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1979-05-28 第87回国会 参議院 航空機輸入に関する調査特別委員会 5号 公式Web版

  1. 昭和五十四年五月二十八日(月曜日)    午後一時二分開会     ―――――――――――――    委員の異動  五月二十八日     辞任         補欠選任      中尾 辰義君     原田  立君     ―――――――――――――   出席者は左のとおり。     委員長         二木 謙吾君     理 事                 岩崎 純三君                 平井 卓志君                 野田  哲君                 矢原 秀男君                 神谷信之助君                 和田 春生君     委 員                 浅野  拡君                 遠藤 政夫君                 亀長 友義君                 熊谷  弘君                 佐藤 信二君                 戸塚 進也君                 成相 善十君                 山本 富雄君                 穐山  篤君                 久保  亘君                 矢田部 理君                 黒柳  明君                 原田  立君                 橋本  敦君                 市川 房枝君    事務局側        常任委員会専門        員        奥村 俊光君    証人                 松野 頼三君     ―――――――――――――   本日の会議に付した案件 ○航空機輸入に関する調査  (航空機輸入に関する件)     ―――――――――――――
  2. 二木謙吾

    ○委員長(二木謙吾君) ただいまから航空機輸入に関する調査特別委員会を開会いたします。  まず、委員の異動について御報告いたします。  本日、中尾辰義君が委員を辞任され、その補欠として原田立君が選任されました。     ―――――――――――――
  3. 二木謙吾

    ○委員長(二木謙吾君) 航空機輸入に関する調査を議題とし、証人松野頼三君から証言を求めることといたします。  この際、証人に一言ごあいさつ申し上げます。  本日は当委員会に御出席いただきまして、まことにありがとうございました。  証言を求めるに先立ち、証人に申し上げます。  議院における証人の宣誓及び証言等に関する法律によりまして、証人には、証言を求める前に宣誓をしていただくことになっております。  宣誓または証言を拒むことができるのは、次の場合に限られております。  証言が、証人または証人の配偶者、四親等内の血族もしくは三親等内の姻族または証人とこれらの親族関係のあった者及び証人の後見人または証人の後見を受ける者の刑事上の訴追または処罰を招くおそれのある事項に関するとき、またはこれらの者の恥辱に帰すべき事項に関するとき、並びに医師、歯科医師、薬剤師、薬種商、助産婦、弁護士、弁理士、弁護人、公証人、宗教または祷祀の職にある者またはこれらの職にあった者がその職務上知った事実で黙秘すべきものについて尋問されたとき。  以上の場合以外は、証人は宣誓または証言を拒むことができません。  正当の理由がなくて証人が宣誓または証言を拒んだときは、一年以下の禁錮または一万円以下の罰金に処せられます。  また、宣誓した証人が虚偽の陳述をしたときは、三月以上十年以下の懲役に処せられることになっております。  なお、今回の証人喚問についての当委員会理事会の決定事項については、証人にはすでに文書をもってお知らせしましたとおりであります。  証人は原則としてメモをとることができないこととなっておりますが、質疑の項目程度はよろしゅうございますので御承知おき願います。  それでは、法律の定めるところによりまして、証人に宣誓を求めます。  全員御起立をお願いします。   〔総員起立〕
  4. 二木謙吾

    ○委員長(二木謙吾君) 松野頼三君、宣誓書を朗読してください。   〔証人は次のように宣誓を行った〕   宣 誓 書  良心に従つて真実を述べ、何事もかくさず、又何事もつけ加えないことを誓います。
  5. 二木謙吾

    ○委員長(二木謙吾君) 宣誓書に署名捺印してください。   〔証人、宣誓書に署名捺印〕
  6. 二木謙吾

    ○委員長(二木謙吾君) 全員御着席を願います。  これより証言を求めることといたしますが、証人の御発言は証言を求められた範囲を超えないこと、また、御発言の際はその都度委員長の許可を得て御発言なさるようお願いいたします。  なお、質問を受けているときは御着席のままで結構でございますが、お答えの際には起立されて御発言を願います。  この際、委員各位に申し上げます。  本日は、申し合わせの時間内で証言を求めるのでありますから、不規則発言等、議事進行の妨げになるような言動はなさらぬよう御協力をお願いいたします。  それでは、初めに委員会を代表いたしまして委員長からお尋ねいたします。  証人は、去る二十四日の衆議院航空機輸入に関する調査特別委員会において、昭和四十二年から四十六年の五カ年間に政治家松野頼三を育てるという趣旨で個人的政治献金として四、五億円を受領したと証言されましたが、政治家を育てるという趣旨の献金がこの五カ年間に集中し、その後はほとんどないというのは理解しにくいのであります。  そこで、改めて献金の趣旨とその使途についてお尋ねをいたします。
  7. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) 衆議院でお話ししたとおりでございます。理解しにくいと言われますが、私の承知している範囲は衆議院で申し上げたとおりでございます。
  8. 二木謙吾

    ○委員長(二木謙吾君) 次に、グラマン社がE2Cの代理店を住友商事から日商岩井に変更するに当たり、チータム氏は、松野氏の話が大変有効であると判断したと話されているようですが、証人は、チータム氏とどのような関係にありましたか。また、日商岩井についてどのような話をされましたか。お尋ねいたします。
  9. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) カーン氏という方が私のところヘチータム氏を連れてまいりました。それが初対面であります。初めはどこの方か存じませんでした。名刺を拝見して、グラマンという英語の名刺を拝見して初めてわかりました。主として、私が防衛問題に非常に精通している、たまたまチータム氏も国防省におりまして、極東防衛について非常に熱心な方、したがって、話しが大いにはずんだのは、極東防衛という防衛問題がほとんどでございます。その当時、代理店変更というような印象は私はほとんど持っておりません。言うなれば、同盟国、友好国の方が来られたから気持ちよくお会いしたということが主でありまして、代理店変更などという印象も最初からありません。向こうも言われませんでした。したがって、そのことについては、どこで、いつそういう印象を持たれたか、私自身どの場面でそう持たれたのか、私自身必ずしも正確じゃありません。それが私の今日までの気持ちであります。
  10. 二木謙吾

    ○委員長(二木謙吾君) ありがとうございました。  次に、発言の申し出がありますので順次これを許します。
  11. 野田哲

    ○野田哲君 社会党の野田です。  まず、先ほど委員長の方からの質問について明確にしておきたいという意味で証人に御証言を願いたいのですが、委員長の質問では、四十二年から四十六年までの間五年間と、こういう形で質問をされておりますが、これは暦年では確かに足かけ五年間ということになるのですが、法務省の報告によりますと、昭和四十二年秋から昭和四十六年の終わりまでの間、こういうことで、実質的には約四年間、こういうふうに報告がされているわけですが、この点はいかがですか。
  12. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) どちらがどうか私は正確に記憶がありませんので、四十二年から四十六年という感じは持っておりますけれども、正確に秋、春、夏と言われても、その答えは私は明確じゃございません。
  13. 野田哲

    ○野田哲君 五億円を受領された回数は十数回というふうな報告を受けているんですが、証人としては、正確な回数は何回ということですか。
  14. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) 何回かほとんど正確に覚えておりません。それは年に三回ならば三、四の十二回になりましょうし、年に四回のときもあった、二回のときもあったということでしょう。したがって十数回と言われても困りますが、四年間ですから二、四が八、八回よりも多かったんじゃなかろうか。そうするとやっぱり十数回じゃなかろうか。その辺は本当に申しわけありませんけれども正確に覚えておりません。
  15. 野田哲

    ○野田哲君 約金額は五億円、ある種の事情によって端数がついている、こういうふうに法務省の報告を受けたわけですが、五億円ですか、金額は。端数があるんだと、こういうことですが、その点いかがですか。
  16. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) 私は、衆議院では四億ないし五億という記憶を持っておりますということをお答えしております。
  17. 野田哲

    ○野田哲君 証人に渡った四億ないし五億の金の、これが何回かに分かれて渡されたということですが、この渡されたサイクルですね、一カ所にある程度、一カ所というか、ある時期に、約四年間ないし五年間の間のある時期にある程度のものが集中しているのか、あるいは平均的なサイクルになっているのか。その点いかがですか。
  18. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) 私も、不定期であったし、金額も一定しておりませんが、しかし私の記憶では、衆議院選挙、参議院選挙、衆議院選挙という選挙の期日に私は主として集中していたんじゃないかという記憶を持っております。どれがどれだと言われても、それは私もわかりませんが、そういう私は記憶をしております。
  19. 野田哲

    ○野田哲君 衆議院選挙、総選挙ということになると、この間では四十四年に一回しかないんですね。だから、十数回という法務省の報告がその辺に集中をしているのか、あるいは年に三回ないし四回という形が平均的に続いていったのか、その辺はわかりませんか。
  20. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) 四十二年の一月は衆議院選挙ですから、その四十二年中は衆議院選挙の問題というのがやっぱり抱えます。それから四十三年は参議院選挙ですから、衆参選挙は違うといっても、政治家としてはやはり無関係じゃございません。その間に地方の地方選挙というのも入りますし、それから衆議院選挙も入りますし、どの選挙と言われても困りますが、政治活動は終始続いておったと私は記憶いたします。
  21. 野田哲

    ○野田哲君 証人は四億ないし五億と、こう言われるわけですが、法務省の方は五億、こう言われているわけです。そこで、何回か受けたものが四億ないし五億に結果的になったということなのか、あるいはそうではなくて、初めに約束があった、それを何回かに分けて渡されたのか。そこのところが一番やはり一つの焦点になっているわけです。本院における航特委員会での法務省の報告は、これは初めに五億円あり。初めに約束がされていた、それが後でいろいろ分割されて渡されたんだ、こういうふうに報告されているわけです。この点、日商岩井のだれと、いつ、どこで、どういう目的で初めにその約束がされたのか、このことのお答えをいただきたいと思います。
  22. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) 私は、政治献金として順次いただいたので、結果において幾らになったか、私も明細じゃございません。したがって、そういう順序とそういういきさつの金でございます。
  23. 野田哲

    ○野田哲君 証人も長い、私どもよりももう数等長い政治経歴を持っていらっしゃるわけです。政治献金というものの企業からの出方というものについても承知をされているんだろうと思うんですが、本院の予算委員会における日商岩井の証言によると、日商岩井の政治献金はすべて社長決裁によってなされている、そして四十三年から五十三年までの十年間で社長決裁によった政治献金というのは九億八千万円、こういう証言がなされているわけです。ところが、証人がこれとは別に四十二年から四十六年の間に五億円、証人は四億ないし五億と、こう言われたわけですが、政府の発表では五億の金が渡されている、しかもその支払い方法については、会社の正規の政治献金の手続を経ないでアメリカ日商の前払い勘定によってなされる、後でその穴埋めに大変苦労していると、こういう報告がなされているわけなんです。証人に贈った金の穴埋めが現に法に触れて被疑者が出ている。こういう法を犯すやりくりまでして贈られた金であるということが報告されているんです。そういう形態をとっていても、やはり証人はあくまでもこれは政治献金として受け取った、こういう理解をされているわけですか。
  24. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) そういう話は今日私は初めて、結果において初めてわかることで、その当時は日商岩井からの政治献金と私は思っておりますし、どこでどうやりくりしたか、それは私は全然知りません。そういう趣旨ですから、いまになって結果から見ればそういうことを私も仄聞しますけれど、その当時はどこからどうしてやりくりして私にそのような献金するというのは全然聞いておりません。私は単なる日商岩井の政治献金であるとしかその当時はわかりません。
  25. 野田哲

    ○野田哲君 証人のところへ日商岩井から一番最初に金を届けたのはどなたですか。
  26. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) 私と日商岩井の関係は非常に古い関係でございますので、その趣旨の基本は私のおやじ以来のことです。また、これはさきに衆議院でもお話ししましたが、鈴木商店の財産整理に私の父が関与いたしまして、その関与した工場の一つは私の父が引き継いでおります。そういう実は現実にその会社を引き継いだといういきさつから、その会社もまだ今日現存しているんです。そういう関係からのつながりでありまして、したがって、私が大臣になったとき一番最初に喜んで電話してくださったのは高畑さんです、おやじさんが生きていれば喜ぶでしょうと。前から高畑さんは紹介を受けておりました。そのいきさつから、その紹介から海部八郎さんが私のところへ来られました。それは昭和四十二年の、選挙が終わってそう古くないから、四月ごろじゃなかったかと思います。そのときに二、三百万の、選挙でお入り用だったでしょうからと言ってたしか持ってこられて、これはそういうあいさつだったんです。したがって、第一回の記憶は四十二年の四月ごろだと思います。海部八郎さんが、それの紹介は高畑さんからの紹介です。二、三百万持って、選挙が、それで私は四十二年の選挙後だという記憶を持っているんです。選挙にお入り用でしたでしょうからと言って持ってきた。それが第一回だと私は記憶します。
  27. 野田哲

    ○野田哲君 そのときに海部八郎氏は、その金の趣旨については、選挙にお入り用だったでしょうということ、それ以外のことは何も言われなかったわけですか。
  28. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) それ以上のことはありません。
  29. 野田哲

    ○野田哲君 何回かに分けて、四年ないし五年の間に四億ないし五億と、こう言われているわけですが、一番大きい金額は、証人の記憶ではどのぐらいの金額が一番大きい金額でしたか。
  30. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) 一番大きい金額は衆議院の選挙のときだったと思います。
  31. 野田哲

    ○野田哲君 それは幾らですか。
  32. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) 二、三回に分けてございましたが、五千万が二回ぐらいじゃなかったかと思います。
  33. 野田哲

    ○野田哲君 五千万二回、そのときは持参されたのはどなたでしたか。
  34. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) 海部さんか島田さんかだったと思います。
  35. 野田哲

    ○野田哲君 あなたは受け取る側として、海部さんあるいは島田さん、こういう形で五千万ぐらいを二回持ってこられた。当時は海部、島田、この二人は日商岩井を代表する立場ではなくて、航空機部の担当者であったわけですね。そういう立場の人がそんなに多額なものを持ち込んできても、あなたはそれに対して何らの意図を感じなかったわけですか。どうですか。
  36. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) まだその御両人は非常に、取締役程度だったと私は思います。したがって、あくまでその意思は代表権のある高畑さんの意思であると私は思っております、高畑さんの意思でこの献金が続けられたと。まだ海部さんはその当時は取締役ぐらいじゃなかったでしょうか。したがって、私は、日商全部の代表した意思であると私は思っております。
  37. 野田哲

