部省のやることではないと思うんだけれども、心の問題に関して文部大臣が一つの詩のようなものを書いてメッセージを子供に送られるというような時代でございますから、かなり細かいことまで文部省は言えると思うんです。それで、専用電話が欲しいと言うんです。  学校というのは、電話はどこに置くかというのは何かで決まっているのかどうか知りませんけれども、要するに、校長室にあり職員室にあり、公衆電話があるところもある。職員室にあるのは教頭の前にある。それから、事務室というところには事務室専用の電話がありますよ。それで、養護教諭のところにはないのかと言ったら、ほとんどのところがなくて、何かといえば職員室のところまで走って電話をかけなければならない、あるいは事務室のところでかけなければならないということが多いと言うんですよ。私が聞いた話ですから実態でないかもしれませんよ。  しかし、養護教諭が本来の勤務場所として働く保健室、この保健室が先ほど言ったように従来にないさまざまな機能を持ち、そして学校の中で非常に重要な部分として存在をしていくようになりました。そういうことの中で、当然保健室に専用の電話があって、さまざまな緊急事態に対して養護教諭が連絡をとり、また養護教諭としての本来の仕事を果たすということについて極めて私は重要だなというふうに認識するんです。  それで、そういうふうな実態を文部省はお調べになったことはないと思うんですが、そこへ設置しなければならないという学校設置基準のようなものの中には恐らく僕はないと思うんです、事務室には配置するということになっておったとしても。だから、養護教諭の勤めている保健室に電話を設置するようにやれということを文部省から言っても言い過ぎではないと思うんだが、これはどうですか。
  86. 御手洗康

    ○政府委員(御手洗康君) 御指摘ございましたが、私どもは具体的にどういう規模の学校に電話がどこに何台入っているというようなことについて承知し得る資料を持ち合わせておりません。  しかしながら、保健室の機能全体の充実を図るということは大変重要なことでございますので、文部省といたしましても、例えば新しい小中学校の校舎の基準面積の改定におきましては、保健室の面積の改善を図るとか、あるいは保健室におきます相談活動の手引の作成配付等におきまして、保健室の機能の充実を図るような全体的な指導はさせていただいているところでございます。  なお、昨年九月には、保健体育審議会の答申におきまして、保健室の役割の変化に対応するという観点から、相談活動ができる相談室をもっときちっと広く整備をすること、さらにはパソコンなどを設置いたしまして関係機関からさまざまな情報を収集して適切な指導に活用するというような保健室の機能の充実に関する御提言もいただいておりますので、今後、各都道府県教育委員会等にも、こういった答申等も踏まえながら、御指摘の点も踏まえまして、機会をつかまえて保健室の機能全体について充実が図られるよう指導してまいりたいと思っているところでございます。  なお、この機会をかりまして、先ほど私ちょっと御説明の中で混乱いたしまして間違った点がございますので、お許しをいただきまして訂正させていただきたいと思います。  先ほど養護教諭を教諭または講師に発令すると、こう申し上げたときに、養護助教諭を講師と、こう申し上げましたが、養護助教諭を教諭または講師に発令する道はこの法律では開かれておりません。あくまでも正規に採用されまして三年以上勤務経験のある養護教諭という職の方に限って教諭または講師という形で発令できるということでございますので、お許しいただきたいと思います。
  87. 本岡昭次

    ○本岡昭次君 もう時間も来ましたので、いろいろ申し上げましたが、若干確認をさせていただきます。  一つは、この附則十八項にかかわって、教授を担任するというふうになるということですが、その場合に、附則二項に言う免許外教科担任というふうな扱いはしないということは間違いありませんね。
  88. 御手洗康

    ○政府委員(御手洗康君) 御指摘のとおり、養護教諭が兼ねた教諭に保健の領域以外の他の教科につきまして免許外教科担任を許可するというような手続は法律上とり得ないものと考えております。
  89. 本岡昭次

    ○本岡昭次君 それから、教壇に立って子供を教えたことに対する評価をしなければならない、あるいはまた、その評定そのものに対する義務を負わせるというふうなことを行政的に強制するということはありませんね。
  90. 御手洗康

    ○政府委員(御手洗康君) 具体的な事業計画自体をどのようにするかということは、保健や体育の教諭も含めまして、あくまでも各学校におきまして校長の指導のもとに関係者の共通理解を得て実施するということでございますので、全体計画の中で養護教諭がどのような役割を果たすかということを位置づけた上で行われるものと考えておりますので、その中で各学校の実態に応じて適切な指導のあり方というものを考えていただくようお願いをしてまいりたいと思っております。
  91. 本岡昭次

    ○本岡昭次君 養護教諭の本務の問題もいろいろ議論いたしました。それで、養護教諭はあくまで学校教育法二十八条の七項による本務に基づいて学校に勤務しているわけでありますから、まず本務が阻害されることのないようにということが最大の条件になりましょうし、それから、この法律が改正されたからということで、一斉に学校現場で養護教諭が授業を担当するのかしないのかといったことが行政指導において行われるというふうなことは、混乱を起こし弊害を招いていく、私はこう思います。  それで、あくまで学校の実情、そして学校の組織というふうなものに応じて弾力的にこれは行われなければならない、その基本はあくまで養護教諭の本務を阻害してはならないということにきちっと置いた上での法律改正後の指導が必要であると思いますが、そのようなことになりますか。
  92. 御手洗康

    ○政府委員(御手洗康君) 御指摘の点は極めて大事な点でございます。あくまでも各学校の実態に応じて校長が関係者の共通理解を図りながら、学校の判断を尊重して教育委員会は兼務の発令をしていくというような形で指導の徹底を図ってまいりたいと考えております。
  93. 本岡昭次

    ○本岡昭次君 最後に、兼職させる、兼務させる、いろんな言葉があると思いますが、そのときに校長は、学校で校務分掌をそれぞれ決めるような段階の中で養護教諭に、あなたも一カ月当たり教壇に立って何々するんですよというふうに、学校の校務分掌的なことの中でこれが決められていって、あるいは任意的な立場なのか、あるいはまた業務命令というふうな内容を持ったものになって兼任、兼務というふうなものが行われるようになるのか、そこのところはいかがですか。
  94. 御手洗康

    ○政府委員(御手洗康君) 養護教諭の本来の職務はあくまでも養護をつかさどるということで、その職務内容の範囲はおのずと限られております。  今回の措置は、その養護教諭に対して例外的に直接児童生徒の教育をつかさどる道を開こうということでございますので、法律論はともかくといたしまして、実際の運用におかれましては、これを強制的にするというようなことではなくて、学校の実態に応じて関係者の理解を得て、その中で校長の判断で教育委員会の方に兼職等の実際上の意見の具申をして行われるということで、保健の授業を本来担当すべき保健の先生あるいは体育の先生、こういった方々の共通理解も得た上で行われなければならないものと考えております。
  95. 本岡昭次

    ○本岡昭次君 今の、教育委員会の方にこの養護教諭は授業を担任させるということの報告というんですか、そういうものはきちっとされるということですか。
  96. 御手洗康

    ○政府委員(御手洗康君) 最初の御説明で私も多少混乱している部分があったかと思いますけれども、現在行われているような形で年間のある時間に、端的に一こまぐらい教えていくのが各学級ごとに十こまぐらいあるというようなケースでありますれば、現在でも通常は、先生御指摘のように、本来保健の授業を担当すべき小学校であれば学級担任、中・高等学校であれば体育や保健の教諭と同時に指導するということになろうかと思いますから、そういった場合には従来どおり兼職の発令をすることなく指導していくということは、これは今後とも当然あるわけでございますが、年間を通じて例えば小学校の高学年で性教育を、あるまとまった時間を必ず五年生と六年生に責任を持って保健の先生にやってもらうといったような形になる場合には、これはあらかじめ都道府県教育委員会から兼職の辞令を発令した上で、責任を持ってその部分の指導を行うというようなことを今回の法律改正では考えているわけでございます。
  97. 本岡昭次

    ○本岡昭次君 終わります。
  98. 山本保

    ○山本保君 公明の山本保です。きょう初めて文教・科学委員会で質問をさせていただきます。  最初に大臣にお伺いしたいわけでございます。実は私は教育行政学を特に研究しておりまして、それから厚生省へ入りまして児童福祉の方の実務と企画関係をやってまいりました。子供の見方というのが教育の見方と福祉の見方と相当違っていでこれが非常に面白いんですけれども、自分なりにその辺で非常に子供を見る目ができてきたかななんて思っておるんです。  大臣にちょっとまず最初にお聞きしたいのは、最近ナイフの問題でありますとか、いわば去年の中学生の犯罪というふうなものもございますし、非行、これが全部学校の責任であるというふうにはもう言えないと思います。しかし、今の学校教育、特に中学校ですね、前期中等教育のこの段階というものの問題点といいますか、そろそろ大きな問題としてとらえるべきではないかなとも思うわけでございます。  これにも触れていただければと思うんですが、文部大臣、まずこの現在の学校教育における問題点といいますか、こういう非行問題についての全般的な所感をお願いしたいと思います。
  99. 町村信孝

    ○国務大臣(町村信孝君) 大変幅の広い御質問でございますので、どういうお答えをしたらいいのかちょっと戸惑ったところでありますけれども、さまざまな問題があるなと思っております。今、最近のナイフ事件等の御指摘ございましたので、そこに少し焦点を当ててお答えをさせていただきます。  なぜああいう事件が起きるのかというのは、これまた今委員御指摘のように、学校の中だけではない、社会全体の大きな影響がその学校の中に及んでいることもあるでしょうし、あるいは複雑なといいましょうか、昔ほど単純ではなくなった親と子の関係といったようなこともあろうかと思います。また、学校の中だけを取り上げましても、多分私どもが学校に通っていたころはストレスといったようなものを感じたことはほとんどなかったのでありますが、最近の学校は非常にいろんな意味でストレスが大きいとか、いろいろな要素が複合的に重なり合ってああした事件が起きているのであろうな、こう思っております。  したがいまして、基本的には私は、特に小学校とか中学校、高校までは学校に行くのが楽しくてしようがないというような場にできればしたいものだなと。そのかわり、大学に入ったらば本当に厳しく勉強する、そういうような姿に何とかできないだろうか。そういう苦味で学校にできるだけゆとりを持たせていく、心が豊かになるような場であってほしい、そんな思いから今、教育改革という大きな六大改革の一つのテーマの中で、心を育てられるような学校をつくるにはどうしたらいいだろうかな、ゆとりのある学校ということで、例えば週五日制といったような問題を今一年早めてこれを実現できないであろうかとか、学ぶ時間が少なくなるわけですから、教える内容、学習指導要領もできるだけ厳選して、しかし確実に基礎だけはそこで学んでもらうといったようなことを一つ大きな課題として実現していきたい。  また同時に、どうしても学校で大切なのは先生と生徒の関係でありますから、非常に昔よりは変わってきた生徒に対していろんなことで対応できるような対応力のある、豊かな指導力のある、そういう学校の先生を養成するために、今回のこうした法律改正もその一環として考えたい、こういうことでこの法案を出させていただいている次第でございます。ちょっとお答えになっているかどうかよくわかりませんが。
  100. 山本保

    ○山本保君 ありがとうございます。  今大臣が言われました楽しい学校にというのは、本当に簡単塗言葉ですけれども、今の教育の一つの課題を、また方向性を示したものではないかなというふうに、私は非常に今のお言葉には賛同いたします。  ただ、一つだけ私の専門の分野から考えますと、やはり文部省としましては学校教育に責任があるということも大きく見る必要があると思います。この機会をおかりしまして一つだけちょっと指摘させていただきますと、今の学校教育法というのは、これは後ろに専門の方がおられますからあれですが、戦前の小学校令と全く同じ構造を持っております。これは条文が似ているとか、いろんなところが似ている、こういうものはありますが、一番その中で大きなことは、戦前の学校教育というのは、これは天皇陛下が、国が国民を教育する、こういうものでありましたから、この学校教育に対して親や子供が参加するという発想はありません。  ところが今、児童福祉でもそうですし、それからそのほかの法律、子どもの権利条約もそうですが、子供にすら、子供の発達に応じては子供すらですし、もっと言えば、親に関しては当然自分たちの子供の最終責任、第一次責任は親が持つんですから、それを学校にお願いしておるとなれば、その学校教育に対して、直接的な形も含めて、また間接的な形も含めて、もっとより多く参加していくという発想がなくてはなりません。ところが、今の学校教育法等の構造では、保護者というのは全くそういう権利主体としてはとらえられておりませんで、学校に行かせなければならないという義務が課せられているだけだと言うのも言い過ぎではないと思います。  ですから、ぜひ私は今の学校教育というものをもっとオープンにしていくこと、これは細かな問題ではございませんが、原理として一つ申し上げたいと思うんです。  そのことから考えますと、今回、この免許法でいろんな社会人が参加する道ができて広げていくということについては、私は賛成したいと思っておりますが、ただ、御説明などで社会人の活用というような、これは細かい言葉でございますが、これは私は、このような見方自体が、学校というのは教師だけがやるものであって、その必要に応じてやらせてやるよと、こういう感覚がいまだに抜けていないなという気がいたしますので、この辺は改めていただきたいと思っております。その中身についてはまだ後でもう一度やります。  そのことで今度はもう一つ、三月十日ですか、文部大臣緊急アピール「子どもたちへ」という一枚のものを出されました。アピールを大臣が出す、行政的に言って文部大臣が国民に対してこういうことを言うということはどういう権限に当たるのかなという気がしないでもありませんし、戦前、戦後、特に戦中のいろんな忌まわしい記憶からいきまして、大臣が国民に対して訓辞をするというようなことになったのでは大変なことだと思っていたわけでございますが、読みました限りそのような感覚はないのかなと思ったわけでございますが、大臣、このアピールを出した真意といいますか、その辺について御説明いただけますか。
  101. 町村信孝

    ○国務大臣(町村信孝君) 一月の下旬に栃木県で中学一年生が女性の教師を刺し殺すという事件がありました。そしてその後、東京だったでしょうか、警察官を襲うとか、あるいは生徒が生徒を殺すといったような一運の事件が次から次へと起きてまいりました。まるで何か伝染病が急に広がるような、そんな不安もありました。大変衝撃も受けました。したがいまして、どういう権限があってと言われると、そこまで私正直言って詰めて考えたわけじゃございませんけれども、もうこうした流れを断ち切りたい、こういう思いで子供たちにアピールを出しました。また同時に、子供たちを取り囲む親、あるいは学校の先生、社会全体に対しても、今の大切さ、あるいはナイフを持ち歩くのはそもそも法律違反でやめようと、そういうことをアピールしたわけでございます。そうした何か急にわっと伝染病のように広がる病気を何とかどこかで食いとめたいな、一度立ちどまってみんなでこれは考えてもらいたいな、そんな思いであのアピールを出したというのが私の心情でございます。
  102. 山本保

    ○山本保君 私は、この限りにおいては今のお気持ちを素直に受けとめたいと思っておりますが、ただ、行政的な形としては、いろいろこういうことがもしほかの場合でも安易に使われるというようなことはどうかなという気もいたしますので、この辺は慎重にしていただきたいと思いますが、大臣の気持ちはよくわかります。  この中身について、私も福祉側としての仕事をした面からちょっと申し上げますと、残念な気がするんです。というのは、言葉も易しいし非常にわかりやすい訴えでございますが、私読ませていただいて、子供たちがナイフを持ったり、または非行というような行動をしたり、それは何も、テレビ映画、アメリカ映画などで暴力をまさに喜んで行うような活劇シーンがあるわけでございますが、決してそんなものではないわけでして、子供たちも非常に悩み、そしてそのことの昇華として、もしくはこれが自分なりに考えて一番男らしい、または仲間の中でこういう行動をとらなくてはならないというような、それなりの判断をしてやっております。判断ができずに悩んで行っている場合もございます。今回これを読みますと、「もうやめよう。」、「明るく前を向いて」、こういう明るく正しい子供の像というのも確かにありますけれども、しかし、子供たちの悩みというものを共感してあげているという、こういう姿勢をぜひ大臣または文部省は持っていただきたいと思うわけであります。  なぜそんなことを感じたかといいますと、一昨年、実は奥田文部大臣がいじめについてというやはり緊急アピールを出されまして、これの方が構造がもっと非常に明確でございまして、いじめられている子には頑張れと、いじめている子にはもうやめろと、こういうパターンでございます。これは子供というものをいじめる側といじめられる側というふうに、ある子をステレオタイプで見まして、そしてその子供に対して正しい御指導をしてあげましょうという感覚がどうも出ているような気が、これは私今言い過ぎたかもしれませんけれども、そんな気がいたします。ぜひ悩んでいる子供たちへの共感ということをまた訴えていただきたいなと思います。  次に、先ほど申し上げましたように、実は私は、今、学校というのは大変変わりつつあると思っておりまして、今回の免許法の改正というのもその流れで見ますとよく意味がわかるわけでありますけれども、いろんな専門家を学校に参加させる、またはその専門家と連携をすると。つい二、三週間前にも初中局の協力者会議の方から、専門機関と連携をするそういう教師像、学校像というのが出されました。私は、これは基本的にその方向をもっと進めるべきだと思っているんです。その立場から何点かお聞きしたいと思っております。  最初に、先ほど本岡先生が大変詳細にされましたので、ここを先に取り上げましてちょっとだけ補足的にお聞きしたいと思っております。養護教諭の問題でございます。  養護教諭の方が保健室で子供たちを、学校に行きたくない不登校の子供たちや、また悩んでいる子供の心を受けとめている、こういう状況がある。文部省はこういう状況についてどういうふうなとらえ方をされているんでしょうか。これは質問通告にはなかったんですけれども、例えばこれは学校として当然のことであって結構なことだというふうにとらえられているのか、または、これは何らかの問題があってやむを得ず今やっていることだととらえられているのか、この辺はいかがでございますか。
  103. 工藤智規

