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1950-02-13 第7回国会 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 11号 公式Web版

  1. 昭和二十五年二月十三日(月曜日)    午前十時三十六分開会   ―――――――――――――   委員の異動 本十三日委員岩本月洲君辞任につき、 その補欠として小杉イ子君を議長に おいて指名した。   ―――――――――――――   本日の会議に付した事件 ○華中地区引揚者持帰り金返済に関す  る件  (右件に関し証人証言あり)   ―――――――――――――
  2. 天田勝正

    理事(天田勝正君) 只今から委員会を開会いたします。  御承知の通り在外公館等借入金整理準備審査会法に基きまして、来る三月十九日までに、この法律に基いて該当者の届出が行われることになつております。これにつきまして大連労働組合の供出金並びに華中地区からの送金小切手の問題がこれに該当するや否やが問題になつておりまして、この点について、大連労組の点につきましては本委員会は相当なる資料を集めております。本日は華中地区におけるこれらの送金小切手の問題につきまして、本委員会の何らかの結論を見出すために、当時の関係者においでを願いまして、その真相を糾明するのが、今日の目的でございます。各証人におかれましては、本日御多忙中のところわざわざおいでを願いまして誠に有難うございます。只今申上げましたような趣旨に沿いまして、今日の委員会をいたすのでございまするから、この点をお酌み取り下さいまして、その目的に沿うよう御証言願いたいと存じます。
  3. 北條秀一

    ○北條秀一君 議事進行について……只今委員長から大連労働組合の問題が問題になつておるというふうに聞きましたが、私はそういうふうに理解していないのです。その点について、委員長の今言われました趣旨が私に十分理解できませんので、重ねて御説明願いたいと思います。
  4. 天田勝正

    理事(天田勝正君) この説明と申しましても、一体問題になつておらないという北條委員の仰せは、当然これは在外公館等借入金の法律に該当する、こういう御見解であろうと思うのです。
  5. 北條秀一

    ○北條秀一君 その通りです。
  6. 天田勝正

    理事(天田勝正君) 併し該当か否か疑点がある、こういう見解を持つておる者もあるのでありますから、そこで私は問題でないならばあれだけ厖大なる資料を集める必要はないと思う。私はこの際その討論は避けますけれども、そういう意味においてこれに該当するや否やの問題について、只今本委員会においてはいろいろな調査を行なつておる。その一つであるのが中華送金小切手の問題である、こういう意味で申上げたのでありまするから、或いは言葉が足りない点がありましようが、一つその点は御了承願いたいと思います。
  7. 北條秀一

    ○北條秀一君 承知いたしました。
  8. 天田勝正

    理事(天田勝正君) では規定に基きまして証人の宣誓を求めます。総員起立を願います。    〔総員起立〕
  9. 天田勝正

    理事(天田勝正君) 岡崎証人から宣誓を願います。    〔証人は次のように宣誓を行なつた〕    宣誓書   良心に従つて真実を述べ、何事もかくさず、又、何事もつけ加えないことを誓います。         証人 岡崎嘉平太    宣誓書   良心に従つて真実を述べ、何事もかくさず、又、何事もつけ加えないことを誓います。         証人 土田  豊
  10. 天田勝正

    理事(天田勝正君) 着席願います。  この際証人の方に一言御注意申上げて置きますが、先程も申上げましたような目的で今日の調査がなされ、皆さんに証言を求むる次第でございます。証言に対しては宣誓されました通り事実をそのままお述べ願いたいと存じます。尚、議院における証人の宣誓及び証言等に関する法律第六條によりまして、宣誓した証人が虚僞の陳実をしたときは、三月以上十年以下の懲役に処する。ということに相成つております。併しながら民事訴訟法第二百八十條に該当する場合は、証言を拒否することができることに相成つております。ここに民事訴訟法第二百八十條を朗読いたします。   證言カ證人又ハ左に掲クル者ノ刑事上ノ訴追又ハ處罰ヲ招ク虞アル事項ニ關スルトキハ證人ハ證言ヲ拒ムコトヲ得證言カ此等ノ者ノ恥辱ニ歸スヘキ事項ニ關スルトキ亦同シ   一 證人ノ配偶者、四親等内ノ血族若ハ三親等内ノ姻族又ハ證人ト此等ノ親族關係アリタル者   二 證人の後見人又ハ證人の後見ヲ受クル者  以上が民事訴訟法第二百八十條の規定でございます。以上の場合は証言を拒否することができることに相成つておりまするから念のため申上げて置きます。
  11. 淺岡信夫

    ○淺岡信夫君 議事進行について……今日の議事の進行につきましては、どういうふうに委員長の方でお考えでございましようか。一つ委員長の方で一応こういうふうな段取りで行くんだとこういうことの御説明があれば聞かして頂きたいと思うのですが……
  12. 天田勝正

    理事(天田勝正君) すでに本問題につきましては、華中から引揚げられました本委員会における委員、並びに満洲等から引揚げられました委員において相当糾明、個人的には糾明されておりますので、併し権威を高むるための大きな目的でありまするので、本日証人を喚問するに至つたのでございまするから、別段委員長の手許において特殊なる点をお聞きしてからという手数を実は省きたいと思つておるのであります。併しながら一応、特に中華だけは送金小切手という形に行つた経過だけは一つ各人からお述べ願いたい。特に最高責任者でありました土田証人からは是非この経過だけは一番先に聞く。それ以後におきましては各委員からの質問という形によつて、この委員会を進めて行きたいと、このように考えております。(「異議なし」「進行」と呼ぶ者あり)ちよつと速記を止めて。    〔速記中止〕
  13. 天田勝正

    理事(天田勝正君) それじや速記をつけて下さい。  尚この際に各委員に御了承願つて置きますが、矢野征記証人につきまして先程新宿駅の助役から通報がございました。それは同証人が新宿駅におきまして脳貧血によつて倒れまして駅長室で今休まれておられるのであります。そこで本日の委員会に出席が不可能であると、こういうお話でありましたから、委員長は、十分休まれまして、その結果若し来られるような状態になつた場合には、その知らせを受けたならば直ちに本院から自動車を差廻すからということを申添えて赤きました。以上御了承願います。  では先程の打合せに基きまして、終戰の昭和二十年九月七日附によりまして、当時の外務大臣吉田茂氏によつて各在外公館に対して訓令が発せられました。その訓令に基きまして、各地においてはそれぞれ在留邦人から公館が借入金を行なつて、その借入金を以て難民救済、或いは引揚の費用、これらに充てたわけでございますが、華中地区においては、在外公館におきましてそうした手順を経ずして送金小切手というような形をとつたということであります。その経過につきまして、何故に華中地区が特にそういう方法によつたかという点につきましての経過を一つ土田証人からお話願いたいと存じます。
  14. 土田豊

    証人(土田豊君) 私終戰当時、在支日本大使館上海事務所の所長をしたしておりました土田でございます。  終戰後におきましても大使館事務所の機構は一応存置いたしまして、それぞれ館員が引揚げますまで事務所長の職にあつたわけでございます。同時に敗戰後に重慶の勢力が出て参りまして、居留民の全面的帰国という方針を連合国命令として受けまして、これにつきまして、少数の例外は別といたしまして、殆んど全部を日本に帰還をして頂くという仕事があるわけでございます。同時に重慶側の方の命令を受けまして、上海地区に日僑自治会というものを組織せよという命令を私貰いまして、自治会長といたしまして居留民皆樣の待機中の生活並びに救済、それから帰還につきましてお世話を申上げて参りました。尚上海は、長江筋の上流の例えば漢口、南京、蘇洲、杭州その他各地におられました居留民の方が漸次上海に集結されまして、上海から船に乘つてそれぞれ帰国されました関係上、その範囲におきましては、上海の日僑自治会におきまして皆樣のお帰り並びにお帰りに至るまでの滯在中の生活ということにつきまして御世話を申上げたのであります。只今委員長よりお話がございましたのを承わりましたが、外務大臣より、九月七日だつたと思いますが、訓令を貰いまして、居留民の措置について万全を期せよ、それについていろいろ費用が要るであろうが、現地としてあらゆる方法を講じてその使命達成に遺漏なきを期せよ、こういう趣旨の訓令を貰いましたのでありまして、華中地区におきましては、只今委員長のお話によりますと、借入金を居留民の方から借り受けずに送金小切手の調整料を以て救済費に充てたというような言葉がありましたが、これは全然事実に反しております。事実ではないわけであります。借入金は、私自治会長といたしまして、必要だつたのでありますが、借入金をいたしまする責任者は総領事ということを訓令に謳つておりますので、当時上海の総領事をいたしておりました豊田薫君の責任におきまして居留民の方方に訴えまして、それぞれ借入をいたしましたのは昭和二十一年二月からでありまして、尚この際附け加えて申上げて置きたいことは、九月七日の訓令と申しますのは、只今申しました極く抽象的なものでありまして、居留民の措置について万全を期するために必要な経費があつたならば現地においてあらゆる方法も盡せという極めて抽象的な訓令であつたのでありますが、更に私の記憶では、昭和二十年の年末に近付きました頃に、更に具体的な訓令が参りましたように記憶いたしております。それによりますというと、はつきりと居留民の各位から生活費、救済費及び引揚につきまして必要な金を借入せよ。そしてその借入したものは他日政府において弁済することにいたす。但しその弁済期日とか借入金の比率を如何にするかということについては、後日政府においてこれを決定するという、九月七日のより余程具体的な訓令があつたのであります。これに従いまして措置を直ちにとる必要があれば直ぐとつたのでありますが、只今申上げましたように年末に訓令を受けまして、これを実施いたしましたのは二月であつたと記憶いたします。その間、まだ上海地区におきましては大体居留民の皆樣はそれぞれ引揚を待つ間の生活を支えておられたし、又自治会といたしましても、急速に多額な費用を負担する必要がなかつたのでありまして、一月頃になりまして、それでは到底帰還に要する、例えば汽船が入りますときに水を買いますのに相当多額の金が要るのでありますが、そういつた費用とか、荷物の運搬とかいろいろなことに費用を要しましたので、二月に入りまして、只今申上げましたように居留民の方々に事情を御説明し、訓令の趣旨を御説明いたしまして借入を開始いたしました。それで、繰返すことになりますが、先程委員長の御説明のように、借入金によらずしてというのでなくして、借入金によりまして、華中地区におきましては、上流地区を含めた居留民の方々の帰国の経費に充当いたしましたのであります。送金小切手の調整料の点につきましては、これも記憶でございまして甚だ恐縮でございますが、終戰前から確か毎月三百円までの送金というものは自由に認められておりまして、これはつまり外地で暮しておる方々が内地に残した家族に生活費を送金するという場合だと思います。三百円以下につきましては調整料というような問題は全然なしに、無調整料で送金を許可しておたつのであります。それは終戰の直前だつたと思いますが、東京におきまして、大蔵省、大東亜省あたりの省議の結果、閣議決定を見ておるかどうか知りませんが、現在の我々の機関に対しまして通牒がありまして、在外の居留民の方々から内地に送金をいたす方法につきまして細目を示して参つたのであります。この通牒の内容は、記憶にございますが、三百円以内につきましては、従来通り調整料をとらずに送金を自由にするという点が一つ、第二は、月五十万円以下の送金につきましては、華中南地区におきましては、七十倍の調整料を納めた人に月五十万円以下の送金を許すという点が第二であります。次に大蔵大臣の特別の許可という形で、現地におられます居留民で、敗戰によりまして退職された方が随分あると思うのでありますが、こういう方々の退職金であるとか或いは引揚の費用につきましては、特別に調整料の率を下げる、但し、その金額におきましては、三万円以下の部分につきましては十倍の調整料を止めるというわけでありまして、これは別の説明で申上げますると、例えば十万円送るという場合に、現地におきましては、三万円の調整料を十倍にする、あとの七万円につきましては七十倍の調整料を要するという趣旨かと当時解釈いたしたのであります。かようなわけで、巷間、御承知のいわゆる三万円小切手という問題は、まあ偶然に三万円をお送りした方は十倍の調整料でいいわけであります。このことは先程申しましたように、終戰直前に指示を受けまして、これを発表いたしましたのは昭和二十年の八月以後、恐らく年内と申しますか、或いはもう少し早い時期において三万円送金の方法がとられたのだというふうに記憶いたします。でありますから結論といたしまして、先程委員長の仰せのように、華中地区では借入金によらずに送金小切手の調整料によつて救済費を支弁しておつたということは、そうではないのでありまして、借入金によりまして、訓令そのものに従いまして居留民の方々から拜借した巨額な金で以て皆さんの華中地区全般の生活費、救済費並びに引揚費が出てきたわけであります。小切手の調整料を銀行に納めてあつたわけでありますが、その調整料を居留民の引揚費或いは救済費には、私の記憶では、充てておらなかつたと思うのであります。  尚、ちよつと細目に亘りますが、この通牒が参りました結果、送金につきましては、つまり三万円日本に送ろうとする方は、三十三万円を銀行に拂込むわけであります。その三十三万円というものは、当時の日本円と儲備券との比率百対十八で計算いたしますると、百八十三万何がしの儲備券になるわけであります。この金額を日本銀行に、どの銀行へでも納めますと、その銀行から三万円の日本金の小切手を渡す、その十倍に当ります調整料は銀行が保管しておりまして、これを、当時大蔵省に外次金庫というのがあつたと思いますが、そちらの方に拂込むという形になつております。  一応私の経過を終ります。
  15. 天田勝正