    ○野田哲君 衆議院の証言でも高畑さんのと、こういう趣旨の証言をされておりますが、その後のこの参議院の当委員会における法務省の説明では、今回のこの証人に渡った金については高畑さんは何ら関係ない、すべて海部を中心にしてやられたことだ、こう言われて、証人の証言とは大きなその点に食い違いが起こっているわけですが、その点いかがですか。
  38. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) 金がどういうふうにして捻出されたか私は知りません。しかし、私は海部さんと高畑さんと三人で何回かお会いしておるんです、この期間に。また高畑さん本人とも私は何回か関西でお会いしているんです。金のやりくりはどうされたかそれは知りませんが、常に高畑さんに、私はこの期間に何遍もお会いしているし、お話もしているんです。そのとき海部さんも同席しておるんです。そうしていろいろな話を私たちはしておるんです。全然無関係というのは、それは金銭のことは私は知りません。私はそういう印象を、その事実で私はそういう印象を持っております。
  39. 野田哲

    ○野田哲君 その高畑さん、それから海部さんとあなたが何回も会っていろんな話をされた、その話はどんな内容の話でしょうか。
  40. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) 鈴木商店という会社の話が一番話題の中心で、私も興味を持ちました。鈴木商店というのは、あの当時商社じゃなしに非常に大きな事業をされている。たしか神戸製鋼とか東洋高圧とか、非常な産業面に重視された会社だった、積極政策をやられた。それが台湾銀行問題で破産をした。しかしその財産は非常にきれいに整理された。したがって、鈴木商店は財産はなくしても、人徳と人材を残しているというような話。また高畑さんは非常に為替に詳しい方でした。為替貿易は非常に詳しい方でした。私がお会いしたときも八十歳近かったと思いますけれども、いまでも外国の新聞をポケットから出しておられた、そういうことが非常に大きな話題の大部分でした。
  41. 野田哲

    ○野田哲君 昭和四十二年から四十六年の間にあなたが受け取られた日商岩井からの金の中の一部アメリカで受領されたという経過はありませんか。
  42. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) その性格は政治資金をですか。まことに申しわけありませんが、その性格はどういうことでしょうか。
  43. 野田哲

    ○野田哲君 政治資金であるかどうかは別にして、アメリカでこの日商岩井から金を受け取られたといういきさつはありませんかと、こう伺っているんです。
  44. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) 四十二年-四十六年の間には、私は一度あると思います。
  45. 野田哲

    ○野田哲君 その場所はどこでしょうか。
  46. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) ワシントンとシアトルじゃなかったかと思います。
  47. 野田哲

    ○野田哲君 二回ですか、そうすると。
  48. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) 一回を二つに分けたんです。一回が二つに分けられたんじゃないかと思います。
  49. 野田哲

    ○野田哲君 それは金額はどのぐらいですか。ドルだったら幾らか、あるいは円だったら幾らか。
  50. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) 五千ドルと五千ドルです。
  51. 野田哲

    ○野田哲君 そうすると、それは一万ドルを渡すということになって、それをワシントン、そしてシアトル、こういう形で二回に分けて受け取られたと、こういうことですか。
  52. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) それは私がアメリカの国防省の招待で核兵器の調査視察に行ったときです。その旅費として、ワシントンに行ったとき五千ドル、それから、旅行が長引きましたからロサンゼルスかシアトルで五千ドル、こういう意味で、何も最初から一万ドルという意味じゃありません。旅行が長引きましたから旅費としてお使いくださいという意味であって、一緒だと言ったのは、同じ旅行の中で旅行期間が延びたからお使いくださいといっていただいた金だと、こういう意味でございます。
  53. 野田哲

    ○野田哲君 ヨーロッパでそういう授受があったことはありませんか。
  54. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) それは私じゃなしに、私の家族がロンドンで千ドル、みやげ代か何かをいただいたという話を聞いておりますから、そのことじゃないんでしょうか。
  55. 久保亘

    ○久保亘君 社会党の久保亘です。  最初にお尋ねしたいのは、先ほどの質問にもありましたけれども、四十二年から四十六年に及ぶ献金について、事前に日商岩井の方から献金の意思表示、約束というものは全然なかったのかどうか、そのことをひとつはっきりお答えいただきたいと思います。
  56. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) 海部さんから最初に三百万いただいた、それが最初でございます。
  57. 久保亘

    ○久保亘君 法務省の報告では、事前に約束があって、その約束が四十二年から四十六年にかけて果たされた、こういうことになっておりますが、このことは証人は否定をなさるわけですか。
  58. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) そういう記憶は全然ありません。
  59. 久保亘

    ○久保亘君 それでは次に、証人は海部八郎氏とのかかわりについて、昭和四十年に高畑氏から電話があって、亡くなられたお父さんのお悔やみを兼ねて海部を差し向けると、こういうことであったので、防衛庁長官在任中のことでもありお断りした、こういうことを証言されております。あなたのお父さんがお亡くなりになったのはいつですか。
  60. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) まことにこれは申しわけございません。三十七年でございました。衆議院で三十九年と私がつい申し上げたのは、佐藤内閣ができる直前という記憶で申し上げたところ、家内から早速、三十七年の暮れですよと、きょう、ことに参議院は私の父とゆかりの多いところで、まことにこれは七年と九年とを間違えて申しわけありません。三十七年の暮れだったと思います。
  61. 久保亘

    ○久保亘君 いまお父さんの松野鶴平氏がお亡くなりになったのは三十七年の暮れだと申されました。私どもも三十七年の十月十八日と記憶いたしております。そうなりますと、あなたが防衛庁長官在任中に高畑さんから電話があったというときに、まさかお悔やみを述べられたわけじゃないでしょう。お亡くなりになってから三年たっておりますね。あなたのお父さんの人脈遺産ともあなたが言われるような親しい間柄の高畑さんが、まさか亡くなって三年目にお悔やみの電話をかけられるはずはない。それならば、そのときに高畑さんが海部を差し向けると言われたのは、そのことではなくて、海部の話を聞いてやってくれと、こういうことで電話をなさったのじゃありませんか。
  62. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) いろいろ人間の記憶というのは不確かなものだと、つくづく私もおやじの亡くなったことを考えてそう思います。そのときの記憶は、お海やみと同時に、お父さんが生きておればお喜びだったでしょうねと、こう言った。それまで私は大して大きな政治家じゃありません。大して、大臣の役についたことありません。たまたま私が入閣したので、恐らくお悔やみと喜びの電話を私はいただいたという記憶を持っているんです。そのときにどうこうという話はほとんどありません。ただそれだけです。
  63. 久保亘

    ○久保亘君 もしそういうことであれば、高畑さんのあなたが防衛庁長官になられたことに対するお祝いや激励の意味で、高畑さんの子供同然の海部さんをあなたのところに使いによこしたい、こう言われたのならば、何も断る理由はなかったのじゃないですか。それを防衛庁長官在任途中であるから断ったといま証言をされているのは、高畑さんからそのとき、こういうことで海部の話を聞いてやってくれぬか、こういうことをあなたは頼まれたのではありませんか。
  64. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) そういう人脈はありませんしね。また私から見れば、おやじの人脈遺産と申しましたように、そういうそのずうっと、とよがなければそういう因縁の関係は生まれなかったでしょう。水は流れなかったと私は思うんですよ。そんなことはもう毛頭念頭にないころです。また、私は防衛庁長官在任中一つも偏ったことを考えたこともない。したくない。それはもう本当のただ儀礼的な、また日商がそのとき何をどう考えていたか私は念頭になかった。また、そんなことを私知る記憶もありません。
  65. 久保亘

    ○久保亘君 不思議なことに、お父さんがお亡くなりになってから三十八年に総選挙があったのですが、三十八年の総選挙のときには証人のところに日商岩井からは何らの政治献金がなかったと、こういうことになっているわけです。そして、四十二年の選挙が終わってからあなたのところに初めて日商岩井の海部さんが二、三百万の金を持ってきた。これは人脈遺産と言われる日商と松野家との関係からすると、とても考えられないことなんです。私は、そういう意味では、海部さんが四十二年の四、五月ごろにあなたのところへ初めてやってきて、二、三百万、選挙でお金が要ったでしょう、こういうことで持ってこられたというのは、そのときに海部氏は日商岩井の立場についてあなたに話したかった、そういうことじゃないかと思うんです。  それでお尋ねいたしますが、長官を辞任されてからいままでは断ってきた海部八郎氏にお会いになることになったのは、どういうわけで、そしてそのときはだれが紹介したのですか。
  66. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) それは、先ほど申しましたように、高畑さんが海部は将来の自分の後継者である、だからひとつ政治家とおつき合いをさせてくれと、そういうことで私お会いしたんです。したがって、紹介というのは電話の紹介です。
  67. 久保亘

    ○久保亘君 高畑さんがその将来の社長候補である自分の子供同然の海部と会ってやってくれと、こう言われるのは、日商岩井とあなたの関係、それからあなたの政治家としての評価、そういうものを総合的に考えて、将来海部が日商岩井を背負って立っていく上には証人との関係をしっかりしておかなければならぬ、高畑さんはこういう立場であなたに引き合わせられた、そのときのあいさつ料が結局その選挙の陣中見舞い、これも、普通私は、選挙が終わって三、四カ月もたってからそういうことをなさるというのは余り常識的でないと思いますので、そのときにそういうことであなたのところに海部をよこされたのではないか、こう思わざるを得ないのです。で、あなたの証言について非常に疑問が残ります。  それから、岸氏の秘書である中村長芳氏と、それから田中六助氏が海部をあなたに紹介した、このことを衆議院で証言なさっておりますが、これはいつごろでしょうか。
  68. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) 私はそういうふうには申し上げておりません。衆議院では、岸氏の秘書の中村長芳君がその後私を海部さんに引き合わせた、そのときはすでに私は知っておったんですが、せっかく紹介するんですから、初対面のような顔をしてお会いしたということを私は申し上げたんで、田中六助さんと一緒ということでは私は申し上げていなかったと思うんです。中村長芳さんが私を紹介した、だからしたがって四月以後じゃなかったでしょうか、そう申し上げたんで、田中六助さんと一緒と私は申し上げた記憶はないんでございます。
  69. 久保亘

    ○久保亘君 ただいまの証言は、衆議院における証言の記録と照合をしていただけば明らかに食い違いがあると思います。あのとき質問者は、両名の方の名前を挙げてあなたにお尋ねをしております。そして、御指摘の方の紹介を受けたということをあなたは御答弁になっているようであります。  で、それならば、そのときには、海部氏とあなたがお会いになるときには、少なくともあなたが紹介を受けた中村長芳氏はそこに同席したのですね。
  70. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) 速記録を、私もそのときの速記録を正確には覚えておりませんが、質問の方は、たしか田中六助さんと中村長芳と海部さんと私と四人ということを御質問になっております。そこで私が、それは違うんじゃありませんかと、中村さんだけしか私は名前を挙げておりません。質問者は一緒におっしゃいました。私は中村さんだけしかそのときお答えしていないんです。したがって、質問者の趣旨と私の答弁とはそのとき違っていると私思います。違っていると思います。私は中村さんに紹介を受けたと。
  71. 久保亘

    ○久保亘君 中村さんは同席しましたね。
  72. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) もちろん同席しました。
  73. 久保亘

    ○久保亘君 時間がありませんから、次にE2Cのことについて少しお尋ねいたします。  ハリー・カーン氏をあなたに紹介をしたある方というのは、どなたですか。
  74. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) ある方と衆議院で申し上げました。――川部さんだったと思います。
  75. 久保亘

    ○久保亘君 川部さんは岸さんの秘書をおやりになっていたということは御承知ですね。
  76. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) もちろん知っております。
  77. 久保亘

    ○久保亘君 次に、そのハリー・カーン氏がチー夕ム氏をあなたのところに連れてきたときには、衆議院の証言では、E2Cについていろいろカタログを示したり、話が出た、それから、チータム氏からは代理店についても彼が熱心に話をしたが、私は深入りはしなかった、こういう御証言でありますが、本日は、代理店変更については向こうが話をした印象もないし、向こうは何にも言ってない、こういうことを先ほど委員長の尋問にお答えになりましたけれども、これはどういうことでございますか。
  78. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) 委員長の御質問に答えたのは、第一回お会いしたときのことを申し上げたんです。第一回名刺を持って私が初めてチータム氏に会ったときの状況を全部申し上げたんです。その後二回、三回と来たことがございます。その第一回だけの話を私は申し上げたんです。
  79. 久保亘

    ○久保亘君 E2Cについてあなたが日商岩井から総額五億円になる献金を順次受け取っておられるその過程で、ハリー・カーン、チータムといったような人たちとあなたはお会いになって、E2Cのことを話されたわけです。そのときにあなたがどういう意思を示されたかということは別にして、相手方が代理店を日商岩井にしたらいいという考えをあなたに述べたことは当然理解できることであります。ハリー・カーン氏は日商岩井のコンサルタントもやっていたんでありますから。で、そういう話が出てくる過程で、あなたの気持ちの中にも、できることなら日商岩井がE2Cの代理店になればなお結構だというお気持ちはあったんじゃありませんか。
  80. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) 私は、このE2Cのことについて日商から依頼を受けたことはないんです。どちらかというと、あの当時はアメリカ側が貿易不均衡という名目のもとにあらゆるものを日本に売ってきて、アメリカの方が熱心だった時代です。したがって、いま考えてみれば、一番熱心だったのはカーンさんだったなということはいま考えれば聞きますけれども、そのときに防衛庁にどの商社がいいかとか、そんな具体的なことはありません。どちらかというと、アメリカ側が自分でお選びになり、自分で努力されたという印象しか私にはないんです。私に求められたのは、日本の防御に対する防衛知識を私に求められたんです。
  81. 久保亘

    ○久保亘君 私の最後の質問は、四十二年から四十六年にわたって通常の政治献金とはとても考えられない多額の献金が、商社の通常のやり方でないやり方で、しかも届け出をしないでくれというような注釈つきで、あなたのところに持ってこられた。そして、それをあなたは政治献金だと思い込んでおられたようでありますが、四十六年に突如としてその献金がストップする。そのときにあなたはどういうお気持ちをお持ちになりましたか。なぜこの献金がここでとまるのだろう、もっと続けばよいと、こういう期待をお持ちになったのかどうかですね。全然相手の好意によって相手の都合で持ってくる金だというならば、四十六年でそういう献金がなくなるということは、あなたにとっては非常に好ましくないことだったのではありませんか。
  82. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) 素直に申せば、そういう感じはいたします。ただ、私は、考えると政治情勢もありますけど、あるいは社内情勢が、社長がかわられたとか、そういうふうなことが、やっぱり社内情勢もあったんじゃないでしょうか。こちらも、それは希望はあっても、何も強制とか、無理には言えませんから、私もあなたと同じように、そういう気持ちでおりますけど、恐らく社内情勢あるいは政治情勢によって変わったんじゃないかと、私はそうしか思っておりません。
  83. 矢田部理