    ○政府委員(工藤智規君) 先般も実は、最近のいろんな問題点にかんがみまして、養護教諭の方々にお集まりをいただきながら、さらなる御奮闘あるいは御工夫を含めたお力添えをお願いしたところでございますが、その際、大臣ともじきじきいろいろお話を聞いていただきまして、大変御苦労のほどを私もしみじみと感じた次第でございます。  今お話ありましたように、養護教諭は児童生徒の養護をつかさどるという立場で保健室においでになるわけでございますが、ふだん何もなければ、ちょっと転んだときに昔風に言うと赤チンをつける、そういう立場ではございますけれども、今や子供たちの心と体の健康全般について日夜奮闘して、全く頭の下がる思いをしているわけでございまして、それは児童生徒の養護をつかさどるという本来の職務であると私どもは認識しているわけでございます。
  104. 山本保

    ○山本保君 養護をつかさどるという用語もぜひ大至急変えていただきたいですね。養護といいますと、福祉の方では例えば特別養護老人ホームというようなものがあります。または養護施設というのも、今回これは法律改正して直しましたけれども、また文部省の方だって、養護学校と言うときの養護とこの養護教諭の養護と同じ言葉ですけれども意味は全然違うんじゃないでしょうか。まさにこの辺は戦前の小学校令以来の表現ですけれども、ぜひここは直していただいて、養護教諭はもちろん学校令にはありませんでしたが、このような内容は変えていただきたいなと思います。  さてそこで、具体的に本岡先生がお聞きになったこととダブらないようにちょっとお聞きしたいんですが、学校というのが、まさに選別をするという社会的な機能があること、そしてある一定の労働能力を高めていくということがあること、これについて評価というのは必ず必要であること、これは私も認めます。これは仕方がないといいますか、当然教育の一つの社会的な重要な機能でありますが、養護教諭といいますと、今のお話にもありましたように、どうもそれとは違うのではないかと思うわけです。子供たちがそこへ直感的にわかって行きますのは、先ほどお話がありましたように、まさにこの先生に話したってだれにもどこにも流れていかない、校長先生にも担任の先生にもわからない、そして話しながら自分の悩みが聞いていただけて、自分の悩んでいる心が支持されまして、サポートされて、そして自分なりに安心したり先が見えてくる、こういういわゆるカウンセリングということをやっていられるということだと思うんですよ。  そうした場合、今度の改正についてお聞きしますけれども、担当なのか担任なのかとかその辺もちょっとあるんですけれども、授業を一年間やるというのは、これはどうなんでしょう、私はこれはやらないんだというふうに認識しておりました。というのは、教養審の中の養護教諭のカリキュラムのあり方についての報告を読みましても、これを素直に読めば、これは今の性の問題であるとかまたは不登校の問題であるとかいじめの問題であるとか、こういう問題についての専門的な識見とか経験を生かして参加してというふうに読めるんですね。一年間とか一学期間授業を担当して、それで指導要録に記入するというようなことを、またはそれを自分で記入しなくても、先ほど答弁では専門の先生にそれを引き継ぐと、こう言われましたけれども、同じことでありまして、自分で記入しなくたって引き継いでおればこれは評価しておることですから、こんなことでいいんでしょうか。  これともう一つついでに一緒にお聞きします。  ということは、保健体育もしくは保健の専門の先生、免許状を持った先生がいないところに養護の先生をやらせるというような、まさかこんなことは絶対許さないんでしょうね。当然、専任の先生がいて、そして先ほどのような問題について授業を担当する、こういうふうに私は理解しておったんですけれども、違うんでしょうか。
  105. 御手洗康

    ○政府委員(御手洗康君) 養護教諭が本来保健室で行いますカウンセリングや子供等の相談につきまして評価するということがないことは当然でございます。  しかしながら、今回の改正につきましては、年間を通じましてある部分、例えば先ほど申し上げましたように小学校高学年の性教育の部分を一定時間数まとまって担当するとか、あるいは中学生に薬物乱用防止教育をやる場合に、養護教諭が持っております専門的な識見を活用いたしましてある一定時間をまとまってやる、そういったような場合には、現状で行われておりますように、一時間程度担当の学級担任やあるいは体育の教諭と一緒に行うという形じゃなくて、ある程度責任を持って年間の全体の体育あるいは保健体育の授業の計画の中に位置づけて、ある部分のまとまった時間数を教えていくといったような場合には、あらかじめ今回のような措置を設けて、養護教諭に責任を持って行わせるといったようなことがあってもいいのではないか、こういった制度的な道を開いたわけでございます。  したがいまして、各学校の実態によりますけれども、小学校におきましては一応全教科を学級担任が行うということになっておりますので、保健体育の教官がいるかいないかというようなことは問題にはなりませんが、中学校におきまして、僻地等で場合によっては体育の教官が三学級の中学校でどうしても見つからないというようなケースも、それは個々の学校の実情においては場合によってはあり得ると、理論的にはあり得るとは思います。  そういった場合に、先生御指摘のように、養護教諭がそういったときにやってはならないかということになりますと、それもまたそれを否定的に解する理由もないわけでございます。いずれにいたしましても、あくまでも保健室等におきます養護教諭の本来の業務に従事しながら、各学校の教職員配置や生徒指導の実態あるいは教職員の協力体制、こういったものを見きわめながら、実情に応じて各学校において判断していただくというようなことを考えているところでございます。
  106. 山本保

    ○山本保君 まさに僻地などでいない場合にこそ、これからまた話が出てきます特別非常勤でありますとか、それから先ほども出ました、本当はいいことではありませんけれども、教科外の先生を担当ということにして、そしてその足らざるところを補うというような形をとるべきではないか。もっと言えば、そんないない学校を何とか早く解消するように指導されるのが仕事ではないかという気がいたします。  安易に授業を担当するということになりますと、もちろん高校入試などで大した影響がないではないかというような、こんな全然教育学的発想じゃないことは言われないと思いますが、しかし子供にとって授業というものの意味とそして心を打ち明けるということとの意味は違いますので、今までせっかく子供たちにとって居場所があったのがなくなってしまうというようなことになっては困りますので、先ほどの言葉では私はちょっと承服しかねるんですけれども、運用はきちんと専門家の意見を聞いてやっていただきたいと思っております。  ではこの問題はこれにしまして、今度はそれと関連しまして、こうなりますと、これは養護教諭の方の反対があるかもしれませんが、逆に親の側から、国民の側からと考えますと、学校にはもっとさまざまの専門家がいるべきではないかと思うわけです。教師だけが子供についての聖職であるというのは、これはもう二百年来の考え方でありますけれども、今は児童福祉にしても、臨床心理にしましても、その他遊びの専門家、子供の進路にしましても、さまざまの専門家が社会の中にはいるわけであります。余裕があるならばぜひこういう方を学校に置くべきですし、また都会地などで置かなくともちゃんと周りにいっぱい人材がいるのであれば、その方たちに参加していただく方法を考える、連携する方法を考えればいいと思うわけであります。  そのとき、スクールカウンセリングでございますね、スクールカウンセラーという方がやはり臨床心理家として学校にいるべきではないかなというふうに思うわけであります。時間がありませんので、私、そのことは評価しますが、一つこういう考え方でございます。  例えば、児童相談所などでも実際にカウンセリングなどを担当する職員というのは大変な心の圧迫を受けます。一生懸命相手と同苦、苦しみを同じにしましてその解決策を頭の中で考えながら、なおかつ指導しないように、その方の自分の理解というものを高めていこうと。これを次々とやりますと、本当にこの方たちは自分自身がすごい疲労といいますかまた心理的にも危ない状況になってまいります。必ずこういう専門家の組織の場合にはその上に、上にといいますか、スーパーバイザーという方を置きまして、この方が個々の相談員の方の悩みをまた解きほぐすというような仕事をするというふうに決まっているわけなんでございます。  私は、学校教育というのは、カウンセリングをやるのは専門家だけで、あとの教員はさあ頑張れ頑張れという、こういうものではないと思うわけでありまして、学校の先生方はできる限りで子供たちのことを聞き、悩んでおられるわけでありますから、カウンセラーを置くのももちろん大事ですけれども、学校にも臨床心理のスーパーバイザー的な方を置く、こういう方が私は効果が高いのではないかと思いますけれども、これについてどうお考えでしょうか。
  107. 辻村哲夫

    ○政府委員(辻村哲夫君) ただいまの先生のお尋ねでございますけれども、学校の先生一人一人がカウンセリングマインド、カウンセリングについての指導力といいましょうか、能力を高めるということが大変大切なわけでございますけれども、昨今見られるような、さらに専門的な知識、技術を踏まえた対応が必要であるというときに、先生にだけこれを担当させるということではなく、外部からの専門家を仰ぐということが必要であるということ。そのことで、現在、スクールカウンセラーというもの、平成十年度には千五百校ほどに配置をするということになっております。現在は、このスクールカウンセラーとして学校にお迎えした方に、場合によっては、子供のカウンセリングに当たっていただくと同時に保護者のカウンセリングにも当たっていただく。と同時に学校の先生の相談にも乗っていただくというような形の仕事をしていただいております。  したがいまして、今、先生のお尋ねがさらにその上のスーパーバイザーということでありますと、これはこれからどう考えていくか慎重に検討していかなければならないと思うわけでございますけれども、まずは、平成七年度から今のような考え方でスクールカウンセラーというものを逐次配置してきておりますので、その成果を見守っていきたい、こんなふうに考えております。
  108. 山本保

    ○山本保君 スクールカウンセラーがいいものだということは認めますけれども、やはりこの発想に、学校というのは教師が中心であって、そのほかこういう方たちはその指導を受けて、その指揮を受けるなり、または全然ノーマルでないところで対応しなさいよという、こういう発想がどうも見えるのでございます。ですから、そうではなくして、学校教育全体が子供の心を支えるようになっていかなくちゃいけないわけですから、それなりの権限を持った人を置かなくてはならないと思います。  ですから、例えば生徒指導主事がいるわけです。この方たちのまさに一つの必要な力量というのはこのことである。個々の子供のカウンセリングだけではなくて、個々に相談をしている教師のまた心を支えていけるような、こういう方が生徒指導主事になるべきだと思います。時間もありませんので、この辺は御意見はいただかずに先へ進みます。  それからもう一つついでに言いますと、施設や機関ごとの連携というのは、口で言うのは簡単でございますが、本気になってやり出しますと大変なことで、普通は問題が起こったときに慌てて連絡し合う、この程度になってしまいます。今回の意見にしましてもそうではないわけですから、いわゆるコーディネーターです、このためにはそういう方が常時その子供たちのためを思って地域の中を走り回る必要があります。  私は、今こういう方は学校の校務分掌で考えれば教頭さんの仕事だと思うんです。ですから、ぜひ教頭さんにはこういうことについてきちんと訓練なりをされて、そのことも本務としてやるべきであると、こうはっきりさせるべきだと思います。  もう一つ、最後にこのことについて一つだけ。  そうしますと、学校には私はお医者さんがいるべきでないかと思うんです。今、私は主に労働。社会政策委員会なんですけれども、労働関係で言いますと、五百人以上の事業所には産業医を置かなくてはならないんです、必置義務なんです。そういう時代なんです。この方たちは別に健康診断をやるためにいるわけじゃないんです。それもやりますけれども、もっと言えば、生活環境たる職場環境がいかに健康的なものになるかということについての発言権を持ち、それは社長にだって事業主に対してだって言わなくちゃいけない、そういう責任が持たされているわけですよ。  ですから、成長発達段階の途上にある重要な子供たちですから、例えば三百人なりそれぐらいの学校には学校医を必置すべきではないか。その場合、精神科などについてもある程度の経験を持った方を置くべきではないかなと思いますけれども、この辺についてどうでしょうか。
  109. 工藤智規

    ○政府委員(工藤智規君) 学校には学校医それから学校歯科医、学校薬剤師を置くこととなってございまして、その財源措置については地方交付税で措置しているわけでございます。御趣旨が、今のような形で本業のお医者さんの方に学校においでいただいているわけでございますが、それを専任として置くべきという御提案であるとすれば、貴重な御提案でございますけれども、今専任でないから本当に学校で困っているかというと、必ずしもそういう事例は聞いていないわけでございまして、もちろん子供たちを取り巻く心身の健康づくりの上では、担任あるいは養護教諭等々の学校内の教職員だけではなくて、学校外のそういう非常勤ではございますが学校医あるいはスクールカウンセラー、地域の保健所でございますとか児童相談所でございますとか、いろいろな専門家すべての方々の連携協力が必要なんだと思うわけでございます。  仮に学校医の方を専任でお迎えするとなりますと、一つには財政負担の問題があるわけでございますが、果たして地方公務員になっていただいたときに、本業のお医者さんをやめておいでいただくときに、待遇上御本人にとっても魅力的かどうかという問題もあるわけでございます。今必ずしも連携がうまくいっていないという問題意識はないわけでございますが、今後ともそういう学校医の方々を含めて学校内外のいろいろな方々の連携を図りながら、子供たちのより一層の保健環境の整備に遺漏のないようにしてまいりたいと存じております。
  110. 山本保

    ○山本保君 もっと積極的な対応をぜひ検討したいですね。教育委員会に置かれてもいいです、もしそれならば。そして、学校の担当を決めまして一週間に一遍なり必ず行かれて状況を見ると。問題が起こってから対応するんじゃなくて、あらかじめそうという体制をとらなければ、今の学校医さんではとてもできない。やっていないと思いますよ。やれるような体制でもないと思います。  今、医療面においては、お医者さんはそんなに難しくありませんし、そういうお医者さんもまた出てきておられます。たくさんもうけるというのじゃなくて、公務員ぐらいのお金があればやろうということもありますし、また制度面からいっても診療所扱いするというふうな方法もあるかもしれません。これはぜひ、どうしたらいいのかという形で対応すべきなので、できない理由を幾ら挙げられても何にもならないと思いますので、ちょっと嫌な言い方ですが申し上げます。  次に、今度は教員養成制度です。これは一括してお聞きしますが、いわば大学で教員を養成する、この開放制というのが戦後の教育改革の一つの大きな柱でしたし、養成の原理となっておりますけれども、今回の改正がそれをやっぱり事実上告しくするんじゃないかなという気もしないわけでもない。文部省としては、この教員養成というものについて、この開放制の問題はどのようにとらえていかれるのか、もうやめてしまうという考えなのか、その辺についてお答えいただけますか。
  111. 御手洗康

    政府委員(御手洗康君) 御指摘がございましたように、現行の教育職員免許法におきましては、教員養成のルートを戦前のように特定の機関に限定せず広く一般の大学において養成するということにしておりまして、これがいわゆる開放制教員養成制度の原則と言われているわけでございます。現実にも、教員の養成ルートは国立の教員養成大学・学部が主として小学校教員を中心にしているのに対しまして、一般の大学・学部は高等学校等が中心になってございますし、中学校におきましてはほぼ半々程度の形で現在教員の採用が行われているという現状もございます。  今回の免許法の改正におきましても、ただいま申し上げましたように、広く一般の大学において教員養成を行っていくという開放制の原則のもとにおきまして、現在求められる教員の資質を考えまして、最低限の基準の改善を行ってまいりたい、こういう趣旨でございます。
  112. 山本保