    理事(天田勝正君) 各委員からいろいろ御質問もあろうと思いますが、この際あなたの当時の身分、私共は公使と記憶しておるのですが、さようでありますか。並びに上海事務所の所長であつた、こういうお話でございましたが、これは総領事でもなし、従つてこの上海事務所とは、大使館の、要するに出張所、従つてその権能は大使館と同様である、このように解釈してよろしいかどうかという点について。
  16. 土田豊

    証人(土田豊君) 当時の大等亜省の出先機関は非常に複雑でありまして、いつも御質問を受ける点でありまするが、汪政権が成立いたしましてから後、日本側といたしましては、汪政権の首府であるところの南京に在支大使館というのができ、ここに特命全権大館が駐在しておりました。中華が非常な厖大な区域でありまするので、この大使が全部を統轄しておりましたわけでありまするが、地区を四つに分けまして、蒙疆地区と華北地区と華中地区、それから華南地区、この四つに大別いたしまして、それぞれ張家口大使館事務所、北京大使館事務所、上海大使館事務所、広東大使館事務所という四つの事務所を、この大使の直轄の各地域におりまする大使館の出張所のようなものを作りまして、それぞれその長に特命全権公使が配置されました。そういうわけでありまするから、私は華中地区を総括いたしまする上海大使館事務所の所長といたしまして、官名は特命全権公使であります。尚最後の、大使館の権限……
  17. 天田勝正

    理事(天田勝正君) 大使館の出張所は、いわゆる出張所という形において、大使館の権限と同じであるかどうか。こういうことです。
  18. 土田豊

    証人(土田豊君) これはどこまでも駐華大使というものが、大人対外的には全権を持つておりまするが、私は勿論御親任状を中華政府に奉呈するというのではないのであります。御親任状を奉呈した人は大使だけであります。私共は大使の部下といたしまして、各出張所の責任を持てという命令の下に、只今申上げましたような地区に派遣されて、そこで大使館の事務を、地区別に行なつておつたというわけであります。
  19. 天田勝正

    理事(天田勝正君) 尚このことは、つまり大使館の下部組織であるところの総領事館とか、又更に下部機関であるところの領事館とかいうものではないのであつて、やはり私のお聞きしたように、大使館の全般の仕事の中の一部を受持つが、その権能は大使館と同じであるというふうに解釈していいわけですか。
  20. 土田豊

    証人(土田豊君) 大使館の大使のやる仕事を地区別に命ぜられておつたわけでありまするから、同じことであります。ただ総領事館、領事館と申しますのは、やはりこれは大使の統轄に属しておりますが、ただ各地区に分けましたので、例えば居留民事務などにつきましては、本来の権限は、これは領事館の持つ権限でありまして、各地区総領事領事責任を持つておりましたが、例えば華中地区につきましては、居留民行政というものの原則とか、方針とかを決めまして、これを指示したり、監督したりいたしまして、次に各地区の事務所長がついておりました。上海で申しますというと、上海総領事が直接居留民行政をやりましたが、私の立場といたしましては、私の管下に属する各地区の居留民行政について相談を受けたり、或いはこちらから全般的な指示をいたしまして監督もしておりました。そういうようなわけであります。
  21. 天田勝正

    理事(天田勝正君) では次に岡崎証人に対しまして、只今委員長から土田証人証言を求めましたような点についてお知りになつておる点を一つお述べ願いたいと存じます。
  22. 岡崎嘉平太

    証人(岡崎嘉平太君) 大体土田証人証言以上のことは持ちませんが、変つたこともございません。記憶しておる問題も多少ありますが、その点で三万円小切手について、ちよつと申上げます。八月十五日、十四日、十三日頃であつたと思います。居留民に従来月三百円の範囲内で本国におる家族に送金を許しておつたのを、恐らく敗戰だというので、人心の動揺を防ぐ必要があり、又実際日本に引揚げてからの当座の生活のこともあつたろうと思います。三万円まで十倍の調整料を拂つて送金さしてよろしいという指令が参りました。在留年限によつて三万円、二万円、一万円というふうに分けてあります。これは直接銀行に持つて行くというよりも、むしろ町内会でまとめて持つて行つた方が多かつたろうと思います。何でも公使と各町内会でまとめまして銀行に行つて、そうして小切手を貰つたわけであります。その時の調整料がどう使われたかということは私には分りませんです。今土田証人のお話のように外資金庫がありまして、外資金庫に調整料を拂つておりました。
  23. 天田勝正

    理事(天田勝正君) 只今の御証言中、在留年限に応じての送金に差額があつたということは本委員会でも初めてだと思います。どういう基準によつてその差が付けられておりましたか、御承知でしたら一つ……
  24. 岡崎嘉平太

    証人(岡崎嘉平太君) はつきり記憶しておりません。併しこれは大使館で立てた案ではないのでありまして、恐らく居留民団の方で決めたのじやないかと思います。大使館の当該係に相談をしたろうと思いますけれども、非常に短い人とかいうものは、少い金額で一万円だつたと思います。何年か、三年ぐらい以上の者が三万円ということで、当時この金額の送金につきましても、大使館内部でもいろいろ議論がありまして、内地のインフレを助長するようになつてはいかんから、成るべく送金は遠慮させよう、遠慮しようという空気が一部にはありまして、又一部にはもう敗戰必至だから、内地に帰つた者が困る、従つて送金は帰つて二月でも三月でも、当時三万円と申しますと、一年ぐらいは暮せるように皆当時考えたのでございますから、これくらいの費用はないといかんだろうというので、金額を多く主張した者もありましたのですが、恐らくその折衷でそうなつたんだと思いますが、どういう標準を作つておつたかは記憶しておりませんが、一万円、二万円、三万円の区別はあつたことは確かであります。
  25. 天田勝正

    理事(天田勝正君) 各委員に申上げます。只今御証言がございましたように、今まで私共が考えておつたのとは違つた証言があつたのであります。これに対しまして御質問等、御証言を求める点等ございましたら御発言願います。
  26. 淺岡信夫

    ○淺岡信夫君 只今土田証人、岡崎証人から縷々当時のこの送金の問題に対しまして御証言があつたのでございまするが、私共初め華中から引揚げて来られました大半の方々の意見を総合いたしますると、こうした面に盡きると思うのでございます。私の手許にも数千通のこの問題に対する問合せが来ておるのであります。そうした関係で、その他同僚議員におきましても随分沢山の書類が参つておると思いますが、その一つをここで御披露いたしまして、それからそれに対しての土田証人、岡崎証人証言を聞きたいと思うのであります。  政府においては今般在外公館等の借入金を国の債務と確認してこの証書を手交すべき手続を始めました。これについて終戰時上海にいた大多数の人々が関心を持つているのはいわゆる総退去小切手問題であります。御貴殿もすでに十分に御存じのごとくこの小切手を入手するには、小切手の額面の十倍の調整資金(実際は難民救済資金)を出しておるのです。このために保有資金のない人々は衣類や貴金属その他を処分して、苦しい中から出した人々が多かつたのです。この調整資金なるものは、小切手を組む際、後日内地に帰還後に返済すると約束はしませんでした。併しこれを国の債務として認めて貰う理由は十二分にありました。以下列記してみますれば、  一、上海以外の公館に貸した救済資金は国の債務と認め、上海のあの厖大なる難民を賄つた救済資金を認めぬとは理由が成り立たない。  二、三万円の小切手は我等は内地帰還と同時に現金化を期待していたのにも拘わらず、四年後の今日まで何の効果も現われない、従つて貨幣価値は当時より十れば雲泥の差となり、今日となり惡意に解釈をすれば、上海の終戰時の要路者が、難民救済資金を集めるためなしたトリツクでしかなかつたかと疑えるのです、この意味からしても三十万円を生かしたい。  三、他地区では総退去小切手やそれに類似した有価証券の発行を聞きません、上海地区のみ小切手の支拂を受けることは国民的不公平であります、併し一方難民救済に提供した資金を、国の債務と認めて貰うことは最も公平であり、他地区からの非難攻撃等のある筈がない。  四、小切手には数段階がありましたが、いずれも額面の十倍の難民救済資金を出しているのですから直接的な借受証はなくとも、小切手又はこれの預り証又は保管証等があれば必然的に救済資金は出していることになります。  以上のような理由により、終戰当時大使館、領事館(土田領事、岡崎参與等)の方々も在京の方があると存ぜられますので、これらの人々ともよくお打合せを願い、上海引揚の大部分の者が期待しております、当時の公称「調整資金」「実は難民救済資金」を国家が国の債務と確認して下さるよう何分の御盡力賜りたく伏して願上げます。尚又これについて署名運動等必要とあらば、直ちに実行に移りますので、何分御連絡をお待ち申上げます。  以上であります。この書面の点から見ますると、先程土田証人の申されました点並びに岡崎証人の申されました点と非常なる食い違いがあるのであります。そこで私土田証人にお尋ねいたしたいと思いますことは、先程証人は、この送金小切手問題に対しては、九月の七日に大まかな、引揚という問題に対する外務大臣からの訓令があつた、細かい処置はなかつたということと、それからもう一つは、十二月の末に詳しい処置の方法の訓令があつたと、これにははつきり難民救済のことが書いてあつたということであります。すでにこの調整金を要しました送金小切手の、内地の生活費、或いは更に敗戰直後におきまして、或いは敗戰しない寸前におきましての困難な状態、そうした点を非常に願慮して内地におきましての更生資金、生活資金、そういうもので当時三万もあれば一ケ年ぐらいはやつて行けるのじやなかろうかというようなこと、或いはインフレ等のこと、これはいずれも私共当時上海におりましてそうした点は了承いたすのではありまするが、ただこの十倍の調整料なり、或いはそれ以上七十倍の調整料なりというような問題が、敗戰直前に中央からの訓令があつて、そうして当時新聞にも発表して処置したのだということでありますが、この調整料というものは、如何なるものに当時外地において使われたかということ、この調整料の幾分かが在外公館の借入金として認め得るような使用の価値があつたかどうか、或いは使われたかどうかという点を一つ御証言頂きたいと思います。
  27. 土田豊

    証人(土田豊君) 只今淺岡委員のお読みになりましたお手紙の内容でございますが、送金小切手に合せて拂います調整料は括弧といたしまして難民救済資金と書いてございますね、その点は私はそうじやないと思います。調整料は当然難民救済乃至居留民の引揚或いは生活補助にするという趣旨ではないのでありまして、先程申上げましたように、或いは各地区の隣組か町内会でまとめて持つて来るかも知れませんが、銀行に納めまして、銀行が調整料を保管いたしまして、外資金庫に保管いたします。これだけの調整料があということを報告してあつたのであります。でございますから、初めから調整料は難民救済費に使うのだということは私共は聞いておりません。その救済の方は、只今淺岡委員がおつしやたように、九月七日に抽象的な訓令が来て、年末に具体的な訓令が参りまして別に借入金をいたしました。これによりまして華中地区の皆さんの滞在及び救済に充てました。送金小切手の調整料につきましては、それが直ちに難民救済費としてお納めになつたというものではないのであります。尚、この調整料が何に使われたかという点につきましては、私先程申上げましたように、華中におきましてはこの調整料は直接居留民の生活救済或いは引揚費には使つておらないように記憶いたします。
  28. 千田正

    ○千田正君 今の調整料は外資金庫に納入して、外資金庫においてそれは保管にしてある、そこで私の土田証人にお伺いしたいのは、九月以後の問題は、居留民からの借入金その他によつて救済に充てたというのでありまするが、然らば当時上海にありましたところの日本銀行その他から大使館、或いは領事館、そうした方面において借入を全然したことがなかつたかということを一応証言して頂きたいと思います。
  29. 土田豊

    証人(土田豊君) その点につきましては、先程岡崎証人からもお話がありましたように、銀行から借りまして、まあ極く僅かでありましたけれども、館員の給料に充てるもの、或いは大使館事務所として存置しておりました事務費に使いますために銀行から借りたものであります。それがこの調整料であるかどうかということは承知いたしておりません。
  30. 千田正