    ○矢田部理君 私から補充的に何点か承りたいと思いますが、証人は、年間一億以上の献金、数年間で数億と言ってもいいと思いますが、そういう献金を他の企業から受けられたことがございますか。
  84. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) 他の企業から受けたことはございません。
  85. 矢田部理

    ○矢田部理君 高畑さんとの関係をるる述べられておりますが、それにしても、この当時年間一億以上の献金をするというのは、何か意図がある、何かねらいがあるということを察知し得ませんでしたでしょうか。
  86. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) 私を一生懸命応援してくれるという、ありがたいという気持ちが私は優先しておりました。
  87. 矢田部理

    ○矢田部理君 受領の時期が、ちょうど第二次FXにとってきわめて重要な時期、あるいはそれが成功した時期であること、このお金は表に出さないでほしいという注文がつけられたこと、金額が他の献金に比べて異常に大きかったことなどから見て、長年政治家をやってこられた証人としては、何かあるなという感触を持ってしかるべきではないのかと思うのですが、何にも感じなかったんでしょうか。
  88. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) 三百万からスタートして、順次ずっと継続されますと、それは甘い考えかもしれませんけど、そういう方の気持ちの方がウエートが置いてしまうんで、一度に来たわけではありません。また、選挙選挙のたびに応援してもらうというと、選挙資金という印象が強いものですからね、それはありがたいことだと。また、あの当時は、必ずしも企業献金というのは全部表に出さなくても、また出してもらいたくないということが大分あったんです。その後政治資金規正法が改正されましたけど、あの当時はまだ企業献金、個人献金というものにはそういう慣習があったものですから、それはそうかなと素直に私はその辺は考えたんです。
  89. 矢田部理

    ○矢田部理君 先般の法務省の見解によりますと、常識的に見てファントムの工作資金等であったということはわかる状況にあったとの指摘をされておるわけでありますが、証言を変えるつもりはありませんね。  もう一点、そうしますと、証人としてはあくまでもこの五億円は、純粋な政治献金、ファントムの工作や報酬という性格は全くない、ファントムとは縁もゆかりもないということを証言として維持されますか。
  90. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) あの当時の状況は、そういういきさつから私はずっとそういう気持ちを持っていたわけで、私は当時政治家としての気持ちの方が多くて、私の気持ちは先ほどから申している気持ちのとおりです。
  91. 矢田部理

    ○矢田部理君 純粋な政治献金、ファントムとは縁もゆかりもないということを断定しますか。断言いたしますか。
  92. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) 私は政治献金と思っております。
  93. 矢田部理

    ○矢田部理君 思っているだけでなくて、事実としてそうだと断言できますか。
  94. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) 私はきょう証人としてお答えしているので、私は政治献金であると思っております。
  95. 矢田部理

    ○矢田部理君 第二次FX問題について防衛庁筋に何らかの働きかけ、工作等をしたことはございませんか。
  96. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) 私はした覚えはございません。
  97. 矢田部理

    ○矢田部理君 四十三年の七月、第二次FX調査団がアメリカに出向きます。その直前に団長の緒方さんに接触を求められたことございませんか。  ついでに述べてしまいますと、電話で面会の申し入れがあって、考えさせてほしいとその場は留保したが、翌日、大事な時期なのでFX戦に巻き込まれては大変と思い、断ったということが当時の緒方団長から記者団に語られておりますけれども、思い出しませんか。心当たりございませんか。
  98. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) 私が電話したんでしょうか。もう一度御質問の趣旨を、私の記憶を思い出すために。私が電話したということでしょうか、どうでしょうか。ちょっともう一度私の記憶を思い出すために御質問をお願いいたします。
  99. 矢田部理

    ○矢田部理君 私はお聞きをしておるのでありますから、証人が直接ないしは人を介して電話をしたことございませんか。あるかないかだけで……。
  100. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) 私も古い話で覚えていませんが、自分で電話した記憶はございません。
  101. 矢田部理

    ○矢田部理君 人を介して……。
  102. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) 人を介してと言われても私はわかりませんが、そんな記憶はございません。
  103. 矢田部理

    ○矢田部理君 五億円を受け取った際の入金の状況について伺いたいと思いますが、アメリカとヨーロッパの方で奥さんが受け取ったという趣旨のお話がありました。その他のお金は、あなたの事務所で受領をされたのでしょうか。
  104. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) そう記憶しております。
  105. 矢田部理

    ○矢田部理君 受領の際に領収証は切られたのでしょうか。
  106. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) 帳面に載せないでくれというんですから、そういうものはありません。
  107. 矢田部理

    ○矢田部理君 そうしますと、お金は表にも出さないでほしい、帳面にも載せないでくれと、こういう趣旨のお金だったんですか。
  108. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) 届け出しないでくださいという、届け出しなくて結構ですという金でした。
  109. 矢田部理

    ○矢田部理君 届け出しなくて結構、領収証も要らない、帳面にも載せないでくれというお金だったわけですね。  そこで、受け取ったお金、現金でずっと手元に置かれたのですか。それとも、かなり大きなお金ですから、どこか預金でもされましたか。預金をしたとすれば、どこの金融機関でしょうか。
  110. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) 五億五億と言われますが、私は四、五億という記憶を申し上げているんです。したがって、それが先ほど同僚委員の御質問のように、十数回となりますと、それは一億以上になるなんという金額じゃありませんからね、毎回が。したがって、選挙及び政治資金には、恐らく選挙の最中にはそれはすぐ使う方が待っているんじゃないでしょうか。したがって、そんなに預金して残すというその期間なんというのは私は余り記憶にございません。
  111. 矢田部理

    ○矢田部理君 あなたは選挙選挙と言われますけれども、この四十二年から四十六年にかけて、とりわけお金が受け渡しされた時期については総選挙は一回だけしかないのです。そこでお金を使ったというのはある程度わかります。わかるというのは、ありそうなことだと思いますけれども。それ以外の年、ほかの選挙でお金を使ったということになりますれば、これは選挙のお金じゃなくて、どちらかというと政治活動資金の方にあなたとしては入るんじゃありませんか。
  112. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) その方が明快なようですね。私のは、選挙、その他のときは政治活動という方が説明が私もいいように思います。しかし、お互い、これは国民の前にもどうかと思いますが、選挙が終わって借金の残らない政治家がいるでしょうか。私は、選挙が終わるたびに多大な借金を持っています。次の選挙までにそれが減らせれば、払えればいい方です。また次の選挙に借金を重ねる。したがって、選挙のときの選挙費用より選挙の前後の政治の金の方がうんと要ることは、われわれの生活としては当然じゃないでしょうか。選挙期間中に使う金よりも、選挙の前後、また多大な迷惑をかけておるんですよ。そういうものを私は含めて選挙及び政治活動と申し上げているんで、政治家がそんなにたくさん金が残って預金するような時間なんというのは……
  113. 矢田部理

    ○矢田部理君 質問だけに答えてください。
  114. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) しかし、よくお話ししないと、私の気持ちが理解していただけないと困るんです。
  115. 矢田部理

    ○矢田部理君 ところで、あなたは、総選挙、四十四年の十二月にありましたが、選挙及び政治活動だと繰り返し言われますので、幾らぐらいお使いになりましたか。説明のうち政治活動にお使いになったのはどのぐらいですか。政治活動というのをもっと具体的に説明してほしいんです。年間一億以上ものお金を政治活動に使うというのは、率直に言うと、私どもには理解しにくい。証人のようなキャリアになりますと、あるいはこんなにどっさり使うのかとびっくりしたりもするわけでありますが、その点を説明をしていただきたいと思います。
  116. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) 選挙及び政治活動、選挙のその内容を言えということは、これは無理です。それは無理です。各人各様ありましょうし、私でもそんなこと一々覚えているのは、前の選挙ぐらいまでは覚えています。前の前になると薄らぎます。前の前の前になるとぼうっとします。前の前の前の前になれば、それはお答えできないというのが本当です。
  117. 矢田部理

    ○矢田部理君 あなたの言う政治活動に使ったという中には、当然のことながら選挙の応援のため等々も含めて他の政治家にもお金を渡した、あるいは政治団体にも一定の資金を担ったというようなことも含むのでしょうか。
  118. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) そういうこと、よく覚えておりません。
  119. 矢田部理

    ○矢田部理君 覚えていないというのはいかにも不誠実だと思いますが、再度その点について答弁を求めたいのと、時間が参りましたので、あと一、二点終わりにつけ加えておきたいと思います。  外国で一万ドルほどお金を受け取った、これは当然のことながら外国為替管理法違反の疑いが強いと思うのでありますが、その点、どう考えておられたんでしょうか。  それから二点目は、五億円近くを何回かに分けて受け取ったようでありますが、その年のうちに全部使ってしまったのでしょうか。後に残されたことはないでしょうか。  それから三点目、四十二年から四十六年にかけて証人の家族や関係者の資産が急速に表に出てきているように思われるわけです、時間があれば逐一指摘をしたいのでありますが、その方にお金を流用したというようなことは全くございませんか。  以上三点を承って、終わりたいと思います。
  120. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) 外国為替管理法違反かどうか知りませんが、それはアメリカで受け取って、アメリカの旅費として使って、日本に持ち込んだと言えばチェックの残りがあったかもしれません。それは、トラベラーチェックみたいな残りがあったかもそれはしれません。しかし、そんなに、ほとんど二十日間か二十五日の旅費に私は消費したんで、これが外国為替管理法違反になるかは私もそれはわかりません。事実はそのとおりです。  もう一点は、ほとんどその年に使っておりまして、後に残りが出るなんという性格のものは私は記憶は一切ございません。  それから第三点の、資産のことがいろいろ出られると、これは急に出たわけでもないと私は思います。それにはそれに対する背景があって出たのかもしれません。それは私はどのことを言われるか、よくわかりません。
  121. 黒柳明

    ○黒柳明君 公明党の黒柳明でございます。  衆議院に引き続きでございますけれども、質問いたします。  衆議院の二十四日の証言、また今日の証言ですが、もしその証言で訂正されるような点がおありでしょうか。あるいは、こういう点を加えた方が、つけ加えた方が国民の皆さん方に対してさらにその松野さんなりに正確な御理解いただけるんではなかろうかというような、追加するような点はございますでしょうか。まず、その点からお聞かせください。
  122. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) 黒柳さん、ございます。記憶違いが一点ございます。それは、私の自宅の問題。私もそう信じて答えましたところが、あの自宅の土地は、私の親の遺産ではないとも言いませんけれども、私の家内の名前だったんです。私の家内の名前にしたのは、私の父が生前贈与してくれたのか、家内の貯金で買ったのかわかりませんけれども、恐らく父が私の家内にくれたんじゃないかと思うんですよ、同じ時期ですから。したがって、いま住んでいる私の家は家内の名前にしたんです。それは家内の土地を売ったから家内の名前にしたという事実があるんです。この前は「私の」と言ったのは、あれは私の間違いでした。家内の名前の土地でした。したがって、それを売却して家内の名前の家に、いま、したわけです。それだけは、私の夫婦間のことで、つい記憶違いですから、この点は御指摘の前に訂正しておきます。
  123. 黒柳明

    ○黒柳明君 私が聞きたかった点は、そのことも関係してですが、さらに重要な意味を含んで私はお尋ねしたわけであります。二十四日の衆議院の証言、翌二十五日の本院の航特の法務当局の発言、これは全く食い違っている。これは松野さん自身も、もうこれは常識以上のもので、御承知かと思いますが、私は、その検察当局の発表、これと御自分の証言が余りにも大きく食い違っている。これについて一々私は指摘するまでもないと思いますが、そうすると、松野さんの検察に対する基本的認識はどんなものであるかと、この辺からお伺いしたいんですが、いかがでしょうか。
  124. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) きょうは、私は証人として呼ばれておりまして、黒柳さん、それ以上のことを、それ以外のことを言う資格が私はないと思うんです。検察は検察として権威のあるものだと私は思いますけれど、きょうは私は、私の知っていること、考えていることしか何も言えませんので、私は私の考えを申し上げているだけです。
  125. 黒柳明

    ○黒柳明君 検察当局、言うまでもなく、四十日間にわたって捜査した。検事の数が二十二名、事務官が四十六名。松野さんも含めてだと思います、延べ千六百人事情聴取をしたと。そして四回にわたって三万五千件の書類を押収したと。まあ、これは相当なやっぱり検察当局としての苦労があった。ところが、この検察当局の国会における発表が、前日の松野さんの証言とは全く食い違っておるわけであります。これについてまた若干私も触れたいと思いますが、そうすると、松野さんは、まあ衆議院でも同じようなことをおっしゃったんです。その衆議院では、まだ刑事局長のあれほど具体的な食い違いの答弁が出ない前でしたね。たしか出ました。成功報酬、政治的寄付である、政治献金である、その違いについて若干出ました、前に。ところが、そうじゃない。一々一々、持っていた人の違い、あるいはその「五億円先にありき」、そこらあたりのこと、いろんな食い違いというものが出たんです。そうなりますと、松野さんとしては、あくまでも検察当局というものの公表を、捜査というものも否定するという立場で衆議院で御証言なされたし、いまこの場で証言についての訂正がなければ、いまもってやっぱり捜査当局の発表、調査結果というものは否定せざるを得ないと、こういう立場で証言をこれからもお続けになると、こういう理解でよろしゅうございましょうか。
  126. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) 私は、その捜査当局の批判とか捜査当局に意見を言っているわけじゃありません。私は、そのことに関しては、私はこういうことを考え、こういうふうに理解し、こういう行動をしたということを申し上げているだけであります。
  127. 黒柳明

    ○黒柳明君 そうすると、必ずしも個々の食い違いについては全面的に否定するという見解を真っ向からおとりになるという意味でもないと、個々にお尋ねいただければ、私が尋ねれば、ケース・バイ・ケースでそれはお答えいただけると、こう解釈してよろしゅうございますか。
  128. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) 私の知っていることは、証人として私の記憶のあることは素直にお答えいたします。
  129. 黒柳明