    ○山本保君 それについてもう少し確認的にお聞きします。  今回、教職専門科目をふやして、そして教科関係を減らす、教職専門科目というものをふやす考え方ですね。はっきり申し上げて心配なのは、いわば戦前の聖職教師に戻そうとしているんじゃないか、そんなことはないと思いますけれども、一体どういう意味で教職科目を重視するのか、これについてお答えいただけますか。
  113. 御手洗康

    政府委員(御手洗康君) 教職科目の重視につきましては、六十三年の教員免許法の改正の際にも生徒指導等充実を図るということで行ってきたところでございますけれども、先ほど来申し上げておりますように、その後の児童生徒の問題行動をめぐります状況等に対応いたしまして、とりわけ教員採用側からは、教員養成大学を出てきて直ちに児童生徒の教育に当たるという教員の役割にかんがみまして、できる限り児童生徒の理解がよくできるといった資質、あるいは子供たちとのさまざまな体験をできるだけ積んでくれるような経験、そういったものを重視した教員養成を求めているという状況があるわけでございまして、今回はそういった現場の要求等にこたえるために、全体として大学のカリキュラムを教職重視の方向で改めて改善を図ってまいりたいと考えているところでございます。
  114. 山本保

    ○山本保君 午前中の審議の中で大臣はこれからの教師像、教員像というものの御質問に答えられまして、子供の意欲を引き出すと、そういう先生であると、こういうふうな表現をされました。私も全くそう思います。  ただ、その場合ちょっと心配なのは、意欲を引き出すためにはまず教科の構造をよく知っていなくちゃいけませんし、子供の発達の状況もよく知っていなくちゃいけません。意欲を引き出すという言い方だとか心の教育といいますと、何か気持ちだけ一生懸命やればいいんだというような感覚がどうもあるんじゃないかという心配があるんですよ、これも杞憂かもしれませんけれども。専門職としての教師でございまして、何でも元気を出してやればいいとか、頑張れ頑張れと言ったり、そういうものでは決してないと思いますが、この辺ももう当然のことですけれども、確認的に、教員のあるべき姿というようなものはどのようにお考えなのか、簡単で結構ですが、お答えいただけますか。
  115. 町村信孝

    国務大臣町村信孝君) 余り私も精神論だけで申し上げているつもりはございません。そういう意味では委員とそう考えていることは違わないのかなと思っております。  ただ、先ほどちょっと戦前型の聖職に戻すのかという御指摘がありました。戦前型の聖職の意味するところはいろんな意味合いがあるんだろうと思いますが、ややもすると、戦後、教師は労働者であるという言い方がありました。やっぱりそれは私はおかしいと思います。それは労働者的側面があることは間違いがありませんけれども、非常に大切な職業ですよという意味でもし聖職という言葉が使われるのなら、私はそれはまさに聖職という気持ちでやっぱり先生方は現場に立っていただきたい、こう思っております。  なお、子供の意欲と先ほど私申し上げましたが、それは一つの側面を申し上げたので、それさえできればあとは教科のことは何もやらないでいいのかとかいったら、それはそうではなくて、それはそれとしてきっちりやるべきことはやった上で、なおかつ大切な部分はそういうところなのかなという私の考え方を申し上げたというふうに御理解をいただければと思います。
  116. 山本保

    ○山本保君 当然であると思いますが、聖職という言葉が意味するものは、子供の心、子供の成長発達という前に、まさに国家目的というものがあって、これに基づいて子供をつくり上げていく、こういうものを称して言われているわけでありまして、もちろんそんなものではないということでお答えになったというふうに思っております。  ただ、先ほども道徳教育というようなことがありましたけれども、これは辻村局長もおられますからはしょりますけれども、道徳というものについてもどうしても日本の場合は徳目主義になりまして、何でも教えればいいんだと。  私は、よく御存じだと思いますけれども、いわゆる非行少年という子供たちの施設の担当もずっとしまして、子供たちとも話をしますと、子供たちは、何をやったらいいのか、よくないのかということを知らないわけではありません。よくわかっています。ただ、先ほど申し上げましたように、子供なりに悩んだり考えたりして、我々もそうですが、悩んでいますと目というのは狭くなって、ほかの方法は考えられないということになってその判断をする。または、そこでどちらをとったらいいのか、まさに情か理かというようなことで子供なりに悩んだ判断をしていく場合がほとんどであります。  私は、こういう場合に、専門的になりますけれども、アメリカで二十年ほど前に大分評価が高まって日本でも相当言われましたけれども、コールバーグという学者がいまして、ただ単に教え込むだけではなくて、子供たちにそういう限界状況みたいなものを子供の状況に応じて出しまして、そして、そこでどういう判断をしていったらいいのかということを話し合っていくというような方法。ぜひ道徳教育というもののイメージを変えていただきたいなと思っておりまして、きょうは道徳教育論が出ましたのでちょっとお話しさせていただきました。  次の課題です。  さっきの問題なんですが、いわゆる単科大学みたいな大学で教職課程をとるというのは厳しくなってくると思うわけでありますけれども、この前、高倉先生にその辺もお聞きしましたら、専任教員の配置とか教職課程の任用基準などを改める、こういうような意見を出しているんだというお話がございました。  文部省としては、この辺の対応はどのように進められるのでしょうか。
  117. 御手洗康

    政府委員(御手洗康君) 御指摘のように、今回の基準の引き上げに伴いまして、教職科目につきまして設置するのがなかなか困難であるというような私立の単科大学等の意見があることは承知いたしております。  そのような実情を踏まえまして、教養審の答申におきましては、一つは、教職に関する科目につきまして、現在いわゆる他学部聴講等を認めているのと同じように、他大学において単位互換協定を結んでいる場合に、他大学におきます科目を履修するということで教職課程の認定を行うようにというような答申がされております。また、課程認定に際しまして、教職に関する科目の専任教員数の基準が学生数に応じまして定められているわけでございますけれども、これの緩和等の提言がなされているところでございます。  私学の関係団体等にもその趣旨を十分御説明いたしまして今回の法改正につきまして一定の御理解をいただいているところでございますので、法案が成立いたしまして具体の省令あるいは基準等をつくります際には、この答申の趣旨を踏まえまして適切に対処してまいりたいと考えております。
  118. 山本保

    ○山本保君 それでは次に、今回の改正の中で、大きな柱の一つに盲・聾・養護学校の免許制度について弾力化を図るというものがございます。  弾力化というのは非常に聞こえはいいんですけれども、私はちょっと心配になりますのは、こういう専門的な力量を持った先生が相対的にその地位を下げられるのではないかという心配を感ずるんです。この辺について少しお聞きしたいわけでございます。  時間もありませんので一つ具体的にお聞きいたしますけれども、盲学校教員の方で「特殊」という言葉、これも法律上おかしな言葉だと思いますが、「特殊の教科」というのですか、今ほとんどのところで使われていないと思いますけれども、私はこんな言葉が残っているのはおかしいと思います。  まさに盲人の方に非常に関係の深いものについての免許状、これはどこで出しているのかなと見ますと、筑波大学理療科教員養成施設というのがあって、ここで出しておられる。しかし、ここは筑波大学の共同研究機関になっておるようでございますけれども、大学ではない。では、専門学校なのか、専門学校でもないと。今回、学位授与機構との関係で、そういう大学に入っていなくともいろんな形で勉強をされ、そして経験された方には上級の、またはちゃんとした資格が与えられていくというときに、大学でもない、専門学校でもない、専攻科であるというような形で特に理療科の教員免許状が出されているというふうになっておりますけれども、これはどうなんでしょうか。  今回、特に特別非常勤講師であるとか特別免許状というような形でそれを広げましたね、拡大しましたね。この辺についても、一般の方といいますか、そういう教員でない、免許状を持っていない方もできるとかまた普通の教員であってもこれができる、ほかの教員でも盲・聾・養護学校の先生ができるというような形で、緩和ということは逆に言えばこの分野の専門家の意味が低くなるんじゃないか、私はこんな気がするわけですけれども、この辺はどうお考えでしょうか。
  119. 御手洗康

    政府委員(御手洗康君) まず、今回新たに附則十九項によりまして、盲・聾・養護学校の教諭の免許状を持っていない教員について、小・中・高等学校等の免許状を有していれば盲・聾・養護学校のそれぞれの相当する部の教諭となることができるという規定が新設という形で設けられているわけでございます。これは先生も御案内のとおり、昭和二十九年に仮免許状を廃止しました際に、これらの盲・聾・養護学校等におきます小学校、中学校、高等学校の免許状とあわせて盲・聾・養護学校の免許状を要することとされています二枚の正規の免許状を持った教諭を確保することが当時の需給関係から極めて厳しかったという状況から設けられ犬ものでございます。  今回は、全体の法律改正に伴いましてこれを原始附則の十九項の方へ整理をした上で持ち込んだわけでございますけれども、現状におきましても、盲・聾・養護学校の教諭等の状況を見ますと、盲学校盲学校の免許状を持って正規に発令されている教員は二割程度、聾学校では三割、養護学校では五割をちょっと超えるというような状況でございまして、現場におきます教員の実際の人事異動上の必要性から、なお今後ともこのような特例措置を存続させるということで整理をさせていただいたところでございます。
  120. 山本保

    ○山本保君 何だかはっきりしないんですけれども、簡単に言えば、現状ではそういう専門の免許を取っている人がいないので、そうでない方にもさせるようにしたんだというんですけれども、これはやっぱり行政の方向として逆じゃないでしょうか。  本来、法の建前からいきましても、そういう専門的な教育指導をしなければならない子供にはそれなりのまた力を持った先生を当てるというのが法の趣旨でありますのに、現状がそうでないのでそうでないようにしたんだというのでは、一体どこを向いて文部省教育をやっているんだというふうに言われても仕方がないのじゃないでしょうか。なぜ少ないのか。それは持っていなくたって授業ができるからだれも取らないわけでしょう。そういう問題があるとすれば、ぜひ専門のこういう教育をされた、一般論で言いますが、方にもっとやる気の出るような、それなりの力を持った先生が出てこられるような対応を進めるべきだと思います。  それからもう一つだけ。さっき言いましたように、盲人の教育に関しては、これはもう明治以来のといいますか、学校教育の中でもこの分野というのは非常に進んだ分野があるわけでございまして、それなりの先人の苦労があるわけですよ。今回の改正で、先ほどの理療科については、ある教養審の先生の内々の話では、これはどうも今回ちょっとうっかりして忘れたんじゃないかというふうな話も聞いているんですよ。だから、そんなことではなくて、この分野の先生方がきちんと仕事ができるように、もちろん今お聞きしていますのは免許という意味だけではないですね。ですからちょっと観点を変えてお聞きします。免許法とはちょっと違いますが、現実はこうなんです。  つまり、筑波大学の理療科、この指導機関、これがどうして大学もしくは短大、専門学校にならないんでしょうか。内容がないんだというのであれば、それはそれなりの指導をされたり内容を高めればよろしいし、私の知る限り非常に高い内容を持っておられると思いますよ。なのに、どうしてこういう位置づけをされずに、相変わらず高等学校の延長だという扱いをされるんでしょうか。これについてお聞きします。
  121. 佐々木正峰

    政府委員(佐々木正峰君) 御指摘の筑波大学理療科教員養成施設でございますけれども、これは現在、筑波大学の学内共同教育研究施設として設置をされておるところでございまして、したがいまして、その目的とするところは盲学校の理療の教科を担当する教員を養成するとともに、理療の理論及び実際に関する研究を推進する場として機能する、そういうことを目的としているわけでございます。そういう施設の目的からいいまして、学生の受け入れは盲学校特殊教科の教諭の一種免許状取得を目的とするものでございまして、学位の取得を目的とするものではない、こういう扱いになっておるところでございます。  したがいまして、関係者が今後この施設の扱いをどうするかということについて検討をされるということはあり得ることでございまして、文部省として現在、この施設を例えば大学と同様な、あるいは短期大学と同様な扱いにするというようなことについて具体的に要望があるというふうには承知しておらないわけでございますが、関係者の意見も今後よく伺ってまいりたいと考えておるところでございます。
  122. 山本保

    ○山本保君 今の答えはどうもおかしいんですが、詳しいことはまた次に持ち越しますけれども、私の知る限り、もっと機関の地位を上げていただきたいという要望が関係者の方から文部省の方にも行っていると私は承知しておりますけれども、事実関係ですから、これはまた改めて言います。  それより、大臣に一言ちょっとお聞きしたいんですよ。  今お話をお聞きしていましておわかりだと思うんです。つまり、盲人の方のための教育免許状というのは、実は学校教育でもないんだと。大学でもないんだと。何だかわからないけれども大臣指定、大臣が指定されているんです、これ。別に町村大臣が指定したわけじゃないけれども、しかし、大臣指定とちゃんとはっきりと国立学校設置法の規則に書いてあるんですよ。大臣の指定だから出しているんですよと。実は福祉の方にもあるんです。もともと出せないものを大臣指定で出してあげたんだ、これはいいことをやってあげたんですよというふうに思っていても、実は既に世の中がずっと変わっていって、その方たちのために恩恵だなんて思っていたら、それが案は差別になっているなんということがあるんですよ。これは福祉の方にも結構あるんですが、私見ましたら、この教育の免許状に係るこれはまさにそれなんです。大臣、ぜひここは政治家として至急検討されるという返答を私はいただきたいんですが、いかがでございますか。
  123. 町村信孝

    ○国務大臣(町村信孝君) 率直に言って、余りよく実情がわかっておりませんので、今の委員の御指摘を踏まえて省内で議論させていただきたいと思います。
  124. 山本保

    ○山本保君 ぜひ御議論をいただきたいと思います。  一般的なゼネラリストとして見られれば、あれ何でこれだけこうなのと、こう必ず気がつくところだと思いますので、ぜひ担当の方に積極的な大臣からの御指示を私は期待したいと思います。  それから、最後になりましたけれども、もう一つございます。  今度、特別免許状が特に小学校などでは一般科目にも全部広がっていくということでございます。私、時間のこともありますので、このことについては評価するわけですが、一つお願いといいますか、お聞きしたいんです。  といいますのは、実は辻村局長がおられまして、前に局長が中学校課長のときに教護院という施設を見学に来ていただきました。当時、文部省の課長さんが福祉の施設へわざわざ見えられるなんということはそれまでかつてなかったことでありまして、私は大変頼もしく思ったわけでありますが、さておかげさまでといいますか、仁の四月一日から児童福祉法が改正になりまして、教護院という施設も名称が変わりまして、児童自立支援施設ということになりました。  どういうことかといいますと、この施設には学校教育が昭和八年以来行われていなかったんですね。それで今回法改正をしまして、児童福祉法の改正によって、この子たちにもちゃんと学校教育法に基づく教育を行うべきであるということになったわけでございます。ただ、現状がそうではありませんので、当分の間はという附則がついておりますけれども、原則は学校教育を行うということになったわけです。  ところが、原則はだれが考えても当たり前でありますのになぜ進まなかったかといいますと、一つ一番大きな技術的な問題は、そこで働いておられる方が、じゃ全部学校教員と入れかえてしまうのかというふうなことで、各県ではそんなことはできないよということでございます。  それは子供たちにとっても確かにそういうおそれがあるわけでありまして、ああいう施設へ行きますと、学校の先生はぜひ体験されるといいと思うんですが、授業が始まって立ち上がっておじぎをするとか教科書を開くなんてことは、これはまさに子供たちが先生に対して非常に思いやりのある心で接していただいて、先生であると認めてくださるからやっておることであって、この前提の上で皆さん教育をしますけれども、いや、人間関係というのはもともとそんなものでも何でもない、これがおれの先生であるなんてだれが決めたんだと、こういうふうに思えば、もともとそんなことはないわけでして、その中で人間関係をつくっていくというのが本当の教育実践だと思うんですね。  ちょうど四月一日から児童福祉法も改正になった、学校教育に入れなくてはならなくなった。実際に子供たちを教えている先生といいますか、先生ではないんですが職員がおります。こういう方に今回特別免許状をぜひ出すようなことを各県で、そういう話があったときには積極的に対応していただきたいと思っておりまして、これは可能だと思うんですけれども、この辺について御返事いただけませんでしょうか。
  125. 大島慶久