    ○千田正君 外資金庫の保管の責任者は、どこが保管の責任であつて、外資金庫の設立に対してはどうした訓令の下に行われておるかということを御証言願えますか。
  31. 土田豊

    証人(土田豊君) ちよつと失礼でございますが、もう一度……
  32. 千田正

    ○千田正君 調整料を納入して、預かつておるところの外資金庫の責任者は誰であるかという点、それはどういう訓令によつて外資金庫が作られておるかという点を御存じであれば御証言願いたいと思います。
  33. 土田豊

    証人(土田豊君) その点は終戰直前に受けました政府の通牒の中に、調整料は外資金庫に報告をせよという項目があつたように記憶するのですが、外資金庫というのは、これは東京にあたのでございまして、大蔵省の中にありましたのか私ちよつとはつきりいたしませんが、日本政府の中の機関であります。
  34. 千田正

    ○千田正君 岡崎証人に、今の外資金庫の調整料、その他外資金庫において通牒を受けておれば、そのまま預かつておるというような、そうしたいきさつの点について御存じでありますれば御証言願いたいと思います。
  35. 岡崎嘉平太

    証人(岡崎嘉平太君) 私も的確に詳しいことは存じませんが、外資金庫は確かに東京にあります。大蔵省の局長日本銀行、正金銀行あたりの重役が兼任して理事をやつておつたと思います。そうして輸出入の関係でできた債券とか、今言つた調整料というようなものを入れておきまして、予算が決まつておつても、華中の方面の物価が上りますので、予算面で拂つたのでは足りない分をその外資金庫の中から別に出して、加えて予算を円滑に実行して参りたい、こういう構想であつたのであります。当時あの急迫した場合、上海地区のいろいろな予算の執行にはむしろ上海で溜つた調整資金を、大使館の方で予算の実行をする場合に自由に、ということは言葉が過ぎますが、相当権限を持つて使わせて貰いたいという意見を出しましたが、全部東京から指図するから現地で使つちやならんということになつおりましので、あれはできましたのも六月か七月頃の極く急迫したときでありまして、実際問題として、外資金庫の金は我々が直接使つたことはないのであります。ただこういことは御参考になるかと思うのでありますが、上海大使館の館員の給料も非常に低いことになりまして、何とかして予算を増額して貰わなければならんということを、当時官房長が盛んに中央に打電したり、上京して来ましたときに、外資金庫ができて、その資金ができればその中から今一般軍事費と同じように出せるだろうということを聞いて帰つたのでありまして、六月の終りか七月のように思います。そのとき官房長は上京したのではなくて電報を打つたのかも知れませんが、そういうことがあつたので、或いは官房長と大東亜本省との打合せで便宜的な措置、即ち臨時にその金を借りるというようなことが或いはあつたかも知れません。そういう話は確かに、その外資金庫の中のお金で調整して貰わなければとても館員の生活ができないような状態になつておりました。ですからそういうことがあつたかも知れませんが、的確には私は存じません。先程もちよつと触れましたが、終戰後にやはり館員の生活が苦しいので、年末に来た訓令によつて居留民から金を借りまして大使館の事務費並びに館員の生活に充てようという議がありましたときに、それはやらん方がいいと言つたのが私であつたので、その点は的確に存じております。それは私の考え方では、そうしないで皆苦しみに耐えて自分の物はどうせ持つて帰れないのだから、売つて生活する。役所としてはみんなに平等に金を分けたらいいというのでありましたので、当時の官房長は、それでは足らない分は私が何とか弁償しますと言つて、これは銀行から借りたのだろうと思いますが、銀行から借りますと、調整資金から借りるということは問題になるまいと思います。銀行がどういう金を引当てに貸したがは我々の方では分りません。
  36. 千田正

    ○千田正君 そこで外資金庫の金を使つたか使わないかということは、只今の土田証人、岡崎証人証言によつて、大使館として田外資金庫の金を使つておらない、調整料は外資金庫に入つておるということでありますれば、外資金庫そのものを設定した組織、その他は大蔵省或いは日銀或いは正金銀行、こうした理事当局によつて作られた金庫であるとするならば、飽くまでもこれは国家の指令の下において使われた金であるということは、我々は是認できると思いますが、この点におきましては岡崎証人はどう思われますか。
  37. 岡崎嘉平太

    証人(岡崎嘉平太君) 使途は、難民救済であつたという問題は別としますれば、千田さんのおつしやる通りであります。これももう一つ附け加えさして頂きたいと思いますが、証言の範囲外のことでありますが、よろしゆうございますか。
  38. 天田勝正

    理事(天田勝正君) どうぞ。
  39. 岡崎嘉平太

    証人(岡崎嘉平太君) 実は私も三万円を持つておつた一人であります。実はそれを頂きたいからという意味ではないのでありますが、当時の終戰の時の状況から考えまして、三万円なり幾らかの送金をこの際さした方がいいということを、まだ東京から指令が来ない前に、主張したのも私であります。大使館の内部で、日本のインフレという問題で送らせないということを言つておりました時に、これはどうしても送金を許さなければいけないということを、大議論をして主張したのも私でありました。その主張の半ばに、東京から三万円送金させろという電報が着いて、その議論は私の勝になつたわけであります。それはそういう議論の問題じやなくて、当時の上海において終戰を最もよく処理し、そうしてあすこは御承知のように三代も骨を埋めておる墓を持つている人が沢山あつたのであります。内地に何らの根拠もない人でありますから、この際何がしかの送金をさして置かなければ、日本に帰つて、日本の負担になる。又人心が不安になればそれだけ終戰もうまく行かないという見地から、私は主張しておつたのでありますが、内地から送金させろと言つて来ましたのは、又別の意味であつたろうかと思います。私はその使われた問題、その調整料がどういう所に使われたというよりも、その金を送らした趣旨が、内地で拂つてやるべき金であると確信しております。従つてお断り申上げましたように、証言の範囲外ではありますけれども、この当時の事情をお酌み取りになりまして、この三万円小切手の御処置をお考え下さるのが最も御親切なおやり方じやないかと考えます。当時七十万円送金というのもありましたが、それをやつた人は殆んど数える程でありまして問題ないと思いますが、三万円送金というのは、全居留民がやつておりました。而も私の記憶では、華中地区だけではなしに他の所もやつておるように聞いております。この点は何も華中地区に限つたというのではないと記憶しております。のど元過ぎればということがあるかも知れませんが、当時の事情から申しますと、どうしてもこれは内地に帰つて拂つてやる意思が政府にもあり、又政府が指図してやつたことであります。政府の指図がなかつたら、こういう送金はなかつたのであります。普通の銀行送金とは趣きが非常に違つております。それなるが故に国会でもお取り上げになると思いますが、私の知つている問題だけで解決する問題じやないと確信しております。私が持つておるということを申上げますのは、どうも都合が惡いのですが、これは私の分だけ採上げるのではなくて……。そういう事情にあつたこと、而も十三日でしたか十四日でしたか、非常に苦心してこの問題を二日ぐらい大激論をやつたものであります。皆さんの御参考までに申上げて置きます。
  40. 天田勝正

    理事(天田勝正君) この際各委員に申上げて置きますが、矢野征記証人は幾分気分がよくなられたという話で、こちらから自動車を差向けましたから、やがておいでになると思います。御報告申上げます。  淺岡信夫君 只今岡崎証人証言を聞きまして、私共当時を追想いたして、少しはつきりして来たのでありますが、実は私もここにお見せしますが、三万円送金小切手のこれは現品であります。華中方面におきましては、日本人が二代三代に亘つて平和な業務にいそしんでおつたところが、太平洋戰争の殆んどこの終末に近づいたというようなことから、その直前に中央から送金というものに対しての指令が来た。又現地におきましては、非常に当時理解のあつた方々が、内地に帰つた場合に、更生資金とか或いは生活資金とか、或いは内地での厄介を幾分でも少くするとか、或いは困難を防ぐというような非常な親心から、こういたものが処理されたと思うのでありますが、ここで岡崎証人にお尋ね申上げたいと思いますることは、中央からそうした送金をしてよいという訓令が来たということはいつでございましようか。その日時、それから中央におきましての責任者は外務大臣でありますが、そうしたものを起草された人とか、そういうような方を若し御存じでありましたならば、名前をお漏らし頂きたいと思います。勿論矢野元上海総領事、内地の引揚邦人部長をされておりました矢野証人が見えられればはつきりますと思いますが、若し岡崎証人においてその二点がお分りでありましたならば、御証言願いたいと思います。
  41. 岡崎嘉平太

    証人(岡崎嘉平太君) その送金をしてよろしいという訓令は大東亜大臣の名前で出すので、内容は内地でどういような取決めがあつたか分りませんが、とにかくこういう問題は必ず大蔵省と打合せがある筈ですから、我々は大蔵省との打合せを経て大東亜大臣の訓令となつて来たものと思つています。従つてその内容については一切分りません。日時は八月十五日以前であつたことは間違いありません。はつきり記憶しておりませんが十三、四日辺だと思います。非常に差迫つておつたことでありますから……
  42. 天田勝正

    理事(天田勝正君) 委員長から岡崎証人にお伺いして置きますが、その三万円送金の指令というのは、各東亜地域にそれぞれ発せられた訓令でございましようか。この点は勿論終戰時でありますから、或いはお分りにならないかも知れませんけれども、お帰りになつて、外務省の各出先機関の人がたと、それらについていろいろお話になつておるだろうと思いますので、お知りでしたら一つ御証言願いたいと思います。
  43. 岡崎嘉平太

    証人(岡崎嘉平太君) 私は他の地区にも行つたろうという想像だけでありまして、当時の文書が、華中地区に限つてというようなことになつておりませんように記憶いたしますので、他にも行つたろうと思つております。それからこの問題は、帰つて来ましたら、小切手の支拂が、九月二十三日ですか、二十三日以前に内地に到着しておつたものは拂つていたが、それ以外のものは拂つてはならないというGHQの指令が出しまて、拂われていないわけであります。仮にこの人たちが何らかのことによつて九月の命るにでもこの小切手日本に送つておれば、日本で受取れた筈なのであります。そんなことで、帰つてから外務省でいろいろ打合せますときにも、この問題について触れたことはありませんので、他の地区の方についてちよつとお尋ねになれば直ぐ分ることと思いますが、私は他の地区にも小切手があつたかということを内地において確かめたことはございません。
  44. 北條秀一

    ○北條秀一君 議事進行について……只今二人の証人に対して淺岡、千田両委員から質問があつたのでありますが、委員長として本日の委員会の運営については、各委員がそれぞれその自己の見解に立つて証人証言を求めるようにというお話でありましたが、淺岡、千田両委員の質問が終つたということが宣告されませんので、私はそれを持つておるのでありますが、(淺岡信夫君「いやいやまだ終らない」と述ぶ)私はその終つた後で、一時間乃至二時間、詳細に証人証言を求めたいと思いますから、その時間を與えて頂きたいと思います。
  45. 千田正

    ○千田正君 土田証人にお伺いしますが、先程岡崎証人にお伺いしたのと同じことで、一応確かめて置きたいと思います。  それはお二人の御証言によつて、外資金庫に入つたと称せられるところの三万円以下の送金小切手の調整料は、当時の出先機関であつたところでは、これらは名目的にも形式的にもそういう方からは借入れていないという御証言であつたのでありますが、そこで先程岡崎証人の御証言によりますというと、この外資金庫は東京におかれまして、大蔵省或いは日銀或いは正金その他の金融当局の下に作られたところの外資金庫である。これにとにかく当時の華中地区における人たちが調整料として納めた金は、こつちに現金が入る入らないに拘わらず、入つたことになつておるとするならば、これは政府の指示によつてできた金庫であるから、当然この問題に対しては当時の政府、現在引続いておるところの政府が、この問題について国民に対して責任を負うべきだと我々は考えるのであります。この点はどういうふうにお考えになつておりますか、土田証人からも一応御証言をして頂きたいと思います。
  46. 土田豊

    証人(土田豊君) 調整料は、私共両人とも申上げましたように、現地の銀行に納めまして、それを外資金庫に、これこれの金が入つたということを通知する仕組になつておつたのであります。それを当時外資金庫がどういうふうに指図をいたしまして使いましたかは、はつきりしておりません。調整料ですから、若し私の意見をお聽きになりますというならば、皆様のお金を拜借したというのではなくて、やはり調整料という形で外資金庫の国庫收入になるのじやないかと考えるのであります。はつきりいたしませんが、私は一応そういうふうに考えます。
  47. 天田勝正

    理事(天田勝正君) ちよつと皆さんにお諮りいたしますが、矢野証人が出席されまするまで暫時休憩いたすことにして御異議ありませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  48. 天田勝正