    ○黒柳明君 いわゆる法務省当局は、五億の性格について、日商からの飛行機売り込みの工作の疑いが強い、資料までも裏づけがあると、こう言っているんですが、松野さんは衆議院で――その工作であるかどうかということですよ。この趣旨は察知していたかどうかは何とも言えない、強い依頼は覚えてない、広範囲なものだったと、こう証言されているんですが、そうすると、日商岩井からいろんな話をした、その中には政治の話も航空機の話もあった、こういう御証言もあったわけだ。さらに、この工作であるかどうかという依頼については、強い依頼は覚えていない、広範囲なものだったと、こういうことは、強い依頼はなかったけど、働きかけの弱い依頼はあったのかどうか。いかがでしょう。
  130. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) いずれにしても、それは記憶の問題でございましてね。私に資料があるわけじゃありませんから、そんなに正確に言われてもお答えができないんですが、いろんな話が出たという話はいたしました。
  131. 黒柳明

    ○黒柳明君 強い依頼もなかった、だけど、中ぐらいな依頼、弱い依頼については御記憶がないと、こういうことでしょうか。あるいは、いろんな話が出たという中に、あるいは――相当いま御記憶、思い出していただきましたですね、アメリカやなんかのこと。そういう御記憶をもう一回思い出していただくと、何らかの、強い弱いはなかったけど、弱いぐらいの依頼はあったかなと、こういう御記憶はいかがでしょう。済みません、くどいようですが、重ねて。
  132. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) 何とお答えすればいいんでしょうか。いずれにしても、いろんな話が出たということは申し上げます。しかし、私は、その当時の立場から言って、何もしなければならないという立場じゃないんですよ。相手の話を聞けばいいことであってですね、何も、しなければならない、しなければどうだという立場の私は地位じゃないんです。したがって、政治家として私おつき合いした、政治家としてお話しした、だから政治献金であると、こういうふうな筋道ですからね。政治家としていろいろな話は聞いたり、お話ししたりはしたでしょうね。
  133. 黒柳明

    ○黒柳明君 もう一つ抽象的な質問で、具体的へ入りますけれどもね。そうなりますと、刑事局長の口を通じて捜査当局の発表ですけれども、いわゆるその五億については、工作の――飛行機売り込みのですね。その働きがあったようだし、資料の裏づけもあると、この発表については否定をするという立場でしょうか。
  134. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) 私は、その資料というものを知らないんです。したがって、お答えする材料がないんです。私はあくまで政治家としてお話をし、政治家として聞いて、ということでございます。
  135. 黒柳明

    ○黒柳明君 政治家として聞き、政治家として何か行動を起こしたと。その政治家というのは、御自分でもおっしゃったように、防衛庁、防衛関係に強いと。しかも、日商岩井がF4Eのダグラスの代理店であったと、こういうことは当然御存じだったんでしょうか。
  136. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) 政治家としておつき合いしたんですから、いろんな話をする。政治の話、政変の話、選挙の話、経済の話、船の話、機械の話、いろいろ政治家として私はおつき合いしているんですから、どれだどれだと、こう局限される気持ちは私にはないんです。また、日商全体という感じを私は持っておりますから、日商全体というものを対象に私はおつき合いした気持ちですから、それはいろんな話が出たことは私は否定するわけじゃありません。しかし、それだけに局限されるには、私のいまの気持ちとしては、少し違うなという気がしますね。
  137. 黒柳明

    ○黒柳明君 いや、日商岩井がダグラス社の代理店であったということは当然御存じだったでしょうと、こういう質問なんですが。
  138. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) それは知っております。
  139. 黒柳明

    ○黒柳明君 そうしますと、いろんな広範な話、政治そして社会、文化あるいは航空機の話、当然されたと思うんです。くしくも刑事局長が、いわゆる政治資金と言おうが、あるいは工作資金と言おうが、これは円盤の裏と表を見ているようなものだという発言も二十五日にはしているわけであります。刑事局長、捜査当局はやっぱり賄賂性が強いという表を見ているんでしょう。松野さんの場合にはあるいは裏を見ているのか。まあ裏表どっちにしたって同じことですけれどもね。そういうことになりますと、実際に海部さん、島田さんを窓口に、政治献金と松野さんがお思いになったものを受け取られてきた。そこでいろんな話が出た、政治家として。で、代理店であることも御存じであると。そうすると、海部さん、島田さんとの話し合いの中では、大きな話の中で――私これだけ局限するわけじゃありませんよ、客観的事実を聞くだけなんです。私は検察当局じゃありませんから、どこを調べて、どうしてあの賄賂性が強いと立証したかわかりません。裏づけの資料を見たわけじゃありません。ただ、松野さんと余りにも検察当局と食い違いが違うし、国民の皆さん方も、おかしいなと、こういうことで非常に疑惑に思っていらっしゃる。だから私もそれを代弁する意味でお尋ねするだけのことなんです。  広範囲の話、その中で区切って、ここだけで、松野さんね、要するにこうだろう、こうだろうと言うつもりはないんですが、何たって検察の見方はここだけを見ているという感じ、そして賄賂性が強い、資料もあるという感じを強く受けるんです、私は。私も残念ながら資料を見てないものですから、そういう立場でお伺いしますが、海部さんや島田さんとは、相当、航空機の話は、向こうの立場、松野さんの防衛に強いという立場、されたことは当然でしょう。いかがでございましょうか。
  140. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) 非常に拡大して黒柳さんが一点だけを言われますが、長いつき合いの中にはいろんな話が出ますからね。私は出なかったとは言っておりません。しかし、私がそれに答えるべきものも政治家の限度を超して答えれることじゃないんですよ、政治家ですから。だから、節度を持っておつき合いを、お話をしたと、こういうことですよ。
  141. 黒柳明

    ○黒柳明君 じゃ、もっと具体的にお伺いしたいのですが、確かにいまの質問は抽象的かもわかりません。  そうすると、日商もF4の代理店としまして売り込みの工作を当然やってきました、パンフレット等もつくって、PR活動ですね。そういうF4Eの売り込みに対してのパンフレット類を日商がつくった、PR、売り込み工作、そういうものは海部さんなり島田さんないしほかのルートから目にした覚えはございますでしょうか。
  142. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) それは見たことはあります。
  143. 黒柳明

    ○黒柳明君 それは、海部さんや島田さんから直接見せられたという記憶はございますでしょうか。
  144. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) 直接かどうか知りませんが、送ってきたことはありますね。
  145. 黒柳明

    ○黒柳明君 送ってきた覚えはあるけれども、海部さん、島田さん、たびたびお会いしたときにもらって見せられたかどうか記憶はないと。そうすると、あるいは失礼な話かと思いますけれども、先ほどから何回も言いますように、捜査当局の公表はそうなっているのでお伺いしますが、海部さんや島田さんから直接F4についての売り込み工作ないし依頼というものはなかったのでしょうか。
  146. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) 工作の依頼を受けたことはありません。
  147. 黒柳明

    ○黒柳明君 そうしますと、先般も衆議院でも「高畑さんが」と、こうおっしゃって、古いおつき合いからと、こうおっしゃいました。先ほども他党の委員が話しいたしました、指摘いたしましたら、その高畑さんが、あるいは善意だったかと思いますよ。松野さんも政治献金としてあるいはもらったと認めたとしても、今日に至ると、それによって自殺者も出し、逮捕者も出したと、こういうことですね。あくまでもいまの段階で、高畑さんの意思であったと、五億の出どころは。となりますと、そうすると、このいわゆる日商岩井の航空機事件のすべての元凶は高畑さんということになっちゃうんですが、ちょっとこれは死者にむちうつようなことにもなりかねないんですけれども、いまの時点において、それでも、先ほども御証言なされました高畑さんのいままでの人的つき合いの中でもらった個人献金であると、こういう松野さんのお考え、当時はそうだった、いまもってそれは変わりないでしょうか。
  148. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) 先ほどから申し上げているとおり、私の最初のスタートはそういうものなんです。もしそのとよがなかったらこういう政治献金の水は流れてこなかったでしょう。また、海部さんと知り合うことも私はなかったと思います。また、そんなに安易に政治献金をもらう気持ちは私もなかったと思いますよ。これは不思議な因縁と申しますか、そういうもので私は心を許したことは事実です。
  149. 黒柳明

    ○黒柳明君 心を許した……。衆議院の段階では、何らかの反省もしているという御証言もあったわけでありますが、さらに今後の処置については国民の皆さん方、選挙民の皆さん方に任せると、こういう御決意の発表もあったわけでありますが、私は、当然、長い間重要な日本の政治の地位にいられた松野さんですから、かつてと当時といまとは相当やっぱり見解も認識も決意も変わっていてしかるべきだと、こう思うんです。ですから、私はあくまでも、当時はどうだったか、お考えは、ところがいまはまた違うという面が当然なければおかしいと、こう思います。  その一点として、いま申しましたように個人献金であった、当時はそういう趣旨でもらったと。検察当局はそうじゃないと言っていますが。だけれども、これはいま言ったように円盤の裏表かわかりません。しかし、いまになりますと、ただ一遍のちょっと反省しているかなというようなニュアンスのことを聞いたか聞かないかぐらいの発言や、あるいはあくまでも高畑さんがということに固守するような松野さんの姿勢ですと、今後のやっぱり自民党の枢要な位置を占めてきて、さらに日本のこれからの政治を担う一人であるのかどうか私わかりませんが、そういう松野さんになり得るかどうか、私は非常に第三者として疑問ですし、また、この疑惑を晴らさないと、非常に松野さんの政治家としての将来までも有権者は心配し、国民も心配しているんじゃなかろうか、疑惑の目で見ているのではなかろうか。  ひとつ、もう一回お尋ねします。当時の高畑さん、その高畑さんのお父さん時代のつき合いだから政治献金だと当時は思っていたけれども、いまになってこういう事件になってみたときには、これは、衆議院で言ったちょっとした反省、それよりももっと深い反省というものがいまの時点で生まれてこなければならないと、私はこう思うんですが、ひとつその点お聞かせ願えますか。
  150. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) 今日の心境は、黒柳さん、私も非常に、非常に反省しているんです。きょうは証人としてその当時のことの思い出しか話しておりません。私もいまは非常に反省しているんです。考えてみれば、いろいろ古いことといえ、やはりこういうことになって初めて私の知らないことが実は表面に出ました。私も知らないことが多かったんです。それが一つ一つ指摘されると、私は、こういうことになったのか、気がつかない間に自分の過去というものが自分が考えていることとは事実が違って一つ一つ出てきた、これには政治家として一番責任を感じますよ。その当時はそうだったが結果において思わぬ私の知らぬことがいろいろ知らされた、これは大変な、政治家として、これは古いからといって忘れ去ることじゃありません。私一身に対する問題は私非常に反省しているんです。しかし、きょうはその当時のことだけを思い出して話さなければならないんです。いまの心境とずいぶん違っておると私は思います。しかし、きょうの私の責任は何だと言えば、四十二年-四十六年の思い出を語ることしか許されない。あなたのようなお話をされるなら、私はもっと別な機会にお話をしたいぐらいな気持ちです。どうぞ、きょうは証人としてであるだけに限定されているんです。政治家松野と言われると、ここの議場は私の父の長い間お世話になった議場で、きょうおやじに呼ばれているような気持ちで、本当に皆さん方に対して申しわけないんです。証人じゃなしにこの席に私は立ちたかった、その一言で私の気持ちをおくみとりください。
  151. 黒柳明

    ○黒柳明君 お聞きになっている国民の皆さん方がそういう松野さんの弁明で承知するかどうか私は疑問でありますが、しかしながら、また次の機会でと、こういう機会もあるんでしょう。証人として時間も限られております。私の質問時間も限られておりますので、また次の機会に深く聞きたいと思います。  そこで、さらにまた別の面からお聞かせいただきたいと思うんですけれども、衆議院の証言では、おもらいになった五億の使途につきましては、あるいは政治家ですから個人の生活にも使ったかもわからないと、あとは政治活動資金、あるいは選挙に使ったと、いまもそのことについて繰り返しお答えがありましたけれども、さらにそのもらった金はそんな後に残さない、その年に使ったろう、こういう御発言もありました。それで、あくまでも昭和四十二年から四十六年、選挙、これはもう一回しかなかった。いままで御指摘ありました。そのときの熊本一区、法定費用で使えるのは二百四十三万三千六百円、これはもう非常に微々たるものです。微々たるものです。そうすると、たとえばこの四十二年にでも、五億のうちのもし等分すれば一億数千万もらっていたかわからない。特にいま、選挙のときには五千万、五千万ぐらいと、こうおっしゃったんです。そうすると、選挙期間には、先ほど松野さんおっしゃいましたように、余り使ってないだろうと、これは法定費用内と、こう私言ってもいいかと。そうすると、その前後に使ったと、こうおっしゃるわけでありますが、それに対して先ほどは、これはもういろいろ使うよと、政治家だからと、こう言ったんですが、私、松野さん、その点も、今回の問題であるし、さらにこれから再発防止、いわゆる――失礼ですが、自民党のいわゆる腐敗堕落というものは政治献金から来ているわけですね、金の使い方から。それについて松野さんがこの機会に国民の皆さん方に、先ほど申した、選挙期間は使わないけれどその前後は大変なんだよと、借金なんか残さない政治家はいないじゃないかと、こういうことについて、もうちょっと詳しく触れていただけませんか。私どもは、選挙のときには全くわずかな自己資金で、もう手弁当で応援していただいています、国民の皆さん方は。だから、選挙資金、政治活動の資金というのはそんなにかかるという認識はないんです。ところが、くしくもこの四十二年の選挙の前後に五千万ずつもらった。一億ぐらいもらった。法定選挙資金は二百万しかかからない。あとの、そうすると、一億近くの金を政治活動に使った。どういうふうなこれ、使い方なさるんでしょうか、選挙の前後に。いかがでしょう。
  152. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) それは各政治家政治家によって状況は違います。どう使ったかと言われても、それはそのときの状況、環境によって違うんで、私がいまどこへ使ったと言われても、それは思い出すことができません。
  153. 黒柳明

    ○黒柳明君 そうすると、もう一回繰り返しますが、いわゆるその選挙前後に一億ぐらいのもらった金は、その前後のまあ二、三カ月か何かわかりませんが、一カ月かわかりませんが、その期間にほとんど選挙をはさんでお使いになったと、これはそのとおりでしょうか。
  154. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) 選挙及び政治活動に使ったと思います。
  155. 黒柳明