    ○委員長(大島慶久君) 持ち時間をオーバーしておりますので、簡潔にお答えをいただきます。
  126. 御手洗康

    ○政府委員(御手洗康君) 児童自立支援施設内で、例えば分校あるいは分教室というような形で学校教育を行うという場合に、具体的にそこに従来から指導しておりました方々がどういう形で身分を引き継がれるかということは、先生御指摘のように、まず一番大きな課題でございます。  したがいまして、そこにいる方々の身分をどうするかというような具体の問題を一応別といたしまして、免許法上の理論的な問題だけを申し上げますと、こういった方々の専門的な知識、技能というものに着目いたしまして特別免許状を授与するということは法律上可能でございます。  しかしながら、先ほど申しましたように、具体的にどういう形でこの方々の身分を持っていくのかという問題はございますが、そこはそことして各都道府県の具体のケースに即しまして、私どもとしてはできるだけ免許法制度上は柔軟に対応ができるよう相談をしてまいりたいと考えております。
  127. 山本保

    ○山本保君 ありがとうございました。     ―――――――――――――
  128. 大島慶久

    ○委員長(大島慶久君) 委員の異動について御報告いたします。  本日、本岡昭次君が委員を辞任され、その補欠として久保亘君が選任されました。     ―――――――――――――
  129. 日下部禧代子

    ○日下部禧代子君 まず最初に、確認の意味を含めてお尋ねしておきたいと思います。  我が国の戦後の教員養成改革というのは、教員養成教育の水準を引き上げ教職の専門性を高めるということを目的にして、教員養成は大学で行うという原則、さらに、教員免許状は所定の教職課程を置くいずれの大学でもこれを履修した者に授与するという開放的な免許制、二つの原則と言ってもよろしいと思いますが、その原則のもとに制度改革が行われてきたというふうに私は思っております。  そこで、今回の改正案もこの原則に基づいたものというふうに解釈してよろしいのかということが一点でございます。あわせて、教員養成制度における開放制の原則についての評価というものについて、大臣の御所見を承りたいと存じます。
  130. 町村信孝

    ○国務大臣(町村信孝君) 今、委員御指摘をいただきました戦後の教員養成の二つの考え方、大学でしかも開放制でというのは、現在もそうでありますし、今回の法律改正においても同じ考え方で臨んでいると私どもは考えているわけであります。  やはり開放制のよさというものもまさに戦前の、先ほど他の委員の御指摘もありましたけれども、一つの反省に立って開放制というものが実行され、そして、先ほど来局長が答弁しておりますように、特に中学あるいは高校になりますと、中学では約半々、高校になりますと大半の教員が一般大学出身ということでございますから、そうした実績を見ても開放制のよさといいましょうか、幅広い視野と専門的知識を備えた人材に広く教育界に参加をしてもらうということを可能にしているわけでございまして、そういう意味からも開放制の原則というのは大変重要であろう、かように考えているところであります。
  131. 日下部禧代子

    ○日下部禧代子君 今、大臣のお言葉はございましたけれども、今回の改正におきましては、いわゆる開放制、教員養成の原則が崩れるのではないかという声も上がっているということは御承知のとおりでございます。  教職専門科目が大幅に単位増というふうになるということは、教育実習が現行の二週間から四週間、これは中学の場合ですが、二倍になるということも含めまして、教員養成系大学・学部以外の大学、そしてまた学生に対する影響は大きいというふうに考えるわけでございますが、そのための配慮というものも必要ではないかと私は思いますが、いかがでございましょうか。何らかの配慮がされるのでございましょうか、どうお考えでございましょうか。
  132. 町村信孝

    ○国務大臣(町村信孝君) 今回、教職に関する科目というものをふやそうという一つの大きな考え方が出されているわけです。特に中学、高校の段階であります。  これはやはり、現在の児童生徒の姿を見たときに、そうした要素というものをより強く加味していかないと、先生として十分な職責を果たすことが難しいのではなかろうかといったような考え方がありますものですから、教職に関する科目をふやす、あるいは実習の時間をふやす等々の改善を図りたい、こう私どもは考えたわけでございますし、また、カウンセリングの話も先ほど他の委員からもございましたが、こうしたことも、すべての教員にカウンセリングに関する考え方あるいは最低限の知識を持ってもらおうというようなことを考えているわけでございます。  特に教職に関する科目がふえたので、開放制が、にわかにその原則が崩されるのではないかという御指摘は、いささか私の考え方からするとどうしてそういう結論になるのかなという感じが率直に言っていたすわけでありまして、幅広い、使命感でありますとかいろいろなものを兼ね備えた教員を今回のカリキュラム改正によって養成できるのではなかろうか、そのようにむしろ考えているわけであります。
  133. 日下部禧代子

    ○日下部禧代子君 もう一つ、教員養成系大学・学部以外の大学及び学生に対する影響に対する配慮というものはどういうものがあるかということをお聞きいたしました。
  134. 御手洗康

    ○政府委員(御手洗康君) 御指摘がございました、今回の教職科目の重視に伴いまして、一般大学・学部等で免許状を取る学生に対する負担増になるというような御意見に対しましては、新たにふえました部分を含めまして教職に関する科目につきまして、各大学の御判断によりまして、大学・学部卒業要件とされております百二十四単位の中に含めることを可能とするというような弾力化措置を考えておりますとともに、新たに教職に関する科目につきまして他の大学と大学間協定による連携によりまして授業科目を開く場合には、それをもって教職課程を認定する際に、当該大学の授業科目と同様に扱うこと、さらには課程認定に際しまして必要とされます教職に関する科目の専任教員数の基準、これは学生の人数によって区分されておりますけれども、これを全体として緩和していくというようなことが教養審の答申において述べられているところでございます。  これにつきましては私学の関係者にも十分御説明しておりますので、私どもといたしましては、法律の施行までの間にそれぞれ省令あるいは基準の改正等によりまして適切に措置をとってまいりたいと考えております。
  135. 日下部禧代子

    ○日下部禧代子君 今回の法改正によりまして、教職課程をとる学生は少なくなるというふうに文部省としてはお考えになっていらっしゃいますか。特に一般大学の場合にその傾向が強いということも考えていらっしゃるのでしょうか、その点いかがですか。
  136. 御手洗康

    ○政府委員(御手洗康君) 今回、教職に関する科目を、全体として単位数を引き上げておりますので、これに伴いまして教員養成大学以外の学部におきましては、御案内のとおり、百二十四単位に積み上げて教職に関する単位を取るというような原則的な形がございますので、これが例えば中学校で十九単位から三十一単位に引き上げられるということ、あるいはまた中学校の教育実習が二週間から四週間に強化されるというようなこと等を考えますと、今回の改正に伴いまして、全体として一般大学におきます教員志望者の数あるいは率というものは減ってくる方向に影響が出るだろうということは私どもも考えているところでございます。
  137. 日下部禧代子

    ○日下部禧代子君 次に、新規学卒者で教員に採用された者のうち、教員養成系大学卒と一般大学卒の割合というものを小学、中学、高校と分けていただけますでしょうか。
  138. 御手洗康

    ○政府委員(御手洗康君) 新規学卒者につきまして、平成八年度の数字で大変恐縮でございますけれども、小学校につきましては、教員養成大学・学部が二千百十五人、全体の七四・二%、一般大学・学部が五百十七人、一八・一%、短期大学等が五十六人、二%、大学院が百四十五人、五・一%となっております。それから中学校につきましては、教員養成大学・学部が千二百五十七人、四五・七%、一般大学・学部が千百四十人、四一・五%、大学院が二百五十六人、九・三%。高等学校につきましては、教員養成大学・学部が三百八十一人、一四・二%、一般大学・学部が千七百六十九人、六六・一%、大学院が五百十四人、一九・二%ということで、全部ではございませんけれども、そういう傾向になってございます。
  139. 日下部禧代子

    ○日下部禧代子君 今、数字をいただきましたけれども、小学校を除きまして中学校、高校の場合には、圧倒的多数を一般大学の卒業者が占めているというふうに言ってもよろしいのではないか。特に高校の場合には一般大学の割合の方が高いというふうに思うわけですね。そして、この数字を見ますと、今回の法改正の目的として、教員採用数を減らすということが前提になっているのかなということも考えられますし、また、中学、高校の教員のうち、教員養成系大学・学部の卒業者の割合を高くしようというふうな意図がおありになるのか。あるいはまた、言葉をかえますと、教員養成を事実上、教員養成系大学・学部の方にこれから次第に絞っていこうというふうなお考えを文部省としてお持ちになっていらっしゃるのでしょうか。この辺のところはいかがでしょうか。
  140. 御手洗康

    ○政府委員(御手洗康君) 小・中・高等学校の教員の需給関係は、基本的には児童生徒の数の推移によって決まってまいるわけでございます。したがいまして、平成元年当時で見ますと公立学校の教員採用者が三万三千六百十五人、小学校から特殊教育諸学校まで含めましてございまして、それに対して十五万人というような受験者があったわけでございます。これに対しまして、平成九年度は採用者が一万六千六百十三人、受験者は十四万六千人ということで余り変わっておりません。また、免許取得者につきましても、幼稚園教諭を除きまして平成元年度にはおよそ九万人、それに対しまして平成九年度は九万三千人ということでございます。  いずれにいたしましても、免許取得者は余り変化がございませんし、また受験者につきましては、多少の途中の落ち込みがございましたけれども、全体としてこの十年近くを見ますと余り変化がないということでございまして、専ら児童生徒の数の減少に伴いまして採用者数が減ってきているということでございますので、この法改正によりまして、一般大学・学部と教員養成大学・学部につきまして政策的な何らかの判断をしたというようなことは全くないわけでございます。
  141. 町村信孝

    ○国務大臣(町村信孝君) 今の局長の答弁を踏まえた上でさらにもう一つ申し上げますと、免許取得者が大体九万人ぐらいで変わりません。採用者数は三万三千人から一万人で大体半減していますね。  要するに、これはしようがないんですね、生徒の数が減るから一定程度減るのはやむを得ない。しかし、免許を取得するために大学で養成をします。そこには、例えば国立てあれば当然国立大学の教員の先生方の給料その他は全部税金で賄われておりましょう。明らかにニーズが減っている部分に従前と同じだけの税金を投入することが果たして税金の使い方としていいんだろうかどうだろうかと、私は端的にそう思っておるんです。  でありますから、少なくとも国立大学の教員養成の定員は今どんどん減らしております。これからもまた減らします。たしか一万五千人を一万人にたったか、減らしていこうという方向は私は当然だろうと思っております。そうでなければ、教員になれない先生を一生懸命税金を使って養成すること自体が税金のむだ遣いであると私は思います。  したがいまして、教員免許取得者の数が変わらないということ自体が、教育に対する熱意の発露だと思えば大変いいことだという見方もあるかもしれないが、私はそれは、私立大学においてもある意味では社会のニーズといささかかけ離れた教員養成が行われているのではないだろうかと、私は率直にそう思っております。そこの部分は私立大学といえども、学校経営のこともあるのかもしれませんけれども、本来であれば当然そうした部分は減らしていくべきだと、私はこう思っております。
  142. 日下部禧代子

    ○日下部禧代子君 そうしますと、今回の教職課程の単位増ということも、そういう文部省あるいは大臣のお考えにかなり沿ったものになるであろうというふうに思っていらっしゃるということでございますか。
  143. 町村信孝

    ○国務大臣(町村信孝君) 審議会の皆さん方はそういう考えで今回の答申を出されたのではないと私は思います。ただ、私は大臣という立場で政治的な判断を今申し上げたのでありまして、これだけ財政の厳しい時代に従前と同じ形で教員養成をやることはやっぱり税金の使い方として、そこは教員養成審議会の方々の意見とは別に、文部大臣としての判断はそういうことであるということでありまして、法律改正の趣旨が、そういう養成者を減らすということをもともと目的にしたものではございません。  ただ、じゃ文部省として何ができるかと言われれば、国立大学の教員養成者の数を減らしていくということだけは、今回の免許法の改正とはかかわりなく別途やっていかなければいけないと、こう考えているわけであります。
  144. 日下部禧代子

    ○日下部禧代子君 次の質問に移ります。  昭和六十三年の改定から今回の改正まで十年足らずでございますが、六十三年改定のどのようなところに改正すべき問題点があったというふうにお考えになった上での今回の改正なのでございましょうか。
  145. 御手洗康

    ○政府委員(御手洗康君) 六十三年の改正におきましても、やはり今回と同様に、当時の学校教育をめぐる校内暴力等の状況にかんがみまして、生徒指導や教育相談に関する科目を充実させますとともに、教育実習につきまして、現在小学校四週間、中学校二週間の最低基準のところに、一単位程度の教育実習の事前・事後指導という形で充実を回らせていただいたわけでございます。  この十年間に児童生徒をめぐる問題状況は、いじめによる自殺であるとか、また様相が極めて深刻になってきているというような状況もございますし、また、その後の地域、学校、社会との連携といったようなことで、学校施設面のみならず、教育活動も含めてできるだけ開かれたものにするというような考え方で学校運営を行ってきているというような考え方もございまして、こういった問題に対応するために、今回もカリキュラム面におきましては、例えば教育実習につきましては、むしろ前回教育実習をそこまでふやせなかった分を、中学校長会等現場の方々の御理解を得ながら、小学校と同じところまで、四週間に延ばすというようなことも含めまして、できる限り子供と接触し、体験的な学習ができるような教職科目の単位をふやしていくという観点から改正を行おうとするものでございます。
  146. 日下部禧代子

    ○日下部禧代子君 いわば時代的背景、その時代的な要請ということがその間非常に大きくなったというふうに解釈してもよろしいわけですね。  昭和六十三年の改定によって生徒指導及び特別活動というのがそのときに新設されたわけでございます。その実施に当たって、担当者を配置するための行政措置というのはなされていなかったと思うんです。したがって、その多くは非常勤講師に依存する結果になっているというふうに思うんです。  今回、生徒指導というのはさらに二単位引き上げられるわけでございます。その上に総合演習二単位が新設されます。そうすると、担当者のための行政措置というものが特別に行われない場合には、いわゆるかけ持ち非常勤講師というのが大活躍をすることになるという対応をやはりお考えなのでしょうか。
  147. 佐々木正峰

    ○政府委員(佐々木正峰君) 御指摘にように、今回の改正におきまして教職に関する科目の単位数の充実を図ることとしておりますことから、教員養成のための課程を持たない私立大学等におきましては、新たに教職に関する科目を担当する非常勤講師等の増員が必要となろうかと思います。ただ、教員養成大学・学部との単位互換によって対応する等のことも可能でございます。そういう意味におきまして、どの程度の教員を増員するかについては、それぞれの大学で御判断されることになろうかと思うところでございます。  現在の扱いでございますが、私立大学等における非常勤教員の給与費につきましては、私立大学等経常費補助金の補助対象としておるところでございまして、今後ともそれによりまして適切な対応をしてまいりたいと考えておるところでございます。
  148. 日下部禧代子

    ○日下部禧代子君 その昭和六十三年の改定のときでも大変な問題が、特にその担当者のための問題があったわけですね。さらにその単位が引き上げられるということになりますと、非常勤講師の給与、待遇の問題も含めまして、これは各大学が自分たちのところで解決しなさいというふうな今お答えでございましたけれども、やはりもう少しこれは配慮をすべきではないかと思うのですが、いかがでしょうか。    〔委員長退席、理事北岡秀二君着席〕
  149. 御手洗康

    ○政府委員(御手洗康君) 御指摘のように、教職に関する科目が全体としてふえるということで、現有の教職員では足りない、あるいは現有の教職員がより持ちごまを多くするというような事態が出ようかと思っております。  具体にはそれぞれの各大学で対処していただくしかないわけでございますけれども、そういった面につきまして、一つの配慮事項といたしまして、先ほど申しましたように特に小さな大学等におきまして、大きな大学や国立の教員養成大学等と単位互換協定を図ることによりましてその部分を補うことができるというような措置も今回とらせていただきたいと考えております。
  150. 日下部禧代子

    ○日下部禧代子君 今お答えになりましたような措置がどのくらいニーズに対応できるというふうにお考えでいらっしゃるんですか。
  151. 御手洗康

    ○政府委員(御手洗康君) 今、教職課程につきましてはその実態がないわけでございますけれども、一般的な単位互換協定といたしましては、私立大学につきましては、外国との単位互換協定も含みますけれども、平成七年度で二百九というような大学が協定を結んでいるところでございまして、平成四年度が百三十二ということでございますので、二年ほど前の数字でございますけれども、かなり各大学におきましては単位互換協定が一般的な形になっているものと考えているところでございます。
  152. 日下部禧代子

    ○日下部禧代子君 その各大学間に協定を結ぶ場合に、こういうことが問題点ではないかというふうに文部省として把握しているということがございますか。その問題点をクリアすればもっと協定がスムーズに行われるのではないかというふうにお考えのところがあったらお知らせください。
  153. 御手洗康