    理事(天田勝正君) それでも休憩いたします。    午前十一時五十二分休憩    ―――――・―――――    午後一時二十七分開会
  49. 天田勝正

    理事(天田勝正君) 休憩前に引続き会議を開きます。先程申上げましたように矢野証人がおいで下さいましたので、早速矢野証人の宣誓を求めます。総員起立を願います。    〔総員起立、証人は次のように宣誓を行なつた〕    宣誓書  良心に従つて真実を述べ、何事もかくさず、又何事もつけ加えないことを誓います。         証人 矢野 征記
  50. 天田勝正

    理事(天田勝正君) 先程も他の証人の方には申上げて置きましたが、矢野証人に一言御注意申上げて置きます。皆さんの証言に対しまして宣誓されました通り、事実をそのまま述べて頂きたいのであります。尚「議院における証人の宣誓及び証言等に関する法律」第六條によりまして、宣誓した証人が虚僞の陳述をしたときは、三月以上十年以下の懲役に処するということに相成つております。この点十分御注意願いたいと思います。併しながら、民事訴訟法第二百八十條竝びに刑事訴訟法第百八十六條に該当する場合は、証言を拒否することができることになつております。この点も併せて御注意申上げて置きます。尚只今申上げました民事訴訟法二百八十條、刑事訴訟法第百八十六條は、内容はそれぞれ同様でございますが、この際民事訴訟法二百八十條を朗読申上げます。   證言カ證人又ハ左ニ掲クル者ノ刑事上ノ訴追又ハ處罰ヲ招ク虞アル事項ニ關スルトキハ證人ハ證言ヲ拒ムコトヲ得證言カ此等ノ者ノ恥辱ニ歸スヘキ事項ニ關スルトキ亦同シ  一 證人ノ配偶者、四親等内の血族若ハ三親等内ノ姻族又は證人ト此等ノ親族關係アリタル者  二 證人ノ後見人又ハ證人ノ後見ヲ受クル者  以上の場合は、証言を拒否して差支ございません。  では、先程の懇談会の趣旨に基きまして、先ず私から補足的の証言を求めることにいたしたいと存じます。この際、委員各位にも、証人各位にも、時間の都合もございまするので、そのお述べになる点は、要旨を簡潔にお述べ願いたいことを要請申上げて置きます。(「賛成」と呼ぶ者あり)  先ず委員長から、土田証人にお伺いいたしますが、先程の御証言によりまして、一般の借入金については、その詳細な調令が十二月末に内地から到着して、二月初めからその借入を行なつたと、こういう御証言でございましたが、然らば上海地区におきましては、その前においては救済に当てる資金とか、そういうものの調達の必要は全くなかつたのか。或いは在外公館におられましたあなた方の生活にいたしましても、内地からの送金は全然跡絶えておつたのでありまするけれども、それらの処置をどのようにされておられましたか、この点についての御証言を願います。
  51. 土田豊

    証人(土田豊君) 先程も申上げましたように、二月に借入金をいたしますことを実施いたしましたのでありまして、その以前には正月に入りまして、漸く自治会として経費の不足を感じて参りましたのでありまして、昭和二十年中におきましては、まだ大口な資金を居留民からお借りする必要を感じなかつたのであります。第一にこれは、船が参りまして一番初めに帰られました方々も、確か十二月だつたと思います。従いまして、それまでは居留民の皆様がそれぞれ生活を営んでおられまして、直接直ぐに救済を要するような件が発生しておりませんでしたからでございます。
  52. 天田勝正

    理事(天田勝正君) これらにつきまして、各委員からの……
  53. 淺岡信夫

    ○淺岡信夫君 今の点につきましてお尋ね申上げますが、今土田証人は、第一船が十二月に出るまでは不足を感じなかつたということでございまするが、そうしますと、当時あなたの所管されておりまする館員の方々、そうした方々の月々の費用がどの程度かかつておつたか、或いは敗戰時どのくらいの手持金が所管内にあつたか、その二点を一つ御証言頂きたいと思います。
  54. 土田豊

    証人(土田豊君) 大使館関係の人件費、事務費につきましての金額は、私記憶ございません。只今の御質問につきましては当時大使館の官房長をしておりました佐藤新太郎君が具体的に承知しておると存じます。
  55. 淺岡信夫

    ○淺岡信夫君 そうしますと、佐藤新太郎さんに聞けば大分分るのではないかと思いまするが、更にもう一点お尋ねいたしたいと思いますことは、相当数の人が上海には奧地からどんどんと九月の末、十月、十一月と見えたのでございますが、これは当時日僑管理処並びに日本人側の自治会ができまして、そうしてあちらこちらの学校なり、そうした方面に收容されておつたのでありまするが、そうした点に対しましての費用なんというものは、日僑、自治会自体で見ておつたのでしようか、見ておらなかつたのでしようか。丁度当時あなたがその会長をなさつておられたのでありますから、お尋ねしたいと思います。
  56. 土田豊

    証人(土田豊君) お説の通り、上流から何回にも亘りまして引揚げておいでになつたのでありますが、学校とか、或いはその他の工場とか、そういつたものを見付けまして、そこに暫く船待ちをして頂いたのであります。その間上流の上からそれぞれお持ちになつたお金のありますところでは、取敢えず自弁を願つたこともありますし、足りないときには、上海の自治会におきましてこれを支弁して参つたと記憶しております。
  57. 淺岡信夫

    ○淺岡信夫君 簡單な事項が七つ八つあるのでございますが、誠に簡單でございまするから、一つずつ申上げます。
  58. 天田勝正

    理事(天田勝正君) 一問一答の形でやつて下さい。
  59. 淺岡信夫

    ○淺岡信夫君 最初に土田証人にお尋ねいたしたいと思いますが、或いは土田証人が御関係ない点もあるかも知れないと思いますけれども、送金の際、大使館の代行者である銀行に提供した十倍又は七十倍の金額を、調整料というか、領收書には何らの名目も記入していないのであります。そうした理由は、如何なるものでしようか。
  60. 土田豊

    証人(土田豊君) 甚だ細かい点で、私実は存じませんでございます。
  61. 淺岡信夫

    ○淺岡信夫君 それでは更に第二点をお尋ねいたしまするが、終戰後は日本公館の機能は停止せられておつた筈だと思うのであります。而も、無條件降伏の現状で、日本の法律で、母国のインフレ云々で、調整料を受ける権限があつただろうかどうだろうかという点を、岡崎証人にお尋ねいたしたいと思います。
  62. 岡崎嘉平太

    証人(岡崎嘉平太君) 調整料を受ける権限があつたかどうかは存じません。大使館の機能も一応停止せられておるのでありますが、その後の事務の処理は、御承知のように、当時中国側から命令されました、降参を受ける形式で、登部隊長を部長にした終戰善後連絡部ですか、その機構の中で動いたわけでありまして、大館館事務所長が大使館員の身分監督をする点で残つていたものであつて、終戰後大使館として働いたのじやないかと思います。
  63. 淺岡信夫

    ○淺岡信夫君 これは私も若干はつきりしないのでございますが、第三点は、終戰前より調整料を拂つて送金ができておつたと先程岡崎証人は言われておつたのですが、このようなことは、在留邦人が実際に終戰前になした数は極めて小量なものじやないかと思うのですが、又中には全然知らないという人もあるようでございますけれども、又十倍や七十倍の調整料を支拂つて送金したものは、終戰前にはないのじやないかと、こう思うのでございますけれども、その実際は如何なものであつたでありましようか。
  64. 岡崎嘉平太

    証人(岡崎嘉平太君) 七十倍送金といいますが、実は七十一倍送金ということに確か終戰の年の六月頃から中国から指令して来ました。それで今の十倍送金のときは……、七十一倍というのが七十倍に落して来たのです。これは計算の便宜上からだろうと思います。どちらも中国の指令であつて、そういうような調整料を納めれば送金を許す。こういう中国の指図であつて、現地の指図ではないと思います。
  65. 淺岡信夫

    ○淺岡信夫君 この調整料の問題を私論じているのではありませんがあとで根本的な問題をお尋ねいたしたいと思うのですけれども、それで今度は矢野証人にお尋ねいたしたいと思うのでございますが、終戰前に内地からそういうふうな訓令なり、指令が現地に向けて出されたという証言があるのでございますが、内地におられました当時外務省で在外邦人部長をされておりました矢野証人は、それに対してどういうふうな点を御存じでしたか。その点を御証言頂きたいと思います。
  66. 矢野征記

    証人(矢野征記君) それは私は終戰前においては、全く違つた職務をいたしておりましたので、何事もこれについては聞いたことも関與したこともございません。  それから私が在外邦人部長になりましたのは、丁度ここに外務省から借りて来た履歴書を読みますが、二十一年の二月一日付を以て私は管理局在外邦人部長を命ぜられました。その前は満洲を取扱つておる部を担当いたしておりました。実は御質問のありましたことについては、私は何にも関與はいたしておりませんし、又聞いたこともございません。あとでこれは外地から引揚げて来られた方々が、私の所に皆さん陳情に見えたときに、むしろ陳情される方に事実を承つたということはありますけれども、全然私は中央の官吏といたしましては関與いたしておりません。
  67. 淺岡信夫

    ○淺岡信夫君 土田証人にお尋ねいたしますが、先程の御証言で、大使館、或いは日僑自治会はその間半歳は賄つておられたということでございますけれども、その間銀行或いはその他からの金融、これはむしろ佐藤さんに聞けば分るのじやないかと思いまするが、一応責任者として殆んど借りる必要がなかつたと先程御証言にございましたが、実際に借りるだけの必要はなかつたのでしようか。もう一度御証言頂きたいと思います。
  68. 土田豊

    証人(土田豊君) 先程申上げましたのは自治会としてでございます。居留民の方の生活救済、引揚について金を調達する必要はなかつたのでございます。大使館の経費につきましてはそうではございませんでしたので、銀行の方と話があつたかと思います。その点は担当者がよく承知しております。
  69. 北條秀一

    ○北條秀一君 午前中から大分いろいろな点について質疑応答があり、証君がありましたので重複を避けますが、私はくどいようでありますが、重複を飽くまで避けて参りますが、以下数点について証言を求めたいと思います。  第一土田さんにお尋ねしたいのですが、総領事は根本は在留邦人の生命財産を保護するという任務がその重要な部分であつたと思いますが、これについてどういうふうにお考えになつておりますか。
  70. 土田豊

    証人(土田豊君) 総領事ですか。
  71. 北條秀一

    ○北條秀一君 そうです。
  72. 土田豊

    証人(土田豊君) 総領事の役目で重要なのは、只今の居留民行政でございますが、居留民救済方面の任務が最も重大なことだと思います。
  73. 北條秀一

    ○北條秀一君 引続きまして土田さんにお伺いしたいが、土田証人は上海からいつ日本に引揚げられたのでありましようか。
  74. 土田豊

    証人(土田豊君) 私は昭和二十二年三月八日に佐世保に著きました。
  75. 北條秀一

    ○北條秀一君 それではその間引続き上海において、あなたが担当されておりました仕事の概略を簡單に述べて頂きたいと思います。
  76. 土田豊

    証人(土田豊君) 終戰になりますまで、上海事務所長をしておりまして、引続いて終戰後も大使館のまあ統轄という地位に就いておりましたので、二十年の九月確か二日だつたと思いますが、先程申上げましたように、今の中国側の湯恩伯上将からの命令を受けまして、日僑自治会というものを組織せようということになりましたので、それ以来日僑自治会というものの会長をいたしたおります。そうして居留民の、華中地区の情勢を聞きまして華中地区の居留民の方々の引揚げをされるにつきまして、上海で船待ちをされるお世話をしておつたのであります。昭和二十一年の四月二十三日突然淞滬警備司令部というのがございますが、淞滬警備司令部から急に逮捕されまして、警備司令部の獄舍に繋がれまして四十日を経過いたしました。捕まりましたときは勿論自治会長現職のままでございます。そうして六月一日に戰犯拘置所に移されまして爾来二十二年の三月三日まで、その戰犯拘置所に日本の各戰犯容疑者と共に拘置されたのであります。そうして三月三日に不起訴のまま釈放されまして、折から入つておりました引揚船に乘りまして、三月の六日に乘つたと思います。そうして佐世保に八日に著きました。
  77. 北條秀一

    ○北條秀一君 そこで湯恩伯上将から日僑自治会の会長の命令を受けられたのでありますが、湯恩伯上将から日僑自治会をどういう目的の下に、どういう仕事をやるためにこれを作れと言われたのか、その点について明らかにして頂きたいと思います。
  78. 土田豊