    ○黒柳明君 さらに松野さんは、これ二、三回繰り返しておりますけど、もらった金は自分にもらったんだから自分の責任で使っていると、その中で、あるいは政治家だから個人の生活にも、あるいは政治活動にも選挙にもと。それではほかに使ったことありませんかと、こういう質問がありました、衆議院でも。それに対しては自分の責任でと、こういう言葉を繰り返されただけですが、四項目目の柱というものは使われる中には入るわけでしょうか。自分のもらった政治資金ですから、それを今度は自分の責任でお使いになった。それは生活資金に使ったかわからないという面と、政治活動と選挙資金と、そのほかというものは絶対にないでしょうか。それとも、自分の責任でそのほかにも使ったという記憶はあると……。いかがでしょうか。
  156. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) 私のその期間においての収入は、この金だけではありませんからね、この金だけであと一銭も私はその期間は収入がなかったというわけじゃありません。したがって、この金は私の責任で選挙及び政治活動に使ったと、そのほかに私は収入がないわけではないんです、この期間に。そういうわけです。
  157. 黒柳明

    ○黒柳明君 ただ、四十二年をとりましても、五百万ですね、大体、税務署に対する確定申告は。その次が六百万、七百万。四十六年で急に二億になっているわけでありますけれども、まあ五、六百万円なんです。そうすると、年間一億ですから、お使いになったのは、平均してですね。これはわかりません。そうすると、年間の所得が五、六百万。一億の金を使っているわけですから、ですから、その点を私はお尋ねしたいんです。いろんな金ですから、印はついていないでしょう。日商から来た金、個人の所得の金、印はついておりませんが、余りにもけたが違うわけですね。一億と、そのほかの所得といまおっしゃった五、六百万と。そういう観点から、一億に余るという相当個人所得より大きな政治献金について松野さんがどのようなということが、いま言ったように四本目のほかにもこういうものという柱は立ちませんかと、こう申しているわけですが。
  158. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) 私の収入、税務署の報告が五百万とその年に言われたが、まあ多分そんなものでしょうか。だから、五百万円しかそのときになかったというわけじゃありません。もっとそれはいろんなものがあります。それはありますよ。そうその表に出たものだけで限定されちゃ私は困ると思います。
  159. 黒柳明

    ○黒柳明君 四十三年十一月の佐藤内閣の佐藤三選のときですけれども、これについて、五奉行の一人と、こう言われておりますが、このときには松野さんがお金を出されたことはないと、こういうことでしょうか。あるいは、そのときに何らかその資金集めして、何らか資金を提供した思いがあると、いかがでしょう。
  160. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) 総裁公選に使ったという記憶はありません。
  161. 黒柳明

    ○黒柳明君 それから総裁選について、当時の記憶、私もそのとき議員だったので、よく知っております。あるいはニッカとか一本釣りとかサントリーが出まして、非常にいわゆる世間的に金の流れで疑惑を持たれた時代だったわけであります。そのとき松野さんも相当な主要な位置にいらっしゃったことも間違いありません。使ったことないとすると、そのための何らかの資金集めで御苦労なされたという経験はございますか。
  162. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) そういう記憶もございません。
  163. 黒柳明

    ○黒柳明君 もうちょっと詳しくお伺いしたいんですけれども、海部さんと島田さんとお会いになって、そうして、先ほど言いましたけど、いろんな話をした、依頼はなかった、工作もなかったと、こうおっしゃったんですけれども、それから金のもらったところ、これも先ほど聞きました。それで、そのときに、一々そのお金をもらったときに、これは選挙資金です、これは政治献金ですと、こう注釈がついてもらったでしょうか。あるいは松野さんが向こうからもらったとき、これはどういう種類の金だと、こうお尋ねがあって受領したでしょうか。それとも、お父さんからのつき合いで、あうんの呼吸でお互いにもらったり手渡したりという、どうでしょうか。
  164. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) 毎回記憶はありませんけれども、選挙のときには、選挙が近いから選挙資金を頼むよと、私はそういうふうな言葉を言っておったんです。したがって、それは選挙資金だということになるんじゃないでしょうか。
  165. 黒柳明

    ○黒柳明君 そのほかの時点において、選挙のときが何回で、そのほかの時点が何回かわかりませんが、選挙は少なくとも四十二年一回しかなかったわけであります。あと参議院、地方選挙がありましたけれども、これはほかの応援ですね。そのほか、前後に二回五千万ですから、そのほか十回あったのか、七、八回あったのか、そのときに、いま申しましたような政治献金であるとか、あるいはその金の性格を松野さんからお尋ねするという、そういうことはあったんでしょうか。それとも、暗黙のうちにもらう、差し出すということだったんでしょうか。いかがでしょう。
  166. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) 毎回その金の性格を私は聞いているわけじゃありません。基本的に政治献金と思っておりますから、毎回持ってきてくれるときには政治献金と理解するのは私の気持ちで、選挙の近いとき、あるいは政治資金が要るときには、政治資金頼むよ、選挙資金頼むよといった言葉が一、二回あるかもしれません。毎回そういうもので私は言っているわけではない、全体的に私の政治資金だと私は思っておるんですから。
  167. 黒柳明

    ○黒柳明君 そうなりますと、領収書を要請したことも日商岩井からはなかったと、当然松野さんが領収書を書いたこともなかったと。
  168. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) 領収書というものを私は書いた記憶はありません。
  169. 黒柳明

    ○黒柳明君 時間も迫りましたので、衆議院では、二百三十八万ドルの中から百万ドル、国民の税金ですよと、そしたら松野さん、いやその当時は日商の金ですよと。それはそうだったと思うんですよ。ところが、あくまでも、検察当局の調べですと、政界工作に対して前払いしたものについていわゆる事務所経費として二百三十八万ドルもらい、そのうちの五億が行ったというこれは見方、こういう公表をしているわけであります。となると、当然、これが防衛庁の買い物ですから、国民の税金の買い物ですから、それに振りかかっていることは間違いありません。ですから、先ほど言いましたように、当時の松野さんの認識といまの認識とは当然違わなきゃならない。そこに反省も生まれるんだと思います。そうなりますと、国民の税金じゃないかということについても、いや当時は知らなかった、当時は日商のだ。これは当時はいいと思うんですが、いまになりますと、二百三十八万ドルの中の百数十万ドル、五億円、こういうことで捜査当局は断定しているわけであります。そうなると、なおさらこれは防衛庁に引っ絡んだ国民の税金の一部ということは、少なくとも捜査当局の捜査の結果公表では断定しているみたいでありますが、そういうことについていかがでしょう。当時は日商の金だからと、いま現在もそう言い切っていい性格ではないと私は思うんですが、いかがでしょう。
  170. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) そのことについては、その当時も明快に話を私はしているんですよ。したがって、これは日商の利益金から私に献金するということなんです。
  171. 黒柳明

    ○黒柳明君 最後に。  これは松野さんが選挙のたびに、当然政治家が選挙のたびに出す公報ですね、これ、公報。政調会長もおやりになったし、選挙の会長もおやりになったし、この公報を見ますと、三木内閣のときには、あのロッキードのさなか、非常にりっぱなことをおっしゃっています。要するに、このロッキード事件を踏まえて、私は自民党政調会長在任中、選挙制度改正、政治資金問題について一応の成果を上げ政界の浄化には役に立つことができましたと、今後も全力を傾け、政治の浄化、クリーンを国民全部に知らせ、開かれた政治をつくるためにお役に立ちたいと、こうおっしゃって、公報には選挙民に対して非常に、ロッキード事件に対して真っ向から挑戦している。検察に対して全面的の信頼をということも書いてある。ところが、いまの立場になった場合にはいかがでしょうか。政治資金規正法について余りにも成果が上げられなかった、御自分のつくった反省も含めてですね。さらに、このクリーンなんていうことは、失礼ですが、全く言えないようなお立場になってしまったと、こういう、私は、むしろ松野さんのお立場に立った上でも、残念だなと、将来性がある松野さんにしてはと、こう思わざるを得ません。ひとつ、このロッキードのときりっぱなことを言って、選挙民有権者に対して堂々とロッキードのむしろ自民党の中に巣くった腐敗について挑戦された松野さんが、いま全くそのロッキードの事件の中に入っていると同じような立場に立たされてしまった、政治資金規正法について全く松野さんは成果を上げたなんというものじゃなかったと、こう私は言わざるを得ないわけでありますが、ひとつ選挙民に、国民の皆さん方に御判断を任せると、こういうお言葉が衆議院で責任の一つの発言にあったわけでありますが、捜査当局があれだけ明快な松野さんに対する疑惑を公表し、国民の皆さん方がそれを受けとめたいまのこの時点において、再び国民の皆さん方に、地元有権者の皆さん方にやっぱりわびなきゃならない点がさらに強くなったんじゃないかと思いますが、最後、それをお伺いして終わります。
  172. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) 過去のことについて私は深く反省しております。今日私がこの席に出ておるのは、少なくとも真相解明に対してみずからこの証人台に出ているんです。こんなことは三十三年の政治生活で初めてです。その気持ちも御理解いただきたいと、これは議員として一番むずかしいこと、きついことですよ。言いたくないことも言わなきゃならないときです。それをあえて真相解明に私は協力しておる。振り返ってみるならば、確かに、「人の長短は見やすくおのれの善悪は知りがたし」という言葉を私はいま感じている。私はそれを平気でおるわけじゃありません。また、その当時の公報は自分の良心に従ってそのとおりだと、今度しかし自分の善悪を振り返ってみると、なかなか反省すべきものがたくさんあったなと思うので、外に向かって言ったことも真実ならば、内に反省していることも事実です。これが私の今日の気持ちです。
  173. 神谷信之助

    ○神谷信之助君 共産党の神谷です。  先ほどお父上の亡くなられた年が三十七年であったというようにお答えになりました。三十七年ということになりますと、四十年に防衛庁の長官におなりになるまでの間、相当の期間があります。その間、高畑さんの方からお悔やみの電話、あるいはまた高畑さんとはしばしばお会いになっているようですが、お会いになったことはありませんか。
  174. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) その間は記憶ございません。
  175. 神谷信之助

    ○神谷信之助君 記憶がないということは、会ったかもしれぬということですか。会ってない、全く会ってないということと、どちらでしょうか。
  176. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) 会ったという記憶はございません。
  177. 神谷信之助

    ○神谷信之助君 そうすると、御父君がお亡くなりになって四十年に防衛庁の長官に御就任になるまで、高畑さんとお会いをした記憶も、あるいはお悔やみの電報もいただいたという記憶もないと、しかし証人は、御父君と、あるいは松野家と、そして日商岩井との関係、これは非常に深い関係があり、いわば人脈遺産とも言うべきものを引き継いでおるという趣旨の証言もなさっている。ですから、そういう関係で防衛庁長官になられた証人に高畑さんの方からお電話があったということは、先ほどお悔やみとお祝いということでしたけれども、お祝いの電話であると同時に、防衛庁長官になられたあなたに何らかのコンタクトを求める、そういう意思があったと考えることはできませんか。
  178. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) 松野家を思い出していただいたんじゃないかと思います。
  179. 神谷信之助

    ○神谷信之助君 二十二年以来、御父君と同じように政治家の道に入って、そうして長い政治家生活をなさっている。そうして御父君の方はよく御存じながら、御子息のあなたについてはお忘れになっている。たまたま大臣になられた。その大臣になられたあなたに祝意を表する、これはわかります。亡くなられてからずっと、ほとんどあなたとの接触がないのに、防衛庁長官になられたあなたにコンタクトを求めてきたというのは、私は、客観的に言うなれば、そういう意思、気持ちがあったというように考えざるを得ない。ですから、それはわかっていたから、あなたの方も、海部さんをよこすというのに対してお断りになったということではないんですか。
  180. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) 松野家と日商といいますか鈴木商店との関係は、昭和……
  181. 神谷信之助

    ○神谷信之助君 もうそれはお聞きしています。
  182. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) 五年ごろのことからです。したがって、人脈というのは年じゅう密接である場合もあれば、ある場合には薄らぎ、また濃くなる場合も私はあると思うんです。それが人脈であって、思い出した――私が大臣になったから、私の名前が世間に出たから思い出していただいたんじゃないでしょうか。
  183. 神谷信之助

    ○神谷信之助君 それではお伺いしますが、高畑氏と先ほど何回かお会いになっているということですが、それはいつごろからですか。
  184. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) 古くは父から紹介を受けたこと、それから四十二年防衛長官やめてから、たしか冬じゃなかったでしょうか、四十二年の。それから四十三年、四十四年、それぐらいの記憶あります。
  185. 神谷信之助

    ○神谷信之助君 そして、四十二年におやめになってからそのときの冬、そして四十三年、四十四年、まあ衆議院では年に四、五回お会いになっているというようにお話しになってましたけれども、そのお会いになったときにはほとんど海部氏も一緒だったわけですか。
  186. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) 年に四、五回と言っておりません。四、五年間に三、四回はお会いしたと。また、非常に義理がたい方でして、毎年正月には不思議に御連絡いただくんです、年賀の。非常にきちょうめんな方でして、そういう話を私は申し上げておるんです。海部さんと一緒なのは恐らく二回ぐらいでしょう。あとは私が京都へ行ったとき、関西へ行ったときお訪ねをいただいたということです。
  187. 神谷信之助

    ○神谷信之助君 大臣おやめになってから、そして四十二年の総選挙後初めて海部氏から、海部氏が二、三百万円を持参をしたと、先ほどそういうふうにおっしゃっています。ところが、法務省当局の報告は四十二年の秋からという話です。そうすると、この四十二年秋から以降の分が五億円になるんで、四十二年の四月から五月あるいは六月から七月というのはその五億円の範疇には入らない、別のいわゆる総選挙で金が要ったろうという趣旨のお金であったんではないでしょうか。
  188. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) 五億五億と言われますが、私には四、五億であって、それが入るのか入らないのか、私はそういう、念頭にないんです。累積してそうなるのかなあということであって、それは入るとか入らぬとか、私には全然記憶ありません。
  189. 神谷信之助

    ○神谷信之助君 四、五億というようにおっしゃいますが、差は一億です。一億という金は大金でして、国民の生活感情からすればそんな四、五億ということでごまかせるような、そんな金額ではありません。  先ほども、衆議院の外務委員会が開かれておりますが、そこで楢崎議員の質問に対して再び法務省の当局は、五億円の約束をしたのは海部氏であるという明確な答弁もしています。それで、御承知のように東京地検が捜査権を発動して、そして収集をした証拠を客観的に判断をして、そして責任を持って国会に答弁しているわけです。ところが、いままで五億円についてそういう初めに約束があったと、政治献金としてそういう約束があったということについてはお認めにならないいろいろ言いわけをなさいますが、これでは国民は納得しないと思うんです。  五億円といいますと、当時の五億円はいまの金にして十数億です。ですから、ただ十数億のお金、現在の金にするとそれだけのお金を日商から、日商に何ら報いることなしにいただいている、言うなればただ取りをしているわけですね。そういうことが今日の私ども国民の、社会の慣習からして納得できることだというようにお考えでしょうか。
  190. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) 私は、結果がそうなったかどうか知りませんけれども、当初からそういうふうな私は記憶を持っておりません。  また、ただ取りと言われますけれども、いつ見返りがどうなのか、それは考え方でしてね。私を将来大きく成長させようという意思ならば、私はそれにこたえたかこたえないかということが結論になるんで、何かこれとこれとの取引だという政治家的私はその当時立場ではないんです。
  191. 神谷信之助