    ○政府委員(御手洗康君) 単位互換協定を結びます際に一つのネックは、学生が本来払っております授業料以外に聴講料等を取るか取らないかということは、実際に授業を受けます学生にとっては極めて大きな問題でございます。  多くの私立大学間は、お互いにその聴講料を、実際の数は別といたしまして、フィフティー・フィフティーというような考え方で、紳士協定に基づきましてお互いに取らないというような形で結んでいるというケースが多うございますけれども、従来、国立大学と私立大学の間におきましては、国立大学におきましてはその授業料の免除の取り扱いがございませんでしたので、私立大学の方からなかなか国立大学との単位互換協定が結びがたいというような要望が大変強かったわけでございます。  これにつきましては、平成八年十一月の高等局長通知に基づきまして、単位互換協定に基づきまして他の公立学校あるいは私立学校と結んで聴講学生を受け入れる場合につきましては授業料を徴収しないことができるというような改善措置も図られているところでございます。
  154. 日下部禧代子

    ○日下部禧代子君 この制度は地域性というのがございますか。例えば東京の方が非常にこの制度をうまく利用しているとかあるいは地方の場合にはなかなか利用されないというふうな、そういう違いはございますか。
  155. 御手洗康

    ○政府委員(御手洗康君) 具体の実情について今手元に持ち合わせておりませんので必ずしもきちっとしたお答えができないかと存じますが、一般的に言われますのは、京都が全域でやるとか、あるいは多摩のかなりの大学が入ってやるとかいう形で、その地域に大学が集中している、学生も通いやすいと。しかも、バラエティーに富んだ大学がある地域に集中しているというときには、かなり包括的な形で協定が結ばれやすいというようなことはあるのではないかと、こう思っております。    〔理事北岡秀二君退席、委員長着席〕  例えば地域におきましても、手元にある資料では、熊本におきまして熊本大学の法学部と熊本県立大学の総合管理学部と熊本学園大学経済学部、商学部というふうな形で国公私の単位互換協定が結ばれているということでございます。確かに、ぽつんと単科の小さな大学が地方の都市に一つだけあるというふうな場合には、なかなか近くにないということで学生も通いづらいと。難しい面があろうかと思いますけれども、ある程度大学が集中してある都市等におきましては、熱意の問題さえ解決すればそれほど技術的な問題として難しいところはないのではないかというぐあいに考えております。
  156. 日下部禧代子

    ○日下部禧代子君 この制度がうまく運用され各大学で活用していくとなると、大学間の交流というのが盛んになっていくというふうな、そういう方向も私はちょっと一つの希望として考えられるのかなというふうに思います。  そうすると、この大学が一流、この大学が二流とかというふうな、もうそういうランクづけの解消ということにもつながっていくのではないかなというふうな希望的観測も持っておりますので、さまざまなまたハードルがございましたら、ぜひともそれに対して適切な対処をなさっていただいて進めていただきたいなというふうに思います。  次に、何度も申し上げますけれども、今回教職に関する科目の単位数が大幅に引き上げられる一方で、教科に関する科目が減らされたわけでございますね。全体としてということになりますから、相対的に教科に関する科目というのが四十単位から二十単位に減っているわけでございます。  これは、教職に関する科目を非常に大幅に引き上げたという理由につきましては先ほどからお答えがございますけれども、こういう考え方もされるのではないかなと私は思うんです。画一的な教師像というものから脱却する、そして幅広い視野とか多様な価値観、豊かな人間性といったいわばこれからの教員に求められる資質というのは、むしろ一般学部における教養科目だとかあるいは総合科目だとか専門科目を修得する中からこそ養成されていくということも考えられるのではないかなというふうに思うんです。  確かに、教育にはテクニックというのは大変に必要です。しかしながら、特に養成目的の非常に明確である医師においても技術だけではなくて豊かな人間性というものが求められている今日であります。まして教師の場合というのは、テクニックはもちろん必要でございます。しかし、それ以上にと言ってもよろしいと思いますが、豊かな人間性というものも非常に求められているというふうに思うんです。  教師としての自覚、責任感というのは、私は実際に教師になってからの方が非常に養われていくのではないかなというふうに思います。これは自分自身の経験でもそうでございます。私は、教師になろうという希望がなかったのにもかかわらず、これはこんなこと言っていいのかどうかというふうに思いますけれども、実際のことを申しますと教員免許を取りました。教師になりました。大学の教師が主でございますけれども、中学の教師もやりました、  それは教師になろうという強い希望を持って教員免許を取ったわけではないけれども、実際に中学で教えた年数というのはそうたくさんはございませんけれども、しかしながら、私にとりまして教育科目をとっているときには全く考えられなかったような自覚とか責任感、まさに教えることは学ぶことであると、そのことを私は体験したような気がするわけであります。実際に教育現場でさまざまな問題にぶつかる、そこで自分の問題意識が明らかになる、そしてそのときにこういうことが必要なのだよというふうなことを先輩とか他の教師から教えられる、そこで自分が本当に納得する。これは学生時代では全然考えられなかったことだ、私自身体験的にそう思うわけでございます。  そういうことを考えますと、これからの教師のあり方ということも含めまして、どのような養成の仕方の中から二十一世紀に求められる教師像というものがきちんと養成されていくのか、大変にこれは難しいというふうに私自身思いますけれども、文部大臣といたしましてこの際ぜひとも御所見を承りたいところでございます。
  157. 町村信孝

    ○国務大臣(町村信孝君) 委員の貴重な御経験に基づくお話も勉強させていただきました。  私は教員の経験もございませんので、もしかしたらピントがずれているのかもしれませんが、確かに教職についてからいろいろな経験を踏まえてそして新たな自覚がわいてくる、それは教職のみならずありとあらゆる職業でも多分そうなのかなとは思います。  したがいまして、特に教員の場合は本当に日々向上をしてもらいたいという思いから他の職場以上に、現職研修というものが初任者研修に始まりまして何年ごととか、あるいはこういう職種、校長とか教頭につく場合とか、あるいは教務主任とか各教科とか生徒指導、いろいろなケースに応じてかなりバラエティーに富んだ研修が年々充実されてきているのではなかろうかと思って、それはそれで大変大切なことだと思います。  ただ、願わくは教師になる前に、それを本当に一生の職業として選ぼうという際の養成の段階もまた大切なんだろう、こう思っております。  今回教職に関する科目がふえるので非常に偏った教師の卵が育つんじゃないかという御指摘でございますが、例えば新しい科目として教職概説でありますとか、教師論でありますとか、教師の使命でありますとか、教職への志向と一体感の形成に関する科目、こういうようなものを新たに設けてはどうかとか、あるいは総合演習という新しい科目をつくりまして、そこではむしろ幅広く、例えば少子・高齢化問題に関する演習をやり、それと実際の学校指導というものをどうしていったらいいだろうかとか、あるいは地球環境問題の演習、これと教職のあり方といったようないろいろな工夫を凝らして、決して専門に特化したような視野の狭い養成にならないように工夫をしたり、あるいは教育実習をやるというのは、たとえ二週間、四週間であっても、いざそこに行ってみると相当貴重な経験ができると思います。これは自分に向いているとか向いていないとか、あるいはまた新たな意欲がわいてくるとか。  今回のカリキュラムの改正というのは、そういう意味で従前よりもよりすぐれた教師を養成の段階からきちんとできるのではないのかな、こんなふうに私は考えているところでございます。
  158. 日下部禧代子

    ○日下部禧代子君 ぜひそうなってほしいというふうに強く思います。  次に、今回、教員免許状を取得するに当たりまして、教育実習が中学の場合には二単位から四単位に引き上げられました。同時にまた、介護体験を義務づけた法律が議員立法で成立いたしまして、平成十年からその法律が適用されることになります。  この介護体験の実習でございますが、やはりこれは単なる教育実習よりは非常に難しいさまざまな問題が横たわっているというふうに思います。相手がお年寄りであったり、あるいは障害を持った方であったりということになりますと、そういう経験のない学生たちがお年寄りにも障害者に対しても御迷惑をかけないで、そして実習の効果を上げるということのためにはさまざまな入念な準備というものが大学側にも学生にも、そして受け入れる側の施設にも必要だというふうに思います。  その点に関しまして、大学側の準備というのは今どのように体制が整えられているのでしょうか。それからまた、地域でそれを受けとめる側の方との連携というものも含めましてぜひとも伺っておかねばならないと存じますが、いかがでしょうか。
  159. 御手洗康

    ○政府委員(御手洗康君) 御指摘のとおり、本年四月一日から介護等体験特例法が施行されまして、在学期間中に七日間の福祉施設等におきます介護等体験が教員免許状取得者に義務づけられたところでございます。  この法律の円滑な実施に備えまして、昨年以来、文部省といたしましては施行規則を具体的に制定いたしまして、各教育委員会や大学等に対しまして具体的な指導通知と説明会の開催などを何度も行ってきたところでございます。  また、地域におきます受け入れ体制につきましては、厚生省及び全国社会福祉協議会等と中央レベルで協議を重ねまして、具体的には各都道府県におきます社会福祉協議会が全体の受け入れ窓口となって各都道府県における介護等のための実習を行うための施設に各学生を受け入れるというような形で、そしてそのための各都道府県におきます協議につきましては、都道府県教育委員会が大学と社会福祉協議会との連携をとるという役割をお願いするという形で、新たにそのための、各都道府県におきます介護等体験実施連絡協議会を設置するための経費も本年度の予算において計上いたしたところでございます。  私どもも学生のための具体的な手引書の作成等に取りかかっておりますが、本来ならば四月の学年初めまでに間に合うべきところ、諸般の事情でおくれておることは大変申しわけないと思っておりますけれども、そういった具体的な手引等も各大学に配付しながら、何分にも初めてということでございますので多少の試行錯誤はあろうかと思いますけれども、今申し上げましたように、各都道府県におきまして教育委員会を中心にいたしましてできるだけそういった隘路が取り除かれるよう、関係機関との連絡調整というものにつきまして文部省としてもそれなりの努力をしてまいりたいと考えております。
  160. 日下部禧代子

    ○日下部禧代子君 その点に関しましては、本当に入念な準備をしていただきたいなというふうに思います。  福祉学科の学生でありましても、初めてお年寄りやあるいは障害を持った方に接しますときにはもう本当にショックが大きいわけでございます。福祉学科を教えておりましたけれども、私がその学生を実習の場に送るときにもう本当にさまざまに準備をしたつもりでいても、やはりショックで真っ青になってしまう学生だとか、そのことがお年寄りにいろいろな影響を与え、障害者にも与えてしまうというふうなことがございまして、大変いろいろと苦労したことがございます。  そういう経験からも、お年寄りに対しても障害者に対しても、そして学生にとってもよりよい結果が得られるような、そのための準備というのは十分に行っていただきたいということを強く要望しておきたいというふうに思います。  次に、今回のカリキュラムの変更におきましては、教育相談、カウンセリングの重視という傾向が非常に強く出ておるわけでございますが、実際に教育現場におきまして、いわゆるカウンセリングのプロフェッショナルなカウンセラー、そしてまた保健室の養護教諭、そしてさらにまた、今回の教職課程ではいわゆるカウンセリングマインドを身につけなければならないというふうなことが強くうたわれておりますけれども、そういう担任教師、この三者がどのような形で連携していくのかということがやはり非常に重要なことだというふうに思うんです。  ただそういう方たちがいらっしゃればいいということだけではないと思うんです。つまり、分担が重なってしまうとか、そのオーバーラッピングから子供たちに対する対応に手抜かりがあったりするということだってあるわけでございます。これもやはり非常に入念な連携をとっておかねばならないことではないかなというふうに思いますが、その点に関しましての文部省としての指導あるいはお考えというのはどういうところにございましょうか。
  161. 辻村哲夫

    ○政府委員(辻村哲夫君) ただいまの点は大変重要な御指摘だというふうに承知しております。  平成七年度からスクールカウンセラーにつきましての調査研究事業が行われておりまして、そうした委嘱を受けていただいた学校から今文部省の方にさまざまな報告が来ているわけでございます。  そのさまざまな報告の中を見ましても、どこの学校におきましても、スクールカウンセラーそれから養護教諭、さらに校長、教頭を入れましたいわゆる教職員の人たちがメンバーとなりました組織をつくっているのが通例でございます。例えば教育相談推進委員会というような名前を冠している例もあるわけでございますけれども、名前はともかく、ほとんどすべての学校がそういう組織をつくります。そして、定期あるいは随時に情報交換をする、あるいは個別の子供たちについての事例の分析と申しましょうか、検討をし合う、そしてその会議の成果を全教職員に伝えて情報を共有するというような形でこのスクールカウンセラー、養護教諭あるいはその他の教師との連携が図られているのが一般的だと思います。  しかし、中学校と高等学校、あるいは学校の規模によってさまざまであろうかと思いますけれども、こうしたさまざまな取り組みの中でおおむねこうした組織をつくり、それぞれの役割といったものが生かされる中で、スクールカウンセラーも養護教諭も、あるいは保健主事、生徒指導主事といったものの役割もより明確になっていい方向に動いてきているというように思っております。  文部省としては、一律にこうあるべきという画一的な立場での支援と申しましょうか、助言というのはなかなか難しいわけでございますし、むしろ控えるべきかとも思っておりますけれども、こうしたさまざまな学校での取り組みを収集して、それをまた全国の学校にフィードバックして参考に供していただくというような形で支援していくのがよろしいことなのかなと。それを見て各学校がさまざまに工夫をしてさまざまな体制づくりをさらに進めていただく、こうした形がよろしいのではないかなと思っております。  今、それぞれの学校でさまざまに取り組んでいる、そういう方向を期待を持って我々としては見守っていきたい、こんなふうに思っております。
  162. 日下部禧代子

    ○日下部禧代子君 それぞれのお立場がそれぞれに有効に効果的に機能して、そしてそれが子供たちのためになるようにぜひとも目を離さないで適宜対応していただきたいというふうに思います。  次に、社会人の登用についてお尋ねしたいと思います。  社会での経験のある方を教育現場にお願いするという制度といたしまして、特別非常勤講師と特別免許状の対象教科の拡張というものが今回の改正案の柱の一つになっておりますね。特別免許状と特別非常勤講師というものの制度のねらいというのは両方とも同じように文部省からいただいた資料には出ておりますが、その両者の使い分けといいましょうかあるいはその両者に期待するもの、違いというのは一体どういうところにあるのかお聞かせいただきたいと存じます。
  163. 御手洗康

    ○政府委員(御手洗康君) まず特別非常勤講師制度でございますけれども、これは、教科の一定の部分等につきまして、例えば音楽であるとかあるいは英会話であるとか、そういった全体の教科の部分につきまして正規の免許状を有していない、社会で活躍されております専門的な知識あるいは技能、経験をお持ちの方々を都道府県教育委員会が、現在は許可、これを届け出ということに改めることにしておりますけれども、都道府県教育委員会の許可を受けまして児童生徒の指導をすることができるというような制度でございます。  もう一つ、特別免許状につきましては、それぞれの社会的な分野で専門家としてすぐれた知識や技能を有している方につきまして、大学において正規の教員養成の訓練を経まして免許状を持っていない方々に対しまして、この方を具体的に教育委員会が採用したいといったような場合に、英会話のすぐれた能力を持っている方に英語の教科の免許状を特別に授与いたしまして、現在は三年から十年の範囲でございますけれども、その都道府県の中だけで通用する特別の免許状を授与いたしまして、これを倣えば県立学校でありますと都道府県の公務員として、正規の職員として採用する、こういうことでございます。  したがいまして、身分的に見ますと、特別非常勤講師制度は、あくまでも非常勤の方が一定の時間、週何時間であるとか年間何時間であるという形でおいでいただきます。それに対しまして特別免許状は、正規の公務員として一般の教諭と同じように教諭等として採用されるという身分上の違いがあるわけでございます。  したがいまして、一般的には、現在の我が国の雇用の慣行等から見ますと、別途社会的にいろんな活躍をしておられる方がその合間を見て高等学校や中学校等に教科の一部を週一時間とか、あるいはある学年の何時間というような形で来ていただく特別非常勤講師制度の方が現実としてはかなり普及しておりまして、現在、高等学校を中心に平成八年に三千五百件ほどの許可を出しているところでございます。  これに対しまして特別免許状は、個々の社会人に着目して、そういった身分の移動も伴うということでございますので、制度ができまして以来現在まで三十七件という実態になっているところでございます。
  164. 日下部禧代子