    証人(土田豊君) 書いた命令がございますのでありますが、丁度只今記憶を全部いたしておりませんが、趣旨は先程同崎証人から申上げましたように、降伏全般の日本側上海地区の代表者は登部隊長であつたのであります。陸軍であります。居留民につきましても、一応中国といたしましては、松井中将に全責任を負わしたわけであります。但し、松井中将以下港湾地区と申しまして、上海の街の外に駐屯しておりましたので、居留民の責任を負いましても、自分で始終見るわけに行かなかつたのであります。それで松井中将からの多分進言があつたのだと思いますが、湯恩伯から私の名前を指しまして、土田某は日僑自治会組織すべし。そして日僑の帰国までの生活上の保護、それから帰国事務というものを執行すべし、もう一つは何か随時管理状況を報告すべしといつたような、書いた命令を頂いたのであります。
  79. 北條秀一

    ○北條秀一君 関連いたしまして、日僑自治会が九月二日の命令を受けてすぐ発足したわけでありますが、この日僑自治会はあなたが逮捕されるまでに活動された、その活動の状況、どういう仕事をされたか。その活動をするために当然に必要とする経費があつたと思いますが。その経費はどうしたのかというこの二つの点と、あなたが逮捕された後、一体日僑自治会というものはどなたがおやりになつたのか、又その後任者は、あなたと違つたやり方で日僑自治会というものを運営されたのか、この点についてあなたは逮捕されておりましたので当時はお分りにならなかつたと思いますが、出られてこれはお分りになつたと思います。そのお分りのところを……
  80. 土田豊

    証人(土田豊君) 日僑治自会の仕事と申しますのは、只今湯恩伯上将から受けたと申上げました内容でございまして、それを要しまするに、上海地区及び上海に乘船地を求めて、上流から帰つて来られる日僑の方々を、中国側の指定いたしました住居地に集結いたしまして、四区に分けたと記憶しておりますが、各区長を公選いたしまして、そこで船待ちをしている間、お互いに助け合いまして生活を営み、尚上流から帰つて来る方々は大体団体で帰つて来られましたので、その都度学校の設備とか或いは町の工場あたりを物色して、そこに集団生活をして船待ちをする。尚、日僑が船待ちしております間にいろいろな事件が起りますので、これは日僑管理処と申します……湯恩伯上将の部下が日僑管理処という役所を作つて呉れたので、この管理処の直接の監督を受けまして、日僑自治会におきまして、居留民の皆樣の生活を維持できるように万般お世話をして参つた。この仕事といたしますれば、その中いろいろ、日本人は大した迫害もありませんでしたが、時としては日僑の財産を奪うような中国人もありましたし、又兵隊や役人がかさにきまして、邦人を虐待するとか、いろいろな事件が起きましたのを、私の方で問題を提示して頂きまして、これを日僑管理処に行つて始末を付けるといつたような仕事でございまして、全般的に船待ちをしておられる居留民の方々の生活の保持とか、それから今度はどの区のどういう者を船にお乘せするという順番や日時を決めて、トラツクにその荷物を乘せて検査をする。そうして船にお乘せしてお帰しする。そういつた万般の事務といたしておりました。  次に費用の点でございますが、先程淺岡委員の御質問に対してお答えいたしましたように、初めのうちは大体居留民の皆さんで以て自活をしておられたようであります。と申しますのは、中国側からはつきりと方針を示されまして、帰国するにしても十五キロだつたかと思いますが、それ以上の荷物は許さないというのでありまして、これは蒲団を入れて呉れとか、いろいろな細目がございましたが、いろいろな注文をいたしまして、やつと或る程度は増して貰いましたけれども、要するに三代も四代も上海に暮した方であつても、或い田二、三日旅行で行かれた方であつても、差別なく一定の数量以外は持つて帰つちやいかんということでございました。かような嚴重な申渡しを受けましたので、皆さんとしてはどうせ帰るまでに帰つている財産でも売り盡さなければ、持つて帰れない。或いは預けて帰るということもできますけれども、預けるにしても又信用ある中国人というものはないかも知れません。そこで大部分の方は持つておられるお金を使い、又中には後で申します借入金にお当てになつた方もありますし、物品などはどうせ身軽になるんだというのでお売りになつた。そういうので初めのうちは自治会は余り大きな費用は要らなかつたのであります。併し上流から段々お引揚になつたりいたしまして、引揚事態が進んで参りますと、やはり費用が要つて参りましたので、そこで正月頃にこれではとてもいけないということになりましたときに、年末に具体的な訓令が参つたことを思い出しまして、そこで二月に入りましてから居留民の方々に趣旨を御説明いたしまして、いずれ政府が決める比率においてお返しするという條件で資金をお借りして、これを引揚用の費用なり、生活保持の費用に当てて参りました。でございますから、二月までは必要なかつたということを申上げましたけれども、それまでに或いは借りまして、それを後に借入金を入手いたしましてから、そつちに振り当てたということは細部にはあると思いますけれども、要するに借入金を始めましたのは二月であつたと思います。  もう一つの何でございますが、私が逮捕されまして以来、やはり依然として私の名前を使つておられたようであります。それで副会長に岡本乙一さんという、古い弁護士の方でございますが、上海に長くおられた方が副会長になられたのであります。その岡本さんに私の代理で万般の事務を進めて頂いたと思います。方針その他はもう、私が捕まりましたのは四月の二十三日でございますので、最後の引揚が、最後と申しますか、一応の居留民引揚の終止符を打ちましたのが確か六月か七月頃であつたと思います。でありますから、仕事につきましては何ら方針の変更もなく、そのまま進んだように後で聞きましまた。
  81. 北條秀一

    ○北條秀一君 日僑自治会の経費は若干必要であつたということは今のお話で分りましたが、その際どなたが一体会計というものをやつておられたのか。又その会計の的後の元締については土田さんは全然関知されていないのでしようか。
  82. 土田豊

    証人(土田豊君) 仰せの通り私獄中におりましたので、出て参りましたときにはもう殆ど、はつきりお残りになると決まつた人だけが残つておりまして、全部引揚完了の形になつておりました。従つて私帰りましてから、無論これは私のいない間にお世話願いました方々にお目に掛つてお話を承つております。その方の借入金の問題、経費の問題につきましては、書記長を最後にしておられた青木又雄さんという方があります。この青木さんが書記長として自治会としては万事処理をして頂いたのであります。尚借入金といたしましては先程申上げましたように総領事権限でありますので、名前は豊田総領事でありましたけれども、実際上これを救済及び引揚に使いましたのは自治会でありまして、総領事からそのお金を借り受けたと思いますか、讓り受けまして、自治会でこれを使つたという形式になつておりました。従いましてこの間の橋渡しをいたしましたのは、やはり先刻申上げました大使館の官房長をいたしておりました佐藤新太郎君がその間のお話をよく知つておられまして、青木書記長と共に借入金の方の世話をしておりました。
  83. 北條秀一

    ○北條秀一君 只今のお話では上流から上海に避難して来た数が相当の数のようでありますが、それらの人達もいろいろな物を持つたり、現金を持つておつて、比較的船待ちの間は持物で生活をした。そういう状態であるということは了解いたしましたが、先程岡崎さんが二十年の六月から公使館員も、又総領事館員も段々と窮迫状態に追込まれて来たというふうなお話であつたのでありますが、この終戰前後に單に公館だけでなしに一般居留民の経済状態も相当窮迫しておつたのじやないかと私は思うのであります。上海におつた在留邦人が窮迫するくらいでありますから、奥地から難行苦行をして上海に避難して来た諸君は、たとえ数日の滯在でありましても相当私は窮迫しておつたのじやないかと思うのですが、今の土田さんのお話ですと、まあ見て放つて置けんという状態ではなかつたというようなお話でありましたが、この点について岡崎さんの見られた点について、岡崎さんのお考えを述べて頂きたいと思います。
  84. 岡崎嘉平太

    証人(岡崎嘉平太君) 大使館員が窮迫しているというのは御承知のような月給で、而も他に全然收入がありませんので、終戰間近に非常に窮迫した。それによるのでありまして、一般居留民は必ずしもそうじやなくて、むしろインフレの利得を得ておつたような状態にあつたのであります。奧地から引上げて来るようになつてから困つておることは、これは相当事実でありまして、而も奧地から出て来られた者も若干物を持つて来られても、途中で取られるような状態で、上海に着いたら何にもないといつたような状態で、それが大体奧地から上海に出て来ている。それを全面的に救済しなければならんというようなのが先程土田証人の言われた一月、二月の状況になつたわけであります。戰争が終る頃までは特殊な者を除けば、居留民の諸君の方は、そう経済的に困るというようなことはなかつたように思います。特殊な者は別であります。
  85. 北條秀一

    ○北條秀一君 それではちよつと質問が逆戻りしますが、土田さんが先程言われました自治会が金を借りたのは豊田総領事の名前において一般邦人から借りて、その借りたものを自治会が借りたのでありますが、それから豊田総領事の借入金をしたときの内容ですね、どういう名目で、どういう條件で借りたか、これをお分りになつたら聞かして頂きたいと思います。
  86. 土田豊

    証人(土田豊君) この総領事責任においてと申しますのは、当時の吉田外相の訓令の中に入つておりまして、総領事責任において借入れろというのであります。その訓令と申しますのは二十年の暮であります。参りました内容に従いまして、総領事の名において居留民の方々から拜借したのであります。お借りしたという証書をお渡ししてある筈であります。又こちらにも記帳したものを領事館として持つておる筈であります。
  87. 北條秀一

    ○北條秀一君 それを持つて来られましたか。
  88. 土田豊

    証人(土田豊君) はあ、持つて来ております。
  89. 北條秀一

    ○北條秀一君 それでは次に進みますが、外資金庫はいつまで営業したのか、それについてお分りのところを一つおつしやつて頂きたい。
  90. 土田豊

    証人(土田豊君) 外資金庫がいつまでありましたか、私存じません。
  91. 北條秀一

    ○北條秀一君 岡崎さんは。
  92. 岡崎嘉平太

    証人(岡崎嘉平太君) 私は存じません。内地の方ですから……
  93. 北條秀一

    ○北條秀一君 それでは終戰後外資金庫が若干、期日は分らなくても、とにかく終戰後営業しておつたということは事実なんでしようか。
  94. 土田豊

    証人(土田豊君) どうもその点私帰つて参りますまでに、大分日がかかつておりますので、終戰直後にあつたかどうか存じません。
  95. 北條秀一

    ○北條秀一君 土田証人に伺いますが、土田さんが現地におられて外務省の訓令を受取つて、これは九月七日に受取つた。十二月になつて又更に受取つた。その十二月の訓令で以て初めて金は貴方で、現地で借りるのだということを承知したのでと、こういうお話でありましたが、九月七日の訓令は在外邦人引揚経費に関する件と、はつきりとこれは訓令に明示されてあつたと私は思つておる。又その点は土田さんが日本にお帰りになりまして、外務省に当然報告に行かれたと思いますが、その際にその点を重ねて確認されておつたのではないかと考えるのでありますが、今のお話でありますと、九月七日の訓令は在外邦人の引揚の経費に関する訓令でなかつた。そういう訓令でなしに一般的な訓令、即ち在外邦人を一般的に保護しろとか、或いは面倒を見ろと、こういうような訓令であつたということでありましたが、私は今申しましたように、はきつりとその内容はそうであつたというふうに確認をしておりますが、この点について土田さんの見解と多少違うのでありますけれども、あなたは外務省に帰つて来られてから、この九月七日の訓令を見られたことがありましようかどうか。
  96. 土田豊

    証人(土田豊君) その訓令は帰りましてから報告いたしました。事務的のことで妙でございますが、電報には件名というものは書きません。後で、そのときの都合で附けたものがありましたのです。私の記憶では書出しに居留民の措置について万全を期すべしということが書いてありまして、それについてはいろいろ金が要るだろうから、現地においていろいろ方法を講じて処分せよ。但し使つたものはその金額、それからどこから借りたとか、そういつた資料を全部整えて置けと、こういうものであつたと思います。
  97. 北條秀一

    ○北條秀一君 それでは邦人の引揚命令が、先程の御証言によつて連合国司令部から出たということを言われたのでありますが、同時に又国民政府からもこの指令が出たと思いますが、その連合国司令部から出た引揚の命令及び国民政府から出た引揚の命令について、記憶されておりましたならばその年月日と、その内容、これについて先ずお話を願いたいと思います。
  98. 土田豊

    証人(土田豊君) 連合国司令部からは直接引揚命令を受けたことはございません。上海地区におきましては、先程申上げました中国側から、これは書面でよこしましたか、或いはさつき申しました管理処の口頭命令であつたか、ちよつと記憶いたしませんが、とにかく全部日本人は帰るのでということを、数次口頭で聞いた記憶があります。時いたものもあつたと思いますのでございますが、はつきり記憶しておりません。
  99. 北條秀一