    ○神谷信之助君 しかし、あなたの手に渡った五億円からの金は、先ほど日商からのそれは利益金、利益から支払われているとおっしゃいました。これはそういう日商からの利益から払うんだということは、だれが、どなたがおっしゃったんですか。
  192. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) その話は、私と海部さんと高畑さんとが食事のときに、その当時日商は政府関係の仕事はゼロだったはずです。そうして、要するに民間貿易、民間利益の政治献金ということなんです。
  193. 神谷信之助

    ○神谷信之助君 ですから、高畑さんと海部さんとあなたとの間で、日商の利益からこの政治献金を支払うという、結論とすればそうおっしゃったわけでしょう。だとするならば、日商はその利益を上げなければならないし、そしてその利益金は軍用機購入の価格に当然計算をされているわけです。ですから、国民の血税であることもはっきりしているんじゃありませんか。しかも、先ほど言いましたように捜査権を発動した、そして収集したその客観的な判断に基づいて国会に責任を持って答弁をしている、あなたが海部氏との間で約束をしたと、こういうことですね。こう言っているんですが、この辺ははっきりその事実はないというように否定をなさるわけですか。
  194. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) 日商としては民間利益を政治献金として出すということなんですよ。それがその当時の前提なんですよ、民間資金の利益を政治献金にすると。それが高畑さんと海部さんとの三人の話で、話なんです。結果がどうだったかというと、結果のことは私もいまになってわかることで、その当時は明らかに日商の利益の中から私は献金をいただいたと私は確信します。
  195. 神谷信之助

    ○神谷信之助君 その五億円の、まあ結果として、あなたのなんで言えば結果として五億円になるわけですが、そのお金を支出をするのは、いわゆる軍用機の購入とかそういう官公庁関係から得た利益金ではなしに民間からの利益金だというふうになぜ区別をして説明をなさるのか、ちょっと理解ができません。
  196. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) それは政治的な、政治道義的な話で、それを、そんな話を私はしたんですよ。向こうもされたんですよ。帳面上、会計法上の問題で話をしたんじゃありません。やはり政治家は疑われないように、そういう私の気持ちの中から、また政治家として精神論の話から、政府関係というものに携わるということはそれはいろいろありますからね、政治資金の中でも。そういう話を私はしたんです。そのときに、私のところは政府関係の利益は日商はゼロですと。たしかゼロかどうか知りませんが。そういう精神論で、帳簿論の話じゃないんです、そのとき。また、そのときは実際そうだったと思いますよ。
  197. 神谷信之助

    ○神谷信之助君 だから、そうすると松野証人の方からその点はくぎを刺したという意味にとれます。そういう金はどこから出すのかという話が出ておって、それじゃ金額は一体どれぐらいという話は全然なかったんですか。
  198. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) そういう話を私はしたんです。それは私の精神論で、帳簿のことじゃありません。今日になって私は意外に思っておるんですよ、実際は。実際意外に思っているんです。もちろんそのときはできるだけ私の父に負けないように成長をしてくれと、一生懸命応援すると。それは、だから日商の代表者として私はそういう話を念頭に置いているんです。
  199. 神谷信之助

    ○神谷信之助君 民間の民間における商取引から生じた利益金、これから政治献金をあなたに支払いますという話があって、そしてそれは大体どれぐらいだと、金額について全く話がなかったというのは、これはどうも理解ができないわけであります。  そこで、別の角度から聞きますが、政治家を育てるために自民党では当時の金で五億円、いまで言うと十数億からのお金がなぜ必要なわけでしょうか。
  200. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) 昭和二十二年、私が第一回選挙に出たときには八十万か百万でした。恐らくその当時はもう当選八回か九回、八回か九回のころです。したがって、中堅ぐらいになっておったと私は思いますね。それを育てようというんですから、もっと大成してくれという意味じゃなかったでしょうか。したがって、どの時点で幾ら要るかというと、政治家を金銭に換算することはできません。その人その人、相手次第、あるいは環境によって評価すべきで、私はそういうふうに思います。一人幾らという定額が政治家の育て料だとは私は思っておりません。
  201. 神谷信之助

    ○神谷信之助君 高畑氏が政治家を育てるためにということで、松野氏に五億円のお金を四十二年秋から四十六年末にかけて支払った。高畑氏の方は、すなわち自民党で政治家として成長するためにはそれほどの巨額な金が必要だというふうにお考えになった、こういうことになるわけですね。
  202. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) 日商側が幾らならばいい、政治家が育つ、幾らなら多いと、それは私がここで、相手方のことですから、私がそれをどうこうと言う資格は私はないし、やはり政治資金ですから、いい政治資金なら多い方がいいと思いますし、金額がどうだと言われてもどうも何ともお答えしようがないと私は思います。
  203. 神谷信之助

    ○神谷信之助君 海部氏や島田氏とはしばしばお会いになったようですが、F4ファントムについて話をなさったことありますか。
  204. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) 話を聞いた記憶はあります。
  205. 神谷信之助

    ○神谷信之助君 どういう話ですか。
  206. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) 性能とか、そういうことであります。
  207. 神谷信之助

    ○神谷信之助君 性能とかそういう話になって、そしてそれは今日の自衛隊でぜひとも採用するに必要な、また最も適当な機種であるというそういう話も当然出たんでしょうか。
  208. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) それは代理店ですから、そういう自信と、宣伝はあったでしょうね。
  209. 神谷信之助

    ○神谷信之助君 それに対して証人はどのようにお答えですか。
  210. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) いろいろな機種が当時俎上に上っておりましたから、それ一つだけの話題じゃありませんし、ほかに六機種とか九機種とかいろいろありましたからね。まあそういう話の比較の中でそういうものができるかどうか、それは私が意見を言うというほどのものじゃありませんからね。それから、いろんな機種の話は出ます。あのときは六機種ぐらいあったんじゃないでしょうか。その中での話ですから、それだけの話じゃありません。また相手方もいろんな話をしますからね。だから、そう言われると何だかそれだけのように誤解されちゃいけないので、いろんな話が出たということを申し上げておきます。
  211. 神谷信之助

    ○神谷信之助君 四十年に、もうすでに御承知のように岸信介さんにダグラス社のフォーサイス当時の副社長あるいは海部さん、これらの方々がホテルで陳情をなさったということは報道などで御承知だと思いますが、この話を海部さんから、あるいは島田さんからお聞きになったことはございませんか。
  212. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) ちょっと済みませんが、いまのもう一度その……
  213. 神谷信之助

    ○神谷信之助君 四十年に、岸信介さんに海部さんとダグラス社の当時の副社長のフォーサイスさん、これらの方々がF4ファントムについて陳情をなさったと。これは法務当局が認めて当委員会に報告したわけですが、このことについて海部さんなり島田さんからお聞きになったことはございませんか。
  214. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) いま失念しましたのは、その年月日をお聞きしたがったんです。四十年は私は防衛長官在任当時です。したがって、海部さんと接触したこともない、会ったこともない時期ですから、聞いたことはないと、こう申し上げたいと思います。
  215. 神谷信之助

    ○神谷信之助君 いやいや、四十二年ごろから接触が始まったわけです。その四十二年ごろから接触が始まってから、そういう話は全くお聞きになったことはありませんかと言っているんですが。
  216. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) 私はそれは聞いたことありません。今回のこの書類を見て驚いたぐらいなんです。衆議院で大出さんがお出しになった書類を見ましてね。だから私は前に聞いてなかったと思いますね。
  217. 神谷信之助

    ○神谷信之助君 ちょっと常識的には考えられないんですが、海部さんなり島田さんがあなたにF4ファントムの性能なり、あるいは日本の自衛隊――空幕で最も適当な機種だという話をなされた。そして同時に、その中で岸信介氏にもいろいろそういう点でお願いをしたことがあるんですという話ぐらいは出るのがあたりまえじゃないかと思いますが、全くないですか。
  218. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) そんな話は私は聞いたことありません。
  219. 神谷信之助

    ○神谷信之助君 岸信介さんに会って、この航空機の機種あるいはF4ファントムなどの問題について一度もお話し合いなさったことはございませんか。
  220. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) 私は岸さんのときの内閣に入ったことはあります。岸さんとは、非常にいまでも尊敬して、じっこんです。まああなた方御承知のように、岸さんという方は具体的に自動車とか飛行機とか船とかいうことをおっしゃる方じゃありません。一言もそういうことはおっしゃったことはない。また、私は話したことありません。いつもにこやかな顔をして、元気かとか、そういうふうな非常に高度の、高い会話しかなさらない方なんです。本当にないんですよ。船の、もう具体的な話を聞いたことはない。したがって、何遍もお会いしますけれども、そういう印象を受けたこと。ただ、ときどきにこにこして、おまえ元気かというふうなことは言われますけれども、自動車のことも聞いたことありません。船のことも聞いたことありません。もちろん飛行機のことも聞いたことありません。
  221. 神谷信之助

    ○神谷信之助君 まあ元気でいるかというふうに聞かれるのが高度の話かどうか知りませんがね、私は。  それじゃ、岸信介さんの秘書の中村長芳氏とはしばしばお会いになっているようですが、この方とはどうですか。
  222. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) この方とはいろんな話をいたしました。もちろん、自動車の話もしましたし、船の話もしますし、飛行機の話もします。
  223. 神谷信之助

    ○神谷信之助君 それは、中村長芳さんとの飛行機の話、具体的にどういう話か、教えていただきたいと思います。
  224. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) 飛行機の話といえば、当時飛行機はジャンボという民間機もありましたし、それから海外旅行の話もしましたし、防衛庁関係としては、三次防というのはどうするんだとか、そういうふうな、私の関することについて、大小についてお話をしました。
  225. 神谷信之助

    ○神谷信之助君 そこではどうでしょうか、中村さんの方からか知りませんが、防衛庁の人事なんかについてのうわさ話も出たわけですか。
  226. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) 中村さんが人事の話をしようがしまいが、私は余り束縛される立場じゃありませんから……。
  227. 神谷信之助

    ○神谷信之助君 もう古いですからね。
  228. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) ええ、古いことだし、私もまた束縛されていなかった。だから、中村さんがどんな話されるか、それをどういうふうに中村まんがおとりになるか、それほどの記憶はないんです、一緒にお酒飲んだり、遊んだりする程度ですからね。その雑談の中で、防衛庁の人事こうだこうだと、そんな話、私は――もう向こうがおとりになるのは御自由ですよ。私が印象に残るような、そんな意味じゃありません。まあ言うなれば、近い友人のようなつもりでおつき合いしたんです。
  229. 神谷信之助

    ○神谷信之助君 このお金の使途ですけれども、選挙活動や政治活動、これに使用したというように証言をなされています。  そこで、先ほどから総選挙の費用も出ておりましたが、当然四十四年の総選挙、それから、四十六年で切れましたが、四十七年にも総選挙があります。言いますと、この二つの選挙で、あなたは法定選挙費用の範囲内でこの選挙をなさったというように思いますが、いかがですか。
  230. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) 選挙費用としては、届けした金額で私はやっております。
  231. 神谷信之助

    ○神谷信之助君 そうしますと、届け出報告をなさった費用を見ますと、四十四年と四十七年、二つの選挙で合計して五百四万円余りです。ちょうど五億円の約一%わずかですね。九九%の四億五千万円というのは一体何に使われたんだろう。これをお一人でお使いになったのかどうか。あるいは参議院選挙、間にありました、そういうのには要るということはどういうことでしょうか。あるいは立候補された方々に資金的援助をなさったということを意味しているんでしょうか。この点、ちょっとお伺いしたいと思います。
  232. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) 正確にどうだこうだとは私ももう古い話で覚えていませんが、政治家の生活という常識論から言いますと、選挙期間、の費用と、また選挙費用に加算しなくていい選挙法上の費用というものもありますので、それから、前後の地盤培養、あるいは政治活動としてのもろもろのこと、これはやっぱり一つ一つ私はもう古いことで覚えておりませんが、概念としてはそういうものじゃないかと私は思います。
  233. 神谷信之助

    ○神谷信之助君 もう時間ですから、最後にいたしますが、とにかく国民の生活の気持ちからといいますか、生活感情から言いますと、ちょっと考えられないお金、これがいわゆる政治活動だという抽象的なことで使われています。そして、その間に参議院選挙もあったというお話で、参議院選挙があれば、当然参議院選挙で応援をされたあるいは候補者、政治家に資金援助をするというようなこともあったんではなかろうかという点はもう一つはっきりしませんが、この点ひとつはっきりしていただきたいというように思います。  それから、最後にもう一問お尋ねしておきたいのは、防衛庁長官に就任をなさった直後に、海原氏らに対して、いわゆる御進講といいますか、防衛庁についてのいろいろな経過の報告を聞く前に、T38はだめだと、いわゆる高等練習機ですが、あれはもうだめだと、あれは伊藤忠だからといって、おっしゃったということを、これは邪推じゃなしに、あるいはまた伝聞証拠ではなしに、海原氏ら何人かの人が直接聞いておりますが、こういったことは、こういう事実があったことはお認めになりますか。
  234. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) 伊藤忠という名前は挙げたことはありません。その、T38は無理だよ、と言ったような記憶はあります。
  235. 神谷信之助

    ○神谷信之助君 では、終わります。
  236. 和田春生

    ○和田春生君 昭和五十一年四月に、ロッキード疑獄をめぐって国会審議がデッドロックに乗り上げた当時、いわゆる灰色高官の公表問題につきまして私も証人の松野さんと折衝に当たった者の一人でありまして、本日、こういうような形でここでお尋ねをするのには大変因縁深いものを感ずるわけですけれども、そうした感情は乗り越えてお尋ねをいたしたいと思います。  まず、いわゆる五億円問題について、入りの方につきましては同僚委員から相当多くの質問が出ておりまして、その点について証人の松野さんは、一貫して、政治家松野を育てるための政治献金であると、こういうことをおっしゃっておりますが、そのとおり改めて確認してよろしゅうございますか。
  237. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) 私はそういうふうに信じております。
  238. 和田春生