    ○日下部禧代子君 非常に特別免許状の授与件数というのは少なくて、平成七年の場合には全くないということでございます。平成八年に二件、九年に三件ということです。  この非常に少ないという理由は、転職を前提にした制度であるということが一つ、あるいはまた給与等での優遇措置がないということも理由になるんじゃないかなというふうにも思うのでございますが、その点いかがでございますか。例えば、退職金などとか、そういった優遇措置というのは行われていないのでしょうか。
  165. 御手洗康

    ○政府委員(御手洗康君) 御指摘の点が直接の障害になっているかどうかということはなかなかわからないわけでございますけれども、例えば給与につきましては、確かに大学を卒業して二十年、三十年と勤める教師と比べまして、他の経歴を経て途中から採用された教員につきましては、今の公務員の給与制度上、号俸等で若干不利に格付をされるというようなシステムになっていることも事実でございます。若いときはこれをかなり改善しておりますけれども、途中退職、四十歳、五十歳になりますとやはりその点の格差が出てくるということも事実でございます。  また退職金制度も、通常、勤務年数に応じまして給与の月額との関係で支給されるということに公務員制度の退職金支給のシステムになっておりますので、途中から採用されますと、前の会社等の退職金はそこでもらうことになるわけでございますけれども、六十歳定年を迎えて退職する場合に、三十五年間勤めた教諭と比べまして十五年あるいは二十年の特別免許状から採用されました教員についておのずと差は出てくるということも事実でございます。  これが少ないというのは、やはり一般的に今の教員の採用が、若い大学卒業者等を中心にいたしまして一般の選考試験あるいは面接等によってやられていくということを常態としておりまして、このような個人に着目をして、あるいはそういった方々に着目して特別の選考をやる教育委員会がまだ少ないというようなことから、チャンスがなかなか与えられていないということが現在まで三十七件程度にとどまっている一番の理由ではないかと考えているところでございます。
  166. 日下部禧代子

    ○日下部禧代子君 この制度を本当に活用するためにはさまざまにまだ考えられなきゃならないことがいっぱいあるような気がするわけでございます。きょうは御議論がもうできませんけれども、その点を考慮に入れていろいろと配慮をしていただきたいな、せっかくの制度でございますからうまく使っていただきたいなと思います。  最後に大臣にお尋ねしたいと思います。  教職が本当に魅力ある職業であるために、あるいはまた教職の社会的地位の向上のためにどのような条件整備が必要とされているのか、その点に関しましての大臣の御所見を最後に承っておきたいと思います。  この際、財政構造改革法が改正されます。教育の分野におきましても、教育危機危機だとあらゆる人が叫んでいるにもかかわらず、国民の目に見える形での思い切った対策がなかなか行われていないというもどかしい思いも持っています。この際、ぜひとも文部大臣のその若さと情熱におきまして思い切った勇気ある発言を期待しております。  その二つの点に関しまし保て、どうぞよろしく。
  167. 町村信孝

    国務大臣町村信孝君) 教職の社会的地位、戦前のある種一つのプレスティージュがあった時代と今とでは確かに違っているのかなと思います。できるだけ優秀な人材を確保したいということで昭和四十九年に、御承知のように、学校教育の水準の維持向上のための義務教育諸学校の教育職員の人材確保に関する特別措置法、人確法と言われているものを通して、それ以前の段階と比べると、例えば給与という面では相当改善をされたのかな、こう思っております。  こうしたことなどありますが、社会的な認知度といいましょうか、それがいささか低い。いろいろやゆする言葉として、例えばでもしか先生とか、そんな言葉が一時期はやったり、やはり教師は労働者であるというような物の言い方もある種、教師の社会的な認知度を下げた一つの要因であったのではないだろうか、私はこう思います。  したがいまして、立派な職業であることは間違いないと思っておりますが、今後さらにその社会的評価を高めるためには、結局、ああなるほど学校の先生たちも一生懸命やってくれている、いい子供たちが育っているなということで、ただ単にお給料がいいとかそういうこと以上に、なるほどいい教育をしてくれている、立派な先生たちだ、そういうふうになってぐることが、それは間違いなく社会的地位の向上につながるんだろう、こう思います。  ただ、そう言うと鶏と卵みたいな話にもなってしまいますけれども、私どもとしてはいろいろな方策を講じて魅力ある職場にしていかなければなりませんし、また、教師の社会的な地位ができるだけ向上するような各般の努力はやっていかなければいけない、このように思っているところでございます。
  168. 阿部幸代

    ○阿部幸代君 初めに、教育職員免許法の一部改正をこの時期にすることの意義にかかわって何点か質問したいと思います。  教育職員養成審議会の第一次答申を踏まえての今回の法改正ということですけれども、私は大変疑問を持つものです。というのは、前回改正が八八年で、現行教員免許法に基づく教員養成教育を受けて卒業した学生は九三年三月からことし九八年三月までの卒業生じかいませんし、教養審の審議期間中に限って言いますと、九三年、九四年、九五年三月までの卒業生じかいないということになるわけです。  しかも、採用人数が少なくて、例えば私の地元の埼玉県について見ても、毎年、九十二市町村で平均して一人か二人、いるかいないかという採用状況です。これでは厳密な意味での検証のしようがないというふうに思うんです。十分な検証なしの、つまり長期的展望を欠いた法改正とのそしりは免れないと思うんですけれども、どうでしょうか。
  169. 御手洗康

    政府委員(御手洗康君) 先ほど来申し上げておりますように、前回の改正が六十三年でございまして、今回、ほぼ十年たって改正をさせていただくということでございます。  その改正の大きな方向といたしましては、前回もやはり教職重視ということで生徒指導等の単位あるいは教育実習の単位を積み上げるという形で行ったわけでございます。今回の一つの大きな柱でございます、大学における教育カリキュラムの改善ということにつきましてはやはりその延長線上にありまして、前回の改善では、初任者として今後直ちに授業をやっていく、あるいはその上で初任者研修を積み、あるいは実地の訓練をしていく等につきます基礎的な素養というものについて、まだ十分ではないというような現場サイドの要望が大変強かったということがあるわけでございます。  またもう一つの大きな柱といたしましては、開かれた学校づくりということで、特色ある学校をつくるために、専門的な識見を有します地域の社会人の方々に学校に来て直接児童生徒を教えていただける制度というものを拡大するといったような観点からお願いをするものでございます。
  170. 阿部幸代

    ○阿部幸代君 十分な検証も経ることなく法改正を繰り返すというのは、やはり長期的展望を欠いた対応だというふうに私は思います。  長期的な展望にもかかわりますが、教養審答申は冒頭で、財政構造改革による教職員配置改善計画の二年間繰り延べ計画と、それから国立教員養成系大学一学部の教員養成課程の入学定員五千人削減計画に言及して、「むすび」において、「採用の量的側面についても、各大学が安定的に教員養成を行うことができるよう、将来に予想される教員需要増をも念頭に置きつつ、採用数の確保や年度較差の平準化など、可能な措置を講ずることを関係者に要望したい。」というふうに言っています。  教養審のこうした指摘を今回の改正案は念頭に置いてつくられたのでしょうか。
  171. 御手洗康

    政府委員(御手洗康君) 教員需給につきましては、先ほど来何度もお答えさせていただいているわけでございますけれども、基本的には児童生徒数の推移に伴いまして教職員定数が算定をされるという仕組みでございますので、今後十年ぐらいの状況を見ますと、これが急にふえていくという状況にはないということでございます。  また、教職員の定数改善計画につきましては平成十二年度まで二年間繰り延べてこれを完成するとされたところでございますけれども、残りの四千七百人ほどの定数を平成十年、十一年、十二年度どのように改善していくかという点につきましては、私ども、教職員定数の減少の動向とそれから各都道府県におきます平成十、十一、十二年度の退職者の状況等を各都道府県を通じまして調査した結果、できる限りこの三年間の教員の採用者数が平準化するようにという考え方のもとに、今年度は千六十七人を要求させていただいたところでございます。
  172. 阿部幸代

    ○阿部幸代君 文部省に今後の教員採用の見通しを伺いましたところ、公立の小中学校については平成十一年度六千人弱、それから平成十二年度六千人弱、公立高校については平成十一年度四千人弱、十二年度四千人弱ということでした。それ以降については明らかにしていただけなかったんですけれども、それは次の計画がないからですか。
  173. 御手洗康

    政府委員(御手洗康君) 教員の採用の具体的な見込み数ということになりますと、必ずしも教職員定数の増減だけでははかれないわけでございまして、定年退職者数に、それ以前に退職する職員がどのくらいの割合といったような数がございまして、定数から退職者数を差し引いた残りが採用可能となる教員見込み数ということになります。これは、各都道府県教育委員会におきまして具体的な作業を各都道府県ごとにしていただきまして、その結果を文部省として全国的にまとめますと今先生御指摘のような数字になるということでございまして、平成十二年度までに完成をするということでございますので、当面、私どもとしては、平成十二年度までの各都道府県の具体的な定数増減と退職者数との状況等を踏まえた採用見込み数というものを出していただいたということでございます。
  174. 阿部幸代

    ○阿部幸代君 日本教育新聞の十二月二十一・二十八日合併号、これは昨年のですけれども、東京都教育人口等推計などをもとにすると、少子化は平成十六年から十七年でとまると予測され、さらに、ひしめく四十代の大量退職により、平成十七年度からは小学校では毎年一千人台の教員の大量採用が見込まれるということです。ちなみに九五年、平成七年十一月の教育委員会月報によりますと、東京都教員採用状況は小学校二百九十六人です。今大体このくらいだということですね。ですから、この三倍以上が見込まれるということになるわけです。  文部省はこうした予測があることを知らないわけではないと思うんですね。それで、東京都ができることを文部省ができないはずはないんだというふうに思うんです。今後の児童生徒数の推移、それから退職者の推移が予測できれば、今おっしゃったように現在の教員定数の枠でも教員採用の見込み数が出てくると思うんですね。大枠どんな見通しを持っておられますか。
  175. 御手洗康

    政府委員(御手洗康君) 教職員の具体的な採用見込み数ということにつきましては、各都道府県ごとにお願いいたしまして作業をしない限り私どもとしては出せないわけでございます。  東京都において可能かどうかということは、各都道府県におきます新たな出生者数というのは、かつて人口急増をしたかしなかったかといったようなことによって非常に大きくかけ離れております。東京都は現在非常に少ないわけでございますけれども、逆に各都道府県ごとの採用数を見ますと、人口急増のなかった沖縄県であるとかあるいは北海道であるとか鹿児島であるとか、こういった県は余りその後の児童減少の影響を受けずにかなりの数の採用をしておるということでございますので、各都道府県ごとの実態と全国的な実態をどう見るかということは、もう少しすべての都道府県ごとに詳細に見てみなければ、私は今正確にお答えはいたしかねます。  そういうことを前提に置きまして、今後の児童生徒数の全国的な減少傾向というものを前提といたしまして一定の私どもなりの経験値に基づいて推測をいたしますと、平成十三年度では、児童生徒数が小中学校は一千八十九万人ほどになります。それに対しまして教員数は、これは本当に概算でございますけれども、校長教頭教諭というところまででございますけれども、六十一万人程度、こう考えられるわけでございます。また、平成十五年度につきましては児童生徒数を一千五十万六千人、こう予測しておりまして、そのときの教員数は六十万人ということで、私どもが持っております一つの予測値によりますと、平成十三年度以降もいましばらくは全国的な教員の定数というものは減っていくのではないかと思っております。  これに退職者数がどう加わってくるかということによって実際の採用数は変わるわけでございますけれども、小中学校の教員につきましては、ほぼ五十歳ぐらいまでのところは現在と余り変わりはない、定年退職者について見ますと変わりはないという状況でございまして、五十歳ぐらいのところからかなりふえてくるということでございますので、十年ぐらいはそんなにこの減少傾向に大きな変化はないのではないだろうか、これは大変大ざっぱな言い方で恐縮でございますけれども、私ども考えているところでございます。
  176. 阿部幸代

    ○阿部幸代君 私も文部省にいただいた資料をちょっと見たんですけれども、児童生徒数の今後の見込みなんですけれども、これから五年間は減りぐあいは極めて小さくなっていくんですね。五年後あたりからふえ始めます。つまり、減少というのは今もう落ちつき始めているんです。  一方、教員の年齢構成を見る必要があるんだというふうに思うんですが、今現在二十五歳未満の全体の人数、これは二十二歳、三歳、四歳ですね、これが約二万人足らずなんです。それに対して四十五歳だけで二万人を超え、四十歳で二万六千人を超えています。五年後からは五十歳代教員が一気にふえていくわけです。教育現場でちょっと年齢が高齢化していくわけですね。その後これらは一気に退職をしていくわけです。つまり、ここまで見通しますと採用を減らす見通しというのは立たないはずなんですね。先ほど採用の平準化とおっしゃいましたね、これも必要なわけなんです。だとすると、教員養成の削減計画、減らす方向を打ち出すという必要は全然ないというふうに私は考えています。文部省はこれを具体的につかむべきだと思います。  次に、教員養成や採用と密接なつながりのある教育条件整備、それから三十人学級の本格的な研究を要望する立場から何点か質問します。  文部大臣、この間私の質問に対して、一クラス当たりの人数と教育効果というものの実証的データなり研究なりというものがいささか乏しい、残念ながら余り見当たらないということを繰り返してこられたと思うんですね。それで念のために伺いたいのですが、私の調べでは、東京都教育研究所の研究例や香川大学教育学部附属坂出中学校の実践研究などがあります。研究の例があるということは確認してもよろしいですか。
  177. 御手洗康

    ○政府委員(御手洗康君) 御指摘のように、余り事例は多くありませんけれども、御指摘のような幾つかの研究事例があるということは私どもとしても承知いたしております。
  178. 阿部幸代

    ○阿部幸代君 東京都の教育研究所の学習集団研究プロジェクトチームが教師の経験に基づく意識調査を行ったところ、一斉指導の場合に教育効果が上がる学習集団の規模を二十六ないし三十人とした教師が最も多くて、小中高校とも三九%。三十人以下というのを全部合わせると九二%。三十六人以上というのはたった一%でした。また、個別指導にふさわしい規模は十五人以下というのが第一位で、小学校三割弱、中高校は四割。学級経営の視点から考えた適切な学級集団の規模はという問いに対しては、二十六ないし三十人が四割前後を占め、三十六ないし四十人というのは小中学校でゼロに等しく、高校では一割弱だったそうです。  このチームは、小学校五年生を六校、六クラス選んで学習集団の規模や指導形態と教育効果についても調査しています。  また、香川大学教育学部附属坂出中学校の実践研究は、八九年から九一年の三年間、文部省の研究指定を受けて行われています。九教科について四週間ずつ二十人、三十人、四十人の学習集団をつくって、各学級で同様の指導法を用いて教育効果を測定しているんです。少人数学級の優位性と、音楽や体育では三十人学級が適正規模との結論を得ています。  もしこういう研究では不十分だというのでしたら、さらに調査研究を進めるのが文部省の仕事だと思うんですけれども、どうですか。
  179. 御手洗康

    ○政府委員(御手洗康君) 御指摘ございました研究につきましては手元に詳細持ち合わせておりませんけれども、私どもとしてもそれなりに承知いたしているところでございます。  いずれにいたしましても、例えば東京都の研究等は、研究といいますよりも教員の実態に基づきますアンケート的な調査でございますし、香川大挙につきましても、一定の傾向は出ていることは事実でございますけれども、文部省といたしましては、こういった調査結果等につきます日常的な研究、さらには諸外国におきます動向、実態等も含めまして、常に教職員配置や学級編制基準にかかわりますさまざまな情報収集、そういったものを常日ごろから行っていかなければならないということは御指摘のとおりでございまして、今後とも担当レベルにおきまして十分注視しながら整備をしてまいりたい、こう思っているところでございます。
  180. 阿部幸代

    ○阿部幸代君 文部大臣に伺いたいんですけれども、国立の大学や学部に附属学校というのがあります。全国に小学校で七十三校、中学校七十八校、高校が十七校、その地合わせて二百六十一校あるんですね。  それで、これらの附属学校というのは教育研究協力と教育実習を二つの固有の機能として持っていると思います。今、一般の公私立学校でも教育実習を行っていますから、もう一つの側面、教育研究協力を行うということ、これをやらないと附属学校の存在意義があいまいになるというふうに私思うんですね。そういう意味でも文部省は、大きな政策課題としてある三十人学級にかかわる調査研究の委託をこうした国立大学附属学校に行ったらよいと思うんですよ。あるいは、国立教育研究所もありますね、こういうところでやってみるということも一つの方法だと思うんです。  今までの研究が不十分だというのでしたら、それぐらい踏み込む必要があると思うんですけれども、どうですか、大臣。
  181. 町村信孝