    ○北條秀一君 その際に冒頭は私がお伺いいたしました在留邦人の生命財産を保護するという任務を、在外公館は持つておるわけでありますが、この引揚邦人の財産、即ちその動産、不動産の処分について民国政府側から何らかの指令があつたと思います。先程お話の中に持帰る荷物は十五キロに限るという指令があつたという御証言でありましたが、もう少しその内容を詳細に証言して頂きたいと思います。
  100. 土田豊

    証人(土田豊君) 在外邦人の持つております動産、不動産全部、建前といたしましては在外資産として一括して連合国が、これを取上げるのだという方針を示されたのであります。但し全部取上げてしまいますというと、即ちそれは引揚の費用が出ません関係がありますので、持つておりますお金でありますとか、物を全部取上げるということはいたしません。建前としては連合国が在外邦人の資産は全部取上げる建前なんだということを申しましたが、実際上帰りますまでに、その間生活に窮するようなことはありませんでした。
  101. 北條秀一

    ○北條秀一君 その命令は口頭でされたのですか。それとも文書でそういう命令が出たのか、その点をはつきりして頂きたい。特にそれをお聞きしますのは、朝鮮でも、満洲でも、いずれも進駐軍は布告を出しまして、日本人の生活財産を保護せようとい書面での布告を全地域に出されておるのでありまするが、上海の場合は、恐らくそういうことが当時の国民政府の態度から言いましても、私はあつたと想像するのでありますが、具体的に事実を知りませんので、その点を御証言頂きたい。
  102. 土田豊

    証人(土田豊君) その点につきましては、確かに他地区と同じように、在留邦人の生命財産の保護ということは、街の辻々に貼り出されておりました。
  103. 北條秀一

    ○北條秀一君 日僑自治会と邦人の引揚との関係でありますが、日本から船が現地に参りまして、そしてそれが日僑自治会に直ぐ連絡されて、そして次から次と邦人が引揚げたと思いますが、その際に引揚の一切のことは日僑自治会がしたということであります。が、この際問題になりますのは、誰が一体十五キロ以上の荷物はいけないといつて制限を加えたのか。実際その制限を実行したのは一体中国側がやつたのか、日僑自治会自治会責任において、そういう引揚の船割り、或いは荷物の制限の指示、こういうふうなことをやつたのか、どつちがやつたのか、その点を一つお聞きしたい。
  104. 土田豊

    証人(土田豊君) 船割りにつきましては、日僑管理処から日僑自治会の方に船割りをそれぞれ出すたびごとに決めろという委任を受けておりましたので、自治会の方で相談しまして漸次乘せていました。荷物の制限は純然たる中国側の制限でありまして、従いまして自治会といたしましては、こういう制限中国側から出たということを承知して頂きまして、検査を受けるのでありますが、その検査も、乘船地区に程近く上海の市政府の建物がありますが、その広場に荷物を持つて参りまして、そこに荷物を展開して、先方の税関とか、いろいろなものがございましたが、勿論日僑管理処もありましたし、税関官吏、それから船舶の方をやつておりました中国の関係者もあります。そういつた各方面の係官がそこにそのたびごとに参りまして、一々検査をいたしました。そこで多いものは中には現場で以て拔かれたものもありますし、いろいろなそういう相当嚴しい検査を受けまして、そのたびごとに船に乘つて帰つて来たのでございます。
  105. 北條秀一

    ○北條秀一君 それでは土田さんは自治会長として、日本人の引揚までいろいろお世話なさつたのでありますが、日本にお帰りになりましてから、これを反省されまして、こういうことを申上げて甚だ恐縮でありますが、自治会長として、又在外公館の館員として、政府の訓令にある通り、万全を盡したというふうにお考えになつておりましようか。或いは多少遺憾があつた、こういうものはこうすればよかつたというふうな、そういう遺憾と考える点がありましたならば、その点についてお聞きしたいと思うのですが……
  106. 土田豊

    証人(土田豊君) 訓令は、いろいろな訓令を受けておりますが、その訓令に沿つて処置をいたすことに努力して参つたのであります。具体的に申しまして、只今反省をし前、もう少し何とかできればよかつたという点は細かいことで幾らでもございます。例えば荷物をもう少し寛大にして乘せて貰いたかつたという点もございます。又中国側の何と申しますか、軍紀とか、官紀をもう少し引締めて貰いまして、せめて日本人が帰つて参りますのを待つておる間、実際起りましたようないろいろな迫害事件などが、もつと少なくて済んだらよかつた。それに対しまして私といたしましてもつと手が打てて、結果が挙つて来るようなことになればよかつたというようなことは感じております。ただ後でいろいろ帰りましてから他方面のお話を伺いましたが、大体におきまして中支地区におきまする船待ちの間、或いは船に乘つておる間の日本人に対する処遇は外の地区よりはよろしかつたように聞いております。その点は反省をいたしまする同時に、先ず大きな不祥事がなかつたというような結論を得ておるわけであります。特に御存じのように引揚船が一隻沈みまして、呉淞の港口を出た所だと思いますが、江之島丸というのが戰争の残りの浮遊水雷に引つかかつて沈沒しまして、そのために七、八人亡くなつた方がございます。その点は今でも非常に遺憾に思つております。
  107. 北條秀一

    ○北條秀一君 調整金の問題が午前中から問題になつたのでありますが、私は次の点について岡崎さんと土田さんからお伺いしたいのであります。それは岡崎さんの証言にありましたように二十年の六月頃から大使館の館員の給與が不十分のために、相当窮乏な状態に追い込まれたために、岡崎さんとしては何とか調整金から若干でも、これを使えないものかというような考えがあつたのだということでありましたが、その点は間違いないのかということが一つと、第二は官房長が公使館の不足金を借りた。こういうお話でありましたが、これは間違いないものか、若し間違いなければ借りた金はどのくらいか、この二点について土田さん岡崎さんの御両人から御証言を頂きたいと思います。
  108. 岡崎嘉平太

    証人(岡崎嘉平太君) 外資金庫できましたのは終戰の年の月何月でありましたか、実際できたのは早くても四月頃じやないかと思います。そういう通知を受けてそれを運用されたのは、恐らく七月からではないかと記憶しております。そういう話があつたものですから、館員の給與を増し、その場合に外資金庫の資金が利用でかないかということを、我々は考えたわけであります。あれは御承知かと思いますが、すでに軍需品の買入に……最初の予算では鰻上りに上つて行く華中の物価状態では、最初の予算では買えないので、その度ごとに予算の増額はできないという現状から、これは華中地区だけでなくて他もそうであつたと思いますが、それで外資金庫を作つて輸出入から来る差益というようなものを振込みまして、或いは金を持つて行つて差益を振込みまして、それを元の予算額に加えて適当に中央が指令してこれを外資金庫から出して買わせる。そういう制度であつたのですが、それを利用して各人の給與を予算面の外にその分を加えて使つたら生活が維持できるとこういう考えを私共は持ちましてその交渉をしようじやないかということを官房長に話したことの記憶しておるわけであります。ところが最初どういう方法で連絡しましたか、回答田物件費であつて人件費に及ばないということを言つて来たように記憶しております。そこでこれはなかなかいかないが、併しとにかく非常な困難になりましたので、何とか方法を考えようじやないかといつて官房長が借りましたかどうか記憶ございませんが、中央と連絡した結果、何とかしようということを言つておりましたのが確か六月の終り七月の初めでありました。その後終戰後で非常に多忙で、我々は貰つて食つておりましたからよく知らなかつたのですが、終戰になりましたときにもその問題がもう一度大体私にも話がありました、何とかして資金を作らないとやつて行けないということでありましたのですが、方法がないので、官房長がそれでは借入れをやりましようと言つたことを記憶しております。その時に私から地位とか階級に拘わらず帰るまで人間は同じだから、食つて行けばいいのだから、平等に分けて家族の数に比例してやれ、從つて独り者はたとえ公使であつても沢山の子供を抱えているものよりも少くなることは覚悟だと言つて、その通り実行されたことを記憶しております、その時に官房長が資金を借りたのか或いは物を売つて調達したのかは存じません。実は私は終戰事務が非常に忙しかつたものですから、私の記憶しておりますのは自治会の費用の方で、ここで補足して置きますか、終戰になりました八月十五日から八月の終りまでの間にいろいろな人が相当やつて来て、この際相当金を集めて置かないと居留民がやつて行けないというので、私共奔走して金持から金を醵出するように頼みまして、当時の民団長中島君の所へ持つて行きました。終戰後に儲備券で八億ぐらいであつたかと思いますが、これが自治会発足当時に大変役に立つておると思います。私がすぐ小切手を受取つて中島君に渡したこともありますので、そういうことは最初の時に役立つているのではないかと思います。
  109. 土田豊

    証人(土田豊君) 岡崎証人から申上げましたことより外に別にありません。
  110. 北條秀一

    ○北條秀一君 これはお二人は官房長がどこで金を調達したかということは全くお分りにならないということでありましようか、それとも確かにそのどれくらいのものを外資金庫からの調整金の中から金を引出したということ、これだけははつきりしておるのでしようか。どうなんでしようか。
  111. 岡崎嘉平太

    証人(岡崎嘉平太君) 私に関する限りはどういうところから出したかそういうことは存じません。外資金庫にある資金を借りるということは当時法規上もできませんから恐らくそういう名目では借りていないと思います。銀行からの借入金ではないかと思います。はつきりしておりません。
  112. 北條秀一

    ○北條秀一君 それでは外資金庫は最後に相当な資金を持つておつたと思うのでありますが、その外資金庫の最後に残つた金というものは一体どう処置したのかということは、終戰後は全然御両人は全く関知しないということなんでありましようか。
  113. 土田豊

    証人(土田豊君) その点は関知いたしておりません。
  114. 岡崎嘉平太

    証人(岡崎嘉平太君) 外資金の金というものをどうしたかということは無論存じませんが、銀行中国側に接收されましたからそういう関係の帳面の関係は別として、現金は外のものと一緒になつておりますから、中国側に接收して取られておりますが、その外資金庫としての現金はどれだけあつたかということは存じません。これは正金銀行の全部の現金というものは、正金銀行の使つた以外のものは中国側に接收されております。
  115. 北條秀一

    ○北條秀一君 これは他の委員の皆さんにも判断して頂きたいと思うのでありますが、終戰の前後らか少くとも公使館の館員としてはもとより、その他におきましても猛烈なインフレでありまして、日本人社会というものが如何に窮乏しつつあつたか、従つて終戰後のあの混乱に応じて上流から段々と平くの避難民が出て来たので、その窮乏が日を追うて激しくなつたということは容易に想像できるところであります。そこで公使館には日本政府の訓令によりまして、日本人を保護するためにこの万全の措置を取れと、必要な資金はこれも然るべき措置を取れということで、それから次の点は外資金庫に調整金が相当あるので、これを一つ借りたいという意思が岡崎さんの証言の折にあつたし、同時に又日本人側にもあの金を使つたらいいじやないかという考えはあつたということは今まで私共が、いろいろな人の報告を聞いておつてはつきりと分るところであります。特にこの訓令があり、金を使いたいという意思があり、金の必要だという事実があつたし、官房長が何処からか金を調達したと、この四つの事実を総合的に考えますと、特にこれは佐藤官房長を呼んで、或いは青木書記を証人として来て貰つて、その証拠を証言を願わなければはつきりしたことは分りませんが、本日の御三人の証人をお招きしました結果としては、これは外資金庫の資金をどの程度動かしたか知りませんが、この金が動いておるという事実を私はどうしてもそう判断せざるを得ないのであります。従つてそうなりますと、外食金庫にためられた調整金全部を使つたわけでなしに、少くともその一部でありましても調整金の中から金が出ておるのじやないかという判断を私はするのでありますが、こういう私の判断に対して土田さんと岡崎さんはその判断は間違つておるということを言い切れるのでありましようか、私の質問はよく分りませんか。
  116. 岡崎嘉平太

    証人(岡崎嘉平太君) 間違つておるとも正しいとも申上げかねるのであります。先も申上げましたように、外資金庫ができたときに私は逸早くそれを考えたのであります。物件費に限るという断わりがありましたので、実際少くも終戰前田そういう手続はしてなかつたのであります。終戰後は果してその名目で正金銀行がどうであるか、或いは正金銀行から借りたか、それもよく分りませんが、官房長に館の財政を任してありましたが、恐らく借入金じやないかと思います。調整金から出して呉れと言つて頼んだんじやなくて銀行に貸りに行つたのじやないかと思います。銀行もああいう状態なんですから、どうしても残しておいても中国側に接收されてしまうというので、実は大使館が困つておるのならばというので貸して呉れたのじやないかと思います。
  117. 北條秀一