    ○和田春生君 この点、日商岩井側あるいは捜査当局との言い分の食い違いというものは相当大きなものがあります。それはまあ今後の疎明によらなければならない問題だと思いますが、そうしたことを、食い違いを不問に付するのではなくて、ここでは一応政治献金であったという証言者の言い分に沿って、私は資金の使途についてお伺いしたいと思うんです。  で、その前に、日商岩井以外から企業ないしは政治献金が四十二年ないし四十六年の間にあったでしょうか、あったとすれば、総額幾らぐらいかということをお尋ねしたいと思います。
  239. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) 明快にはわかりませんけれど、相当額私はあったと思います。
  240. 和田春生

    ○和田春生君 といたしますと、松野さんのお話によれば四億ないし五億ですが、相当額を加えると十億に近い金というふうに想像してもよろしいでしょうか。
  241. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) そんなに大金ではありません。四、五年間に四、五億ですから、それにプラス、まあ一億前後じゃないでしょうか。
  242. 和田春生

    ○和田春生君 そういうことにいたしまして、そうするとまあ五、六億ということになろうと思うんですけれども、それをすべて自分の責任において私の政治活動に使ったとおっしゃっているわけです。その幾つかはいままでに出てきておりますけれども、主なものについて具体的に幾つか、こういうことに使ったということを例示していただけるでしょうか。
  243. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) 例示するほど記憶が正確じゃありません。
  244. 和田春生

    ○和田春生君 先ほど、選挙の費用と選挙にかかわる費用と使い分けをして御説明になっておりましたが、その前の質問に対する証言の中では、選挙に関してかなり金がかかって、五千万円ずつ二度にわたって受け取ったと、これは選挙について使ったという意味のことをおっしゃったわけですけれども、それはあなた自身の選挙ですか、それは同僚議員等に関する資金援助も含めての話でしょうか。
  245. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) 私の政治活動の広範な範囲内において使いました。
  246. 和田春生

    ○和田春生君 その中に政治資金規正法によって届け出を必要とする金は含まれておりませんでしたでしょうか。
  247. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) 私も政治資金には詳しい方ですけれども、個人献金の中に入る範疇の費用だと私は思います。
  248. 和田春生

    ○和田春生君 個人に対する政治献金は、そのすべてがまともな意味で政治活動に使われたという場合には届け出をする必要がないというたてまえになっていたわけです。差し引いて余った分が所得になれば所得申告をしなければならない。選挙その他にかかわって政治資金規正法で届け出をする必要のある場合には届け出を必要とする。ところが、この間において、証人の松野さんからは政治資金規正法による届け出は一切ありません。そういたしますと、これは選挙に直接使った選挙費用は別でありますよ、これは義務づけられておるわけですから。すべてが直接の選挙に使った、仮に法定選挙の費用内といたしましょうか、それ以外はすべて政治活動に使ったということは間違いないんでしょうか、もう一度確かめたいと思うんです。
  249. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) 選挙費用の届け出以外に、届け出しなくていい選挙費用というのもあるはずです。選挙費用以外に、届け出しない選挙費用というのも認められていると私は思うんです。  それから選挙費用をいつからいつまでだということも、これはなかなかむずかしいです。したがって、相前後、相左右して、その期間に私は使ったと思います。
  250. 和田春生

    ○和田春生君 先ほども話が出ましたけれども、当時の金で五、六億円といいますと、最近の金額に直すと十数億から二十億円に近い価値がある金額だと思うんです。それを個人の責任において政治活動に使ったとおっしゃいますので、私は、実は昭和四十二年から四十六年まで民社党が政治活動に使った金を調べてみたんです。この民社党は、御承知のとおり数十人の有給職員を抱えております。数百人規模の会合を年に何回か開いております。それから週刊の機関紙も出しておれば、月刊の党の雑誌も出しております。各地におけるオルグ、外国とのおつき合い、これ全部含んでおりまして、その一般会計の収支のトータルが四十二年から四十六年までで八億八千万円でありますから、年当たりにすると約一・七億円。松野さんが個人の責任で政治活動に使ったとおっしゃいますけれども、私は、この数十人の議員を抱え、何十人という職員を持ち、いま言ったような国内的に、国際的に活動している一つの党にほぼ匹敵する金が使われたとは想像がつかないんです。一体何にお使いになったんでしょうか。
  251. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) 各政党政党の体質、性格というものがございます。私は明快にこの十二年近い前ですから申し上げるほどの記憶ありませんが、選挙及び政治活動と申し上げておきます。
  252. 和田春生

    ○和田春生君 ちょっと角度を変えてお伺いいたしますが、私も中央政界にあって約十年の政治生活でありますから、自民党というものがどういう運営をされているかということについても、外からではありますが、ある程度はうかがい知っている面もあります。  そこで、松野さんが党幹部あるいは派閥の領袖の一人として、自民党もしくは党内派閥の金づくりの一端を担ったと、こういうことでありますならば、それも政治活動の意味に含まれているというなら、事のよしあしとしてはわかるわけです。しかしそうではなくて、あなたが個人の責任で個人の政治活動に使ったと。想像がつかないんですけれども、わかるように、これは国民の皆さんもお聞きになっているんですから、幾つかを御説明願えないでしょうか。
  253. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) 何分古い話で、お答えするほど記憶が正確じゃございません。
  254. 和田春生

    ○和田春生君 正確ではないとおっしゃいますと、あなたがお使いになった活動の中には、党ないしは派閥の資金づくりの一部に供されているものもないというわけではないと、そういうふうに受け取ってよろしゅうございますか。
  255. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) そういうことも含めて、私は記憶がないと、こう申し上げているんです。
  256. 和田春生

    ○和田春生君 記憶がないとおっしゃるわけでありますから、この限られた時間でやりとりをしても結論は出ないと思いますが、私は証人の言う個人の政治活動という中には、そうしたものとともに、政府にかかわる政策、計画、事業などの特定のものについてこれを推進するとか、変更をするとか、取りやめさせるとか、新たに決めるとか、そういう行為も含まれていたのではないかと考えるんですけれども、そうした意味はあなたの政治活動の中に入っておるでしょうか。
  257. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) 概念としてのお話ですが、私はそういうことをいまの御質問と答弁の中に考えているわけじゃありません。選挙及び政治活動というので、いまおっしゃったような具体的なことは念頭に私は置いておりません。
  258. 和田春生

    ○和田春生君 私は、自分の党だけではなく、自民党を含めて他の党の政治活動なども見ておりながら、いま私が申し上げたようなことも念頭にない、そして選挙と政党あるいは政治活動であるとおっしゃいますと、どうも私自身にも見当がつかない。一般の国民の皆さんも、そうした政治活動というのはどんなものだろうか、全く私は見当がつかないんではないかと思うんです。実は、そこに構造汚職と言われたり、政界と企業がらみの忌まわしいいろいろな問題が発生してくる余地があるのではないかというふうに考えられてなりません。  で、今度の問題につきまして、捜査当局の説明によりますと、いわゆる贈収賄、そういう立件については職務権限の点が構成されないので刑事訴追に至らなかったと、要約すればそういう趣旨のことを捜査当局は説明をしているわけであります。そこで私は、捜査当局が言っているような意味の職務権限ではなく、自民党の大幹部でもありました松野さんにお伺いしたいんですけれども、政治家の職務とか権限とかいう場合に、厳密な意味での、直接のいまついているポストだけにではなくて、それにかかわらず、政策の決定や変更というものにはるかに強い影響力を持っている、そういう権力的な存在があるということについては松野さんも御同意されると思うんです。事実であろうと思います。大臣に話したけれどもらちが明かないけれども、実力者に話をしたら一発でけりがついた、そういうことは、もう巷間常識のように伝えられることであります。  さて、そこで私がお伺いしたいのは、証人自身が、当時はすでに相当な実力者としてそういう力を持つグループにつながりがあったお一人である。日商岩井がそこに着目をして航空商戦に割り込む、そして新しい防衛機種の選定に有利な立場をとろうと、そういう思惑を持ってあなたに近づいて、あなたの役割りと、窓口としてのあなたの利用価値を認める。そういうところに途方もない――五億円とか六億円とか伝えられるような、数億円の金が登場してきたという理由があるというふうに私どもは考えざるを得ないんです。証人の松野さんはそうお考えになりませんでしょうか。
  259. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) いままた五億とか六億とか、大変、一億上に言われましたけれども、私が申し上げたのは、その期間に私にも、この五年間にそのほかにも一億ぐらいの所得がありましたという話を私は申し上げているんで、何かいつの間にか四、五が五、六になってしまっているように誤解を招くといけません。それは違います。五年間の間に私も一億程度の収入があったと申し上げたときの一億であって、それとこれは全然関係――別な話です、別な話です。  それから、先ほどお話のように、何とお答えしていいか私もわからないんです。和田さんがそう自民党を見られているということであって、私は、自民党の党内におるときの見方と党外からの見方はそれは違うと私は思う。党内におればそういう必ずしも言い方はいたしません。自民党がいいばっかりだとは私は思いませんけど、やはり一歩一歩改善されてこの三十年という保守政党が続いたんじゃないでしょうか。だから、これはちょうど十二年前の自民党の私は中にいた松野でありまして、また今後何十年続くかもしれません。それはやっぱり一歩一歩変わってきていると私は思うんです。昭和――恐らく和田さんが最初に出たときの政治体制における常識と道義と、今日における常識と道義とは変わっていると思う。私も三十三年の間に、十年十年に大きな体験をしてきました。十年十年に私は大きな体験をしまして、そのたびに反省しながら政治家を続けてきているんですよ。だから、その断面をとらえて批評されるのは御自由ですけど、そうだと断定されては、私はそんな証人、証言をするほどの相づちは打てないと私は思います。
  260. 和田春生

    ○和田春生君 私は現在のことに基準を置いてお伺いしているわけではございません。いまは政治資金規正法もなお問題を残しながら改正をされておるわけです。私も最初に衆議院に当選したのは昭和四十四年のことでございますから、ちょうどこの四十二年から四十六年という間に政界に入ったわけです。当時のことを頭に置きながら、いま私が仮に想定をしてそうではなかったんでしょうかと言っていることを除外をして、そして選挙に直接かかった費用を除いて当時のお金にして何億という金が個人の判断で個人の政治活動に使われるということは想像ができないんですよ。そういう政治活動というのが存在をしているということは、自民党の中の問題じゃなくて、政治活動なんですから、私どもの目に映っていないわけです。しかし、党の資金とか派閥の資金とか、党内のそういう実力者たちの影響力とか、そういうものに絡んで金が動いたということならばわれわれもわかると言っている。あなたはそうではないとおっしゃるから、それならば、あなたが個人の判断で使われた政治資金の使途について、国民の皆さんにわかるように御説明になる責任があるのではないか。なぜならば、当時は届け出しなくてよかったんです。それは政治家の道義的な行動というものに信頼をしておったから、個人の献金をもらっても全部政治資金に使ったんなら届け出なくてもよろしい、こう言われておったわけですね。そのときの五億円、約五億円という金に絡んでここまで疑惑が大きくなった以上、あなたは何にそれを使ったのかと、かくかくの理由によって明らかにしなかったけれどもこれはこういうことであるということを、筋道を立てて説明をされることによって政治的責任が果たされるんではないでしょうか。その点に絡んでお伺いしているんです。
  261. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) 非常にごもっともな話をじゅんじゅんとされまして、よくわかりました。ただ、私がここで申し上げるだけの記憶がないということで御勘弁願いたいと思います。
  262. 和田春生

    ○和田春生君 私は、松野さんのいままでの政治活動で示した見識、行動から察しまして、先ほども申し上げたような意味のお金であると気づかずに受け取られるほどうかつな方ではないと思うんです。やはりその間の事情については察知しておられたのではないか。そうであったが、いまそれを言うことはできない、あるいはそれは言い得ない。こういう御心境を記憶にないということであらわしていらっしゃるんでしょうか。大変これは場合によっては立ち入った質問でございますけれども、お答え願えれば幸いだと思います。
  263. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) 前の言葉を繰り返すだけでございます。
  264. 和田春生

    ○和田春生君 私は、いろいろな面で政治家が影響力を使うということは当然あります。与党にも野党にもあると思うんです。しかし、それが特定の事案について金絡みで問題が大きく動かされてくる、そこに構造汚職とかいろいろなことを言われる問題点があるわけでございますから、そういす点を明らかにしていく、そしてそういうことが再び起こらないようにするということに国会は与野党を問わず責任を問われていると思います。企業の政治献金につきましても、たとえば卑近な例でありますけれども、私は若いときから酒をたしなみます。酒を飲んで、適量であれば活力のもとになりますし、人間関係もよくします。しかし、これが度を過ぎると側に非常に大きな迷惑をかける。自分自身も酒毒にやられてアルコール中毒にかかってしまうんです。私はそうした状況というものを政治献金と航空機疑惑の絡みの中で感じて仕方がないんです。松野さん、そういう点でこれはメスを入れなければならない、やはりこういうことが二度と起きないようにするせっぱ詰まった時期であるというふうにあなた自身はお考えでしょうか。
  265. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) 私も実はわが身をさらしてそう思います。やはり度を超したということは適切のように思います。きょう私がこうやってこの席におるのも非常な反省のもとです。和田さんとはたびたびいままで政治家としておつき合い願っているので、私の気持ちおわかりだと思う。あなたのおっしゃる気持ちを、私も同じ気持ちなんです。ただ立場が今日違うので、あなたと手をとって話できない立場に私が立っていると。心情においては同じであります。
  266. 和田春生

    ○和田春生君 それでは最後に、冒頭に申し上げたことと関連して一つだけお伺いいたしたいと思いますが、先ほども申し上げましたけれども、五十一年の四月当時、ロッキード事件のいわゆる灰色高官の公表問題について証人の松野さんは大変積極的な姿勢を示しておられました。私どもも大いに好感をしておった者の一人であります。そして今日またこの種の問題が出てまいりました。そこで、当時浮かび上がりました刑訴法四十七条ただし書きを引用いたしまして、犯罪にならないまでも政治責任をただすために訴訟に関する資料を公表する、とりわけそれは政治家に関連している問題を刑事訴追の対象にならなくても公表する、そういうことが今度の事件に関連して提起された場合に、松野さんは当時と同じように御同意なさいますでしょうか。
  267. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) 公表するという前に私は自分から証人として出席をいたしました、衆議院の場合。それは恐らく検察の公表前です。二十四日ですから。私は自分で証人としてみずから公表の前に出てきたと私は実は思っています。この是非について御判断はありましょうが、そのときの気持ち以上にそれを私は今日進んで名のり出たという気持ちで衆議院のときに証人に出たんです。そのときはまだ公表される前です。今日もここに出てきたのもそういう気持ちであることを御理解いただきたいと思います。
  268. 和田春生