    ○国務大臣(町村信孝君) 私も東京学芸大学の附属小学校、中学校に行っておりましたので、いつも実習の先生がいたなという記憶もございます。また、昭和四十四、五年ごろまでだったそうでありますが、土曜日は休みでした。週五日制というのをずっとやっておりました。だから、私は、小学校のときは土日がいつも休みで、中学行ったらば土曜日に学校へ行くようになって、ああ中学って大変なところだなと思った記憶もあります。  余計なことを申し上げましたが、そういう意味でいろいろな実験をやるということが一つの機能といいましょうか、使命であろうかなと思っております。  したがいまして、今すぐ来年どこそこでと申し上げるほどのまだ準備もございませんけれども、いずれにしても、今局長が申し上げましたような、附属の活用も含めて、いろいろな調査研究はしっかりとやっぱりやっていくのが文部省の務めであるということは委員御指摘のとおりであると思っております。
  182. 阿部幸代

    ○阿部幸代君 よろしくお願いしたいと思います。  それから、この際確認をしておきたいことがあります。最近の報道によりますと、長野県の小海町ですか、ここに二つある小学校の二年生がそれぞれ三十八人、三十六人だったのを、低学年にきめ細かい教育をということで、十九人ずつと十八人ずつの二つの学級に分けたそうです。父母の反応は上々、PTA会長も、一クラスが三十五人以上では多過ぎる、時代の流れに合った判断だと歓迎をしたそうです。ところが県の教育委員会が、教育の機会均等、公平性の観点から是認しがたいと分割を認めず、学級統合を求めたんだそうです、当初。最終的にはチームティーチングということで落ちついたというふうに報道がされています。  そこでお聞きしたいんですけれども、現行四十人学級制のもとでも、最高四十人から二十人と倍の差が生まれるわけです、開きが。ですから、自治体が独自に財政措置までして上乗せ行政、ここでは三十七人以下、三十五人以下学級の実施ということになりますが、そういうことを教育の機会均等、公平性に反するなどと言うのではなくて、歓迎をするというのが教育的な視点ではないんでしょうか。
  183. 御手洗康

    ○政府委員(御手洗康君) 御指摘がございましたが、現在の小中学校の学級編制の仕方につきましては、先生御案内のとおり、義務標準法によりまして、いわゆる同一学年の児童または生徒で編制する場合におきましては四十人ということが上限として定められておりまして、この国の定めました標準に基づきまして各都道府県が基準を定め、この基準にのっとって「市町村の教育委員会は、」「あらかじめ都道府県の教育委員会の認可を受けなければならない。」、こうされているわけでございます。  このような仕組みがとられておりますのは、小中学校におきます教諭等につきましてはいわゆる県費負担教職員として都道府県が給与を負担し、国がその二分の一を負担するということで、都道府県が給与を負担するということになってございますので、給与を負担しない市町村教育委員会が独自に教職員を採用し配置するということになりますと、給与を負担する都道府県の方は計画的な財政措置もできないというようなことになります。そういった県費負担教職員制度との兼ね合いもございまして、都道府県教育委員会の基準に基づいて認可を受けてやるということになっているわけでございます。  したがいまして、小海町のようなケースをやられる場合には、当然都道府県の教育委員会と十分な事前の相談をして行うべきものと考えているわけでございます。ただ、その場合におきましても、県費負担教職員制度というような仕組みをとっていることから、小中学校におきます校長、教頭、教諭、養護教諭それから事務職員、学校栄養職員等につきましては、人事権も都道府県教育委員会がこれを行使すると。その場合には、校長の具申に基づき市町村教育委員会の内申を得て行うということで最終的な人事権を都道府県が持っているということでございます。こういった制度を前提にいたしますと、市町村教育委員会が正式な教諭というものを各学校ごとに独自に採用するということは法制上できないわけでございます。  したがいまして、もし市町村教育委員会がそのような職員を採用するということであれば、免許状を持った方であれば非常勤の講師という形で独自に措置をするという道があり得るわけでございますので、そういった現行の制度を前提にした上で、都道府県教育委員会と市町村教育委員会が十分な事前の連絡をとった上で適切な対処を図っていただきたいと私どもとしては考えているところでございます。
  184. 阿部幸代

    ○阿部幸代君 今、地方自治、地方分権が叫ばれる時代です。ですから、こういういわゆる教育分野における上乗せ行政を自治体が独自に財政措置までとってやろうとしているわけです。そのことを財政や制度論で展開するのではなく教育的に見ていただきたい。少なくとも、教育の機会均等、公平性に反するなどというのではなくて、子供たちの立場に立ち教育的な視点で見れば歓迎をするというのが当然じゃないですか。そのことを確認したかったんです。もう一度。
  185. 御手洗康

    ○政府委員(御手洗康君) 今回の小海町と長野県の間におきましては、今私が申し上げましたような制度を前提として、先生御指摘のような具体的な教育的な配慮と実務的な対応をしたものと考えているところでございます。
  186. 阿部幸代

    ○阿部幸代君 歓迎するんですか。
  187. 御手洗康

    ○政府委員(御手洗康君) 制度の枠の中でそれぞれの市町村教育委員会が行われることにつきまして、文部省としてこれを反対するとかあるいは歓迎するとかいう立場にはございませんので、御理解いただきたいと思います。
  188. 阿部幸代

    ○阿部幸代君 地方自治を尊重して、せめて教育的に歓迎するというふうに言っていただきたかったです。  次は、教員免許法の一部を改正する法律案の改正点について質問します。  そもそも、教員養成カリキュラムを変えて教職に関する科目をふやしてほしい、こういう声が下から、あるいは文部省の外から主体的に上がってきたということがあるんでしょうか。
  189. 御手洗康

    ○政府委員(御手洗康君) 教員養成審議会におきます審議の過程におきまして、大学の関係団体それから教育委員会の関係団体、さらには校長会、教職員団体等から審議会等で意見を聴取したところでございます。その際には、多くは今回御提案申し上げております法改正の基礎となりました教員養成審議会の答申の方向についておおむね賛成という意見があったものと承知しております。ただし、先ほど来申し上げておりますように、私立関係の団体の方々からは、教職重視という方向は少し私学にとって負担が重過ぎるというような立場から反対の御意見もあったということも事実でございます。
  190. 阿部幸代

    ○阿部幸代君 私も、教員養成審議会が審議経過報告に関する意見を求めたときのそれに答えるという形での各団体の声、目を通して読んでみました。それらは確かに今おっしゃったように言っている団体もあるわけですね。ただ、これは教養審の投げかけの中でカリキュラム問題について答えているだけで、現場の切実な問題としてカリキュラム問題があったというふうに私はとても思えないんです、主体的に自主的に下から外から。何しろ現場では今、ベテランも含めて、いわゆる新しい荒れと言われる中で、そういう子供たちの状況を目の前にして戸惑い、多くの教師が自信を失いがちになっているわけです。やはりカリキュラム問題というのはどうも文部省の側からの、つまり上からの押しつけ、そういう感じが強いんです。  現に、カリキュラム問題に最も詳しい日本教育学会や日本教師教育学会あるいは国立大学協会、日本私立大学団体連合会、全国私立大学教職課程研究連絡協議会などが、教養審の審議の中でそれにふさわしい位置づけがされていないと思います。日本私立大学団体連合会は二回意見聴取をされていますが、国立大学協会は書面による意見聴取、そのほかは審議から除外されているんですね。こういう経過から見ても、どうも特殊専門的なカリキュラム問題というのは文部省の側から、上からの押しつけという感が強くします。  それで、今回の改正案が実施されますと、もうほかの会派の先生もおっしゃっていましたが、私学や一般大学・学部の教員養成に大変困難がもたらされるということが予想されます。  そこで大臣に伺いたいのですが、今日、中学校で約五割、高校で約七割の教員が私学や一般大学・学部の出身者となっています。私学、一般大学・学部が教員養成並びに教育界において果たしている役割は極めて大きいというふうに私は思うんですけれども、大臣はどうお考えになりますか。
  191. 町村信孝

    ○国務大臣(町村信孝君) 先ほども他の委員の方の御質疑で申し上げましたが、この開放制というものは、特に今委員御指摘のように中学、高校で大変大きな比率を占めておりますし、小学校でも一定の割合を占めているということからいたしましても、開放制の重要性というのは私ども十分認識した上で今回の提案をさせていただいているわけでございます。
  192. 阿部幸代

    ○阿部幸代君 一昨日の参考人質疑で、どうして今回の改正案が私学や一般大学・学部に困難をもたらすかということが明らかにされました。例えば今回新設される総合演習、これをもし良心的に実施するとなると、二年生の教職課程をとっている一千人からの学生のために、早稲田大学とか慶応大学とか中央大学とか大きな大学でたくさんの学生がやっぱり教職課程をとっているわけですね。そういうところではこういうことが起こるんだと思うんです。一千人からの学生のために二十人ずつのクラスをつくって、時間割表で五十こま、五十人の教員が必要だというんです。演習ですから、マスプロ授業じゃだめなわけなんですね。良心的にやろうと思えば当然こうなるわけです。一クラス三十人にしても三十三こま、あるいは三十三人強の教員が必要だと、こういうふうにおっしゃっていました。  ですから、こういう極めて難しい課題を乗り切ることを余儀なくされるわけです。となりますと、やはり今まで私学やあるいは一般大学・学部が果たしていた大きな役割が縮小しかねない、そういう要素を今回もたらしたというふうに思います。  学生の方について言うと、一般大学・学部の学生にとっては専門の勉強以外の教職科書を今度三十一単位も取らなければならなくなったんですね。今、卒業に必要な単位が百二十四単位ですから、ほぼ一年分はみ出して取らなきゃいけない。今、教員採用の人数も少ないですから、苦労して教員免許を取るまでもないというふうに、その中にはすぐれた人材がいるかもしれない、でも大学でその道を閉ざしてしまう、そういうことが生まれてくるんだというふうに思うんです。こんなことでよいのでしょうか。
  193. 御手洗康

    ○政府委員(御手洗康君) 先ほど来の質疑の中でも数字が何度か出てまいりましたけれども、現在、免許状の取得者と今後の教員の採用の需給関係を考えてみた場合に、私ども直ちに量的な意味では心配をいたしておりません。むしろ今回は、それを前提にいたしまして、御指摘のように量的な部分で多少減少する方向に作用するであろうということは考えておりますけれども、質的な部分につきましては、基準の引き上げということによってより現場のニーズに対応した学生を教育界に送り出していきたいし、またそのような形で各大学で対応していただきたいと思っているところでございます。  なお、総合演習について申し上げれば、確かに御指摘のようなところがあるわけでございますけれども、これは二単位ということでございますので、教職を目指す二年か三年の中で二単位ということでございますので、すべての学生が千人全部取るということでもございませんし、またそれぞれの各大学の学部におきましては、おります学部の学生が教員免許を取るわけでございますから、むしろ総合演習にかかわります具体的なテーマは、教員養成課程の教員が担当するというものよりも、それぞれの専門の学部・学科の枠を超えた各教職員が連携をしてやっていただく、こういうものにふさわしいテーマが行われることを予想しているところでございまして、それぞれの学部の本来の教官の方々あるいは教授の方々にもそれ相応の体制をつくって御協力いただくというような措置は当然各大学においてとられていくということを期待しているわけでございます。
  194. 阿部幸代

    ○阿部幸代君 哲学論争になってしまいますけれども、量から質へという命題もありますし、質をよくする質をよくすると、そういうふうに言うからといって必ずしもよくなるとは限らないというふうに思っています。  今回、教科又は教職に関する科目の選択履修方式を導入して、大学が主体的にカリキュラム編成を工夫できるようにしたということが言われていますが、どうせだったらこの趣旨を徹底すればよかったのだというふうに思うんです。参考人質疑でも、総合演習をすべての大学に義務づけることが問題だということが指摘されました。参考人も要望したように、この総合演習に、教育実習に、教職科目に合わせた六単位程度を選択制にして、私学や一般大学・学部の教職への道を狭めない方法もあり得たのだというふうに思うんです。  最後の質問になります。質の問題にかかわりますが、実践的な指導力を養成するためと称していわゆる教職科目の履修単位の増加が今回行われるわけです。これに関してですけれども、今子供たちに一番求められているのは、学ぶ喜び、学ぶ楽しさ、そしてわかる喜び、こういうことを味わうことができるということなんです。それにこたえることができる教員の養成が必要です。  「信州大学教育学部紀要」ナンバー七十三によりますと、教師に対する調査の中で、「あなたは教師としての力量の中で、どちらかというと自信のないものをあげて下さい」、こういう問いに対して、全体平均で、「専門教科についての深い知識」、そう答えたのが三一・五%、「豊かな人間性」二〇・三%、「授業の技術」一七・八%の順で、経験によって授業技術が向上していく様子がよくわかります。教職五年未満でも、「授業の技術」三〇・六%。に対して、「専門教科についての深い知識」二七・八%と、大差がないことにも注目されます。  ちなみに、「学級経営」などいわゆる生徒指導の側面というのは順位がずっと後になるんです。つまり、発達学を踏まえた教科指導法など、いわゆる教職科目の方がより高度な専門的学問よりも実践的力量のある教師を育てることができるとは必ずしも言えないんじゃないでしょうか。
  195. 御手洗康

    ○政府委員(御手洗康君) 再三繰り返し申し上げておりますように、教科に関する科目につきましては、今回、小・中・高等学校通じて必修としてはほぼ半分に減るということになっているわけでございますけれども、これらの教職免許状のために必要とされる教科に関する専門科目は、本来、大学・学部を卒業するために必要な百二十四単位の中にそれぞれの学部の目的に応じた専門科目として含まれているというものがほとんどでございます。  したがいまして、今回の措置によりまして、各大学・学部が目的としております大学の専門的な教育の質というものに私ども影響を及ぼすものではないと考えているところでございます。
  196. 阿部幸代

    ○阿部幸代君 専門的な科目も含めて卒業単位の中に組み込めばいいじゃないかとかあるいは単位互換制度だとか、あるいは専任教員の基準を緩和するとか、そういう手だてをとるということが教養審の答申でも提案されたり、きょうの答弁の中でも出てきているんですけれども、これは、私学や一般大学・学部で学ぶ、しかも教師を志向する学生たちにとって劣悪な条件を押しつける、すぐれた実践力のある教師を育てるという今回の法改正の趣旨に反することを言っていることになると思うんです。私は、そういうことを言うこと自体、カリキュラムの変更を伴う今回の法改正が上からの押しつけ、決めつけだなというふうに思わざるを得ません。  終わります。
  197. 扇千景

    ○扇千景君 まず冒頭に文部省に申し上げておきたいと思います。  今回の教職員免許法の一部改正ですけれども、小さなことだと言いますけれども、別表の第八が第七、第七が第九だと。単純な誤りだと思いますけれども、これは法案の提出者としては私は厳に不適格であろうと思います。ですから、これに誤りがあったから審議しないとか審議拒否だとか、そんなばかげたことは言いませんけれども、文部省たるもの、以後十分に気をつけるようにということはまずこの法案審議の冒頭で言っておきたいと思います。  それから、きょうは六時間コースですからほとんどの問題は出尽くしておりますし、聞いておりますとたびたび同じ問題が重なって質問されておりますので重ねての質問はいたしません。ただ、申し上げたいことは、今拝聴しておりまして、この法案が成立することによって教員養成における開放制の原則というものがどの程度守られていくのだろうかそういう不安もございますし、また、教育職員養成審議会の第一次答申を踏まえましても、各大学の創意工夫と自主性を尊重するということがこれからいかに実行されていくかということも見守っていきたいと思いますから、これに対する答弁はもう結構でございます、今るる聞いておりましたから。  ところで、今、私は大変大きな問題があろうと思います。それは、参議院で平成十年度予算案が成立した直後に、総合経済対策基本方針ということで、総額十六兆円を上回る規模の経済対策を実施すると政府が発表いたしました。  まさに欠陥予算であった、欠陥法案であったということを政府みずから認めたものだと私は言わざるを得ませんけれども、この十六兆円という額がどうして出てきたのか。各省庁に今出しなさいと言っていますけれども、各省庁は何を出しているのかということは別として、まず文部省、この十六兆円の中身の積み上げということに関して文部省は今何を考えているのかお聞きしたいと思います。
  198. 小野元之