    ○北條秀一君 それでは矢野証人にお伺いたしますが、矢野さんが日本において在外邦人部長としてその職にあられた間に、上海の引揚者がこの問題について真劍に陳情して来たと思うのでありますが、その各般の陳情を受けられた際における状態及びそれに対する矢野さんの当時の判断はどういうものであつたか、この点についてお伺いいたしたいと思う。
  118. 矢野征記

    証人(矢野征記君) 只今の御質問はなんでございましようか。在外公館の借上金のことでございますか。
  119. 北條秀一

    ○北條秀一君 さようです。重ねて申します。矢野さんはですね、在外邦人部長としてのその職にあられた間に、先程の御証言にありましたように、上海その他引揚者からいろんな在外公館等での借上金について承つたということを言われたのですが、その中には必らず上海の送金小切手の問題も出て来たと、私はそう想像するのでありますが、その際における陳情の模樣及びその陳情に対する矢野さんの当時の判断はどういう判断をされていたか、それについて証言して頂きたい。
  120. 矢野征記

    証人(矢野征記君) 只今御質問ありましたように、私に陳情が参りました問題は二つあつたのでありまして、一つは在外公館だけの名において借上げて、そうして証書を渡してあるという借上金の問題と、もう一つは大使館が正式に認めた送金に対して、我々は金を知らないで出したのであるが、それが一向に帰つて来て見ると金は呉れん、これは一体どういうわけだと言うので随分方々から話がありました。この問題につきましては私が先刻申上げましたように、二十一年の二月一日に在外邦人部長を承つたのでありまして、それまでは申上げましたように満洲事務局をそのまま外務省に合併いたしまして、第三部という部課がありました、それをやつておつたのでありまして、従つて私はこういつた詳しいことは、発足した経緯というものについてはよく知らないのでありますが、結局私としましては、この問題が私の時になつて大変方々から文句が来るので、過去の話は係官その他がよく何して段々分つて参りましたが、確かその時の記憶では大蔵省方面ともいろいろ折衝し、相談したのでありますけれども、結局この問題は困つた問題であるけれども、当分とにかく当時の現状としましては早急の解決はできそうもない。唯将来は何とかしてこれは幾分かでもこれについての名義は救済金であろうと何であろうとも、ともかく政府としては何らかしなければならん問題であるということについて、私はそういう信念を持つておりましたし、又折あるごとにこの問題が出るときには他の関係当局にもこいつは何とかしなけりやいけないよと常に言つておつたことを記憶しております。
  121. 北條秀一

    ○北條秀一君 先程私申しましたことについて、重ねて矢野さんにお伺いするのですが、矢野さんが何とかしなければならんという信念を持つておられたという問題が、今や何とかするという段階に到達したわけなんですが、そこでその何とかしなければならんというあなたの考える対象、その対象の中に当時のお考えとして、上海の先程問題にありましたところの調整金というもの、要するに調整金即ち送金小切手の問題は、これも在外公館の借上金、或いは救済金に当時は使われたのだ……、先程あなたが来られなかつたときに淺岡委員からそれについての詳細な話があつたのですけれども、そういうことがきつとあなたの耳に入つたと思うのですが、従つて当時あなたが今証言われましたことですが、このことは上海も含めてのお考えであつたのか、当時はつきりと上海は別だというふうにお考えになつておつたか、このどつちかについてあなたの見解をお聞かせ願いたい。
  122. 矢野征記

    証人(矢野征記君) 勿論上海も引つ括めた各地区の問題であります。それから私はこの前の二つの問題の一つ、即ち送金小切手問題については、これが果して何に使われたか、或いはどこがこれを保管しておつたのかということにつきましては、中央としては当時はつきりしたことを掴むことができなかつたのでありますが、ただ專らこれを大使館方面に使つたのだということは、当時現地から帰つて来る人は盛んにそういうことをおつしやるのですが、私としてはそれは確証を握つておりませんし、勿論その後帰つて来た大使館の方々に聞いてもそうでなさそうでありますので、人々に聞いた上の話でありますから、それで私としては別にこれらについてのしつかりした確証乃至は確言し得るそういうものは持つておらないのであります。
  123. 北條秀一

    ○北條秀一君 今矢野証人からお話がありまして、誠に私も賛成なんでありますが、結局在外公館等の借上金等の問題は日本政府責任であり、日本国の道義的な責任に基く問題で、或いは皆さんよく御承知の通りであります。従つて当時の外務大臣吉田茂の名前を以ちまして訓令を二回に亘つて現地に発した。発した原因は現地から日本人の引揚生活保護のために金が要るから、何とか本国政府から送つて呉れということを方々から電報を寄越しましたので、政府としてもそれに対して応急の措置をとろうというので今の訓令になつたわけです。従つてその間に多少の各地域ごとに異つた経緯があるか分りませんが、日本政府としてこれらの問題は今矢野さんが証言されたように責任を持つて行くべきである。持つて行かなければならんとはつきり考え、又そう信じておるのであります。その点について土田さんはどういうふうに今お考になりますか、この点についてあなたの見解を一つお述べ願いたい。
  124. 土田豊

    証人(土田豊君) 訓令によりまして拜借いたしましたお金は、当時もすでに将来お返しするという條件附であつたと思いまして、それが今度の法律になつたと思いますので、これはもう当然お返しすべきものである。
  125. 北條秀一

    ○北條秀一君 土田さんそれだけじやない。要するに先程来調整金の問題が出たわけですが、岡崎証人からお話がありましたように、私先程岡崎証人質問いたしましたのは、これは私の見解ではこうだからあなたどう承知しておるかというと、私の見解に賛同するでもなし、賛同せんでもなし、その半断は確答はできないと言われたのですが、私共としては率直に申しますと、調整金の一部は確かに使われておる。使われておるとすれば調整金というプールの中にどこかにあつたわけだが、この金は淺岡信夫から借りた金だとか、土田豊から借りた金だとか刻印が捺してあれば何なんですが、刻印のない通貨をプールの中から出したわけですね。その出し方は調整金から更に正金銀行に行つて、正金銀行から金を借りたかも分りませんが、正金銀行が借りる方法で借りたのですから言わばプールなんですね。そのプールの中から出したわけです。誰の金とは言わないけれども、とにかく調整金の中から使われておる。それは先程来くどくど言いましたが、必要であるということと、使いたいという意思があつたことと、政府からの調令があつて現なまがあつたということで使われている。多くの現地から帰つて来ておる人の話によると確かにそれは使われておる。土田さんは知らなかつた、そうだとも言えない。岡崎氏はそうだともそうでないとも言えない。こういうわけですね。でありますから、今度はそういう調令を発して在外同胞の引揚を円滑にやろうとした日本政府としては多少のそこに差があつても、外地から帰つて来た引揚同胞の真劍な、又まじめな要求に対しては、政府としては飽くまでも責任を負つてこれを処理すべきである。こういうのが私の見解なんでありますが、それについてあなたの御意見を聽いたわけです。
  126. 土田豊

    証人(土田豊君) 只今のプールになりましたものから出して使いましたかどうかという点につきましては、私も岡崎さんと同じで断定できません。次の、政府としてこれは当然お返ししなければならんかという御質問に対しましては、私は午前中に申上げましたように、調整料というものは国庫收入の性質を持つものではないかと思うのでありまして、三万円の送金そのものはいつか内地においてそれぞれ皆さんにお支拂いしなければならないものでありますけれども、これは何か対外関係もありまして、その了解が得られないと聞いておりますが、調整料というものは私の考え方では当時送金するために拂いました手数料なんでありまして、これは一応国庫收入になつたというふうに考えるのが至当ではないかと思います。
  127. 北條秀一

    ○北條秀一君 それは確かに国庫の收入になつたものでありますが、国庫の收入というものはすぐ本国に送れずに上海に置いてあつたのであります。そこで日本から上海に金を送ろうとしたが、やはり送れなかつたから、先のように訓令したわけであります。佐藤官房長は、ここにどうにもならん国庫の金があつて、而も政府からはあらゆる方法で金を集めて来いと言われたから、同じ国庫の金だからこの金を使つてもいいではないか。こういう処置をすることは万人共通の、私は当然の処置であると思う。そういうことを申上げたのであります。私の質問はこれで打切ります。
  128. 淺岡信夫

    ○淺岡信夫君 今朝程の土田証人の御証言では、調整料が国庫收入になつたということの御証言がありまして、果してこの調整料という問題に対して、その責任を負う、負わんという問題に対しましては御証言がなかつたわけでありますが、併し今朝来の土田さんの御証言を伺つておりますと、どうも外務省としてはその問題に対してはちよつと観点が違うのではないか、むしろこれは調整料で国庫收入があつて、それは役所としては大蔵省の所管ではないか。こういうふうに私共は受取りまして、先程もいろいろと委員長以下委員話合いましたときにも、在外公館等借入金整理準備審査会法の中にはこれは含めないで、同時に又解釈のしようによつてはこの中に含まれるのではないかというようなことでいろいろ打合せをしたわけでありますが、私共はここに土田さんもおられますけれども、実際終戰になつて、例えば私の居りましたブロードウエイ・マンシヨン、そこを追われる場合には三時頃から夕方までに出て呉れというようなことで、とにかくあそこに千人近い人達が居つて、僅かに二、三時間で以つて十年も或いはそれ以上いた人が直ぐ飛び出せるものではない。いろいろまあ話をしました結果、漸く翌日の正午まで待つて頂いた。これはブロードウエイ・マンシヨンだけはちよつと特例であつたのでしようが、殆んど二時間、三時間で追立てられて福民病院におりました。福民病院にものの二時間もおりますと直ぐ追立てられる。ところが又その間において二、三時間で追立てられるのですから荷物なんか殆んどない。転転と変つて行くうちには段々裸になつて行く。それが奧地から二十万、三十万近い人が皆上海へ、上海へと集つた。そうして上海の学校なり、工場なりに入られた。そうして半年乃至一年に亘つて生活をして行く。今この問題は、この調整金の問題で、外資金庫で実質的にこれを使つたかどうかという問題でございますが、あの殺人的な物価高で、例えば二十年の八月の十五日の終戰の詔勅を拜したときにでも一ピクルの米が……一ピクルと申しますと日本の桝で申しますと五斗五升、それがとにかく二百七、八十万元もするというような状況で、そこで先程岡崎証人の御証言によりますと、六月頃から外国の方々の俸給その他の点に対しても非常に窮屈になつて来たというような点から推測つて考えて見ますと、九月、十月、十一月、十二月と、そういう間に拂われた金だけでも相当額のものではなかろうか。して見ると、私は無理に押付けるわけではございませんが、少くともこの華中におつた三十万人の人達のこの三十倍送金、或いは極めて少量であつたと思うのでありますが、七十倍送金、そういうような調整料はこれは言わずもがな、当然使われたものであろう。これは殆んど帰つて来た人達は皆異口同音に、今朝私がその手紙の一端を御披露申上げたようにそう思つておる。ところが今朝来の土田さんの証言を承つておりますというと、何だかそうでないというようなふうに結論が得られて来るような御証言に思える。この点をどうも私共は少くともこの九月の七日の五百二十七号のその本省よりの調令に基いてやつてということであるならば、少くともこうした問題に対してはとにかくどの程度を国家が補償するかどうか知りませんが、少くとも国家が補償しなければならない段階に至つておるのではないか。時期とか率とかそういうような面はこれは又別途に考えるとして、根本的にはこれを国家が補償しなければならない立場にあるのではないかというような点につきましての一つ御証言を願いたいと思うのです。
  129. 土田豊

    証人(土田豊君) 只今のことはよく私了解しませんので……、調整料は先程申上げましたが、どうしてもこれは送りになつた方々に差上げなければならないものでありますが、これはどうしても他の関係方面の了解を得なければならんことがありますから、この方を解決することが一番の要締であると思います。調整料につきましては、私の考えでは、さつき申しましたように、手数料的なもので、国庫の何と申しますか、国庫の金になつておるのであります。それと官房長が使いましたかどうか断定できませんが、救済金にはそれを使つておらないということを後で私は聞きました。従いまして救済金には使つておらないわけであります。只今出ております借入金の方にうまく引掛りがつくと思うのでありますが、救済金に使つておらないといたしますと、別に残るようになるのではないかと思うのでありますが、政府は当然今の調整料に対してお返ししなければならないという議論はちよつと私分りかねるのであります。
  130. 天田勝正

    理事(天田勝正君) 各委員にお諮りしたいのですが、ちよつと懇談に入りたいと思いますが、御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  131. 天田勝正