    ○和田春生君 私は質問が多少言葉足らずであったかと思いますが、証人の松野さんのことだけにしぼって言っているわけではございません。他にも政治家絡みの名前が登場をしているという話を伝え聞くものですから、本件に関しての関係資料の公表について、その渦中にいま立っている松野さん御自身も同意をなさいますかと、こういう意味でお尋ねしたわけでございます。
  269. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) ごもっともな話ですが、この証人として証言する議題としては、私はお答えできないと思います。
  270. 和田春生

    ○和田春生君 それでは、そのことについては問題が後に残りますけれども、いろいろな面で御証言をいただきましてありがとうございました。終わります。
  271. 市川房枝

    ○市川房枝君 松野証人に対して、私が第一に伺いたいのは、五月二十四日の衆議院での証人の質問で、あなたが答弁された態度、あなたの答弁の内容について、マスコミを初め一般国民の間に非常な反響を呼んでおりまして、私のところへも、全国の有権者から感想や抗議が電話や手紙で参っております。翌二十五日の朝日の社説では、「怒りと空しさの松野氏喚問」という社説書いておりますし、毎日では「うっ積する航空機疑惑への不満」、読売では、「政治献金の壁に隠れた松野証言」といったように、国民のこれらは大部分の気持ちを代弁しているんだと思いますが、お読みになったでしょうかそういうものを。特に朝日の社説の中に、「証人喚問が終わった。松野氏は何を答えたか、与野党議員はどう追及したか――それをふり返っていま強く胸に残るのは、空(むな)しさと、政治疑惑についてわび、二度とくり返さぬと誓う気持ちの薄い政治家たちに対する怒りである。」と、こう書いております。これはまああなただけでなくて、ほかの質問の方も及んででしょうけれども、こういう反響に対してどうお答えになりますか。いや、いま実は三時半、私のところへこのテレビを見ている男の方から電話がかかってきまして、いまTVを見ているんだけれども、腹立たしいので一言松野さんに伝えてほしいという電話のメモが来まして、それは、四億から五億の使途を聞くために証人喚問に立ったはずなんだと、その答えを聞くために返事すべきであると、国民がどんなに歯ぎしりしてTVを見ているか、これを松野氏に伝えてほしいと、こうありまして、あなたの御感想といいますか、お答えをまず伺いたいと思います。
  272. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) 市川さんといろいろな場面でお目にかかって、きょうはこういう立場に立って、私もまことにざんきにたえないんです。しかし、政治家がこういう立場に立って国民の前に出るということは大変なことです。私は非常な苦悩と苦痛の中に立っているんです。裁く裁かれないではなしに、自分の知っていることは一部しかありません。私はいろいろな事件の一部です。また自分が思ってたことと結果においてずいぶん相違点を、私だって感じます。しかし、それはそれとして、自分の一こま一こまを申し上げているんで、国民の皆さんは全貌をとおっしゃるでしょうが、それは私が全貌を申し上げるような知識も経験もないんです。また、政治資金についても、選挙及び政治資金と申し上げることはわりに明快に申し上げていると思います。選挙は御承知のごとく、投票の秘密があると同時に、選挙の秘密も私は認められていると思うのです。私が選挙の組織、選挙は全部自分の選挙言いましたらもう選挙はできません。投票する方も投票の秘密がある。したがって、選挙する者も選挙の手段というのは各人各様私はあるんじゃないかというのが私のいままでの三十三年の選挙の経験です。そういうことから、選挙及び政治資金に使いましたと、記憶は十二年前のことですからそれはとても記憶がありませんと、四億、五億といいましても四、五億を四、五年間にいただいたんで、それを明快に帳面につけているわけじゃありません。したがって、御理解いただけるかどうかわからないが、私の良心に従ってお答えできるものはお答えしているんです。御理解いただきたいと思います。
  273. 市川房枝

    ○市川房枝君 いまの御答弁、了解はある程度できますけれども、二十四日の衆議院の委員会で、社会党の大出さんそれから民社党の大内さんから政治的道義的責任を追及されまして、そしてあなたは国民や有権者の意思に任せることが正しいと思うと、政治責任を果たすということは、きょうここで真実を話すことなんだ、私も道義的責任を古さの中に隠そうとはしない、この席でできることは真相解明に最善を尽くすことだと、その後は世論や選挙民の意向に照らし、自分の良心にとらえて真剣に考えるとおっしゃっております。二十四日の会議の終わりごろには、私も実はちょっと傍聴いたしましたので、そのときの模様は幾らか承知をしておるんですが、あなたがそういう会合で真実を話した、あるいは真相解明に努力されていた、御自身はそうなさったかもしれないけど、傍聴してました私にはどうもそういうふうには受け取れなかったわけなんですが、それはさておき、あなたは右の言葉の中に、世論や国民、選挙民、有権者の意向に照らして真剣に考えると、こうおっしゃっておりますが、選挙民、有権者とおっしゃるのはあなたの選挙区――熊本県の第一区の有権者のことでしょうか。有権者はそれこそ一般の国民よりもっと関心を持ってテレビを、新聞をみんな見ていられると思いますけれども、あなた自身は選挙区の有権者に対してどんな感想をお持ちになっておりますか。まあロッキード汚職の告発された後で、田中元総理は、次の総選挙で前よりも多い票数をとって当選されたという一つの前例があるんですけれども、あなたの場合は一体どういうことになるのかなと考えますが、その点いかがお考えでしょうか。
  274. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) 私も道義的責任をみずから回避しようと思って逃げ隠れする気持ちは本当にありません。どういうふうな道義的、政治的責任をとればいいか、私自身、結局最終的には私自身が考えることだろうと思うんです。しかし、それには世論や有権者やあるいは同僚の人たちの意見を参考にしながら、最終的にはやはり道義的責任は自分で決めるべきものだと、私はこう思うんです。しかし、いまはまだ衆議院が終わって、きょうは参議院、四日目です。少なくともこの席において、私の知り得ること、また私の自分の良心に照らして申し上げることに頭がいっぱいです。まずしばらく、きょう市川さん早目に切り上げさしていただいて私に冷静な時間を与えてください。そうして私も三十三年、父から入れますともう六十何年続けて選挙民から信頼されてきた松野です。それが今回このようなことで私自身選挙区、選挙民には何と言っていいか、私一身なら本当にそう思います。まあ、しばらく考えさしていただきたいと思います。
  275. 市川房枝

    ○市川房枝君 あなたは、日商岩井から約五億円という莫大な金を四十二年から四十六年までの四年間にあなたを育てる政治献金としておもらいになったということをはっきりお答えになっておりますが、しかし私にはどうも少しそれも納得ができかねますけれども、それを別として、あなたはそれを届け出しなかったことに対して、大内さんの質問に対して結果として違反として認めるとおっしゃっているんですが、まあ、あなたは選挙制度の問題あるいは政治資金の問題は非常にお詳しい方でおいでになるから私が申し上げるまでもないと思うんですけれども、政治家個人としてあなたがおもらいになった政治献金ならばこれは届け出る必要はない。いまの政治資金規正法は政党、政治団体、政治資金団体と、その三つだけで、個人は入っておりませんわね。だから届け出なくてもいいんですし、それから所得税関係も御承知のように雑所得として、政治活動に使って残りがあったら届け出ると、そうして課税の対象になって税金を払うと、こういうことになっておりますけれども、残りがなければ幾ら入って何に幾ら使ったということを全然報告する必要はないという現行法、こういうのはずいぶんおかしいと私は思うんだけれども、とにかくそういう点から言いますと違反にはならない。さっき選挙資金の問題が前の方から、質問が出ておりましたが、選挙はそれぞれの候補者が収入を届け出るということになっているんで、直接あなたの、ほかの方にもし選挙資金としてそれをお分けになったとしてもあなたの責任にはなっていないと、こう思うんですが、ただ、そのお答えの中で、私も生活していく場合もあると、こういうふうな言葉がちょっとあるんですけれども、そうすると、これはちょっと問題ですね。つまり政治資金はそういう私生活には使ってはならないということになっておりますんで、その点をちょっと疑問に思いましたんで、ちょっと明らかにしていただきたいと思います。
  276. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) この金については、選挙及び政治資金に私は使ったと思います。その他の金については、やっぱり私も生活が要りますからね、生活はほかの金で使ったんだろうと思います。それで先ほど、そのほかにも私は所得がございましたというお話を申し上げたんです。
  277. 市川房枝

    ○市川房枝君 あなたは四十二年の二月には自民党の選挙制度調査会の会長におなりになって、そして、そのとき設置されておりました第五次選挙制度審議会の特別委員として御出席になっておりましたね。そして、この四十二年の四月七日の第四回総会で政治資金の規正等の改善案についていろいろ御発言になっておりました。私、そのときに、この問題については前から関心を持っているものですから傍聴に伺っていたわけなんですが、そのときに、委員であった木下広居さん、現在は創価大学の教授をしておられますが、なぞかけを例に出して発言をされました。つまり、政治資金とかけて何と解く。家出娘と解く。心は、やがて子供を連れて帰ってくる。まあ、こういう文句だったんですが、これに対して大竹さんあるいは小泉さん、あなたのほかにそういう方からも、表現の俗悪、低劣、学識経験者と言われる人間からこういう公開の席上で口にすべきことではないと攻撃されて、本人は知らない間に速記録からその点が削除されているようでございます。実は、本当はこの言葉は、これは私が九州へ政治資金の講演に行きましたときに聴衆の中の男の方が私のところへ来て、こういうものをつくったがどうですかといって持ってこられたんです。それから私拝見して、ああ、これちょっとおもしろいですねというわけで、私がその後に書いた小さいパンフレットに実はそれを書いた。これを木下さんが流用されて発言をされたと思うんですが、このことを覚えていてくださるかどうかと思うんですが、この同じ審議会で、あなたが政治資金を受け取る政治家の態度というものをおっしゃっているんです。私、ここにそのときの速記録を実は持ってきて、それで調べたんですが、あなたは政治資金を受け取る政治家の態度としてとして「これを受け取る政治家が、国民の前に政治資金だから受け取った以上これに対してえりを正す、経理の公開、経理の監査、使途の明確、個人消費しない-こういうことは当然政治家自身がやるべきことだと私は思います。」と、こういうようにおっしゃっています。これは当然のことであり、私は、まあ、あなたとしてそうおっしゃることをむしろ当然と考えておりますけれども、ところが、今度の二十四日の衆議院の、あるいはきょうの日なりで、いわゆる政治献金五億円近くですけれども、一体それを何に使ったんだという質問がいままで皆さんから出ているんですけれども、忘れたと、自分の良心、自分の考えに従って適当と思うことに使ったんだというんで、その内容については全然報告がないということでさっきの電話みたいなものが来るんですけれども、これは考え方をお変えになったかどうか。まあ、この四十二年のこれが四月と申したんですが、いまの日商岩井との問題は四十二年の九月ごろからですか、秋ごろから起こっているとなると、その前だからまあこうおっしゃったんで、その後すっかりお考えをお変えになったかどうか、それをちょっと伺いたい。
  278. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) 市川先生のおっしゃることごもっともで、私もそういうこと申しましたこと、いま記憶新たです。あの当時私は記憶があったと思いますが、いまはないと申します。あの都度あの都度公開しておけば、きょうこんな立場に私は立たずに済んだんじゃないかと、十二年たって思わぬことに私はなってしまったと、あのとき毎回、毎年毎年公開しておけば私はよかったんだと、そうしてみて、あのとき私が言ったことを自分で実行すりゃよかったんだなといま反省に立っているんです。本当にいまでもそう思います。あのとき毎年毎年公開しておけば、このような私は立場に立たずに済んだんじゃなかろうか。本当に自分の政治生活の中での反省を深くしております。
  279. 市川房枝

    ○市川房枝君 最後にもう一つ伺いたいんですが、まあ賄賂と政治献金の区別ですね。あなたは、約五億円は政治献金だと初めからおしまいまでそれをおっしゃっているんですが、法務省当局では、まあこれは賄賂性があるということをはっきりこの委員会でもおっしゃっているんですが、一体政治献金なのか賄賂なのかというのはその区別がなかなかむずかしいといいますか、そこで結局賄賂と言えばこれは犯罪を構成する、もっとも時効の問題だとか関係の問題がありますけれども。しかし政治献金と言えばこれは合法的で無罪なんですね。それで、過去においても賄賂を政治献金として逃げられた方があるというか、そういう実例が幾つかあるわけですけれども、私は、そういうことは国民としては非常に不明朗なんで、むしろ政治献金、企業からの政治献金というものはむしろ禁止する、それからもう一つは、あなたの場合、今度は個人としておもらいになったから届け出る必要は法的にはなかったけれども、やはり政治家個人の収支も国民の前に明らかにするということが私は、議員としては、政治家としてはやっぱり必要ではないかと思いますが、その点いかがでしょうか。どういうお考えをいまお持ちになっておりますか。
  280. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) まことに深い反省をしておりまして、あの当時もう公開しておけばよかったと思いますし、今後私の政治資金は公開して、再びこのようなことがないように私はしたいと思っております。
  281. 市川房枝

    ○市川房枝君 政治資金の検討は、現在の政治資金規正法の附則の第八条で、五年たったらさらに検討する、これも企業の献金ではなくて個人の献金を中心としたようにするということがちゃんと書かれてあるわけなんですから、その機会に私ははっきりしてほしいと思うんですが……。  いまちょっと、ほかの方から私のところへちょっとメモが来たもんですから、これをちょっとお伺いして終わりたいと思うんですが、先ほど衆議院の外務委員会が開かれておったそうですが、その外務委員会に法務省当局が出席していて、そして日商岩井の海部氏は五億円の約束を松野さんとはっきりしたと、これは初めにといいますか、とはっきり答弁しているんだそうです。これ松野さん、重ねてこれを、メモ来たもんですから、あなたは海部氏との五億円の約束を初めに、便宜を供与するというようなことでお約束になったかどうか、念のためにちょっと伺っておきます。
  282. 松野頼三

    ○証人(松野頼三君) そういう記憶はございません。
  283. 市川房枝

    ○市川房枝君 じゃ、これで……。
  284. 二木謙吾

    ○委員長(二木謙吾君) 以上をもちまして、松野頼三君に対する証言聴取は終わりました。  松野証人には長時間にわたり御証言をいただきましてありがとうございました。どうぞ御退席ください。  本日はこれにて散会いたします。    午後四時三分散会