    ○政府委員(小野元之君) 初めに、先ほど御指摘ございました今回の提出法案につきまして条文の中に誤りがあったことにつきましては、事務的なミスでございまして、まことに申しわけございません。私どもといたしましては、きちっと関係職員に対する厳重注意も行っておりますし、指導を徹底してまいりたいというふうに考えております。  それから、お話のございました経済対策の関係でございますが、これは先生も御承知のように、三月二十六日に「総合経済対策の基本方針」ということで与党三党でお取りまとめになっているものでございます。この中にもございますように、財政構造改革の基本精神を堅持しつつ、有効需要を喚起する具体的な経済対策を早急に講ずるということで、今各省庁あるいは各部会等で御検討をされておるものでございます。  私どもといたしましては、この委員会でも前回先生からも御指摘賜ったわけでございますけれども、大学等の機能を高機能化していく、逆に申し上げますれば、国公立大学等が特に老朽・狭隘化しておるということにつきまして、科学技術基本計画にのっとりまして学術研究の質を高めるという意味からも大学における研究施設等を高度化、高機能化をしたいというような希望を持っております。さらには大学病院等につきましても、高度の先進医療の中核となるものに再開発整備を進めてまいりたいということも私どもの希望としては持っておるわけでございます。さらには大学等の情報通信の機能を高度化していく、ネットワーク化をきちんと推進していくということも課題となってございますし、学術情報関係でのスーパーハイウエー構想等も実現したいという気持ちをもともと持っておったのでございます。  さらには、この委員会でもたびたび御質疑等もございましたけれども、学校における心の教育の充実を図りたいということがございまして、そういった意味でも緊急対策等を講じたいと思っておりまして、現在、私ども部内でさまざまな観点から検討しておるところでございます。
  199. 扇千景

    ○扇千景君 今、中身について、財政構造改革法案、財革法の基本精神を尊重してという官房長の話がございました。  私は、基本精神を尊重していたのでは大した額は出てこないなと。十六兆と言うけれども、財革法を二年凍結するとか廃止するとかしなければ今おっしゃったことが大した額にはならないなというのを思っていますけれども、これは文部省だけではございませんからあえてここで論議はいたしません。けれども、今おっしゃったように、本当に老朽化した、陳腐とも言うべき大学の研究設備、こういうときにこそ町村文部大臣の実力を発揮して、一新して世界に誇れる大学の設備というもの、基礎研究のもとになる研究施設の整備というものはこういうときにこそ私はしていくべきだと思っています。ですから、ぜひそれは頑張っていただきたいし、また、病院に一番最新の機器を入れるということもうわさにはなっておりますけれども、これは当然のことで、陳腐な機器で幾ら医者が腕を上げたところで、実際にはもう新しい技術が世界じゅうで広がっているわけですから、これも当然のことですから、私は今さら何も言いません。大いに頑張ってやっていただきたいと思います。  ただ、小さなことですけれども、私はお願いがあるんです。  私が三月の十二日、当委員会におきまして文部大臣にお願いした話があったんですけれども、麻薬等の対策で、薬物乱用ということに対して今大変大きな問題があるから、私はこれを今しなければ間に合わなくなるよということを言いました。本当に白い悪魔が日本を目がけてあらゆるルートを通じて入ってきているということも申し上げましたときに、大臣が、高校生に対する麻薬の恐ろしさを示すテープができましたけれども、中学、小学校に対してはありませんと、まだ来年の話ですという答弁がありました。ですから、高校用のテープは私はできたんだろうと思います、あのときにできたとおっしゃいました。けれども、今や小学生にまで及ぶということですから、わずかな経費でできることですから、中学用の麻薬の恐ろしさを示すテープ、そして今や小学生用のテープ、そして教師まで麻薬に染まっている人がこの間出てきたわけですから、高校生からではなくて、今も教師の中身の話が出ましたけれども、教師用のテープをまず一番先につくるべきじゃないんでしょうか。その辺のところもこの予算の中に入れていただきたいということに関してお答えをいただきたい。
  200. 町村信孝

    ○国務大臣(町村信孝君) 委員とのやりとりを私もよく覚えております。  あのときたしか御答弁申し上げましたのは、平成九年度予算で高校のができましたと。平成十年度の予算、今度成立をしたわけでございますが、そこでは中学用のビデオの予算がもう既に計上されてございますので、これはまたいいものをつくる努力をしたい。  あと、教師用のビデオというのを今伺いました。それと小学校用、この辺をどう考えるべきか、ちょっと受けとめさせていただきたいと思いますが、率直に言って教師にもビデオを見せなきゃならない時代なのかなと思うわけですが、現実にそういう教師もいたわけでございますから、確かに新たな問題として考えなきゃいけないのかなと思ってはおります。
  201. 扇千景

    ○扇千景君 私はやっぱり教師の重みというものは本当に大事だと思っていますから、今各先生方から今度の細かい話が出たから重ねては申しません。  けれども、一つ例を挙げますと、私は本当に恥ずかしい話だと思いますけれども、この間の長野における冬季オリンピック、本当に私たちは胸躍らせ、また若い者たちに夢を与えて、すばらしい成功だったと。この成功であったということは私は大賛成です。けれども、残念なことが一つあるんです。あのときに、私たちは拝見しておりまして、胸躍らせて表彰台に上がったにもかかわらず、国旗と国歌という表現をどのテレビ局もしませんでした。国旗掲揚、国歌斉唱ということをNHKもとの放送局も何回やっても言いません。私はそのことが本当に情けないことだと思います。ですから私は、子供が帽子をとるとかとらない、そんな単純な話じゃないんです。  もう一つ例を挙げます。  ソウルでオリンピックがございました。そのときに、ソウルのオリンピックにたまたま日本から修学旅行で参加した一つのグループがございました。どの国が勝っても表彰式で国旗掲揚、国歌斉唱がありました、優勝者に対して。そのときに全会場が起立したんです。日本から行った修学旅行の集団だけは先生も生徒も一人も立たなかった。  そのときに、韓国の人たちに、日本て不思議ですね。日本だけが立たないからすごく目立ったんだそうです。そうだろうと思います。そういう国際性というものが果たして今の教師の頭のままで教育して通用するんだろうか。先ほどからるる先生方が教師の心の問題、生徒の心の問題とおっしゃいましたけれども、まず指導する人の頭の一中、心の中がなければ生徒が育つわけがないと、私はそう思います。ですから、今の麻薬の問題に飛躍して申しわけありませんけれども、教える先生が怖さを知らなければ、生徒にどうして教えるんですか。少なくともこれからの二十一世紀、国家として何を理想とし、また何を求めていくのかということを教師にきちんと信念を持って、また、教師の理念とそして日本人としてのプライドが持てる先生というものをまずつくらなければ、生徒にそれを求めるのは私は無理だと思います。  そういうことに関して、問題が大き過ぎますから今ここでお答えいただけるとは思えませんけれども、それを目指していただきたいということを文部大臣に申し上げて、終わりたいと思います。御意見があったらぜひ伺いたい。
  202. 町村信孝

    ○国務大臣(町村信孝君) 大変貴重な御意見をいただきました。ちょっと長くなるかもしれませんが、戦後のことを考えますと、確かに国というものをできるだけ小さく、あるいはできればないものにしていきたい、そしてそれに対置するものとして市民とか庶民とか、そういういろんな言葉があって、それが一つの戦後の流れといいましょうか、そういうものが日本にとっては望ましいと、あたかもそういうような論調がありました。そして今やグローバル、グローバルということで、国境がなくなったとか国境を超えたとか盛んに言われます。しかし、現実の世界は、先ほどオリンピックの例をお出しになりましたけれども、国家というものは厳然として存在をしておりますし、国家が消滅をするということは私は未来永劫ないと思っております。だからこそ国旗も国歌もそういう意味で重要でありますし、そうしたことを含めて、やはり戦後の日本の社会の中で不当に国というものを軽く扱ってきた日本の戦後社会のあり方、そして学校教育現場というものを私は正当な方向にやっぱり向き直していかなければならないだろう、こう考えております。  たまたま国旗・国歌ということにお触れになりましたけれども、卒業式とか入学式とか、依然として拒絶反応が一部ありますけれども、しかし、それでも八割、九割の学校で国旗・国歌が歌われ掲揚されるというふうに、大分これは変わってま  いりました。  こうしたことなども含めて、しっかりとした国家観というものが持てるような、そういう先生をやっぱりしっかりとして養成をしていきたいし、また、採用の段階、さらには採用後の研修といったようなものも、そういう面からもしっかりとやっていかなければならない、かように考えております。  中途半端な答弁でどうも申しわけありません。
  203. 扇千景

    ○扇千景君 終わります。
  204. 大島慶久

    ○委員長(大島慶久君) 他に御発言もなければ、質疑は終局したものと認めて御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  205. 大島慶久

    ○委員長(大島慶久君) 御異議ないと認めます。  それでは、これより討論に入ります。御意見のある方は賛否を明らかにしてお述べ願います。
  206. 阿部幸代

    ○阿部幸代君 私は、日本共産党を代表して、教育職員免許法の一部を改正する法律案に反対の立場で討論を行いたいと思います。  反対理由の第一は、本法案が、十分な検証もなく、長期的展望を欠いたものであるということです。  一九八八年改正の現行教員免許法に基づく教員養成教育を受けた教員が、九三、九四、九五の三年間の卒業生じかいない段階で教育職員養成審議会の審議が始まっており、教員採用人数の少なさとも相まって、十分な検証をするいとまがなかったことは明らかです。しかも、養成と裏腹の関係にある採用の量的側面を十分に検討していないというのも、長期的展望を欠いており、見過ごすことができません。  反対理由の第二は、教員養成教育課程のカリキュラムに詳しい関係者や関係団体の意向が尊重されてこなかったということです。  教養審の審議の中で、カリキュラム変更の影響を大きく受ける日本私立大学団体連合会は二回の意見聴取、国立大学協会は書面による意見聴取、日本教育学会や日本教師教育学会、全国私立大学教職課程研究連絡協議会などは審議から除外されています。  反対理由の第三は、教職科目の基準単位の引き上げが、私学や一般大学・学部の教員養成を困難にし、このことが戦後築き上げた開放制教員養成の道に反するということです。  反対理由の第四は、教職科目の基準単位引き上げが、必ずしも実践的な指導力の養成につながらないということです。教職科目の引き上げで、学ぶ楽しさ、わかる喜びを子供たちと共有し、子供たちの心に寄り添うことのできる多様な人材を迎える道を狭めるのは、むしろ逆効果です。  また、教員免許を持ち教師を希望しながら教師になれない人が多数存在する中で、特別非常勤講師制度と特別免許状制度を拡大し、教職について専門的に学んでいない人を拡大していく方向は問題です。  以上、総じて、今回の改正案が上からの押しつけによるものとの感は免れがたく、教員養成現場や教育現場の要望からかけ離れているとの判断に基づき、反対いたします。
  207. 大島慶久

    ○委員長(大島慶久君) 他に御意見もなければ、討論は終局したものと認めて御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  208. 大島慶久

    ○委員長(大島慶久君) 御異議ないと認めます。  それでは、これより採決に入ります。  教育職員免許法の一部を改正する法律案に賛成の方の挙手を願います。    〔賛成者挙手〕
  209. 大島慶久

    ○委員長(大島慶久君) 多数と認めます。よって、本案は多数をもって原案どおり可決すべきものと決定いたしました。  この際、松あきらさんから発言を求められておりますので、これを許します。松あきらさん。
  210. 松あきら

    ○松あきら君 私は、ただいま可決されました教育職員免許法の一部を改正する法律案に対し、自由民主党、民主党・新緑風会、公明、社会民主党・護憲連合及び自由党の各派共同提案による附帯決議案を提出いたします。  案文を朗読いたします。     教育職員免許法の一部を改正する法律案に対する附帯決議(案)   政府は、教員免許制度の重要性にかんがみ、次の事項について、特段の配慮をすべきである。  一、教員養成における開放制の原則が堅持できるよう、教員養成大学・学部以外の大学・学部における教員養成にかかる諸条件の一層の充実に努めること。  二、今回の法改正に伴い必修とされる科目については、教育職員養成審議会第一次答申を踏まえ、趣旨の徹底を図るとともに、その具体的な名称及び内容に関しては、各大学の創意工夫と自主性を尊重すること。  三、教員養成大学・学部以外の大学・学部が教員養成を引き続き円滑に実施することができるよう、「教職に関する科目」の単位を大学の卒業要件に算入することを可能とするとともに、教職課程における単位互換制度の導入及び専任教員基準の緩和を図る等十分な対応措置を講ずること。  四、特別非常勤講師制度及び特別免許状制度等、社会人が教育に参加する制度の実施に当たっては、これまでの実施成果を十分に検証し、各学校が適切に同制度を活用できるよう、その条件整備に努めること。  五、養護教諭を保健の教科の領域に係る事項の教授を担任する教諭又は講師とするに当たつては、養護教諭の本務や保健室の機能が阻害されることのないよう配慮するとともに、養護教諭の増員及び適正配置についても引き続き検討すること。   右決議する。  以上でございます。  何とぞ委員各位の御賛同をお願い申し上げます。
  211. 大島慶久

    ○委員長(大島慶久君) ただいま松あきらさんから提出されました附帯決議案を議題とし、採決を行います。  本附帯決議案に賛成の方の挙手を願います。    〔賛成者挙手〕
  212. 大島慶久

    ○委員長(大島慶久君) 全会一致と認めます。よって、松あきらさん提出の附帯決議案は全会一致をもって本委員会の決議とすることに決定いたしました。  ただいまの決議に対し、町村文部大臣から発言を求められておりますので、これを許します。町村文部大臣。
  213. 町村信孝

    ○国務大臣(町村信孝君) ただいまの御決議につきましては、その趣旨に十分留意して対処してまいります。
  214. 大島慶久

    ○委員長(大島慶久君) なお、審査報告書の作成につきましては、これを委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  215. 大島慶久

    ○委員長(大島慶久君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。  速記をとめてください。    〔速記中止〕
  216. 大島慶久

    ○委員長(大島慶久君) 速記を起こしてください。     ―――――――――――――
  217. 大島慶久

    ○委員長(大島慶久君) 次に、宇宙開発事業団法の一部を改正する法律案を議題といたします。  政府から趣旨説明を聴取いたします。谷垣科学技術庁長官。
  218. 谷垣禎一

    ○国務大臣(谷垣禎一君) 宇宙開発事業団法の一部を改正する法律案につきまして、その提案理由及び要旨を御説明いたします。  宇宙開発事業団は、昭和四十四年に設立されて以来、我が国の宇宙開発の中核的実施機関として、平和の目的に限り、人工衛星及び人工衛星打ち上げ用ロケットの開発、打ち上げ等を総合的、計画的かつ効率的に行うことにより、宇宙の開発及び利用の促進に重要な役割を果たしてきたところであります。  現在、宇宙開発事業団は、技術面、経済面双方において国際的な水準に達することを目指してHⅡAロケットの開発を進めておりますが、国際宇宙ステーション計画の本格化や通信、地球観測等の多様な分野における衛星需要の拡大等に伴い、今後同事業団の打ち上げに対する需要も大幅に増加することが予想されます。  宇宙開発事業団は、その打ち上げ能力を国全体のために活用することを任務の一つとして有しているところであり、HⅡAロケット等を用いて同事業団によるみずからの打ち上げ及び委託に応じた打ち上げを着実に推進していくことは、宇宙の開発及び利用を促進していく上で大きな意義を有するものと認識しております。  宇宙開発を早くから手がけている欧米におきましては、万一打ち上げにより第三者に損害が発生した場合に備え、責任保険契約の締結を義務づけるとともに、保険を超える損害については公的主体による賠償措置を整備しているところであります。  本法律案は、このような状況にかんがみ、我が国においても、宇宙開発事業団の打ち上げにより万一第三者に損害が発生した場合に備え、欧米と同等の損害賠償措置を講ずることにより、同事業団の打ち上げ業務の円滑な推進と確実な被害者保護に資することを目的として、責任保険契約の締結を義務づけるとともに、委託に応じた打ち上げに起因する損害賠償責任に関して同事業団に実質的な責任集中を図ることを内容とする措置を講じようとするものであります。  以上がこの法律案の提案理由及び要旨であります。  何とぞ、慎重に御審議の上、速やかに御賛同あらんことをお願い申し上げます。
  219. 大島慶久

    ○委員長(大島慶久君) 以上で趣旨説明の聴取は終わりました。  本案に対する質疑は後日に譲ることとし、本日はこれにて散会いたします。    午後四時四十九分散会