    理事(天田勝正君) それでは暫く懇談に入ります。では速記を止めて下さい。    〔速記中止〕
  132. 天田勝正

    理事(天田勝正君) 速記を始めて下さい。証人の御三人方には、長い間お忙しいところを細かく証言願いまして、本委員会としては大変参考になりました。誠に長い間有難うございました。私委員会一同を代表いたしまして、委員長から厚く御礼申上げます。
  133. 岡崎嘉平太

    証人(岡崎嘉平太君) 訂正いたしたいことがありますので……
  134. 天田勝正

    理事(天田勝正君) 訂正がございますそうですから、発言を許します。
  135. 岡崎嘉平太

    証人(岡崎嘉平太君) 先程、持ち帰るのに十五キロと申しましたが、これははつきり十五キロと言われなかつたのですが、若しこれが記録に残りますと外交問題になりますから申上げて置きますが、三十キロであります。その他当時湯将軍へ決議を持つて行かれたら、蒲団と六日分か五日分の食糧は別だという、こういう話をして呉れました。実際にはそういうものを入れますと八十キロから九十キロくらいであります。これはむしろ当時の湯将軍の名誉のために、あれは非常に恩惠を施して呉れておりますので名誉のために……もう一つは、今の一万円送金といつた問題は、法律的な問題といたしましてはさつき証言いたしたような状態でありますけれども、これを拂つて頂くことにつきましては、当時終戰事務の担当をいたしておりました私共といたしましては、切に皆さんの御努力によりまして、どういう形でもいいから拂つてやつて頂きたいということを重ねてお願い申上げて置きます。
  136. 天田勝正

    理事(天田勝正君) それじや懇談の中で発言されました範囲に基いて、この際淺岡委員の御発言を許します。
  137. 淺岡信夫

    ○淺岡信夫君 御三方の証言は終つたんでございまするが、先程岡崎証人から誠に時宜に適したる御意見が開陳されたんでありますが、この際、閉会に先立ちまして、土田さんなり矢野さんから、こうした問題につきましての何か御意見があれば参考として承つて置きたいと思うのであります。
  138. 天田勝正

    理事(天田勝正君) 只今淺岡委員の御発言の通りでございますが、その趣旨に則りまして、土田証人並びに矢野証人におかれましても、お気付の点がございましたら、この際御発言願いたいと存じます。
  139. 土田豊

    証人(土田豊君) 先程岡崎証人から申上げました希望は、私も全然同感であります。
  140. 矢野征記

    証人(矢野征記君) 私といたしましては、曾て在外邦人部長をいたしまして、お引揚げになる皆様のお世話をした人間といたしましても、当時からの私先刻申上げましたような信念もあるし、又今でもこの問題については名義はどうあろうとも、政府は額の如何に拘らずとにかくこれは、政府はお命じなさつた問題であるから片付けて頂いて、そうして引揚げになつた方々のためにお計らいを願いたいという、私は強くここに希望を述べさして頂きまして、引取りたいと思います。
  141. 天田勝正

    理事(天田勝正君) 証人の方に、誠に長い間御苦労さまでございました。お礼を申上げます。どうぞお引取り願います。   ―――――――――――――
  142. 天田勝正

    理事(天田勝正君) 委員各位にお諮りいたしますが、今日の証言を元といたしまして、次にこの結論を如何に出すかという問題でございますが、まだこれにつきましては、更に関連して外務当局との懇談或いは委員会を正式に開いての協議、こういうことを持つ必要もありますし、それに関連いたしまして、更に新たなる証人の喚問、こういうことも必要になつて来るかと存じますが、それらの点につきましては、委員長、理事の協議会に御一任願う、このようにして頂いたら如何がかと思うのでありますが……
  143. 北條秀一

    ○北條秀一君 只今委員長の発言に対しては、委員長、各理事諸君を信頼いたしますから、私はそれで結構だと思うのでありますが、ただ委員長、理事の諸君が、そういう懇談をされる際に、私としての意見を申述べますから、御参考にして頂きたい、と思いますのは、今日の証言で、私は本委員会が、後で速記録に基いて十分判断すれば、おのずからこの問題は分ると考えます。而もこの問題はすでに在外公館等の借入金整理準備審査会がすでに活動を開始しておりますので、我々としてはこういう判断だと、更にこの判断を裏付けるためには、青木書記長、及び佐藤官房長を審査会の方において、呼んで調べられたらよかろうと思う、そういうことで私は十分任務を達し得るのじやないかと考えられるのであります。従つて改めて証人を呼ばんでも、今のような方針でも十分じやないかと思いますので、私の見解を委員長に申上げて、理事各位の御参考にして頂きたい、この希望を申述べます。
  144. 天田勝正

    理事(天田勝正君) 承知いたしました。
  145. 淺岡信夫

    ○淺岡信夫君 過日の参議院衆議院の引揚特別委員会の合同打合会におきまして、外務省の倭島管理局長をそこに招致して、この問題に対しましては、これが果してこの枠内に入るか、入らんかという問題は、在外公館等借入金整理準備審査会、この委員会においてなされていいことであります。それについて、できる限りの市町村の末端までこれを徹底せしめるということを合同打合会において言つておつたのでありまするが、本委員会といたしまして、各地からのいろいろの問合せによつて、この三万円の問題は入らないのじやないか、行つたところが拒絶されたところがあるということを頻りと愬えて来る向きが多いのであります。そこでこの委員会といたしましては、政府をして、或いは外務省をして、これは、一応申告すべきである、処置すべきであるということを徹底せしめるようにお取計らいを願いたい、こう思います。
  146. 天田勝正

    理事(天田勝正君) これを本委員会において……
  147. 淺岡信夫

    ○淺岡信夫君 委員長より外務省をして、政府をしてなさしめる特に強い申入れをして頂きたいと思います。衆議院参議院の合同打合会で、正式の委員会じやないものですから……
  148. 天田勝正

    理事(天田勝正君) 只今淺岡委員からこういう発言があつたわけであります。過日もいろいろ疑点のあるようなものについてもすべて受付けるようにということについても倭島管理局長にこちらからも言い、倭島局長からもそういう発言をなされたし、あれは正式の委員会ではございません。そこで当委員会において改めて、それらをすべて受付けるように外務省に申入れたらどうか、こういう話なんです。この点お聞きになつておらないから重複して申上げます。
  149. 北條秀一

    ○北條秀一君 それは審査会の任務であると同時に、又外務省の任務なんであります。従つて今日のように、外務省が周知徹底方について極めてなまぬるい態度を取つておることについては、私は不平を持つておるのでありますが、今の問題は早急に我々から申入れて、そして何しろ審査するのですから、審査する前にこれはいいとか、惡いとか言つたのじや審査する必要はない、それはどしどし周知徹底させて、そうしてあらゆるものが審査に掛けられるように請求書を出すということをやらなくちやならん。ここで特に私は新らしい提案をいたしたいのでありますが、それは今のように、不徹底な状態で、遂に九十日の期間の中の五十日を過ぎた今日でありまして、果してあと四十日で周知徹底がし得るかどうかという段階に到達しておりますから、この点は余程我々としてここで考えなくちやならん。簡單に言いますと、九十日と初めは決めたけれども、外務省の怠慢にしてこれは不十分であるから、(「その通り」と呼ぶ者あり)更に六十日なり五十日延ばすという措置を我々はしなければならんということをお考え願いたいと思います。
  150. 千田正

    ○千田正君 たつた一言だけ附加えますが、さつき北條委員から今の審査会において佐藤官房長、若しくは青木当時の書記長を呼んですれば大体全貌が掴めると言うけれども、もう一つ附加えなければならない問題である。それはこの二人を呼んで見ても尚正金銀行から借入れたというだけのことであつて、当時の金融業者のいわゆる責任者がそれを調整金の中からやつたという証言がなかつたならばそれは無意味なことである。ですから当時の在上海におけるところの金融団体の代表者を召喚してそれを審議にかくべき問題である。そうでなかつたら無意味であるということを附加えまして、審査会にそういう点をこちらから話して頂きたいということを申上げて置きます。
  151. 天田勝正

    理事(天田勝正君) これまで各委員の申述べられた点を外務当局、特に審査会の方へ当委員会から申し出るということなんでありますが、申し出るのは極めて簡單でございますけれども、正式なる申入れということになりますと、定足数等の問題があると思いますが、この点は如何でございましようか。
  152. 北條秀一

    ○北條秀一君 その前に私が申上げたことは委員長、理事にこの後の措置についてはお任せ願いたいということだつたから、千田君は更にそれに有効な発言をしたわけですから、委員長理事会議において一つ処置して頂きたい。
  153. 穗積眞六郎

    ○穗積眞六郎君 今の公館の借入金の問題でありますが、さつきもここで何でも市町村において受附けなければいかんじやないかと言いましたときに、それは尤もだと、管理局長も言つていた。そうして今そのように運んでおるようでございます。そうして十七日にみんな地方の人を呼び集めて又何か新たに訓示を発するように聞いておりますが、併しそれにしても非常に結局結末は北條君の言われたように不徹底になりそうだ、(「その通り」と呼ぶ者あり)そこでどういてもこちらとしてはその点については研究してやはり何か申入れをする必要がどうしてもあるような気がいたします。(「賛成」と呼ぶ者あり)
  154. 天田勝正

    理事(天田勝正君) ではさような趣旨に沿いまして、委員長より懇談会によつて何らかの措置をとり、且つ又当局と話合をすることにいたします。
  155. 淺岡信夫

    ○淺岡信夫君 今朝懇談のときに私申上げたのですが、今朝の新聞によりますると朝日新聞毎日新聞読売新聞、或いは日本経済、その他の新聞に載つておるのですが、第二船の高砂丸が帰つて参りまして、そうして帰つて来た人達の一部で、その新聞の一部を読んで見ますると、「在ソ邦人の引揚げが遅れた原因は、徳田球一氏に責任があるものとし、同氏を糾明すると十二日同団長は次の通り語つた。昨年九月十五日タンケント收容所にいた我々邦人九百余名のうち五百余名がカラカンダに移されたとき、同地区收容所第九分所長マルスキー親衞中尉、同分所長シヤヘーフ氏、政治将校ヒラトフ少尉の三名は日本人通訳菅某を通じ、当時抑留されていた関谷正藏元軍曹、秋田県外百余名に対し、日本共産党書記長徳田球一氏が反動分子の送還を拒否しているから君達の引揚げが遅れていると言明した、この言葉をはつきり聞いていた者が揃つて証人となり徳田共産党書記長と飽くまで対決してその責任を追及する。」云々と語つているのですが、こうした問題につきまして、一つこれはその語つた証人か、或いは一方徳田書記長か、或いは中共地区の問題に対してはこれとほぼ意味は同じようなことをやはり中共地区でも野坂參三氏が言われているのでありますが、こうした問題についてこの委員会としてこれは相当関心を持たざるを得ないと思うのです。或る場合には証人を喚門するというようなことを一応考えて頂きたい。こう思うのですが、それを提案します。
  156. 北條秀一

    ○北條秀一君 只今淺岡委員から話があつたのでありますが、同じ今日の朝日新聞の天声人語を見ますと、戰争中アメリカの有名な従事記者アーニイ・パイルのことが出ておりまして、アーニイ・パイルは四十五歳にして死んだ、日本の現在の新聞記者諸君はいずれも非常に年が若い、できれば四十、五十の新聞記者が市井の記事を取るということなれば、新聞記事が非常に正確になつて来るのじやないか、又公正妥当になつて来るのじやないかというふうな意味のことを天声人語自身が書いているのでありますが、併し今の問題は、私は決してこれを書いた記者諸君が間違つたことを言つているとは想像しないのでありますけれども、余程これは愼重に行かなくちやならんと思います。従つて淺岡委員から折角の御希望でありますけれども、先程来委員長からお話がありましたように、委員長、理事会がありまして、ここで本委員会に提出する問題をいろいろと工夫されるわけでありますから、今の淺岡委員の御発言はそのまま理事長、委員長及び理事諸君が受けられまして十分に一つ愼重に一つ検討して頂いて委員会に諮つて頂く、こういう筋途を取つて頂きたい、私はそういうふうに希望します。
  157. 天田勝正

    理事(天田勝正君) 淺岡委員の発言は今北條委員のお述べになられたような措置をされても差支えありませんか。
  158. 淺岡信夫

    ○淺岡信夫君 差支えありません。
  159. 天田勝正

    理事(天田勝正君) では本日はこれにて散会いたします。    午後三時十七分散会  出席者は左の通り。    理事            天田 勝正君            水久保甚作君            千田  正君    委員            淺岡 信夫君           池田宇右衞門君            伊東 隆治君            木内キヤウ君            九鬼紋十郎君            北條 秀一君            穗積眞六郎君   証人            土田  豊君            岡崎嘉平太君            矢野 征記君